上 下
40 / 62
第三章 思い出すにしても、これは無いだろ!

第四十話

しおりを挟む
「さあ、そうと決まれば、善は急げだ。君が良くても、王太子殿下がね。きっと今頃、どんな修羅も裸足で逃げ出すくらいコワーイ顔で僕らのことを探してる」

「ああ、正直、俺もあの子に合わせる顔がない。見つかる前にさっさとその禊とやらを済ませてくれ」

「ハッ、辛気臭いねぇ、せっかくの門出にさ」

 何が門出だ。少しもめでたくねぇだろ、こんなの。ジルとの約束を破って、自分の安息の為だけに人を殺すことを選んで、幸せな夢に逃避して眠るだけの肉の塊に成り下がることを受け入れたような、このみじめな体たらくで。

 どうして、ただ愛おしい人が笑顔でいるところを見られるような場所で、ゆっくりと、自分に出来ることでそこそこ人の役に立ちながら、素朴に生きたいって願いが叶わないのだろう。

 今世いま前世むかしも、身の丈以上の欲をかいたことはないし、野望なんて最も縁遠いものだった。科学、特に生物と化学が好きだったから、趣味で絵を描くことは続けながら、薬剤師になれたらなって、大学を目指して勉強して。

 問答無用で奪われないといけないような、身の程知らずな願いだっただろうか。生まれ変わってからだって、小説のベルラッドのように、贅を凝らした生活を望んだことなんて一度も無かった。

 ただ、故意によって他人を傷つけなくて済むような人間として、差しさわりなく生きていたいだけだったのに、俺は大好きな弟とすら、堂々と接することも出来なかった。

 本当に、生まれ変わってからの幸せは、ジルラッドが全てだったなぁ。ジルラッドだけが、心の支えだった。俺からは何もあげられなかったし、それどころか、ひどく悲しませて、寂しい思いをさせてしまった。

 俺のせいで、今もあの子は、背負わなくてもいい十字架を背負っている。

 ああ、そうか。だから、駄目なんだ。俺がいたから、ジルは。

 この世界から祝福を受けた存在であるあの子なら、どんなことだって成し遂げられるはずなのに。それで、国民の誰からも愛されるいい王様になって、頼りになる綺麗な王妃さまが隣で支えてくれて、子宝にも恵まれて……そんな、あの子が享受すべき幸福を、結局俺が一番邪魔しているじゃないか。

 やっぱり、俺なんかが、あの子と関わっちゃいけなかったんだ。俺がベルラッドとして生まれ変わった時点で、どうしたって、あの子の人生の邪魔をする障害にしかなれないって決まってたんだろう。

 ごめんな、ジル。ジルラッド、俺の大事な弟。本当の兄弟じゃないって聞かされた今でも、君のことを大事な弟として想うことだけは許してほしい。約束一つ守れないような情けない奴のことなんか忘れて、楽しく生きてくれな。

「ねえ、聖者サマ。君が君のものでなくなる前に、最後に一つ、好きな絵を遺していく気はないかい?」

 ミュルダールは、ニヤリと笑いながら指を鳴らした。すると、どこからともなく、キャンバスやパレットなど、絵画一式が目の前に現れる。一体どういう風の吹きまわしだろうか。

「何、少しばかり、君に、同志としての憐憫を感じただけさ。それに、君のその想いを絵画として紡げば、それはトビキリの祝福になる。もし、彼に対して、約束を反故にすることを申し訳なく思うなら、最後に、彼の力になることをして、少しでも悔いを軽くしてから眠りにつけばいいんじゃないかと思ってね」

「俺は、あの子の幸せが、アンタの言う理想の王になることとは必ずしも思っていないが」

「気にしない、気にしない。君がそう願わなくとも、僕が彼を理想の王にするのだから。君はただ、筆の赴くまま、彼の幸せな人生を祝福してくれればいい」

 そう、か。あの子の邪魔にしかならなかった俺でも、最後に、あの子の役に立つことが出来るのか。それは、いいかもな。

 俺の未練を、全て。このキャンバスに、置いていこう。ジルが、俺のことなんか忘れて、自分の幸せのためだけに生きれるように。

 筆を取る指が、微かに震えた。ふたつ、深呼吸。できるだけ、心を透明にする。5年の昏睡から目覚めて、何もかも忘れていた俺に、溢れんばかりのやさしさと愛をくれた、あの子のことを思う。何もかもを知って、何も知らない俺を、ありのままに肯定してくれたことを。

 それからしばらく、俺は一心不乱に筆を走らせた。今までで一番に、無我夢中だったように思う。瞬きを忘れ、乾くあまり溢れ出る涙すらなおざりに、時折その涙すら使って、色彩を広げていく。ああ、大きくなったんだよなあ。分かってたことだけど、世界一かっこいい男に成長しちまってさ。

 幸せになってくれよ。頼むから、俺のことも、あの母親ひとのことも、何も気にしないで、まっとうな幸せを掴んでくれ。

 俺に幸せをありがとう、ジルラッド。

 愛してるよ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【本編完結】まさか、クズ恋人に捨てられた不憫主人公(後からヒーローに溺愛される)の小説に出てくる当て馬悪役王妃になってました。

花かつお
BL
気づけば男しかいない国の高位貴族に転生した僕は、成長すると、その国の王妃となり、この世界では人間の体に魔力が存在しており、その魔力により男でも子供が授かるのだが、僕と夫となる王とは物凄く魔力相性が良くなく中々、子供が出来ない。それでも諦めず努力したら、ついに妊娠したその時に何と!?まさか前世で読んだBl小説『シークレット・ガーデン~カッコウの庭~』の恋人に捨てられた儚げ不憫受け主人公を助けるヒーローが自分の夫であると気づいた。そして主人公の元クズ恋人の前で主人公が自分の子供を身ごもったと宣言してる所に遭遇。あの小説の通りなら、自分は当て馬悪役王妃として断罪されてしまう話だったと思い出した僕は、小説の話から逃げる為に地方貴族に下賜される事を望み王宮から脱出をするのだった。

拾われた後は

なか
BL
気づいたら森の中にいました。 そして拾われました。 僕と狼の人のこと。 ※完結しました その後の番外編をアップ中です

帝国皇子のお婿さんになりました

クリム
BL
 帝国の皇太子エリファス・ロータスとの婚姻を神殿で誓った瞬間、ハルシオン・アスターは自分の前世を思い出す。普通の日本人主婦だったことを。  そして『白い結婚』だったはずの婚姻後、皇太子の寝室に呼ばれることになり、ハルシオンはひた隠しにして来た事実に直面する。王族の姫が19歳まで独身を貫いたこと、その真実が暴かれると、出自の小王国は滅ぼされかねない。 「それなら皇太子殿下に一服盛りますかね、主様」 「そうだね、クーちゃん。ついでに血袋で寝台を汚してなんちゃって既成事実を」 「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」 「うん、クーちゃん」 「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」  これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

謎の死を遂げる予定の我儘悪役令息ですが、義兄が離してくれません

柴傘
BL
ミーシャ・ルリアン、4歳。 父が連れてきた僕の義兄になる人を見た瞬間、突然前世の記憶を思い出した。 あれ、僕ってばBL小説の悪役令息じゃない? 前世での愛読書だったBL小説の悪役令息であるミーシャは、義兄である主人公を出会った頃から蛇蝎のように嫌いイジメを繰り返し最終的には謎の死を遂げる。 そんなの絶対に嫌だ!そう思ったけれど、なぜか僕は理性が非常によわよわで直ぐにキレてしまう困った体質だった。 「おまえもクビ!おまえもだ!あしたから顔をみせるなー!」 今日も今日とて理不尽な理由で使用人を解雇しまくり。けれどそんな僕を見ても、主人公はずっとニコニコしている。 「おはようミーシャ、今日も元気だね」 あまつさえ僕を抱き上げ頬擦りして、可愛い可愛いと連呼する。あれれ?お兄様、全然キャラ違くない? 義弟が色々な意味で可愛くて仕方ない溺愛執着攻め×怒りの沸点ド底辺理性よわよわショタ受け 9/2以降不定期更新

愛孫と婚約破棄して性奴隷にするだと?!

克全
BL
婚約者だった王女に愛孫がオメガ性奴隷とされると言われた公爵が、王国をぶっ壊して愛孫を救う物語

聖女の兄で、すみません!

たっぷりチョコ
BL
聖女として呼ばれた妹の代わりに異世界に召喚されてしまった、古河大矢(こがだいや)。 三ヶ月経たないと元の場所に還れないと言われ、素直に待つことに。 そんな暇してる大矢に興味を持った次期国王となる第一王子が話しかけてきて・・・。 BL。ラブコメ異世界ファンタジー。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?

み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました! 志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

処理中です...