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十一章:魔法の鏡よ姿を見せて

第4話 貴族令嬢は罪滅ぼし活動に忙しい

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 ――肩を叩かれた。

「……んっ……」
「だいじょーぶー?」

 丸い目があたしを覗いてくる。

「おねーさーん?」
(子供の声……?)

 あたしは顔を上げる。そこには小さな女の子が、ゴミ捨て場に埋もれるあたしを眺めていた。

「そんなところで何やってるのー?」
「……ゴミ捨て場……?」

 あたしはゆっくりと起き上がる。

(どこ……ここ……)
「お姉さん、こんなところで寝たら風邪引いちゃう! 眠いなら街の外れにある森に行くことを勧めるわ! あそこ、とっても静かで、獣だって大人しいんだから!」
「……お嬢ちゃん、ここ、どこかしら……?」
「あ、ひょっとして……わかった! 貴女、旅の人なんでしょ! うっふふーん! それなら紹介してあげる! ここはみんなの憧れ、エメラルド王国の城下町よ!」
「エメラルド王国の……城下……町……?」

 あたしははっとして、立ち上がり、急いで暗い路地裏から駆け出した。

「あ、おねーさーん!」

 太陽が――あたしに当たった。眩しい。目が眩む。しかし、瞼を上げる。

(これは……)

 見慣れた商店街。見慣れた街の風景。見慣れた噴水広場。忙しそうに歩く大人。遊ぶために走る子供。

(そんな……馬鹿な……)

 振り返った。緑色に輝くエメラルド城は、立派に国の中心に建てられている。

(どういうこと? だって、今城下町は……中毒者が大量発生してるって……)

 違う。この城下町は、あたしのいた時間軸の城下町ではない。

(これは……過去だ)
「ちょっとお姉さん! 待ってよ! そんなにどきどきわくわくしなくたって、私がゆっくり観光案内してあげるってば!」
「……お嬢ちゃん、今って何年の何月何日かしら?」
「え? お姉さん何言ってるの? 今日は……」

 日付を聞いて、あたしは驚きのあまり、目を丸くした。

(八年前。春ってことは……あたしが記憶を取り戻した頃……)

「お姉さん、運が良かったね! 観光案内ガイドにぴったりの私と会うことが出来て! 丁度今日はね、冒険心がうずいていた日だったの! 観光がてら、どう? トルーデおばさんに会いに行ってみない?」
「トルーデ……おばさん?」
「そうよ! 妙な噂ばかりが立つ不審なおばさんのことなの。あまりにも妙ちくりんなものだから、会いに行きたいって両親に言ったら、二人ともカンカン。断固として会いに行くことを禁じてきたわ。さらにこう言ってきたの。『トルーデおばさんは悪い人だよ。悪いことをするんだ。もしお前がトルーデおばさんに会いにいくなら、もう家の子じゃないよ。』こうして不審なトルーデおばさんに会いに行くことをやめた私は、実に有意義で平和でつまらない一日を過ごすところだったのよ。でも、貴女がいるなら話は別。観光に大冒険は必須だわ! ね! お姉さんも会いに行きたいでしょ?」
(好奇心旺盛なのは良いことだけど、不審者には近づかない方がいいわよ。もしもほいっとついていって誘拐なんてされたら、大人はたまったもんじゃないんだから)

 この子の為にも断ろうと口を開きかけた途端――あたしは手に持っていた杖に気づいた。

(震えてる?)

 見下ろすと、空っぽになった星の杖がぶるぶると震えていた。

(反応している。トルーデおばさんって人に……何かあるの?)

 ひょっとして――、

(水の魔法使いが言ってた、他の魔法使いが……トルーデっておばさん?)

 あたしは女の子に笑顔を浮かべた。

「ええ。あたし、遠いところから、ようやく憧れのエメラルド王国に来られたもんだから、嬉しくなってしまって。ぜひその妙ちくりんなおば様にお会いしてみたいわ」
「だよね! そう言うと思った! じゃあ、私が案内してあげる!」

 嬉しそうな笑顔を浮かべた女の子は、あたしの手を握り、城下町の道を歩き出した。指を差して教えてくれる。あそこにはあんなものがあって、あそこにはこの店があって、そしてここには、こんな施設があるのよ! でもね、あたしそれは全部知ってるの。だってここはあたしが育った街だもの。

(ああ、クレア……)

 懐かしい風の匂いがする。

(会いたいわ。あたしのクリスタル……)

 女の子に引っ張っていかれ、やがて暗い森に辿り着く。その奥の奥のもっと奥に、木に囲まれた不気味なおんぼろ家があった。

「きゃあ!」

 女の子が悲鳴を上げた。カラスが飛んでいった。

「ああ、驚いた。カラスか」

 女の子が胸を押さえた。

「ここったら本当に不気味。きゃ! お姉さん、今の見た?」
「今のって?」
「怖いものを見たの。言いたくないわ。お姉さんは見てないのね。ああ、とっても怖い。でも、ここまで来ておばさんに会わないのは格好悪い。お姉さん、一緒にいてね。離れないでね」

 女の子はあたしにぴったりくっつき、あたしも女の子から離れずおんぼろな家に近づいた。ドアをノックしてみる。中から、「入りなさい」と声が聞こえて、あたしはドアを開けた。

 暗くてじめじめした家の中に、黒いブランケットを羽織ったふくよかで醜い女が、暖炉の前に座っていた。

「これはこれは、客人か。子供に、女。珍しいね。嬉しいね。さあ、二人とも、中にお入り。お茶を出そうじゃないのさ」
「お邪魔します……」

 怯えきった女の子はあたしに貼りついたまま家の中に入った。だが、いつでも逃げられるように扉は開けたまま。それほどトルーデは不気味だった。トルーデは体を震わせる女の子をじぃっと穴が開くほど見つめ、訊ねた。

「お前は、どうしてそんなに青い顔をしているんだい?」
「見たものがとても怖くって。おばさんの家の階段で、真っ黒な人を見たのよ」
「それは、炭を焼く男さ」
「それから、緑の男も見たわ」
「それは、狩人だよ」
「その後に、血みたいに真っ赤な男に会ったわ」
「それは、獣を殺す男だよ」
「ああ、怖かったわ。トルーデおばさん。家の窓から見たら、貴女ではなくて、本当にそう思うんだけど、頭が火で燃えている悪魔が見えたの」
「ほおー! じゃあお前はちゃんとした衣装の魔女を見たんだね! 私はお前みたいな娘をずっと待っていたんだ。もう長い間お前が必要だったんだ。さて、お前に光を貰おうかね」
「え?」

 あたしは振り向いた。振り向いた先には、もう女の子はいなかった。代わりに、あたしの足元に、木の板が転がっていた。

(え?)
「木の板が二枚」

 あたしはすぐにトルーデに振り返った。

「夜が暗くて困ってたんだよ。イヒヒヒ!」

 醜い目が、あたしを見た。

「木の板を暖炉に入れて、火をつければ明るくなる。ヒヒ。今夜は明るい夜が待ってるわい」
「ちょっと、お前、この子に何して……!」

 トルーデの手の中にあったものを見て、あたしの口が止まった。

「それは」
「お前もすぐに木の板にしてやるよ」

 飴が不気味に輝いている。

「私はね、自分よりも美しい女が嫌いなのさ。お前は随分と綺麗そうだから、長く燃やしてやろうじゃないのさ。ヒヒ、ヒヒヒヒ!」

 ――中毒者!

 あたしが後ろに振り返ると、勝手にドアが閉められた。

「安心しな。散々痛めつけてからにしてやるよ」

 そう言うと、トルーデは飴を舐めた。すると、あたしの目に、口の中で魔力が弾けるのが見えた。

(ぐっ、何これ……!)

 急に、空気が重くなった。
 嫌な匂いの風が吹く。
 トルーデの体の皮膚がどんどん固くなっていき、茶色に変色した。指先も、髪の毛も、足も、全部が木となって、天井まで体が大きく膨らんだ。濁った眼があたしを見下ろしてくる。

(何よ。偉そうに!)

 あたしは星の杖を構えた。

(魔法使いかと思ったら、既に呪われた中毒者。そういうことなら――何も怖くない)

 怖いはずない。だって、相手はただの人間だもの。

(ここで終わるあたしじゃない。ひょっとして、今まで熱に侵されてただけだと思ってる?)

 ――テリー、イメージして。

「強くイメージするの。出来ないなら、目を閉じてみて」

 嫌いな女に教わったことを思い出す。

「水を指で感じるように、イメージを強くすることで、感覚を感じるの」

 あたしは目を閉じて、強くイメージする。今まで見てきたことを思い出す。彼女なら――クレアなら――いや――キッドなら、きっとこういう時、こうやって戦うだろう。イメージする。想像する。トルーデの奇声が聞こえてくる。あたしはただ集中する。イメージを強くする。そうすれば――もやがかかった呪文がはっきり見えてくる。それを読み上げる。

「親のいうこと聞かない子、とても悪い子、いけない子。巨悪は好奇心そのものだ」

 一気に瞼を上げると、あたしの中で出られず暴れ回っていた魔力が杖へ流れていった。緑色の光が杖を包み、外へと放出させる。それと同時のタイミングで、トルーデの木の手があたしに振り下ろされた。しかし、あたしが潰される事は無かった。

 杖から出された魔力で作られたキッドの幻覚が、荒い剣さばきでトルーデの手首を斬り落としたのだ。

 トルーデがとんでもない悲鳴を上げた。木の腕から真っ赤な血が噴射された。キッドの幻覚はにやりと笑って、走り出した。その手には斧が掴まれていた。トルーデは残された腕を使って、キッドの幻覚に振り下ろしたが、それは幻覚なので、その攻撃は全くの無意味である。キッドは降って来たトルーデの手をすり抜けると、肩をすくませてから手首と腕を斧を振り下ろし、真っ二つに分かれさせた。

 トルーデがまた巨大な悲鳴を上げて、切られた両腕を見て、泡を吐いて倒れた。今だ! という目をしたキッドがマッチに火をつけ、トルーデに投げた。

「ぎゃあああああああああああああああ!!!!!」

 トルーデが燃えている。

「熱い! 熱い! 熱い!!」

 熱くて当然だ。トルーデは燃えている。

「水! 水!!」

 トルーデは水道の蛇口をひねった。しかし、水道代を払い忘れていた彼女の家からは、水は一滴たりとも出てこなかった。

「水! 水!!」

 水を求めて、トルーデが窓から抜け出した。

「水だ! 水があった!!」

 トルーデは井戸に飛び込んだ。

「水だわぁあああああああああああい!!!!」

 そのまま、水の中に沈んでいった。







 キッドの幻覚が、井戸の中を覗いた。トルーデは井戸の底で気絶している。満足そうに笑みを浮かべ、あたしに振り返ると――あたしの手にキスをし、風に吹かれて消えていった。

(……薬を体内に入れてない以上、まだあのおばさんは中毒者)

 空を見上げる。太陽はまだ空にある。

(キッドが城下町のどこかにいるはず。奴はこの時期、実績が欲しくてトラブル探しに夢中だもの)

 あたしの足が城下町に向けられる。

(薬を打つよう、この場所を教えないと)
「ちょっとー?」
「……ん?」

 あたしは振り返った。そこには誰も居ない。

「いやいや、忘れるってあり得ないよ。お前」
「……え?」
「その魔力で、元に戻してくれないかね?」

 あたしは声の方角を見た。そこには、木の板が倒れている。

 トルーデに木の板にされた、女の子のものだった。

(……声が、違う?)
「早くしてくれないかね?」
「あ、……えーと……」

 あたしは先ほど見た女の子をイメージして、杖に魔力を流した。そうすると、もやがかかった言葉がはっきり頭に入ってきて、読み上げる。

「不審者、不気味なおばさん家。怖い噂のお家へようこそ。行きはよいよい帰りは恐い」

 魔力が木の板を包み込むと、女の子は元の姿に戻った。

「まあ、いいだろう。とりあえず合格ってことで」
「は?」

 あたしが瞬きすると、女の子が女になり、もう一度瞬きすると、女は醜いおばさんになり、ひひっと笑い出した。

「やい、魔法使いが魔法使いに騙されるなんて、傑作だよ。こりゃ」
「……えっと……」

 あたしの頭が混乱とパニックに陥る。どういうこと? さっきまでの女の子はどこに行ったって言うの!?

「ちょいと、わからないならもう一回見せてやろうか? 女の子になったり、美女になったり、醜いババアになったりさ。ヒヒ。まあ、なんて間抜け面だろうね。そんなんじゃ、その魔力は操り切れないよ。テリー・ベックス」
「……あたしを知ってるの?」
「そりゃあ、あんたは有名人だもの。国一番の犯罪者。メニー王女を虐めた罰で死ぬまで牢屋で過ごした悪者。死刑にされた気分はどうだった?」
「……」
「ひひひ! 魔法使い様を睨んでいいのかい? その魔力、お前のものじゃないんだろう? オズの匂いがする。だけど、どこか獣と土の匂いが入り混じってる。トゥエリー。いや、トトだ。どうやら別の時間軸で……あの猫ちゃんに何かあったみたいだね」
「トトじゃないわ」

 あいつの名前を伝える。

「ドロシーよ」
「ああ、お前にとっちゃそうだろうね」
「……魔力と杖を預かったわ。だけど、杖の力が失われてて、不完全な物だから……あたしの魔力が上手く流せないって。だから、水の魔法使いが……魔法使い達から、魔力を貰って来いって」
「湖に潜ったんだね。なるほど」

 黒い帽子を被る魔法使いが怪しい笑みを浮かべ、首を傾げた。

「お前に協力したら、何か良いことがあるのかい?」
「良いこと……ですって?」
「タダで協力するなんて嫌だよ。何か報酬がないとね」
「報酬って?」
「例えば……そうだね。……私は、夜を灯す光が欲しい」
(夜を灯す光……?)
「ああ、ただの照明なんて嫌だよ。自然そのものの明かりがほしいのさ。なんて言ったって、夜は暗いからね。闇を照らす、明るくて暖かな光が欲しい」

 にやにやする魔法使いを見て思った。駄目だ。あたしには、答えがわからない。

(彼女ならなんて言うかしら)

 彼女なら答えがわかるのよ。だから――あたしは強くイメージする。そうすれば、呪文が頭にはっきり浮かび上がる。

「妄想好きなお嬢さん、ぜひその知恵を貸してくれ、貴女は知恵者。かしこい娘」

 あたしの魔力が杖から流れて、サリアの幻覚を生み出した。サリアがあたしに振り返り、困った顔のあたしを見てから、黒い魔法使いを見た。そして、考えた。さん、に、いち――。サリアの幻覚がふふっと笑って、暖炉に指を差した。そして、森の木に指を差し、マッチに指を差した。最後にあたしにウインクして――風に吹かれて消えた。

(暖炉……木……マッチ……)

 ヒントのもらったあたしは、すぐに作業に取り掛かった。星の杖をくるんと回すと、落ちてた木の枝がおんぼろな家の中に飛んできて、暖炉の中に自ら入っていく。そして、あたしはマッチを付け、火をつけた。暖炉に、暖かな火が灯される。

「これなら、闇夜を照らすわ」
「ああ、なんてことだろうね。私が暖炉好きだってことがバレちまったってのかい? はあ。なんとも明るい光だわい。いいだろう。合格」

 黒の魔法使いが息を吹くと、暖炉の灰で染まったような黒色の魔力が星の杖を囲んだ。そして中に浸透していき……杖が温かくなった……気がした。――気分が少し、良くなった。

「私の役目はここまでだ。さて、私は火を貰って、家に帰るとするかね」

 そう言うと、黒の魔法使いは杖を振り、暖炉にあった火だけを浮かばせ、箒に乗った。

「あばよ。魔法使いもどき。ま、頑張りな。私が生きる時間軸の未来で会ったら、また手を貸してやろうじゃないのさ。もちろん、報酬付きでね」

 黒の魔法使いはそう言うと、空へ飛んでいった。
 再びおんぼろ家は静かな空気が訪れたが、さっきみたいな不穏な風はなく、ただ古い、というだけの風だけが訪れた。井戸を覗くと、やはり中毒者のトルーデが気絶している。

(……次の魔法使いを探す前に、救出が先かしらね)

 あたしは星の杖を見つめた。

「ねえ、キッドの場所わかる? 教えてくれない?」

 訊くと、星の杖が小さく光り――薄い光の筋を出した。

「助かるわ。ありがとう」

 あたしは再び城下町に戻った。人が歩く。通り過ぎる頃には、あたしの姿は帽子とドレスにマントの女ではなく、ただの地味なドレスを着る女になっていた。あたしの目が薄い光の筋を追いかけていく。歩きながら思う。そうだ。丁度いい機会だ。キッドに上手いこと言って、『魔法を打ち砕く方法が載った本』を見せてもらおう。そうすれば、さっきみたいな時の対応が出来るかもしれない。

 念の為、ちょっと杖に訊いてみよう。星の杖さん? あたしの次の行動は、やっても大丈夫? ――杖は反応しない。ということは――多分、大丈夫なのだろう。

(そうと決まれば)

 あたしは人混みに紛れる。

(気配を消して、誰にも気づかれず)

 人々はあたしを見ない。

(声も、呼吸も聞こえず)

 あたしはまるで透明人間。

(大丈夫。感じる)

 すぐそこにいる。

(大丈夫)

 耳に囁いた。





「ちょっといいかしら? クレア姫様」




 ――ゆっくりと――青い瞳が――あたしに向けられた。

 ベルトに銃と剣をしまい、帽子を深く被った14歳のキッド――の役をしているクレアが――あたしを――殺気めいた目で睨んできた。

(ああ)

 背筋がぞくぞくする。感動する。嬉しくて、涙が出そうになる。

(これよ、これ)

 キッドじゃない。クレアだ。

 間違いなく、目の前にいるのは14歳のクレアだ。

「……」

 あたしを睨んだまま、形の良い口角が上に上がる。

「お姉さん、人違いしてない?」
「いいえ」
「俺、クレアなんてお姫様、知らないよ」
「そうでしょうね」
「お姉さん、だーれ?」
「誰でしょうね?」
「あはは。嫌だなあ。その感じ。俺、女の人には優しくしたいんだ」

 クレアが笑顔で近づいた。人には見えないようにぴったりくっついて、あたしの腹部に、銃口を突き付けてきた。

「貴様、何者だ」
「中毒者が井戸でお昼寝してる」
「……」
「ご所望でしょ? 教えてあげる。ここをずっと真っすぐ行くと、妙に暗い森に着くの。その中に、おんぼろの家があって、側にある井戸の中に、火傷を負った中毒者の女が寝てるから、物知り博士が発明した薬で消毒してあげてくれない?」

 クレアが息を呑み、警戒したようにあたしと距離を取った。

「スペード博士に言っておいてくれる? 欲望は身を滅ぼすって」
「……」
「今、持ってる?」
「……持ってる」
「なら、すぐ行ってくれる? 起きたらまた誰か襲われるわよ」
「……」
「それと、ついでに魔法を打ち砕く方法が載った本、どこにあるか教えてくれない? 勝手に見ておくから」
「……なんだ? それ」
「え? だから、魔法を打ち砕く方法が載った本よ。持ってるでしょ?」
「……そんなの知らない」
「え?」
「魔法を打ち砕く方法が載った本? そんなものが存在するのか?」

 クレアの目の色が変わった。あ、まずい。

「へえー。良いこと聞いちゃったな。お姉さん、魔法について詳しそうだね」

 今度はあたしが顔を引きつらせて、後ずさった。

「ねえ、俺と、ちょっとお茶しない?」

 この目は知ってる。狩る獲物を決めた時の目だ。そして、獲物を狩る時の姿勢に入ったようだ。銃をベルトにしまった。代わりに、手に無線機が握られている。あたしは星の杖を振った。クレアのベルトから、薬の入った注射器が三本宙に浮かんだ。

「っ」

 クレアが呼吸を止める。あたしは注射器を三本盗んで――走り出すと同時に、クレアが声を上げた。

「泥棒! 赤い髪の毛のお姉さん! そんなことしちゃ駄目だよ!」

 大勢の人が一斉に振り返った。周りからクレアの騎士達が一斉に動きだした気配がした。あたしは杖を振った。髪の色が緑に染まった。クレアが笑い、追いかけてきた。

「赤い髪じゃなかったや! 緑の髪だ!」

 人を通り過ぎる頃には、あたしの髪の色は黒に染まっていた。

「泥棒は良くないよ! 黒い髪のお姉さん!」

 クレアが銃を撃った。避けようとしたが、それを計算されていた。あたしの背中に派手なペイントが当たった。

「いっ!」

 クレアが一気に追いかけてきた。その顔は笑っている。

(そうだ。思い出した! ドロシーが言ってた! この頃からあいつ、異常だった!!)

 急いで逃げようと駆けだすと――腕を掴まれた。

「うぎゃっ!」
「ふっ! どうもこんにちは! ご機嫌いかが? 美しい黒毛のレディ!」
「ヘンゼ!? お前この時からいたの!?」
「えっ!? 俺をご存じで!? ということは、どこかで会った!? しかし、いや、こんな美しいお嬢さん、俺はいつ会ったというんだ!? こんなに綺麗なら絶対に忘れはしないのに! まさか、神のお導き!? 俺が知らない運命の人がここにいたというのか!? しかし、まあ、とても綺麗な人で、滅茶苦茶嬉しい! どうだい!? この後、この俺とデート……」

 あたしは思い切りヘンゼルを拳でぶん殴った。

「ふぎゃ!」
「ヘンゼル! その女捕まえて!」
「ふっ! もちろんです! そこらへんの男なら手を離したかもしれないけれど、この俺は美女を逃がす男では……」

 ヘンゼルが唖然とした。

「ない……」

 クレアが足を止めて、辺りを見回した。そこら中に自分の兵士が歩いている。無線機を口元に近づけた。

「捜せ。女だ。髪の色がころころ変わる」

 くくっ。

「本物の魔法使いだ」

 ヘンゼルが握っていたのは、ただの木の板であった。



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