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五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)

第20話 10月15日(2)

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 11時。ドリーム・キャンディ。


 ジョージとリトルルビィが品出しをしている姿を、レジカウンターで眺める。

(今日は混んだり混まなかったりの差が激しいわね……)

 あ。

 顔に炭をつけて毎日来ている、自称、ホレおばさん。

「イラッシャイマセ」

 今日はお煎餅。紙袋に詰めて、

「200ワドルデス」

 言えば、ホレおばさんがお金をあたしの前に置く。

「200ワドル頂戴シマス」

 ちゃりんとレジが鳴る。

「アリガトウゴザイマス」

 紙袋を渡せば、ホレおばさんが受け取り、店から出ていく。

(ああ……暇ね……)

 ぼうっとしていると、また来る。ぼうっと接客してたら、また文句を言われる。

「そんな顔してるなんて、なめてるのか!」

(なめてないわよ!!)

「スミマセン」

 謝って、お菓子を受け取った客が店から出ていく。チッと舌打ちして、頭を上げる。

(駄目駄目。今日は月曜日よ。気合を入れるのよ。テリー)

 ニクスと約束したじゃない。

(客に一日一回お礼を言われるくらいの接客をするって、あの子と約束したわ。やってやる。こうなったらやってやる。じいじにも軸をちゃんと持てと言われた。やってやる。このテリーはね、やると決めたらやる女よ。なめないで)

 ぐっと気合いを入れるが、あたしの気合いなんて、簡単に無くなり失せてしまう。

「これねえ、前違うお店で買ったら不味かったのよ。どうなってるの?」

(知るか!)

「袋に詰めるな!なんで分からないんだ!」

(知るか!!)

「いつもの」

(知るか!!)

「ちょっと早くしてちょうだい! 急いでるのよ!!」

(知るか!!)

「これ食べてみたら不味かったから返金しろい!」

(知るか!!)

「あ、やっぱりこれもいい? ……あ、やっぱりいらない」

(貴様ぁぁぁあああああああ!!)

「ほら、お姉さんに挨拶は?」
「ありあと!」
「……」

 手を振る男の子を見て、あたしは仏頂面のまま、胸がきゅんと鳴る。

(……子供なんて、クソガキだとばかり思っていたけれど、ああいう良い子は、見てて癒されるわね。
(あたしも子供を産んだら、良い子に育てるわ……。店員様に迷惑をかけない子に育てるのよ。男の子が生まれたら名前は坊や。女の子が生まれたら名前はベイビー。ああ、あたし、やっぱり名前のセンスいいわね……)

 ふわふわと癒しに浸っていると、また客が来る。

「イラッシャイマセ」

 お菓子を紙袋に詰めて、

「150ワドルデス」

 200ワドルを渡されて、レジを打つ。レバーを回して、ちゃりんと鳴る。

「50ワドルノオ返シデス」
「まあ、なんて汚い爪」

(あ?)

 あたしの片目がぴくりと痙攣した。客はそれに気づかず、50ワドルを受け取る。

「貴女、爪が汚いわよ。嫌ねぇ。最近の子って」
「……」
「ちゃんとやってちょうだい」
「……スミマセン」

(……あたし、なんで怒られてるんだろ……)

 謝ると、満足した様に客が偉そうな態度で帰っていく。爪をちらっと見ると、マニキュアがされていないあたしの爪が見えた。

「……どこが汚いの…?」

 じいっと見るが、特に汚いところは無い。

「んんん……?」
「ちょっと」

 ずっと爪を見ていると、不機嫌な声の相手が、社長の作ったロールケーキの容器をカウンターに置いた。

「お会計」
「ああ、イラッシャ……」

 その顔を見て、あたしは目を見開く。あたしの目を見て、相手はにんまりと笑った。

「アメリ?」
「ふふっ!」

 贅沢なドレスを着たアメリアヌが笑い、にやにやと、あたしを見つめ、ロールケーキに指を差した。

「ねえ、これ美味しい?」
「あんた何しに来たの?」
「あはは! 本当に働いてる! ねえ、そろそろ反省した? 頭は冷えた?」

 笑うアメリを睨んで、ロールケーキを容器ごと紙袋に入れる。

「何よ。からかいに来たの?」
「お出かけのついで。可愛い妹がきちんと怠けず働いてるか、美しいお姉様が見に来てあげたのよ。感謝してちょうだい」
「何が可愛い妹よ。メニーと一緒にあたしを追い出したくせに」
「暴れたあんたが悪いんでしょ」
「守ってくれないお姉ちゃんなんて嫌いよ」

 手を差し出して、

「600ワドル」

 むうっとしたまま言うと、アメリがお財布から一万ワドルを出す。

「ママが心配してるわよ」
「ママが追い出したくせに?」
「ママの真似してあげる。ねえ、アメリアヌ? テリーはどうしてるかしら。お腹は空かせてないかしら。虐められてないかしら。過呼吸になるほど泣いてかしら。私の夢を見て、ママって泣いてたらどうしましょう。ああ、私はなんて冷たい母親なのかしら。鬱になりそう。どう? 似てた?」
「そんなこと言ってるの?」
「ギルエドも心底心配してるみたいよ。顔には出してないけど、時々、あんたの写真見てため息ついてるの」
「過保護すぎ」
「同意見」

 レジを打って、ちゃりんと鳴らす。アメリに手を差し出して、むすっとしたままお金を返す。

「はい。お釣り」
「いらない。あんたにあげるわ。お小遣いにしなさい」
「ぐっ……!!」

 屈辱!!

「畜生! これだから金持ちは!」
「はあ? あんたのお金になるんだからいいじゃない」

 不思議そうなアメリに、あたしは歯をくいしばる。

「貴族令嬢のあたしが……! アメリからお小遣いをもらうなんて…! 屈辱の何者でもない!」
「お姉様からのささやかな賄賂よ」
「……賄賂?」
「11月にね」

 アメリがにんまりとにやける。

「レイチェルからパーティーに誘われてるのよ。あんたも来るなら人数分部屋も手配するって」
「……あのレイチェルが、あたしもパーティーに来いって?」
「昔から良くしてもらってるおじ様の誕生日なんですって。良かったらどう?」
「レイチェルのパーティー……?」

 顔を歪めると、アメリに眉間を指で突かれた。

「こら」
「あだっ」
「そんな顔しないの。はしたない」
「あいつ嫌いなのよ……」
「あんた、あんまり関わろうとしないものね」

 肩をすくめて、やれやれと、アメリが首を振り、

「でもね? テリー」

 にっ、と微笑む。

「だいぶ丸くなったのよ。レイチェルも」

 アメリが鞄に財布を入れた。

「ご両親が離婚した頃はギスギスしてて、棘があって、不機嫌になっては不機嫌になって、何度も機嫌を取っていたけど」

 アメリが紙袋を掴んだ。

「それでも、私もあいつを友達って呼べる仲までになったのよ」

 というか、

「友達になるしかなかったのよ。レイチェルの涙の理由を知ってるのは私だけだったから。関われば関わるほど、自然と距離も近くなって、自然と話せるようになって、それで、レイチェルは絶対に私を呼ぶようになった。パーティーに行けば、レイチェルは当然の顔して言ってくるの」

 ――アメリアヌはまた来るんでしょ? ……来るのよね?

「行けないって言えば無理して誘わないし、行くって言えば生意気そうな顔で、当然よねって言ってくるけど、……根は良い子なのよ。あの子も。寂しがり屋で、かまってちゃんで、私達と一緒。似たもの同士。それに、前にメニーに会わせた時も、何ともなかったでしょ。むしろすごく気に入ってた」

 前のレイチェルの屋敷で行われた社交界パーティーを思い出して、あたしは眉をひそめた。

「あたしが守ってあげたんじゃない。壁になったのはあたしよ」
「確かに、レイチェルもあんたには冷たいわよね。ふふっ!」
「笑い事じゃないわよ。あんな奴、会いたくない」
「行きましょうよ。パーティーで色々話せばいいわ。私も傍にいるから」
「本気で言ってる?」
「本気で言ってる」
「喧嘩になったらどうするの?」
「喧嘩になったら私が止めるわ」
「アメリが?」
「ええ」
「出来るの?」
「あのねえ」

 アメリが笑った。

「言ってるでしょ。悪い奴じゃないのよ、レイチェル。ちょっと嫌な奴だけど。あんたが来たって平気よ。ね?」

 犬猿の仲だったレイチェルとアメリは、もういない。この世界では、二人はお互いに良き理解者の親友だ。アメリがまたくすっと笑った。

「どう? 行く? テリーが行くならメニーも行くって」
「……考えておく」
「今決めて」

 アメリが考える隙を与えない。視線を上に向けて、すうっと息を吸って、はあ、と吐き出して、またアメリを見る。

「……行く。行けばいいんでしょ」
「そうよ。行けばいいの。これでママに怒られないわよ」

 アメリがロールケーキの入った紙袋をようやく両手で持ち上げる。扉に向かって歩き出すが、体はあたしに向けたまま。

「今から楽譜を買いに行くの。テリー、私は歌のマドンナになるのよ」
「何がマドンナよ。話は聞いてる。歌を習い始めたんでしょ?」
「ふふっ! そうよ! テリーも帰ってきたら、夜空に浮かぶ星よりも美しい私の美声を聴かせてあげるわ! 聴き惚れてくたばっちゃうかもね! おほほ! くたばれ! テリー!」
「お前がくたばれ。課題曲は見つかったの?」

 訊けば、アメリがきょとんとする。

「ん? なぁに、それ?」

 あたしとアメリが瞬きをした。

「……メニーが言ってたけど」
「メニーが?」
「ええ。課題曲を出されてるって」
「土日はレッスンだったけど、……課題曲なんて言われてたかしら?」
「……メニーが、課題曲について訊いてきたけど……?」
「……ああ、もしかして」

 アメリが眉をひそめた。

「テリー、私ね、どうやら毎晩ジャックに記憶を取られてるみたいなの」
「……会ったの?」
「それがね、覚えてないのよ。悪夢を見てる感覚も無し」
「じゃあ違うわね。あんたがただ忘れてるだけよ」
「また血も涙もないこと言うんだから。大丈夫? の一言もないわけ?」
「だって、会ったら悪夢を覚えてるはずでしょう?」
「覚えてないのよね。それが。でも、色んな記憶を抜かれてるのよ。話をされても思い出せないの。これはもうジャックのせいに決まってるわ」
「何でもかんでもお化けのせいにしないの。……課題曲、どうするのよ。メニーが張り切ってた」
「それ、私初耳よ。ちょっと詳しいことメニーに訊いてみる」
「そうしなさい。……先生は何も言わないわけ?」
「私とメニー、毎日レッスン受けてるけど、そんな話、初めて聞いた気がする。でも、……確かに、最近、メニーの話が分からない時があるのよね」

 アメリとあたしが眉をひそめた。

「……アメリ、クッキーも買ったら? 枕元に置いた方がいいんじゃない?」
「……クッキーなら、屋敷にあったと思う。準備しておくわ。それと」
「メニーとよく話し合って」
「それね。そうする。ありがとう」

 アメリが微笑んで、あたしに手を振った。

「じゃあね、テリー。頑張って。あまり無理しないように」
「それね。そうする。ありがとう」

 あたしもアメリに手を振る。アメリが満足したように口角を上げて、あたしに背を向け、店から出ていく。その背中を眺めながら、あたしは手を振り続ける。

 ――課題曲の話をしていたのに、今朝相談したら、アメリお姉様ってば、すっかりそのこと忘れてるの。
 ――でも、おかしいよ。昨日の夜まで課題曲の話してたのに、目が覚めて忘れるなんて。

 メニーが深刻そうな顔で言っていたのを思い出す。

(……でも)

 ―― それがね、覚えてないのよ。悪夢を見てる感覚も無し。

 アメリは悪夢を覚えていない。

(言い伝えでは、お菓子を渡さないと記憶が取られて、悪夢を鮮明に覚えているはず)

 キッドが喋ったように覚えているはず。

(……でも、アメリは覚えてないと言った)

 ジャックはアメリから悪夢の記憶でも抜いてるのかしら。

 ――色んな記憶を抜かれてるのよ

(毎晩、わざわざアメリに会いに来てるわけ?)


「調査中かな?」

 ガゼボでドロシーの眉間が皺だらけになっていた。

「いや、今ちょっと、君のお屋敷でおかしなことが起きててね」

 ドロシーはその後、レオの出現によって、詳細を話すことなく消えてしまった。あたしは一人、眉をひそめた。

「……おかしな、こと……?」

 腕を下ろすと、また客が店に入ってきた。

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