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五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)

第16話 10月11日(2)

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 10時。ドリーム・キャンディ。


 開店してから珍しく、ものの5分ほどでぽつぽつと客が店に入ってきていた。レジも動く。あたし達も客に声をかけられ、その対応をする。棚を案内したり、出来ない案内は出来ないと回答し、朝から用事のある客が多い。社員のカリンはまだ来ない。

 また客が入ってくる。出ていく。また客が入ってくる。出ていく。

(こういう時に限って忙しいわね……)

「ちょっといい?」
「はい」

 あたしの手が止まり、客に向き合う。

「この会社とこの会社のお菓子って、何が違うの?」
「あー……」

(何が違う……?)

 見せられた同じ味、同じ種類のスナック菓子の袋に書かれた製作会社を見て、考える。

(この会社、確か紹介所で登録されてたわね……。……えーと……。……)

 奥さんがこの間言ってた気がする。思い出して回答する。

「こっちは大手会社のものなので、人気があります」
「ふーん」
「こちらはまだ認知度の低い会社ですが、色んな味を研究されてるので、味見程度にいかがでしょうか」
「美味しい?」
「ええ。美味しいです。どうして認知度が低いのか不思議なくらい美味しいです」
「あら、そうなの?」
「はい」
「じゃあこれにするわ。ちょっと挑戦してみようかしら」

(ふう)

 とりあえず、答えられたわ。

(知らないわよ! 会社の作る味なんて! その会社に訊けばいいじゃない!! アルバイトの14歳の女の子が知るはずないでしょう! 馬鹿なの!? くたばれ!!)

「ありがとう」

 客に言われて、きょとんとして黙り込む。客は微笑んで、向こうの方向に指を差す。

「レジはあちら?」
「……はい」
「そう。ありがとう。買ってみるわね」
「……いいえ、とんでもないです」
「食べるのが楽しみだわ」

 客がどこかわくわくしたようにレジに歩いていく。その背中を、じっと見つめる。

(……ふん。悪い客じゃなかったわね……)

 また棚に向き合う。

(さて、ここが終わって、次は……)

 あたしの横を客が通る。

(うわっ)

 寸前で、ぶつかるのを避ける。

(あぶな……)

 無愛想な、高身長の白髪の男が、大股でずかずか歩いてる。

(ぶつかっても俺は悪くないぞ系の奴だわ。貴族でも多いのよ。ああいうの。ああ、やだやだ)

 50代前半くらいの高身長の男から目を逸らして、品出しを続ける。

(あんまり関わりたくない。遠くの棚行こう)

 男がお菓子を手に取り、すたすたと歩き、レジに持っていく。アリスが笑顔でその客に頭を下げた。

「いらっしゃいませ!」

 いつも通りの挨拶をした瞬間、男の目が鋭くなる。

「うるさいんだよ! お前は!!」

 突然、男がアリスに怒鳴った。

(は?)

「えっ」

 アリスが驚いて、びくっと体を強張らせて、目を見開く。男がまた怒鳴った。

「うるさいんだよ!! 黙れ!!」
「え、……っと……ごめんなさ……」

 アリスが困惑した。

「邪魔だ! 失せろ!」
「え、あ……」

 アリスが一歩下がると、

「おい! なんで会計しないんだ!!」
「えっ」
「ふざけるなよ!! おい、この野郎!」

 高身長の男はアリスに怒鳴る。巨人のように身長の高い男に、アリスが呆然と見上げる。

「え、えっと……」

 アリスが混乱する。

「あの……」
「なんだ、お前! その態度は!?」
「え……」

 アリスが混乱する。

「あ……」
「謝れ!!」
「え……」

 アリスが混乱する。

「え……えっと……」

 アリスが混乱する。

「頭下げて謝れ!!」
「……あ、……えっと……」

 アリスが混乱する。

「おい!! 何とか言え!!」
「あ……えっ……と……」

 アリスの目が揺らぐ。

「……ん……」

 アリスの唇が震える。店内にいる客がレジに振り向く。リトルルビィが騒ぎに気付いて、二階から下りてくる。あたしもレジに走り出す。

(あの、クソ野郎!)

 男を鋭く睨む。

(あたしの友達のアリスに、何してくれてるのよ!!)

 良い度胸じゃない。

(このテリー・ベックスの友達に手を出したこと、後悔するがいいわ!!)

 一言怒鳴ってやろうと、一歩踏み出すと、横から手が差し出され、止められる。

(何よ! 邪魔な手ね!)

 その手を見上げる。

(……あ)

「えっと……」

 アリスが困惑している。

「あ……」

 アリスが困っている。

「……えっと……」

 社員も社長もいない。助けてくれる人はいない。

「……ん……」

 アリスが動揺する。

「……あー……」

 アリスが顔を引きつらせる。

「……えっと……」
「謝れ!!!」
「……」

 アリスがとうとう、俯き、黙り、固まると、

「何とか言ったらどうだ!! お前!! 何なんだ!!」

 怒鳴る男がまた怒鳴って、店中に怒鳴り声が響いて、他の客も呆然とカウンターにいる男とアリスを見て、アリスが手を震わせ、手を動かした。

 ――次の瞬間、

「お前が何なんだああああああああああああ!!!!」

 怒鳴った男の後ろから、グレタが突っ込んできた。男がぎょっとして振り向く。アリスもはっとしたように瞼を上げ、目を見開く。

「あ!?」
「どりゃあああああ!!」

 グレタが自分より高身長の男の胸倉を掴んで持ち上げる。男がグレタのその行動に、ぎょっとする。

「ひっ! おま、なんだ!? お前は!? この! 放せ!!」
「警察だ!!」
「兵士ですよ。ミスター」

 すさまじい睨みを利かせるグレタと、あたしの横でにたにたと微笑むヘンゼが前に出てくる。男が二人の職業を聞いて、顔を引きつらせた。

「け、警察に兵士だと!?」

 ヘンゼが男に近づく。

「ダンディなミスター殿。一体何をやっているんだ? 今日も輝く一輪の可憐なマドモワゼルに、突然、怒鳴るなんて、下品なお人だ」
「な、なっ……! ……お、俺はそんなことしてないぞ!」
「ん? そんなことしてない? なぜ嘘をつく? 怒鳴っていたじゃないか。この目で全部見ていたぞ。リボンカチューシャが似合うこの少女に、どうやって朝の挨拶をしようか、俺は10分前からカウンターを眺めながら考えていたのだから」

(……気持ち悪い)

 ヘンゼの言葉に顔をしかめる。ヘンゼは男に微笑む。

「だから、嘘をついても、否定しても、無駄だ。理解が出来たかな? ミスター」
「お、俺は何もしていない!」
「だああああああああん!?」

 グレタが男を顔を近づけて睨んだ。

「なっ、何をする!」

 男が暴れだす。

「放せ! この野郎!」
「この野郎はお前だああああ!!」

 グレタが男以上に怒鳴った。男が一瞬ですくみあがる。

「ひっ」
「よくも! アリスを怒鳴ってくれたな!! 彼女は何もしていないぞ! 彼女に何の罪があったと言うんだ!!」
「……あぇ……」
「はっきりと言え!!」
「……」
「なぜ黙る!! お前がアリスに謝れと怒鳴って、その態度はなんだと怒鳴ったんだろ!!」

 じゃあその言葉、そのまま返そう!!

「その態度はなんだああああああ!! 連行するうううううううううう!!」
「ひぃっ……!」
「おいおい、グレタ、我が弟ながら下品な奴だな。もっとエレガントにいこう」

 ヘンゼがくすっと笑い、笑い、男を見て、にやりと、冷たく微笑んだ。

「さあ、言ってごらん。紅葉一色の美しい景色が広がるほどの素敵な笑顔の少女の、何が気に入らなかったんだい?」

 男は黙る。

「まさか、自分よりもうんと年齢が下の少女に、特に理由もなく怒鳴ったりなんてしてないだろうな?」

 ヘンゼが鋭く、男を睨んだ。

「これは業務妨害と訴えられても、文句も言えないレベルだぞ」
「お! 俺は!」

 男が暴れる。

「何もしてない!」
「話は署で言え。グレタ」
「来い!!」
「ちょ、ちょっと待て! 俺にはこの後、仕事があるんだ!」

 慌てたように男が叫ぶと、

「ほう。だが、か弱い少女を怒鳴る暇は持ち合わせていると?」

 ヘンゼの目が冷たくなった。

「大の大人が情けない。男として情けない。いいかい。ミスター。男がマドモワゼルに叫んでいいのは、その子の美しさに感動して、言葉を叫びたくなった時だけだ。だから俺は叫ぶよ」

 ヘンゼが顔を青ざめるアリスを見る。

「アリス!」

 ヘンゼが躊躇なく叫んだ。

「今日も君の笑顔は最高だ!!!!」

 そして、男にまた向き直った。

「なんだ? 最高の笑顔のフラワーちゃんのいらっしゃいませ、という愛しい言葉が、貴方を侮辱する暴言に聞こえたのかね?」
「……」
「そうか。そういうことなら病院に行くか? 手続きはこちらで取ろう」
「……」
「安心しなさい。貴方の働き口にも伝えよう。お菓子屋の可憐な少女が何もしていないのにしたかのように思えて怒鳴ってしまって、耳と頭に異常が見られるから病院に行ってもらった。貴方の遅刻は勘弁してくださいと」
「……」

 男はむっすりとして、黙りこくる。グレタが胸倉を掴み、

「その態度はなんだ!!」

 怒りの顔を近づかせ、

「お前が突然怒鳴り、いたいけな少女を恐怖に陥れた罪! 署で耳が痛くなるほど説教してやる!!」

 グレタが怒鳴ると、男が突然しおらしくなる。そして大人しくなった男を地面に下ろした。

「来い!!」

 グレタが引きずるように、男を店から引っ張り出した。扉が乱暴に開けられ、丁寧に閉められる。ぱたん。

「はい、おしまい」

 ヘンゼがにこりと微笑み、店の中で声を張り上げた。

「皆様! ご迷惑をおかけしました! 事件はこの通り解決しました! 愛しい少女も守られた! 万事解決です! どうぞ! この後も、ハロウィンに欠かせないお菓子を販売する素晴らしい店でのお買い物を、ぜひお楽しみください!」

 ヘンゼが言うと、周りの客が感動して、拍手をした。ヘンゼが胸に手を置いて頭を下げた――瞬間、アリスが膝から崩れた。

「アリス!」

 あたしが慌ててカウンターの中に駆け込む。腰が抜けたアリスの背中に触れた。

「アリス」
「だ、大丈夫……」

 アリスが震える声で、胸を押さえる。リトルルビィもレジに駆け寄ってきた。

「アリス、怪我は?」
「……心に大きな怪我を負ったわ……」

 リトルルビィが訊けば、アリスが青い顔で呟く。

「……びっくりした……。なんで、怒鳴られたんだろ……」
「大丈夫かい? アリス」

 ヘンゼが涼しい笑顔で座り込んだアリスをカウンターの外から見下ろした。アリスが唖然としながらヘンゼを見上げ、こくこくと頷く。

「……あの……、……あの、本当に、助かりました……。本当に、あの、ありがとうございます……」
「なんてことはない。お兄さんは儚い花のような君が無事ならいいんだよ。アリス」

 けっ。

「社員さんはいないのかい? この店、確かいつもなら必ず一人社長がいると思うんだけど」
「あの……今日、社長が、休みで……、あの、偶然、たまたま……皆いない日で……」
「ああ、そうだったのか」

 ヘンゼが眉をへこませた。

「それは運が悪かったね。くそ。きっとジャックの悪戯だな。笑顔の可愛い君を困らせようとしたに違いない」

 そう言って、アリスに手を伸ばした。

「さあ、立てるかい? アリス」
「は、はい……」
「アリス、ゆっくりでいいわ」

 あたしが横からアリスに言う。アリスが未だに体を震わせて、首を振った。

「ああ、ごめん……。ニコラ、私、力が出なくて……」
「椅子に座って」
「アリス、お兄さんの手を掴んで。それと、ニコラの肩に腕を預けてごらん」

 アリスが言われた通り、あたしの肩に片腕を預け、あたしがその手を掴む。そしてもう片方の手でヘンゼの手を掴み、

「せーの」

 ヘンゼの合図で、あたしとヘンゼがアリスを持ち上げる。無理矢理立ち上がらせて、すぐに椅子に座らせる。

「ああ、すごいよ。マドモワゼル、酷い目にあったのに、一瞬でも立てた君は英雄だ」

 ヘンゼがアリスの頭にぽん、と手を置いた。

「もう怖いものはない。大丈夫。理不尽に怒鳴ってきたミスターは、お兄さん達が追い払ってあげたからね」

 ヘンゼがにこにこして、アリスの頭から手を離す。

「今日、上の人は?」
「あの……もう少しで……社員さんが……来るかと……」
「そう。じゃあ、その人が来るまで、お兄さんがアリスの隣にいてあげよう」
「えっ……あの……」
「ふふっ。大丈夫。もう少しで来るんだろう? もう少しなら、お兄さんがここにいても誰も困りはしない」
「あの……でも、お仕事中じゃ……」

 アリスが遠慮がちに言うと、ヘンゼが微笑んだまま胸を張った。

「お兄さんの仕事は、町の平和を守ること! 世の中のマドモワゼルの笑顔を守ることなのさ!」

 それに、

「俺は、町の皆とお友達だ。お友達を守るのは、当然のことだろう? というわけで」

 ヘンゼがアリスにウインクした。

「守らなければいけない苺の蕾の少女が三人しかいないんだ。悪い奴が来ないように、お兄さんが見張っててあげよう」
「……あの、すみません……じゃあ……あの……お願いします……すみません……」
「アリス、こういう時は素敵な笑顔でお礼を言ってほしいな」

 そう言われて、アリスが無理矢理口角を上げた。

「……ありがとうございます……」
「そうそう! 素敵な笑顔だ!」

 ヘンゼが嬉しそうに微笑む。

「偉いね。すごいよ、君。本当に怖かっただろうに。素敵な笑顔でお礼を言ってくれて、どうもありがとう」

 そう言ってヘンゼがあたしを見る。

「アリスの隣にある椅子を使ってもいいかい? 何だったら、俺がレジを打とう」
「……打てるの?」
「打てない。優しく教えてくれるかい? リンゴちゃん」
「はっ」

 あたしがアリスの隣に座った。

「あたしが座るわ。レジもあたしがやる。それでいいわね? アリス」
「……ごめん、ニコラ」
「ニコラ、私がやるよ」

 リトルルビィがあたしを見るが、あたしは首を振る。

「リトルルビィは店内でまた変な人がいないか見ておいて」
「ん……」
「ヘンゼ……さんは、もう結構です。仕事に戻ってください」
「店の前で立ってるよ」

 ヘンゼが微笑む。

「何かあったらすぐに呼んで。社員さんが来るまで、見張ってるから」

 ヘンゼがくすっと笑い、店の外に出た。あたしとリトルルビィがアリスに向き直る。

「アリス、休んでて」
「ごめんなさい……。……本当にごめんなさい……」
「平気よ。レジに慣れるチャンスだわ」

 そう言って雑誌を手に取る。キッドが写ったページをめくり、アリスに渡す。

「ほら、これ見て癒されなさい」
「ああ……確かに……癒しだわ……」

 アリスがぼうっと眺める。

「……はあ……」

 アリスが呟く。

「……怖かった」

 アリスの目には、じんわりと涙が溜まっている。

「……まだ胸がどきどきしてる……」

 アリスが青ざめた顔で、深呼吸した。

「……皆がいてくれて良かった……」

 でないと、私、



「 あ の 場 で ……」



「ん?」
「……何でもない」

 アリスが、安堵の息を吐いた。

「何でもないの。安心したって、話」

 アリスが弱々しく微笑んだ。アリスの手の近くには、ハサミが置かれていた。


(*'ω'*)


 10分後。


 ようやく来たカリンに事情を説明すると、カリンの眉がへこんだ。

「あらあらぁ! そんなことがぁ!」

 ヘンゼから話を聞いたカリンが、自分の横にいるアリスをぎゅっと抱きしめた。

「怖かったわねぇ。アリスちゃん。ごめんねぇ。遅くなっちゃってぇ……」
「あの、大丈夫です。ヘンゼさん達が助けてくださって……」

 アリスが言うと、ヘンゼが誇らしげにカリンに向かって敬礼した。

「ふっ! 町の平和を守る兵士ですから!」
「助かりましたぁ!」
「いやいや、たまたま偶然現場に立ち会って、お守りできてよかった!」

 そんなことより、

「カリン、と仰るのですね。いはやは、実に美しい薔薇のような名前だ。おっとりしたその喋り方も最高にキュート。どうです。俺とファンタスティックで情熱に溢れた一日を一度過ごしてみませんか?」
「うーん? どういうことですかぁ……? すみません……。よく意味が理解出来なく……」
「ふっ! とぼける仕草も女性らしい! まさにビューティフル! エレガント!」

(……キッドより質悪い……)

 カリンを口説くヘンゼを見て、けっ、と再び喉を鳴らす。

(……ま、カリンさんも来たし、あたしがいなくても大丈夫か)

 あたしはカリンに声をかける。

「カリンさん、あたし、品出しに戻りますね」
「ありがとぉ。ニコラちゃん。こっちは任せてぇ」
「お願いします」
「ニコラ」

 カウンターの中で休憩するアリスがあたしに微笑んだ。

「……色々ありがとう」
「何言ってるの。友達でしょ。友達は助け合うものよ」
「うふふ! ……ありがとう」

 お礼を言ってくるアリスに微笑み、あたしの足が棚に向かって歩き出すと、

「ああ、忘れていた」

 ヘンゼがくるりと振り向いて、あたしの後ろをついてきた。

「芽が出てきたリンゴちゃん、大きい袋のチョコレートはあるかい?」
「……二階です」
「案内してくれる?」
「二階です」
「案内してよ」
「二階です」
「ふっ! 可愛いな。ニコラってば。お兄さんを意識して、胸がドキドキしてしまうから案内が出来ないなんて……」
「こちらです。さっさとついてこい」

 歩き出すと、ヘンゼがついてくる。

(うざい……。相当うざい……。アリスを守ってくれたとは言え……こいつはうざい……!!)

「……チョコレートの棚は……」

 少し足を進ませて、階段から少し離れた棚にヘンゼを連れていく。

「こちらです」

 案内すれば、

「ああ。知ってるよ。この間来て覚えたからね」

 その一言にぴくりと片目が痙攣すると、ヘンゼがくすっと笑った。

「ふふっ。ニコラに案内してもらって、お兄さん嬉しいよ」
「……知ってるのに案内させたの?」
「俺の重罪を許しておくれ。ニコラの小さな背中を眺めながら、一緒に歩きたかったんだ」
「……」
「おっと、そんなに愛狂しい目で見つめないでくれ。ニコラ。お兄さんは君のものにはなれないんだ。君のものになってしまったら、他のマドモワゼルが悲しんでしまうからね」

(見つめてない。睨んでるのよ……!)

 ぎいいいいいい! と睨んで歯をくいしばると、ヘンゼがチョコレートの棚に手を伸ばす。

「それにしても大変だったね。たまたま居合わせたとはいえ、来て正解だった」
「……そのことに関しては、感謝してます」
「昔からね、理不尽な客って多いのさ」

 ヘンゼが呟く。

「お兄さんも謎に思ってるよ。働いているのに、働いている人の気持ちが分からないのだろうか? 心が荒れているのだろうか? 何か嫌なことでもあったのだろうか? お客様も人間だ。でも働いてる店員も人間だ。言われたら傷つくことも分かるだろう? 困ることも分かるだろう? 子供の頃に散々皆学んでいるはずだ」

 だけど、なぜだろうね。どうして自ら不幸になりたがる人が現れるのだろうか? 何もしなければ、嫌な目にも遭わない。大事にもならないのに。

「もちろん? アリスに悪いところがあれば、たとえか弱い少女とは言え、お兄さん達は黙って見守っていたよ。アリスに落ち度があるからね。ただ、さっきのは明らかにあの男が悪い。アリスは、働く者のルールを守って、実に太陽のように温かく明るい声で挨拶をしただけだ」

 それを、うるさいんだよ、お前は。か。

「大の大人が、しかも、いい年のミスターが、10代の女の子にそんなことを言うのか? お兄さんは信じられないね。正常じゃない。あの男は一度ちゃんと病院に行くべきだ。精神病院の方がいいかもしれない」

 くすっと笑って、ヘンゼがあたしを見下ろした。

「ニコラ、お客様は我儘だ。その我儘に付き合いながら仕事をするのが世の摂理。働くって大変だろ?」
「……あんたに言われなくたって、分かってるわ」

 あたしは頷く。

「すごく大変」
「そう。大変なんだよ」

 ヘンゼも頷く。

「すごいよ、君たち。三人とも若いのによく働くよ」

 それに、

「俺は君がこんな所で働くなんて、思ってなかった」
「……まるで、あたしを知ってるような言い方ね?」
「何を言ってるんだい? 俺はこの間、初めてニコラと会ったんだよ?」

 ニコラを知るはずがないだろ?

「初めて会ったんだから」

 ニコラとは初めて会ったんだから。

「『ニコラ』とは、ね?」

 ヘンゼがにこりとあたしに微笑む。あたしはその笑みを、じっと見つめる。

「……」
「社員さんも来たみたいだし、もう大丈夫かな?」
「……ええ。いてくれてありがとう」
「ニコラ」

 ヘンゼが、あたしを見つめる。

「お兄さんは味方だよ」

 ヘンゼが笑う。

「君の味方」

 にこにこと、ヘンゼが笑う。

「君に危険が及べば、すぐに助けてあげる」

 さっきのアリスみたいに。

「ニコラ」

 いいかい?

「どんなことがあっても、何があっても、『知らない人にはついていっちゃいけない』よ?」
「……はあ?」

 顔をしかめると、ヘンゼがくすくす笑う。

「じゃあね。可愛いチェリーちゃん」

 ヘンゼが足を進ませる。

「また来るよ。君の元気な笑顔を見にね」

 ウインクして、ヘンゼが階段を下りていく。

(……何なの。あの男……)

 銀の髪をなびかせる兵士。ヘンゼル・サタラディア。
 理不尽に怒鳴られたアリスを助けた、レオの護衛兵。

(悪い人ではないんだろうけど)

 それでも、

(……ああ、寒気がする。気持ち悪い……)

 あたしは品出しに戻った。

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