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第七話

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 それからしばらくの間、私とレギイは、それぞれ幻光蛾と蝙蝠の姿で森を転々とし、捜索部隊の目をかいくぐり続けた。

 ヴィドによる襲撃のさい、レギイの全身の八割をあちらに掌握されてしまった。どちらを本体とするかはレギイの意志によるのだが、やはりどうしても、再生の主導は肉体の質量が大きい方に偏る。

 つまり、あちらに掌握されたレギイの八割がたの肉体が、レギイの意思とは反して、勝手にレギイの本体を探し始めるのである。

 それを利用され、向こうの捜索の精度が格段に向上している。

 しかし、この状況がいつまでも続くわけでは無いようで、どうやらレギイが不要と判断した方の肉体は時間経過とともに崩壊し、最終的には灰となって消滅するらしい。

 しかし、それだけでは安心しきれない懸念点がひとつ浮上した。

「それにしても、リコフォスは見つけ次第殺して首だけ持ち帰れだなんて、魔王様も急に心変わりなさったもんだ」

「生け捕りにしなくても良くなったんだから手間が省けていいだろ」

「まあな……しかしだ、俺らさんざ脅されただろ? ターゲットを勝手に殺せば次に死ぬのは師団全員だって、ウェデグ師団長サマから直々のお達しがあったじゃねえか。あれは一体何だったんだ?」

「魔王様のお考えを俺たちのような木っ端が推し量ろうなんて不敬だぞ、それ以上は控えろ」

「お前が考えるの面倒くさいだけだろうがよ」

 ジッと木の幹に張り付いて、こちらに気付かず歩き去っていく一組の魔族らを見送っては、そっとため息を吐く。

 あれから遭遇する魔族という魔族の話を盗み聞きするたび、うんざりするほどこの話題でもちきりだ。

 生け捕りから、殺害にオペレーション変更。そのため、追手たちの襲撃は今までとは段違いの脅威になっている。

 ああ、ヴィドの真意が全くつかめない。リコフォスは直々に迎えに来るほど大事な寵童だったのではないのか。どうしてそれが、一転、殺せという命令に繋がるのだろう。

 なぜあのハッタリが通じたのかも分からなくなってしまった。殺してもいいなら、あの時に事を済ませていた筈だ。自分では手を下せないから、部下にやらせようということか?

 ヴィドにとって、リコフォスとは、いったいどんな存在なのだろうか。中身が違う、思い通りにならないと分かったら、すぐに捨ててしまえるようなものなのか。

 大いに歪んでいるとは言え、あの夜の彼からは、少なからず、リコフォスへの思い入れを感じた。だからこそ、居たたまれなくて仕方なかったのだ。

 それが、こんなにも簡単に捨てられるのか。私ならまだいい、だが、この哀れな子どもが。

「レギイ、ウェデグと言えば、当時は君の副官だったな」

「ええ、貴方の死後、私が貴方のポストに後釜として据えられました。その穴を埋める形で、彼も昇進したのです」

「そうだったのか……どうして彼はわざわざあのような脅しを? 命令に背いた張本人ならまだしも、師団の全員が処刑の対象になるなんて大袈裟すぎる」

「大袈裟ではありません。こればかりは、ただの命令違反では済まないのです」

 レギイはそれ以上何も言わず、かたくなに黙りこんだ。あからさまな不愉快感を滲ませ、何かを堪えているようにも見えた。

 ヴィドのことで私が知らないのなら、どう考えても、私が死んだ後の出来事が原因なのだとしか考えられない。それか、私がヴィドに無断で離反したことへの当てつけか。

 さておき、その日の夜更け、ようやくこちらのレギイをもとに再生する算段が整ったとのことで、我々は丁度近くで野営していた行商人の荷車に紛れ込み、人間の集落までそれで移動することにした。

 なにせ再生した直後のレギイはとにかく飢えている。栄養補給に必要なのは人間の血肉だ。

 明朝から動き出した荷車は、そうかからないうちに小さな村まで私たちを連れてきてくれた。あとはふたたび近くの森の中で夜を待って擬態を解除し、事を済ませるだけ。

 だと、思っていたのだが。

「レギイ、なんだその姿は」

「申し訳ありません、クロウ師……おそらくですが、灰が完全に消滅する前に保存をかけられたのではないかと……」

「ああ……ヴァンピール・ロードの灰は強力な薬になるからな……」

 がっくりと項垂れるその姿は、一言で言ってしまえば、ちんちくりんだった。言わずもがな、ようやく再生することができたレギイの肉体のことである。

 指先ひとつからでも再生することが出来るヴァンピール・ロード。しかし、今回のケースのように、本人が不要と判断した部位が、なおもこの世に物質として留まっていると、そちらも分基としてカウントされ、そちらの分のリソースが本体に戻ってこないのだ。

 器さえ戻れば、あとは中身を満たしてやればそれで事足りる。しかし、今の彼の器はお世辞にも完全とは言えない。そんな状態では、どんなに人を食っても、元の力を取り戻すまでには至らないだろう。

「魔力を補給しながら再生を繰り返せば、失った分の細胞も組成できるのですが」

「魔力を補給しながら、ね」

 やや申し訳なさげでありつつも、どこか強迫じみた期待に煌々ときらめくまなざし。ああ、分かっている。アテなど、ひとつしかない。私だ。

 もちろん否やは無い。それなのに、何だろう、この、あまりよろしくない予感は。

 そもそも私に巻き込まれる形で彼はこんな目に遭っているのだ。責任を取らなければ。だが、おそらく、弟子は私の心情を分かったうえで、こんな目で私を見てくるのだ。

 私は一体何を期待されている? どうしてこんなにも、弟子からの視線で居心地が悪い思いをしなければならないのだろう。

「私は、どうすればいい。方法が分からない」

「クロウ師は、何も。ただ、お許しいただければ、それで」

 何を許せばいいのか知りたいんだが!? 言いよどんでいれば、レギイはここぞとばかりに詰め寄り、うっとりと恍惚の表情で首を傾げる。私は思わず寄りかかっていた木の幹にしがみ付くみたいに背中をくっつけ、ズルズルと座り込んだ。

 分かっているとも、腹が減って仕方ないんだろう!?

「クロウ師……」

「わ、かった。許そう」

 う、と口をすぼませることも出来たかどうか。爬虫類が獲物を仕留めるほどの素早さで、レギイは私に深く口付けした。ややあって、舌に鋭い痛みが走る。レギイの牙が深く突き刺さったのだろう。鼻の奥に妙な匂いが広がった。

 みるみる、舌を痺れさせたその痛みが、じわじわ甘さを帯びていく。その感覚は、いつしか思考を麻痺させ、全身の強張りを強制的に弛緩させていった。

 これはよくない。分かっているのに、抗えない。まんまとレギイの術中に嵌ってしまったようだ。

 唾液ごと、とめどなく溢れる血液が吸い取られていく。私が魔力を少しずつ譲るかわりに、彼の体はメキメキと成長していった。

 気付けば、私は彼にすっかり抱き込まれた状態で、彼から齎される刺激に逐一反応しながら、ひたすら貪られていた。熟練のロードの手練手管は凄絶である。師としての威厳は最早形無し、200年弱という年月の大きさを思い知ることとなった。

「クロウ師……?」

「あ……ん、はぁ……っ、も、おわり?」

「ええ……ふふ、お可愛らしい。すっかり蕩けてしまわれて」

「へ、へいき、だが? こんなの、ぜんぜん」

「そうですか?」

 後頭部を支えていた手のひらが、ゆっくりと頬までを撫でる。そうして、そのまま私の下唇を親指の爪で傷つけ、滲んだ血液をすりすりと塗り広げた。私はすべての刺激にまんまと肩をびくつかせ、ハフハフと浅い息を繰り返した。

「そのように、物欲しそうな目をなさらないで」

「な……っ、していない!」

「フフ、それは失礼を」

「今回は、特別だからな……」

「勿論です。二度と同じ轍は踏みません」

 口をつぐむ。そう言われてしまうと、何故か名残惜しいような気がしてならず、いよいよ私は危機感を覚えた。思わずレギイを突き飛ばしてしまい、一層決まりが悪くなる。咳払いをして必死で誤魔化すも、バクバクと暴れる心臓がやかましくて仕方なかった。

「クロウ師、甘美トクベツなひと時をありがとうございました。補給に行ってまいります」

「さっさと行け……」

 嫌味なほどに朗らかに笑い、レギイは無数の蝙蝠になって羽ばたいていった。師匠に接吻なんかしていったい何が楽しいのだろう。これほど理解に苦しむこともない。

 さて、明朝、すっかり本調子を取り戻して上機嫌のレギイとともに、行商人の荷車を行商許可証ごと奪って、鶏の声がひときわ響く村を発った。

 昨夜は悲鳴ひとつ上がらぬ静かな夜であった。
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