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終章

第六十話

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「あの、お忙しいところ、すみません……ジル、あ、えと、ジルラッド殿下が今どちらにいらっしゃるか、ご存知じゃありませんか?」

「ヒィッ」

 ああ……これで、7か。

 なんの回数だって? 知りたい?

 引きこもりコミュ障陰キャチキンこと俺が、なんとか勇気を振り絞って声をかけた人数にして、声をかけた人が、俺の顔を見るなり、かそけき悲鳴を上げて逃げ出していった回数ですが、何か。

 俺が何をしたというんだ。それとも、俺の姿が幽霊にでも見えるとでも?

 俺が(世紀の悪女の生き)写しだからか。泣くぞ? ガチで。

 思い付きでフラフラと歩き出した俺が悪いっちゃ悪いんだけどね。一応陛下に許可は取ったんだぞぅ……!

 こんなことになるなんて知らないウキウキの俺は、はじめに、今の時間なら居るかと思ってジルラッドの部屋を訪ねた。見事に不在だった。

 つぎに執務室を訪ねても、政務官の人が、やはり引き攣った顔と声で「留守にされております」と、空振りに終わった。

 仕方なく、王宮を歩き回り、出会った人に聞き取りをしてみたものの、このザマだ。

 5年間も寝こけてた元王太子、現王族の端くれに、人望などあるわけがないが、それにしても、これは酷すぎやしないだろうか。

「ハァ……でも、きっと、俺が王太子だった時は、ジルがこんな扱いを受けてたんだよな……いや、これよりも、ずっと酷い、のか……」

 ああ、会いたい。この一カ月、意外と平気だな、なんて思いこむことで何とかやり過ごしてたけど、思えばオリヴィアさんをしっかり心配させるくらいには、俺、寂しがってたよな。

 小さい時のジルラッドも、きっと、これとは比べ物にならないほどに、寂しかったし、心細かったろう。

 早く、傍に行きたい。ジルラッドの笑顔が見たい。笑顔だけじゃなくて、いろいろな表情を見たい。

 この一カ月、どうしてたのだろうか。ジルラッドも会いたいって思ってくれたかな。

 それを聞いたら、これからのことを、沢山話したい。話を聞いて、俺も話を聞いてもらって。

 それで、話のタネが尽きたころ、星を見上げる彼の横顔を、目に焼き付けたい。ただ、ゆったりとした時間を一緒に過ごしたい。

 出来るなら、ずっと、手を握って、その存在を確かめ合っていたい。

 あてどなく、夜の王宮を歩く。ただ、ジルラッドのことを思いながら。

「あ……」

 上の空で歩いていたら、いつの間にか、中庭にたどり着いていた。懐かしい、俺とジルラッドが打ち解けるきっかけになった出来事は、ここで起こったんだ。

「あーあ。どこにいるのかな、ジル。あの時みたいに、偶然、俺の前に落っこちてきてくれねぇかな~、なんて」

 ファサ、布のたなびく音が上から聞こえた。

 俺は敢えて振り向かず、知らんぷりをする。すると、背後にゆっくりと降り立った者に、胴へと両腕を回され、ぎゅう、と体重をかけて強く抱きしめられた。

「うっかり、足を踏み外しました。偶然、兄上がいらっしゃって、ラッキーです」

「アハハ!」

 絶対聞いてただろ、なんて無粋なことは思っても言わない。俺だって半ば確信犯だ。いつだって、俺が外に出てきたら、どこにいてもひょこっと顔を出したジルラッドが、自分を探している俺のことを知らない筈がない。

 魔法的に拘束力が発生する王命で接触禁止を言い渡された手前、ジルラッドから俺に声をかける訳にもいかなかったというだけの話だったのである。

「あーあ。今日くらい、俺から見つけたかったんだけどな」

「兄上は悪くありません。王命が悪さをしただけです。僕がどうしても、兄上を見つけずにはいられないから」

「陛下も意地悪なことをなさる」

「あんな阿漕な親父の話なんてやめましょう。せっかくの、一カ月ぶりに兄上と会えた最高の夜に、ケチがついてしまいます」

「そう言うなよ。今日俺の部屋にいらしたとき、ジルラッドに会いたいって言ったら許してくださったんだから。寛容にも程があるって」

「は? 僕を差し置いて兄上の部屋を訪ねたと? クソ親父、余程隠居したいものとみえる」

「もう何が君の地雷になるか俺にゃわからん」

 出来るだけこの子の一番の理解者でありたいけど、時折この子が発動する、女神ヘラも裸足で逃げ出すくらいの心の狭さについて、理解するのはなかなか難しいのだぜ。

 さて、ディザリオレラから帰還した日以来、ようやく顔を合わせることが出来た俺たちは、積もる話もあることだし、ということで、満天の星空の下、二人っきりで空中散歩をすることにした。

 ジルラッドが差し伸べてくれた手を、今日ばかりは、遠慮など出来やしなかった。

「右腕の調子はいかがですか?」

「ああ、コイツな。結構大人しくしてるだろ。常に魔力まわして循環させるのにもすっかり慣れたよ」

 そう、この右腕、バケモノの核だっただけあって、ちょっと気を抜いたら、残留してる魔獣の怨念やら邪気やら闇の魔力やらが体内外に悪さし始めるんだ。

 だから、その邪気エトセトラを吸収、光魔法で浄化、自分の魔力に変換して、右腕の力を押さえつけるのに転用、っていう一連のサイクルを常時体内で回し続ける必要があった。

 ディザリオレラの封印の術式をまるまるパクればいいよ、なんてミュルダールは簡単に言ってくれたが、慣れるまではなかなか大変だったな。

 最初は魔力が暴走するのを幾度となくミュルダールに抑えてもらって、その度に馬鹿にされてキレそうだった。俺はアンタやジルラッドみたいに天才じゃねえんだって。

「もうこの右腕で絵を描いても、闇の魔力が悪さして、祝福どころか呪いにしかならないだろうって。晴れて、教会の聖人指定も取り下げ。ジルラッドが矢面に立って色々教会との話し合いもしてくれたんだって聞いたよ。大変だったよな、ありがとう」

「いえ、そんな……兄上に会えない時間くらい、兄上のためだけに動いていなければ、気が狂いそうだっただけなんです。そのように言って頂くまでもありません」

「アハハ、気が狂いそうだったって……ジルもそんな冗談言うんだな」

「冗談だと思いますか……? この一カ月、本当に散々でした。騎士団員相手に剣術指南をするときも、力の加減を間違えて何人か半殺しにしたり、ミュルダールとの模擬魔法戦闘でアリーナを吹き飛ばして始末書書かされたり、政務官に「これ以上仕事を回されたら自分たちでは過労死するからもう仕事するな」と執務室を追い出されたり……何もしていない時間が一瞬でもあると、貴方に会いたくて会いたくて、それしか考えられなくなるというのに……」

 そう言って、俺の存在を確かめるように、ジルラッドは手を握る力を強めた。

 随分とフラストレーションがたまっていたことは疑うべくもなさそうだ。

 某しごできドジっ子インテリメイドさんの涙目を思い出しつつ、俺もジルラッドの手を握り返してやった。

「ことあるごとに、オリヴィアさんも困ってる様子だったよ、そう言えば。でも、安心した。ジルに、会いたかったって言ってもらえると、俺ばっかりじゃなかったんだなって」

「兄上も、会いたいって、思ってくださったのですか?」

「わざわざ聞いちゃう? 意地悪さんめ……寂しかったよ、滅茶苦茶」

「もう、寂しいなんて思わせませんから」

「そう? でも、あんまり無理はしないでくれな」

 いつか、ジルラッドは立派な王様になる。この国の平和を背負う、皆のジルラッドになるのだ。だから、俺ばっかりが独占してはいられない。

 ジルラッドのことが大好きだから、皆に知ってもらいたいんだ。

 それで、ジルラッドが沢山活躍するところを、傍で見ていられたら、どんなに幸せなことだろう。

「なあ、ジル。この一カ月、ミュル叔父とも何度か話し合って、決めたことがあるんだ。俺、臣籍降下して、ミュルダール家の養子に入るよ」

「……え?」

「君に守られてばっかりじゃ、胸を張って、ジルの傍にいられないって思った。気が遠くなるくらい難しいことだけれど、俺は、正々堂々君に並び立てる人間になりたい」

「そんなこと……っ!」

「聞いて、ジル。一カ月間、君とどんな関係になりたいのか、自分の心と向き合ったんだ。それでな、誤解しないで聞いてほしいんだけど……兄弟って、なんか違うなって、思っちゃって」

 戸惑いからか、不安定に揺れる瞳と向き合う。

 ジルラッドからしてみれば、きっと今のままでいいって思いが強いのだろう。

 今の関係に、何の疑いも持たず、ただ、ずっとそばにいたい、いてほしいって。

 臆病風に心が引き絞られ、胸が締め付けられるような緊張で、四肢が震える。

 でも、これは、言わなきゃいけないことだ。ジルラッドには、この心を隠したくないから。

「ジルラッドの、俺に対するスタンスが、今から言う言葉によって、変わろうが、変わるまいが、君の心のままにして欲しい。拒絶されても、仕方ないと思う。でもね、ジル、ジルラッド……俺、君のことが」

「待って!!」

「……っ」

「ま、待って、ください、ちょっと、待って……自分が抑えられなくなるから……」

「抑えなくていい! 抑えないで、聞いて、俺、君がs」

 ビキ、そんな音がした。ジルラッドのこめかみから出た、血管の軋む音だ。ぐい、と、手を引っ張られ、俺は目にも止まらぬ速さでジルラッドに抱き寄せられていて。

 気付けば、無理やり言葉を続けようとした、無防備な口を、無理やり塞がれていた。それも、ジルラッドの唇によって、である。

 眩暈がするほどに、熱のこもった口づけだった。急激に頭に血が上り、強張っていた肩の力も、徐々にぐったりと脱力していく。おのずと、空中にいる俺の身体は、ジルラッドによって支えられた。

 暫く、ジルラッドによって腔内をかき乱される。少なくとも、経過時間は秒では済まなかっただろう。

 俺が酸欠になってようやく、ゆっくりと離れていったジルラッドの舌から、俺の舌に、名残惜しそうな唾液が一筋伸びて、いかに濃厚な睦みあいであったか、思い知らされた。

 ぐったりとする俺を横抱きにしたジルラッド。その神秘の紫には、明らかに、情欲が燃え盛っていた。
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