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八章:泡沫のセイレーン(後編)
第17話 真実はいつも一つ
しおりを挟む壁一面に蝋燭が飾られ、火がゆらゆらと揺れている。地面には白い線で魔法陣が描かれ、大量のカラスの死体からは血が流れ、魚の死体が置かれ、そして、よくわからない肉の山と、その中心に裸のメグと、彼女を抱きしめるマチェットが気絶し、倒れていた。
あたしとメニーが目を合わせる。メグの呪いは浄化されたはずだ。だが、戻ってきたのは現実世界ではなく、異空間。注射器をしまったクレアが魔法陣を見下ろした。
「なるほど」
クレアが指で線をなぞる。
「黒魔術か」
「さっき言ってたやつよ。人魚を創るのに必要な魔法陣」
「魔法に打ち勝つ方法が載った本で見た事がある」
初代キング国王、そして、歴代の救世主達が残した記録。
「そういえば色々あって、お前に見せるのを忘れていた。今度塔に来い。見せてやる」
「……また今度ね」
「……クレアさん」
メニーが魔法陣を眺め、顔を向けた。
「この魔法陣は一体……?」
「メニー、こことここに水の絵が描かれているだろ? 魚の模様。女の絵。あたくしの記憶が正しければ、これは黒魔術の魔法陣。合成魔法の効果のものだ」
にゃん。
ドロシーがクレアの足元にやってきた。
「ドロシー、あたくしの推理を聞いてもらいたい。この合成の魔法陣で人魚が完成する。材料は、『女』と、『カラスの血』と、『魚』と、『契約者の体温』」
「にゃあ」
「しかしこの魔法陣はあくまで黒魔術、合成の魔法陣。だからこそ、人間でも発動する事が出来る。すなわち、完全な合成をする事は出来ない。どんなに良い捧げものを連れてきても、人魚は不完全なものしか出来ない。完全体にするには対価を必要とする。女の愛しい人を人魚になった女に食べさせ、ようやく完全体が出来上がる。こうして出来上がった人魚を生きさせるには餌を食べてもらわないといけない。それが人間の男。男の肉は、より上質な人魚の餌である」
あたしは何の肉だかわからない肉片を見て――そこから異常な異臭がして――そそっ、と離れた。
「違うかな?」
「みゃーお」
ドロシーが正解だと返事をすると、クレアがにやりとした。
「だろうな」
「……つまり……メグさんはマチェットを食べてないから……人間に戻って……全部解決した?」
「いいや。解決はしてない」
クレアが帽子を被り直す。
「そもそも、メグ・グリエンチャーは犯人じゃない。……当て馬だ」
クレアの視線が、マチェットに抱かれるメグに移る。
「彼女は中毒者に巻き込まれたんだ。犯人は別にいて、そうだな。おそらく、これはあくまであたくしの勘だが、メグ、という名前の友人が、過去、イザベラには居たそうだ」
「……それだけで巻き込まれたっての?」
「テリー、まるで縁を感じないか? メグは、ファンとして大スターイザベラに会いに行った。そこに、人魚を創りだそうと企てていた中毒者がいたとしたら、亡きイザベラの友人と同じ名を持つ美しい女が現れて、犯人はこう思ったはずだ。メグがチャンスをくれたんだ。このメグを使って、人魚を創りだそう」
「そんないかれた発想する人いる? 小説じゃないのよ?」
「そうだ。いかれてるんだ。だから呪われた」
オズが目を付けた。
「まあ聞け。犯人からしたら上手くいくはずだったんだ。だって準備は完璧なのだから。魔法陣も材料も全てが整った。後は人魚を創るだけ。……しかし、予想外の事が起きた」
蝋燭がゆらゆら揺れる。
「何をしても魔法陣が発動しなかった」
蝋燭の火が部屋を暖める。
「一つだけ、材料が足りなかったんだ」
蝋燭の火が部屋を明るく照らす。
「メニー、頭の良いお前なら気付いているのではないか? なぜ蝋燭が部屋中にあると思う?」
「……体温が無かったから……?」
「そうだ。中毒者には体温が欠けていたんだ。ソフィアやリトルルビィの味覚が変わったように、中毒者には何かしらの副作用が現れる。今回の場合、中毒者は体温を失ったんだ」
だから蝋燭で部屋を暖めた。しかし、
「それでも魔法陣は発動しなかった。人魚は創れなかった。だから……」
中毒者は呪いの飴をメグの体内に入れた。それによって、メグは呪われた人魚となった。
「理性を失うまで暴走をしていたんだ。飴を粉々にして……大量に体内に入れられたのかもしれない」
そう。
「中毒者は、飴を体内に入れたら『人魚になる』事を知っていたんだ。もしくは、……飴を舐めた者は『不完全体でも人魚になる』と、思っていたか」
だからメグに呪いを与えた。
「それが初日の夕暮れ時。船が大きく揺れただろ」
自殺をしようとしていたイザベラを突き飛ばそうとして――船が大きく揺れ――あたしは海に落ちそうになった。
「呪われたメグは暴走を始め、異空間を飛び回り、収拾がつけられなくなった。中毒者は焦った事だろう。何せ、メグは行方を眩ませたのだから」
中毒者は必死になって捜した事だろう。大切な人魚。ようやく創り出したのにいなくなった。それが事件の始まり。メグが暴れ、船が大きく揺れ、最初にランドとジョディが殺された。なぜか。それは後から答え合わせだ。今はひとまずメグの事だ。この部屋の隅に、肉片が置かれているな。テリーも察したように、その通り。凄まじい異臭がするその肉は人の肉。今まで殺された男達から取った肉だ。中毒者は人魚が男の肉を食う事を知っていた。だからここに置いておいた。空腹のメグはこの肉に釣られてここへ来る。そう思った罠だった。しかし、魔法のハープがメグの心を癒した。メグは理性を失いかけていたが、まだ失ってなかったんだ。たまに正気に戻り、たまに失ったり、それはそれはおぼつかない意識の狭間を行き来したことだろう。彼女は抗った。絶対に理性を失うものかと苦しみながらも戦った。
「メグは少しでも気を紛らわせようと、異空間に食べてもいいものを作ったはずだ。幻覚。魚。男の人形。そうだな。マネキンでもあったら飛びついていたかもな。食べても食べられないから」
最初に迷い込んだ異空間で、あたしが隠れた箱の側にあった男のマネキンは、メグによって粉々にされていた。
「ひょっとすると、皆と出くわした時も意識があったかもしれんな。記憶と理性がメグの命綱だった」
――さん。
「母親がメグを捜してたんだったな?」
――かあさん。
「だったら、メグも捜してたんじゃないか?」
――かあさん。
鱗の手を地面につけて、沸き起こる狂ったような食欲に侵されながら、メグは這いずり回った。その中で――聞こえたのだ。
「マチェ……」
顔を上げるとそこには、愛しい恋人と見慣れた赤髪の姿があった。
――マチェット! 母さん!
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
メグが声を張り上げた。
――マチェット! 母さん!
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
必死に声を上げていた。
――助けて! 体がおかしいの!
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
メグは『あたし』を追いかけた。
メグの母親は『赤髪』だった。
メグはあたしに言った。『母さん、心配していたのよ』と。
あたしは、メグの『人違い』によって異空間に連れられていた。
「メグの心は常に乱れていた。それも、異常なほど」
ハープは現れ、演奏を始める。美しい曲を奏でる。
「しかし、呪いが解けた今でも、ハープは鳴り続けている」
ハープは心を乱した者の味方。
「もう演奏する必要がないのに」
クレアは魔法のハープを見つめる。
「テリー、中毒者はなぜここへメニーを連れてきたと思う? まだメグがいたのに」
大丈夫。それももう頭の中で解決している。
「結局メグは呪いの飴によって創られた不完全体だ。だったら最初から完成体を創ればいい。人魚は一般的に、美しい女であればあるほど完全体となると言われてきた」
中毒者がその知識しかなかったら? 対価を必要とするなんて、知らなかったら?
「いたんだ。一人。メグよりも、誰よりも、心も見た目も、美しい少女が」
メニー・ベックス。
「魔法陣さえ発動すれば人魚は出来上がる。魔法陣の発動方法は後だ。とにかく、今は人魚の材料を集める事が先決だ。……そう考えた中毒者はメニーを誘拐し、ここへ連れてきた」
じゃあ、メグはどうしてお前をこの異空間に連れてきた?
「こう言いたかったのではないかな? 『母さん、ここは危険なの。この子を助け出してあげて』」
メグはあたしを『母さん』と呼び、あたしにメニーが眠っている姿を見せた。
「さて、話は殺人事件。イザベラに関係する男達が殺された」
「……犯人はメグさんじゃないの?」
「違うと言ってるだろ」
「だけど……あの……名前忘れたけど、ほら、あの、ふくよかな人。冷蔵庫に死体が入ってた……あの人、異空間でメグさんに食べられているのを見たわ。尻をかじられて、曲がり角に引きずられて食べられてた」
「それを食べてたのは、本当にメグ?」
「リオンと逃げた時だって」
「それは本当にメグ?」
「ええ、メグさんだったわ」
「お前の目で、メグが男を食べてる姿を見たのか?」
男は廊下の角に引きずられて食べられた。
男は水に飲まれてその中で食われた。
「お前の目が、直接メグが男を食べてるところを見たのか?」
マーロンは、足をかじられただけだった。
ソフィアと襲われた時、男は既に死んでいた。
アリスと襲われた時、男は既に死んでいた。
リトルルビィと襲われた時、男は既に死んでいた。
「メグが作り出した異空間は消えた。ならば、なぜまだ異空間が存在する?」
「なぜ魔法のハープはまだ演奏を続けている?」
「なぜ中毒者は飴を舐めた者は『人魚になる』と思い込んだのか」
「なぜ殺されたのはイザベラの関係者だったのか」
「なぜ事件の中心に『イザベラ』が存在するのか」
ドロシーがメニーの足にすりすりと頭を擦りつけた。
「つまり」
クレアがにやけた。
「真実はいつも一つ!」
クレアが銃を壁に向けた。そして、そこに一発撃ち込んだ。
すると、銃弾が壁の前で爆発し、壁に穴が空いた。そこから縄で縛られた女が出てきて、地面に倒れた。
「なっ」
あたしはその女を見て、目を見開く。
「イザベラ!?」
「んーーー!」
口をテープで塞がれたイザベラが、目を充血させ、縛られた体を芋虫のように動かしながらあたし達に声を張り上げた。
「んーーーーーー!!」
「イザベラ、ちょっ、なっ、なんでここにイザベラが……!?」
イザベラが顔を動かす。
「どうし……」
背後から、あたしの頭が殴られた。
「っ!」
「お姉ちゃん!」
( ˘ω˘ )
あたしは頭を押さえた。
(……オラの頭を殴る怖い者知らずは誰だ)
やめておけ。今のオラはな、すごく機嫌が悪いんだ。
(不届き者は誰だ)
振り返ると――肌の黒い女が両手に氷の塊を持ち、あたしを見下ろしていた。
(あ?)
「お前達、お前達さえいなければ……!」
女が叫んだ。
「全部上手くいったのに!!」
クレアが銃を撃った。
「っ」
女が小さく悲鳴を上げた。女の手に銃弾が貫通し、あたしを殴った氷の塊を足元に落とした。氷が割れる。地面に散らばる。赤い血が魔法陣に滴り、恨めしそうな眼がクレアを睨む。
「アマンダ・ウォーター・フィッシュ」
クレアが銃を構えた。
「現在二十七歳。スラム街出身。二十二年前に起きた国共内戦の暴動事件の生き残り」
クレアが笑みを浮かべた。
「あれは酷い事件だった。あなたは何も悪くない」
アマンダがクレアを睨み続ける。
「『イザベラ』が死んだのは、事故だった」
アマンダが目を見開いた。
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