8 / 46
第八話
しおりを挟む
冗談だとばかり思っていた週一義務ペックスだが、あの配信以降、現実となってレイネの配信活動に組み込まれることとなった。
どうやら沙門くんもコウガくんも、今は違うFPSゲームを活動の主体としているらしく、レイネとの配信以外でエペを触らなくなっており、奇しくもずっと同じランク帯で遊ぶことができているのだ。
たまにエンジョイ大会のカスタム期間や、各々の案件の納期などに追われて開催できない週もあるにはあるが、そうでない限りはほぼ毎週、あの二人と遊ぶのが習慣になってしまっている。
この夢のような状況にみるみる慣れている自分が恐ろしい。分不相応では、という思いは今でももちろんある。だが、それを押しのけてでも続けてしまうくらいには、二人と一緒にゲーム配信をすることへの楽しみにすっかり魅了されてしまっているのだ。
彼らと親交を深めてから、時の過ぎ去る速さはそれまでよりもいっそう拍車がかかり、瞬く間に数ヵ月が経った。その間にレイネの登録者数は一層増加し、間もなく30万人にも及ぼうとしている。
何せ、登録者数約70万人の沙門くんと、つい最近金の盾を手に入れたコウガくんとの定期コラボだ。コウガくんのチャンネルでアップされる動画も毎度凄まじい勢いで再生が回っており、動画効果による名前の浸透力は絶大だった。
なお、レイネの活動で得られる収益はほぼすべて運営に還元している。あくまで俺は契約タレントではなく社員だからだ。おかげでもうすぐ、TOFのスタジオに3Dモデル用の設備や機材も導入できそうで、八女川なんか泣いて喜んでいたのが記憶に新しい。
恐らく、TOFで最初に3Dモデルお披露目が叶いそうなのはトニシンだろう。その躍進ぶりは歌ってみた動画のミリオン達成がほぼ定番になるほどで、その歌唱力と表現力で着実にファンを増やしていき、先月晴れて登録者10万人を突破したところなのだ。彼の3Dライブを切望しているファンは間違いなく大勢いる。俺も楽しみで仕方がない。
最近はレイネの活動にかかり切りだったから、一時期は一日おきくらいの頻度で顔を合わせていたトニシンともすっかりご無沙汰である。元気にしてくれているといいのだが。
そう、最近の俺は音楽や映像などのクリエイト系の仕事が全然できていないのだ。納期に追われているころはあれだけ苦しかったのに、やらなくなってみれば急に恋しくなるのだから、人間の情緒というものはよく分からない。
そんなことで、そろそろ歌ってみた動画とか一本まるまる全部自分で手掛けてみたいな、いっちょ自分で録って自分で作るか、などと思い始めた矢先のことだった。
「Gangesで、歌ってみたを……?」
ため息交じりの「そうなんだよねえ」という呟きと、饒舌な無言。時はとある深夜、二人から誘われ、配信外で作業しつつゆったり雑談をしているという状況で、ふいに切り出された話題だった。
『ほら、再来月さ、僕の誕生日なんだけどね。ずっと前からコウガと歌ってみたやりたいって思ってて……誕生日プレゼントってことで、一緒にやろってお願いしたんだけど』
「需要なら大いにありますよね」
『だよね! リスナーに喜んでもらえるのが僕としては一番嬉しいし、是非実現したいところなんだけど』
うわ待って好き。沙門くん、配信外でも変わらずこのスタンスでいてくれるから、こうして仲良くなった今も愛が止まらんのよな。
人気を得れば得るほど、悪意の的にもなるネットの世界。そこで6年以上活動してきた沙門くんは、人一倍、ネットの悪意に晒されてきただろうと思う。末端の一般オタクである俺ですら、沙門くんを標的にした誹謗中傷を度々目にしては病みそうになるのだから、当事者ともなれば尚更だろう。
そんな中でも、リスナーからの愛を見失わず、活動をひたむきに続けてくれる沙門くんはマジでかけがえのない推しだ。そんな彼が困っているならいくらでも助けになりたい。
「コウガさんとしてはどのように思っていらっしゃる?」
『……や、まあ、サモが言うなら、オレも一回くらい、とは思ってる。下手だし自信ないしオレそもそもストリーマーだし、サモの歌の邪魔にしかならない気はするけど』
「下手……ですかね? たまに配信で口ずさんでるの聞く限りは音感ありそうな感じしますけど。めちゃくちゃ耳いいし」
『そうそう! うわやっぱモッさんは分かってくれるなぁ……たまに一緒にカラオケ行くんだけど、音程の精度高いし、リズム感もあって凄い好きなんだよ僕、コウの歌』
『ん゛ん゛ッ……ゲホ、ゴホ、あのなあ、お前は一回、オレへの評価おもっくそバグらせてんの自覚しろって。何度も言うけど、オレ、お前にそこまで買いかぶってもらえるほど大層な人間じゃないんだよ』
心外そうに「ええ~」と気の抜けた声を出す沙門くん。全く真に受けていないようだ。俺は面食らってしまい、しばらく言葉を詰まらせた。
何て言ったって、あのコウガくんが素直に照れている。しかも満更でもなさそうに。普段は沙門くんからいくらベタ褒めされても塩対応で適当に受け流しているあのコウガくんが。
沙門くんも何ら不自然なことはないみたいに平然と受け入れてるじゃないか。まさか配信外での二人はこれが通常運転なのか? 俺が見ててええんか、これ。
一部界隈でまことしやかに囁かれている不仲説を信じたことなど一度もない。不仲であればそもそもこんな高頻度でゲームを一緒にやったり、忙しい合間を縫ってオフで出かけて遊んだりなんてことしないはずだ。
しかしまあ、あれだけ沙門くんのデレをすげなくスルーするところを目の当たりにすれば、繊細で想像力豊かな(配慮した表現)リスナーなんかが「沙門くんが蔑ろにされてる」だとか「コウガくんウザがってる」などと杞憂するのも無理はないと思うことがなかったとは言えない。
個人的に一番ムカつくのは、沙門くんのアンチによる「沙門はコウガの知名度にしがみ付いてファンに媚びを売って人気を得た寄生虫」なんて言説だ。ツブックスで何度そういった輩をブロックしたか知れないし、メンタルの調子がよろしくない時は「こんな連中が増長するくらいならいっそもう絡んでるところを見たくない」なんて思ったこともある。こういうのは所謂厄介ファンの身勝手なお気持ちというやつなので、活動者になった今思い返すと普通に鳥肌モノだが。
「まあでも、コウガさんとしても、別にやぶさかではないって感じなんですよね。では、他になにか問題が?」
『ああ、そう。収録のことでね。僕は懇意にしてるスタジオがあるからいいんだけど、コウはストリーマーだからそういうの無くて。アテもないから困ってるんだよ。僕と同じところで録ろうよって言ってはいるんだけど』
『サモと同じところなんて絶対オレには不相応なところじゃん。不特定多数にオレの下手な生歌聞かれたくないんだって。知らない人に歌ってるところ見られたくないし。下手だなーって思われながら歌うの普通にゲロ吐くだろ』
「ああ……まあ、たしかに、緊張して本来の声の良さが引き出せなかったら勿体ないですもんね。できるだけ本人が安心できる環境で収録するのが一番だと思いますよ。実は私も緊張しいで、人前で歌うのとか本当無理なんで、コウガさんの言うこと分かります」
『モッさんがァ!? いや嘘だって、あんだけ歌みた出してヒット連発してるのに』
「コウガさん、MIXの力って本当に凄いんですよ」
『アハハ……それはまあ、そうだね。僕もいっぱいお世話になってるよ』
えぇ……? と心底困惑したような声を出して黙り込むコウガくん。生歌であの歌ってみたのレベルを想定しているのなら、それは理想が高すぎるというものだ。実際は通しではなくフレーズごとに何度もやり直しながら録るし、最もよかった部分をつなぎ合わせて出来るものがあのクオリティになるのだから。
繋ぎ合わせた音源も何ならまだすっぴんで、それをMIXというメイク術で整えていき、歌声の良さを引き立たせて、ようやく公開の段階に至るわけで。どんなに歌ってみたでは完璧に音程が合っていても、カラオケではガタガタなんて、実際当たり前の話である。
『ちなみにさあ、そんなモッさんはどこで収録してるの? やっぱり事務所のスタジオ?』
「あ、実はですね、事務所のスタジオで収録したこと一回も無くて。兄が音楽系の専門を卒業してて、収録に必要な技術は一通り身に着けてるので、だいたい全部お願いしてます」
『へえ……! そうだったんだ……なら、あのクレジットの匿名希望ってもしかして』
「ああ、そうです、兄です」
胸がチクリと痛む。レイネに兄がいるという設定は配信でも口にしていることだ。人格や嗜好は俺と八女川を混ぜたようなイメージで、出不精のクリエイターということで一貫し、話に整合性を持たせている。
しかしまあ、騙しているという後ろめたさは否めない。おそらくこの二人にも機密事項や黙っていることはごまんとある。それがVの世界なのだ、いい加減慣れなければ。
『お兄さん一人で全部やってくれるの?』
「はい、ありがたいことに……兄も私も、兄妹揃って筋金入りの引きこもりで、生活習慣もなかなか終わってまして……人様にご迷惑をおかけするよりは、互いに融通しやすくて我儘も言いやすい兄に全部やってもらうのが一番やりやすいんです」
『へえ~~! 仲良し兄妹だ。僕一人っ子だからちょっと羨ましいや』
うん、実際は俺もそうなんだ。一人っ子。両親が死んでから急に天涯孤独になったから、俺もきょうだいがいたらこんなに寂しくなかったのかな、なんて思ったこと何度かある。
あ、ヤバい、なんだか苦しくなってきた。自分のこと架空の兄として語るとかだいぶ業深い行為なのでは。
『優しい兄貴って都市伝説じゃなかったんだな……なんか、実際どんな人か気になるわ、モッさんのお兄さんとか』
「ヘッ……」
『あ! いやいや!! 全然、変な意味じゃなくて!! うわ、なんか変なこと口走った、すみません、気にしないでモッさん』
……あれ? これ、もしかして、沙門くんの念願を叶えるチャンスなのでは? 好都合では? いやでも、二人の問題に俺なんかが出しゃばってもいいものなのか? どうしよう、でも、ここで思いついたことを提案せずスルーするのもそれはそれで罪悪感があるな。ええい、ままよ。
「あの……よかったら、コウガさんの収録、うちの兄に依頼するとか、どうですか? あの人の家、録音設備全部揃ってるし、ちょっとしたボイトレとかもできるので……あっ、あの、私が普段使ってる設備は嫌とかだったらすみません。全然、ただの思いつきですから。実績も私の歌みたくらいしか判断材料ありませんし……ただ、無茶ぶりには慣れてると思うので、要望は通りやすいんじゃないかと」
『……マジですか? そんな、いいんですかね』
あっ、思ったより食いつきがいい。あんまり抵抗無いか? それはそれで危機感が心配になるが……まあ曲りなりにも一緒に仕事してる相手の身内だし、全くの赤の他人よりはまだマシという判断だろうか。
こういったリスク管理には聡いだろう沙門くんが静観しているから、第三者から見ても、特にこれといった問題意識は感じてないと見ていいだろう。きっと。おそらく。
「コウガさんが良ければ、全然、私から兄に言っておきます。一応いくばくか依頼費をいただくことにはなるかもしれませんが……」
『あっ、それはもう、言い値で払います。全然、吹っ掛けてください』
「しません、しません。明日までに見積もり提出させますね。私もチェックしますけど、コウガさんの方もちゃんと信用できる第三者の方と一緒に検討してください」
『あ、じゃあ僕の出番かな。今のスタジオにたどり着くまで色々なトコに依頼したから、相場は大体分かってるよ』
「おお……! 心強い……では、必ず沙門さんチェックを通してから、ご判断をお願いします。収録は兄の家まで来ていただくことになるので、くれぐれも考慮の上でご検討ください。もし兄に粗相があれば私が責任を取りますが、会ったこともない人間にそんなことを言われても信用に値するかって話なので」
『まあね、でもモッさん事務所所属だし。何かあっても責任の追及には困らないから』
『おいサモやめろって、モッさんに限って滅多なこと起こるはずないだろ』
「それが分からないものなんですよ……結構人間って簡単に豹変する生き物で……流石にそんなことしないだろってことも平気ですることあるんです……勿論人によりますけどね」
『あぁ……モッさんも色々大変だったんだね……』
『もしこれが人狼ゲームならモッさんまわり驚きの白さだぞ』
『それはそう』
何と言うか、コウガくんはやっぱり若いな。活動歴はこの三人の中でも最長の7年を誇るが、それでもまだ22歳だ。俺より5つ下。沙門くんがやや過保護になるのも頷けるというか。人見知りで限られた人間にしか心を開かないのが逆に功を奏している気がする。
それで沙門くんを引き寄せているのだから、彼の対人運は凄まじいと思う。勿論、彼自身が沙門くんを惹きつけてやまない魅力に溢れているというのもあるが。
とまあ、そんな経緯で、沙門くんチェックもあっさり通り、驚くほどすんなりと収録の日程や手筈が整っていった。
まあ、つまりは、俺の家にコウガくんがやってきて、俺が彼の収録を手助けすることとなったというわけだ。思いつきとは恐ろしいものである。
どうやら沙門くんもコウガくんも、今は違うFPSゲームを活動の主体としているらしく、レイネとの配信以外でエペを触らなくなっており、奇しくもずっと同じランク帯で遊ぶことができているのだ。
たまにエンジョイ大会のカスタム期間や、各々の案件の納期などに追われて開催できない週もあるにはあるが、そうでない限りはほぼ毎週、あの二人と遊ぶのが習慣になってしまっている。
この夢のような状況にみるみる慣れている自分が恐ろしい。分不相応では、という思いは今でももちろんある。だが、それを押しのけてでも続けてしまうくらいには、二人と一緒にゲーム配信をすることへの楽しみにすっかり魅了されてしまっているのだ。
彼らと親交を深めてから、時の過ぎ去る速さはそれまでよりもいっそう拍車がかかり、瞬く間に数ヵ月が経った。その間にレイネの登録者数は一層増加し、間もなく30万人にも及ぼうとしている。
何せ、登録者数約70万人の沙門くんと、つい最近金の盾を手に入れたコウガくんとの定期コラボだ。コウガくんのチャンネルでアップされる動画も毎度凄まじい勢いで再生が回っており、動画効果による名前の浸透力は絶大だった。
なお、レイネの活動で得られる収益はほぼすべて運営に還元している。あくまで俺は契約タレントではなく社員だからだ。おかげでもうすぐ、TOFのスタジオに3Dモデル用の設備や機材も導入できそうで、八女川なんか泣いて喜んでいたのが記憶に新しい。
恐らく、TOFで最初に3Dモデルお披露目が叶いそうなのはトニシンだろう。その躍進ぶりは歌ってみた動画のミリオン達成がほぼ定番になるほどで、その歌唱力と表現力で着実にファンを増やしていき、先月晴れて登録者10万人を突破したところなのだ。彼の3Dライブを切望しているファンは間違いなく大勢いる。俺も楽しみで仕方がない。
最近はレイネの活動にかかり切りだったから、一時期は一日おきくらいの頻度で顔を合わせていたトニシンともすっかりご無沙汰である。元気にしてくれているといいのだが。
そう、最近の俺は音楽や映像などのクリエイト系の仕事が全然できていないのだ。納期に追われているころはあれだけ苦しかったのに、やらなくなってみれば急に恋しくなるのだから、人間の情緒というものはよく分からない。
そんなことで、そろそろ歌ってみた動画とか一本まるまる全部自分で手掛けてみたいな、いっちょ自分で録って自分で作るか、などと思い始めた矢先のことだった。
「Gangesで、歌ってみたを……?」
ため息交じりの「そうなんだよねえ」という呟きと、饒舌な無言。時はとある深夜、二人から誘われ、配信外で作業しつつゆったり雑談をしているという状況で、ふいに切り出された話題だった。
『ほら、再来月さ、僕の誕生日なんだけどね。ずっと前からコウガと歌ってみたやりたいって思ってて……誕生日プレゼントってことで、一緒にやろってお願いしたんだけど』
「需要なら大いにありますよね」
『だよね! リスナーに喜んでもらえるのが僕としては一番嬉しいし、是非実現したいところなんだけど』
うわ待って好き。沙門くん、配信外でも変わらずこのスタンスでいてくれるから、こうして仲良くなった今も愛が止まらんのよな。
人気を得れば得るほど、悪意の的にもなるネットの世界。そこで6年以上活動してきた沙門くんは、人一倍、ネットの悪意に晒されてきただろうと思う。末端の一般オタクである俺ですら、沙門くんを標的にした誹謗中傷を度々目にしては病みそうになるのだから、当事者ともなれば尚更だろう。
そんな中でも、リスナーからの愛を見失わず、活動をひたむきに続けてくれる沙門くんはマジでかけがえのない推しだ。そんな彼が困っているならいくらでも助けになりたい。
「コウガさんとしてはどのように思っていらっしゃる?」
『……や、まあ、サモが言うなら、オレも一回くらい、とは思ってる。下手だし自信ないしオレそもそもストリーマーだし、サモの歌の邪魔にしかならない気はするけど』
「下手……ですかね? たまに配信で口ずさんでるの聞く限りは音感ありそうな感じしますけど。めちゃくちゃ耳いいし」
『そうそう! うわやっぱモッさんは分かってくれるなぁ……たまに一緒にカラオケ行くんだけど、音程の精度高いし、リズム感もあって凄い好きなんだよ僕、コウの歌』
『ん゛ん゛ッ……ゲホ、ゴホ、あのなあ、お前は一回、オレへの評価おもっくそバグらせてんの自覚しろって。何度も言うけど、オレ、お前にそこまで買いかぶってもらえるほど大層な人間じゃないんだよ』
心外そうに「ええ~」と気の抜けた声を出す沙門くん。全く真に受けていないようだ。俺は面食らってしまい、しばらく言葉を詰まらせた。
何て言ったって、あのコウガくんが素直に照れている。しかも満更でもなさそうに。普段は沙門くんからいくらベタ褒めされても塩対応で適当に受け流しているあのコウガくんが。
沙門くんも何ら不自然なことはないみたいに平然と受け入れてるじゃないか。まさか配信外での二人はこれが通常運転なのか? 俺が見ててええんか、これ。
一部界隈でまことしやかに囁かれている不仲説を信じたことなど一度もない。不仲であればそもそもこんな高頻度でゲームを一緒にやったり、忙しい合間を縫ってオフで出かけて遊んだりなんてことしないはずだ。
しかしまあ、あれだけ沙門くんのデレをすげなくスルーするところを目の当たりにすれば、繊細で想像力豊かな(配慮した表現)リスナーなんかが「沙門くんが蔑ろにされてる」だとか「コウガくんウザがってる」などと杞憂するのも無理はないと思うことがなかったとは言えない。
個人的に一番ムカつくのは、沙門くんのアンチによる「沙門はコウガの知名度にしがみ付いてファンに媚びを売って人気を得た寄生虫」なんて言説だ。ツブックスで何度そういった輩をブロックしたか知れないし、メンタルの調子がよろしくない時は「こんな連中が増長するくらいならいっそもう絡んでるところを見たくない」なんて思ったこともある。こういうのは所謂厄介ファンの身勝手なお気持ちというやつなので、活動者になった今思い返すと普通に鳥肌モノだが。
「まあでも、コウガさんとしても、別にやぶさかではないって感じなんですよね。では、他になにか問題が?」
『ああ、そう。収録のことでね。僕は懇意にしてるスタジオがあるからいいんだけど、コウはストリーマーだからそういうの無くて。アテもないから困ってるんだよ。僕と同じところで録ろうよって言ってはいるんだけど』
『サモと同じところなんて絶対オレには不相応なところじゃん。不特定多数にオレの下手な生歌聞かれたくないんだって。知らない人に歌ってるところ見られたくないし。下手だなーって思われながら歌うの普通にゲロ吐くだろ』
「ああ……まあ、たしかに、緊張して本来の声の良さが引き出せなかったら勿体ないですもんね。できるだけ本人が安心できる環境で収録するのが一番だと思いますよ。実は私も緊張しいで、人前で歌うのとか本当無理なんで、コウガさんの言うこと分かります」
『モッさんがァ!? いや嘘だって、あんだけ歌みた出してヒット連発してるのに』
「コウガさん、MIXの力って本当に凄いんですよ」
『アハハ……それはまあ、そうだね。僕もいっぱいお世話になってるよ』
えぇ……? と心底困惑したような声を出して黙り込むコウガくん。生歌であの歌ってみたのレベルを想定しているのなら、それは理想が高すぎるというものだ。実際は通しではなくフレーズごとに何度もやり直しながら録るし、最もよかった部分をつなぎ合わせて出来るものがあのクオリティになるのだから。
繋ぎ合わせた音源も何ならまだすっぴんで、それをMIXというメイク術で整えていき、歌声の良さを引き立たせて、ようやく公開の段階に至るわけで。どんなに歌ってみたでは完璧に音程が合っていても、カラオケではガタガタなんて、実際当たり前の話である。
『ちなみにさあ、そんなモッさんはどこで収録してるの? やっぱり事務所のスタジオ?』
「あ、実はですね、事務所のスタジオで収録したこと一回も無くて。兄が音楽系の専門を卒業してて、収録に必要な技術は一通り身に着けてるので、だいたい全部お願いしてます」
『へえ……! そうだったんだ……なら、あのクレジットの匿名希望ってもしかして』
「ああ、そうです、兄です」
胸がチクリと痛む。レイネに兄がいるという設定は配信でも口にしていることだ。人格や嗜好は俺と八女川を混ぜたようなイメージで、出不精のクリエイターということで一貫し、話に整合性を持たせている。
しかしまあ、騙しているという後ろめたさは否めない。おそらくこの二人にも機密事項や黙っていることはごまんとある。それがVの世界なのだ、いい加減慣れなければ。
『お兄さん一人で全部やってくれるの?』
「はい、ありがたいことに……兄も私も、兄妹揃って筋金入りの引きこもりで、生活習慣もなかなか終わってまして……人様にご迷惑をおかけするよりは、互いに融通しやすくて我儘も言いやすい兄に全部やってもらうのが一番やりやすいんです」
『へえ~~! 仲良し兄妹だ。僕一人っ子だからちょっと羨ましいや』
うん、実際は俺もそうなんだ。一人っ子。両親が死んでから急に天涯孤独になったから、俺もきょうだいがいたらこんなに寂しくなかったのかな、なんて思ったこと何度かある。
あ、ヤバい、なんだか苦しくなってきた。自分のこと架空の兄として語るとかだいぶ業深い行為なのでは。
『優しい兄貴って都市伝説じゃなかったんだな……なんか、実際どんな人か気になるわ、モッさんのお兄さんとか』
「ヘッ……」
『あ! いやいや!! 全然、変な意味じゃなくて!! うわ、なんか変なこと口走った、すみません、気にしないでモッさん』
……あれ? これ、もしかして、沙門くんの念願を叶えるチャンスなのでは? 好都合では? いやでも、二人の問題に俺なんかが出しゃばってもいいものなのか? どうしよう、でも、ここで思いついたことを提案せずスルーするのもそれはそれで罪悪感があるな。ええい、ままよ。
「あの……よかったら、コウガさんの収録、うちの兄に依頼するとか、どうですか? あの人の家、録音設備全部揃ってるし、ちょっとしたボイトレとかもできるので……あっ、あの、私が普段使ってる設備は嫌とかだったらすみません。全然、ただの思いつきですから。実績も私の歌みたくらいしか判断材料ありませんし……ただ、無茶ぶりには慣れてると思うので、要望は通りやすいんじゃないかと」
『……マジですか? そんな、いいんですかね』
あっ、思ったより食いつきがいい。あんまり抵抗無いか? それはそれで危機感が心配になるが……まあ曲りなりにも一緒に仕事してる相手の身内だし、全くの赤の他人よりはまだマシという判断だろうか。
こういったリスク管理には聡いだろう沙門くんが静観しているから、第三者から見ても、特にこれといった問題意識は感じてないと見ていいだろう。きっと。おそらく。
「コウガさんが良ければ、全然、私から兄に言っておきます。一応いくばくか依頼費をいただくことにはなるかもしれませんが……」
『あっ、それはもう、言い値で払います。全然、吹っ掛けてください』
「しません、しません。明日までに見積もり提出させますね。私もチェックしますけど、コウガさんの方もちゃんと信用できる第三者の方と一緒に検討してください」
『あ、じゃあ僕の出番かな。今のスタジオにたどり着くまで色々なトコに依頼したから、相場は大体分かってるよ』
「おお……! 心強い……では、必ず沙門さんチェックを通してから、ご判断をお願いします。収録は兄の家まで来ていただくことになるので、くれぐれも考慮の上でご検討ください。もし兄に粗相があれば私が責任を取りますが、会ったこともない人間にそんなことを言われても信用に値するかって話なので」
『まあね、でもモッさん事務所所属だし。何かあっても責任の追及には困らないから』
『おいサモやめろって、モッさんに限って滅多なこと起こるはずないだろ』
「それが分からないものなんですよ……結構人間って簡単に豹変する生き物で……流石にそんなことしないだろってことも平気ですることあるんです……勿論人によりますけどね」
『あぁ……モッさんも色々大変だったんだね……』
『もしこれが人狼ゲームならモッさんまわり驚きの白さだぞ』
『それはそう』
何と言うか、コウガくんはやっぱり若いな。活動歴はこの三人の中でも最長の7年を誇るが、それでもまだ22歳だ。俺より5つ下。沙門くんがやや過保護になるのも頷けるというか。人見知りで限られた人間にしか心を開かないのが逆に功を奏している気がする。
それで沙門くんを引き寄せているのだから、彼の対人運は凄まじいと思う。勿論、彼自身が沙門くんを惹きつけてやまない魅力に溢れているというのもあるが。
とまあ、そんな経緯で、沙門くんチェックもあっさり通り、驚くほどすんなりと収録の日程や手筈が整っていった。
まあ、つまりは、俺の家にコウガくんがやってきて、俺が彼の収録を手助けすることとなったというわけだ。思いつきとは恐ろしいものである。
159
お気に入りに追加
402
あなたにおすすめの小説
僕はただの妖精だから執着しないで
ふわりんしず。
BL
BLゲームの世界に迷い込んだ桜
役割は…ストーリーにもあまり出てこないただの妖精。主人公、攻略対象者の恋をこっそり応援するはずが…気付いたら皆に執着されてました。
お願いそっとしてて下さい。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
多分短編予定
俺の親友がモテ過ぎて困る
くるむ
BL
☆完結済みです☆
番外編として短い話を追加しました。
男子校なのに、当たり前のように毎日誰かに「好きだ」とか「付き合ってくれ」とか言われている俺の親友、結城陽翔(ゆうきはるひ)
中学の時も全く同じ状況で、女子からも男子からも追い掛け回されていたらしい。
一時は断るのも面倒くさくて、誰とも付き合っていなければそのままOKしていたらしいのだけど、それはそれでまた面倒くさくて仕方がなかったのだそうだ(ソリャソウダロ)
……と言う訳で、何を考えたのか陽翔の奴、俺に恋人のフリをしてくれと言う。
て、お前何考えてんの?
何しようとしてんの?
……てなわけで、俺は今日もこいつに振り回されています……。
美形策士×純情平凡♪
貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話
タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。
叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……?
エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい
雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。
延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。
お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた
やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。
俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。
独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。
好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け
ムーンライトノベルズにも掲載しています。
【完結】異世界から来た鬼っ子を育てたら、ガッチリ男前に育って食べられた(性的に)
てんつぶ
BL
ある日、僕の住んでいるユノスの森に子供が一人で泣いていた。
言葉の通じないこのちいさな子と始まった共同生活。力の弱い僕を助けてくれる優しい子供はどんどん大きく育ち―――
大柄な鬼っ子(男前)×育ての親(平凡)
20201216 ランキング1位&応援ありがとうごございました!
やめて抱っこしないで!過保護なメンズに囲まれる!?〜異世界転生した俺は死にそうな最弱プリンスだけど最強冒険者〜
ゆきぶた
BL
異世界転生したからハーレムだ!と、思ったら男のハーレムが出来上がるBLです。主人公総受ですがエロなしのギャグ寄りです。
短編用に登場人物紹介を追加します。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
あらすじ
前世を思い出した第5王子のイルレイン(通称イル)はある日、謎の呪いで倒れてしまう。
20歳までに死ぬと言われたイルは禁呪に手を出し、呪いを解く素材を集めるため、セイと名乗り冒険者になる。
そして気がつけば、最強の冒険者の一人になっていた。
普段は病弱ながらも執事(スライム)に甘やかされ、冒険者として仲間達に甘やかされ、たまに兄達にも甘やかされる。
そして思ったハーレムとは違うハーレムを作りつつも、最強冒険者なのにいつも抱っこされてしまうイルは、自分の呪いを解くことが出来るのか??
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
お相手は人外(人型スライム)、冒険者(鍛冶屋)、錬金術師、兄王子達など。なにより皆、過保護です。
前半はギャグ多め、後半は恋愛思考が始まりラストはシリアスになります。
文章能力が低いので読みにくかったらすみません。
※一瞬でもhotランキング10位まで行けたのは皆様のおかげでございます。お気に入り1000嬉しいです。ありがとうございました!
本編は完結しましたが、暫く不定期ですがオマケを更新します!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる