上 下
17 / 62
第一章 死ぬにしたって、これは無いだろ!

第十七話

しおりを挟む
 その後も俺とジルラッド氏は、ぽつぽつと話をしながら、ベルラッドの絵をひとつひとつ、じっくり見て回った。

 ベルラッドは、ジルラッド氏の3年間の成長を描き上げていて、まるでタイムラプスのような壮観だった。

「7歳のころの君と、10歳手前のころの君を見比べると、やっぱり随分違うもんだな」

「……何というか、そのように言われると、少し恥ずかしいですね。今までは、これらを兄上の描いてくださった絵、といったようにしか見ていなかったのですが」

「ああ、なんかその気持ち分かるかも」

 学生のころ、自分ちに友達を招いて遊んだ時、飲み物を用意している隙に、リビングに置いてあった、小さいころの写真が入った写真立てを、まじまじと見られてたみたいなやつね。あれめっちゃ恥ずいよな……!

「10歳以降の絵がないのは、やっぱり絵のモデルにされるのが恥ずかしくなったからとか?」

「……いえ。そのころに、兄上が王立学園に入学なさったんです。全寮制の教育機関ですし、顔を合わせることもなくなったので」

「え、その学校、長期休みとか無かったのか? 流石に年に一度くらいは生徒を実家に帰らせるもんじゃないのか?」

 こんだけ弟のこと絵に描くのが好きなら、しばらく会えない期間を乗り越えて久々に顔を合わせたら、また弟の絵を描きたくなるもんじゃないか? 

 話を聞くところによると、学園に入学したのは12歳。

 ほんで、昏睡状態に陥ったのは3回生になったばかりのころ……つまり、14歳か15歳になったばかりってところ。

 学園に入学してから、5年間昏睡するまでの2年間、ただの一度だって顔を合わさなかったのか? 

「それ、は……」

 ジルラッド氏は、それ以上二の句を継ぐことなく、沈痛な面持ちで俯き、いたく力を込めて左腕を右手で握っていた。

 喉が痛くなるほどに重い悲しみと、煮えたぎるような怒りが火花のように爆ぜる。

 殺気めいたその激しい情動に、俺は息を呑んで押し黙ることしかできない。

「兄上は、たった一人で、あんな、あんな……! 絶対に許さない……あの女だけは、必ず見つけ出して、僕の手で……!」

「あの、女……?」

 ジルラッド氏の剣幕につられ、俺はつい、その言葉をなぞって口に出してしまった。

 ジルラッド氏は俺の声にハッと息を呑み、縋るような顔で俺の顔を見つめる。

 しばらくそんな無言の時間が流れたのち、ジルラッド氏は、震える息を大きく吸いながら、天上を仰いで目を閉じ、息の混じった声で「申し訳ありません」と一言。鼻声だった。

「つい、取り乱してしまいました。無理は承知ですが、忘れてくださると助かります」

「うーん……無理かな……」

「ですよね……」

 少なくとも、俺の中では、ベルラッドが学園に入学するころ、ジルラッド氏に会わなくなって、同様に絵を描かなくなったきっかけとなる重大な出来事があったことは確実になった。

 ジルラッド氏と会えない理由が、何がしか出来た……昏睡する前からベルラッドが悩まされていたという、記憶を徐々に失っていく病気?の原因にかかわりがあるのだろうか。

 もしかして、その原因が、ジルラッド氏の言う、「あの女」ってことなのか?

「兄上が、これ以上、何かを背負う必要はないんです。貴方が、何のしがらみも無く、心の赴くまま、生きたいように生きる事の出来るように……もう少しだけ、待っていてください」

 俺は、素直に頷くことなんて出来ず、ジルラッド氏を見つめた。

 本当に? 本当に、それでいいんだろうか。

 きっと、何も知らない方が幸せなんだろう。

 だからこそ、ジルラッド氏は、俺が何か知ろうとすることを良く思っていない。

 ああ、それでも、これは————。

 俺は、何を言うかなんて考えつきもしないまま、ただ、何かを言わなければ、という一心で、スウと息を吸った。

 そして、気付いた。

 どこからか、甘い香りが、微かに漂っていることに。

 爽やかで、つかみどころのない、優しげな香り……何かの花の香りだろうか。

 どこかで嗅いだことがあっただろうか、何故か、とてもなじみのあるような、不思議な感覚だ。

「なあ、この部屋、何か花でも飾ってある?」

「……? いえ、そのようなものは、何も」

「じゃあ、この香りはどこから……」

 大きな衝動が身体を突き動かすようだった。

 戸惑って首をかしげているジルラッド氏に一言断り、歩き出す。

 何かを、見つけ出さなければならない。

 何を探しているかもわからないまま、俺はただ一方、この部屋と他の空間をつないでいるのであろう、ドアの方へ。

 どうしてか、この香りが気になって仕方がないのだ。

 自分の、何かが欠けていることを、しきりに訴えかけてくるような、そんな気がしてならないから。

「この扉の先、何があるの」

「僕の、寝室です」

「ごめん、入らせて」

 魔術で施錠してあったそれを、俺は殆ど無意識に魔術を使って解錠する。

 そのさきにあったのは、あまり生活感の感じられない広い部屋。

 俺が住まわせてもらっている部屋と似たような調度品が置いてあるものの、総じて清掃されるばかりであまり使われていなさそうな感じがする。

「兄上、待ってください。そちらの部屋にも花などは……」

 ジルラッド氏のためらいがちな声が響く。

 待って欲しいと言いながら、本気で止める気はあまり無いらしく、ズカズカと中に押し入る俺の後をゆっくりついてくるだけ。

 俺は、一度、鼻で大きく息を吸った。そして、口で息を吐きながら目を閉じた。

 その存在を感じ取るため、神経を研ぎ澄ます。確証は無い、しかして、これは確信だ。

 ここに、俺が探していた何かがある。

 目を閉じているのに、何もかもが見えているようだった。

 足が勝手に歩みを進める。「それ」に近づくうち、鼓動が大きく波打つのを感じた。

 伸ばした指先に何かが触れて、俺は静かに目を見開いた。

 この部屋に唯一飾られていた、何も入っていない額縁。

 それが、俺が触れたそばから、少しずつ罅が入って、微かに発光しながら自壊していっていた。

 俺の背後には、何より雄弁な沈黙がじっとこちらを見つめている。

 果たして、額縁がきらきらとした砂となり、無に帰したあとに現れたのは、一冊の本だった。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

魔王様の瘴気を払った俺、何だかんだ愛されてます。

柴傘
BL
ごく普通の高校生東雲 叶太(しののめ かなた)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。 そこで初めて出会った大型の狼の獣に助けられ、その獣の瘴気を無意識に払ってしまう。 すると突然獣は大柄な男性へと姿を変え、この世界の魔王オリオンだと名乗る。そしてそのまま、叶太は魔王城へと連れて行かれてしまった。 「カナタ、君を私の伴侶として迎えたい」 そう真摯に告白する魔王の姿に、不覚にもときめいてしまい…。 魔王×高校生、ド天然攻め×絆され受け。 甘々ハピエン。

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

処理中です...