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第一章 死ぬにしたって、これは無いだろ!

第二十話

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 ミュルダールは、空間の真ん中にぽつりと置かれた無機質なデスクに行儀悪く腰掛け、デスクの上にあった一冊を、俺に見えるように揺らしながら掲げる。

 俺がこんな痣を付けられるきっかけになったらしい、あの日記帳だ。

 俺に詳しい魔術の知識なんて無いから、ジルラッド氏の言っていることは理解できなかったけれど。

 この日記帳を手に取ってしまったおかげで、俺は今こんな場所に拉致監禁されているらしい。

「この日記帳にたどり着いた君の野生の勘はあながち間違いではないよ。ただの日記帳に見えるが、これは、『リラの箱庭』という名の魔道具だ。自死を図る前、聖ベルラッドはこの魔道具を、学園に在籍していた2年にかけて作成し、完成したものを弟君に託して、学園の寮舎の最上階から身を投げた」

「リラの、箱庭……」

 そう言えば、小説にそんな魔道具の存在があったような……? 

 辺境でたまたま見つけたリラの箱庭のおかげで、碌に魔術の指南を受けていなかった小説のジルラッド氏でも、魔術の腕を磨くことが出来たんじゃなかったっけ。

「そう、有体に言えば、記憶を頭の中から移植し、保存するための魔道具だね。一度書き込んだ記憶は頭の中から消えるが、表紙を開けば、任意の記憶を追体験することが出来る。死期を悟った魔術師が、後世に自身の紡いだ研究を残すために作られたんだ。魔術師御用達の遺書みたいなものだよね」

「遺書、か……」

「うん。ただ、おとなしく自身の死期を悟り、受け入れて、そんなエンディングノートを遺す余裕のある魔術師は少ない。開発されたはいいものの、多くには知られないまま、古い文献にしか明記のないマイナー魔道具の仲間入りを果たしたんだな。しかし、マイナーだからこそ、この魔道具の落とし穴に誰も気づけなかった。聖者が自身の記憶の喪失を惜しむあまり、これに縋るまではね」

「落とし穴って……」

「任意の記憶に対し、術者の思い入れが強ければ強いほど、移植は至難を極める。記憶とは、脳内だけに保存されるものではない。肉体、細胞、遺伝子、そして……魂。特に、術者の根幹にかかわる記憶は、魂の記憶容量にすらも及ぶらしい。だから、それを引きはがすとなると、記憶に魂の欠片が付随してしまう。その欠片の行方は言わずもがなだね」

 つまり、その日記帳には、ベルラッドの記憶だけじゃなく、ベルラッドの魂の一部が収められているってことなのか……?

「一部どころじゃないね。僕はこれを開いたことは無いが、彼……ジルラッド王太子殿下の話によれば、幼いころの記憶は殆ど収められていたらしい。記憶とは、思い出とは、得てして人格形成に大きく関わるものだからね。ここに、聖者の人格を大いに占める魂の容量が収まっていると考えて差支えないだろう」

 ああ、なるほど。魂が大幅に欠けてしまった肉体に、どういう因果か俺の魂が繋ぎとして入っちまったってわけか。

「その魂をこの身体に戻す方法はあるか?」

「迷いが無い子はいいねぇ、重畳、重畳。まあ、君がすべきことは、この表紙を開くことだけだよ。あとのことは僕が請け負うから、気にしなくていいさ」

 ミュルダールは、にっこりとそう言って、日記帳を投げてよこした。

 まあ、あのジルラッド氏に魔術の指南をしていたくらいなんだから、その腕前は疑うべくもないだろう。

「冥途の土産に教えてくれ、アンタの目的」

「……彼を、ジルラッド王太子殿下を、理想の王にしたいだけだよ」

「彼に仇成すようなことに俺を利用するつもりなら祟るからな」

「他でもない、僕の愛弟子だ。彼の憂いを払うためなら何でもするさ。たとえ、恨まれてもね」

 最悪の邂逅から、初めて拝む、ミュルダールの真剣な眼差しだった。

 何もかも信用ならない男だが、その言葉だけは信用してもいいと思える、説得力があった。

 ああ、ベルラッドがこの身体に戻ってきて、俺はどうなるのかな。

 普通に考えて、ひとつの身体に魂はひとつ。俺は、消えてなくなるのだろう。

 まあ、仕方ない。元は死人なんだ。あるべき形に戻る、ただ、それだけ。

 短い付き合いだったけど、ジルラッド氏にも、オリヴィアさんにもお世話になったなぁ。

 挨拶もお礼も謝罪も出来ないままお暇するのは申し訳ないけど、彼らは『俺』のことなんて知らないワケだし、発つ鳥跡を濁さずってことでいいか。

 ひとつ、おおきく深呼吸。

 どうか、優しいあの子が、これ以上苦しむことのありませんように。

 鮮烈に脳裏に浮かぶ、優しい笑顔を思い出しながら、俺は日記帳の表紙をめくった。
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