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第三章 思い出すにしても、これは無いだろ!
第四十話
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「さあ、そうと決まれば、善は急げだ。君が良くても、王太子殿下がね。きっと今頃、どんな修羅も裸足で逃げ出すくらいコワーイ顔で僕らのことを探してる」
「ああ、正直、俺もあの子に合わせる顔がない。見つかる前にさっさとその禊とやらを済ませてくれ」
「ハッ、辛気臭いねぇ、せっかくの門出にさ」
何が門出だ。少しもめでたくねぇだろ、こんなの。ジルとの約束を破って、自分の安息の為だけに人を殺すことを選んで、幸せな夢に逃避して眠るだけの肉の塊に成り下がることを受け入れたような、このみじめな体たらくで。
どうして、ただ愛おしい人が笑顔でいるところを見られるような場所で、ゆっくりと、自分に出来ることでそこそこ人の役に立ちながら、素朴に生きたいって願いが叶わないのだろう。
今世も前世も、身の丈以上の欲をかいたことはないし、野望なんて最も縁遠いものだった。科学、特に生物と化学が好きだったから、趣味で絵を描くことは続けながら、薬剤師になれたらなって、大学を目指して勉強して。
問答無用で奪われないといけないような、身の程知らずな願いだっただろうか。生まれ変わってからだって、小説のベルラッドのように、贅を凝らした生活を望んだことなんて一度も無かった。
ただ、故意によって他人を傷つけなくて済むような人間として、差しさわりなく生きていたいだけだったのに、俺は大好きな弟とすら、堂々と接することも出来なかった。
本当に、生まれ変わってからの幸せは、ジルラッドが全てだったなぁ。ジルラッドだけが、心の支えだった。俺からは何もあげられなかったし、それどころか、ひどく悲しませて、寂しい思いをさせてしまった。
俺のせいで、今もあの子は、背負わなくてもいい十字架を背負っている。
ああ、そうか。だから、駄目なんだ。俺がいたから、ジルは。
この世界から祝福を受けた存在であるあの子なら、どんなことだって成し遂げられるはずなのに。それで、国民の誰からも愛されるいい王様になって、頼りになる綺麗な王妃さまが隣で支えてくれて、子宝にも恵まれて……そんな、あの子が享受すべき幸福を、結局俺が一番邪魔しているじゃないか。
やっぱり、俺なんかが、あの子と関わっちゃいけなかったんだ。俺がベルラッドとして生まれ変わった時点で、どうしたって、あの子の人生の邪魔をする障害にしかなれないって決まってたんだろう。
ごめんな、ジル。ジルラッド、俺の大事な弟。本当の兄弟じゃないって聞かされた今でも、君のことを大事な弟として想うことだけは許してほしい。約束一つ守れないような情けない奴のことなんか忘れて、楽しく生きてくれな。
「ねえ、聖者サマ。君が君のものでなくなる前に、最後に一つ、好きな絵を遺していく気はないかい?」
ミュルダールは、ニヤリと笑いながら指を鳴らした。すると、どこからともなく、キャンバスやパレットなど、絵画一式が目の前に現れる。一体どういう風の吹きまわしだろうか。
「何、少しばかり、君に、同志としての憐憫を感じただけさ。それに、君のその想いを絵画として紡げば、それはトビキリの祝福になる。もし、彼に対して、約束を反故にすることを申し訳なく思うなら、最後に、彼の力になることをして、少しでも悔いを軽くしてから眠りにつけばいいんじゃないかと思ってね」
「俺は、あの子の幸せが、アンタの言う理想の王になることとは必ずしも思っていないが」
「気にしない、気にしない。君がそう願わなくとも、僕が彼を理想の王にするのだから。君はただ、筆の赴くまま、彼の幸せな人生を祝福してくれればいい」
そう、か。あの子の邪魔にしかならなかった俺でも、最後に、あの子の役に立つことが出来るのか。それは、いいかもな。
俺の未練を、全て。このキャンバスに、置いていこう。ジルが、俺のことなんか忘れて、自分の幸せのためだけに生きれるように。
筆を取る指が、微かに震えた。ふたつ、深呼吸。できるだけ、心を透明にする。5年の昏睡から目覚めて、何もかも忘れていた俺に、溢れんばかりのやさしさと愛をくれた、あの子のことを思う。何もかもを知って、何も知らない俺を、ありのままに肯定してくれたことを。
それからしばらく、俺は一心不乱に筆を走らせた。今までで一番に、無我夢中だったように思う。瞬きを忘れ、乾くあまり溢れ出る涙すらなおざりに、時折その涙すら使って、色彩を広げていく。ああ、大きくなったんだよなあ。分かってたことだけど、世界一かっこいい男に成長しちまってさ。
幸せになってくれよ。頼むから、俺のことも、あの母親のことも、何も気にしないで、まっとうな幸せを掴んでくれ。
俺に幸せをありがとう、ジルラッド。
愛してるよ。
「ああ、正直、俺もあの子に合わせる顔がない。見つかる前にさっさとその禊とやらを済ませてくれ」
「ハッ、辛気臭いねぇ、せっかくの門出にさ」
何が門出だ。少しもめでたくねぇだろ、こんなの。ジルとの約束を破って、自分の安息の為だけに人を殺すことを選んで、幸せな夢に逃避して眠るだけの肉の塊に成り下がることを受け入れたような、このみじめな体たらくで。
どうして、ただ愛おしい人が笑顔でいるところを見られるような場所で、ゆっくりと、自分に出来ることでそこそこ人の役に立ちながら、素朴に生きたいって願いが叶わないのだろう。
今世も前世も、身の丈以上の欲をかいたことはないし、野望なんて最も縁遠いものだった。科学、特に生物と化学が好きだったから、趣味で絵を描くことは続けながら、薬剤師になれたらなって、大学を目指して勉強して。
問答無用で奪われないといけないような、身の程知らずな願いだっただろうか。生まれ変わってからだって、小説のベルラッドのように、贅を凝らした生活を望んだことなんて一度も無かった。
ただ、故意によって他人を傷つけなくて済むような人間として、差しさわりなく生きていたいだけだったのに、俺は大好きな弟とすら、堂々と接することも出来なかった。
本当に、生まれ変わってからの幸せは、ジルラッドが全てだったなぁ。ジルラッドだけが、心の支えだった。俺からは何もあげられなかったし、それどころか、ひどく悲しませて、寂しい思いをさせてしまった。
俺のせいで、今もあの子は、背負わなくてもいい十字架を背負っている。
ああ、そうか。だから、駄目なんだ。俺がいたから、ジルは。
この世界から祝福を受けた存在であるあの子なら、どんなことだって成し遂げられるはずなのに。それで、国民の誰からも愛されるいい王様になって、頼りになる綺麗な王妃さまが隣で支えてくれて、子宝にも恵まれて……そんな、あの子が享受すべき幸福を、結局俺が一番邪魔しているじゃないか。
やっぱり、俺なんかが、あの子と関わっちゃいけなかったんだ。俺がベルラッドとして生まれ変わった時点で、どうしたって、あの子の人生の邪魔をする障害にしかなれないって決まってたんだろう。
ごめんな、ジル。ジルラッド、俺の大事な弟。本当の兄弟じゃないって聞かされた今でも、君のことを大事な弟として想うことだけは許してほしい。約束一つ守れないような情けない奴のことなんか忘れて、楽しく生きてくれな。
「ねえ、聖者サマ。君が君のものでなくなる前に、最後に一つ、好きな絵を遺していく気はないかい?」
ミュルダールは、ニヤリと笑いながら指を鳴らした。すると、どこからともなく、キャンバスやパレットなど、絵画一式が目の前に現れる。一体どういう風の吹きまわしだろうか。
「何、少しばかり、君に、同志としての憐憫を感じただけさ。それに、君のその想いを絵画として紡げば、それはトビキリの祝福になる。もし、彼に対して、約束を反故にすることを申し訳なく思うなら、最後に、彼の力になることをして、少しでも悔いを軽くしてから眠りにつけばいいんじゃないかと思ってね」
「俺は、あの子の幸せが、アンタの言う理想の王になることとは必ずしも思っていないが」
「気にしない、気にしない。君がそう願わなくとも、僕が彼を理想の王にするのだから。君はただ、筆の赴くまま、彼の幸せな人生を祝福してくれればいい」
そう、か。あの子の邪魔にしかならなかった俺でも、最後に、あの子の役に立つことが出来るのか。それは、いいかもな。
俺の未練を、全て。このキャンバスに、置いていこう。ジルが、俺のことなんか忘れて、自分の幸せのためだけに生きれるように。
筆を取る指が、微かに震えた。ふたつ、深呼吸。できるだけ、心を透明にする。5年の昏睡から目覚めて、何もかも忘れていた俺に、溢れんばかりのやさしさと愛をくれた、あの子のことを思う。何もかもを知って、何も知らない俺を、ありのままに肯定してくれたことを。
それからしばらく、俺は一心不乱に筆を走らせた。今までで一番に、無我夢中だったように思う。瞬きを忘れ、乾くあまり溢れ出る涙すらなおざりに、時折その涙すら使って、色彩を広げていく。ああ、大きくなったんだよなあ。分かってたことだけど、世界一かっこいい男に成長しちまってさ。
幸せになってくれよ。頼むから、俺のことも、あの母親のことも、何も気にしないで、まっとうな幸せを掴んでくれ。
俺に幸せをありがとう、ジルラッド。
愛してるよ。
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