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第十九話

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 魔王城からようやく出してもらい、すっかり暗くなってから宿に帰れば、レギイはシーツに包まってベッドに白い山を作っていた。ベッドのふもとにはすっかりヘタレ顔のレドがいる。いったいいつからこの状態なのだろう。気の遠くなる思いがした。

 とりあえずレドに賭けでトータル儲かった金の半分を握らせて夕飯の調達に向かわせ、白い大山の前で嘆息した。

 ヴァンピール・ロードは食欲と性欲が結びついているという話をしたが、逆に言えば、食欲が満たされていれば、性欲を解消する行為をあまり必要としない。

 何せ死ににくい生き物であるからして、長く生きれば生きるほど、余計に繁殖の本能が薄れてしまう側面もある。

 つまり種族特性上、性的なものにあまり免疫が無い事は、想像に難くない。

「思い出しました……貴方はそういう方だった……翼の生えた鬼畜外道……」

「許せ、レギイ。君の近頃の行いは些か目に余った。アレではレドが可哀想だ」

 レギイは「貴方にも人間を可哀想と思う心があるんですね」などと失礼な言葉を吐き捨ててもぞもぞとシーツから顔を出した。情けない顔で随分な言い草である。師匠に向かって何だその膨れっ面は。

「人間の精力イカレてます……死ぬかと思いました……この私が……」

「人間は我々より死にやすいからな。その分、精力も性欲も強い。特にレドの年頃の男子は」

「普通の吸血で満足出来なくなってたらどうしてくれるんです」

 レギイは頬を赤くして目を泳がせながら、詰まり詰まりそんなことを言い放った。どうやら病みつきになりそうな自覚はあるらしい。健気なことである。魔族は本能に正直でなくては、全く話にならない。

「責任を取ってもらえばいい。レドからしても願ったり叶ったりだろう」

「そんな簡単にぃ……っ!! 貴方は彼の旺盛さを知らないから……!」

「どうして私が人間の旺盛さについて一家言あるか分かるか。ヴィドの母親の出自を思い出せ」

 ヴィドは人間の旺盛さと魔族の頑強さ、どちらも兼ね備えたハイブリッドだ。人間の倒錯趣味と魔族の本能に対する忠実さについても折り紙付きで、その上他の魔族には追随を許さない、独自の魔法体系を余すところなく駆使して、こちらを翻弄してくる。彼にかかれば私など俎板の鯉に他ならない。

 レギイはみるみる顔を青くして呻いた。心なしかカタカタ震えている。

「常々、よくぞ、ご無事で……」

「腰の骨が疲労骨折しても治癒しながら続行だ。毎度、終盤は下半身の感覚が無だぞ。今もどうやってここまで帰ってきたのか分からない。恐らく若干浮いてた。翼無いのに」

「どこに行っていたかと思えば……もう別れた方がいいですそれは」

「これがなかなか悪くなくてな」

 レギイはふたたび顔をシーツで隠してガクガク震えながら悶絶した。どうやらこれ以上ないほど引かれてしまったらしい。初心な坊やにはまだ早い内容だったようだ。

「最悪な趣味だ……っ! もう勝手にやっててください!! 付き合いきれません!!」

「壊れるくらい求められるというのはこれ以上ないほどに満たされるんだ。じきに分かるさ」

「分かるものですか……! やりすぎなくらい気遣いながらも徐々に理性が剥がれていって最後には全く余裕を無くして一心不乱に求めてくるのがイイんじゃないですか!!」

「そうか、君は彼のそういうところにグッと来たんだな」

「何の話ですか?」

「私の弟子とは思えないほど誤魔化し方が下手」

 とまあ、このような調子で、レギイはこの後もさらにレドと絆を深めていったようだった。ヴィドにもピロートークでそのことを話せば、「なんだその勇者は、趣味が悪すぎるだろう」などと言いながら腹の底から大爆笑していた。そして以後、彼の責めの苛烈さはなりを潜めていった。

 さて、そんなわけで、およそ3カ月、魔王城への旅を続けた末、私たちはようやく、レドと共に魔王の玉座にまでたどり着いた。これまでに遭遇した7名の魔王軍各師団長は、我々が助力するまでもなくレドだけで倒しきってしまい、我々はとんでもないバケモノを生み出してしまったのかもしれないと戦慄した。

「よくぞここまで来たな、我が最愛、そして勇者、ついでにクソッタレコウモリ」

「魔王、貴様ァ……!! 俺のお師匠様を侮辱したな!! 容赦しないぞ!!」

「……そこは故郷の村が焼かれたとか、親兄弟の仇とかではないのか」

「生憎俺は孤児だ!! 元居た村ではリンチ三昧だったのでそこまで未練はない!!」

「そうだったのか!?」

「そうだよリコ!! お前俺に興味なさすぎるだろ!!」

 レギイを横目に見れば、気まずそうに目を逸らして咳払いした。なるほど、ここまでレドに入れ込んだのはシンパシーを感じたからでもあったのか。

「まあ、そんなことはどうでもいい。やるならさっさとやるぞ。かかってこい勇者」

 いつになく上機嫌な様子で、玉座から鷹揚に立ち上がるヴィド。レドも自慢の聖剣を片手に、天界の加護を纏って勇壮に構える。

 ヴィドが凄まじい衝撃波を放ったのと、レドが地面を蹴ったのは、ほぼ同時。熾烈な戦闘はアッサリと始まった。勇者として得られる限りの力を得たレドと、神に至ろうとしている魔王の戦いは、まさに頂上決戦。木っ端の堕天使モドキ(翼をまだ取り込んでいないため)はもとより、大魔族であるレギイですらも介入できないほどには別次元の一騎打ちであった。

 戦況は拮抗するも、勇者とは言え生命力は人間の体の域を出ないレドが徐々に消耗していく。対するヴィドだが、流石は魔王というべきか、終始涼しげな顔をして佇んでいた。

 固唾を飲んで見守る。横のレギイは、ずっと何かを逡巡しているような面持ちで、レドが深手を負って倒れるたびに、自らの痛みのように息を飲んでいた。

 レドが聖剣を杖にようやく立ち上がろうという時、ヴィドはニヤリと笑って、カッと目を見開いた。ガキン、と、耳を劈くような破砕音が木霊する。

 レドはそれ以上体を動かすことができなくなった。自らの影が、ヴィドの奥義によってその場に凍り付き、びっしりと亀裂が入れられたのである。影とは、その世界に存在している証明に他ならない。さらには、その者の魔力や、それまで辿ってきた生涯の記憶も、影に保存されている。影を砕かれれば、生命としての全てを壊され、骨の一片も残らず、この世界から消え去る羽目になるのだ。

「今、そのコウモリを連れて立ち去り、金輪際俺とクロウに関わらないなら、命だけは勘弁してやる。これまでの戦いぶり、大義であった。褒美として、好きなだけ迷う時間をやろう」

 ヴィドはふたたび崩壊しかけの玉座に座り直し、ほんの微かにレギイへ目配せしてから、ゆっくりと目を閉じた。

 レギイはゆっくりと息を吸った。その息遣いにつられ、傍らの彼を見上げる。

 レギイは俯き、きつく眉間にしわを寄せては、ああ、と低い声で呻いた。

「……レギイ、これまで、巻き込んですまなかった。レドとよく話し合って、どうするか決めてくれ。君たちが決めたことなら、私もヴィドも、来る末路を受け入れよう」

「……っ、ですが、それでは」

「私の行く末を、君たちに託すということだ。どうか、これを、君への報いとさせてくれ」

「クロウ師……」

 レギイは今にも泣きそうに顔を顰め、しかし踵を返してレドのもとへ駆け寄った。ふいに、首筋がピリリと痺れたような、そんな気がした。

「レド、君が気付いていたことは重々承知の上で、打ち明けます。私の名はレギイ。かつて、魔王ヴィドに忠誠を誓っていたヴァンピール・ロードです。これまで、夥しい数の人間を殺し、食いつくしてきました。貴方を拾って育てたのも、全ては、ある目的のため。はじめは、君のことなど、ただの道具としか思っていなかった」

「いいよ、何でも。お師匠様がどんな事情を抱えていても、全部ひっくるめて、お師匠様のことが好きだから」

「……ある目的のため、どうしても、魔王ヴィドを倒さなければならない。すべては、君がリコと呼び、先程魔王ヴィドがクロウと呼んだ、私の師匠のために。しかし、私はもう、そのために君を骨の髄まで利用しようという情熱を失っているのです。もう、これ以上、君を振り回したくない。君の人生を利用したくないと、そう思ってしまった」

 レギイはそう言って、レドをきつく抱きしめた。レドはただ、慈愛をたたえて微笑み、目を閉じて受け入れた。

「奇遇だね、お師匠様。俺もさ、どうしても、魔王を倒したいんだ。だって、約束したでしょ。覚えてない? 魔王を倒したら、それからもずっと、パートナーとして一緒に生きたいって」

「……っ、ひとつだけ、方法がある。しかし、いつか、君は後悔するかもしれない。もう二度と、君は、人間に戻れないんだ。私が死ぬまで君は死ねないし、ヴァンピール・ロードが死ぬまでに、どれほどの年月がかかるか、全知を手に入れた魔王すら知り得ないと言われている」

「気が遠くなるくらい長い時間を、お師匠様とずっと生きていけるってことでしょ。いいよ、お願い。どうなってもいい、お師匠様が、俺と生きてくれるなら……ねえ、愛してるよ、レギイ」

 レギイはなおも沈痛な面持ちで、しかし愛おしげに、ゆったりとレドの頭を撫でた。

 レギイがレドの首元を噛む寸前、微かに、その唇が動くのがわかった。私はそれを見届けてすぐに、目を閉じて肩の力を抜いたのだった。
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