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五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)

第5話 9月30日

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 10時。

 スノウ様に買っていただいた服とパンツに着替えて、髪の毛をおさげに結んで、小指に指輪をはめて、耳にニクスのピアスをして、メニーと顔を合わせることもなく、朝ごはんを食べて、支度をして、上着を羽織って、名残惜しい屋敷から出て行く。ギルエドが屋敷の前まで送った。

「それではテリーお嬢様、どうか、ご武運を」
「何よ! 追い出したのは自分達でしょ!? 見てなさいよ!」
「お嬢様、我々も辛いのです。でもいつか、貴女も我々に感謝をする日がくるはずです!」

 カっと目を見開き、ギルエドが叫んだ。

「さあ! 行きなさい! 振り返らずに! 行くのです! 11月になるまで、このギルエド、奥様の命の元、テリーお嬢様を屋敷には絶対に入れません!!」
「お黙り! ばーか! ギルエドのバーカ! ママのバーカ! アメリのバーカ!! メニーのバーカ!! 皆、馬鹿よ! ばーかばーか!! もう知らないからね!! 皆まとめて、くたばってしまえ!!」
「立派な貴族令嬢として成長されてください!! テリーお嬢様……!!」
「ふんっっ!!」

 あたしはリュックを背負い、トランクを引きずり、鼻を鳴らして歩いていく。背中からはギルエドの視線を感じる。でも言われた通り、あたしは振り返らない。これが最後になるかもしれないと思うと、振り返って、ギルエドに謝って、もう反抗しないからと泣きわめいて、ママを説得しようかというのも、脳裏に浮かんだが、

(どうせ許してくれない)

 ならば、あたしはこのまま街に行くしかない。そして、アリーチェによって惨劇が繰り返される。街が壊れ、人が死ぬ。

(ふざけんな)

 あたしは怒りで顔を歪めた。

(あたしは絶対に死なない。幸せになるまでくたばれない)

 ふざけんな。アリーチェ。

(お前が死ね)
(お前だけが死ね)

 壊れてしまえ。

(お前だけが壊れてしまえ)

 あたしが幸せになるための道を、アリーチェ・ラビッツ・クロックによって壊されてしまうなんて、許されない。そんなのは絶対に許されない。

(それでも時は進んでいる)

 時間の針が、刻一刻と、進んでいる。

(アリーチェ)

 憎たらしい。

(アリーチェ・ラビッツ・クロック)

 たった一人のテロリスト。

「ふざけるな」

 あるはずのない記憶が覚えている惨劇が再び起きるというのなら、無理やりでも見つけ出して、惨劇を回避するまでよ。

 あたしは死なない。幸せになるまでは、死ねない。

(惨劇なんて、絶対回避してやる)

 あたしはまた、新たな罪滅ぼし活動の一歩を歩き始める。



(*'ω'*)


 キッドの家の前に、到着する。

 ふう、と息を吐いて、胸を押さえた。

(あたしはテリー)

 深く深呼吸。

(あたしはニコラ)

 扉を叩いた。

(あたしはニコラ)

 少し待つと、扉が開いた。『じいじ』が、扉を開けた。あたしと目が合う。あたしはにっこりと、14歳の少女の、可愛い微笑みを、彼に向けた。

「こんにちは。一ヶ月お世話になります。よろしくお願いします。じいじ」

 じいじも、微笑んだ。

「ニコラや、よく来たの。おいで」
「疲れたわ。トランクを引きずって、ここまで歩いたのは失敗だったかも」
「だから迎えを寄こすと言ったんだ」

 中に入り、扉を閉める。じいじがあたしの手からトランクを奪った。

「こっちじゃ」

 そのまま廊下を進み、リビングへ。階段を上っていく。

「じいじ、重たいわよ。持って大丈夫なの?」
「何を言う。こんなの軽い方じゃ。キッドの荷物の方が重たいわい」
「確かにあいつ、変なものばかり入れてそう」
「余計なものまで入れるからな。出張の準備も大変じゃった」
「その光景が目に浮かぶ」

 後ろをついて行って、キッドの部屋の隣の部屋の扉をじいじが開けた。

「ここじゃ」

 廊下からこじんまりとした部屋を覗く。

 ベッドと、机と、クローゼット。あとソファーも置いてある。一人で一ヶ月使うには十分な部屋だ。

(牢屋より狭いけど)
(牢屋よりも明るい部屋)

「自宅と比べて狭いだろうが……」
「いいえ。十分よ。本当に、十分すぎるくらい十分」

 微笑んで、じいじを見上げた。

「ありがとう。あたしにはもったいないくらい素敵な部屋よ」
「必要なものがあれば取り寄せよう。遠慮なく言うと良い」
「今のところ平気。ママからもいくらかお小遣いをもらってるの。何とかなると思う」
「よし、では部屋にも案内したところで……」

 じいじが手を叩いた。

「手始めに、昼食にでもするかのう」
「賛成。お腹すいたわ」
「皿の準備を頼めるか?」

(……面倒くさ……)

「はい!」

 可愛い笑顔で返事をして、トランクを部屋に置いて、あたしとじいじが一階に下りた。キッチンの棚からお皿をテーブルに並べて、じいじの料理を待つ。

(あら、いい匂い)

 フライパンを火につけて、何かを焼く音と匂いが部屋を包む。

「こんなものか」

 じいじが呟いて、フライパンを持ってくる。それを直接皿に盛りつける。あたしはその料理を見て、きょとんとする。

「何これ?」
「パンに焼いたリンゴを挟んだだけのものじゃ。簡単な手料理だが、これがなかなか美味いぞ」

 じいじが微笑み、どうぞと皿をあたしに押し付ける。

(ふーん。王子様の付き人の料理ね……)

 フォークとナイフでパンケーキを切り分け、口に入れる。ぱくり。

(びっ)


 ――美味だわ。


 無意識に手に力を込められる。

「……何これ」
「口に合わなかったかい?」
「……まあ、悪くないんじゃない?」

 あたしの瞳がキラキラ輝き始める。

「別に、喫茶店とかにあったら人気メニューになるだなんて、あたし、思ってないわよ」
「ああ、そうかい」
「あら、一瞬で無くなってしまったわ! でもあたし、お腹が空いてるの。仕方ないわね! おかわりを!」
「ああ。いいとも」

 おかわり追加。

「飲み物は?」
「ええ。お願い」

 じいじがリンゴジュースを差し出してきて、はっと気がついた。

(リ、リンゴ尽くしだと……!?)

「ここでは果物の料理が多いぞ。庭の果樹園で育てているものでな。……果物は好きかい?」
「嫌いじゃない」
「そうかい」

 じいじが微笑みながら頷く。

「この後、食器洗いをお願いできるかの?」
「そういう約束だもの。いいわ。任せて」
「それと、掃除の仕方も教えよう」
「ええ。お願い」
「頼もしいのう」

 食べながら、じいじが訊いてきた。

「仕事は明日からだと言っておったな」
「ええ」
「時間は?」
「10時から16時。休憩も挟むから、全部で5時間労働」
「ふむ。そうか。夕方で終わるのか」

 じいじが何かを考えながら頷き、あたしに言った。

「実は今後のことを考えてな。門限を決めようと思ってのう」
「門限?」

(ここでも門限を守れっての? 大人は門限が好きね)

 パンを食べながら頷くじいじを見る。

「そうじゃ。ニコラはまだ14歳だったな。せめて夜の20時までには帰ってきなさい。遅くなっても20時。それ以上過ぎても帰ってこなければ、そうじゃな。一時間の説教と、晩飯は抜きにしよう」
「20時ね」

 それなら出来そう。じいじに頷く。

「なら平気。夜遅くに出かける予定もないし。一ヶ月だけだもの。それくらいなら門限があったって問題ないわ」
「さて、それはどうかのう?」

 じいじがにやりとした。

「そう言ってキッドは三日で門限を破った。当時10歳」
「あいつ、10歳の時から城の外で暮らしてるの?」
「ああ。城下町に住みたいと、突然、話を持ち掛けてきた」

 ――だから、ビリー、一緒に来てよ!

「結果、城での贅沢な暮らしから、狭いログハウス生活へと変わった」

 最初の頃、キッドはその暮らしに文句だらけで、門限も破りっぱなしで、それはそれは酷いものだった。

「そうならないことを願っているよ。ニコラや」
「流石にそうはならないわよ」

 あたしはキッドと違って、マナーを知っている。我儘王子のあいつとは違うのよ。

「キッドは人を見る目だけはあるみたい。じいじを選んだのは正しいと思う」
「そう思うかい?」
「あいつを叱れるのは貴方だけよ」
「叱るのは大人の役目だからのう」

 じいじがおどけながら肩をすくめた。

「子供の頃からそんな感じなのね。あいつ」
「生意気な子供じゃったわい」
「今もでしょ?」
「ああ、酷いもんじゃ」
「そうよね」
「それと比べたら、あたしの方が良い子だわ」
「良い子なのに、屋敷から追い出されたのかい?」
「そうよ。あたしは冤罪よ。あたし良い子だもの」
「ああ、そうかい」
「あたしは良い子だからじいじの言いつけも守るし、手伝いもするわ。午後からは何する? 何かやることある?」
「初日じゃ。本でも読んでゆっくりしてなさい。勉強していてもいい。今日だけは自由に過ごして、ここでの生活になじむことじゃ」
「だらけていいの?」
「今日だけだぞ。……ああ、そうだ」

 じいじが何か思い出したように、目を開いた。

「キッドの部屋にすごろくがあったはずじゃ。本もあるし、他のボードゲームも沢山ある。遊んでもいいぞ」
「……ねえ、じいじ」

 あたしはじっと、じいじを見つめた。

「勝手に部屋に入って、キッドは怒る?」
「変なものを置いてたら、置いていったキッドが悪い。好きに出入りしてよいぞ」
「本当? じゃあ色々借りていい?」
「ああ。構わないさ」
「やった」

 くすっと笑う。

「メニーに見習ってほしいわ」
「人によってそこは違う。メニー殿もデリケートなのだろう」
「じいじ、駄目よ。甘やかさないで。あの子、あたしの部屋には今まで無断で入ってたのよ。酷いものよ。あたしはあの子のせいで追い出されたと言っても過言では無いわ」

 リンゴジュースを飲む。

「……」
「美味しいかい?」

(美味)

「そうね」

 あたしはグラスを置いて、眉をひそめる。

「おかわりを」
「アップルティーはいかがかな」
「紅茶にも出来るの?」
「ああ」
「では、アップルティーを」

 じいじがアップルティーを出す。飲む。

「まあ、空っぽになってしまったわ!」
「おかわりは?」
「貴方って本当に気が使えるのね。素敵。いただくわ!」
「はいはい」

 ここにはうるさいママもいない。うるさいギルエドもいない。叱りつけてくるクロシェ先生もいない。諭してくるアメリもいない。メニーに気を使わなくてもいい。

(なんてこと……!)

 ここは、リンゴ畑に囲まれた楽園なんだわ!

「ああ、じいじ、またパンケーキが無くなってしまったわ! あたし、まだ物足りないのに!」
「まだあるよ。食べるかい?」
「きっとお腹が空いてるんだわ。あたし、普段こんなに食べないもの。でも勘違いしないで。うちのコックの方が腕がいいわ」
「不味いかい?」
「まあ、悪くないんじゃない?」

 三個目のパンケーキがやってくる。

「焼いたリンゴを挟んでるパンケーキなんて、どこにでもあるわ。じいじだって見たことあるでしょう?」
「さあ? 私は普段あまり果樹園以外には行かないからのう」
「ああ、お腹が空いてるのね。あたしったら。きっと疲れてるんだわ。手と口が止まらない!」
「アップルティーも冷めないうちにな」
「なんてこと。冷めても飲めるじゃない。罪なアップルティーね!」

 いいわ。ニコラの間は、良い子になってあげる。せっかくビリーが寝泊まりしてくれる部屋を貸してくれるんだもの。恩は返してあげる。

 でも、ビリー、その恩だけよ。

 都合の悪いことがあれば、あたしは迷うことなく、貴方を置いて逃げるから。

(他人だもの。関係ないわ)

 悪いのは全てアリーチェよ。

(一日が勝負になる)

 明日から、一ヶ月、一日、24時間、街を見張る生活が始まる。
 惨劇を回避するために。
 全ては、あたしが生きるため。

 あたしが幸せになるため。

「食後のデザートもいかがかな」
「あら。悪くないわね。ああ、でも勘違いしないで。あたし、食いしん坊ってわけじゃないの。ただ、ご飯とデザートは別腹なの。というわけで、いただこうかしら!」
「はいはい」

 腹が減っては戦は出来ぬ。まずは空腹を満たすのよ。それにしても、やたらと胃に入るわね。一体何なのかしら。じいじの料理。

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