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第一章 死ぬにしたって、これは無いだろ!
第十七話
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その後も俺とジルラッド氏は、ぽつぽつと話をしながら、ベルラッドの絵をひとつひとつ、じっくり見て回った。
ベルラッドは、ジルラッド氏の3年間の成長を描き上げていて、まるでタイムラプスのような壮観だった。
「7歳のころの君と、10歳手前のころの君を見比べると、やっぱり随分違うもんだな」
「……何というか、そのように言われると、少し恥ずかしいですね。今までは、これらを兄上の描いてくださった絵、といったようにしか見ていなかったのですが」
「ああ、なんかその気持ち分かるかも」
学生のころ、自分ちに友達を招いて遊んだ時、飲み物を用意している隙に、リビングに置いてあった、小さいころの写真が入った写真立てを、まじまじと見られてたみたいなやつね。あれめっちゃ恥ずいよな……!
「10歳以降の絵がないのは、やっぱり絵のモデルにされるのが恥ずかしくなったからとか?」
「……いえ。そのころに、兄上が王立学園に入学なさったんです。全寮制の教育機関ですし、顔を合わせることもなくなったので」
「え、その学校、長期休みとか無かったのか? 流石に年に一度くらいは生徒を実家に帰らせるもんじゃないのか?」
こんだけ弟のこと絵に描くのが好きなら、しばらく会えない期間を乗り越えて久々に顔を合わせたら、また弟の絵を描きたくなるもんじゃないか?
話を聞くところによると、学園に入学したのは12歳。
ほんで、昏睡状態に陥ったのは3回生になったばかりのころ……つまり、14歳か15歳になったばかりってところ。
学園に入学してから、5年間昏睡するまでの2年間、ただの一度だって顔を合わさなかったのか?
「それ、は……」
ジルラッド氏は、それ以上二の句を継ぐことなく、沈痛な面持ちで俯き、いたく力を込めて左腕を右手で握っていた。
喉が痛くなるほどに重い悲しみと、煮えたぎるような怒りが火花のように爆ぜる。
殺気めいたその激しい情動に、俺は息を呑んで押し黙ることしかできない。
「兄上は、たった一人で、あんな、あんな……! 絶対に許さない……あの女だけは、必ず見つけ出して、僕の手で……!」
「あの、女……?」
ジルラッド氏の剣幕につられ、俺はつい、その言葉をなぞって口に出してしまった。
ジルラッド氏は俺の声にハッと息を呑み、縋るような顔で俺の顔を見つめる。
しばらくそんな無言の時間が流れたのち、ジルラッド氏は、震える息を大きく吸いながら、天上を仰いで目を閉じ、息の混じった声で「申し訳ありません」と一言。鼻声だった。
「つい、取り乱してしまいました。無理は承知ですが、忘れてくださると助かります」
「うーん……無理かな……」
「ですよね……」
少なくとも、俺の中では、ベルラッドが学園に入学するころ、ジルラッド氏に会わなくなって、同様に絵を描かなくなったきっかけとなる重大な出来事があったことは確実になった。
ジルラッド氏と会えない理由が、何がしか出来た……昏睡する前からベルラッドが悩まされていたという、記憶を徐々に失っていく病気?の原因にかかわりがあるのだろうか。
もしかして、その原因が、ジルラッド氏の言う、「あの女」ってことなのか?
「兄上が、これ以上、何かを背負う必要はないんです。貴方が、何のしがらみも無く、心の赴くまま、生きたいように生きる事の出来るように……もう少しだけ、待っていてください」
俺は、素直に頷くことなんて出来ず、ジルラッド氏を見つめた。
本当に? 本当に、それでいいんだろうか。
きっと、何も知らない方が幸せなんだろう。
だからこそ、ジルラッド氏は、俺が何か知ろうとすることを良く思っていない。
ああ、それでも、これは————。
俺は、何を言うかなんて考えつきもしないまま、ただ、何かを言わなければ、という一心で、スウと息を吸った。
そして、気付いた。
どこからか、甘い香りが、微かに漂っていることに。
爽やかで、つかみどころのない、優しげな香り……何かの花の香りだろうか。
どこかで嗅いだことがあっただろうか、何故か、とてもなじみのあるような、不思議な感覚だ。
「なあ、この部屋、何か花でも飾ってある?」
「……? いえ、そのようなものは、何も」
「じゃあ、この香りはどこから……」
大きな衝動が身体を突き動かすようだった。
戸惑って首をかしげているジルラッド氏に一言断り、歩き出す。
何かを、見つけ出さなければならない。
何を探しているかもわからないまま、俺はただ一方、この部屋と他の空間をつないでいるのであろう、ドアの方へ。
どうしてか、この香りが気になって仕方がないのだ。
自分の、何かが欠けていることを、しきりに訴えかけてくるような、そんな気がしてならないから。
「この扉の先、何があるの」
「僕の、寝室です」
「ごめん、入らせて」
魔術で施錠してあったそれを、俺は殆ど無意識に魔術を使って解錠する。
そのさきにあったのは、あまり生活感の感じられない広い部屋。
俺が住まわせてもらっている部屋と似たような調度品が置いてあるものの、総じて清掃されるばかりであまり使われていなさそうな感じがする。
「兄上、待ってください。そちらの部屋にも花などは……」
ジルラッド氏のためらいがちな声が響く。
待って欲しいと言いながら、本気で止める気はあまり無いらしく、ズカズカと中に押し入る俺の後をゆっくりついてくるだけ。
俺は、一度、鼻で大きく息を吸った。そして、口で息を吐きながら目を閉じた。
その存在を感じ取るため、神経を研ぎ澄ます。確証は無い、しかして、これは確信だ。
ここに、俺が探していた何かがある。
目を閉じているのに、何もかもが見えているようだった。
足が勝手に歩みを進める。「それ」に近づくうち、鼓動が大きく波打つのを感じた。
伸ばした指先に何かが触れて、俺は静かに目を見開いた。
この部屋に唯一飾られていた、何も入っていない額縁。
それが、俺が触れたそばから、少しずつ罅が入って、微かに発光しながら自壊していっていた。
俺の背後には、何より雄弁な沈黙がじっとこちらを見つめている。
果たして、額縁がきらきらとした砂となり、無に帰したあとに現れたのは、一冊の本だった。
ベルラッドは、ジルラッド氏の3年間の成長を描き上げていて、まるでタイムラプスのような壮観だった。
「7歳のころの君と、10歳手前のころの君を見比べると、やっぱり随分違うもんだな」
「……何というか、そのように言われると、少し恥ずかしいですね。今までは、これらを兄上の描いてくださった絵、といったようにしか見ていなかったのですが」
「ああ、なんかその気持ち分かるかも」
学生のころ、自分ちに友達を招いて遊んだ時、飲み物を用意している隙に、リビングに置いてあった、小さいころの写真が入った写真立てを、まじまじと見られてたみたいなやつね。あれめっちゃ恥ずいよな……!
「10歳以降の絵がないのは、やっぱり絵のモデルにされるのが恥ずかしくなったからとか?」
「……いえ。そのころに、兄上が王立学園に入学なさったんです。全寮制の教育機関ですし、顔を合わせることもなくなったので」
「え、その学校、長期休みとか無かったのか? 流石に年に一度くらいは生徒を実家に帰らせるもんじゃないのか?」
こんだけ弟のこと絵に描くのが好きなら、しばらく会えない期間を乗り越えて久々に顔を合わせたら、また弟の絵を描きたくなるもんじゃないか?
話を聞くところによると、学園に入学したのは12歳。
ほんで、昏睡状態に陥ったのは3回生になったばかりのころ……つまり、14歳か15歳になったばかりってところ。
学園に入学してから、5年間昏睡するまでの2年間、ただの一度だって顔を合わさなかったのか?
「それ、は……」
ジルラッド氏は、それ以上二の句を継ぐことなく、沈痛な面持ちで俯き、いたく力を込めて左腕を右手で握っていた。
喉が痛くなるほどに重い悲しみと、煮えたぎるような怒りが火花のように爆ぜる。
殺気めいたその激しい情動に、俺は息を呑んで押し黙ることしかできない。
「兄上は、たった一人で、あんな、あんな……! 絶対に許さない……あの女だけは、必ず見つけ出して、僕の手で……!」
「あの、女……?」
ジルラッド氏の剣幕につられ、俺はつい、その言葉をなぞって口に出してしまった。
ジルラッド氏は俺の声にハッと息を呑み、縋るような顔で俺の顔を見つめる。
しばらくそんな無言の時間が流れたのち、ジルラッド氏は、震える息を大きく吸いながら、天上を仰いで目を閉じ、息の混じった声で「申し訳ありません」と一言。鼻声だった。
「つい、取り乱してしまいました。無理は承知ですが、忘れてくださると助かります」
「うーん……無理かな……」
「ですよね……」
少なくとも、俺の中では、ベルラッドが学園に入学するころ、ジルラッド氏に会わなくなって、同様に絵を描かなくなったきっかけとなる重大な出来事があったことは確実になった。
ジルラッド氏と会えない理由が、何がしか出来た……昏睡する前からベルラッドが悩まされていたという、記憶を徐々に失っていく病気?の原因にかかわりがあるのだろうか。
もしかして、その原因が、ジルラッド氏の言う、「あの女」ってことなのか?
「兄上が、これ以上、何かを背負う必要はないんです。貴方が、何のしがらみも無く、心の赴くまま、生きたいように生きる事の出来るように……もう少しだけ、待っていてください」
俺は、素直に頷くことなんて出来ず、ジルラッド氏を見つめた。
本当に? 本当に、それでいいんだろうか。
きっと、何も知らない方が幸せなんだろう。
だからこそ、ジルラッド氏は、俺が何か知ろうとすることを良く思っていない。
ああ、それでも、これは————。
俺は、何を言うかなんて考えつきもしないまま、ただ、何かを言わなければ、という一心で、スウと息を吸った。
そして、気付いた。
どこからか、甘い香りが、微かに漂っていることに。
爽やかで、つかみどころのない、優しげな香り……何かの花の香りだろうか。
どこかで嗅いだことがあっただろうか、何故か、とてもなじみのあるような、不思議な感覚だ。
「なあ、この部屋、何か花でも飾ってある?」
「……? いえ、そのようなものは、何も」
「じゃあ、この香りはどこから……」
大きな衝動が身体を突き動かすようだった。
戸惑って首をかしげているジルラッド氏に一言断り、歩き出す。
何かを、見つけ出さなければならない。
何を探しているかもわからないまま、俺はただ一方、この部屋と他の空間をつないでいるのであろう、ドアの方へ。
どうしてか、この香りが気になって仕方がないのだ。
自分の、何かが欠けていることを、しきりに訴えかけてくるような、そんな気がしてならないから。
「この扉の先、何があるの」
「僕の、寝室です」
「ごめん、入らせて」
魔術で施錠してあったそれを、俺は殆ど無意識に魔術を使って解錠する。
そのさきにあったのは、あまり生活感の感じられない広い部屋。
俺が住まわせてもらっている部屋と似たような調度品が置いてあるものの、総じて清掃されるばかりであまり使われていなさそうな感じがする。
「兄上、待ってください。そちらの部屋にも花などは……」
ジルラッド氏のためらいがちな声が響く。
待って欲しいと言いながら、本気で止める気はあまり無いらしく、ズカズカと中に押し入る俺の後をゆっくりついてくるだけ。
俺は、一度、鼻で大きく息を吸った。そして、口で息を吐きながら目を閉じた。
その存在を感じ取るため、神経を研ぎ澄ます。確証は無い、しかして、これは確信だ。
ここに、俺が探していた何かがある。
目を閉じているのに、何もかもが見えているようだった。
足が勝手に歩みを進める。「それ」に近づくうち、鼓動が大きく波打つのを感じた。
伸ばした指先に何かが触れて、俺は静かに目を見開いた。
この部屋に唯一飾られていた、何も入っていない額縁。
それが、俺が触れたそばから、少しずつ罅が入って、微かに発光しながら自壊していっていた。
俺の背後には、何より雄弁な沈黙がじっとこちらを見つめている。
果たして、額縁がきらきらとした砂となり、無に帰したあとに現れたのは、一冊の本だった。
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