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第二章 転生するにしても、これは無いだろ!
第三十三話
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ヒク、と喉が引き攣る。いやだ、いやだいやだいやだ噓だ、違う、嫌だ、信じたくない……!
「俺が、やった、のか……?」
「その……昨晩、僕の部屋までいらして……でも、いつもとご様子が違い、顔に表情を浮かべていらっしゃらなくて……僕が何を言っても応えてくださらず……急に、僕の腕を掴んで、風刃で……」
襲いくる強烈な吐き気。ヨタヨタと頼りない足元で後ずさり、蹲って、ゲボゲボと胃の中のものをひっくり返す。
固形物は殆ど無く、饐えた匂いのする胃液が草を汚すだけだった。
「兄上……!」
「近づくな!!」
「……ッ」
「違う、頼む、ごめん、ごめん、本当に、俺、俺は、あ、あぁ……っ 違う、俺がやったんだ、俺が、ジルを……ッ」
俺が悪夢だと思っていたのは現実だった。俺は自分でも気づかないうちにこの子を傷つけていたのだ。すでに、俺が恐れていた何もかもが、悪夢から現実になっている。
苦しい、こんなに息をしているのに、息が出来ない。苦しい、俺は、なんてことを。
「兄上……っ」
頼む、君を傷つけてなお平気な顔で君の絵を描いていた俺なんかに近づかないでくれ。
分かっていたのに、いつかこうなるかもしれないと、分かっていたのに。
でも、俺の口はゼエゼエと呼吸を繰り返すばかりで何の言葉も出てこなかった。俺に泣く権利なんて無いのに、ボロボロと零れてくる涙が地面についた手を濡らす。
ジルラッドが俺の正面に跪き、俺の上下する肩を掴んだ。ああ、そう。いつもそうだ。この子は、俺が離れてほしい時に限って、絶対に離れていってくれない。
きっと今の俺の顔はぐちゃぐちゃだ。こんなダサい顔見られたくないのに、ジルラッドは俺の上体を起き上がらせ、真っ直ぐに俺と目を合わせた。
涙で視界が霞んで、ジルラッドがどんな顔をしているか分からなくて、少し安心した。
もし、あの悪夢に出てくるジルラッドのように、憎悪を浮かべていたら。俺はきっと、死に至る病から、後戻りできないところまで狂いきってしまうだろう。
手足の指先がビリビリと痺れてくる。胸も喉も張り裂けそうなくらい痛い。地面がゆっくり揺れているみたいで、気持ち悪い。
それなのになんだか夢見心地で、自分の激しい呼吸音と、ジルラッドが肩を掴む感覚だけが、今を現実だと教えてくれる。
「し、失礼、いたします、兄上っ」
何が、と思う暇もなく。
おかしなことが起きた。なんだかやけにジルラッドと俺の距離が近い。やや高めの体温が胸元を撫でる。それに、閉じられた瞼を彩る長くてバサバサの睫毛がほんの目の前にあって。
俺はわけがわからなくて、パチパチと何度か瞬きを繰り返した。次第に視界にかかった涙の靄が晴れていく。
唇に、やわらかい感触が、ぐい、と押し付けられる。口を塞がれたので、したくても呼吸が出来なくなって。
あ? え?? 何、これ。
頭にはクエスチョンマークがいっぱいに浮かぶ。俺は状況が何もわかっていないのに、何故か胸の痛みや眩暈が段々と勝手に収まってきて、余計理解が出来ない。
でも、ジルラッドの手が俺の背中を優しくさすったり、軽くたたいてくれる感覚は、蕩けるほど心地良いことだけ分かった。あんなにひどかった手の震えも収まってしまうのだから。
ずっとこのままでいたい、と思うと同時に、意識がはっきりしてきて、今の状況が一挙に俺の脳に飛び込んでくる。
ん? これ、キスされてね?
誰に?
ジルラッド????
まるでシャボン玉が弾けたみたいだった。俺は反射的に暴れ出して、ジルラッドの両腕の中から抜け出そうと試みた。
いや力つっよ!!!?!? モヤシの俺じゃびくともしねぇんだけどこの腕!! 別にムキムキって感じじゃないのにどうなってんのこれ!!?!?
俺はムグムグ言いながら「ギブ!! ギブ!!!!」って心の叫びを込めてジルラッドの背中を叩いた。
ジルラッドはパチリと目を開けて、俺の目をじっと見つめてくる。俺より2歳年下のはずなのに、やけに大人っぽく、トロリと目を細めて。
急激に自分の鼓動が跳ね上がるのを克明に感じた。何と言うか、ものすごく後ろめたい、というか。ものすごく清らかで美しいものを汚してしまった罪悪感と言えばいいだろうか。
ああ、やっぱ俺ダメだな。今度こそ、金輪際、この子には近づかない。
そもそもどう頑張ってもあの母親の呪縛から抜け出せない悪役まっしぐら人生なわけだし。迷惑しか掛けないし。
俺はこの子に救ってもらうばかりで、与えるものと言えば専ら害ばかりだ。
今回だって、ジルラッドは、俺を落ち着かせるために、未来ある自分の口唇の潔白を捨てたのだ。
本来は、花も恥じらうような美少女ヒロインのために取っておくべきものだったのに、こんなどうしようもない悪役のために使ってしまった。
この子は優しすぎる。
俺は、もう大丈夫と言う意思表示を込めて、もう一度、ジルラッドの背中を軽く叩いた。すると、ジルラッドはゆっくり両腕の力を緩めてくれる。俺はその隙にサッとジルラッドから距離を取った。
「俺が、やった、のか……?」
「その……昨晩、僕の部屋までいらして……でも、いつもとご様子が違い、顔に表情を浮かべていらっしゃらなくて……僕が何を言っても応えてくださらず……急に、僕の腕を掴んで、風刃で……」
襲いくる強烈な吐き気。ヨタヨタと頼りない足元で後ずさり、蹲って、ゲボゲボと胃の中のものをひっくり返す。
固形物は殆ど無く、饐えた匂いのする胃液が草を汚すだけだった。
「兄上……!」
「近づくな!!」
「……ッ」
「違う、頼む、ごめん、ごめん、本当に、俺、俺は、あ、あぁ……っ 違う、俺がやったんだ、俺が、ジルを……ッ」
俺が悪夢だと思っていたのは現実だった。俺は自分でも気づかないうちにこの子を傷つけていたのだ。すでに、俺が恐れていた何もかもが、悪夢から現実になっている。
苦しい、こんなに息をしているのに、息が出来ない。苦しい、俺は、なんてことを。
「兄上……っ」
頼む、君を傷つけてなお平気な顔で君の絵を描いていた俺なんかに近づかないでくれ。
分かっていたのに、いつかこうなるかもしれないと、分かっていたのに。
でも、俺の口はゼエゼエと呼吸を繰り返すばかりで何の言葉も出てこなかった。俺に泣く権利なんて無いのに、ボロボロと零れてくる涙が地面についた手を濡らす。
ジルラッドが俺の正面に跪き、俺の上下する肩を掴んだ。ああ、そう。いつもそうだ。この子は、俺が離れてほしい時に限って、絶対に離れていってくれない。
きっと今の俺の顔はぐちゃぐちゃだ。こんなダサい顔見られたくないのに、ジルラッドは俺の上体を起き上がらせ、真っ直ぐに俺と目を合わせた。
涙で視界が霞んで、ジルラッドがどんな顔をしているか分からなくて、少し安心した。
もし、あの悪夢に出てくるジルラッドのように、憎悪を浮かべていたら。俺はきっと、死に至る病から、後戻りできないところまで狂いきってしまうだろう。
手足の指先がビリビリと痺れてくる。胸も喉も張り裂けそうなくらい痛い。地面がゆっくり揺れているみたいで、気持ち悪い。
それなのになんだか夢見心地で、自分の激しい呼吸音と、ジルラッドが肩を掴む感覚だけが、今を現実だと教えてくれる。
「し、失礼、いたします、兄上っ」
何が、と思う暇もなく。
おかしなことが起きた。なんだかやけにジルラッドと俺の距離が近い。やや高めの体温が胸元を撫でる。それに、閉じられた瞼を彩る長くてバサバサの睫毛がほんの目の前にあって。
俺はわけがわからなくて、パチパチと何度か瞬きを繰り返した。次第に視界にかかった涙の靄が晴れていく。
唇に、やわらかい感触が、ぐい、と押し付けられる。口を塞がれたので、したくても呼吸が出来なくなって。
あ? え?? 何、これ。
頭にはクエスチョンマークがいっぱいに浮かぶ。俺は状況が何もわかっていないのに、何故か胸の痛みや眩暈が段々と勝手に収まってきて、余計理解が出来ない。
でも、ジルラッドの手が俺の背中を優しくさすったり、軽くたたいてくれる感覚は、蕩けるほど心地良いことだけ分かった。あんなにひどかった手の震えも収まってしまうのだから。
ずっとこのままでいたい、と思うと同時に、意識がはっきりしてきて、今の状況が一挙に俺の脳に飛び込んでくる。
ん? これ、キスされてね?
誰に?
ジルラッド????
まるでシャボン玉が弾けたみたいだった。俺は反射的に暴れ出して、ジルラッドの両腕の中から抜け出そうと試みた。
いや力つっよ!!!?!? モヤシの俺じゃびくともしねぇんだけどこの腕!! 別にムキムキって感じじゃないのにどうなってんのこれ!!?!?
俺はムグムグ言いながら「ギブ!! ギブ!!!!」って心の叫びを込めてジルラッドの背中を叩いた。
ジルラッドはパチリと目を開けて、俺の目をじっと見つめてくる。俺より2歳年下のはずなのに、やけに大人っぽく、トロリと目を細めて。
急激に自分の鼓動が跳ね上がるのを克明に感じた。何と言うか、ものすごく後ろめたい、というか。ものすごく清らかで美しいものを汚してしまった罪悪感と言えばいいだろうか。
ああ、やっぱ俺ダメだな。今度こそ、金輪際、この子には近づかない。
そもそもどう頑張ってもあの母親の呪縛から抜け出せない悪役まっしぐら人生なわけだし。迷惑しか掛けないし。
俺はこの子に救ってもらうばかりで、与えるものと言えば専ら害ばかりだ。
今回だって、ジルラッドは、俺を落ち着かせるために、未来ある自分の口唇の潔白を捨てたのだ。
本来は、花も恥じらうような美少女ヒロインのために取っておくべきものだったのに、こんなどうしようもない悪役のために使ってしまった。
この子は優しすぎる。
俺は、もう大丈夫と言う意思表示を込めて、もう一度、ジルラッドの背中を軽く叩いた。すると、ジルラッドはゆっくり両腕の力を緩めてくれる。俺はその隙にサッとジルラッドから距離を取った。
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