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五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)

第7話 10月2日(1)

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 じりりりりりり、と、目覚まし時計が鳴った。

(うるさい……)

 音の発信源に手を伸ばせば、うるさく鳴り響く目覚まし時計に手が触れて、直後、目覚まし時計が吹っ飛んだ。

(ん?)

 ボトッ、とあたしの頭に落ちてくる。

「痛い!」

 慌てて起き上がり、目覚まし時計を睨みつけた。

(くう! 昨日のみならず今日までも! 許さない! こいつ!)

 叩くように手を振り下ろし、目覚まし時計を止めた。時計の針は8時。その針を見て、ふああ、と欠伸が出る。

(仕事……)

 二度寝したらもう起きれなくなりそうだ。早々にベッドから抜けて、クローゼットを開ける。

(えっと……)

 キッドのお下がりのニット服を着て、スノウ様から買って頂いたパンツを穿き、靴下、歩きやすい靴を履いて、鏡を見れば男の子のような格好だと思って、邪魔な髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、少し女の子っぽくなって、それから部屋から出る。

 リビングに下りるとキッチンから音が聞こえる。覗くと、じいじが鍋で何かを煮込んでいた。あたしに気づき、振り向く。

「おはよう。ニコラや」
「おはよう。じいじ」
「顔を洗っておいで。ご飯にしよう」
「はい」

 眠たい目を擦りながら洗面所に行く。狭い洗面所で顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。

(よし、あたし今日も美しいわ)

 鏡の自分を見て、自分の美しさを確認してからタオルを元の場所に戻し、リビングに戻る。テーブルには朝食が用意されていた。
 今日はトーストの上に目玉焼きとベーコンがそのまま乗っているもの。溶けたチーズでコーティングされている。隣には先ほど鍋に入っていたリンゴスープ。

「牛乳は?」
「飲む」

 じいじがグラスに牛乳が注ぎ、あたしの前に置いた。

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

 握っていた手を離し、トーストを持ち上げ、耳を噛む。カリカリのトーストと目玉焼きを一緒に食べていく。しばらくして、あたしの目が見開かれた。

(はっ!)

 目玉焼きが、半熟だわ!

(しまった!)

 垂れてくる! 垂れてくる! 洋服が汚れる! 待って! 垂れてくる!!!

(……美味……!)

「ナイフを使うかい?」

 じいじが訊いてくるが、あたしはキリッ、とした目だけを向けた。

「じいじ、今だけちょっとそっち向いてて」
「ああ、はいはい」

 じいじが顔を背けた瞬間に、口を大きく開けて、あむ、と目玉焼きを頬張る。流すように口に入れ、もぐもぐ噛んで、ごくりと飲み込めば、生まれつき持ったあたしのきつい目が緩んだ。

(……美味しい……)

「美味しかったかい?」
「そうね。悪くないかも」
「手を拭きなさい」

 ナプキンで手を拭く。

「スープが少し熱いんじゃ。火傷に気をつけての」

 ふー、と息をかけてから少し飲んでみる。まだ少し熱い。

(もうちょっとかしら。舌がぴりぴりする…)

 少しして、もう一度ごくりと飲めば、温かいリンゴの果汁いっぱいのスープが口の中に広がる。

(……温まる)

 あたしの体がぽかぽかしてくる。

「時間は大丈夫か?」
「まだ大丈夫」
「早めに支度するんじゃぞ」
「分かってる」

 朝食を全て平らげ、感謝の言葉を。

「ご馳走様でした」

 皿をキッチンの洗い場に運び、洗面所に行って歯を磨く。

(……眠い……)

 うがいをして、歯が綺麗になったことを確認してから洗面所を出て、時計を確認する。

(そろそろ行こう)

 二階に上がり、部屋に入り、リュックの中身を確認する。ポーチも持った、鍵も入ってる。お財布も入ってる。

「よし、行ける」

 リュックを背負い、また部屋から出て、リビングに下りる。

「じいじ、行ってくるわ」
「待ちなさい。ニコラや」
「ん?」

 振り返ると、じいじが包みをあたしに渡す。それを受け取り、包みを見下ろした。

「何これ」
「弁当じゃ」
「……え?」

 呆然と顔を上げて、じいじを見る。

「作ったの?」
「暇じゃったからのう」

 じいじがあたしの肩をぽんぽんと叩いた。

「昨日、話を聞いてて、そういえば昼飯のことを考えてなかったと思ってのう。無駄な金を使わせるのも忍びない。食事くらいは用意しよう。今日も頑張っておいで」
「……」

 手に持つお弁当を、再び見下ろす。

(まさか、この人にお弁当を作ってもらうなんて、思ってなかった)

「……」

 温かい包みをぎゅっと抱きしめて、じいじにぼそりと言う。

「……別に良かったのに……」
「水筒も忘れんでな」
「……水筒まで……」
「ほれ、遅刻するぞ」
「……はい」

 包みと水筒をリュックに入れて、またじいじに向き直る。

「……行ってきます」
「ふむ。馬車に気をつけてな」

 じいじに頷いて、あたしは家を出た。外に出ると、秋の風が顔に当たる。空は少し曇り空。

(雨降りそう……。降ったらどこかで買えばいいか)

 雨が降ったら、リュックが濡れて、中のお弁当に影響するかも。

(……何作ったのかしら。……気になる……)

 ゆっくり歩いて広場に向かう。足を動かして、道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時32分。
 リトルルビィが既に噴水前にいた。あたしの顔を見て、手を振ってくる。

「おはよう! テリー!」
「ニコラ」
「ニコラ、おはよう!」
「おはよう、リトルルビィ。熱は?」
「大丈夫!」
「そう。なら行きましょう」
「うん!」

 一緒に並んで歩き出す。リトルルビィが空を見上げた。

「今日は曇っててじめじめするね。雨が降りそう」
「秋だから天候が左右されやすいのよ。降るなら降る。降らないなら降らないでほしいわ。今日みたいに中途半端に曇ってる天気が一番嫌い」
「こういう日ってお客さんも少ないの。昨日より暇かもしれないね」
「仕事の確認が出来るから、あたしはありがたいけど」
「ふふっ! 確かにね! でもお客さんがいないと時間の流れが遅いから、私はあまり好きじゃないの」

 リトルルビィがふう、とため息をつき、ちらっとあたしを見てきた。

「ニコラ、メモは見てきた?」
「隠れた貴族令嬢をなめないでちょうだい。ちゃんと迷惑にならないように、品出しは完璧にするつもりよ」
「流石ニコラ! 今日も頑張ろうね!」

 リトルルビィがぐっと拳を握る。
 しばらく歩くと、シャッターが半分閉まったドリーム・キャンディにたどり着く。リトルルビィが扉を開けて、中に入る。あたしもその後ろをついていく。

「おはようございまーす!」
「おはようございます」

 リトルルビィと一緒に声を揃えると、カリンがあたし達を見た。

「おはよう、二人ともぉ」

 ふわふわと柔らかい笑みを浮かべ、レジの用意をしている。

「今日も頑張りましょうねぇ」
「……あの、奥さんは?」

 あたしが訊くと、リトルルビィが答える。

「シフトが午後からなのよ。朝はカリンさんと私とニコラとアリスがいるはず」
「今日もアリスと回る感じかしら」
「そうね。ニコラもまだ二日目だし、アリスにくっついてるといいよ!」
「おはようございまーす!」

 アリスが店に入ってきた。あたし達を見て、にかっと笑う。

「おはよう! リトルルビィ! ニコラ!」
「おはようアリス!」
「……おはよう」
「よしよし、今日も美少女三人組で頑張るぞ!」
「うふふ。アリスちゃんは元気ねぇ」

 カリンが微笑み、レジのレバーを回す。がーーー、と音がして、レシートの紙が流れ出てくる。

「さて、お店開けましょうかぁ。荷物置いてきてねぇ。三人ともぉ」

 カリンに言われ、裏に鞄を置きに行くと、社長と鉢合わせる。

「あ、社長! おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」

 アリスが声を上げると、社長が頷いた。

「……よろしく」

 静かに厨房に籠った。

「今日は何のケーキ作るんだろ。社長」

 アリスがにやけながら、あたし達に振り向いた。

「よし、持ち場に行くわよ! リトルルビィ! ニコラ!」
「おー!」
「……おー」

 リトルルビィにつられて返事をして、今日の持ち場をカリンに訊く。あたしとアリスは一階の品出し。リトルルビィが二階の品出し。

 アリスと一緒にぐるぐる店内を見回し、品出しが出来る場所を探す。なければ、またぐるぐる店内を歩き回るか、ぼうっと立っているか、またくるくる回るか、どちらかだ。しばらくすると客が入ってきた。

「いらっしゃいませぇ」

 昨日も来ていた顔が炭だらけのホレおばさんだ。

「ほらね。来たでしょ?」

 アリスがくすっと笑ってあたしに耳打ちした。

「あの人以外にも常連さんっているのよ。ニコラ、昨日見たっけ? 男の人」
「……さあ?」
「あのね、すっごい身長の高い、ごつい人。社長といい勝負の強面なの。見てない?」

(……そんな人いたかしら……)

 話していると、また店の扉が開いた。強面顔の、高身長の、黒髪の男が入ってきた。

「ほらほらほら! 噂をすれば!!」

 アリスが興奮したようにあたしの背中を叩いた。

「あの人、常連さん!」

 じっと洋菓子コーナーを眺め、ロールケーキを手に取り、レジに持っていく。カリンがお会計をした。

「あら、こんにちはぁ。今日は曇りですねぇ」

 男は黙っている。

「300ワドルですぅ」

 男は300ワドルを出した。

「レシートですぅ」

 レシートを受け取った。

「お品物ですぅ」

 お菓子を受け取った。

「ありがとうございますぅ」

 カリンが頭を下げると、男も礼儀正しく頭を深々と下げ、店から出て行った。

(……変な人)

「すごく礼儀正しいでしょ? 変な人なのよ」

 アリスと顔を見合わせると、アリスが突然、ぶふっと吹いた。あたしは意味が分からずきょとん。

「ふふふ!」
「………」
「なんか、ふふ! ニコラが無表情なのが、ふふふ! 面白い! ぶっふふふふ!」
「………」
「はー! さてさて、仕事仕事。ちょっと重たいのいきましょうか。ニコラ!」
「……はい」

 返事をして、くすくす笑うアリスの後ろについて行く。裏に行くと、商品が入った箱をアリスが見つけた。

「これは少し重たいから、私が持つわね。ニコラはそこで見てて!」
「分かった」
「すーはー。……せーの!」

 あたしを端に立たせて、アリスがしゃがみこみ、元気よく箱を持ち上げようと、立った瞬間――ぐきっ、と、音が鳴ったと同時に、アリスが体を硬直させた。

「……っ」

 アリスが息を呑んだ。

「……。……。……」

 アリスが黙った。

「……アリス?」

 アリスの返事はない。

「アリス?」

 アリスの返事はない。

「……アリス……?」

 あたしが近づく。違和感の感じるアリスの顔を覗きこむと、はっとした。

(この小娘! 思った以上の重さに驚いて、立ったまま気絶してる!!)

 顔を青ざめて白目で固まるアリス。あ、口からアリスちゃんっていう魂が出てきたわ。

(しょうがないわね……)

「アリス、あたしも持つわ。それで一旦これを置きましょう」

 アリスが持つ箱の端を掴む。

(せーの……)

 よっこいしょとあたしもその箱を持った瞬間――あたしの腰が、ぐきっと、変な音が鳴った。

「……っ」

 あたしは息を呑んだ。

「……」

 あたしは黙った。アリスも固まったまま黙った。あたしも固まった。とたとた、と足音が聞こえた。リトルルビィが裏に来て、固まるあたし達をぽかんとして見つめた。

「……何やってるの? 二人とも」

 近づいてきて、あたし達の顔を見て、ようやく状況を理解した。

「二人とも大丈夫!?」

 リトルルビィが箱を奪い取る。

「とりゃ」

 あたしとアリスの手から箱が離れると、二人で一斉に腰を抜かし、座り込んだ。

「ぜえぜえぜえぜえぜえぜえぜえぜえ!!」
「し、死ぬかと思ったわ……!!」

(ああ、あたしの腰が可哀想なことに!)

 あたしとアリスが青い顔でリトルルビィを見上げる。

「た、助かったわ……。リトルルビィ……」
「ありがとう! リトルルビィ! あんた年と見た目に寄らず本当に力持ちね!」
「もー……重たかったら台車使って運べばいいのに」
「はっ! その手があったか!」

 アリスがぎょっと目を見開く。

「アリス、遅い……」

 リトルルビィが呆れたように呟き、箱を地面に置いた。



(*'ω'*)


 12時。
 心休まる昼休憩。店から出て、秋風が吹くのを感じながら、アリスがあたしに訊いてきた。

「ニコラ、今日は何か持ってきてる?」
「……ん」

 リュックからお弁当の包みを出す。

「……お爺ちゃんが、作ってくれた……」
「あら、良いお爺ちゃんね! それじゃあ、今日は外で一緒に食べましょうか! 私も姉さんにお弁当渡されたから。リトルルビィは?」

 リトルルビィが財布を取り出した。

「パン買ってくる!」
「行ってらっしゃい! 噴水前で待ってるわね!」

 リトルルビィがパン屋に向かって走るのを見送るアリスが微笑み、あたしに振り向いた。

「というわけで、先に行こっか! ニコラ!」
「ん」

 頷き、アリスの後ろについていき、商店街通りを歩く。様々な店が並ぶ一本の道を足並み揃えて進み、噴水前までやってくる。

 辿り着くと、どこか違和感。

(ん?)

「あれ?」

 あたしが眉をひそめると、アリスも声をあげた。
 見上げれば、朝には何もなかった噴水前に、ハロウィンの飾りが施されていた。カボチャのイラストが描かれた連続旗が紐で結ばれ、噴水通りに吊るされていた。

 アリスが目を輝かせる。

「すごい! いつ飾ったのかしら? ねえ、ニコラ!」
「ここだけハロウィン景色ね」
「なんかいいわね。こういうの。ハロウィンの気分になってくるわ。ジャックも喜ぶでしょうね」

 二人で噴水前のベンチに座る。あたしは包みを膝に乗せ、隣でアリスも自分の包みを開ける。中身を覗き込み、表情を曇らせた。

「あ、サンドウィッチだ。……姉さんに昨日の夜、喫茶店でのこと話したから意地張ったのね」
「アリス、お姉さんがいるの?」
「うん!」

 アリスが笑顔で頷く。

「年はちょっと離れてるけど。帽子屋で父さんの手伝いしてるの」
「へえ」
「ね、ニコラは帽子被らないの? うちの店でオーダーメイドもやってるから、お給料入ったら予算決めて頼みにおいで!」
「……ええ、そうね。余裕があったら考えてみる」
「いいのを用意してあげるわ。なんせ、私はニコラの優しい先輩だもの!」

 アリスが自分の手を握る。

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます!」

 そして、サンドウィッチを頬張る。

「うん! うまい!」

 自信満々に、感想を述べる。あたしも包みの中身を見る。……眉をひそめた。

(……何これ?)

 何かを挟んだトーストが二枚。アリスもあたしのお弁当を見て、首を傾げた。

「何それ?」
「分かんない……」

 ぱくりと一口頬張ると、瞬間、口の中にカリカリのリンゴの味が広がった。

(ん? 焼きリンゴ?)

 焼きリンゴを挟んだトースト。初日に食べたものと同じような気がするが、味が違う。

(何か混ぜてるみたい……。蜂蜜……? 砂糖……?)

 初日の焼きリンゴを挟んだパンも十分美味しかった。しかしこれは、焼かれたパンに、味付けした焼きリンゴが挟まっている。

(……なんかよく分かんないけど、……美味)

「何それ? 何なの? それ?」

 訊いてくるアリスにトーストを見せる。

「焼きリンゴが挟まったトースト」
「美味しいの?」

 静かに頷く。

「……美味しい」
「うふふ。ニコラのお爺ちゃんって、料理が得意なのね!」

(……ゆっくり食べよう)

 おかわりはない。あたしはゆっくり食べる。

「ニコラは料理する?」

 アリスの質問に首を振る。

「作れないわけじゃないけど、しない」
「作れないわけじゃないんだ? へえ、何作れるの?」
「シチューとか、カレーとか」
「ああ、その程度なら私も作れる! でも、家ではいつも姉さんが作ってくれるの」
「お姉さんが」
「そう。お母さん代わり!」

 その一言で、アリスが父子家庭であることを理解する。

「へえ」

 あたしとは逆なのね。アリスにはママがいなくて、あたしにはパパがいない。訊いてもいないのに、アリスは自分から話を始めた。

「私のお母さんね、私が小さい時に死んじゃったのよ。だから姉さんがお母さんの代わり」
「大変そうね」
「でも楽しくやってるのよ。お母さんの誕生日には、三人でお母さんの写真を囲ってパーティーするの。ふふっ!」
「アリスの家族は明るそう」
「普通よ。なんてことのない至って普通の家族。まあ、姉さんは私なんかとは違って、もう、ふーう! って感じだけど」
「ふーう?」

 きょとんと首を傾げると、

「お待たせー!」

 リトルルビィが笑顔で走ってきた。ちゃんと瞬間移動を使わず、力を抑えて走っている。あたし達の元にたどり着くと、息を切らしながら、あたしとアリスの間に無理やり入ってきた。

「よいしょっと」
「わわっ」

 アリスが慌てて端の方へ移動する。

「ちょっと、真ん中座らないでよ。ニコラと話が出来ないでしょ」
「大丈夫! 私がニコラとお話しするから!」
「こいつめ」

 アリスが笑いながらリトルルビィの頭を小突いた。リトルルビィが笑いながら、あたしの肩にぴったりとくっつき、袋からパンを取り出す。

(あ)

 そのパンを見て、あたしは目を見開く。

(ベーコンチーズパン)

 ニクスが働いてたパン屋、ミセス・スノー・ベーカリーの大人気商品だ。出始めた頃に、あたしもサリアと買いに出かけたことを思い出す。

(……あの当時は、ニクスがいたのよね)

 懐かしい。

「ん?」

 リトルルビィがあたしの顔を見た。そしてあたしの視線を辿り、パンを見下ろす。そしてまたあたしを見て、パンをそっと差し出した。

(ん?)

 きょとんとすると、リトルルビィがあたしに首を傾げた。

「ニコラ、一口食べる?」
「いらない。あんたが食べなさい」
「でも、すごい見てた!」
「懐かしいと思っただけよ」
「美味しいわよね。ベーコンチーズパン!」

 アリスがサンドウィッチを食べながら眺める。

「私も最近食べてないなあ」
「ニコラ、一口ならいいよ?」
「いらない」

 断ると、リトルルビィが、むすっと頬を膨らます。

(……なんで拗ねてるのよ)

 じっとその顔を見ていると、リトルルビィが俯き、ぼそりと呟いた。

「……間接キス、出来たのに……」

(ん?)

「リトルルビィ、今何か言った?」
「何も言ってないもん!」
「リトルルビィ! そんなに食べてほしいなら私が食べてあげる!」
「アリスは駄目!」
「何よ! 対人差別よ! 差別反対!」

 アリスが声を荒げ、それを無視してリトルルビィがパンを頬張る。そして、ふにゃりと頬を緩ませた。

(分かる。美味しいわよね。ベーコンチーズパン)

 あたしもお弁当のトーストにかぶりつき、むちゃむちゃと食べる。ふと、リトルルビィがアリスに訊いた。

「アリス、今日はこの後学校?」
「うん!」

 アリスが頷く。

「17時からね」
「学校?」

 あたしが訊けば、アリスがまた頷いた。

「そうよ。夜間のね」
「朝から働いて、夜は学校?」
「そうなの」
「疲れない?」
「疲れるわよ。いつも寝不足だもん」

 アリスが欠伸をした。

「私ね、将来実家継ぎたいんだけど、その前に働いておこうと思って。社会勉強としてアルバイト。んで、夜は学校に行って皆と同じく勉強してるのよ」
「働く必要ある?」
「まあ、家計が困ってるわけじゃないけど、お小遣い欲しいし」

 それに、とアリスが付け加えた。

「最近はバイト要員でニコラも増えたし、リトルルビィも動いてくれるから、私は楽が出来るわけよ! いやあ、助かりますなあ。二人にはこれから先、どんどん私の代わりに働いてもらうわ! 私が授業中、疲れて居眠りしないためにね! ふはははは!」
「もー……年上なんだからしっかりしてよ。アリス……」

 むうっとリトルルビィが唇を尖らせた後、あたしに微笑んだ。

「あ、でもニコラは無理しないでね。初めてのアルバイトなんだもん。ニコラの分は私が動くから、無理だけはしないでね! ね!」
「ちょっと! 何よ、その態度! なんでそんなに態度違うのよ! 二人の付き合いは長いかもしれないけどね! 私とニコラだって、もう二日の付き合いなんですからね!」
「二日ってまだ短いじゃない!」
「ぶふっ! そうよね! まだ短いわよね! ぶっふふふふ!」

 リトルルビィの言葉を聞いて、アリスがおかしそうに肩を揺らして、ケラケラ笑い出した。

(また笑ってる……)

 リトルルビィもアリスにつられて笑い、二人でケラケラ笑い出す。

(リトルルビィも巻き込まれてる。……本当にアリスってよく笑う子ね)

 会話の中で面白いと思ったら笑って、
 見るものが面白いと思ったら笑って、
 楽しそうにおかしそうに笑って、

(あたしにも、そんな時代があったかも)

 もう冷めた感情しか心には残っていない。アリスのように笑うことは出来ない。

(とても純粋なのね)

 無垢で、真っ白い心。

(何も知らない綺麗な心)

 羨ましい。

「あはははっ! ニコラ! なんでそんな冷めた目で見てくるの!? あはは! やばい! つぼにハマってしまったわ! あはははは!」

 アリスがお腹を抱えて笑い出す。
 あたしは黙ってじいじの作ったトーストを頬張る。濃厚な焼きリンゴを挟んだトーストは、とても美味しかった。

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