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第九話
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チャイムが鳴る。インターホンの向こうから、やや緊張が滲むものの、聞きなれた声が響く。軽く返事をしてからオートロックを解除し、息を飲む。遂にその時がやってきた。
玄関の前でゆっくり深呼吸。あ、あ、と、発声練習。いつもと違い、今日は地声だ。彼と話す時にこの声を出すことが無いから、にわかに緊張が込み上げて、じっとり冷や汗が滲んだ。
チャイムが鳴ってすぐに玄関ドアを開ける。すると目深くかぶっていたフードを外し、マスクをポケットに突っ込んで、ペコリと頭を下げるイケメンがいた。
「あ……こんにちは。ッスゥーーーー……今日は、よろしくお願い、します……」
「はい、始めまして。今回ディレクションを務めさせていただきます、永戸 遍と申します。本日はよろしくお願いします。手狭で申し訳ありませんが、どうぞ上がってください」
「あ、ども……」
どうしよ、この子、公式写真で見る数倍は顔が良いし身長高いしスタイル抜群なのに、その印象を超えて余りあるくらい人見知りオーラ全開なんだが。こんだけタッパあるのにおじいちゃんくらい猫背で威圧感ゼロ。いっそ心配になる。
ひとまずリビングに通し、喉に刺激の少ないノンカフェインのお茶を出す。ものすごく肩身が狭そうだ。そして恐ろしいことに座ると目線が同じだ。どんだけ足長いんだこの子。
「あ……あれ、サモの」
言われて振り返る。どうやら目を泳がせている最中に目に入って来たらしい、テレビ横の沙門くんぬいを見て、声を上げたようだ。やや気恥ずかしい。
「ああ……妹が、活動を始める前から沙門さんの大ファンで。兄の私のところにも分け前が来るんです。うちのいたるところにありますよ。収録スペースなんか殆ど妹のパーソナルスペースみたいなもので、安心できるからと言って沢山持ち込んでます」
「そう、なんスね……実はオレの家にも同じものあるんで、ちょっと肩の力抜けました」
「えっ、ああ、それはよかった」
そうなの!? コウガくんも沙門くんのグッズめちゃくちゃ集めてるってこと? たしかテレビの横に置いてあるぬいは、Gangesが出会う前に出された期間限定のグッズだったはずだ。少なくとも、沙門くんがあげたサンプルってわけではない、と思うのだが。
「やっぱり、相方さんからグッズとか貰ったりするんですか?」
「いや! その、買って、マス。あげるって言われるけど……貰うのはオレ的にちょっと違うくて。仲良くなった今でも、アイツのファンである自分は忘れられないっていうか……すみません、よく分かんないっスよね」
「へぇ~……しっかり線引きなさってるんですね」
「そう、なんスかね……ハハ……」
気恥ずかしそうに俯くコウガくん。対する俺は自分でもびっくりするくらい感動していた。
沙門くんとコウガくんの出会いは、ゲームで味方としてマッチし、互いに配信していたという奇跡と、コウガくんが沙門くんのガチのファンボーイだったというところから始まる。
その縁から度々一緒にゲームをやるようになり、みるみる仲良くなって今に至るのだが、今やコウガくんが元々沙門くんのファンボだったことなど知らない人の方が多く、最早その事実をあえて語るファンもまたいない。
そのことを忘れさせようとした沙門くんの努力と、コウガくん自身の驚異的な躍進によって、風化し、忘れ去られたことなのだ。本人たちも最早そんなことには拘っていないとばかり思っていた。
「もう、アイツも覚えてないみたいな感じだけど、オレは今もずっとアイツのファンで……だから、今回の歌の件も、だいぶプレッシャーって感じで。オレとしては、自分を主張するよりも、アイツの歌を邪魔しない、出来れば引き立たせることができたらって、思ってます」
「なるほど……あくまで、主役は沙門さん、といったテイストに仕上げたい、と」
「はい……! できます、かね。一応、アイツに頼んで、録ってもらった音源は持ってきてます、けど」
おい今しれっととんでもないこと言わなかったか、この子。公開前の生歌だと……!? 心臓バクバクなんだが。そんな貴重なものを俺が扱っていいのか?
落ち着け、今の俺は曲りなりにもプロの音楽クリエイターだ。公私を混同してはいけない。社会人としての意識を思い出せ!
「……ひとまず、スタジオに移動しましょう。そちらで拝聴いたします」
「わ、かりました」
スタジオに移動し、ひとまず収録スペースで沙門くんのぬいと戯れてもらいつつ、件の音源をヘッドホンで聞く。意識が吹っ飛びそうになった。なんだこれ、めちゃくちゃ良じゃん……気合も熱意もひしひしと伝わってくる。こだわり抜いた歌声だ。
これを聞いただけでも、沙門くんの思いが何となく掴めた気がした。情熱的ではあるが、どこまでも包み込むような、甘く優しい親愛。コウガくんへのひたむきな思い入れだ。
邪魔しない、引き立てる、調和する……それが、コウガくんなりの、沙門くんへ捧げる愛なのかもしれない。しかし、沙門くんはそれを望んでいない。いっそ、挑戦的でもあるように感じた。
きっと、沙門くんは引きずり出したいのだ。コウガくんがその裡に秘める熱意を。コウガくんだけが独占して、沙門くんにすら見せていない、その感情の正体を。
「なんとなく、イメージは掴めた気がします。では、簡単なボイトレから始めましょうか」
「……っ、ウス」
沙門くんぬいを無心にモチモチしていたコウガくんがこちらを振り向き、ゴクリと生唾を飲む。その絵面が妙に愛嬌に溢れており、思わず咽て心配させてしまったのだった。
一通りボイトレを済ませる。実に初々しいが、普段から声を張ってるだけあり、のびやかでハリのある声だ。イケメンの上にイケボなんて天はいったい彼に何物を与えたのだろうか。
一度、最初のフレーズを軽めに歌ってもらう。当たり前だが、感情を籠めるとか、そういった余裕はなさそうで、音程を合わせることにばかり意識を持っていかれている。声が魅力的であるだけに、何とももどかしい。
「よし、コウガさん。そこに置いてある沙門さんのマスコットを手に持ってみてください。そのまま、ゆっくり息を吸って、はい、吐いて……相方さんに自分の歌を聞かせる時の気持ちを思い出して……今、どんな感情がありますか?」
「あー……恥ずかしい、この歌のここが良い、良いと思わせたい……ちょっと、嬉しい」
「どうして嬉しいんですか?」
「……下手でも、いいところ見つけて、褒めてくる、から」
「なるほど……では、相方さんに褒めてもらえそうな歌い方を意識して、もう一度いってみましょう」
「褒めてもらえそうな、歌い方……」
コウガくんはしばらく沙門ぬいを見つめてから、微かに頷いた。3秒ほど置いて、イントロを流す。先程よりも生き生きとした、ゲーム中のコウガくんを思い出させる、パワフルな歌声を録ることができた。この方向性でよさそうだ。
少しずつ歌い方に指示を入れつつ、更にレコーディングを続ける。徐々にノッてきたらしいコウガくんも、みるみる歌うことに前向きになり、こういうのどうですか、と積極的に提案してくれるようになる。なるほど、沙門くんが可愛がる気持ちが分かった。この子、素直でめちゃくちゃ健気だ。その上、自分でない誰かが喜ぶことに対して実に聡い。所謂、需要が分かっている、というやつ。これが無意識ならば恐ろしい素養だ。
「あ、それめっちゃいいです。そのちょっと無邪気な感じ、沙門さんの歌声の包容力をすごい引き立たせると思います。その感じを保ちつつ、何だろうな……こう、沙門さんがいるから大丈夫、みたいな、安心を滲ませた楽観……なんだよ、もっとガンガン行こうぜ、チキってないでさ、俺がいるじゃんか、って煽る感じで、追いつけない、のオの部分を強調しつつ、さいごのイをニカッと笑う感じで締めて、最後まで走り抜けてみてください」
「ふ~む……オレらならイケるっしょ、みたいな……」
「エペでマッドマギーのウルト炊いて敵の潜伏場所に強襲する時のノリです。ちょっとリスキーだけど、ね? みたいな」
「あーね! わっかりましたぁ!」
うわ~~ここの次のフレーズを敢えて沙門くんに歌わせるのマジで最高……一見合わせてるのは沙門くんの方であるように見せかけて、本当はコウガくんが沙門くんのやりたいことを見透かして発破かける感じね! エモいエモい、エモすぎ。これはオタク死ぬぞ。
どこか刹那的な感じがするココのフレーズが、揃うと後先考えなくなる二人に歌わせるとまあ活きる活きる。駆け抜けて駆け抜けて、その先に破滅があっても二人なら大丈夫だろ、なんてゲラゲラ笑いあいながらどこまでも進んでいく二人にピッタリだ。
「待って、マジでナガトさんに褒められると自己肯定感バチ上がるわ……自分歌うまいって勘違いしそうになる」
「や、上手いですって。お世辞じゃないです。公開されたら沙門さんきっとすごいドヤ顔するだろうな。いやー、まあ僕、前々から知ってましたけどね? みたいなw」
「やめて~~~~~~~~調子乗るからやめて」
「私はもっと聞けたら嬉しいですよ。よろしければ、今後ともごひいきに」
「えぇ~~~~……」
俺は反射的に胸元を押さえた。不覚にも成人男性相手にグッときてしまったのだ。なんだこのイケメン、22歳にしてはあどけなさすぎるだろう。口をもにょもにょさせるな、頬を染めるな、頭わしゃわしゃしたくなるだろうが。
落ち着け、マジで。これじゃ普通にキモ過ぎて逮捕されるまである。俺は社会人、ちょっと声楽に詳しいだけの地味なVオタ一般男性だ。
気を取り直し、レコーディングに集中。最後まで駆け抜ける。終わってみれば、最初の彼が嘘みたいに、とてつもなくハイクオリティな音源が出来上がっていた。
オタクの自我が漏れ出て、つい熱が籠ってしまったからか、蓋を開けてみればこだわりに拘り抜いたレコーディングとなった。収録時間はレイネの時の倍。コウガくんは初めてながら本当によく頑張ってくださった。
「これ、蜂蜜入りのミルクココアです。喉に優しいので、どうぞ」
「あ……ありがとうごさいます、いただきます」
リビングに移動し、すっかりリラックスしたようにソファに体を任せ、ウトウトとココアを啜るコウガくん。マグを両手に持ち、なんだったら黒いパーカーを萌え袖にしている。何だこの人、やることなすことあざとすぎるだろ。ここまでくると悔しいぞ。
「あ、ウマ……なんかめっちゃ喉にも効いてる気します。これから配信後はココア飲もうかな」
「妹もそうしてるみたいですよ。なまじ喉が弱いから、ケアは欠かせないって」
「モッさん……妹さんと、仲いいんですね」
「……まあ、ちょっと、色々ありまして。仲たがいしてる場合じゃなかったと言うか」
ウン、マジで色々あった。間違っちゃいない。どっちも俺だから仲たがいできるはずも無いしな。俺はレイネを守り続けないといけないのだ。レイネが抱えているモノもろとも。
「それでも、凄いっすよ。世の中、下のきょうだいがどうなっていようが心底どうでもいい兄だっていますし……いいな、モッさん。ナガトさんみたいな人が兄貴だったら、自分が惨めだって思わずに済んだかな」
「……それは、わかりません。人生は分からないものです。俺も、世間的に見たら、凄く恵まれた環境で生きてきたとは思いますけど……それなのに、自分の生きる意味を見失って、何もかもが信じられなくなった時期がありました。でも、ある時、妹に見せてもらった動画で……自分が何者であっても、何者でなくても、自分を信じ続けるって言葉に出会って、救われました。どんな自分でも、ただ進み続ける……その先で、何かが見つかるかもって、また立ち上がる勇気をもらったんです」
「あ……ふっ、あははっ……んふ、すごい、偶然だな……オレも、多分、同じ動画見ました。そっか、やっぱ、アイツすげぇや……実際、俺も、まだ自分が惨めだって思うことありますけど、それでもここまで進み続けて、確実に、大事なものは見つけられたと思います。そっか、それで、よかったのかもな」
「ええ、きっと、そうに違いないです。貴方がどう思っていようが、間違いなく、貴方は素晴らしい人だと思います。少なくとも、俺と……沙門さんは、そう思ってるにちがいありません。きっと、それを証明するような、素敵なお歌の作品ができますよ」
コウガくんはフードを被り、スンと鼻を啜った。そうして、やや遠慮がちに頷いてみせたのだった。
玄関の前でゆっくり深呼吸。あ、あ、と、発声練習。いつもと違い、今日は地声だ。彼と話す時にこの声を出すことが無いから、にわかに緊張が込み上げて、じっとり冷や汗が滲んだ。
チャイムが鳴ってすぐに玄関ドアを開ける。すると目深くかぶっていたフードを外し、マスクをポケットに突っ込んで、ペコリと頭を下げるイケメンがいた。
「あ……こんにちは。ッスゥーーーー……今日は、よろしくお願い、します……」
「はい、始めまして。今回ディレクションを務めさせていただきます、永戸 遍と申します。本日はよろしくお願いします。手狭で申し訳ありませんが、どうぞ上がってください」
「あ、ども……」
どうしよ、この子、公式写真で見る数倍は顔が良いし身長高いしスタイル抜群なのに、その印象を超えて余りあるくらい人見知りオーラ全開なんだが。こんだけタッパあるのにおじいちゃんくらい猫背で威圧感ゼロ。いっそ心配になる。
ひとまずリビングに通し、喉に刺激の少ないノンカフェインのお茶を出す。ものすごく肩身が狭そうだ。そして恐ろしいことに座ると目線が同じだ。どんだけ足長いんだこの子。
「あ……あれ、サモの」
言われて振り返る。どうやら目を泳がせている最中に目に入って来たらしい、テレビ横の沙門くんぬいを見て、声を上げたようだ。やや気恥ずかしい。
「ああ……妹が、活動を始める前から沙門さんの大ファンで。兄の私のところにも分け前が来るんです。うちのいたるところにありますよ。収録スペースなんか殆ど妹のパーソナルスペースみたいなもので、安心できるからと言って沢山持ち込んでます」
「そう、なんスね……実はオレの家にも同じものあるんで、ちょっと肩の力抜けました」
「えっ、ああ、それはよかった」
そうなの!? コウガくんも沙門くんのグッズめちゃくちゃ集めてるってこと? たしかテレビの横に置いてあるぬいは、Gangesが出会う前に出された期間限定のグッズだったはずだ。少なくとも、沙門くんがあげたサンプルってわけではない、と思うのだが。
「やっぱり、相方さんからグッズとか貰ったりするんですか?」
「いや! その、買って、マス。あげるって言われるけど……貰うのはオレ的にちょっと違うくて。仲良くなった今でも、アイツのファンである自分は忘れられないっていうか……すみません、よく分かんないっスよね」
「へぇ~……しっかり線引きなさってるんですね」
「そう、なんスかね……ハハ……」
気恥ずかしそうに俯くコウガくん。対する俺は自分でもびっくりするくらい感動していた。
沙門くんとコウガくんの出会いは、ゲームで味方としてマッチし、互いに配信していたという奇跡と、コウガくんが沙門くんのガチのファンボーイだったというところから始まる。
その縁から度々一緒にゲームをやるようになり、みるみる仲良くなって今に至るのだが、今やコウガくんが元々沙門くんのファンボだったことなど知らない人の方が多く、最早その事実をあえて語るファンもまたいない。
そのことを忘れさせようとした沙門くんの努力と、コウガくん自身の驚異的な躍進によって、風化し、忘れ去られたことなのだ。本人たちも最早そんなことには拘っていないとばかり思っていた。
「もう、アイツも覚えてないみたいな感じだけど、オレは今もずっとアイツのファンで……だから、今回の歌の件も、だいぶプレッシャーって感じで。オレとしては、自分を主張するよりも、アイツの歌を邪魔しない、出来れば引き立たせることができたらって、思ってます」
「なるほど……あくまで、主役は沙門さん、といったテイストに仕上げたい、と」
「はい……! できます、かね。一応、アイツに頼んで、録ってもらった音源は持ってきてます、けど」
おい今しれっととんでもないこと言わなかったか、この子。公開前の生歌だと……!? 心臓バクバクなんだが。そんな貴重なものを俺が扱っていいのか?
落ち着け、今の俺は曲りなりにもプロの音楽クリエイターだ。公私を混同してはいけない。社会人としての意識を思い出せ!
「……ひとまず、スタジオに移動しましょう。そちらで拝聴いたします」
「わ、かりました」
スタジオに移動し、ひとまず収録スペースで沙門くんのぬいと戯れてもらいつつ、件の音源をヘッドホンで聞く。意識が吹っ飛びそうになった。なんだこれ、めちゃくちゃ良じゃん……気合も熱意もひしひしと伝わってくる。こだわり抜いた歌声だ。
これを聞いただけでも、沙門くんの思いが何となく掴めた気がした。情熱的ではあるが、どこまでも包み込むような、甘く優しい親愛。コウガくんへのひたむきな思い入れだ。
邪魔しない、引き立てる、調和する……それが、コウガくんなりの、沙門くんへ捧げる愛なのかもしれない。しかし、沙門くんはそれを望んでいない。いっそ、挑戦的でもあるように感じた。
きっと、沙門くんは引きずり出したいのだ。コウガくんがその裡に秘める熱意を。コウガくんだけが独占して、沙門くんにすら見せていない、その感情の正体を。
「なんとなく、イメージは掴めた気がします。では、簡単なボイトレから始めましょうか」
「……っ、ウス」
沙門くんぬいを無心にモチモチしていたコウガくんがこちらを振り向き、ゴクリと生唾を飲む。その絵面が妙に愛嬌に溢れており、思わず咽て心配させてしまったのだった。
一通りボイトレを済ませる。実に初々しいが、普段から声を張ってるだけあり、のびやかでハリのある声だ。イケメンの上にイケボなんて天はいったい彼に何物を与えたのだろうか。
一度、最初のフレーズを軽めに歌ってもらう。当たり前だが、感情を籠めるとか、そういった余裕はなさそうで、音程を合わせることにばかり意識を持っていかれている。声が魅力的であるだけに、何とももどかしい。
「よし、コウガさん。そこに置いてある沙門さんのマスコットを手に持ってみてください。そのまま、ゆっくり息を吸って、はい、吐いて……相方さんに自分の歌を聞かせる時の気持ちを思い出して……今、どんな感情がありますか?」
「あー……恥ずかしい、この歌のここが良い、良いと思わせたい……ちょっと、嬉しい」
「どうして嬉しいんですか?」
「……下手でも、いいところ見つけて、褒めてくる、から」
「なるほど……では、相方さんに褒めてもらえそうな歌い方を意識して、もう一度いってみましょう」
「褒めてもらえそうな、歌い方……」
コウガくんはしばらく沙門ぬいを見つめてから、微かに頷いた。3秒ほど置いて、イントロを流す。先程よりも生き生きとした、ゲーム中のコウガくんを思い出させる、パワフルな歌声を録ることができた。この方向性でよさそうだ。
少しずつ歌い方に指示を入れつつ、更にレコーディングを続ける。徐々にノッてきたらしいコウガくんも、みるみる歌うことに前向きになり、こういうのどうですか、と積極的に提案してくれるようになる。なるほど、沙門くんが可愛がる気持ちが分かった。この子、素直でめちゃくちゃ健気だ。その上、自分でない誰かが喜ぶことに対して実に聡い。所謂、需要が分かっている、というやつ。これが無意識ならば恐ろしい素養だ。
「あ、それめっちゃいいです。そのちょっと無邪気な感じ、沙門さんの歌声の包容力をすごい引き立たせると思います。その感じを保ちつつ、何だろうな……こう、沙門さんがいるから大丈夫、みたいな、安心を滲ませた楽観……なんだよ、もっとガンガン行こうぜ、チキってないでさ、俺がいるじゃんか、って煽る感じで、追いつけない、のオの部分を強調しつつ、さいごのイをニカッと笑う感じで締めて、最後まで走り抜けてみてください」
「ふ~む……オレらならイケるっしょ、みたいな……」
「エペでマッドマギーのウルト炊いて敵の潜伏場所に強襲する時のノリです。ちょっとリスキーだけど、ね? みたいな」
「あーね! わっかりましたぁ!」
うわ~~ここの次のフレーズを敢えて沙門くんに歌わせるのマジで最高……一見合わせてるのは沙門くんの方であるように見せかけて、本当はコウガくんが沙門くんのやりたいことを見透かして発破かける感じね! エモいエモい、エモすぎ。これはオタク死ぬぞ。
どこか刹那的な感じがするココのフレーズが、揃うと後先考えなくなる二人に歌わせるとまあ活きる活きる。駆け抜けて駆け抜けて、その先に破滅があっても二人なら大丈夫だろ、なんてゲラゲラ笑いあいながらどこまでも進んでいく二人にピッタリだ。
「待って、マジでナガトさんに褒められると自己肯定感バチ上がるわ……自分歌うまいって勘違いしそうになる」
「や、上手いですって。お世辞じゃないです。公開されたら沙門さんきっとすごいドヤ顔するだろうな。いやー、まあ僕、前々から知ってましたけどね? みたいなw」
「やめて~~~~~~~~調子乗るからやめて」
「私はもっと聞けたら嬉しいですよ。よろしければ、今後ともごひいきに」
「えぇ~~~~……」
俺は反射的に胸元を押さえた。不覚にも成人男性相手にグッときてしまったのだ。なんだこのイケメン、22歳にしてはあどけなさすぎるだろう。口をもにょもにょさせるな、頬を染めるな、頭わしゃわしゃしたくなるだろうが。
落ち着け、マジで。これじゃ普通にキモ過ぎて逮捕されるまである。俺は社会人、ちょっと声楽に詳しいだけの地味なVオタ一般男性だ。
気を取り直し、レコーディングに集中。最後まで駆け抜ける。終わってみれば、最初の彼が嘘みたいに、とてつもなくハイクオリティな音源が出来上がっていた。
オタクの自我が漏れ出て、つい熱が籠ってしまったからか、蓋を開けてみればこだわりに拘り抜いたレコーディングとなった。収録時間はレイネの時の倍。コウガくんは初めてながら本当によく頑張ってくださった。
「これ、蜂蜜入りのミルクココアです。喉に優しいので、どうぞ」
「あ……ありがとうごさいます、いただきます」
リビングに移動し、すっかりリラックスしたようにソファに体を任せ、ウトウトとココアを啜るコウガくん。マグを両手に持ち、なんだったら黒いパーカーを萌え袖にしている。何だこの人、やることなすことあざとすぎるだろ。ここまでくると悔しいぞ。
「あ、ウマ……なんかめっちゃ喉にも効いてる気します。これから配信後はココア飲もうかな」
「妹もそうしてるみたいですよ。なまじ喉が弱いから、ケアは欠かせないって」
「モッさん……妹さんと、仲いいんですね」
「……まあ、ちょっと、色々ありまして。仲たがいしてる場合じゃなかったと言うか」
ウン、マジで色々あった。間違っちゃいない。どっちも俺だから仲たがいできるはずも無いしな。俺はレイネを守り続けないといけないのだ。レイネが抱えているモノもろとも。
「それでも、凄いっすよ。世の中、下のきょうだいがどうなっていようが心底どうでもいい兄だっていますし……いいな、モッさん。ナガトさんみたいな人が兄貴だったら、自分が惨めだって思わずに済んだかな」
「……それは、わかりません。人生は分からないものです。俺も、世間的に見たら、凄く恵まれた環境で生きてきたとは思いますけど……それなのに、自分の生きる意味を見失って、何もかもが信じられなくなった時期がありました。でも、ある時、妹に見せてもらった動画で……自分が何者であっても、何者でなくても、自分を信じ続けるって言葉に出会って、救われました。どんな自分でも、ただ進み続ける……その先で、何かが見つかるかもって、また立ち上がる勇気をもらったんです」
「あ……ふっ、あははっ……んふ、すごい、偶然だな……オレも、多分、同じ動画見ました。そっか、やっぱ、アイツすげぇや……実際、俺も、まだ自分が惨めだって思うことありますけど、それでもここまで進み続けて、確実に、大事なものは見つけられたと思います。そっか、それで、よかったのかもな」
「ええ、きっと、そうに違いないです。貴方がどう思っていようが、間違いなく、貴方は素晴らしい人だと思います。少なくとも、俺と……沙門さんは、そう思ってるにちがいありません。きっと、それを証明するような、素敵なお歌の作品ができますよ」
コウガくんはフードを被り、スンと鼻を啜った。そうして、やや遠慮がちに頷いてみせたのだった。
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