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十章:お休みなさい 夢と希望(前編)

第3話 素人短編恋愛劇場

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 風で花が揺れる庭の噴水に腰を掛け、なぜセーラが伯爵令嬢に花瓶の水をかけることになったのか、事の経緯をそれはそれは細かく丁寧に相手がうんざりするように説明する。

 全てを聞き終えたキッドはうんざりするどころか、乙女達の純粋な心に感動をした上で溜息を出し、無駄に輝きながら眉を下げた。

「そっか……。嫉妬に燃えたヴィヴィアンが、先にお前にいけない悪戯しちゃったんだな」
「おほほ。あれを『いけない悪戯』程度で済むのであれば、警察と兵士と騎士は要らないわね」
「年を重ねてもレディを振り回してしまうなんて、俺は罪人だな……」
「大体、あんた14の時あたしと出会ってるのよ。ヴィヴィアンと付き合った時一体お前はいくつなの? ヴィヴィアンはいくつだったの?」
「俺13歳。ヴィヴィアン8歳。安心して、ハニー。キスしたのはほっぺた。一日だけデートして、帰りの馬車に乗る前に落としたハンカチを屋敷に届けてそれでおしまい」
「ヴィヴィアンみたいなレディは毎日泣いてるわよ。ああ、愛しのキッドとの思い出が忘れられない。まさか王子様だったなんて。逃した魚は大きかった。およよってね。どうするのよ。お前が全部悪いのよ」
「俺、デートしただけなんだけどな」
「ヴィヴィアンの話では、お前がパンツ一枚になったって」
「え? なんで?」
「君との恋は本気だなんだって言って、押し倒されたって」
「え? ……いや? ハンカチ渡して、じゃあねーって言って……窓から帰ったけど……」
「あんたの右胸のホクロを、その時に見たって言ってたわよ?」
「右胸にホクロあるのはお前だろ」
「ぶふっ!」
「お前も玩具にしてるじゃないか。悪女め」
「ねえ? キッド殿下。彼女はとっても面白い方でいらっしゃいますわね。だって、『(あたしの)ホクロが右胸にありますよね』って言ったら、なぜかヴィヴィアンは『その時に見ましたわ。キッドの右胸のホクロ。うふふ。可愛いチャームポイントですわよね』って仰ったのですよ? あらまー? あたしはいつキッド殿下のお話をしたのかしら? 彼女の耳は節穴なのかしら? 殿下のお話の中で胸に関して言われたらこう言わなくちゃ。『キッドってば不思議ですわよね。だって胸に包帯なんて巻いているのですから』……ってね」
「それはお前しか知らないことだろ?」
「あーら、どうかしら? 他にも知ってる人がいてもおかしくなくってよ? 何せ、あたしの婚約者はとんでもない女遊び魔のクソガキだったんだから」
「はいはい。ヴィヴィアンには俺から言っておく。セーラにも違うやり方を教えておかないとな」
「あーあ、集団リンチされてあたしすごく怖かった。未来が不安になっちゃったわ。あーあ、どうしましょう。王子様との理想的で素敵な婚約なんてやめてしまおうかしら」
「やめたいならやめたいって言えば? 何言ったって解消なんてしないけどな」
「ああ、横暴な婚約者。俺様王子様。白タイツは似合うくせにお腹は真っ黒最低王子。だからお前なんて嫌いなのよ」
「将来結婚する相手になんてこと言うの」
「あたしが結婚するのはお前じゃない」

 目を逸らす。

「クレアよ」

 風が吹く。

「あたしが愛してるのはクレアだけなの。お前じゃない。だから嫌い」

 手が伸びる。

「お前なんて大嫌い」





「ダーリン」





 声色が変われば、世界が変わる。

「舞踏会中」

 肩を抱き寄せられ耳に囁かれた瞬間、あたしの胸が大きく跳ねた。

「お願い。付き合って」
「……キッドは嫌いなのよ」

 肩に置かれた手に手を重ね、ようやく顔を上げて目を合わせれば、王子様の役から離れたお姫様がそこにいた。男装しなくたって十分綺麗なあたしの愛しいクリスタル。

 クレア。

 見惚れて、らしくもなくうっとりしてしまう。

「だからって目の前で恋人の悪口を言う奴がどこにいる」
「貴女じゃないわ。キッドに言ったの。あたしはキッドのガチアンチファンだから」
「中身はあたくしだぞ?」
「だったら、ずっとクレアのままでいるのね」
「誰かに見られたらどうする気だ」
「そうね。キスして誤魔化そうかしら」

 そう言って、あたしからクレアの唇を塞いだ。クレアがそっと瞼を閉じて、離れたらまた上がる。長いまつ毛。綺麗な青い瞳。今日は王子様用のメイクをしてるのね。かっこいいけどあたしはあまり好みじゃない。ワックスで固められた髪を撫で、クレアだけを見つめ、頬を緩ませると……クレアが呆然とした目で見てきたので、あたしは首を傾げた。

「ん? どうかした?」
「……ダーリンの性格が変わりすぎて、どうしたものかと思ってな」
「会いたかったわ。あたしのクリスタル。やっと会えた。……記者はいない?」
「記者は舞踏会に夢中。ああ、近くに護衛騎士なら歩いてる」
「なら貴女とキスしたって問題ないわね」
「キスするなら記者の前の方が、キッド的には有難いがな」
「ヴィヴィアンから聞いたわ。あたし達、いつまで経っても結婚しないから、不仲説が出てるんですってね」

 あたしからクレアの頬にキスをすると、クレアの肩が揺れた。

「だからダンス中に口説いてきたの?」
「1割はそうだな。見せつけるため」
「あら、じゃあ9割は?」
「久しぶりに会えたダーリンが綺麗だったから、テンションが上がってしまったの」
「クレアの姿だったら大歓迎だったけど、ね、ベイビー。あたしの可愛いハニー。……キッドを演じてる時はまじでやめて」
「ダーリン。あたくしの貴女。キッドを演じていても中身はあたくしだ。愛しい人に触れたい、口説きたい、愛を伝えたいと思って何が悪い。あ、このピアスいいな。似合ってる」
「見せつけようとしないで。あのね、言いたい奴には言わせておけばいいのよ。あーだこーだ言う奴の9.9割は、大体根拠も証拠もない自分の頭で妄想から話を膨らませてるだけの奴らよ? 0.1割が真実をわかっていればいいわ。キッドだってよく言うでしょう?」
「ねえ、ダーリン、キッドに戻ってもいい?」
「兵士がいる?」
「道に迷い込んだお嬢様方が」

 顔を動かさず目だけを動かすと、柱に隠れてる影があるのが見えた。小さく声が聞こえる。「ねえ、あれキッド様だわ!」「隣にいるのはテリー様?」「不仲説は本当なのかも……。だって、不穏な空気が流れてるもの」「ねえ、ここにいたらまずいわよ。戻りましょうよ」「しっ! 気付かれるでしょ!」……意外と声って聞こえるものなのね。キッドがあたしの腰を掴み、顔を近づける。

「っ、ちょっと……」
「俺達、仲悪いんだって」
「今更でしょ」
「テリー」
「言わせておけばい……」
「ダーリン」

 クレアの微笑んだ。

「ね?」

(……ここでその顔はずるくない?)

 惚れた弱みを握られ、あたしとキッド役の衣装を身に纏ったクレアが唇を重ねる。少女達が息を呑む音が聞こえた。唇の音が響く。重なっては離れて、また重なって、唇を動かしながらどんどん濃厚になっていく。大人のコミュニケーションに少女達が釘付けになっていく。クレアの動きが激しくなってきた。あたしはクレアの膝を軽く叩く。待って、やりすぎ。それでもクレアは止まらない。見せつけるようにあたしにキスをし、そのまま噴水の縁にあたしを押し倒した。

(ちょっ!)
「「ひゃあっ!」」

 少女達のひそめた初心な悲鳴が聞こえ、それでも見られてることを意識してなのか、クレアがあたしに濃厚で大人で、少女達にはまだ早いキスを繰り返す。お陰で呼吸が出来なくてすごく苦しい。

「んっ……んんっ……!」
(息くらいさせんかい!!)

 クレアの胸を押しながらくぐもった声を出すと、少女達が柱から急いで顔を覗かせる。「え、何? どうなってるの?」「噴水の水で見えない!」「いいとこなのに!」何がいいとこよ! 囁いてばかりいないでちょっとは大きな声で騒いだらどうなの!? そしたら声に気付いたふりが出来るのに! そういうところで女子って空気に溶け込もうとするのよ! 大丈夫よ! もうばれてるから!

(つーか、キスが重い! 長い! 苦しい! クレア!!)
「……っ、ちょっ……! やりすぎ、だって……!」
「テリー」

 少女達が目を見開いて黙った。クレアが頬を赤く染め、あたしの赤くなった頬をなで、そんな目で見られたらあたしの手も伸びて、クレアの頬を撫でる。お互い慈しむような目で見つめ合い、それでも忘れてはいけない。クレアはとっておきの王子様の台詞を吐いた。

「愛してるよ。俺のプリンセス。今宵の君もまるで夜空から舞い降りた小鳥、天の川の天使。銀河に光る美しき星の女神。……ああ、駄目だ。君に似合う言葉が見つからない。テリー、今夜はどうやって砂糖菓子よりも甘い君に愛を囁いて、恋の井戸底へ口説き落とそうか、俺はとても悩んでるよ。だって、君はまるで手の届かない宝石、宝物、麻薬。リンゴのように赤く染める頬は、まるで恋に溺れさせる毒の花のよう。俺はこのまま君の誘惑に乗って、恋の迷路に迷ってしまいそうだ」
「……あたし、なんか言った方がいい?」
「黙って肩に手」
「ん」
「ああ、テリー……。なんて愛しい手だろう……。もっとくっついて? もっと俺に触って? この手も、ぬくもりも全てが恋しい。君が身に着けるドレスになって、ずっと君を抱きしめていたい。ああ、どうして今日は舞踏会なんだろう。君の美貌を見ていた男達の邪でいやらしい目を見たかい? 俺は心底……浅はかな紳士だと言ってくれて構わない。でも、俺は……腹が立って仕方ない。君は……俺だけのプリンセスなのに……」

 キッドがあたしの手の甲にキスをした。少女達が拳を握り、真剣な目で固唾を呑んだ。

「いっそのこと……このまま君を犯してしまおうか?」

 指があたしの肌をなでる。

「俺のカナリア。俺以外の男を見るならば、俺はその翼を切り落とし、君を俺の部屋に閉じ込めて、皆の目から隠してしまおう。そして、君を殺してしまうほど、可愛がって、大切に愛でよう」

 キッドがあたしの顎を掴んだ。

「よそ見しないで。テリー。愛しすぎて……君を……愛で壊してしまいたくなる」

 もう一度唇を重ねる前に、二人の少女が倒れた音が聞こえた。すかさずあたしとキッドが振り返ると、鼻血を垂らして目をハートにさせてふわふわさせながら廊下で気絶していた。それをキッドの『お手伝いさん』が歩いて来て、腕に少女達を抱き上げ、再び会場へと戻っていく。

「……終わった?」
「どうする? 続きする?」
「閉幕」
「つまんない奴だな」

 くくっと笑いながら、キッドがあたしの体を起こした。

「協力ありがとう。これでしばらく大丈夫だろ」
「あの子達、こんなつまんない素人劇場なんか見てないで、さっさと会場に戻れば良かったのに」
「何言ってるんだよ。王子様と男爵令嬢の恋愛劇場なんて、なかなか見られないんだぞ? あの子達は実に運が良い」
「見せものじゃないわ」
「そう怒るなって。借りは返すから」
「へーえ。あたしのお願いも聞いてくれるっての? 無償で?」
「ええ。もちろん。いつものようになんでも叶えましょう。プリンセス」
「そう。……なら」

 あたしはその頬に手を触れさせた。

「……もう一回、クレアとして……キスして?」

 クレアが石像になった。

「お願い。……あたしのクリスタル」

 恋しい頬に軽く唇を押し付けて、ついでに囁く。

「クレアと恋の井戸底に落ちたい」
「……あー……もぉー……無理ぃー……♡」

 キッドの衣装を着るクレアが耳まで真っ赤に染め、あたしを抱きしめて、照れて可愛くなった顔を隠した。

「ダーリン……♡」
「ね、どうやって砂糖菓子よりも甘いあたしに愛を囁いて、恋の井戸底へ口説き落としてくれるの?」
「やぁーだ♡ ぐへへ……♡」
「どうやって愛であたしを壊す気? 翼も取るんだっけ? ほら、クレア、よそ見するなら、あたしがあなたの翼をもぎ取って、宝箱の中にコレクションして、そのままあなたを鳥かごの中に閉じ込めちゃうわよ?」
「あ、ん。もぉー……♡ ダーリンったらぁ……ぐひひひ♡」
「……ドレス姿見たかったわ。きっと……本物のクリスタルよりも綺麗だったはずよ」
「……そう思ってくれるのは、お前だけでいい」

 クレアがあたしを抱きしめながら耳に囁く。

「真実を知ってる0.1割のお前が、あたくしを愛してくれたら……もう、それで幸せ」
「口説いてる?」
「ぐひひ。ダーリンの意地悪。あたくしは相当な照れ屋さんだから、キッドに戻らないと口説けないのわかってるだろう?」
「そういう不器用なところも好きよ。クレア。……すごく、可愛い」
「……可愛い?」
「可愛い」
「……ぐひひひ……♡」
「……二人の時間なんて久しぶりね」
「……そうだな。最近はこうやってゆっくり話す時間もなかったから」
「会いたかったわ。クレア。……本当に」
「……あたくしも」
「愛してる」
「……あたくしも……」
「好き」
「……ん……うん……♡」
「最近外への出かけが多いわね。明日もなの?」
「……ああ。明日も……でも、忙しいのは貴様もだろう?」
「ええ。大変よ。スケジュールがパンパン」
「息抜きにデートに行きたい」
「あたしも」
「今夜は泊まるか?」
「無茶言わないで。明日も朝から紹介所よ」
「事務仕事は大変だろ」
「貴女もでしょ」
「ダーリン」
「何?」
「キスしたい」
「ええ。……して」
「……ん……」

 さっきとはまるで違って、ゆっくりと愛を確認し合いながらクレアと唇を重ね合う。とても心が晴れやかになる。一瞬で疲れとイライラが取れたみたい。キッドで生まれたストレスもクレアによって一気に無くなった。もう、本当に、――愛してる。

「……」

 唇が離れると黙ってお互いを見つめ合う。

 クリスタルのように輝く青い瞳が、この距離だとよりよく見える。愛しい。クレアはどうしてこんなに愛しいのかしら。キッドになった瞬間嫌気がさすのに、クレアに戻った途端に、とんでもない量の想いで溢れる。この想いはまだ愛ではなく恋心のよう。彼女に構ってほしくて仕方ない。傍に居たくて仕方ない。

(ついちゃった)

 あたしの口紅が唇についてるクレアを見つめ、ふっと笑って、その唇を指で拭う。

「……ついてた」
「……拭わなくて良かったのに」
「あら、じゃあ……もう一回つける?」
「あっ、……ダーリン……♡」
「動かないで、クレア」
「うふふ。もう……♡ ダーリンったら……♡」
「クレア……」


「なあーーーー! そろそろイチャつくの本気でやめてくんないかなぁーーー!?」

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