上 下
541 / 592
十一章:魔法の鏡よ姿を見せて

第2話 魔法使いもどき

しおりを挟む

 カドリング島に帰って半年が経った。

 ここではGPSが使えない。
 メッセージは届かない。
 文も届かない。
 届ける手段がない。

 ドロシーが死んだことで、城下町を守ってた壁がなくなり、中毒者が大量発生していると聞いてから――ベックス家は島から出ていない。

 カドリング島はとても平和であった。
 畑も魚、木の実やきのこ、食べ物は溢れるようにあり、食糧が切れることもない。
 銀行がないので金銭事情は全くわからないが、使用人達は城下町と連絡が取れるまでゼロでも良いと言った。
 それほど、ここは安全だった。
 中毒者は現れない。
 とても平和であった。
 だから、とても安全な場所で――みんな、穏やかな生活を過ごしていた。

 ――あたしを除いて。







 女の悲鳴が古城に響く。






「テリー」







 はっと――目を覚ました。
 喉が痛い。頭が重い。
 悲鳴をあげていたのは、あたしだ。

 メニーがあたしの体を揺らすのをやめ、顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」
「……」
「すごい汗。……ちょっと待ってね」

 メニーが台の上に置かれた濡れタオルを、あたしの額に乗せ、あたしの頭を撫でた。

「テリー、いつ魔法使ったの?」
「……」
「駄目だよ。まだテリーの中にある力は不完全で……体力だって、こんなに消耗するんだよ? 訓練以外使っちゃいけないって、言ったでしょう?」
「うるさい……。使ってない……」

 あたしはメニーに背中を向けた。タオルが落ちる。

「ちょっと……寝れば……大丈夫……」
「テリー」
「黙って……」

 あたしは枕に顔を埋める。メニーがベッドから離れ――机に置かれた手紙を見つけた。

 ニクスへ。
 アリスへ。
 ビリーへ。
 ルビィへ。
 ソフィアへ。
 リオンへ。

 クレアへ。

「……」

 届かない手紙は溜まっていく。書くだけ書いて、届けられないか試してみて、結局駄目で、倒れる。高熱が出て、一度目の世界の時のように寝たきりになる。

(懐かしいわね……)

 そうだ。あたしは体が弱い娘だった。ちょっと運動しただけですぐに熱を出すお嬢様だった。

(元に戻った気分……)

 ――君はね、体のことを言い訳にベッドでぐーたらしすぎだ。体が弱いなら鍛えればいい。体力がないからそうなるのさ。さ、起きた起きた。

(あいつならこんな嫌味を言いそう)

 しかし、あいつはいない。

 ――また魔法に頼ろうとする! 君は少し、自然治癒の素晴らしさを知った方が良いと思うよ!

(お黙り)

 ――ほら、メニーが心配してるよ。

「そろそろ起きなよ。テリー」



 起きたって、ドロシーはいない。もうどこにもいないのだ。
 お前はあたしをかばって、オズに殺された。
 間抜けな魔法使いめ。
 あたしに最後の魔法をかけて、その命の灯を消した。

(クレア……)

 辺りを探したってクレアはいない。愛する彼女は、今全く連絡が取れない城下町にいる。リトルルビィも、ソフィアも、ニクスも、アリスだって。

(こんな生活に何の意味があるの?)

 手紙を書く。
 そうすれば正気を保てる気がした。
 書く内容はなんでもいい。
 ただ愛してるとだけ書いたこともある。
 会いたいとだけ書いたこともある。
 どうせ届かない手紙だ。
 でも、もしかしたら、届けることができるかもしれない。
 あたしが集中して、手紙を本人の元へ届けろと命じるのだ。
 そうしたら、手紙が届くのだ。
 必死にイメージをする。
 次やったら届くかもしれないと期待する。
 今度こそ届くかもしれないと勘違いする。
 メニーがいないのを見計らって、やってみる。
 今度こそは必ず。

 けれど――結局――手紙がクレア達の元へ届くことはなかった。

 そのうち捨てないと。でないと、手紙を置く場所がなくなる。

(……クレア)

 こんな状態の愛しいあたしを放って王子様としての仕事ばかり。本当に嫌な女よ。お前。結婚したくない女NO.1よ。

(……)

 会いたいわ。クレア。

「……テリー。朝までまだ時間がある。今日はゆっくり休んで」
「……」
「大丈夫だよ。わたしが側にいるから」

 メニーがあたしの隣に潜り込み、そっと、背後からあたしを抱きしめた。

「おやすみ。テリー」

 あたしは黙る。メニーは眠る。あたしは息を吐く。メニーは眠っている。あたしは静かに泣き始めた。メニーは……眠っているはず。

(……クレア……)

 連絡が取れない。
 何も出来ない。
 城下町がどんな状況かもわからない。
 あたしは瞼を閉じた。
 聖・アイネワイルデローゼ学園が崩れ、馬車が迎えに来る前に、最後にしたクレアとの会話を思い出す。

「愛してるよ。テリー」
「その姿で愛してるって言わないで」
「ほら、見てごらん。テリー。皆が俺達を見ているよ」
「そりゃそうよ。皆お前の見た目の美しさに騙されてるんだもの」
「お前も騙される?」
「冗談」
「テリー。愛してる」
「あっ、そう」
「ダーリン」

 手の甲にキスをされて、ひそめた声で言われた。

「……愛してる」
「……あたしも愛してる。……クレア……」


 こんなことになるなら、もっと伝えていればよかった。もっと、愛してるって言えばよかった。もっとキスして、もっと抱きしめて、もっとデートして、もっと甘やかせて、クレアは自分を偽って、国と人を守ってばかりだから、あたしの前では、もっと……甘えられるような……もっと……そうやって……もっと……もっと……。

 そう思っても、何もかもが遅いこと。
 もっとこうすればよかった。
 もっと伝えればよかった。
 色んなことを思っても、今のあたしには熱を出して、ベッドで休むことしかできない。
 熱が出れば、このままベッドに肉体が沈んでいき、溶けていって、せめて魂だけでもクレアの元へ行けないかと思ってはみるけど、気がつけば深く眠っている。目を覚ませばサリアがいて、目を覚ませばメニーがいて、たまにアメリアヌやママがいる。

 流石のアメリも、あたしの様子を見て眉をひそめた。

「テリー……大丈夫……?」

 あたしは答えた。ただの風邪よ。

「テリー、どうか食べてください」
「……」
「どうか。……スープだけでもいいので……」

 サリアがあたしにスープを飲ませる。だからあたしは死なない。安全な土地で、安全なこの島で、広々とした快適な部屋で、眺めのいい景色を、部屋から見るだけ。

 望んでいた未来よ。
 良かったじゃない。

(違う)

 確かに望んでいた。ギロチンの無い未来を。他人からもてはやされて、承認欲求が満たされて、イケメンの彼氏がいて、みんなに自慢して回って、毎日が何もかも幸せで――。

 あたしはやはり馬鹿だった。
 愛する人を失う痛みを想像してなかった。
 こんなにも辛いとは思わなかった。
 その人物がいなくなったら、もう会うことはない。
 でも世界は変わらず続く。
 現実は残酷だ。

 ドロシーが死んでも、ドロシーがいないだけで、何も変わらない。

 ――あたしの瞼が開けられた。
 ――無意識にメニーを抱きしめていた。
 ――メニーがあたしの胸に顔を埋めて、熟睡していた。
 ――まだ空も部屋も暗い。

(……)

 突然、胸が痛くなった。

(……)

 あたしはうずくまる。痛い。唸る。痛い。あたしはベッドから抜け出した。痛い。胸を押さえながら窓を開けた。痛い。新鮮な空気が部屋に入ってくる。痛い。あたしは大きく深呼吸し……痛くなって、やはり、胸を押さえた。

「ぐっ……ぅっ……う……!」
「……テリー……?」

 目を覚ましたメニーがはっと息を呑み、慌ててあたしに駆け寄ってきた。

「テリー!」

 前にメニーが言っていた。死ぬ前にドロシーがあたしに口づけしたのは……あたしに魔力を移すためにした行為だと。

(ドロシーの魔力が……あたしの中で……暴れてる……!)
「テリー!」

 痛い。あたしは胸を押さえた。

(心臓が痙攣してる)

 あたしは座り込んだ。

(死ぬ……。あたし、死んじゃう……!)
「テリー、落ち着いて。ゆっくり息を吸って」

 拳を固める。

(……クレア……!)
「……テリー、それ」
「っ!」

 いつの間にか、あたしの手に星の杖が握られていた。それを見た途端、痛みが嘘のように引いた。

(……お前は呼んでない)

 星の杖を睨む。

(消えろ。お前に……用はない)

 星の杖がほんのりと光っている。

(くそ……一体何なのよ……)
「……テリー」
「最悪。何なのよ。もう……」

 汗を出し、ふらつく足で立ち上がる。すると……星の杖が更に光った。

「わっ!」
「っ」

 森の方に、光の筋が向けられた。
 あたしとメニーがその方向を見る。

 朝日が登ってくる。明るい朝がやってきて、夜に現れる闇がなくなる。光に包まれるように、星の杖の光が包まれ、どの森を差していたのかわからなくなった。

 あたしは星の杖を見つめ……森を見た。

「……テリー、今のって……」
「……」
「あそこ……立ち入り禁止のところだよね?」

 あたしは森を見つめる。

「絶対誰も入っちゃいけないって。入ったら……霧に飲まれて、戻れなくなる……って、テリーがわたしに教えたところ」
「……ばあばにそう言われたのよ」

 子供の頃、好奇心から入ろうとして、その寸前でママが止めに来て、ばあばからはかなり叱られた。

 テリー、あそこは駄目なの! 絶対入ってはいけないの! 一族の掟なのよ!

(掟って言ってたけど、ばあばは……あそこを知ってるみたいだった)

 自分の目で見ないと信じない人だったもの。

「……テリー、昼にわたしが……」
「ここにいなさい」
「テリー」
「今ならみんな寝てるでしょ」
「トレイズかギルエドが起きてるかも」
「ここどこだと思ってるの? 気付かれないわよ」

 あたしが上着を羽織ると、メニーがあたしの側に寄った。

「わたしも行く」
「一人でいい」
「倒れたらどうするの」

 メニーが真剣な眼差しであたしを見つめる。

「わたしも一緒に行く」
「……。……。……好きにおし」
「……うん。好きにさせてもらうね」

 笑みを浮かべたメニーを無視して、あたしは久しぶりに部屋の扉を開けた。


(*'ω'*)


 裸足のまま森に入る。
 夜明けだというのに、森に入った途端、とても暗くなった。フクロウの声が響く。動物達があたしとメニーをじっと見つめた。

 杖が放つ光の筋がはっきりと見える。あたしとメニーの足が止まる。ロープが巻かれ、看板が立っている。ここから先、立入禁止。危険。このメッセージを見ても行った観光客は、二度と戻ってこなかったと思っていいだろう。

 この島はそういうことをする。
 ルールを守らない人間を許しはしない。
 けれど、杖の光が、この先を差しているのだ。

 あたしは地面に触れ、伝えた。

「テリー・ベックスです。……ここに入ることをお許しください」

 小さな風が吹いた。あたしとメニーの髪が揺れた。あたしは立ち上がり、ゆっくり、奥へと進みだした。メニーが後ろからついてくる。草の上を歩く。不思議なことに、草はとても温かかった。木が揺れる。しかし、普通の木ではない気がした。メニーが黙って歩く。あたしは杖の光を辿る。……霧が出てきた。けれど不思議なことに、寒くはなかった。二人で歩いていく。ゆっくりと着実に進んでいく。

 そして思う。ここは本当に島だろうか。カドリング島は小さな島だ。ちょっと歩いたらすぐに海が見える。なのに、こんなに歩いているのに、海が全く見えない。森から出られない。霧の奥が、まるで異世界のように……永遠と続いている気がして……それでも、足を止めずに、光の行く先を目指して進んでいくと――小さな湖が見えた。

 光は、湖の中に続いてる。

「……湖……」

 近づいて覗き込む。ネグリジェ姿のあたしとメニーが映ってる。

「初めて見るね。こんなところあったんだ」
「……光はこの中に続いてる」

 ……。あたしは湖の水を蹴飛ばしてみた。えい。

「テリー、駄目だよ」
「ただの湖ね」
「神聖なものかもしれないよ? カドリング島にあるわけだし……」

 メニーが覗き込んだ。

「ただの湖とは思えな……」

 四つ葉のクローバーのピンが滑っていった。

「あっ!」

 落ちた。メニーが慌てて手を入れた。しかし、ピンは沈んでしまった。

「あ、どうしよう! そんな、テリーから貰ったピンが!」
「何年つけてるのよ。それ」
「だって……テリーから貰ったのに!!」

 メニーが急いで手を叩いた。しかし、メニーの魔力が発揮されることはなかった。メニーが眉をひそめた。そして、また手を叩いた。しかし、ピンは戻ってこず、メニーの魔法も発動されることはなかった。

「魔法が発動されない……」
「城にあるの使えばいいでしょ」
「テリーから貰ったものなのに!」
「あんな古いのつけてる方がおかしいのよ。城下町に戻ることがあれば、また買ってあげるから」
「お願いします! 返してください! それ、ゴミじゃないんです!!」
「メニー、湖にそんなこと言ったって……」
「誕生日にテリーから貰ったの! テリーから貰ったものなの! お願い! 返して!!」

 メニーの瞳に涙が浮かんだ。

「わたしの大切なピン、返して!!」

 ――途端に――湖から裸体の女が飛び出してきた。

しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

おとぎ話の悪役令嬢のとある日常(番外編)

石狩なべ
恋愛
本編:おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい の番外編になります。本編もよろしくお願いします。

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

学園の美人三姉妹に告白して断られたけど、わたしが義妹になったら溺愛してくるようになった

白藍まこと
恋愛
 主人公の花野明莉は、学園のアイドル 月森三姉妹を崇拝していた。  クールな長女の月森千夜、おっとり系な二女の月森日和、ポジティブ三女の月森華凛。  明莉は遠くからその姿を見守ることが出来れば満足だった。  しかし、その情熱を恋愛感情と捉えられたクラスメイトによって、明莉は月森三姉妹に告白を強いられてしまう。結果フラれて、クラスの居場所すらも失うことに。  そんな絶望に拍車をかけるように、親の再婚により明莉は月森三姉妹と一つ屋根の下で暮らす事になってしまう。義妹としてスタートした新生活は最悪な展開になると思われたが、徐々に明莉は三姉妹との距離を縮めていく。  三姉妹に溺愛されていく共同生活が始まろうとしていた。 ※他サイトでも掲載中です。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...