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五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)

第8話 10月22日(1)

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( ˘ω˘ )












「君達を助けに来た! 上には応援がいる! 早くここから出るんだ!」

 硬く閉ざされていた扉から、誰かが高らかに声をあげる。
 子供達は喜び、慌てて立ち上がった。
 あたしも喜んだ。

(ああ、これで助かるのね!)

 こんな狭くて殺風景な部屋から、ようやく出られる。

(きっとママが手配してくれたんだわ!)
(ママ! ママはどこ? ママ!)

 きょろきょろと探しているうちに、どんどん子供達は逃げていく。

(え……ママは……?)

「さあ、君」

 逆光で顔が見えない誰かが、あたしの腕を引っ張った。

「大丈夫。さあ、立って」
「やっ」

 あたしはその手を払い、うずくまる。

(ママじゃないと、いや!)
(この人、誰?)
(ママ、怖い、ママ、ママ……!)

「大丈夫。怖くないよ。さあ、立つんだ」
「あっ」

 無理矢理引っ張られて、あたしのすくむ足が立ち上がる。がくがく震える足が誰かに引っ張られることでようやく動き、狭い部屋から出た。階段を上り、あたしはドレスを握る。

(ママ、どこなの? ママ……。怖い……。ママ……)

 階段を抜ければ、白い扉が見えた。

「ここまでくればもう大丈夫。走るよ。レディ」
「お逃げください!」
「やめろおおおおおおお!!」

 走ってくる音。

「俺の楽園に手を出すな!!」
「ひっ!」

 あたしの足がすくんだ。

「走って!」
「きゃっ」

 あたしが転んだ。

「あ」

 誰かの手が離れる。誰かが声を漏らして、あたしに振り向いた。

「邪魔する奴は殺してやる!!」
「っ」

 あたしの後ろから、怒鳴り声が聞こえる。

「お逃げください! 危険です!」
「あああああああああああああああああああ!!」

 こっちに走ってくる音が聞こえる。
 あたしは身を縮こませた。

「ひっ……!」
「っ」

 誰かがあたしの前に出た。
 その瞬間、あたしに温かい水滴がついた。

(え……?)

 顔を上げる。

「トリック・オア・トリート!」
「えっ……」
「オ菓子、チョウダイ!」
「ん……」

 あたしはドレスのポケットを探す。

「えっと……」
「何デモイイ」
「えっと……」
「クズデモイイヨ」
「ん……」

 あたしは首を振った。

「お、お菓子、お菓子、ない……」
「無イ?」
「ん……んん……」

 涙目で頷くと、ジャックがため息をついた。
 次の瞬間、包丁で何かを刺す音が響いた。
 何度も刺す。何度も刺す。あたしではなく、誰かを刺す。
 あたしは振り向く。男が子供を刺している。
 何度も何度も刺している。

「やめて! 刺さないで!」

 あたしは傍には行けない。

「やめて! 殺さないで!」

 あたしは傍で見ることしかできない。

「やめて! やめて! やめて!」

 その人は、既に動かない。

「殺さないで!!」

 あたしは手を伸ばした。……瞬間、腹を刺された。
 あたしは見下ろす。包丁が、あたしの腹を突き刺している。

「あ」
「僕のものだ!」

 いつの間にか、あたしが男の下敷きになり、男があたしの腹を突き刺す。

「っ」
「僕の楽園だ!」

 男があたしを突き刺す。

「っ」
「僕のものに手を出すな!」

 キッドではなく、あたしを突き刺す。

「この!」
「っ」
「ああ!」
「っ」
「あああああああ!!」
「っ」

 あたしの手が、地面に倒れた。




 ジャックが扉を閉める。そして、鍵をかけた。




(*'ω'*)





 じりりりりりりと、目覚まし時計が鳴った。

(うっ……)

 手で目覚まし時計を探して、手に触れて、ここかと思って、叩くように目覚まし時計を止める。

(ん……。…-まだ眠い……)

 枕を握って、ぼうっと頭を上げる。

(もう8時……?)

 時計を顔の前まで持ってきて覗けば、時計の針は8時。

(……眠い……)
(今日は三連休明けの一日だものね……)
(……眠い……)

 屋敷にいる時は、毎日が三連休みたいなものだったのに。

(屋敷に帰りたい……。……ゆっくりしたい……。……怠けたい…….)

 もう一度寝る前に、ベッドから抜ける。

「……ううっ……」

 ぐううっと伸びをして、脱力する。

「はあ……」

 ぼりぼりと頭を掻いて、クローゼットを開けて、キッドのお下がりのシャツを取り出して、スノウ様に買って頂いたパンツを出す。靴下をベッドに置いて、下着を取り出して、ようやく着替え始める。

 キッドのお下がりのパーカーを脱ぎ、キャミソールを脱ぎ、ブラジャーの紐を腕に通し、後ろのホックを閉める。

「……うん?」

 あたしは自分のお腹を触る。

「……何これ……」

 変な痣みたいなのがある。

(打撲……?)

 昨日、リオンの腕から投げ出された時にでもついたのかしら。

「……」

 あたしは鏡の前に歩く。見てみると、やはりお腹に変な痣がある。

(……やだ、何これ。いつ、ついたんだろ。気持ち悪い……)

 首にはジャックの痕と、キッドに噛まれた痕。お腹にはいつ付いたか分からない痕。

「きも……」

 我ながら自分の体を不気味に思い、着替えに戻る。キャミソールを着て、シャツを着て、寝巻用のパンツを脱いで、スノウ様に買ってもらったパンツを穿く。靴下と動きやすい靴を履き、髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、ジャケットとミックスマックスのストラップが揺れるリュックを持ち、鼠のぬいぐるみのケビンの頭を撫でてから、部屋から出る。廊下を渡り、リビングに下りると、じいじがいない。

(あれ?)

 ソファーにリュックとジャケットを置いて、辺りをきょろきょろと見て、じいじがいないことを確認して、テーブルに置き手紙があるのを見つけて目を通す。

『キッドを送ってくる。雨が降ってるので気をつけて』
「ん、分かったわ」

 返事をして、あたしはラジオをつける。ラジオからは陽気な音楽が流れてくる。音楽のリズムに乗って、顔を洗いに行く。慣れた洗面所で冷たい水を手に溜めて、顔に押し付ける。

(……)
(眠い……)

 もう一度ばしゃっ。

「ひゃっ!」

(冷たい!)

 自分を虐めた後はタオルで優しく顔を拭き、元の場所にタオルを戻し、リビングに戻る。キッチンを覗いて、朝食を確認する。少し冷めた鍋にスープが入っていて、ブレッドボックスにはパンも十分に補充されていた。冷蔵庫も確認するが、あたし一人の朝食だけなら余るくらいだ。
 あたしは冷蔵庫からもわかめと野菜のサラダを取り出して、適当に皿に盛り付け、スープとパンもテーブルに並べる。

 その時、ぴろりろりろりんと、情けない音が聞こえる。

(ん?)

 ポケットからGPSを取り出す。リトルルビィからメッセージが来ているようだった。メッセージを見る。

『テリー! 今日お休みします!』
「あら、そう」

 あたしはぽちぽちとボタンを打つ。

『奥さんに伝えておく』

 返事は来ない。

(……体調不良かしら)

 吸血鬼が、体調不良……。

「……偏見は良くないわ」

 あたしは椅子に座り、手を握る。

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

 冷めたスプーンでスープをすくい、口に入れる。

(……ん……冷めてても美味……)

 舌の上で朝食を楽しみながら、三連休のことを思い出す。

(ああ……休み終わっちゃった……。なんで休みって早いんだろ……。仕事中はあんなに時間が遅く感じるのに……)
(……三連休、色々あったわねえ……)

 リトルルビィと遊びに行ったり、
 ソフィアとボート乗ったり、
 ミックスマックスイベントで、テロ事件にあったり。

(……リオンとキッドは、あのままなのかしら)

 ヘンゼの言う通り、思った以上にあの二人の溝は深いらしい。

(……ま、あたしには関係ないか)
(今日朝ごはん食べるみたいなこと言ってたし、仲直りするでしょう)
(あたしは28日の惨劇を回避できればそれでいいのよ)
(ついでに、リオンに手柄を取らせて、キッドがあたしから離れてくれて、死刑回避と婚約解消の同時成立が成功すれば、願ったり叶ったりよ)

 あたしはスープを飲み干す。ふう、と息を吐いた。

「ご馳走様」

 お皿をまとめて、洗い場まで持っていく。それから洗面所に行って、いつも通り歯を磨く。うがいをして、歯を綺麗にして、前髪を整えて、目くそがないか確認して、そのまま洗面所から出て時計を確認すれば、いつも通りの時間帯。

(ん。いつも通り、流石あたし)

 ラジオを切って、ジャケットを着て、リュックを背負う。

「いってきまーす」

 誰もいない家に声を出し、リビングの扉を閉めて、廊下を歩き、玄関の扉を開けて、外に出る。しゅっと冷えた秋風。小雨が降っていた。あたしは傘を差す。

(……三連休明けが雨だなんて最悪)

 家の鍵をかけ、キッドのストラップが揺れる鍵をポーチにしまい、リュックに入れる。

(行こう……)

 じっとしてても寒いだけだ。あたしは歩き出す。
 足を動かして、慣れた道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人気が無くて、道を進み、すれ違う人が少なくて、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時35分。

(リトルルビィが休みか……)
(三連休で遊んだ疲れが出たのかしら)
(仕事が終わったらクッキーでも持ってお見舞いに行こうかな。あたしが休んだ時も来てくれたし)

 雨の景色を視界に映しながら、一人で商店街に向かって歩き出す。
 通りを歩いていると、声を掛けられる。

「やあ、ニコラ!」
「おはよう。ブライアン」

 精肉屋の従業員のブライアンが走って店に向かう。
 その背中を眺めていると、再び声をかけられる。

「おはよう。ニコラちゃん」
「おはよう。フィオナ」

 ミセス・スノー・ベーカリーで働くフィオナが後ろから歩いてきた。隣には店で働いている8歳の少女が俯いて歩いている。フィオナがあたしの首の包帯を見て、きょとんとする。

「あれ、首どうしたの? 怪我?」
「……何でもないの」

(大家に噛まれたのよ。それとジャックが痣を残したみたいなのよ。あたしの首は大怪我中よ。くたばればいいのに。二人とも)

「三連休にはしゃぎすぎたんでしょ。ふふっ! ニコラちゃんもやっぱり年頃の女の子なのね! 安心したわ!」

 くすっと笑ったフィオナの横から顔を覗かせて、少女があたしを見上げた。

「……おはようございます」
「おはよう」

 どこかニクスに雰囲気が似ている少女に、あたしは微笑む。

「名前は?」
「……エミリ」
「そう。エミリ。ニコラよ」
「あの……お菓子屋さんで働いてる……」
「ええ。そうよ。今度いらっしゃいな。社長の奥さんも子供好きだから、サービスしてお菓子安くしてくれるかもしれないわよ」
「……はい」

 エミリが頷くと、フィオナが目を丸くしてあたしを見た。

「ニ、ニコラちゃんが、子供に笑った……!」
「どういう意味よ。フィオナ」
「だ、だって、アリスが、ニコラちゃんは子供を睨むって聞いたから! それでクレームが入ったって!」
「……今日、会ったらアリスを叱っておくわ」
「……私、なんか余計なこと言った?」
「言った」
「あーあ。アリスに謝っておこう! うふふ!」

 フィオナが笑い、きょろりとあたしの周りを見た。

「今日、リトルルビィはいないの?」
「お休みだって」
「三連休明けだものね。エミリはどこか行った?」
「……あの、……お母さんと、ピクニックに行ったの」
「あら、良かったじゃない!」
「うんっ! お母さんも嬉しそうだった!」
「そう!」

 ちらっとフィオナがあたしを見た。

「エミリの家、お母様がお体悪いみたいで、体調がいい時だけ、紹介所でお世話になってるんですって」
「……大変そうね」
「……でも、今日はすごく気分悪そうだった……」

 エミリがぼそりと言った。

「悪夢見たから……」
「え?」

 フィオナが目を見開いた。

「エミリのお母様も見たの?」
「お母さんだけじゃないよ。私も見たの」
「ええ!? 私も見たわ!」

(……悪夢を?)

 あたしが眉をひそめると、フィオナとエミリがあたしを見た。

「ニコラちゃんは?」
「見てない」
「あら、ジャックってば、ニコラちゃんが可愛いから近づかなかったのね。嫌ねぇ。もう!」

 くすくす笑って、フィオナがエミリを見下ろす。

「じゃあ、エミリ、なおさら何かお菓子でも買って帰ったら? お母様の寝る枕の傍に置いておくのよ。そしたら夢でジャックにお菓子渡せるから!」
「ん……でも……お給料、まだ先だし……」
「だったら私と買いに来ましょうよ。先輩が奢ってあげるわ」
「本当?」
「ええ。いいわよ」
「フィオナ、ありがとう……!」
「なんてことないわよ!」

 お菓子屋の前につく。あたしの足が止まる。フィオナとエミリがあたしに手を振った。

「じゃあね、ニコラちゃん。今日もお互い頑張りましょうね!」
「……またね。ニコラちゃん」

 あたしも二人に手を振り、二人があたしに背を向ける頃に、シャッターが半分閉まった店の中に入った。
 店の中には、休みだったはずのジョージがレジを弄っていて、あたしは瞬きした。

「……ん」
「あ、おはよう。ニコラちゃん」
「……おはようございます……」
「あれれ? 首どうしたの? 三連休でやらかしたかい?」
「……気にしないでください」

 あたしはカウンターの中の壁に貼られたシフト表をちらっと見た。

「……今日、ジョージさんいましたっけ?」
「それがさあ、全く、早起きしてた僕を褒めてもらいたいね」
「え?」

 ぽかんとすると、ジョージが微笑む。

「アリスちゃんが体調不良でお休みなんだよ」
「はあ」
「で、ルビィちゃんも休み」
「ああ、らしいですね」
「カリンとニコラちゃんしか売り場にいないんじゃ、心配だろ? 社員として助っ人に来てあげたのさ」
「助かるわぁ。ジョージ君!」

 店の裏から出てきたカリンが声を張り上げた。にっこりとジョージに微笑み、あたしを見て、また微笑んだ。

「おはよぉ! ニコラちゃん」
「おはようございます」
「あらぁ!? ニコラちゃん、首どうしたの?」
「……気にしないでください」

 ジョージがカリンにいやらしい笑みを浮かべた。

「カリン、ニコラちゃんだって、三連休にはしゃいで怪我だってするさ。僕が無傷だったのは、今日こうやって助っ人にくるために、アメリアヌ様が守ってくれたお陰かもしれないよ」
「うふふ! ニコラちゃん、聞いた? 今日アリスちゃんもルビィちゃんもお休みで、連絡したら、ラジオ体操してたジョージ君がすぐさま駆けつけてくれたのよぉ。有難いわねぇ」
「明日は無理矢理でも休むからな」
「明日は奥さんが来てくださるから大丈夫よぉ」

 カリンがジョージに言った後、再び顔をあたしに向ける。

「ニコラちゃんはいつもの通り、一階の品出しお願いねぇ。まあ、こんなに雨が降ってるんだものぉ。お客様も少ないだろうし、きっと暇よぉ」
「おいおいカリン。そんなこと言ってたらどわっと来るぞ。雨が降ってても客には関係ないからね」
「ジョージ君ったらぁ、嫌なこと言わないでよぉ」

 カリンとジョージがくすくす笑った。ジョージがあたしに顔を向ける。

「ニコラちゃん、荷物置いておいで」
「はい」

 返事をして、荷物置き場に向かう。厨房に電気がついてない。

(……社長も休みなのね)

 棚にリュックとジャケットを置いて、店の売り場に戻る。扉を開けようとした時、二人の会話が聞こえた。

「カリン、今日僕が朝から普段やりもしないラジオ体操を、何故やっていたと思う?」
「あらぁ、何故かしらぁ?」
「とうとう僕のところにも来たよ。ジャックが。飛び起きて、体を動かしたくなったんだ」
「……ん。……ジョージ君もぉ?」
「……え、もしかしてカリンも?」

 あたしの手が止まった。カリンの頷いた声が聞こえた。

「ええ。すっごく怖い夢を見たのよぉ」
「僕もさ。しかも小雨まで降ってるだろ? 嫌になるよ」
「じゃあ、ジョージ君、痣あるのぉ?」
「見てみなよ。これ」
「あらぁ、酷い痣ぁ」
「ジャックに会った証拠さ。カリンも最近会ったんだろ?」
「そう。忘れもしないわぁ。遅刻した日よぉ。でもね、あの時の痣、今朝見たら無くなっていたのよぉ」
「ジャックの呪いはそう長く続かないのさ。痣が消えないと、新たな痣を残せないだろ?」
「ええ? 痣が呪いなのぉ?」
「カリン、ラジオを聞いてないのか? 痣はジャックが会ったよっていう意味で刻む痕のことさ。悪夢を見るたびに古い痕が消えて、新しい痕が浮かぶらしいよ」
「呪いみたい」
「だから呪いなのさ」
「やだぁ。こわぁーい」

(そういえば、カリンさんが遅刻をした日、変な夢を見てぼーっとしていたらしいと、アリスが言っていた)

 カリンは『変な夢』を見たせいで、出勤であることを忘れた。

(……ジャックの悪夢だったのね……)

 そして、

(……今朝、二人は悪夢を見ている)

 そして、

(エミリとフィオナも見ている)

 あたしは、思い出そうとする。

(……見てない)

 ジャックは、あたしに悪夢を見せていない。
 やっぱり、ジャックはあたしの知り合いなのだろうか。

(……)

 あたしは扉を開ける。売り場に戻ってくる。カリンとジョージがあたしに振り向く。あたしは二人に微笑む。

「雨、止みますかね?」

 ジョージが窓を見て、顔をしかめさせた。

「どうだろうね。この調子だと、まだ当分降るんじゃないかな?」

 小雨は、静かに窓を濡らしていた。


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