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八章:泡沫のセイレーン(前編)

第15話 夜の船でのトラブル探し(1)

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 夜は雰囲気ががらりと変わる。
 昼間のようなバカンスさは無くなり、夜の空気がそこら中から流れている。
 とあるエリアではクラブが開かれ、激しい音楽に人々が我を忘れて酒を飲んで踊りまくる。また違うエリアでは、ムーディーで静かな空気。バーにてピアノを弾く演奏者。ヴァイオリンの準備をするヴァイオリニスト。

「……おや」

 ヴァイオリニストがあたしに近付いた。

「これはこれは、テリーお嬢様」
「あっ」

 あたしのヴァイオリンの先生である、ロバ顔のエーゼル先生が、あたしとマチェットの前に立った。

「一体こんな所で何を? ご体調を崩されたと聞きましたが」
「げほげほっ。寝てばかりではおちつかず、かるいおさんぽを」
「はっはっはっ。昔の仲間の中にもお嬢様のようなわんぱくがおりました。しかし、無理はいけませんな」

 エーゼルがマチェットに微笑んだ。

「やあ。初めまして。エーゼルと申します」
「クルーのマチェットです」
「テリーお嬢様、お顔色が悪く見受けられます。本来であれば、この後、私の演奏する場へあなたをお招きし、よろしければ一緒に演奏をと思っていたのですよ。それが出来ず、私は非常に残念でなりません」
「それは……あたしもざんねんです」
「ええ。ぜひお嬢様には、私の演奏を聴いていただきたかったのですが」

 エーゼルがあたしの肩に手を置いた。

「演奏者は体が命。このお散歩の事は秘密にさせていただきますので、お部屋でお休みください」
「ありがとうございます。エーゼルせんせい」
「とんでもないことでございます。カドリング島ではそれはそれは派手な演奏をしますので、それまでには治ることを祈っております」
「ええ。あたしもそうねがってますわ。げほげほっ」
「年寄りが散歩の邪魔をしましたな。それでは」
「ああ、そうだ。……エーゼルせんせい」
「ん?」
「ブルという方が、げほっ、せんせいにお会いしたいと言ってました」
「ブル・ドッグス?」
「はい」
「ほお、お会いしましたか。彼もなかなかのトロンボーン奏者ですよ。お嬢様、是非彼の演奏も聴いていただきたい。ですが、……この後はゆっくりお部屋でお休みください。早く治りますように」
「ありがとうございます。せんせい」
「お大事に」

 あたしとエーゼルが別れる。マチェットに振り返ると、さっきと何も表情が変わってない。彼の時間は止まってるの?

「おそくなったわね。いきましょう。げほげほっ」
「かしこまりました」

 何も考えず、あるがままに歩いていく。さまざまなバーを通り過ぎる。クラシックバー。スポーツバー。子供用バー。でも今の時間はレストランの方が乗客が多そう。バーは比較的空いている。

(特にこれと言ってトラブルはなさそう)

 初日だものね。

(ま、念には念よ。……ああ、疲れた。しんどい。怠い。喉渇いた)

 あ、あのバー、雰囲気が良さそう。

「げほげほっ。マチェット、デートにはのみくいは必須よね。見て。あそこのバー。ちょっときゅうけいしていきましょう」
「かしこまりました」

 あたしとマチェットが席に座る。メニュー表がないバーなのね。あたしは金貨がポケットから落ちてない事を確認した。

「なににする?」
「マチェットは結構です」
「ねえ、これデートなのよ。ずびびっ。あたしがおごるからたのんで。なにがいい? げほげほっ。おさけは?」
「仕事中ですので」
「しごとじゃなくてデートよ。げほげほっ。マスター、ここ、ソフトドリンクもだいじょうぶかしら?」

 マスターが無言で頷いた。

「だいじょうぶですって。どうする?」
「……リンゴジュースで」
「……好きなの?」
「好きと申しますか、あっしの家ではリンゴを」
「ん?」
「ごほんっ!!」

 マチェットが一度咳き込み、すぐにいつもの表情になった。

「失礼しました。実家がリンゴ農家なものでして」
「あら、そう。すてきじゃない。ずびっ、あたしもリンゴは好きなの」
「……そうですか」
「のどによさそう。……マスター、リンゴジュース二つ」

 リンゴジュースを二人で飲む。はあ。喉が潤った。まだちょっとイガイガするけど。

(悪くないわね。……じいじのリンゴの方が美味しいけど)

「マチェット、次はどこに行きましょうか」

 リンゴジュースを飲むと、違う器官に入ったようで、体が痙攣した。

「げほげほっ! げほげほっ!」
「これを飲んだらお部屋に戻られる事を勧めます」
「あなたは早くきゅうけいにもどりたいだけでしょ。げほげほっ、デートなら、ロマンチックなことを言えなきゃだめよ。ぐすん! せっかくのであいにかんぱい。すてきなあなたをへやにもどしたくない。これくらい言えないと」
「言いません。明らかに寝起きで髪がぼさぼさの風邪を引いた病原菌のあなたに言える言葉は何もありません」
「……そこまで言わなくてもいいじゃない……」
「鼻水出てますよ」
「ずびびっ!」

 あたしはハンカチで鼻水と涙を拭った。おまけに髪の毛を指で梳いた。

「あなた、おんなのこと付き合ったことないでしょ」
「プライベートな事は言いません。それがクルーです」
「はいはい。わかったわよ。げほげほっ。……じゃあこれくらいならいい?」

 興味本位で訊いてみる。

「どうしてクルーになったの?」
「海が好きだからです」
「ふーん。……むかしから?」
「……将来は、海の上で仕事がしたいと思っておりました。ただ、漁師は毎日の力仕事と市場での接客もある為、自分には不向きだと思いました」
「……クルーも似たようなもんじゃない?」
「……。クルーには、誠実さがあります」
「……りょうしにもあるとおもうけど……」
「制服を着て、お客様の船の生活のお手伝いをする。案内係でもあり、船の従業員でもある」
「あこがれ?」
「……そうですね。初めてこの職を見つけた時に、これしかないと思いました」
「デビューしたてだっけ? げほげほっ。今日一日どうだった?」
「疲れてます。休憩がまともに取れてませんので」
「……わるかったってば……」
「ただ、出勤前に、この船での経験は非常に貴重なものだと言われました。この船で仕事が出来れば、他の船でもなんとかなると」
「……そうね。世界最大規模の船だって言われてるみたいだし。はっくしゅん。……いい経験かもね」

 マチェットがリンゴジュースを飲んだ。

「で、この船はどう? 気に入った?」
「無駄に広すぎて道が覚えられません」
「……それは、どうかんするわ」
「マチェットはもっと狭い船で大丈夫です。一本、道を間違えただけで全く別のエリアに着くなんて、地図が追いつきません」
「きちょーないけんとしてママに言っておくわ。……他にふまんてんはない?」
「……ご馳走になりますので、マチェットから言うのはどうかと思いますが」
「ん?」
「グラスが空です。声を出すと喉に負担がかかります。お代わりをされてはいかがですか?」
「……」

 あたしのグラスにジュースは残っていない。マチェットも無くなりそうだ。

「あなたはおかわりいる?」
「……」
「げほげほっ、いいわ。勝手に頼むから飲むも飲まないも好きにして。マスター」

 手を上げてマスターを呼ぶと、隣から男が割りこみ、あたしの声を遮った。

「同じのを彼と彼女に。僕は色の綺麗なカクテルを頼むよ」
「……」
「やあ、妹殿」

 男があたしの隣の席に座ってきた。ぼやける視界の中、目を凝らしてみると、焦点が合った。妹殿だなんて言うからリオンかと思ったけど、……違った。でも、あなたなら納得。

「こんばんは。あにうえどの」

 マチェットが相手を見て、あたしを見て、リンゴジュースのグラスに目を向け、……ジャケットの内ポケットからマニュアルを取り出した。しかし、彼の名前はどこにもない。それはそうだ。

「マチェット、しょうかいするわ。ずびっ、姉の恋人よ」
「初めまして。クルー殿」

 ハンサムな男がにこりと笑ってあたしの前に腕を突き出し、マチェットと無理矢理握手をした。

「ロード・アゼル・ケイシュクラヌ。子爵家の長男です」
「クルーのマチェットでございます」
「やるじゃないか。テリー。船男とデートだなんて。殿下がいない事を機に早速浮気なんて良くないぞ」
「うわきはね、九十九パーセントばれなきゃいいのよ」

 辺りを見回す。

「ずびび。そろそろ行くわ。あなたがいるってことは、アメリもいるんでしょう? げほげほっ。……はあ。あたしがここにいたこと言わないで」
「部屋から抜け出したんだな? さっきアメリが言ってたよ」
「いきましょう。マチェット」
「ちょっと待った」

 ロードに止められる。

「ずびび。なによ」
「テリー、いずれ君の兄となるこの僕の相談に乗ってくれないか。乗ってくれたら、君とここで会った事は夢の話にしておこう」
「……なによ」
「レイチェルさ。……おっと、ありがとう」

 あたしとマチェットにお代わりが。ロードには色の綺麗なカクテルが置かれた。

「あの女、僕とアメリが良い感じになってきたら部屋に乗りこんでくるんだ」
「おいだせばいいじゃない」
「言っても聞かないんだよ! おまけに、……この僕に、宣戦布告をしてきた」
「せんせんふこく?」

 レイチェルがロードにびしっと指を差したそうな。

「あなたはアメリには似合わなくってよ! さっさとお別れしておしまい!」
「どうにかしてくれ! あの女!」

 ロードがカクテルを飲みこんだ。

「アメリアヌは確かに、女神の名前を持つにふさわしいほど美しくて聡明で、まさに、僕の中のヴィーナス。世界のモナ・リザ。囚われのジュリエット。僕の心は既に彼女に奪われて、目は盲目に潰されてしまった。世界に女は、もはやアメリだけ。僕にはアメリしか見えない。アメリが相手なら、僕は彼女の「屁」だって愛してみせる。それくらい愛してるんだ。将来だって考えてる。アメリも今年で18歳になる。わかるかい。テリー。僕は彼女に、その、……考えてるんだ。サプライズを。ビジネス的なものではない。女の喜ぶサプライズ、……プロポーズさ!」

(プロポーズ?)

 アメリに?

(……また歴史が変わったわね……。この時期にアメリはこの男と付き合ってないし、そもそも、そういう関係になる事もなかった)

 アメリはキッドやリオンに恋愛面では興味ないみたいだし、プロポーズを受けたら、この男の元にコロッと行ってしまうかも。

(アメリの死刑への未来の回避に繋がるかもしれない。ふむふむ)

「だけど、そこで割りこむのがレイチェルだ! 良いムードになったら必ず割りこんでくる!」

 ロードが酒を飲む。

「素敵な景色! ロマンチックな夜! このタイミングを逃して、いつプロポーズするって言うんだ!? 僕はもう覚悟を決めているんだ! テリー! そうだろう!?」

 ロードが酒を飲む。

「友人関係をとやかく言うつもりはないけど、あの女は、とにかく、もう、必要以上にアメリに触りすぎだ! 僕のアメリだぞ!!」

 ロードが酒に飲まれる。

「レイチェルを、どうにか、はあ、してくれ……」

 ロードがカウンターに潰れた。

「レイチェルがアメリを大切に思っているのは僕だって百も承知さ。僕は、良い男だ。女の友情を壊す馬鹿な真似はしない。けれど、ああ、だけど、少しは考えてほしいものだ。アメリは僕の恋人だぞ……はあ。レイチェルのじゃないんだぞ……。はあ……」
「……そうね。せっかくのきかいだもの。げほげほっ。二人で話しあってみたら? で、アメリのこことここはあなたのもので、こことここはレイチェルのものって分ければ万事解決よ。はい。おしまい。がんばってね」

 あたしは椅子から下りて、ロードの背中に手を置いた。

「げほげほっ。……いくわよ。マチェット」
「よろしいのですか?」
「ええ。へいき。ずずっ。ロードは酒に弱いって姉さんが言ってたわ。よいつぶれたかおがかわいいのってのろけられたことがある。げほげほっ。……レストランに行かないでバーに来たのが運の尽きよ。ずびっ。こんなじかんから酒を飲むからこうなるのよ」

(あ、そうだ)

「マスター、しはらいはこの方がしてくださるようなので、ずびっ、あたしたちは行きますわ」
「アメリ……」

 酔い潰れたロードが呟いた。

「僕のアメリ……」
「さて、げほげほっ。水分を取ってちょっと楽になった。マチェット、ぐるっと見てまわりましょう」
「かしこまりました」

 歩く度にどんどん盛んになっていくラウンジ。レストランに行かず、バーでおつまみを食べながら酒を飲む者もいた。こんな時間から楽しんでるわね。羨ましいわ。
 ……あら、カジノの方が、なんだか盛り上がってる。はーあ。いいわねー。

「見て。マチェット、もりあがってるわ。げほげほっ。元気だったら行きたかった」
「賭け事はいけない事だと教わりました」
「使うお金をせいげんすれば、いがいとたのしいものよ。げほ、でも、ハマったら泥沼。あなたみたいな人はやらないほうがいいわ」
「ええ。やめておきます」

 あたしとマチェットが先に進むと、男達が小走りであたし達の横を通り過ぎた。

「おい、早くしろって!」
「慌てるなって。絶世の美女がカジノで大勝ちしてるってだけだろ?」
「あんな美人はそうはいねえぜ。ほら、早く! お楽しみがなくなっちまう!」

(男って美人を見かけたらすぐ飛びつくわよね。あのね、本当の絶世の美女ってのは、クレアかメニーくらいしかいないわよ)

 あら、ゲームセンターフロアがあるわ。

「マチェット、げほげほっ、カジノの代わりよ。ちょっと見ていきましょう」
「かしこまりました」

 マチェットと一緒に中へ入る。子供の楽園以上にアトラクションが沢山あり、大人も子供も楽しめて二度美味しい。親子連れが多いのもそのせいだろう。レストランの席待ちの乗客かもしれない。

 歩いていると、カラスが金の船に乗ったゲームがあった。コインを入れるようだ。あたしは銅貨を取り出し、入れてみる。カラスが歌い出した。ようこそ、マーメイド号へ。ここはまるで楽園の船。一緒に楽しみましょう。ららら。素敵な愉快なワールドパーク。ららら。これから三つの試練が待ち構えているよ。ららら。愛と勇気と希望。君ならきっと乗りこえられる。ららら。頑張れ負けるな。ららら、らーららー。
 カラスが止まった。これだけのようだ。

(ふん。所詮は子供向けね)

 ……。
 ミックスマックスのボードゲームが置かれている。男の子達が瞳を輝かせている。

「おらおらー!」
「次、おれの番だからな!」

(残念ね。リオン。せっかくゲーム台があったのに遊べないなんて)

 あたしは目を逸らし、辺りを見回す。特に何もないようだ。

「げほっげほっ」

 何もないなら用はない。あたしとマチェットがまた広い廊下を歩き出す。

(なかなか悪くない夜だわ。平和そのもの)

 ラウンジで人々がお酒を飲みながら話をしている。
 子供が親の隣で絵本を読んでいる。
 ダーツで良い点が取れた紳士がガッツポーズをした。
 バーテンダーがドリンクを作る。
 海の景色に人々がうっとりしている。
 夜のプールを泳ぐ人々がいる。
 夜のスケートを楽しんでいる人々がいる。
 何も無い。
 平和そのもの。
 トラブルはない。
 ただ、人々が楽しんでいるだけ。
 あたし達はエレベーターに乗った。
 上の階に着いた。
 
 廊下を渡り――外に出た。

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