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第一章 死ぬにしたって、これは無いだろ!
第十三話
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ああ、眩しい。
抜けるように澄んだ快晴の青、爽やかな薫風が揺らす若葉色。
遠くに見える色とりどりの街並みは、天から降り注ぐ日射に呼応するように、白く輝いていた。
しかし、そんなキャンバス映えのする景観を前にしながら、どうしても目が離せない少年の姿がひとつ。
目の前に広がる、あらゆる生命の輝きを総動員しても、その少年が放つそれには、到底及ばない。
と言うより、世界の光と言う光が、その少年に収束し、めいいっぱいの祝福をしているかのよう。
躍動するような無垢の息遣いは、肌が痺れるほどに鮮烈だ。
成長期を迎える前だろう、まだ小さなその背丈に、唸るほどの生命力が漲っていて、まるで目が離せない。
燦然と輝く一等星をひとの形にするとしたら、きっとこんな姿なのだろう。
眩しくて、愛おしくて、つい目を細める。
すると、少年もまたこちらを向いて、溌剌な笑みを弾けさせた。
いずれ失うと分かっていても、なお、手を伸ばし、縋らずにはいられない、幸福そのものの姿だった。
+++
「っ、あ……?」
突如、引き上げられたかのような覚醒である。
昨日の鈍重さが嘘のように軽くなった頭。
シパシパと瞬きをすると、頬骨の形をなぞって、コロコロと雫がしたたり落ちる。
項のあたりがひんやりする感覚に、随分枕が湿っているのがわかった。
起き上がりコボシよろしく上体を起こし、2回くらい、大きく呼吸する。
その間、やっぱり溢れてやまない涙が滴って、シーツに水玉を描いた。
「な、んだ……?」
沢山の感情が渦巻いて、いくら軽くなった頭でも処理しきれない。
ぽかぽかと包み込むような多幸感に、同じくらいの質量で臓腑に沈みこむ、凍るような寂しさ。
幸せな夢を見た。
幸せで、暖かくて、凍え切った心を優しく満たしてくれるような。
でも、その幸せを感じるほど、それを失うことばかり考えてしまって、怖くて、寂しくて、満たされる傍から乾いて仕方のない、どうしようもない心を抱えさせられるような、悲しい夢でもあった。
「誰だったんだろ、あの子」
記憶に少しずつ靄がかかってくる。
それが言いようもなく寂しくて、失いたくないという焦燥感に襲われる。
少しでも早く、忘れないうちに、描き起こさないと。
どうしてそう思うのか、自分でも全く分からない。嗚呼、こんなことになってから、こんな気分を味わってばかりだ。
もしかして、ベルラッドが? 俺ではなく、この身体がそう思っているってことなのか?
もしかして、ベルラッドはこの身体からいなくなったのではなく、まだ眠っているだけなのではないか。
なんの根拠もない憶測だ。しかし、ベルラッドの行方について手がかりがない以上、この「そんな気がする」だけのことに頼るしかないのも事実。
描かねば。描けば、何かが掴めるかもしれない。
俺は、己を強く突き動かす衝動に従い、オリヴィアさんを呼ぶための呼び鈴を鳴らした。
「ベルラッド様、お待たせいたしました。いかがなさいましたか?」
「オリヴィアさん、白い紙と鉛筆を持って来ていただきたくて。急なことですみません。でも、どうしても、今すぐ描きたいものがあるんです。絵が描ければ何でもいいので、お願いします」
「……!! はい、畏まりました! 今すぐに持ってまいりますっ!」
オリヴィアさんは一瞬息を呑み、目を見開いて固まった。
でも、直ぐに我に返り、颯爽とスカートを翻して退出していった。
彼女の反応にそこはかとない違和感を抱いたが、しかし、既にもうモノクロに色褪せつつあり、今にも消えてしまいそうなあの夢の映像を脳に留めておくのに必死で、それ以上は考えなかった。
体感3分もしないうちに、オリヴィアさんは戻ってきた。
随分上等そうなスケッチブックに、デッサン用鉛筆一式を抱えて。
どこからどう見ても本格的な画材だった。
俺はそれを受け取って、感謝を伝えるが早いか、すぐさま描画を始めた。一心不乱だった。
あらかたのラフが出来て、自分の中でイメージが固まっていくと、次第焦燥感が薄れ、余裕が出てくる。
俺はそこで初めて、オリヴィアさんが俺の目の前に立ち尽くし、なんとも形容しがたい表情で俺のことを見つめていることに気付いた。
「オリヴィアさん、すみません。長い間立ちっぱなしにさせてしまって……急に絵なんか描き始めて、変に思いましたよね」
俺が椅子を勧めながら恐縮すると、オリヴィアさんはわたわたと遠慮しつつも椅子に座ってくれた。
はくはくと口を開くけれど、上手く言葉が出力できない様子で、有体に言えば、感極まっている、みたいな感じだ。
「急なお願いだったのに、こんなに良いスケブと鉛筆を持ってきてくださってありがとうございます」
「いえ、いえ……そちらは、元々、ベルラッド様のお持ち物ですから」
「ベルラッド、の……?」
「ええ、さようにございます」
なんという奇遇だろうか。実は俺……あ、死ぬ前のことね、小学校のころから絵画教室通ってて、中高も美術部に入って、青春の情熱の殆どを絵に費やしたくらいには、絵が好きなんだ。
全国規模のコンクールで表彰式にも呼ばれたことがあるし、一応特技ってことにしてもいいんじゃないかなって思ってる。
まさかベルラッドも、画材に凝るくらいには絵を趣味にしていたなんて。ちょっとシンパシー感じちゃうな。
「私は、ベルラッド様の描かれた絵に救われた人間です。ですから、こんなことになってから、まさかもう一度、貴方様が絵を描いていらっしゃるところを見られるとは夢にも思わず……オリヴィアは感無量にございます……っ」
「そ、っか」
それは……凄いな。どんなに丹精を込めて、どんなに時間をかけた絵でも、他人の心を動かすことさえ、いかに厳しく、難しいことなのか……。
絵の道に傾倒したことがあるからこそ、身に染みてよくわかる。
ベルラッドは、自分の描いた絵が他人を救ったって、知ってたんだろうか。
それが、どんなに並外れた偉業かも、知っていたのかな。
抜けるように澄んだ快晴の青、爽やかな薫風が揺らす若葉色。
遠くに見える色とりどりの街並みは、天から降り注ぐ日射に呼応するように、白く輝いていた。
しかし、そんなキャンバス映えのする景観を前にしながら、どうしても目が離せない少年の姿がひとつ。
目の前に広がる、あらゆる生命の輝きを総動員しても、その少年が放つそれには、到底及ばない。
と言うより、世界の光と言う光が、その少年に収束し、めいいっぱいの祝福をしているかのよう。
躍動するような無垢の息遣いは、肌が痺れるほどに鮮烈だ。
成長期を迎える前だろう、まだ小さなその背丈に、唸るほどの生命力が漲っていて、まるで目が離せない。
燦然と輝く一等星をひとの形にするとしたら、きっとこんな姿なのだろう。
眩しくて、愛おしくて、つい目を細める。
すると、少年もまたこちらを向いて、溌剌な笑みを弾けさせた。
いずれ失うと分かっていても、なお、手を伸ばし、縋らずにはいられない、幸福そのものの姿だった。
+++
「っ、あ……?」
突如、引き上げられたかのような覚醒である。
昨日の鈍重さが嘘のように軽くなった頭。
シパシパと瞬きをすると、頬骨の形をなぞって、コロコロと雫がしたたり落ちる。
項のあたりがひんやりする感覚に、随分枕が湿っているのがわかった。
起き上がりコボシよろしく上体を起こし、2回くらい、大きく呼吸する。
その間、やっぱり溢れてやまない涙が滴って、シーツに水玉を描いた。
「な、んだ……?」
沢山の感情が渦巻いて、いくら軽くなった頭でも処理しきれない。
ぽかぽかと包み込むような多幸感に、同じくらいの質量で臓腑に沈みこむ、凍るような寂しさ。
幸せな夢を見た。
幸せで、暖かくて、凍え切った心を優しく満たしてくれるような。
でも、その幸せを感じるほど、それを失うことばかり考えてしまって、怖くて、寂しくて、満たされる傍から乾いて仕方のない、どうしようもない心を抱えさせられるような、悲しい夢でもあった。
「誰だったんだろ、あの子」
記憶に少しずつ靄がかかってくる。
それが言いようもなく寂しくて、失いたくないという焦燥感に襲われる。
少しでも早く、忘れないうちに、描き起こさないと。
どうしてそう思うのか、自分でも全く分からない。嗚呼、こんなことになってから、こんな気分を味わってばかりだ。
もしかして、ベルラッドが? 俺ではなく、この身体がそう思っているってことなのか?
もしかして、ベルラッドはこの身体からいなくなったのではなく、まだ眠っているだけなのではないか。
なんの根拠もない憶測だ。しかし、ベルラッドの行方について手がかりがない以上、この「そんな気がする」だけのことに頼るしかないのも事実。
描かねば。描けば、何かが掴めるかもしれない。
俺は、己を強く突き動かす衝動に従い、オリヴィアさんを呼ぶための呼び鈴を鳴らした。
「ベルラッド様、お待たせいたしました。いかがなさいましたか?」
「オリヴィアさん、白い紙と鉛筆を持って来ていただきたくて。急なことですみません。でも、どうしても、今すぐ描きたいものがあるんです。絵が描ければ何でもいいので、お願いします」
「……!! はい、畏まりました! 今すぐに持ってまいりますっ!」
オリヴィアさんは一瞬息を呑み、目を見開いて固まった。
でも、直ぐに我に返り、颯爽とスカートを翻して退出していった。
彼女の反応にそこはかとない違和感を抱いたが、しかし、既にもうモノクロに色褪せつつあり、今にも消えてしまいそうなあの夢の映像を脳に留めておくのに必死で、それ以上は考えなかった。
体感3分もしないうちに、オリヴィアさんは戻ってきた。
随分上等そうなスケッチブックに、デッサン用鉛筆一式を抱えて。
どこからどう見ても本格的な画材だった。
俺はそれを受け取って、感謝を伝えるが早いか、すぐさま描画を始めた。一心不乱だった。
あらかたのラフが出来て、自分の中でイメージが固まっていくと、次第焦燥感が薄れ、余裕が出てくる。
俺はそこで初めて、オリヴィアさんが俺の目の前に立ち尽くし、なんとも形容しがたい表情で俺のことを見つめていることに気付いた。
「オリヴィアさん、すみません。長い間立ちっぱなしにさせてしまって……急に絵なんか描き始めて、変に思いましたよね」
俺が椅子を勧めながら恐縮すると、オリヴィアさんはわたわたと遠慮しつつも椅子に座ってくれた。
はくはくと口を開くけれど、上手く言葉が出力できない様子で、有体に言えば、感極まっている、みたいな感じだ。
「急なお願いだったのに、こんなに良いスケブと鉛筆を持ってきてくださってありがとうございます」
「いえ、いえ……そちらは、元々、ベルラッド様のお持ち物ですから」
「ベルラッド、の……?」
「ええ、さようにございます」
なんという奇遇だろうか。実は俺……あ、死ぬ前のことね、小学校のころから絵画教室通ってて、中高も美術部に入って、青春の情熱の殆どを絵に費やしたくらいには、絵が好きなんだ。
全国規模のコンクールで表彰式にも呼ばれたことがあるし、一応特技ってことにしてもいいんじゃないかなって思ってる。
まさかベルラッドも、画材に凝るくらいには絵を趣味にしていたなんて。ちょっとシンパシー感じちゃうな。
「私は、ベルラッド様の描かれた絵に救われた人間です。ですから、こんなことになってから、まさかもう一度、貴方様が絵を描いていらっしゃるところを見られるとは夢にも思わず……オリヴィアは感無量にございます……っ」
「そ、っか」
それは……凄いな。どんなに丹精を込めて、どんなに時間をかけた絵でも、他人の心を動かすことさえ、いかに厳しく、難しいことなのか……。
絵の道に傾倒したことがあるからこそ、身に染みてよくわかる。
ベルラッドは、自分の描いた絵が他人を救ったって、知ってたんだろうか。
それが、どんなに並外れた偉業かも、知っていたのかな。
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