裏切者として死んだ堕天使、生前の主君のベッドの上で目覚める

槿 資紀

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第十七話

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「200年も、物言わぬ生首となった貴方にそれでも執着し、甚振り続けた魔王様を見続けてきて、忘れていたことがありました。あの方が魔王になられる前から、あの方に唯一、意見出来るのは貴方だけだったと。他の誰の言葉も聞き入れないあの方が、貴方の異論にだけは、真摯に向き合うのです。どうやらそれは、今も変わっていないようだ」

 野営中、自身の膝を枕にして懇々と眠るレドの頭をぎこちなく撫でながら、眉をハの字にして微笑み、首を傾げるレギイ。伏せた瞼を彩る睫毛がいとけなく揺れる。

 レギイとレドと人界を旅している最中ではあるが、時折予告もなくヴィドが現れ、私を魔王城に連れ去ることがある。おかげで定期的にレドを魔王城潜入ミッションに駆り立てる事ができ、訓練としてある程度功を奏してはいるのだが。

 その夜も例の如くヴィドの訪れがあり、迷宮探索を終えたばかりでレドが消耗しているところだったので、説得して帰ってもらったところだった。

 レギイは説得だけですんなりとヴィドが帰っていったことにしばらく面食らっていた。何か憑き物が落ちたような顔でもあった。

 私は、確かに胸の中に広がったわびしさのようなものを誤魔化すように、満天の夜空を見上げ、めいいっぱい息を吸った。

「……実はね、彼が変わっていなかったことに気付いたのは、最近なんだ。私もね。魔界で本格的に活動を始めた頃から、ヴィドは見違えるほど強硬な姿勢を取るようになって、私の考える方針と食い違うことが多くなっていった。最たる挫折を味わったのが、リティーリディオの一件だ。彼は私に、以後、このような根回しは不要だと言った。敵を無闇に増やさないでくれと言っても取り合ってもらえなかった。あの時、私は、自らの価値の底を見たような気がしたんだ」

 レギイの息を飲む音が微かに聞こえる。咄嗟に顔を彼の方に向ければ、眉間にしわを寄せ、せわしなく目を泳がせつつ、言葉を選んでいるらしい様子が見て取れた。

 やがて、心を決めたように息をつき、レギイは私の名前を呼んだ。

「あの時のことは、私も良く覚えています。まさか、貴方のこれまでの労力を、他でもないあの方が踏みにじるような事をなさるなんて、と。死を覚悟の上で、戻られたばかりのあの方に、どういう訳か問い詰めました。あの方は、いやに落ち着き払った様子で……クロウを引き換えに得られる忠誠など反吐が出る、と仰いました」

 レギイは更に続けた。そうやらリティーリディオは、ヴィドの傘下に下る条件として、私の所有権を譲るように要求したらしい。確かに好色なリティーリディオを篭絡する上で、そのような意味での誘惑も使った覚えがある。指先が震えるほど血の気が引いた。

 あの時ならばいざ知らず、今は、骨の髄まで、ヴィドの独占欲を思い知っている。いったい、ヴィドはどんな思いで私の動向を見ていたのだろうか。つくづく、軽率だったとしか言いようがない。

「要求する口ぶりも、ひどく侮辱的だったようなのです。貴方のことを淫売呼ばわりしては、厄介者を引き取ってやる、といったような、恩着せがましい言い方ですり寄られ……気付いた時には縊り殺していたのだと。人間が相手なら、貴方が後れを取ることはまずありえない。しかし、魔族が相手なら? もしこのまま、状況を野放しにすれば、あのトカゲのように、貴方の思わせぶりな口先を本気にして、手籠めにしようなどと考える手合いが後を絶たないのでは……おそらく、その懸念が、あの方を強硬な姿勢に駆り立てたのではないかと思います」

「ああ、どれだけ間違えれば気が済むんだ、私は……」

「貴方は、ご自身の利用価値に意識を向けるあまり、相手から向けられる感情に疎く、想定するにしてもやたらと低く見積もる節がありました。そんな体たらくで、人魔問わず不特定多数から、そのような意味で慕われているなんて、思いもよらないことでしょう」

 人間のことは、手あたり次第誑かし、都合よく使い捨てた覚えがある。人の心は実に扱いやすかった。性愛から始まったものも容易く崇拝に変わる。故にこそ、人から向けられる性愛をそうと意識することに意味を感じなかった。

 しかし、魔族となれば話は別だ。人ならばまだしも、魔族が私を? レギイのように、師匠として面倒を見た相手ならまだしも、それ以外は、どうしたって理解が追い付かない。

「だって、私は堕天使だぞ……? 魔界に動乱を齎す不吉の象徴、嫌厭されてやまない、はみ出し者だ。誘惑して篭絡したとしても、私が堕天使であるという事実だけで十分踏みとどまる理由になると思うじゃないか」

「貴方が堕天使であることを気にするのは、既得権益にしがみついている魔界の権力者だけです。ただでさえ、魔族は本能に忠実だ。欲しいと思ったものにはまず手を伸ばします。その手がすべて魔王様によって払いのけられていただけのことで」

 どうしよう、先程追い返しておいて何だが、無性にヴィドに会いたくなってしまった。心ゆくまで罰されたい気分である。

 どうしたって、自らが堕天使であるということに最も囚われていたのは私だったのだ。堕天使だから、魔族から認められるわけがない。堕天使だから、魔王の側にいつまでもしがみ付いていてはいけない。そう思うことが、ヴィドのためなのだと思い込んで。

「……今でも、認めたくない自分はあります。魔王様がこれ以上、貴方を貶めるようなら、全てを捨ててでも、私が貴方を幸せにすると、覚悟していましたから。ですが……同時に、あの方の愛を受け止められるのは貴方だけで、貴方を捕まえていられるのも、あの方しかいないとも、思ってしまうのです」

「……君にも彼にも、捕まったなんて思ったことは無いぞ。私が今君の傍にいるのも、自分の意思で決めたことだ」

「ええ。ですから、私は、負けを認めざるを得ないのです。魔王様がそれをお認めになったという時点で、私は、貴方と逃げる必要性の根拠を失ってしまった」

 どうやら、生半可な覚悟だったようだと、自嘲気味に笑い、レギイはゆっくり息を吸いながら天を仰いだ。爽やかな風が木々を揺らす。肩の荷が下りたような、だからこそ地に足がつかないような、ジワリと胸から湧き出でた切なさが、みるみる全身に浸透していくようだった。

 妙に温度が恋しくなり、私はレギイの傍らまで移動し、座り込んで、膝をポンポンと叩いてみせた。レギイはこちらを見ないままスンと鼻を啜り、やがて、ゆっくりと私の膝に頭を預けてくれた。

 さて、それから更に2年ほど。私の死体の全てのパーツを手中に収め、あとはレドの成長を見届けるのみとなり、ヴィドに頼んで魔界の罪人をこちらに寄越してもらい、さまざまな状況下で実戦経験を積ませていった。

 ローティーンだった少年は、瞬く間に精悍な青年となり、訪れる街という街で様々な少女たちとロマンスを繰り広げた。素朴な町娘から、聖女だとか貴族の令嬢だとか、果てには一国の王女までも、容易く虜にした。

 セオリー通りなら、本来魔王城に拉致されるのはこの可憐な少女たちの方なのだろうが、魔王城に拉致されるのはおなじみ私である。救出イベントも無しに、ここまで少女たちの好感度を上げられるのだから大したものだ。

 はてさて、いったい誰を選ぶのだろうか……そんなことを暢気に思っていた私だったが、折り入って相談があると言ってレドから告げられた言葉は、予想外なものだった。

「あの、さ……お師匠様って、人間じゃないよな。魔族なんじゃないかって思うんだが、リコは何か知ってるか?」

「もし、師が人間でなかったとして、レドは、どうするつもりなんだ」

「あー、魔族、だったらさ、やっぱり、その、人間は、恋愛対象から外れちまうのかなって思って。俺、駄目だって分かってるんだけど、お師匠様のこと、ずっと好きなんだ」

「…………ヘッ」

 絵に描いたような絶句だった。間抜け面を晒す私に、ワッと泣き出したレドが、飛び掛かって縋りついてくる。助けてくれ、どうすればいいか教えてくれ、リコにしか相談できないんだ、なんて喚きながら。

 弟子から想いを寄せられる気まずさについては、大いに心当たりがある。その上で、私は、ただ、心の中で、レギイを激励することしかできないのだった。
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