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八章:泡沫のセイレーン(後編)
第25話 警告メッセージ
しおりを挟む午後になれば、更に暑さが出てきた。
船の上とは大違い。まるで夏のようだ。本当に今が春の前なのか疑いたくなるほど。
砂浜ではニクスとアリスとクレアが仲良くバレーボールをする。暑さにやられて伸びたリトルルビィは、メニーに扇子で扇いでもらっていた。
あたしは――、
「足元に気をつけなさい」
「ガタガタだね」
ソフィアに手を貸して、ガタガタの地面の上を裸足で登らせる。
「ね、写真撮っていい? 景色が綺麗」
「ご自由にどうぞ。呪われない程度にね」
「見張りのバイトでも雇った方がいいよ。呪いの話に興味を持った若い人が遊びに来て、本当に呪われたら訴えてくるかも」
「大丈夫よ。訴えられる前に病気で死ぬもの」
「……本当なんだ?」
迷わず頷く。
「小さい頃から言われてたわ。この島は、唯一呪われない一族のあたし達が、あくまで監視しているだけの島だって。人が呪われたら、それはそいつらのせいよ。あたし達は警告してるもの」
「よく島開きなんてしようと思ったね」
「気味悪がってみんな島から離れたのよ。島から人がいなくなったら、誰がベックスの家を守るの?」
坂道を上ると、神殿のような建物がある。
「あそこよ」
指を差す。
「あれが、あたし達の実家」
「……わあー……」
その建物を見て、ソフィアから聞いた事のない声が聞こえた。その顔を見ると、興味深そうに家を見ている。
「……あれ?」
「あれ」
「……すごいね」
ソフィアがあたしに訊く。
「撮ってもいい?」
「美しく撮ってくれるなら、島が喜ぶと思う」
「くすす。逆に、どうやったら汚く撮れるの?」
ソフィアがレンズを向けた。
「こんなの、どう撮っても美しくなるよ」
シャッターを切る。フィルムに、美しいベックスの家が記録された。
「あれはすごいね」
「明日はあそこの庭で結婚式よ。遅刻厳禁だからね」
「わかってるよ。君の家庭教師の先生の結婚式でしょ」
「ん」
「テリーって、先生に反抗するもんだと思ってたけど、そうじゃないんだね」
「……クロシェ先生は他の人とは違うのよ」
暖かい風が当たる。
「ちゃんとあたし達に、善と悪を教えてくれたわ」
「良い先生なんだ」
「ええ。すごくね」
悪い事をしたら全力で叱られ、あたしとアメリがケンカをしたら間に入って何が原因かを探り、答えを導きだし、善い行いをすると「良い子ね!」と言って全力で褒めてくれる。あたしが舞踏会に行きたくないと髪を切った時だって、みんな苦笑いする中、クロシェ先生だけは、「反抗するなら言葉で言いなさい。わざわざ自分を傷つけないの。」と言ってくれた。
あと人はあたし達の最高の先生よ。
「あんたもクロシェ先生と出会ってたら、きっと怪盗になんかならなかったわ。浅ましい貴族に騙される事だってなかったと思う」
「それはどうかな」
「そう言えるくらいすごい人なのよ」
「……結婚するんだ」
「ええ」
「おめでたいね」
「……少し寂しいけどね」
クロシェ先生が屋敷からいなくなる。
「本当はもっと前に家庭教師をやめるって話もあったんだけど、あたし達が15歳まではって、姉さんもあたしもメニーも、しつこく言ってたから」
「そっか」
「……こっちよ。ついてきて」
あたし達は引き続き、ガタガタの道を進んでいく。ソフィアがあたしの足を見て、くすすと笑った。
「山道では流石のテリーも裸足なんだね」
「靴で歩いたら叱られるのよ」
「誰に?」
「島に」
「くすす。島には口がついてるの?」
「ソフィア、靴なんか履いてこの道を歩いてみなさい。裸足なら何も起きないけど、靴で歩いた日には雨が降って風に当たって転びに転んで大怪我するわよ」
「……それいつの話?」
「……六歳の時よ。死ぬかと思った」
きらきらな新品の靴を自慢したくて、ばあばに止められたのにも関わらず履いてたら、島にしてやられたのよ。ただ、あたしは怪我を負ったけど、大事な靴には泥一つ付いてなかった。不気味でしょう? まるで島に、ここは歩いちゃ駄目よ。悪い子ねって、叱られた気分。
「この島、そういう事が頻繁に起きるのよ。だから悪い事が出来ないの」
「くすす。この島、本当に生きてるのかもね」
「ただの呪われた島よ。リゾート地を作れたのだって奇跡だわ」
――突然、突風が吹いた気がした。「だれが呪われた島ですって?」と、言ってきたかのように。
「ひゃっ!!」
あまりの強さに、あたしは後ろに吹き飛ばされた。それをソフィアが受け止める。
「おっと」
「いいいいいいいい!! 何よ! 本当の事じゃない!」
あたしは島に向かって怒鳴り、ソフィアにぴたっ! とくっついた。
「見た!? 今の突風! 文句言ったらこれよ!」
「突風?」
「吹いたでしょ!?」
「私には、テリーが勝手に後ろに倒れたように見えたけど」
「は!? 何それ!? あたしにしか感じてない現象!? あたししか見えないやつ!? 嘘でしょ!? あたし、霊感なんて一切もってないのに! 魔力だってないのに! ああ! もうこんな不気味な島、嫌!」
「テリー、このまま君に触れられるのはとっても素敵だけど、隠れスポットにもぜひ行きたいな」
「……はいはい。隠れスポットね。チッ。もう少しよ。ついてきなさい」
「そこも景色が綺麗なの?」
「ええ、景色だけは極上よ」
呟く。
「パパも好きだった」
「……そっか」
ソフィアがカメラを構えた。
「それじゃあ、間違いないね」
森の景色を撮る。誰か来た! と興味深そうにこっちを眺めてくる動物の写真を撮る。キツネが近付いてきた。この島のキツネは触っても大丈夫よと言えば、ソフィアがキツネの頭を撫でた。街には無い形の木に、ソフィアが写真を撮った。木には木の実が生えている。あたしは島に取っていいか木を叩いて訊いてみた。突風が吹かなかったので、高身長のソフィアに二つ取ってもらって、一緒に食べた。
「テリーは木登り出来ないの?」
「出来るわけないでしょ。あんなサルみたいな事出来るのは、メニーくらいよ」
木の上で鳥達が止まり、あたし達を上から見下ろす。ソフィアが写真を撮って手を振った。
「テリー、見て。縁起がいいね。コウノトリがいる」
「ああ、なんか気が付いたらいるのよね」
「まるで私達の愛を祝福してくれてるようだね」
「友情でしょ?」
「はいはい」
地面がどんどん緩やかになっていく。
「この山、不思議だね。裸足で歩いてるのに全然足が痛くならない」
「そうよ。だから土足厳禁なのよ」
「立ち入り禁止って札、土足厳禁って書いておけば?」
「書かなくていいわよ。土足で入ったらその人達の最後だから。あのね、入るなって警告してるのに言う事聞かない奴が悪いのよ。死んだって事故なら誰も悪くないわ。誰も責められはしない」
「訴えられたら?」
「そうしないように島が片付けるわ」
「恐ろしい島だね」
「逆を言うと、言う事守ってれば何もしない平和で楽しい島よ。探究心は身を滅ぼすってね」
小さな池を通り、変な方向に曲がった木を通り、昔誰か住んでいたのではないかと思うような空っぽの家の横を通り、ソフィアが写真を撮って、シカの親子の横を通り、昼寝しているクマの横を通り、一本道を進み、木々の間を抜ければ、……ソフィアが息を呑んだ。
そこから見えるのは、広大な島の景色。
「到着よ」
あたしは草むらに座った。
「パパがいる時、よくここに来たの」
パパはここから見る島の景色が好きだって言ってた。美しくて見惚れるんだ。苦しい事も辛い事も、この景色を見たら忘れられるんだって。
「……あんたも座れば?」
「……失礼するね」
ソフィアがあたしの隣に座り、景色を眺めた。島がようこそ、と言っているように、暖かい風が吹いた。
「これは絶景だね」
「盗んじゃ駄目よ」
「盗みたくても盗めないよ。この眺めに値段はつけられない」
ソフィアがカメラを構えて、シャッターを切った。
「現像するのが楽しみだな。……ぼやけてたら、島がNGを出したって解釈をしておくよ」
「ええ。その解釈で正解よ。この島は気まぐれだから」
海が揺れ、風が吹き、優雅に空を鳥が飛ぶ。
「すごいね。ここ、本当に、具体的には言えないけど、不思議。心が癒やされるというか」
「ハープを持って来るべきだったわね」
「くすす。殿下が部屋で弾いてたよ」
「あいつに弾かれる魔法のハープが可哀想。盗んであげたら?」
「そうだね。考えておくよ」
ソフィアが息を吐いた。
「なんだかんだあったけど……最終的に丸く治まって良かったよ。未解決のままじゃ、思いきり島で遊べないからね」
「……ねえ」
草が擦れる音がした。
「目は?」
「うん。もう平気」
「……聞いた?」
「……君が、良くない物を持ってたんだって?」
「……ん」
「テリー」
髪の毛が揺れた。
「仕方ないよ」
「……」
「怪我ももう治ったし、気にしないで」
「……忘れてた。あんたは馬鹿がつくほどの善人だった」
あたしはドレスの皺を伸ばした。
「だって、もう終わった事だよ?」
「あたしの事、恨んでるでしょ」
「どうして?」
「……あたしが近付かなければ、異空間に飛ばされて、あんな痛い思いだってしなくて済んだ」
「でも、あの場に私がいなければ、テリーがどうなってたかわからない」
ソフィアが体を少し倒し、あたしに寄りかかった。頭同士がくっつく。
「私、テリーが無事ならいいんだ」
ソフィアが笑顔で言った。
「ほんと、何もなくて良かった」
「……」
「何? 期待外れな答えだった?」
「……文句一つ言わないのね」
「終わった話だしね」
「船に乗らなければ痛い思いもしなくて済んだわ」
「船に乗らなければ、好きな人とこんな絶景は見られなかった」
ソフィアの手があたしの肩に置かれた。驚いて、びくっと肩を揺らすと、そのまま優しく抱き寄せられた。
「ソフィア」
「何もしないから」
ソフィアの体温を感じる。
「少しだけ」
「……」
「テリー、……もう少しだけ、この気持ちを持っててもいい?」
「……あのね、……言っておくけど、辛くなるだけよ」
「うん。それがいいの」
ソフィアは美しく微笑む。
「テリーが原因で胸が痛いっていうのが、私、すごく心地好いの」
「ドMが」
「だって普段はすごく痛くて苦しいんだよ? でも君の顔を一目でも見たら、その痛みは消えて、すごく楽しくなる。それを繰り返す。だから君に会いたくなる。君の事を想像して胸を痛める。そして、また出会って、愉快になる。くすす。テリーってある種の麻薬みたい」
「あんた、病んでるでしょ」
「そうだよ。恋しい君のせいでね」
「……ねえ、早く良い男見つけなさい。それがあんたのためよ」
「テリーみたいな人がいるといいんだけどね」
あ、そうだ。ソフィアがひらめいた。
「テリー、クローン作ってよ。で、クローンを殿下とリトルルビィとメニーに分けて、オリジナルの君を私がもらえばいい」
「あのね、人を物扱いしないで」
「そうすればみんな笑顔になるよ」
「なるわけないでしょ。ていうか、クレアとリトルルビィならまだしも、なんでメニーに分けるのよ」
「くすす」
「お生憎様。美しいあたしは一人しかいないの。黒魔術を使ったって無駄よ。この美貌はクローンだって劣るわ」
「……だろうね」
ソフィアがあたしの手を握った。
「まあ、もうしばらくは君の事を好きでいさせてって話」
「……あたしは警告したわよ」
「承知の上だよ」
あたしはソフィアに肩を抱かれながら溜め息を吐いた。
「……ソフィア、あんたのことを思って言うけど、考え直してみなさい。ね。あんたは盗めないあたしの心に執着してるだけよ。あたしがあんたのこと好きになってみなさい。今ままでの気持ちが嘘のように冷めるかもしれないわよ」
「……ふーん。じゃあ試してみる?」
あたしはきょとんとした。
「頬で良いから私にキスしてみて。ほっぺたなら、友達同士でもやるでしょ?」
「……んー」
「どう?」
ソフィアがにこにこしながら自分のほっぺたを人差し指で差す。
(……まあ、ほっぺたならいいか)
あたしは振り向き、ソフィアに近付いた。
「いいわ」
「え?」
「動かないで」
あたしは首を傾げた。
「っ」
――その瞬間、ソフィアがあたしの両肩を掴み、自分から引き離した。
「……」
ぽかんと瞬きすると、ソフィアは変わらぬ笑顔を浮かべて訊いてきた。
「何?」
「え?」
「本当にするの?」
「提案したのはあんたでしょ」
「いやっ」
「え?」
「あの」
……ソフィアがふっと笑った。
「そのまま私が君の唇を奪ったらどうするの?」
「馬鹿。あんたあたしにそんなことしないでしょ」
顔を寄せる。
「ほら、じっとして」
「……本当にするの?」
「……はっはーん? わかった。あんた、……潔癖症なんでしょ!」
あたしはにやりとした。
「ぐふふふ! いいわ! あたしの唾をあんたの綺麗なほっぺたにつけてあげるから! おら! じっとしてろ!!」
ソフィアにあたしの顔が近付く。
(くらえ!!)
ソフィアの頬に、あたしの唇がぶちゅっ! とくっついた。
(おら、どんなもんよ! ざまあみやがれ!)
「……」
ソフィアが顔をあたしから逸らした。
(何よ! あたしの唇を拭おうってか!? そうはさせるか! 邪魔して今までのからかわれた恨み、晴らしてくれる!)
「ソフィアー?」
ソフィアがあたしから顔を逸らす。
「ねーえ、ソフィアー?」
ソフィアがあたしから顔を逸らす。
「ねえ、ねえ、ソフィー!?」
服を引っ張る。
「ソフィアちゃーん!?」
笑顔でソフィアの顔を見れば――今まで見た事がないほど顔中を真っ赤に染めて、本気で照れている女の顔があった。
「……」
あたしは言葉に困った。
「……」
どうしよう。
「……」
ソフィアが無理矢理口角を上げた。
「……くすす。テリーからキスしてもらえて、とっても嬉しい」
その笑顔は、あたしでもわかるほど引き攣っている。
「くすすすすすすす」
「……熱は冷めた?」
「……ああ、冷めたかもしれない!」
「……あんた、こういう時、嘘付くの下手ね」
「……あまり見ないでほしいな」
ソフィアが目を逸らし、頬を赤らめたまま手の甲を唇に当てた。
「君も困るでしょ」
「……別にやましい事はしてないもの。あんたがどう思ってようがね」
いいわ。落ち着く時間をあげるわ。しょうがない奴ね。言われた通りソフィアから離れ、目を景色にやると――後ろから抱きしめられた。
「……ちょ」
「少しだけ」
ソフィアの手が熱い。
「お願い。少しだけ……」
ソフィアがあたしの肩に顔を埋める。その表情を、誰にも見られないように。
「少しだけでいいから」
「……少しだけよ」
小さな子供みたいな頭をぽんぽんと撫でる。
「あんたね、どうするのよ。どうやって火消しするのよ」
「……」
「馬鹿ね。自分の首絞めて」
ソフィアが手の力を強める。
「あたし、知らないわよ。だから警告してるのに」
ソフィアは何も言わない。
「いつかちゃんと区切りつけなさいよ」
頭を撫でる。
「わかった?」
「……わかってる」
「ん。……よろしい」
「……これだけ言わせて」
「ん?」
「やっぱり好き」
風がソフィアの声を隠す。
「君が恋しい」
あたしは聞こえなかったふりをする。
黙って、ソフィアの頭を撫で続ける。
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