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第九話

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 せんせい、さようなら! 

 そんな、我こそは先生の耳にこの声を届かせるのだ、と周囲に張り合うように大きくこだまする子どもたちの声。

 そんな彼らに軽く手を振り返す夕暮れ時、教室内が静まり返ったところを見計らい、そっと息をつく。

 木曜3時から2時間、2部制で行われる授業は、今のところ参加生に事欠かない。基本自由参加としているのだが、毎回受講に現れる顔ぶれが徐々に増えていっているような気がしてならなかった。

 今日は特に急患もなく、最初から最後まで無事に授業が出来てよかった、などと思いつつ、診療所の事務室に入れば、片付けや書類の整理などをしていた彼女がパッと顔を上げる。

「あら、ニト先生! もうそんな時間でしたか、今日も木曜教室、お疲れ様です」

「いつもこの時間は診療所の方を任せきりにしてすまない。ありがとう、ルーラム」

「いえいえ、なんの! 先生のご指示に従って、予約の方にお薬をお渡しするだけのことですから! 少しでも分からないことがあればすぐに先生にご連絡出来ますし、いくらでもお申し付けください! 私、先生のお役に立てる上に、そのおかげで同族たちのことも助けることが出来て、やりがいを感じているんですよ」

 近頃は、自治区の人々に広く信頼を置いてもらえるようになってきた診療所だが、おかげで私と私のゴーレムだけでは対応しきれないほどまでになってきていた。

 そこで私が助けを求めたのが、他でもない、ルーラムであった。

 彼女には診療所の受付や、患者のデータ管理、簡単な手当などを担ってもらい、その働きにより、パンク寸前であった業務はみるみる円滑になった。

 一人で数人分の働きを見せてくれる彼女は、今やこの診療所に無くてはならない存在だ。

「あとのことは私がやるから、今日はもう上がってくれ。ロウルが教室で覚えたことを貴方に披露したいと張り切っていた」

「まあ! それは楽しみです! でも、もう少しだけ。きっとロウルもしばらくは友達と遊んでいたいでしょうし……先生、近頃働きすぎでいらっしゃいますもの、先生こそ、今の時間くらい、お休みになってくださいな。そうだ、私、お茶を淹れてきますね」

「私は大丈夫。これしき、前職では疲れたうちに入らなかった」

「なんですって、それはおやめになって大変宜しゅうございました。お休みになるのも大事な先生のお仕事ですよ、ささ、おかけになって、ね」

 そう言って、ルーラムはパタパタと駆けて行ってしまう。

 お言葉に甘えることとして、私は自分のデスクに座った。卓上のカルテに軽く目を通しつつ、あらゆることに思考を巡らせていく。

 ベスティア自治区の人々の生活がもっと上向くまでに、問題はまだまだ山積している。私一人の手で出来る援助などたかが知れているのだ。

 このままではベスティア自治区の行く末は袋小路そのもの。

 いつ断ち切られるかも分からない、国からの微々たる配給や、細々と入ってくる他国からの支援に頼らずとも、各々が生活を営めるように、住人達自身の力を底上げする必要があるのだ。

 しかし、そもそもインフラすらまともに整っていない、商売の地盤すらも無いこの地で、どうやって……。

「考え事もほどほどに、先生。どうぞ」

 カップからの湯気が、むわりと眼球を撫で、嫌でも思考が中断される。

 肩の力が自ずと抜けていく、涼やかな薄荷の香りだ。

 いつの間にか、私の好むフレーバーまで筒抜けになっていたらしい。

「ありがとう」

「いえ、いえ。難しい顔をなさっていましたけれど、何か厄介な症例でも?」

「いや……自分の無力と向き合わずにはいられないものだから」

「なんてことを仰るのです、無力なものですか! 誰もやってはくださらなかった、誰にでもは出来ないことを、先生は私たちにしてくださっていますのに……ほぼ無償での診療・投薬に、最近では誰でも自由に参加できる教室まで開いてくださって……毎朝の炊き出し、生活用品の無料配布、部屋の温度を適温に保ってくれる機能付きの空間拡張魔道具を各家庭に設置してくださって、皆がどんなに楽になったことか……! 他にも、数えきれないほど、救いの手を差し伸べてくださっているのに、もし、これ以上のことを先生に求める者がいるなら、私が拳をお見舞いしてやりますとも!」

 ルーラムはフンフンと鼻息荒くしながら、勇ましい拳骨を掲げて見せる。

 しかし、今までに、リュプス族の人々が、一度たりとて、私に何かを要求したことなど無い。
 
 彼女の言うような者がこの場所にいるはずがないのだ。彼らは素直で純朴で、どのように貶められても失われない、高潔さを持ち合わせた人々なのである。

 そして、一度受けた恩は絶対に忘れず、過ぎるほどの感謝と好意を、私に与えてくれる。

 ああ、だからこそ。だからこそ、私は、私の罪は——————。
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