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六章:高い塔のブルーローズ(後編)

第3話 からくりの裏側(1)

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 被害は使用人だけでなく、マールス宮殿にいる全員に起きる。
 あたし達がその話を聞いたのは、ランチの時だった。

「ロゼッタ様がどこかに行って、戻ってこないらしいわよ」
「城下に男を作って遊んでるとか?」
「貴族だもの。やりそう」

 コネッドが聞いた途端、フォークとナイフを皿に置いた。

「……」

 同じく、ベテランのメイド達の顔が険しくなった。

「マーガレット様も実はそこにいたりして」
「ってことは、離婚の危機?」
「セーラ様は置いて行かれたのね」
「やだ、可哀想!」
「だって、あんな我儘なのよ? そりゃ、置いていくでしょうね!」

 みんな知らないふりをして、また食事を始めた。休憩室の扉が開いた。ラメールとゴールドが入ってくる。あたし達を見つけて、ラメールが近づいてきた。

「やあ」
「おお、ラメールじゃねえか」

 知らぬ顔のコネッドが笑みを浮かべた。

「座ってもいいか?」
「おう。休憩か?」
「ぺスカがいなくなってから仕事が一気に増えた。あいつ、城下に女を作ったに違いない。あれだけニクス一筋と言っていたのに」

 ちらっとあたしを見る。

「ニクスは帰ってきたか?」
「……まだよ」
「おばさんが倒れて一時帰省だなんて、ニクスも大変だよな。……戻ってくるんだろ?」
「夏休みはまだ終わってないのよ。戻ってくるわ」
「そうだよな。よし。実はニクスに花をプレゼントしようと思ってて……」

 ラメールがメニーを見た。

「よ、よかったら、メニー。僕と一緒に、今度花屋にでも……」
「お姉ちゃん、これにんじん入ってる……」
「にんじんくらい食べなさい」
「ロザリー! メニーになんてことを……! 姉さんなんだから、にんじんくらい食べてあげたらどうなんだ! メニーが可哀想だろ!」

(うるせえ!)

 メニーが年齢の近い男達を魅了するには時間はかからなかった。メニー、本当におそろしい女よ。まだこいつは12歳。なのに、ほんの数日ここで働いただけで、男達はみんなメニーに夢中になった。

「人形のように美しい」
「まるで白い薔薇だ」
「メニー、ああ、なんて恋しい名前なんだ」
「この胸の高鳴りは何だ……?」
「とぅんく」
「彼女を僕だけのものにしたい」
「メニー」
「ああ、なんて愛おしいメニー」
「メニー、あとで僕の亀を見に来ないかい?」
「お姉ちゃん、口についてる」

 メニーがナプキンであたしの口元を拭った。

「はい。取れた」
「ありがとう」
「……はあ。お腹いっぱい。先に行くわ」

 コネッドが大好きなステーキを残した。

「コネッド」
「ロザリー、この後、朝言ってた一階の廊下に集合だべさ。メニー、アナトラと二階の掃除を頼むな」
「わかりました」
「したっけ」

 コネッドがトレイをカウンターに戻した。皿を見たトロが、眉を下げた。

「コネッド! ステーキを残してるよ!? どうしたの!? 体の調子が悪いの!?」
「オラ、生理が近いのかも。食欲ねえんだ」
「えー!? 大丈夫ぅー!? 夜は体の消化にいいステーキを作っておくよ! コネッド、無理しないでね!」
「……ああ」

 コネッドが頷き、先に休憩室から出て行った。ラメールがそれを見て、眉をひそめた。

「コネッドも珍しく疲れてるみたいだ。この時期は暑いし、ロザリーも体調には気をつけろ」
「ええ」
「め、メニー、疲れてたら、僕の亀を見においで。可愛いよ。……君も」
「お姉ちゃん、ドロシーにミルクあげに行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 メニーが先に立った。メニーもニクスもいない席。ラメールがため息をついた。

「はあ。今日のランチはどうしようかな……」

(何よ。あたしじゃ不満足?)

 いらっとして、顔が引き攣った。


(*'ω'*)


 一階の廊下を掃除する。ここは、ニクスがいなくなった場所だ。

(……あれね?)

 モニター室で見た視点の方を見上げると、確かに何か壁に埋め込まれている。これは誰も気づかないわ。

(監視されてる気分)

「ロザリー、ここが終わったらあっちな」
「ええ」
「それでオラはそっちに行って……」

 コネッドが顔を上げた。

「ニクスはっ」

 ニクスはいない。

「……」

 コネッドがまた箒を動かした。

「家に帰省してるって言ったのはロザリーか?」
「リリアヌ様じゃない?」
「ああ。……そうだよな。そう言うしかねえもんな」

 コネッドが箒を動かす。

「ロゼッタ様さ、マーガレット様がいなくなったって聞いて、寝込んでたんだ。もうそれは大泣きで、まるで私こそ悲劇のヒロインとでも言いたげに。それをグレゴリー様とセーラ様が励ましてたのを廊下から見た。外に遊びに行ける体力なんざねえと思うぞ」
「……」
「まあ、ご貴族様だからな。羽目を外してないといいな」

 コネッドが手を止めた。

「……今夜は誰がいなくなるのかな」
「コネッド」
「心配してもしょうがねえさ。大丈夫。大丈夫。何とかなるべさ。でもさ、……いつになったら終わるんだと思って」
「……」
「いつ消えてもいいように、半年くらい前から大好きなステーキを毎日食べることにしたんだ。だから、……今夜は、オラかもな」
「コネッド、……変なこと言わないで」
「……ごめん」

 コネッドが目を伏せ、箒を動かした。

「寝る所だけでも、別の場所にしてもらえねえかな。この宮殿で寝泊まりしてる人たちがいなくなるんだ。だから、仮施設でもいいから作ってほしいべさ」
「……それ、リリアヌ様に提案した?」
「したけど、もうずっと前に却下されてる。そこまで大事《おおごと》にしなくたって大丈夫だからって。……何も大丈夫じゃねえのに」

 コネッドが壁に手を置いた。

「毎日人がいなくなってるのに、どうして却下なんかできるんだ? いなくなってからじゃ遅いんだぞ?」

 コネッドの手が壁に添えられている。

「このままじゃ、オラもロザリーも、いずれ……」

 かちりと音がした。

「ん?」
「え?」

 コネッドが手を置いていた壁が、突然へこんだ。

「へ」
「コネッド!」

 あたしは慌ててコネッドの手を掴んだ。しかし、コネッドが壁の奥に倒れていく。あたしまで巻き込まれる。

「ひゃっ」
「うえ」

 壁がめくれて、あたし達が壁の裏側に入れば壁が閉まった。その廊下を兵士が通る。おや、こんなところに箒が二つ放置されている。これはミカエロ様かリリアヌ様に報告しないと。一方、その箒の持ち主であったあたしとコネッドは、闇の中を滑っていた。

「「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」」

 暗闇の中で何に滑っているのかわからない。ただ、あたしはコネッドにしがみついて、尻がこすれていることしかわからない。

「ママアアアアアアアアアアア!」
「とーーーーちゃああああああああああああん!!!」

 それぞれの親を叫びながら頭の中で思い描く。ああ、楽しかった。この人生。あたし死んでしまうのね。さようなら。ママ、アメリ。メニー、お前はくたばれ。サリア、リーゼ、クロシェ先生、屋敷のみんな。紹介所のみんな。商店街のみんな。可愛いリトルルビィ。アリス、会いたかったわ。レオ、本当はお兄ちゃんって呼びたかった。ソフィア、お前も悪い奴じゃなかったわ。クレア、もうわがまま言っちゃだめよ。キッド、お前はくたばれ。みんなさようなら。さようなら、さようなら! ドロシー助けてえええええええええええ!!

 光が見えた。放り投げだされる。

「ぎゃっ!」

 あたしの上にコネッドが乗った。

「はぶ!」
「ぎゅふ!」
「あいてて……。あ、やべ、わりい! ロザリー!」
「むぎゅ……」

 コネッドがあたしから退いて、立ち上がり、辺りを見回した。

「な、なんだ、ここ……?」
「……暗くてあんまり見えない……」

 地下?

「ロザリー、立てるか?」
「ええ……」

 コネッドの手を借りながら立ち上がる。ほの暗い明かりがついてる地下通路。浅い水が流れている。

(……塔の地下、ではなさそうだけど……)

 コネッドがはっとした。

「……わかった。ここ、下水道だ」
「下水道?」
「オラ、前に写真で見たことある。間違いねえ。城の下には、こんなでっけえ下水道があるのかって感動したんだもん」
「なんであたし達、その下水道に落ちたわけ?」
「……わかんねえ」

 あの廊下はニクスが消えた廊下だった。

(……まさか)

 十二回目の角を曲がった所。

(まさか)

 ニクスは、壁に手を添えていた。そこで、壁がめくれて、

(ここに落ちた?)

 下水道。

「とりあえず、外に出ねえと」
「道わかる?」
「……。……とりあえず進んでいけば、出口くらいあるべさ」

 コネッドが辺りを見回す。

「ロザリー、左と右、どっちに行く?」
「……」

 キッドとの運命のババ抜きを思い出す。左を選んだら、正解は右だったのよ。あたしはそれから右が正義なのだと信じるようになった。多分、大抵のことは右よ。右に進めば何とかなるのよ。多分。

「右」
「んだ。したっけ行ってみるべさ」

 あたしとコネッドが水の音が響く下水道を歩き出した。レンガとコンクリートで作られた壁に沿っていけば、いくつかの道に辿り着き、そのたびに選んで進んでいく。

「……あ」

 エレベーターがある。コネッドが触れてみた。

「……あー。くそ。鍵がいるみたいだべさ……」

 エレベーターは使えない。

「コネッド、普段ここってどこから入るの?」
「宮殿の外に下水に繋がる建物があって、担当の奴らはそこから入ってる。でも、びっくりだべさ。宮殿から下水道に繋がってる壁があるなんて、誰も知らねえよ。王族がもしものために作ったのかもな」
「もしものためって?」
「例えば、宮殿が火事になって、どこにも逃げられねえって時用にとか」
「非常口ってこと?」
「乱暴な非常口だべさ。階段探すべ」

 コネッドと後ろに回り、また別の道を進む。ハエがたかり、害虫が歩いてる。コネッドが顔をしかめさせた。

「うわ、やだ。ゴキブリだらけ……」
「宮殿に戻ったら、まずはお風呂ね」
「んだ。こんな泥だらけの靴で掃除なんざしたくねえよ」

 コネッドが文句を言いながら道をずかずか歩いていく。階段があるごとにそっちの道へ進む。

「いつ出られるかな。息が苦しくなってきた」
「大丈夫?」
「地下だからな。酸素が薄いんだ。はあ、ワヤすぎる。ステーキを残してよかった。お腹いっぱい食べてたら、オラ、おえっ、ってなってたべさ」

 コネッドが吐く真似をしてからあたしに振り返った。

「ロザリーは大丈夫か?」
「平気」
「そうか。まあ、大丈夫、大丈夫。何とかなるべさ。上の方まで行ったら、誰かいるだろうから、声かけて助けてもらうべ」
「ええ」

(壁のこと、クレアに言った方がいいかも)

 もし、ニクスがここに落ちたのだとしたら、マーガレットも同様、ここに来たのだとすれば、

(下水道のどこかにいる可能性が見えてきた)

 だけど、変ね。ニクスの書類に、下水道は調査済みって書かれていた。

(キッドの部下に中毒者がいて、嘘の報告書を提出した可能性もないわけじゃ……)

 コネッドが窓のある扉を開けた。

「ああ、重い! ここの扉、全部重たいべさ!」

 コネッドが中に入り、あたしも入ろうとすると――勢いよく扉が閉まった。

(おっと)

 重くて閉まってしまったようだ。あたしは扉を掴んで、ぐっと引っ張った。

「……」

 あれ?

 あたしはもう一回引っ張ってみた。開かない。重たいのかしら。もう一回引っ張ってみる。窓からコネッドが覗き込んできた。

「……ロザリー?」
「コネッド、開かない」
「ちょっと待ってろ」

 コネッドが押してみた。あたしは引っ張ってみた。開かない。

「え、な、なんで……」

 コネッドが押してみた。

「ふんぬうううう!」

 開かない。さっきは開いたのに。

「ロザリー、そっち、鍵かかってねえか?」

 あたしは確認するが、鍵はかかってない。

「コネッド、かかってない」
「ああ、こっちも鍵なんてない」
「開かないわ」
「ちょっと待ってろ。……えっと……」

 コネッドが辺りを見回し、はっとした。

「ロザリー! 向こうに階段がある! 上まで登れば人がいるかもしれない! オラ、ちょっと行ってくるから、ここで待ってろ!」
「わかった」
「絶対動くなよ! いいな?」
「……わかった……」
「ロザリー! ちゃんと戻ってくるから!」
「……」
「動くんじゃねえぞ! いいか! 戻ってきておめえさんがいなかったら、オラ、本気で怒るからな! 待ってろよ!」

 コネッドが奥の方へと走って行ってしまう。――一人になる。

「……」

 あたしはその場で動かず、コネッドを待つ。

(……)

 あたしはポケットをぽんぽん叩いてみた。

(……あ)

 GPSを取り出してみる。電波は無い。

(……)

 あたしは舌打ちして、GPSをポケットにしまった。親指の爪を噛む。

「……」

 水の音が響く。

「……」

 ぽちゃんと音が鳴る。

「……」

 水が滴る。

「……」




 何かに見られてる気がする。




「……」

 爪を口から離し、そっと振り向いてみた。何もいない。

「……」

 あたしはそっと横を見た。何も無い。

「……」

 あたしは前を見た。



 扉の窓に、何か降ってきた。


「っ!!」

 ガラスが割れる前に急いで後ろに下がると、扉の窓に、爪のようなものが突っ込んできた。窓ガラスが地面に散らばり、あたしはまた一歩下がった。
 爪が窓から引かれる。重かった扉が開いた。そこには甲羅があった。

(……え?)

 甲羅だろうか。血管だろうか。ドクンドクンと波打ってうごめき、その中身から男の顔が出てきた。見た目は亀みたい。だけど、亀じゃない。男の顔は、皺だらけで、顔の特定が出来ない。

「……」

 あたしは一歩下がった。また一歩下がる。動いたらコネッドに怒られる。でも関係ない。動かないとやばい気がした。

 二つの目があたしを定める。あたしは下がる。亀が近づく。あたしは下がる。亀が近づいた。あたしは下がる。亀が近づいた。亀が近づいた。亀が近づいてくる。

(ちょ、ちょ、ちょ、ちょ……)

 ゴキブリが飛んできた。亀が口を開き、紫色の長い舌でゴキブリを捕まえた。その際に見えた喉の奥まで生えた鋭い歯を見て、完全にあたしの頭の中で危険信号のサイレンが鳴った。

「っ」

 あたしは踵を返して逃げ出すと、亀が素早い四足歩行で、あたしを追いかけてきた。

「ちょ、やっ……!」

 あたしは角を曲がる。亀が角を曲がった。

「ひ、ひい!」

 あたしは浅い水場を走って渡り、向こうの道に進んだ。亀が水場に入り、浅い所から深い所に潜って、すいっと泳いだ。

「あ、あ、ああ……!」

 あたしが走っていると、後ろから水で泳いでくる音が耳に入った。

「あ、い、いや……!」

 あたしは急いで足を動かす。軽い足が加速していく。

「あっ、はっ、はっ!」

 呼吸を乱しながらも走っていく。追いつかれてはいけない。

「い、いい加減にして……!」

 角を曲がると、先回りされた。亀が道に這い上がってくる。

「いいいいいいいい!」

 あたしは悲鳴をあげて、慌てて後ろに振り向いた。来た道を戻っていく。

「だ、だれか、だれか!」

 誰も来ない。

「ドロシー! ドロシー! ドロシー!」

 手を叩く。

「ドロシー! ドロシー! ドロシー!!」

 手を大きく叩く。

「ドロシー!! ドロシー!! ドロシー!!」

 大きく大きく手を叩く。なんでこういう時にお前は来ないのよ!

「ひい!」

 足がすくんで、転びそうになる。

「っ!」

 ここで転んだら死ぬ。なんとかふんばって、そのまま走る。すぐ後ろでは、何かが迫ってくる音が聞こえた。振り返ってはいけない。リトルルビィの時だってそうだった。あたしは振り向かずに走ったわ。走ったら、

(あ)

 開いたままの扉。

(早くっ)

 足が動く。

(はやっ)

 滑る。

「っ」

 後ろから舌が伸びて、あたしのうなじが舐められた――瞬間、あたしの手が前に引っ張られた。

「ひゃっ!」

 誰かの胸に閉じ込められる。

「むぎゅっ!」

 そのまま、扉の奥へ引っ張られた。

(……っ!?)

 瞬きをすれば、場所が変わっていた。前髪がかなり乱れている。見上げると、リトルルビィが片腕であたしをしっかりと抱きしめ、扉の奥を睨んでいた。

「っ」

 あたしもはっとして振り返ると、もうそこには何もいなかった。ただ、地下に流れる水の音が響くだけ。

「……」
「……テリー」

 はっと顔を上げる。

「大丈夫?」

 優しい赤い目に顔を覗かれたら、あたしの目がじわりと潤んでいく。

「震えてる。どうしたの? 今の奴、何? 何かされたの?」
「……」
「テリー。もう大丈夫よ。私がいるからね」
「ルビィ様! ロザリー!」

 階段からコネッドと下水道職員が走ってきた。

「大丈夫か! ロザリー!」
「……」
「……ロザリー?」
「……」
「なした? ……ははーん。おめえさん、びびりすぎて喋れなくなったんだな? 大丈夫、大丈夫。もう外に出られるから。で、……お前、どうやって扉開けたんだ?」
「……」

 あたしはぎゅっとリトルルビィにしがみついた。

「……」

 ルビィがそれを見て、コネッドににこりと微笑んだ。

「お外に連れて行きます!」
「んだ! 早く外の空気吸わせてあげてくださいまし! ロザリー、もう大丈夫だからな! 外に出られるぞ!」

 リトルルビィとコネッドによって、あたしは階段に連れて行かれる。後ろでは、職員達が声をあげていた。

「うわ、なんだこれ」
「ガラスが割れてるぞ」
「虫が突っ込んで来たんじゃねえか?」
「こりゃあ、新しいのを用意しないとな」

 あたしは振り返ることなく、リトルルビィのワンピースをぎゅっと握り締めた。


(*'ω'*)


 執務室が開かれた。クレアが顔を上げる。リトルルビィが扉を閉めて、あたしをソファーに下ろした。

「テリー」

 リトルルビィがあたしの手を握り締める。

「もう大丈夫よ。わかる? ここ、見慣れてるでしょう?」
「……どうした」

 クレアが立ち上がり、眉をひそめた。

「おい、そいつ臭うぞ。どこに行っていた」
「テリー、ここには何も怖いものなんてないよ。大丈夫よ。もう大丈夫」
「……」
「もう大丈夫」

 あたしは座ったまま、膝をつくリトルルビィの肩に顔を埋めた。

「大丈夫よ。テリー。怖かったね。でも、もう大丈夫よ」

 リトルルビィがあたしを抱きしめる。そのぬくもりに安心して、あたしの体がさらに震えて、リトルルビィがあたしの背中をなでながらクレアに振り向いた。

「下水に変な影を見たの」
「変な影?」
「なんていうか、亀みたいな感じの。私と目が合った途端、私のことわかってたみたいに、そいつ、水の中に潜っていった」
「なぜそんなところにロザリーがいたんだ」
「コネッドのお姉ちゃんが教えてくれた。壁に仕掛けがあって、そこから落ちたって。ニクスとマーガレット様が消えたところよ」
「……なるほど。そこだったか」

 クレアが無線機を出した。

「おい、誰か。廊下の壁を調べろ。徹底的にだ」
「テリー、大丈夫? 何されたの?」
「……うなじ」
「え?」
「……うなじ、舐められた……」
「テリーのうなじを舐めたの!? なんてうらやましいことを!!」

 リトルルビィがぎゅっ! と腕の力を強めた。

「大丈夫よ。テリー。もう大丈夫だからね!」

(……ルビィがいる)

 ルビィの匂いがする。

(……安心する……)

 義手の鉄くさい匂いも、リトルルビィの匂いの一つ。

(ルビィ……)

「可哀想なテリー。よしよし、もう大丈夫よ」

 リトルルビィが口を開けた。

「でも、心配だから、毒が入ってないか確認するね?」

(んっ)

 首を噛まれた。

「っ」

 血管が熱くなる。

「……っ」

 リトルルビィがあたしの血管に歯を食い込ませる。痛い。

「……っ、……っ……」

 リトルルビィの背中にあたしの爪が食い込んでいく。

「……っ」

 リトルルビィがあたしの血を飲んでいく。

(……あ……)

 痛みが通り過ぎていく。

(あ……)

 気持ちよくなってきた。

(……)

 頭がぼうっとして、血管が熱くなって、リトルルビィの舌があたしの首から流れる血を舐め、毒がないかを確認している。

「……る……び……」

 リトルルビィがあたしに身をよじらせた。

「あっ……」

 ソファーに押し倒される。

「……あ……」

 リトルルビィの舌が熱い。あたしから熱い息が漏れる。リトルルビィがあたしを抱きしめて、舌を動かした。優しくあたしを包み込み、血をすすっていく。

(……気持ちいい)

 ぼうっとする。

(頭が白くなっていく)

 ぼうっとする。

(リトルルビィ……)

 怖かった気持ちがどこかへ飛んでいく。

(ルビィ……)

 包まれたら、安心する。






「そうだ。廊下から下水道に繋がる抜け穴があったらしい。先生、ビリーから宮殿の設計の資料をもらっ……」

 クレアが黙った。ソファーに倒れるリトルルビィと、押し倒されてぐったりするあたしを見て、クレアの髪の毛が魔力によって作られた風で揺れた。青い目が薄暗く光る。太ももに固定されたベルトから銃を取り出し、躊躇なく引き金を引き、ソファーに穴が空いた。

「っ」

 リトルルビィがはっとして、慌てて義手であたしを守り、クレアを睨んだ。

「ちょっと、危ないじゃない!」
「お前、あたくしのものに何をしている」
「血の中に毒がないか確認してたのよ! いきなり撃つなんて何考えてるの!? 私のテリーに当たったらどうするのよ!」
「うるさい。さっさと離れろ。女同士でくっついて気持ちが悪い。退けろ。でかいの。また撃たれたいのか」
「テリー、とりあえず大丈夫みたい。傷口塞ぐね?」

 リトルルビィがあたしの傷口に溜めた唾をつければ、傷が癒えた。

「もう大丈夫よ。テリー。起きれる?」
「……ん……」
「あ、テリー、足から血の匂いがする。怪我してるみたい。大丈夫?」

 膝小僧を撫でられる。

「大丈夫よ。私がまた舐めて治してあげるから!」
「もういい。退けろ」

 舌を出したリトルルビィを見て、クレアが乱暴にあたしを抱き上げた。リトルルビィが目を見開き、むすっと頬を膨らませた。

「ちょっと! 乱暴にしないで!」
「こいつが臭いから仕事のやる気が失せた。体を洗わせる」
「お風呂場に連れて行く気!? 血を抜いた後なのよ!?」
「黙れ」

 クレアの足元から突風が吹いて、リトルルビィを吹き飛ばした。リトルルビィがころんと転がる。

「きゃあ!」

 クレアがあたしを連れて行く。

「ちょっと、どこに連れて行くのよ!」

 風が邪魔をする。

「あ、ちょっと、テリーが! 私のテリーがさらわれた!」

 クレアがあたしを運んでいく。

「ふえええええん! テリー!!」

(……リトルルビィの声が遠くなっていく。どうして?)

 あたしはそっと目を開く。

(あれ……?)

 目がかすれてよく見えない。でも、この抱き抱える感じ。

(似てる)

 ああ、そうだ。

(……何よ)

 やっと帰ってきたのね。

(遅いのよ……)

 あたしは抱き抱えるその人物に、身を寄せた。

「……ロザリー?」
「……リオン……」

 服を握りしめる。

「……リオ……ン……」

 顔を埋めると、リオンの匂いが広がる。
 あたしは安心する。
 リオンがいれば、もう大丈夫。
 キッドも戻ってくる。
 あたしを守ってくれる。


 リオンは、黙って足を止めた。


「……」


 にやりと口角が上がる。


「残念だったな」


 女の声が聞こえる。


「あたくしは、クレアだ」


 くくっ。


「仲良しなリオンじゃなくてごめんね」


 ヒールの音が聞こえる。


「愛しのキッドじゃなくてごめんね」


 ヒールが歩く。


「あたくしはクレアで、お前はロザリー」


 髪が揺れる。


「ロザリーはあたくしのお友達」


 女の友情は大事にしないと。


「ほら、呼べ」


 声があたしに命令する。


「あたくしを、呼べ」


 あたしの意識は、もうない。


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