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五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
第7話 10月21日(3)
しおりを挟む――数十分後。
人質が外に出された。
ライブ会場には警察と兵士だけが残る。
ライブ会場に入ってきたヘンゼとグレタが敬礼する。
「お疲れ様です!」
「ご苦労様です!」
「馬鹿! グレタ! 仕事している仲間には敬意を払ってお疲れ様だと言ってるだろ!」
「兄さん! 皆、苦労して仕事をしているのに、どうしてご苦労様と言ってはいけないんだ!」
「馬鹿! それは上司が部下に言う時の挨拶だと学んだだろ!」
「兄さん! 子供の頃はそんな隔てなど関係なく挨拶出来たじゃないか!」
「馬鹿! 社会人マナーだぞ!」
「兄さん! 社会人なんてものは取っ払え! 俺達は人間だ! 人間は皆お友達だ!」
「馬鹿! マナーは守らないといけないんだって言ってるだろ!」
「兄さん! 約束は破るためにあるんだぞ!」
「馬鹿! そんなわけないだろ!」
「兄さん! つまり、マナーも破るためにあるんだぞ!」
「馬鹿! お巡りさんがそんなこと言うな!」
「兄さん! 一緒に一歩を踏み出そう!」
「馬鹿! お前馬鹿! 本当に馬鹿! このいけない子! めっ!!」
「……」
騒がしい二人をよそに、客席に座ったリオンが黙りこくる。じっと座って、ひたすら黙る。一人の兵士がリオンの傍に寄る。
「リオン様、どうぞ。お水です」
「いらない」
リオンが瞼を閉じる。
「ニコラにあげて」
「ニコラ……? ……えっと……」
「……この子にあげてくれる?」
「飲めないわよ」
隣で大人しく座るあたしがリオンを睨んだ。
「縄解いてよ!」
「……兄さんが命令してるんだろ? 無理だよ」
「何よ。拗ねてるの? ねえ、あれは仕方ないわよ。誰にもどうしようも出来なかった」
「慰めは結構。もう少し時間があれば、僕が事件を解決出来たんだ」
「へえ? 時間ね?」
キッドがリオンの前の席に後ろ向きで座り、背もたれに肘を乗せて、リオンの顔を覗き見る。リオンの目がキッドを睨む。その瞬間、傍にいて分かるほど、二人の空気が冷たくなった。
「……何だよ」
「時間なんてあった?」
「数秒の話だ」
「俺が動き始めてる時に、お前何やってた? 座ってただろ?」
「だから、数秒の話だ」
「その数秒で、罪のない人質が強姦されてたんじゃないか? 怪我人もいた。大量出血だ。今は病院に運ばれてる最中で、その中で献血を行ってる。もう少し遅かったら彼の命も危なかった」
「だからっ……」
「だからなんだ? お前、数秒の時間だと言ったけど、俺がいなかったら本当に動けてたのか?」
リオンが黙って、キッドを睨んだ。
「その数秒で、テリーも撃たれそうになってたじゃないか」
「……分かってる」
「安易に自分が事件を解決出来た、なんて言うものじゃないな。リオン」
「解決出来たさ!」
「出来てないだろ」
「動こうとしてたんだ!」
「遅いんだよ。お前は」
「安易に動いたら、人質が殺されてた」
「そうだ。だから先に動くんだ」
「隙が出来たら真っ先に動いたさ!」
「隙だらけだっただろ。あいつら」
キッドが呆れた目をリオンに向けた。
「あのさ、俺待ってたんだよ。お前が動くと思って。でも、お前は動かなかった。いくらでも隙なんてあった。レディ達をステージに呼んだ時でも、手を縄で結んだ後の一瞬でも、無線機を使うために手が動く瞬間でも、何度だってあいつらの視線が外れて、動けるチャンスはあったのに、お前は隙を見逃した。だから諦めて俺が行ったんじゃないか。睨むよりも、感謝してもらいたいな」
「……」
「いい加減にしろよ。リオン」
キッドが顔をリオンに近づけ、その青い目を弟にぶつける。
「お前が大切なテリーを連れ回すこと、俺は我慢したんだよ。だけど、この子が殺されそうになっても、お前は動かなかった。テリーを守ることはお前には出来ない。突然の強盗事件に驚いて足がすくむのは分かるよ。でも、もう限度を超えた」
「テリー様」
振り向くと、Mr.ジェフがあたしの傍に歩いてきた。自然と笑顔が込み上がってくる。
「Mr.ジェフ」
「テリー様、お怪我はございませんか」
「縄解いてくれない?」
「はい。このジェフにお任せを」
ジェフがあたしの縄を解いてくれる。ようやく両手が解放される。
(ふう)
「さあ、お手を。テリー様」
「助かったわ。Mr.ジェフ。行きましょう」
ジェフがあたしの体を支え、手を握り、あたしを立たせる。素晴らしい紳士の嗜みだわ。こいつらにも見習ってほしい。睨み合う兄弟を横目で見て、ジェフに視線を戻す。
(兄弟喧嘩の傍に居たくないもの。ジェフ、良い時に来たわね。あとは二人で解決しなさい)
あたしはジェフを見上げる。
「ねえ、紹介所はいいの?」
「ご心配には及びません。これもジェフの仕事なんです」
「……うん?」
あたしが席を離れる。
リオンはキッドを睨んでいる。
キッドはリオンを睨んでいる。
「テリーには二度と会わせない」
あたしが振り向く。
リオンが目を見開く。
キッドは冷静な声で、リオンに言った。
「とても任せられない」
「国民のたった100人程度。守れないお前には」
「俺の大切な人のお守なんて冗談じゃない」
「なんでテリーなの?」
「遊び相手は他の子にしてくれる?」
「テリーは駄目」
「もう絶対駄目」
「二度と会うなよ」
「会ったら殺す」
「いいか?」
「 殺 す か ら な 」
キッドが忠告する。
脅迫のように聞こえる言葉。
リオンがキッドを見つめる。
キッドがリオンを冷たい目で見つめる。
キッドがリオンに、
優しく微笑んだ。
「しょうがないよ。突然の強盗事件だ。びっくりしちゃったんだろ?」
キッドがリオンの頭を優しく撫でた。
「怖かったね。でも、もう大丈夫だよ。俺が全部解決してあげたから」
キッドがリオンの頭を優しく撫でる。
「さ、もう部屋に帰りなさい。いいね?」
キッドが優しく微笑む。
「部屋で大人しくして」
キッドが優しく見つめる。
「第二王子として」
キッドが優しく諭す。
「普通の生活を」
キッドが優しい声を。
「落ち着いて過ごしなさい」
リオンが、キッドを睨んだ。
リオンの目が動いた。
ジェフに肩を抱かれたあたしを見た。
リオンが立ち上がった。
キッドがリオンを見上げた。
リオンが走った。
リオンの手が伸びた。
ジェフを突き飛ばした。
ジェフが尻もちをついた。
「ふぉっ!?」
「あっ、ミスタ……」
リオンがあたしをお姫様抱っこで抱えた。
「えっ」
ぽかんとすると、リオンが黙って走り出した。
「レオっ……」
兵士と警察を避ける。
「「あっ! リオン様!!」」
ヘンゼとグレタを避け、ライブ会場から抜け出す。
「レオっ!?」
リオンがイベント会場を走った。
「レオ!」
リオンが走る。
「ちょ、ちょっと!」
待機していた兵士達がリオンに振り向く。
気にせずリオンがあたしを強く抱えて、走り続ける。
「レオ!」
「婚約なんて破棄しろ!」
リオンが叫んだ。
「それが君のためだ!」
リオンが叫んだ。
「あんな奴と将来結婚するなんて、どうかしてる! いかれてる!」
リオンが走る。
「僕らの関係に文句まで言うなんて、何なんだ! あいつ!」
リオンが走る。
「二度と会わせないだって?」
「何の権利があってそんなことを言う?」
「自分が神にでもなったつもりなんじゃないか?」
「たかが王子の一人で」
「たかが王族だというだけで!」
「僕は解決出来たんだ!」
「僕が解決出来たんだ!」
「キッドが邪魔をしたんじゃないか!」
「人の手柄を横取りした上に、ニコラと会わせないだと?」
「何だよ」
「何なんだ!」
「何なんだよ! あいつ!!」
リオンが走る。
「落ち着きなさいって! レオ!」
「ニコラ! 君からも言ってやれよ! 嫌なんだってはっきりと! あいつのことが嫌いだって言ってやれ! 言えないなら僕が横にいてあげるから!」
リオンがあたしを見る。
「あんな奴に付き合う必要はない! 君のことは僕が守る! 君一人くらい守れるさ! 僕は君のお兄ちゃんだ! 守れる! 絶対守れるさ! 絶対守れるんだ!!」
「レオ、落ち着いて、あんた、一回止まっ……!」
「ニコラ! あいつの言うことなんて聞かなくていいよ! そうだ! このまま噴水前まで行こう! 大丈夫! 逃げてみせるよ! 僕は足が誰よりも早いんだから!」
リオンが優しく微笑んだ。
「この後少し出かけよう! 今日の分の手柄探しだ! 明日も手柄を探しに行こう! 明後日も行こう! その後も行こう! 11月まで、時間は僅かなんだ!」
「レオ、だから、レオ……!」
「行こう! ニコラ! 僕らの関係に、誰も口出しなんて出来ない!」
リオンはあたしを大切に抱く。
「僕らは二人で一つの兄妹! 兄妹は一心同体! 旅は道連れ!」
「レオ!」
リオンが笑った。
「行こうよ! テリー!!」
「リオン!! 後ろ!!!!!」
あたしが叫ぶと、リオンの目が見開いた。振り向く前に、ぴったり後ろをついてきてたキッドが、拳銃のグリップ部分をリオンの頭に向けて振り下ろす。
「っ」
派手な音が響く。
リオンの頭が殴られた。
リオンが痛みに怯み、足のバランスを崩す。膝から倒れ、あたしも投げ飛ばされた。
「ぐっ!」
「あだっ!」
リオンとあたしが悲鳴をあげ、地面に倒れる。
「ぐう……!」
「……はあ……」
息を吐いたキッドが拳銃をベルトにしまい、頭を押さえて唸るリオンを無理矢理振り向かせ、馬乗りになる。
「おい」
キッドがリオンの胸倉を掴み、引っ張った。
「殺すって言ったよな?」
キッドが低い声で脅す。
「殺すと言ったぞ?」
キッドが低い声で認識させる。
「破ったのはお前だ。リオン」
キッドがリオンを見下ろす。
リオンがキッドを睨む。
キッドが拳を固めた。
リオンが目を見開いた。
キッドがリオンの顔を殴った。
「っ」
リオンが歯を食いしばった。
キッドがリオンの顔を殴った。
「っ」
リオンが歯を食いしばった。
キッドがリオンの顔を殴った。
「っ」
リオンが歯を食いしばった。
キッドがリオンの顔を殴った。
あたしは起き上がり、慌てて二人に駆け寄る。
「ちょ、ちょ、ちょっと!」
リオンが歯を食いしばった。
キッドがリオンの顔を殴る。
「キッド!」
リオンが歯を食いしばった。
キッドがリオンの顔を殴る前に、その腕を両腕で抱いた。
「キッド!!」
キッドがリオンを睨んだまま、言葉だけあたしに向ける。
「テリーは黙ってて」
「いくら何でも、顔を殴るのはやめてあげなさい! そいつも王子なのよ!」
「分かった。じゃあ体にしよう」
「やめなさいって!」
両手でぐっとキッドの片腕を押さえる。それでも動き出しそうな腕に、あたしは急いで大声を出す。
「誰か! キッドを止めて! 誰か!!」
遠くから兵士達が走ってくる。
キッドの腕が動きだす。
あたしは必死に押さえる。
鼻血を流すリオンがキッドを睨んだ。
キッドが目を見開く。
リオンが拳を握り、
(あ)
キッドの顔を殴った。
「ちょーーーーーっ!!」
リオンの拳が頬についたまま、キッドの目が動く。
キッドがぎろりとリオンを睨んだ。
リオンがぎろりとキッドを睨んだ。
兵士達が真っ青になった。
警察達が真っ青になった。
キッドの腕が動きだす。あたしは必死にその腕を抱きしめる。
キッドとリオンの部下がうろたえる。
「てめえら! 誰か! 二人を! 誰か! 止めて! この馬鹿ども! 誰か! 早く!! 誰か!!!」
あたしは叫んだ。
「誰かーーーーーーーーーーー!!!!」
反響した直後、
「こらあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
すさまじい怒鳴り声が聞こえ、すさまじい速さで駆けてくる影が見えた。キッドとリオンが瞬時に目を見開き、はっとする。瞬間、その影が二人の間に走ってきて、二人を突き飛ばした。
「っ!」
「っ!」
リオンが吹っ飛ばされる。
キッドが吹っ飛ばされる。
あたしはキッドから手を離し、呆然とする。
二人を突き飛ばしたビリーが、いつものオーバーオールの作業服姿で、キッドを睨んだ。
「キッド!!」
二人を突き飛ばしたビリーが、いつものオーバーオールの作業服姿で、リオンを睨んだ。
「リオン!!」
そして、誰よりも大きな声で怒鳴った。
「いい加減にしろ!!!!!!!」
――その場の空気が、一瞬にして凍り付いた。
ビリーが兵士と警察に口を開く。
「二人を」
「「はっ!」」
兵士達が走ってくる。
警察達が走ってくる。
突き飛ばされたキッドを押さえる。
突き飛ばされたリオンを押さえる。
二人の距離がもっと開かれる。
ヘンゼとグレタが顔を青ざめて、リオンの元へ駆け寄る。
「「リオン様!!」」
二人が声を揃えて、ボロボロのリオンの左右に座る。
「なんてことだ! 我が主!」
「リオン様! またキッド様に喧嘩を売ったのですね!」
「いつも負けてるんだから、そろそろ諦めてはいかがですか!? 我が主!」
「リオン様! キッド様に喧嘩を売るなど言語道断です!」
「お医者様に見てもらいましょう! とりあえず鼻血を止めなくては! 我が主!」
「リオン様! すぐに手当を! その鼻血は男らしくていいと思いますが!」
「他の方ならともかく、貴方の場合は」
「兄さん、とにかく」
「グレタ! 連れて行くぞ!」
「兄さん! 連れて行くぞ!」
間でリオンが声を荒げた。
「触るな!! 一人で立てる!!」
リオンが興奮して怒鳴り、すくっと立ち上がる。ヘンゼとグレタが困った顔でリオンを見上げる。
リオンが遠くにいるキッドを睨み、キッドが遠くにいるリオンを睨み、リオンが息を吸って、吐いて、あたしを見る。
そして、
「ニコラ」
にこりと、微笑んだ。
「今夜も夢で会おう」
そう言って、あたし達に背中を見せる。
ヘンゼとグレタが一度あたし達に敬礼し、リオンを追いかける。リオンの部下らしき兵士と警察も、一度ビリーとキッドに敬礼してから、リオンの背中を追いかける。
キッドがその背中を睨み、いなくなるまで睨み、周りにいる部下達の腕を払い、自分も自力で立ち、口の端を拭った。
「くそ……。俺の美しい顔が……」
「キッド様」
ビリーが背筋を伸ばしたまま、向こうの方角に片手を向けた。
「お帰りの準備が出来ております」
「じいや」
キッドがいらついたようにビリーを睨み、歩み寄る。
「俺は悪くないよ。あいつが勝手に暴れて癇癪起こしてテリーをどこかに連れて行こうとしたんだ」
「手を出したのはお前じゃないか。お前にも非があるぞ」
「売ってきた喧嘩を買っただけだ。可愛い兄弟喧嘩じゃないか」
「帰りなさい」
「なんで俺が怒られないといけないわけ? 事件を解決したのは俺だよ」
「帰りなさい」
「あいつだって殴ってきた!」
「帰りなさい」
「おかしいのはあいつじゃないか!!」
「帰れ!!」
「ああ! 不快だよ! 不会で不快で不愉快だ! とっとと帰るよ! 帰ればいいんだろ!」
キッドがビリーに怒鳴り、あたしに大股で歩いてくる。
(うん?)
手を掴まれる。
(うん?)
引っ張られる。
(うん?)
大股で歩くキッドに、引きずられるように引っ張られる。
「え、ちょっと……」
キッドが無視して歩く。
「え?」
ビリーに振り向く。
「じいじ」
「テリーや、頼んだぞ」
「……」
あたしはきょとんと瞬きする。
(え?)
キッドに振り向く。
(え?)
ビリーに振り向く。
(何?)
あたしが面倒見ろってこと?
見れば、キッドが前だけ見て大股で歩く。
見れば、キッドがあたしの手を掴んで大股で歩く。
見れば、キッドがあたしを絶対に離さず馬車に向かって歩く。
(……え? なんであたしが……?)
キッドの足とあたしの足が馬車に向かって、無言で歩き続けた。
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