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136 赤い瞳の女の子

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「───……ッ!」

 僕はその黒いもやを前に、体が強張って動かない。
 ユウマは僕の腕の中で、可哀そうなくらいカタカタと震えている。

 どうして周りの人たちは普通なんだ……?
 怖くないの……?

「ユイト、どうした?」
「……アレクさん」

 心配そうに僕の腕を掴んで立ち上がらせ、ユウマの麦わら帽子も拾ってくれていた。
 アレクさんの足元には、ハルトが顔を見せない様にしがみ付いている。

「すみません、服は汚れてないですか?」

 アレクさんは目の前にいる靄を纏った人物に声を掛けた。
 そうだ。ユウマがぶつかったのに、僕たち、謝罪もしていない……。
 ……だけど、強張って声が出てこない。

「あぁ、私は大丈夫ですよ? それよりも、あの子の飲み物を無駄にしてしまいました……」

 申し訳ない……、と謝る声も、僕にはどうしても抑揚のない冷たい声にしか聞こえない。

「いえ、こちらこそすみません」

 失礼します、と言ってアレクさんは僕たちを連れて行こうとする。
 あ、ちゃんと謝らなきゃ……。

「あ、あの……。……すみません、でした……」

 僕の目がおかしいだけなのかもしれない、そう自分に言い聞かせて声を振り絞る。
 そして返事を待たずに、足早にその場から離れた。




「おい、ユイト。大丈夫か?」
「アレクさん、すみません……。ちょっと、休んでもいいですか……?」
「……わかった」

 アレクさんは理由も訊かず、僕たちの手を引いて店通りから外れた裏道に入る。
 一歩足を踏み入れると、表の賑やかな雰囲気が嘘の様に静まり返っている。

「ここなら落ち着けるだろ? どうする? 傍についてようか? それか、誰も来ない様に見張っとこうか?」
「だ、誰か来たら……、教えて、ください……」
「ん、わかった」

 そう言って、物陰でへたり込んで座ってしまった僕の頭を優しく撫でてくれた。

「ユウマ、代わりにこのジュースやるから」
「ありぁと……」
「ハルトも。ちゃんと見とくからな? 怖くないぞ?」
「はい……」
「ユイト、顔真っ青だぞ。今は訊かないけど、後で落ち着いたら教えてくれ」
「……はい」

 アレクさんは僕たちを励ます様に頭を撫で、誰も来ない様に路地の入り口に立って見張ってくれている。


「にぃに……、ごめんなちゃぃ……」

 ユウマは僕の服にしがみ付いたまま、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
 僕はハンカチでユウマの顔をキレイに拭いてあげる事しかできない。

「うん、僕もすぐに行けなくてごめんね?」

 僕が謝ると、ユウマはぎゅっとしがみつく。

「おにぃちゃん……」

 すると、隣で小さくなって僕にしがみ付いていたハルトが口を開いた。
 その顔も、血の気が引いた様に真っ青だ。

「あのくろいひと、らいあんくんの、おうちにも、いました……」
「ライアンくんの所に……?」

 僕はその言葉に驚いてしまう。
 ハルトも僕と同じ様に見えていたんだ……!
 しかもライアンくんの家にいるって……?

「べっそうの、なか、……おうちのひと、たくさん、くろかったです……」
「別荘……。その事は誰かに話した?」

 もしかしたら、何か大変なことが起きているのかもしれない……。
 そうならば、早くトーマスさんとバージルさんたちに知らせなきゃ……。

「ん~ん、ゆぅくんと、ふたりだけ、です」
「……! ユウマも見えたの?」

 僕の言葉に反応する様に、ユウマが僕の肩に埋めていた頭を上げた。

「ん……。まっくろ、ゆぅくん、こわぃ……」

 またその目にいっぱい涙を溜めて、カタカタと震えている。
 赤くなった目も鼻も、とても痛々しく感じる。

「うん、もう大丈夫。大丈夫だからね……」
「ん……」

 僕はハルトとユウマをぎゅっと抱き寄せ、自分に言い聞かせる様に、何度も大丈夫、と呟いた。



 カタン……、

 すると、奥のゴミ置き場らしき場所から物音が聞こえた。
 神経が過敏になっていたせいか、その音の出た場所から目が離せない。

「おにぃちゃん、あそこ……」
「え……、どうして……」

 ハルトが指した先には、ボロボロの薄汚れた服を身に着けた、小さな女の子が横たわっていた。

「ハルト、ユウマ。ちょっと見てくるね……?」
「ぼくも、いっしょ、いきます……」
「ゆぅくんも……」
「うん、わかった。驚かせない様に、ゆっくりね?」

 二人ともこくんと頷くと、僕の後ろについて、ゆっくりとその子に近付いていく。

 近くまで行くと、その女の子は服だけじゃなく、顔や身体も痛々しいほどの痣が残っていた。
 頬もこけて、満足に食べていないのは手に取る様にわかる。
 背もハルトよりも少し大きいくらいだ……。
 こんな幼い子に、なんて事を……。

「おにぃちゃん、だいじょうぶ……?」
「にぃに……、いたぃたぃ?」

 僕は、自分でも気付かないうちに涙を流していた。

「うん、僕は大丈夫……。この子が、心配で……」

 ゆっくり近近付き、その子の傍で膝をつくと、その女の子は静かに目を開けた。
 そして僕たちの姿を見ると、ビクッと体を震わせ立ち上がり、距離を取る。

 その表情には、恐怖しか映っていない様に見える。

「ビックリさせてごめんね……! 僕たちは怖くないよ……! きみが倒れているのを見つけたんだ。その怪我が心配で……」

 僕が慌てて説明すると、その子は驚いた表情を浮かべ、自分の体をキョロキョロと見回している。

「わたしのこと、みえてる……?」
「え?」

 不意に口を開いたかと思うと、その女の子は首に着けている首輪みたいな物を触りだす。
 まるで、何かを確認しているみたいに。
 だけど、一通り触ると落胆した様に肩を落とした。

「うん……。きみの事は、僕たち三人とも見えてる」
「……ほんと?」
「ぼくも、みえてます」
「ゆぅくんも……」

 ハルトとユウマも、僕の後ろから顔を覗かせるようにしてその子に話しかける。
 その女の子の肌は、怪我や泥で汚れていて髪もボサボサだ。
 だけど、その眼はキースさんと同じ真っ赤な……。

「きみは、どうしてここにいるの?」

 僕は怖がらせない様に、なるべく穏やかに話しかける。

「ここでまて、って、ごしゅじんさまが……」
「……ご主人様?」

 この子にこんな酷い事をするのが、主人……?

「きみは、脅されてるの……?」

 僕が問うと、女の子は首を小さく横に振った。
 だけど、その表情は悲しそうだ。

「きみは……、どうしてそんなにボロボロなの……?」
「……、」

 その問いに、しばらく待っても答えは返ってこなかった。

「きみのお名前は? 僕はユイト。こっちは弟のハルトとユウマだよ」
「……こんにちは。ぼく、はると、です……」
「……ゆぅくん……」

 僕たちが自己紹介をすると、少し肩の力が抜けたのか、女の子は口を開いた。

「わたし、れてぃ……」

 聞こえるか聞こえないかの小さな声で、彼女は名前を教えてくれる。

「レティ……? 可愛い名前だね」
「れてぃちゃん……」
「えてぃちゃん?」
「……ん、」

 可愛い名前と言ったのに反応して、少し恥ずかしそうに服を弄る姿に、僕はまた泣いてしまいそうになる。

「レティちゃん、クッキー食べる? ジュースは飲みかけなんだけど……、美味しいよ?」

 僕はユウマにお願いして、鞄の中からおやつのクッキーを分けてもらった。
 少しだけでもよかったのに、ユウマは全部渡してくれる。

「これ、美味しいから……。あげるね」
「いいの……?」
「うん、見つかったら怒られる?」
「……だいじょうぶ、かくすから……」
「ごめんね、僕……。こんな事しか、出来ない……」

 僕は我慢出来ずに、涙をボロボロと流してしまう。
 後から後から溢れてきて、もう自分の意思では止められない。


「レティ―――ッ! 何処だ! さっさと来い!」


 すると、奥の方からこちらに近付いてくる気配が。
 大声で怒鳴りながら、この子を探している様だ。

「はやく、いって……!」
「でも……、レティちゃんが……!」
「わたし、だいじょうぶ……。これ、ありがと……」

 僕が動かないでいると、レティちゃんは早く行けと僕の身体を押し始めた。
 その腕の力は弱々しくて、だけど僕たちを巻き込まない様にしているのだけは感じ取れる。

「レティちゃん、ごめんね……」

 僕はハルトとユウマの手を取り、アレクさんのいる方へ走った。
 気になって途中で振り返ると、そこにはもう誰もいない。


 ……だけど、僕にはレティちゃんのありがとう、と言う声が聞こえた気がした。

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