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五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)

第21話 10月16日(1)

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 じりりりりりり、と目覚まし時計が鳴った。
 じりりりりりり、と音が鳴るが、あたしは止めない。
 じりりりりりり、という音を聞いて、あたしは瞼の上に、手の甲を乗せていた。
 じりりりりりり、という音が聞こえるたびに、あたしはうんざりしていた。

「……」

 すごく、嫌な悪夢を見た気がする。
 すごく、嫌な青い瞳を、夢の中で見た気がする。

「……」

 あたしはようやく、腕を伸ばし、目覚まし時計を止めた。目覚まし時計が鳴り止む。

「……」

 あるはずのない記憶が、整理されていた気がする。

「はあ」

 うなだれる。

「気だるい……」

 起き上がる。

「最低……」

 クローゼットを開ける。

「……」

 アリスから貰ったピナフォアドレスを見る。

(気分を変えるには、いいかも)

 アリスのお下がりのピナフォアドレスを着る。白いエプロンが揺れる。髪の毛をおさげにして、ドレスに合わせて白い靴下、動きやすい靴を履いて、小指に指輪をはめる。ジャケットとミックスマックスのストラップが揺れるリュックを持って、部屋を出る。リビングに行くと、リンゴの絵が描かれたエプロンをつけたスノウ様がいた。

「おはようございます」
「あら! テリー、おは……」

 スノウ様が黙った。あたしはリュックとジャケットをソファーに置いて、スノウ様に振り向く。

(ん?)

 スノウ様にじいいいっと見られている。

(何?)

「……あの、何ですか?」
「……その服、どうしたの?」
「……友達から、貰いまして……」

 スノウ様が、息を吸った。

「可愛い」

 スノウ様が目を輝かせた。

「可愛い!」

 スノウ様がおたまを握った。

「超可愛い!!」

 スノウ様がエプロンのポケットから無線機を取り出した。

「誰か! 女の子用のピナフォアドレス買ってきて! 100着くらい!」
「いりません!」
「えええええええ!? どうしたの? なんで? なんでそんなに可愛いの? テリー、三連休にショッピングに行く? ママが何でも買ってあげる! 三連休、暇なのよ! 旦那はそんなの関係ねえ! って仕事してるけど! 私は暇なのよ! ショッピング行こうよ! テリー! 三連休にショッピングに行こうよ!」
「か、考えておきます……」

 きょろりと、リビングを見回す。

「……あの……ビリーは?」
「朝早くから果樹園で果物取りに行ってるのよ。そろそろ戻ってくるんじゃない?」

 キッチンからは美味しそうな匂いがしている。

「今日の朝ご飯は私が作ったわ。テリー、心して食べなさい」
「……顔洗ってきます」

 そう言って、洗面所に行く。顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。

(……スノウ様の手作り……? あの人、料理出来るの……?)
(……果物のジュースは、潰すだけだから美味しいけど……)
(……女王様の料理………)

 タオルを元の場所に戻してリビングに戻ると、テーブルにリンゴのサラダとアップルパイとリンゴのスープとリンゴとミルクのミックスジュースが用意されていて、いつものじいじの椅子には、にこにこ微笑んでいるスノウ様が座っている。

(……リンゴだらけ……)

 あたしは椅子に座り、スノウ様が両手を握った。

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

 握った手を離したのを見て、あたしはフォークとナイフを握った。最初にサラダをぱくりと食べて、もぐもぐと食べる。

(……)

「テリー、美味しい?」
「はい。すごく美味しいです」

 ……。

(……キッドのスープの方が美味しい……)

「わぁい!」

 スノウ様が子供のように喜ぶ。

「沢山食べて、今日も元気に働いてきてね!」
「……はい。ありがとうございます」

 14歳の可愛い笑顔を浮かべて、食べるたびに思う。

(……サラダってドレッシングつけてるわよね……?)

「このドレッシング、手作りですか?」
「そうなの! 私が作ったの! 美味しい?」
「美味しいです」

(……お店で買った方が……美味しい……)

 アップルパイを食べてみる。

(……べちゃべちゃしてる……)

「柔らかめに作ったの! どーお?」
「美味しいです」
「スープもどうぞ!」
「美味しいです」

(……)

 今日の夕飯に期待しよう……。

「ご馳走様でした」
「テリー、今夜なんだけど」
「え?」
「キッドはこの家に残るんだけど、私は城に戻らなきゃいけないの」
「ああ、そうですか」
「だから、ママがいなくても寂しがっちゃ駄目よ。もしも寂しい時は電話してね。待ってるわ」
「……あ、はい」

 頷いて、立ち上がる。皿をまとめて、洗い場まで持っていく。それから洗面所に行って、いつも通り歯を磨く。うがいをして、歯を綺麗にして、髪を整えて、見た目を整え、そのまま洗面所から出て時計を確認すれば、ちょうどいい時間帯。

「あの、では、行ってきます」
「ええ! 毒リンゴを配る不審者に気を付けてね!」
「……はい」

(そんな人いないと思うけど……)

 リビングの扉を閉めて、廊下を歩き、玄関の扉を開けて、外に出る。秋の冷たい風が顔に当たった。小雨が降っている。

(傘……)

 家の中に戻り、玄関に置かれた傘を持った。

(じいじがこれ使えって言ってた)

 外に出て、赤い傘を広げる。そのまま歩いて広場に向かう。足を動かして、道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、傘を差す人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、噴水前にたどりつく。時計台を見上げれば、9時30分。

「テリー!」

 声が聞こえて、振り返る。

「おはよう」
「テリー! 良かった! テリ……」

 傘を差したリトルルビィがあたしに駆けてきて、突然ぴたっと立ち止まり、じっと見上げてきた。

「……」
「……ん、何?」

 きょとんと見下ろすと、リトルルビィが一歩、前に出た。

「テリー……」

 二歩、前に出た。

「テリー」

 赤い目が、輝いた。

「ピナフォアドレス、どうしたの!?」
「アリスから貰った」
「可愛い!!」

 リトルルビィが目をきらっきらと輝かせて、犬のようにあたしの周りを回った。

「可愛い!!」

 リトルルビィが壺に唇を突っ込ませて、叫んだ。

「可愛い!!」

 リトルルビィが山に向かって、叫んだ。

「可愛い!!」

 リトルルビィがジョギングしてる人の横を走って、叫んだ。

「可愛い!!」

 リトルルビィが噴水に頭を突っ込ませて、叫んだ。

「ぶくぶくぶくぶく!」

 リトルルビィがあたしの両手を握り、叫んだ。

「可愛い!!」
「頭濡れてるわよ」
「テリー! 今日も可愛い! エプロンしてるテリー可愛い! 可愛い!!」
「ありがとう。でもね、リトルルビィ、あたしは可愛いじゃないの。美しいなの」
「テリー可愛い!」
「ありがとう。リトルルビィ。はあ。美しいと可愛いを兼ね備えたあたしって、本当に罪な女だわ……」

 ふっと切なく笑うと、リトルルビィの手に、力が込められた。

(ん?)

「テリー」

 リトルルビィの眉がへこませ、微笑む。

「……もう大丈夫なの?」

 子供らしくない声で、訊いてくる。
 あたしはそんなリトルルビィを見つめ、その手を握る。

「……心配させたわね。もう大丈夫だから。早退してごめんなさい。……混まなかった?」
「それは、大丈夫。……テリーは大丈夫?」
「ありがとう。あたしは大丈夫よ。ちょっと、驚いちゃったみたい」
「……テリー」

 リトルルビィが、あたしを見つめる。

「あれだけ、大勢の人がいたんだもん。そうなるよ」

 リトルルビィが心配そうな顔で、それでもあたしに微笑む。

「具合悪くなったら、早退していいからね。私もいるから」

 きゅっと、優しく強く、手を握ってくる。

「今日も頑張って働こうね。テリー」
「……ありがとう。ルビィ」
「ううん! いいの! テリーが大丈夫ならいいの!」

 手を離して、傘を差して、二人で歩き出す。

「メニーがすごく心配してたのよ!」
「あの子ちゃんと大人しく帰った?」
「帰ったけど、すごく心配してた」

 だって、

「テリーがキッドにさらわれたんでしょう!?」

 あたしは顔をしかめた。リトルルビィがあたしに振り向いた。

「テリー、キッドに何もされなかった? 無理矢理セクハラされなかった? よいではないかってされなかった?」
「……ん。あの、……思ってるようなことはないから、大丈夫よ」
「ああ、良かった!」

 リトルルビィは胸を撫でおろした。

「……ジョージさん、何か言ってた?」
「あのね、テリーの代わりにキッドの部下の人が、代理で来たの」

 ――僕! 一生懸命働きます!
 ――あ、結構です。大丈夫です。
 ――ニコラさんの分まで、働きます!
 ――社員が一人来たので、大丈夫です。
 ――働きます!
 ――帰ってください。

「カリンさんと、ジョージさんと、私で全然お店回ったから、大丈夫だったよ。皆、噴水前の方に集まってて、お店の方には来なかったから暇だったの」
「今日はちゃんと働くわ」
「無理はしない程度にね」
「あんたこそ」
「私は大丈夫! テリーと一緒に働けてるだけで元気になるから!」
「ニコラ」
「……あら、またやっちゃった」

 リトルルビィが舌を出して笑う。

「ニコラ、今日のお昼、サガンさんのところに行く?」
「そうね。アメリからお小遣いも貰ったし、今日のランチはサガンさんのところに行きましょうか。奢ってあげるわよ。リトルルビィ」
「やったー!」

 リトルルビィが傘をくるくると回す。あたしのことは、それ以上訊こうとしない。

(……そういうところ、あんたのいいところよ)

 子供のくせに、人に気を遣えるなんて、いい女になるわよ。リトルルビィ。

 小雨が降る中、ドリーム・キャンディに辿り着く。傘を閉じて中に入ると、今日もジョージがレジカウンターにいた。

「おはようございます!」
「おはようございます」
「おお、来たか。ニコラちゃん」

 ジョージがあたしを見て、ほっとした顔をし、あたしの服装を見て、にやりとした。

「……おや、今日は仕事終わりにデート?」
「アリスに貰ったんです」
「へえ。アリスちゃんのお下がりか。似合ってるね」
「……ありがとうございます」
「体調の方はどう? 昨日、急に具合悪くなったんでしょ? 大丈夫?」
「その件に関しては……多大なるご迷惑をおかけしました……」
「気にしないで。僕なんてインフルエンザだと気づかずに出勤して、オープンして五分でぶっ倒れたことあるから」

 ジョージがケラケラ笑い、レジを弄る。

「荷物置いておいで。今日はアリスちゃんがお休みだから、カリンが来るまで二人で品出しだ」
「アリス、今日もお休みなんですか?」

 リトルルビィが訊くと、ジョージが頷いた。

「今日は体調不良だって。気持ち悪くて外に出られないみたいだよ」
「10月ですからね。体調崩しやすい時期だから、気を付けないと」
「そうだね。今のところ、倒れてないの、ルビィちゃんと僕くらいじゃない?」
「え、そうなんですか?」
「社長も奥さんも最近あまり体調が良くないんだ。カリンもこの間遅刻したらしいじゃないか。ほら、僕らだけだ」
「わあ」
「体調管理も仕事のうち。気が抜けないなあ」

 ジョージが欠伸をした。

「さ、二人とも、今日も気楽に頑張ろうね」

 ジョージがレジのレバーを回した。レシートの紙が、音を鳴らして出てきた。


(*'ω'*)


 11時。ドリーム・キャンディ。


 雨が降っているというのに、やけに客が来る。しかも声をかけてくる。

「ちょっといい?」
「はい」
「すみません」
「はい」
「これを探してるんだけど」
「ありません」
「ちょっと貴女」
「はい」
「おい」
「……あ?」
「すみません、あの」
「はい」
「お会計はどちら?」
「あちらです」
「子猫ちゃん」

 目の前に一輪の薔薇。手を辿れば、涼しく微笑むヘンゼがいた。

「ふっ! 雨に負けない君の働く姿を見ると、元気をもらうよ。ありがとう。これはほんのささやかな俺からのプレゼントだ」
「いらない」
「ふっ! 照れているんだね! そっけない君も、実にキューティー・シロップ!」
「チョコレートは裏の棚。袋なら二階」
「今日の服装は実にレディらしい。さては、お兄さんを恋の崖に落とすつもりだな?」
「くたばれ」
「ふふっ。元気そうじゃないか。ニコラ」

 微笑ましく見てくるヘンゼを見て、また視線を棚に戻す。

「何か?」
「別に?」
「昨日のことなら解決したわ」
「ああ、大盛り上がりだったね。君の演奏は素晴らしかったよ。つい感化されて、俺たちも加わりたくなってしまった」
「リズムを刻んでくれてたって聞いた」
「そうだよ。お兄さんはタンバリンのプロなのさ」
「へえ、それはすごい」

 隙間の空いた棚を補充していく。

「実は、お兄さんは心配だったんだ。あんな君を見たのは、初めてだった」
「解決しました。お気になさらず」
「いや、初めてじゃないな。二回目、かな?」
「そうですか」

 ……二回目?

「同じことが起きたね。ニコラ。また王子様が君を追いかけた」

 あたしは棚を整理する。

「しかも二人の王子様」

 あたしは棚を整理する。

「大丈夫だった? 君の『レオお兄ちゃん』は、怪我をしなかったかい?」
「寸前で回避したわ」

 あたしを先に突き飛ばして、自分はそれから逃げてた。でも、あと一秒でも遅ければ、彼は大怪我をしていたことだろう。レオも自分で分かっていることだ。

「彼の正義感は呆れるほどすごいわね」
「尊敬できるお方だろ? あの人も」
「王子様を尊敬してない人なんていないわ」
「ただ」

 ヘンゼが肩をすくめた。

「心は、どこか傷がついてしまったようだ」

 あたしをちらりと見下ろした。

「昨日から元気がないんだ。ここのところ、君のおかげでやる気がみなぎってたレオお兄ちゃんは、やる気の芽がしおれたように、落ち込んでいる」

 ヘンゼは微笑んでいる。

「男というものは、勝負に負けると悔しいものだ。覚えていろと言って、自分を鍛える者、そのまま諦めてひねくれるだけで終わる者に分かれる。彼はどちらになるかを考えている」

 レオは勝負をしたがっている。

「どうしたら自分の尊敬できるあのお方に勝てるかを考えている」

 そして、

「君を求めている」

 ヘンゼに顔を向けると、ヘンゼと目が合った。切なそうに微笑むヘンゼと、目が合った。

「会ってやってくれないか? すごく君のことを心配している。素直な正義感があるからこそ、一度人と関わると、放っておけない質なんだ。彼は」

 君と彼は、関わってしまった。

「ニコラ」

 ヘンゼがあたしを呼んだ。

「このまま、半年も会わないなんてこと、しちゃ駄目だよ」

 あたしは目を見開いた。

「言っておくけど、あの時、一時的だったけど、あのお方は君の話を毎日のようにしていたよ。あれから君がどうなったんだろうとか、どこへ旅行へ行こうとか、二人でどこに出かけようとか、あんなものを見せたけど嫌われてないよねとか、なんで会いに来ないんだとか、お前らのせいじゃないかとか、俺とグレタは関係ないのに怒られたものさ」

 同じさ。

「まるで同じ時間に戻った気分だ。レオお兄ちゃんから君の話をされる。ようやく見つけた妹分の君が気になって仕方がないんだ。はははは。子猫ちゃん。君は同じ血から好かれる性分らしいね」
「誰だ」

 ヘンゼがあたしを見た。
 ヘンゼを睨むあたしを見た。

「お前、誰だ」

 真っ直ぐヘンゼを睨む。
 睨まれたヘンゼは、いやらしく笑う。

「嫌だなあ。ニコラ」

 ヘンゼは笑う。

「そんなに警戒しないでくれ」

 ヘンゼは笑う。

「俺は皆を守りたいだけさ」

 ヘンゼは笑う。

「君だって助けてあげたじゃないか」
「いつ」
「思い出してごらん?」
「知らないから訊いてるのよ」
「知ってるよ。俺は君の肩まで抱いたのだから」
「いつ」
「思い出してごらん」
「気持ち悪いのよ」
「思い出せないなら、そのうち思い出すさ。思い出ってそういうものだ」

 でも、

「俺は君の味方だよ。いつだって守ってあげる」
「誰から」
「悪い奴から」
「あんたが?」
「だから君を守った」
「誰から」
「もう、ニコラ」

 ああ、

「テリー様」

 ひそりと声をひそめて、ヘンゼがあたしを呼んだ。

「テリー・ベックスご令嬢」

 微笑んで、あたしを呼んだ。

「思い出してくださいよ。お嬢様」
「誰よ」
「俺は、ヘンゼル・サタラディア」
「知らない」
「怖がらないでください。俺は貴女の騎士です。そして、リオン殿下の部下でもある」
「何が言いたいの」
「俺の要求はたった一つ。会ってあげてください。余計なお世話だと思いますがね、リオン様の不安げな顔を見るのは、胸が痛くなるんです」
「……」
「キッド様に、何と言われました?」
「……何とも。ただの知り合いだって説明したら、納得したみたいだったけど」
「だったら、会えるはずだ。会って、事情をあの方に説明してあげてください」

 ヘンゼが真剣にあたしを見つめてくる。

「どうかお願いします。テリー・ベックス様。貴女と関わってから、リオン様の目の色が輝きだしたのです。どうか、この通り」
「……言われなくても、会いに行くわ。事情も色々説明する」
「そうですか。それは良かった」

 姿勢を直すヘンゼを見上げた。

「ねえ、キッドといい、リオンといい、周りが過保護すぎない? あたしは今までそれで迷惑を被ったわ」
「ええ。それでも、我々の主が幸せになるならば、俺達はどんな命令でも従いますよ」

 今回の幸せの鍵は、貴女だ。

「全てをお任せしますよ。テリー様」
「……任されても困るんだけど……」
「ただ会って話をしてくれたらいいのさ。不安なら、お兄さんが傍にいてあげる」

 手をそっと握られた。

「ねえ、ニコラ、君はとても不思議だね。普通の女の子に見えないんだ」
「離せ」
「それに君は将来、かなりの美人になると思うよ。俺、猫目のマドモワゼルって大好きなんだ」
「離せ」
「今、ニコラはいくつだい? 18歳くらいになったら絶対美人になる。どうだい? お兄さん。浮気はするけど、結婚してくれるならお嫁さんは大事にするよ」
「離せ」
「兵士だから収入もある。どうだい? お兄さん、どうだい?」
「離せ」
「別に俺はあの老人と違ってロリコンってわけじゃないよ? ただ、君の顔の形とか、目の形が好きなのさ。性格も面白い」
「……老人?」
「ニコラ、今度お兄さんとデートしよう。キッド様とリオン様には秘密だよ」

 ぱちんと、ヘンゼがウインクした、と同時に、かちゃりと、ヘンゼのこめかみに銃が突き付けられた。

(あ)

「おや」

 あたしとヘンゼがその銃を突きつける相手を見た。相手は、くすす、と笑った。

「やめていただけますか? ヘンゼル殿。その子は私のものなので」
「わおう! これは!」

 ヘンゼがあたしの手を簡単に離し、そっちに向いた。

「これはこれは! ミス・コートニー! はあっ! ……いや、君はいつ見ても素晴らしい。まさに女性の全ての魅力を兼ね備えた女性と言っても過言ではない。どうだい? 金の薔薇の君。ソフィア、俺とデートしよう!」

 ソフィアの金の瞳がきらりと光った。それを見たヘンゼが、ふっ! と笑った。

「おや、どこかにいる俺のマドモワゼルが、全力で俺を呼んでいるようだ。ニコラ、先ほどの話、頼んだよ。俺は俺だけのマドモワゼルを探しに行こう! 輪廻の先まで!」

 とことことヘンゼが何も買わずに店から出ていく。ジョージがチラッと見送って、雑誌を見下ろす。ソフィアがくすす、とまた笑って、あたしを見下ろした。

「変なことをされてない? ニコラちゃん」
「……あんたも何しに来たの?」
「君に会いに」

 ソフィアが美しく笑う。

「やっぱりピナフォア似合うね。可愛いよ」

 そして、そっと頭を撫でられた。ぴく、とあたしの体が揺れる。

「んっ。……ちょっと、何?」
「別に? 君の顔を見たら、頭を撫でたくなっただけだよ」
「あんた仕事は?」
「今日はオフ」
「だったら家で引きこもってなさい。あたしに構わず」
「会いたかった」

 なでなでと撫でられる。

「昨日の演奏、すごかったよ」
「……その話はやめて」
「くすす。君が逃げるなんて、日常茶飯事だ。人の多さに驚いてしまったの?」
「関係ないでしょう。……放っといて」

 ふい、と棚に視線を戻すと、ソフィアの手が頭から離れる。

「ねえ、テリー」
「ん?」
「逃げたくなったらいつでも言って。私が君を盗んであげる」
「必要ない」
「一緒に小さな田舎にでも行こう。キッド殿下に見つからないように、二人でひっそり暮らすんだ」
「どこぞの駆け落ちストーリーよ。本の読みすぎよ」
「くすす。また冗談だと思ってるんでしょ。私は本気だよ」
「あんた、そろそろ彼氏見つければ?」
「テリー」

 静かに屈んで、ソフィアが後ろから、あたしの耳元で囁いてきた。その吐息に驚いて、びくっ、と体が揺れる。

「つまりね、君の味方は、キッド殿下だけではないということさ。その時が来たら、私を選んで」
「……何言ってるんだか」
「いざという時は、私の胸に飛び込んでくるといい」
「誰が女の胸に飛び込むか」
「くすす。キッド殿下にもそんなこと言えるの?」
「あいつは男でしょ」


 ……くすす。


 ソフィアが笑った。

「そういうところが、あの方のずるいところだ」

 ソフィアの指があたしのうなじに触れた。

「っ」

 小さく悲鳴をあげて、品出ししていたお菓子を落とさないように、その手でぎゅ、と掴む。

「駄目だよ。あの方よりも、私の方が正直者で、美人だ」
「元泥棒が何言ってるのよ」

 美人とか自分で言うな。

「テリー、私がいつまでも君をからかってると思ったら、それは誤解だよ」
「ソフィア、今日のあんたおかしいわよ」
「当たり前だろう? 君は忠誠を誓う私に目もくれず、リトルルビィやキッド殿下と、実に親しげだ。胸がもやもやする。とても、もやもやする」
「キッドはともかく、付き合いが長いもの。当然でしょ」

 ソフィアの手を払う。

「もやもやしなくていいから、退いて。仕事中」

 歩き出すと、ソフィアも歩き出す。

「ニコラちゃん、お試し期間でいい。私と付き合おう」
「どこに付き合うのよ」
「くすす。私の言い方が悪かった」

 手を掴まれて、あたしの足が強制的に止められる。

「うっ?」

 ぐいと引っ張られて、無理やり振り向かされる。

「テリー」

 金の瞳がきらりと光った。

「私に恋をして」

 あたしは、くらりと目眩。

「……ん」

 首を振って、目眩を逸らす。ソフィアを見上げて睨んだ。

「変なことに催眠を使うな」
「くすす。やっぱり効かないか……」
「催眠で言うこと聞かせようなんて甚だしい。誰があんたなんて好きになるか」
「それでも私は君を想い続けるよ。だって好きなんだもの」
「24歳が14歳の女の子に何言ってるのよ。目を覚ましなさい」

 ぱんぱんと、軽くソフィアの片頬を叩くと、ソフィアが笑う。

「ふふっ。愛に年齢は関係ない。性別もね」
「あたし、あんたに好かれるようなことはしてないけど」
「したじゃない」

 あたしのものになりなさいと言ったのは、君だよ?

「ソフィア」

 眉をひそめる。

「それはね、あんたがずたぼろだったからよ。今のあんたはどう? 生活が充実して、最高じゃない。
 そのままいい男を捕まえて、結婚して、家庭を作って、女の幸せを手にするのよ」
「私はテリー以外興味ない」
「はいはい。分かったから手を離しなさい」
「ああ、こういうのはどうだろう。テリー」

 ソフィアが提案する。

「三連休のどこかでデートして。そしたら、この手を離してあげる」
「やだ」
「じゃあこのまま握ってるよ。一緒に歩こう」
「……」
「一日だけでいい。出かけよう」

 手を引っ張っても、離れない。

「テリー」

 ソフィアがいやらしく、微笑んだ。

「離さないよ」
 「……いつ空いてるの」
「君は?」
「……まだ予定ない」
「20日は?」
「土曜?」
「うん」
「分かった」

 あたしはため息混じりに頷いた。

「じゃあ20日、デートじゃなくて、どこか出かけましょう。女同士で」
「うん。二人だけでね」

 ソフィアが掴んでるあたしの手を上に上げ、その手の甲に唇を落とした。ソフィアの柔らかい唇がつく。ついでに口紅が残る。

「恋しいテリー。好きだよ」

 あたしの手を離した。ソフィアがにこにこと微笑んでいる。

「楽しみにしてるから」
「ん」
「それと、ニコラちゃん、エプロンのポケットに入っているその機械を私に渡してくれない?」
「……」

 ぽん、と、上から触ればGPS。顔をしかめて、ソフィアを見上げた。

「……あんたも渡されてるの……?」
「あの方の部下だからね。ほら、貸して」

(ソフィアに渡したら、一番駄目な気がするのだけど……)

「テリー、渡さないと君の名前を大声で呼ぶよ」
「最低」

 あたしは大人しくGPSを渡した。受け取ったソフィアがぽちぽち指を素早く動かして、あたしに返す。

「はい、私の番号を登録しておいたからね。連絡して」
「……分かった」
「待ち合わせ場所も連絡するよ。確認してね」
「ん」
「ふふ。嬉しいな。何着ていこう」

 ひょいと、あたしの上にあるグミの箱をソフィアが手に取った。

「テリー、20日、また会おうね」

 ちゅ。

「っ」

 頭にキスをされて、小さく体が跳ねる。くすす、と笑ったソフィアがあたしから離れ、レジに向かって歩いていった。

(20日か)

 詳しいことはGPSで。

(気を紛らせるには丁度いいわ)

 忘れたい記憶が頭の片隅に残っている。

(三連休ね)

「……」

(……さあ、仕事仕事)

 あたしは品出しに戻った。


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