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第二十三話

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 そう間もなく、TOF公式から出した声明は、瞬く間に拡散された。被害女性からの言い分を全否定し、訴訟に動いているという内容、そして、騒動が終息するまでの間、レイネの活動は自粛するというものである。

 ネットはまさに賛否両論だったが、どちらかと言えばやはり否の意見の方が多く飛び交っている印象だ。何せ、沙門くんとコウガくんのファン界隈には、所謂ガチ恋リアコと呼ばれるファンが多く存在し、もともと彼らと多く絡みのある女性Vとしてレイネを目の仇にする、潜在的な敵対アンチも少なくないのだ。

 ネットで活動し人気を集める上で避けられないこと。ファンの構造だけでなく、アンチの構造も複雑なのだ。つまり、一度大きく燃え上がった炎上を完全に終息させることはほぼ不可能。ともすれば、レイネの復帰はもう、事務所にとって不利益でしかないかもしれない。

 もっと言えば、この告発のタイミングが、おそらく悪意によってはかられたものであるということ。復帰したばかりで注目を大きく浴び、Vコンテンツにある程度慣れ親しんでいる多くの人間に、少なからずレイネの名前が印象付けられたタイミングだった。それが今回の大炎上に拍車をかけている要因のひとつでもある。

 思いつく限り最悪の展開だ。俺が目指していた「美しい終わり」などという理想から、現実がみるみる遠ざかっていく。どうしたってこの一件はファンからの愛に深く影を落とすだろうし、その疑念を拭い去るのは、いうなれば地上の全てのアリを駆除するような途方もないこと。

 それだけでない。ネットに限らず、ファンを獲得することで利益を獲得する活動者とは、ゴリゴリの人気商売だ。かつてレイネと絡んでいたというだけで、多くの活動者に迷惑が降りかかる。レイネの悪名は、現状、それほどまでにネットに蔓延している。

 八女川なんかはもう怒り心頭だ。不当なでっち上げで、今や億単位の経済効果を生むひとつのプロジェクトを消し炭にしようとしたんだ、覚悟は出来ているんだろうな、などと息巻いては、訴訟の準備をモリモリ進めている。

 そして俺は、ひとまずネットから離れ、以前の活動休止と同じような社員としての業務をこなすことで、その日その日をようやく凌いでいるような状態だ。

 本当にタイミングが悪い。コウガくんのことで不安が尽きない状況に追い打ちをかけるような炎上。本当に心配なのはコウガくんだ。どんなに心細いことだろうか。

 今、彼は何をしているだろう。レイネの騒動のことを、どう思っているだろうか。

 彼がもし、俺の懸念など的外れで、何事もなく日常に戻っていたとして。俺に失望したから、連絡を寄越していないだけという可能性はないか。

 コウガくんのことで頼れるのは沙門くんだけだというのに、今のレイネの状況が、沙門くんに頼ることを許さない。ともすれば、今一番関わってはいけないタイミングだ。恐らく今回の騒動で一番迷惑をかけているのは彼にほかならないから。

 ひとまず、かかわりのあった活動者の連絡先には、謝罪文だけを送付し、それきり開いていない。いったい、どんな面を下げて、相談なんかできるだろうか。

 コウガくんから最後にあの連絡があって、もうすぐ一週間が経とうとしている。依然、メッセージに既読はつかない。

 本当なら、ここらへんで、沙門くんに頼ろうと思っていた。スマホを手にとっては、何度も投げ出している。あとひとつの勇気が、どうしても振り絞れない。甘い考えに流されて、焦燥感ばかりが募っていった。

 そんなところ、3日ぶりくらいに、スマホが着信を知らせて震え始めた。もはやおなじみの八女川だ。考える前に応答した。

「悪い、急にはなるんだが、様子を見たくてな。差し入れを持って来た。今大丈夫か、もうエントランスまで来てるんだが」

「ああ……珍しいな、八女川。忙しいのに心配かけて悪い。すぐ開ける」

 俺は通話を切り、のろのろと立ち上がってオートロックを解除しにむかった。そして、追ってメッセージに「開けた」とだけ送り、その場に立ち尽くした。

 すると、そう間もなく、ドア前のインターホンが鳴る。俺はノロノロと玄関に向かい、ドアノブを押した。何故か一抹のデジャヴュを感じた。

「こんにちは、ナガトさん」

 そして、そのまま、その場にへたり込みそうになった。ドアを開けた先に立っていたのは、八女川ではなく、沙門くん……もとい、カノさんその人だった。

「あ……カノ、さん、どうして」

「どうしてもお話したくて。今、お時間よろしいですか」

「に、任意、ですか」

「警察じゃないですよ。ほら、八女川さんもいますし」

「お~っす、よう、よう。さっさと入れてくれ。一回タバコ吸いたい」

 俺は呆気に取られたまま、言う通り二人を迎え入れた。そしてリビングまで案内し、とりあえず惰性でコーヒーを淹れるなどした。どうしてだろう、最近こういうことばっかりな気がする。

「ナガトさん……ちょっと前から思ってたんですけど、もしかしてお金持ちですか……? 都心一等地のタワマンだって言うからちょっと身構えてたら、予想以上に豪華なエントランスと対面して腰抜かしそうになりましたよ。ヒカ○ンさん並ですよね、これ」

「いえ、そんな……俺の稼ぎじゃなくて、親から相続したものです。もともと父が不動産投資の一環で所有していたマンションでして。実家は地方にあったんですけど、色々あってそっちを引き払うことになって、管理がてらこっちに越してきた感じです」

「ふ、不動産投資……」

「この家担保にしてプロジェクト立ち上げられるくらい融資受けられましたからね。億ションどころの話じゃすまないかも」

 八女川がいらないことを言えば、沙門くんは遠い目をしてエグ……と呟いた。まあ、一応、親族で傷害事件が相次ぐくらいには資産があったんだよな、両親。もともと爺さんが事業で大成功を収めて、戦後地元で成り上がった大地主だったのだ。

 所有している国債や社債の金利と株式の運用だけで十分俺ひとりの一生を賄えるくらいの収入は貰ってたりする。

 両親が急逝した際、相続の関係で殆どを整理することにはなったが、それでもこれなので、まあ世間的に言えば大したものなのだろう。

 さて、コーヒーを人数分入れ終わり、ダイニングテーブルに三人で座って、ひとまず一服する。俺は終始そわそわしながら二人を交互に見やったが、対する彼らは素知らぬ顔でコーヒーを品評したり和やかな雑談をするなど、暢気なものである。

「……ところで、お話って、やっぱりあの、レイネのことで?」

「ああ、まあ、それは、あらかた八女川さんから聞きました。本当、突拍子もない行動に出る人っていますからね。優秀な弁護士も紹介してますよ」

「まさか昆野さんのお母様がかの有名な敏腕弁護士の先生だったとは……」

「まあ、用意してるのはそれだけじゃないですけど。件の暴露系配信者ですが、僕の事務所の時に色々しでかしてくれた彼を模倣した後追いの活動者で。ちょっと色々情報収集もずさんみたいなので、同じ土俵でしっかりやり返させて頂こうかな、と色々手を回してます」

「なんか俺が知らないうちにどんどん話が進んでるんだが……」

 沙門くんはどうしてか得意げだった。どこかその優しげな眦に苛立ちが滲んでいるような気がしたが、どうやらそれが俺やTOFに向けられたものではないらしいと分かり、深々と安堵した。

「どうしてそこまでしてくださるんですか……?」

「だって、あなたは僕の大事な友人ですし、僕にとって唯一無二の弟分の交際相手です。そんなあなたを不当に貶める存在なんか、許せるわけがないじゃないですか。言ったでしょう、僕は粘着質なんです。一度大好きになった人が遠くに行こうとしたら、必死にもなって引き留めます」

 ああ、強すぎる。俺が、彼らからの不信を妄想し、うじうじと恐れている間にも、彼は俺のために動いてくれていた。どこまでも真っ直ぐな親愛だけを頼みにして。

 裏切られたなんて、少しも思わずに。自分を信じているからこそ、自分が信じるものも、かんたんに信じてみせる。

 本当に、そんな自信、どこから湧いてくるのだろう。凄い人だ。一生勝てる気がしない。

「ごめんなさい。カノさんは、信じてくれていたのに……俺は、貴方を信じ切ることができていなかった」

「まあ、こんなご時世、いろんな人の意見が目に入って来ますから。惑わされるのも仕方無いと思います。そう、自分ばかりを責めないでください。僕はやりたいようにやってるだけですよ」

「かっこよすぎる……」

 俺が顔を覆いながらそう呟けば、沙門くんはクスクスと笑った。八女川は茶化すように「ハイハイオタクくんね」などと呟いたので思わず掴みかかりたくなった。仕方ないだろう、昔からずっと、沙門くんは俺のヒーローなのだ。

「いい加減、本題に入りましょうか。実はここ数日、ふとした瞬間にコウガの位置情報を監視してたんですけど、ちょっと様子がおかしいんです」

「様子が、おかしい」

「はい。おとといくらいからかな……いつもは寝てて絶対に家から動かない筈の昼間に、位置情報があっちこっち動き回るんです。それも、大抵、映画館とか、カフェとか、果てにはあの夢の国。普通なら絶対にコウガが立ち入らないような場所です」

 まあ、つまりは、デートスポットというやつだ。そもそもコウガくんには女性恐怖症のケがあるのだから、そんなにも女性が多く赴きそうな場所には、決して彼からは近づきたがらないだろう。

「そして、このアカウントをご覧ください。とある、まあ所謂コウガのリアコの女性が運用している、メンスタ投稿です」

「うわあ……露骨すぎる匂わせ」

「ちなみに今世間ではこのアカウントがモッさんのリア垢なのではないかと火に油を注いでいます」

「最悪すぎる!!!!」

 まったくけしからん、という顔で大袈裟に首を振る沙門くん。ふと、ニヤリ、と不敵に笑い、身を乗り出して、俺の手を握った。

「実はですね、午後3時現在、コウガの位置情報が、かの有名な韓国フードの食べ歩きスポットでうろうろしています。あとは分かりますね、ナガトさん」

「まさか……」

「ええ! 早速にはなりますが、配信外浮気調査オフコラボと参りましょう!!」

 沙門くんは唐突に立ち上がり、腕を突き上げてそう言い放った。どうして貴方はそうも楽しそうなのだろうか。助けを求めるように八女川を見れば、彼はニヤニヤ笑いながら肩を竦めるだけだった。

 しかしまあ、コウガくんのらしくない行動の理由が、気にならないほど俺も無関心にはなれない。まさか幽霊調査ではなく浮気調査をする羽目になるとは思いもしなかったが、俺も立ち上がって頷き、沙門くんと無言の握手を交わしたのだった。
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