転生するにしても、これは無いだろ! ~死ぬ間際に読んでいた小説の悪役に転生しましたが、自分を殺すはずの最強主人公が逃がしてくれません~

槿 資紀

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第一章 死ぬにしたって、これは無いだろ!

第十二話

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「僕にとって、兄上は……何もかも分からない人、でした」

 話してもらうにあたり、ベッドの俺の隣に腰掛けてもらったジルラッド氏が、俯き、暫く逡巡したように黙り込んで、沢山言葉を選んだのであろう、開口一番がこれだった。

「あけすけなようでいて、肝心なことは何も話してくれない。誰に対しても気さくに接している割に、誰に対しても線引きをしていて、こっちのことは聞いてくるくせ、自分のことはうわべしか教えてくれない。沢山お話して、沢山観察もしたけれど、結局、本当の姿は陽炎みたいに朧で……でも、僕は、兄上がそういう方だったからこそ、目が離せなかったのだろうと思いますし、そんな兄上と過ごす時間が、何より心地よかった」

 何と言うか、ジルラッド氏の表情さえ見なければ、恨み言に聞こえる内容だ。

 事実、恨めしく思う気持ちも多分に含まれているんだと思う。

 でも、そんな風に思うところを羅列でもしなければ、胸の中に渦巻く、言葉にし難いほど大きく、重い感情を整理することが出来ないんだろう。

 ジルラッド氏の横顔は、有体に言えば、しかめ面だ。

 ただ、そのふさふさと揺れる睫毛から、敬慕の念が雫となって滴り落ちそうで、全身から、穏やかな懐古の情がにじみ出していた。

 昔から「鈍い」などと数えきれないほど罵られて来た俺だが、その空気が読めないほど野暮ではない。

「幼いころの僕は、絶えず、どこかしらに満たされない気持ちを抱えていました。兄上は、そんな僕を、色々な形で満たしてくれた。僕のことを愛してくれる人は兄上以外にも確かにいました。でも、兄上ほど、無条件に僕のことを見てくれる人はいなかったし、気遣ってくれる人もいなかった。安心だとか、充足だとか、幸福だとか、感動だとか……世界に、僕の心に、そんな喜びがあるのだと、そう教えてくださったのは、兄上なのです」

 俺は、何も言えなかった。

 罪悪感など、これ以上ないほど味わった、だから大丈夫だ……嗚呼、何という、思い上がった考えをしていたのだろう。

 俺如き軟弱者のする覚悟を、少しでも当てにしていたことが恥ずかしくてならない。

 悠長にしている暇はない、何とか、少しでも早く、この体を、ベルラッドに返さないと。

 何としてでも、ジルラッド氏に、兄さんを返してやらないと。

「でも、兄上は、僕に与えるだけ与えて、幸せな夢だけを見せながら、自分ばっかり、苦悶をたらふく抱えて、僕の前から姿を消そうとしました。僕は、兄上がどんなに苦しんでいたのかも知らないうちに、兄上を失うところだった。今でも、思い出すだけで、生きた心地がしない……僕の幸せの殆どは、兄上で出来ていますから」

「姿を消そうとしたって……その、ベルラッドおれは、自分からそう望んだってことか? 何かしらの苦しみに耐えかねて、記憶を消して逃げようとした……とか」

 ジルラッド氏の言うことからして、ベルラッドはジルラッドのことを可愛がってたんだろ? 

 気持ちは凄く分かるけどな。こんな才色兼備な聖人君子の小さいころなんて天使そのものだろうし、そんな子が弟だったらきっと誇らしくてピノッキオばりに鼻高々になるだろう。俺なら滅茶苦茶可愛がると思う。

 どんなに苦しかったって、可愛がってる弟との思い出もろとも記憶を消そうとするもんか? 

 まあ、俺が逃げようとしたときのジルラッド氏、「何かやらかしたってのも間違いじゃない」とか言ってたし、ベルラッドが何かやらかしたせいでこんなことになったって考えるのが自然ではあるんだが……なんだろう、こんな良く出来た弟が慕ってくれてるのに、なーんか、薄情じゃね?

「いえ、兄上が記憶を失われた理由は、既に明らかになっていて……これだけは断言しますが、兄上が原因で起こったことではありません。むしろ、兄上は……ご自身の記憶のことで、いたく苦しまれたのです。抗うべくもなく、失われていく記憶に、それでも抗おうとなさって、最後まで抗った結果、何もかもを抱えて……自ら、命を断とうとなさいました」

「え……」

 それはつまり、病気か何かが原因で、段々と記憶をなくしていってて、記憶を失わないように頑張ったけれど、結局叶わず、苦しみに耐えかねて自殺しようとした、ってことか……?

 ああ、でも、なんだか……俺が部屋から逃げ出した時のジルラッド氏の剣幕にも納得がいく。

 自殺未遂起こした挙句、5年間もの昏睡状態に陥った兄貴が、回復早々突然いなくなったって聞いたら、そりゃ焦るわ。本当に悪いことをしてしまったんだな……。

「兄上は、笑顔がお上手な方でした。僕は、その笑顔に安心するばかりで、兄上が時折うかがわせる違和感に気付きながらも、自身の無力を言い訳に、兄上ならきっと大丈夫だと、それ以上踏み込むことをしなかった」

 後悔を語るジルラッド氏の口調は、いたく単調だった。

 大きな罪の意識を前にして、絶対に逃げない、全てを受け止めるのだという、頑なな意思を感じる。

 その横顔に落ちた影が、ジルラッド氏の悲しくなるまでの気丈さを物語っていて、俺はその精悍な横顔に惚れ惚れすると同時、痛ましさのようなものも感じていた。

 ああ、こんないい弟がいるのに、ベルラッドは、それでもなお、死を選んだのか……いや、もしかしたら。

 もしベルラッドが、ジルラッドの言うような弟思いの兄貴なら、記憶を失っていく過程で、弟の記憶も消えてしまうかもしれないと、日に日に大きくなる恐怖と、大切な弟の記憶すら失くしてしまった不甲斐ない自分の姿なんてものを想像しては絶望するなんてことを繰り返して、いつしか耐えられなくなった……の、かも。

 門外漢が何を言うって話だけど。ベルラッドのことなんて何も知らないくせにね。

 でも……なんだろうな、そんな気がするとしか言えないや。

ベルラッドおれが記憶を失っていくことになった原因って、何? 病気か何かだったのか?」

 いなくなってしまったベルラッドを探す手がかりは、やっぱりここにあるんじゃないか、そう思って、デリカシーの欠如は承知の上でそう問いかける。

 静かに息を呑んで、こちらを見ず、床に視線を落としたジルラッド氏の横顔に、案の定だな、なんて後ろめたさが胸に滲んだ。

 きっと、ジルラッド氏が設けたラインを踏んだのだ。

「……申し訳ありません。それは、機会ができた時にまた、お話しします」

 曖昧に微笑んだジルラッド氏はそう言って、さり気なく俺をベッドに寝そべらせ、毛布をそっと掛けた。

 俺の目にかかった前髪を横に撫でつけ、そのまま、割れ物を扱うような手つきで俺の目を覆う。

 寝不足だった俺はただそれだけで、ふわふわと浮遊するような、それでいて、ひどく強烈な眠気に襲われ、あえなく眠りに落ちたのだった。
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