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四章:仮面で奏でし恋の唄(後編)
第10話 仮面で奏でし恋の唄(4)
しおりを挟む――ちゅ。
キッドの唇が、あたしの首に落ちてくる。
――ちゅ。
首筋に、キスを落とす。
――ちゅ。
キッドの柔らかい唇が、あたしの首に執着する。
――ちゅ。
しつこいくらい、キスをしてくる。
――ちゅ。
あたしの心臓は、爆発してしまうんじゃないかと思うほど、震えている。
――ちゅ。
この上なく、顔が、体が、熱い。
「ちょ」
ようやく出た声が掠れている。キッドの体を膝で小突けば、キッドの口があたしの首を咥えてきた。
「ひゃっ…!?」
かぷ、と、甘噛みされる。
「キッド…!?」
また唇が動く。
「ま、待って」
キッドの唇が動く。
「き、キッド…!」
はむはむと、動く。
「やめっ…!」
口の中から、熱くて柔らかいものが出てくる。
「あっ」
あたしの首を伝う。
「あっ」
あたしの首に唾をつけていく。
「ちょっと、ほんとに…」
耳をかじられた。
「ひっ!」
ニクスのピアスが、べろりと舐められる。
「やっ、ちょ、」
耳の裏を、べろりと舐められる。
「やっ…!」
手首を握っていたキッドの右手が、あたしの左手の指に絡んでくる。
「あっ」
小指が光る。
「…はっ…」
呼吸をすると、キッドの舌も動く。
「ぁっ…」
キッドの長くて細い指があたしの顎を掴み、位置を固定する。耳がキッドに向けられたと思えば、また乱暴に熱い舌で、はしたなく舐められる。
「みみ、やめろ…!」
キッドの舌が動く。キッドの吐息がかかる。
「さわるなっ…!」
あたしを押さえ込むように、体の体重をあたしにかけてくる。
「ううっ…」
耳を噛まれる。
「うぅんっ…!」
耳を甘噛みしてくる。
「ふぅっ……!」
ふう、と、息を吹きかけられる。
「きゃっ…!」
くすっと、音が聞こえた。
「んんんっ……!」
かぷかぷ噛んでくる歯の感触が、むず痒いような、くすぐったいような、わけの分からない現象が起きて、体の力が抜けてくる。
「やだって…」
キッドの舌がまた動いた。
「あっ」
耳を舐められる。
「やめてっ」
ねちゃねちゃ、という、音が聞こえてくる。
「やめ……」
ちゅぷちゅぷ、という、音が聞こえてくる。
「やめっ……ゃめっ……」
このままだと心臓が壊れてしまう。
「キッド…!」
吐息と同時にその名前を呼ぶと、あたしをまっすぐ見つめる青い目と目が合う。
(…や…)
(そ、そんなに)
(そんなに見られたら)
(そんな風に見られたら)
キッドを、見れない。
(恥ずかしくて)
(何か勘違いしてしまいそうで)
(すごく恥ずかしくて)
目を見れない。
(何これ)
(何これ)
(何これ)
こんなキス知らない。
こんな触られ方知らない。
こんな風に触れられたことない。
視線を逸らせば、キッドの顔が近づいてきて、顔を背けて、ぎゅっと目を閉じれば、またキッドの吐息を感じて、すぐ近くにキッドがいることを感じて、きゅっと唇を閉じて、眉をひそめて、首をぐっと伸ばして、唇が近づいてくるのを感じて、その存在から逃げようとすれば、
――トントンと、扉がノックされた。
「キッドー?」
スノウ様の声が、部屋に響いた。
「テリーの悲鳴が聞こえたんだけど、あんたまた虐めてるんじゃないでしょうね?」
「あっ…!」
――助けて!
「んむっ」
キッドの手があたしの口を塞いだ。
「テリーが負けそうなんだ!」
キッドが明るい声を扉に向けて出す。
「俺が勝ちそうで」
視線だけはあたしから離れない。
「いいところだから」
熱い眼差しが離れない。
「邪魔しないで! 母さん!」
キッドの声が、明るく弾む。
「もう! 小さい子をあんまり虐めたら駄目なんだからね? 手加減してあげなさいよー!」
スノウ様がそう言って、足音を鳴らす。こつこつと、離れていく。足音が消える。
(ああ、駄目。行かないで……!)
スノウ様の気配が扉の前から無くなる。
(……………)
キッドがにやける。いやらしく、自分の手で口を塞がれた、青い顔の、頬を赤らめた、呼吸が乱れたあたしを見下ろす。
「駄目だよ。声出しちゃ」
「………っ、………っ」
「続き。テリー」
低い声で、囁かれて、また耳にキスをされる。
――ちゅ。
「んっ…!」
首をすくめて、その変な感覚から逃げたくて、でも感じてしまって、鼻から変な声が漏れる。
「何、今の声」
キッドが、言葉を詰まらせるように、呟く。
「…可愛い…」
――ちゅ。
「あっ」
「テリー」
「ま、まって…」
「駄目」
「やだ」
「許さない」
「わるいこと、してない」
「したよ」
「なにもしてない」
「俺のこと、好きになったのに、やめたんでしょう?」
いけない子だ。
「最初から婚約を解消するつもりなんてないよ」
何が何でもテリーを縛り付けるつもりだった。
「でも、良かった」
テリーが選んでくれて。
「俺との未来を」
じゃあ、愛さないと。
「この気持ちに従わないと」
テリー、俺はね、今、
「すごくテリーに触りたくて、キスしたくて、愛したくて、仕方ないんだ」
だから観念して。
――ちゅ。
「あっ…!」
うなじ付近にキスをされる。
「い、や、やだ、くすぐったい!」
――ちゅ。
「あっ、キッド、そこ、やだ」
――ちゅ。
「やめ、っ、やだ…」
――ちゅ。
「あっ、だめ、そんなところ、」
パパにも、キスされたことない。
「キッド…!」
――ちゅ。
「あっ、やめてっ…」
――ちゅ。
「やだっ…やめて、そんな、キス、はしたない…!」
抵抗する手は、キッドが掴んで、ぎゅっと握られる。
「駄目だよ」
キッドが微笑んだ。
「触らせて」
――ちゅ。
「ここも」
――ちゅ。
「ここだって」
――ちゅ。
「触りたい」
――ちゅ。
「足りない」
――ちゅ。
「はしたない?」
――ちゅ。
「もっとはしたないところに、キスしてあげようか?」
例えば、
「ここは?」
――ちゅ。
「あっ! ……ばっ、ばか!」
――ちゅ。
「…キッド…!」
――ちゅ。
「も、やめ…!」
――ちゅ。
「そこは、だめ…!」
――ちゅ。
「や、やだってば…!」
――ちゅ。
「ぃやっ…! はずかしいの、やだ…!」
――ちゅ。
「恥ずかしいの?」
ここ恥ずかしい?
「じゃあ、もっとしてあげるよ」
――ちゅ。
――ちゅ。
――ちゅ。
「…やだって言って…!」
――ちゅ。
「んっ…!」
「ほら、テリー」
見てて?
――ちゅ。
「お前のここにも、キスするよ?」
――ちゅ。
「やっ」
――ちゅ。
「おね、お願い、だから…」
――ちゅ。
「ああ…っ、だめ、だめ…!」
――ちゅ。
「やだっ…! だめっ…! だめっ…!! あっ…!」
――ちゅ。
「キッド」
――ちゅ。
「怖い…っ!」
キッドからの、キスが止まった。
ぎゅっと目を瞑って、体を震わすあたしに注がれる、痛いくらいの視線。
「テリー」
こつん、と額にぬくもりと体重。
「目、開けて」
黙る。
「開けて、テリー」
誘われるような、その声に、そっと瞼が上がる。やっぱり、青い目が、近くであたしの目を見つめる。あたしの額に自分の額をくっつけるキッドがいる。しようと思えば、すぐに唇を重ねられる距離にいるキッドの目を見つめると、その目が、もっと見てと言うように、あたしの目から視線を逸らさない。
「俺の顔、今すごく熱いんだ。赤い?」
小さく頷く。キッドの頬は、見たことないくらい赤い。
「テリーにキスしたら、心臓がどきどきして止まらない。今までこんなことなかったのに」
あたしの手を握る手に力がこもる。
「ねえ、怖い?」
テリー、
「……俺が怖い?」
切なそうな目に唇が震える。
「……えっと……」
キッドが見つめてくる。
「あ、あの…」
じーーーーーーーっと見つめてくる。
「………」
あたしから目を逸らす。
「……そんなに見ないで」
「無理」
「無理じゃないでしょ」
「目がテリーから離れてくれない」
「キッド、自分の体はね、自分の意思で動くのよ」
「目がテリーから離れてくれない」
「……………」
「テリー」
キッドがあたしを抱きしめる。
「俺が怖い?」
あたしの胸に頭を埋める。
「ねえ、怖い?」
「………」
あたしは顔を逸らす。
「あたし、怖いなんて言ってないけど」
「嘘つき」
手を握る。
「怖い?」
キッドが下から見てくる。
「俺、怖いことしないよ」
キッドの体が再び持ち上げられる。あたしははっと目を見開き、息を呑んで、瞼をきつく閉じると、キッドの柔らかい唇が、ふにっと、あたしの額にくっついた。
「ぅんっ」
声が漏れると、キッドがまた、額に、ふにっと、優しいキスをする。離れては、ふに、と、またくっつく。
「…ぁっ……」
カタカタと体が震える。キッドがそっとあたしを抱きしめた。
「怖くないよ」
キッドが、あたしを見つめてくる。
「何も怖いことしないよ」
また額同士がくっつく。
「テリー、まだ怖い?」
その目を見上げる。ばちりと目が合う。ずっと見てくるその青い目と、ようやく目を合わせる。
「…あの…」
「声が震えてる」
ちゅ、と、頬に唇がくっつく。
「やっ…、あ、あの…」
「うん」
「…一旦、落ち着きましょう」
「うん」
ちゅ、と、耳に唇がくっつく。
「ぅんっ…!?」
「ここは嫌?」
じゃあ、
「これは?」
ちゅ、と、瞼に唇がくっつく。
「や、だから、あの、あの…!」
「どこがいい?」
ちゅ。
「キ、キ、キッ…」
「ここ?」
ちゅ。
「はぅっ…」
「まだ震えてる」
ちゅ。
「ここは?」
「だ、だから、あの…」
「ここは?」
ちゅ。
「キッド!」
「よしよし」
抱き締められて、頭をぽんぽん撫でられる。
「よしよし」
「…………」
「よしよし」
「…………」
「…………」
「…………」
キッドが黙ってあたしの頭を撫でる。あたしは黙って動けなくなる。心臓は震えている。どきどきと、激しい運動を繰り返す。キッドの匂いがする。キッドの温もりを感じる。暑い。暖かい。心臓がうるさい。体は震える。頭は優しく撫でられる。キッドがあたしの頭にキスをした。
ちゅ。
「ふぇっ」
「まだ怖い?」
「………別に」
目を逸らす。
「怖くないってば……」
「うん。絶対に怖いことしない」
ちゅ。
「んっ」
「誓うよ」
キッドがあたしの頬に手を添えた。割れ物のように、すぐに崩れてしまう物に触れるように、優しく撫でてくる。切なげにキッドの目が細まった。
「俺、お前に怖いことなんてしないし、酷いこともしない。何もしないよ。テリーだけには何もしない。何もね」
絶対に大切にするから、
「ねえ、テリー、好きって言って?」
好きになって?
「や、やだ」
キッドの熱い視線が痛い。
「駄目。俺を好きになって」
「…やだって言ってるのに…」
「でも、一度は好きになったんだろ?」
「……」
黙って、ふいっと顔を逸らすと、キッドが囁いた。
「もう一回」
耳に響く。
「もう一回、俺を好きになって」
「……も、もう好きにならない……」
「テリー」
「好きにならない…!」
「駄目」
キッドの手に、力がこもる。
「もう一回、好きになって」
「し、しつこいわよ!」
言うと、
「テリー」
キッドがあたしの顔を覗き込んできて、言った。
「好き」
今までで一番、シンプルな告白を。
今までで一番、数少ない言葉を。
今までで一番、心臓が高鳴ってしまう。
「好き」
キッドがもう一回言った。
「好きだよ」
あたしは顔を逸らし続ける。
「う、うるさい」
キッドは気にしない。
「好きだよ。テリー」
あたしは目を閉じる。
「うるさいってば」
キッドが囁いてくる。
「ねえ、俺を好きになって」
「ならないってば…」
「なんで?」
「なんでも!」
心臓、ちょっと黙って。さっきからお前、ドキドキうるさいのよ。
「俺が王子って名乗ってなかったら、告白してたくせに」
「……してないわよ」
「今して」
「しない」
「俺、キッドとしてお前の目の前にいるから、今、して」
「しないって言ってるでしょ…!」
覗かれた視線から逃げるように、顔を逸らす。
「あんたなんか嫌いよ!」
「テリー、好き」
「……………」
「好き。愛してる」
「………離して」
「……俺の真似したらいいよ」
「……真似?」
キッドに視線をやると、キッドの口が開いた。
「キッド、好き。愛してる。離さないで」
はい。
「言って」
「言うか!」
あたし分かってるのよ。
「そうやって言わせて、どうせ離してくれないんでしょ?」
「離すよ」
「…………本当?」
「うん」
キッドが頷く。
「言ってくれたら離す」
「本当に?」
「約束する。言ってくれたら離してあげる」
キッドがあたしを見つめる。
「言って」
「…………」
キッドがあたしの前髪を退かす。
「テリー」
キッドの指があたしの唇をなぞった。
「早く」
「…………」
一度、固唾を呑んでから、キッドを見上げ、口を開ける。
「キッド」
情けない。声が震える。
「……すき。…あいしてる」
キッドと目を合わせる。
「………はなさないで………」
語尾が消える。
「……もういい?」
ちらっと見る。
「離してくれる?」
「うん。いいよ」
キッドがあたしを強く抱きしめた。
「俺が満足したらね」
「お前!!」
キッドの背中をぽかぽか叩く。
「酷いことしないって言ったくせに!!」
「くすぐったい」
キッドのくすくす笑う声が聞こえて、耳がむず痒い。
「キッド!」
「テリー、好き」
キッドがあたしの肩に埋もれる。
「好き。……本当に好き」
「…………」
「大好き」
「………」
「愛してる」
「…………」
「……テリー、耳赤い」
指で触れられ、肩が揺れた。
「ひゃっ」
「可愛い」
ちゅ。
「んっ」
「その声も可愛い」
ちゅ。
「あったかい」
キッドがあたしを離さない。胸を押し付けてくる。
「ねえ、テリー、今どんな気分?」
「………」
「俺はね、……もう、爆発しそう。心臓が、すごく、早いんだ」
どきどきどきどきどき。
「お前とこうやってくっついてるだけで、もう駄目」
離れたくないよ。
「テリー。好き」
好きで溢れてしまいそう。
「ねえ、テリーはどんな気分?」
低く甘い声で、囁くように訊かれて、ぐるぐるする頭で、考えるけど、言葉が出てこなくて、心臓がひたすらうるさくて、黙れと言ってるのにうるさくて。
「…………あの」
声が消えそう。
「……暑い」
「うん。俺も暑い」
キッドの汗が滴る。
「テリーに触って、暑くて暑くて、仕方ない」
こんなにドキドキしたことない。
「ねえ、テリー」
キッドが横にごろんと転がった。
「恋人になろう?」
「…………」
あたしは首を振る。
「ならない」
「なろうよ」
キッドがあたしを抱きしめる。
「なって」
「ならない」
「なって」
キッドの心臓の音がよく聴こえる。
どきどきどきどきどき。
「なって」
「………」
ちらっと、キッドを見上げる。
「強引な人は嫌い…」
「テリーが相手だと、強引にいかないと来てくれないだろ」
ちゅ。
「んっ」
「ちゃんと恋人になって、婚約しよう」
どっちにしろ、契約は継続なんだから。
「で、テリーの心の準備が出来たら、結婚しよう」
「け、結婚はしないって…」
「正式に婚約者として迎えるって言ってるだろ?」
俺の将来のお嫁さん。
「な、名前だけの婚約だって…」
「結婚したら、一生守ってあげる」
テリーが俺のお嫁さん。
「……お嫁さんだって」
くくっと、キッドが笑った。
「テリーとずっと一緒にいられる」
キッドが甘い顔でにやけた。
「……考えただけで、胸がどきどきする」
すごくどきどきする。
「テリーと目が合うだけで、心臓が止まりそうになる」
この俺が。
「こんなこと、なかったのに」
テリーはお気に入りだったのに。
「胸が苦しい」
そっと、優しく、乱暴に、ぎゅっと、あたしを抱き締める。
「テリー」
その低い声が、あたしを呼ぶ。
「テリー」
キッドが、聞いたことのない声で、あたしを呼ぶ。
「愛してる」
それは嘘? それは本当?
「……嘘つき…」
震える声で言えば、キッドがおかしそうに笑った。
「愛してるよ。テリー。結婚しようね」
「…嘘つき…」
「愛しいよ。俺だけのテリー」
「…嘘つき…」
「愛してるよ。テリー。愛してる」
その言葉は真実。
「ああ、そうだ。ねえ、テリー」
カチューシャに触れたキッドが声をあげた。
「あのさ、髪飾り」
「え?」
「落としただろ? 仮面舞踏会で」
「……ああ」
城下町の仮面舞踏会で、逃げた時に。
「……ん。落とした」
「新しいの、屋敷に送っておいたよ」
「え?」
ぽかんと顔を上げれば、キッドが優しく微笑んだ。
「驚かせたから」
キッドがあたしのカチューシャを外した。髪の毛が垂れる。
「すごくテリーに似合いそうな、可愛いやつ」
あたしの短くなった髪の毛に触れる。
「似合うと思う」
テリーってやっぱり短髪も似合うね。
「俺、髪の毛短い女の子も好きになっちゃった」
テリーの髪の毛が短いから。
「他に、欲しいものない?」
「他に、願い事はない?」
「他に、叶えてほしい夢はない?」
キッドが囁く。
「テリーが願うなら、俺が全部叶えてあげる」
「……ばか」
言ってるでしょ。
「憧れは、憧れのままの方がいいの」
強いて言うなら、
「婚約解消して」
「駄目」
「ほら」
「それは駄目だよ。せっかく女神様が、俺とテリーを赤い糸で結んでくれたのに」
キッドがあたしの手を握った。
「お前だって分かってるくせに」
キッドがあたしの左手を握る。
「ずっとお揃いで買った指輪、つけて」
あたしの小指の指輪が光に反射して光る。
「おつかいで家に来た時も、仮面舞踏会の時も、もめてる時も、タナトスの仮面舞踏会の時も、パストリルの隠れ家でも、次の日に俺に会いに来た時も、ずっと、……ずっとつけてて、俺、その手から目が離せなかった」
キッドの小指の指輪が光に反射して光る。
「テリーにそんなことされたら、もう……たまんないよ。俺……」
キッドが、あたしの左手を、頬に摺り寄せた。
「テリーさ、どれだけ可愛いの。どれだけ一途なの。どれだけ俺のこと好きなの」
震える声で、キッドがうっとりして、あたしの小指にキスを落とす。
「俺、もう、テリーが愛しくて仕方ない……」
柔らかい唇がもう一度触れてくる。愛おしいと言うように、また、離れて、またくっついて、離れて、またキスをしてくる。
「…キッド」
そのことに関しては、正直に言うわ。
「これ、形が可愛いからつけてるだけよ」
そんな気は、全くない。
言えば、キッドが微笑んで首を振った。
「分かってるよ。照れちゃって。もう。ふふっ。恥ずかしくないよ。俺は嬉しいからいいんだよ。テリー。んふふ。可愛いな。テリーってば」
「あの、違う。これに関しては本当に違うの。デザインが気に入ってるのよ。安物だけど、王冠の形の指輪って珍しいし、ドレスの何にでも合う不思議なデザインしてるから」
「そんなこと言っても無駄だよ。テリー。俺、分かってるんだから」
優しいその声に、あたしは首を振る。
「いや、あの、本当に違うのよ。これ、あの、本当に気に入ってるだけなの。指にもちょうどいいサイズになってきて……」
「気に入ってるんだ。俺との指輪。やっぱり繋がり合ってるね。俺もほら、いつもしてるんだよ。見て見て。ほら。くくっ。もう、結婚指輪みたいだね」
キッドが嬉しそうに自分もつけている王冠の指輪をあたしに見せびらかす。
「あ、そういえば」
パストリルの隠れ家にいる時、ウエディングドレスみたいなドレスを着てたよね。俺もスーツだった。指輪もつけてた。丁度、プロポーズもした。
「あれが婚約式かな?」
「あんな命からがらの婚約式なんて嫌よ」
「くくっ」
でもすごく綺麗だった。
「結婚式は、もっと綺麗なドレス着せてあげるからね」
「……結婚しないってば」
目を逸らす。
「あたし、キッドにはもう恋をしないって決めたの」
「なんで?」
「嫌いだから」
「分からないよ。キスをしてみたら、目が覚めるかも」
「そんな童話みたいなことがあるわけ…」
「テリー」
優しく、呼ばれる。
「キスしていい?」
「は?」
キッドが微笑んでいる。あたしは固まる。
「……キスなら、もうしたじゃない……」
「まだしてない」
「したじゃない。沢山」
「必要なキスをしてない」
テリー、
「口」
ねえ、テリー。
「口に、してない」
あたしは目を見開き、後ろに下がる。
「く、口は駄目!」
「なんで?」
キッドが甘い声で、甘える目で、近づいてくる。
「あ、あたしは、好きじゃない相手と、簡単にキスしたりしないのよ!」
「したじゃん」
生死を彷徨う俺に、
「キスしたでしょう?」
ことん、と、また額がくっつく。
「テリー」
キッドの真剣な顔の色が、情けないくらい赤い。
「テリー」
キッドの視線が熱い。
「テリー」
熱い吐息と、熱い声を出せば、あたしが素直に受け入れると思ってるの?
「あ、あたしは…」
あたしは、
「そんな、簡単な女じゃ…」
傾けて、近づく唇に、
「あたしは…」
キッドの目が瞼で薄まる。
「あたしは…」
キッドの目が閉じられる。
「あたし…」
そっと瞼を閉じれば、キッドの唇が落ちてきた。
唇が、重なった。
(……熱い)
柔らかい。
(熱い)
手に力をこめる。
(熱い)
心臓がどきどき震える。
(熱い)
キッドから離れる。お互いの目が開く。キッドが視界に映った途端、思わず目を見開いた。
顔だけじゃない。耳まで真っ赤にして、キッドが困惑の表情を浮かべて、自分の口を手の甲で押さえた。キッドの目が泳ぐ。体を震わせる。静かに呼吸して、大きく呼吸して、再びあたしの瞳を見て、あたしの唇を見て、目を見開いて、顔を歪ませる。
「ああ、駄目」
キッドの声が震えた。
「死ぬ」
あたしに近づく。
「もう一回して?」
あたしが返事をする前に、ふに、と、その唇がくっついてくる。
「んっ」
驚いて、息が鼻から漏れる。唇が重なり合う。
(熱い)
離れる。
「キッ…」
また唇が重なる。
「んっ」
すぐ離れて、またくっつく。
「んぅ…」
ぐっと、その肩を押す。離れる。
「まっ…!」
「駄目、テリー。待てない」
また唇が重なる。
(ちょっと待って…!)
あたしの体が震える。熱い唇を感じるたびに、羞恥が重なっていく。気持ちがぐちゃぐちゃに乱される。心の生理が出来ない。
「ん」
キッドが、また唇を重ねてくる。離れる。また重ねてくる。
(ちょっ…)
また重ねてくる。
(ちょお…!)
また、また、また重ねてくる。
ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。
(キッド、待って。待って、待って)
心が、追いつかない。
「キッ」
重なる。
「キッド!」
肩を押す。
「待って! タイム!!」
「無理」
荒い呼吸のまま押すと、キッドが荒い呼吸で、あたしに無理矢理顔を近づけさせた。
「待って!」
「止まんない」
「待って!」
「待てない!」
「待って!」
「無理!」
「待って!!」
「やだ!」
「キッド!」
「だって、お前が…!」
キッドが眉を八の字にへこませ、あたしの頬に手を添える。
「……可愛すぎて……」
キッドが瞼を閉じる。
「俺、どうしたらいいの?」
キッドが困る。
「心臓がやばい……」
駄目だ。
「テリーとキスしないと死ぬんだ」
駄目だ。
「だから、もう一回」
また近づく。
「ちょっ、」
また近づく。
「テリー」
また顔が近づく。
「あっ」
また唇がくっつく。
―――――ふに。
「んんっ」
身を縮こませると、キッドが抱きしめてくる。乱暴に、繊細に、優しく。
「テリー」
「ふへっ」
唇が重なる。
「愛してる」
「あっ」
唇が重なる。
「好き」
「えっと」
唇が重なる。
「テリー」
唇を離したキッドが、腕に力をこめて、あたしを抱きしめ続ける。
「ああ、いい…」
キッドの吐息が、耳に伝わってぞくぞくする。
「これいい…」
キッドがあたしに体を沈ませる。
「あったかい…」
テリーを感じる。
「テリー」
消え入りそうな声。
「テリー」
求めてくる。
「テリー」
(重い!!)
潰されてしまう! 窒息してしまう! 助けて! 誰か助けて!!
「……………テリー……」
キッドの声が、耳に響く。
「好き……」
「っ」
どくんっと、また、心臓が鳴る。
(これは、嘘? 本当? 幻覚? 現実?)
目の前にいるのは、あのキッド?
(忘れるな! あたし! キッドは最低な奴なのよ! キッドは最低! キッドは最低! キッドは最低!)
二度と、好きにならないと、決めたのよ。
「…………俺のものね?」
甘い声で言われる。
「浮気しちゃ駄目だよ。テリー」
「……キッドが、前に、誰を好きになっても許すって…」
「前言撤回」
「なっ…!」
「駄目」
「……あたし……強引な人、嫌い……」
「駄目」
「……キッドはタイプじゃな……」
「駄目」
「だから、好きにならな……」
「駄目」
「……だから嫌いなのよ。お前……」
「テリーは俺に恋をするの。俺を愛して、俺は王様になって、テリーは王妃様になって、王妃のままやりたいことやればいいよ。ベックスの家を継いでもいいし、紹介所の社長もやっていいよ」
でも、
「俺以外によそ見するのは駄目。テリーが恋していいのも、テリーが愛していいのも、俺だけね」
乱暴な言葉とは裏腹に、声はこの上なく、優しい。
「ま、またそうやって、勝手に決める……」
背中を掴む。
「……そういうところ、…嫌い…」
「……テリー、好き」
「…………」
(………んっ)
「……キッド」
「ん?」
「怪我、治ってないの?」
「なんで?」
「胸になんか巻いてるから」
「ああ」
これ。
「……防弾用のやつなんだ」
「……ふーん」
胸に巻くんだ。
「そんなのあるのね」
「うん」
キッドがあたしの頭を撫でる。
「…今頃気付いたんだ」
「ええ。気付かなかった。巻いてたのね」
「……テリー」
「ん?」
「今まで俺に抱きしめられて、何か思ったことなかった?」
「………」
考える。
「特に」
「そう」
「筋肉だと思ってた。こんなの巻いてたのね」
「巻いてない時もあるけどね」
「ふーん」
「…そんなに小さい…?」
「……ん? なんか言った?」
キッドが微笑んだ。
「愛してるって言ったんだ」
「……あたし、そろそろ落ち着いてきた」
キッドの腕から抜けて、起き上がる。
「キッド、今日のことは黙っててあげる。婚約も続けてあげる」
肩をぽんと叩く。
「好きな紳士、見つけなさい」
「テリーが好き」
また抱きしめられる。
「だから」
「テリー以外いらない」
抱き締められる。
「キッド」
「無駄だよ」
運命には逆らえない。
「お前の運命の相手は、俺だ」
――ちゅ。
「ひゃっ」
肩を揺らすと、キッドが笑う。
「大丈夫。俺が慣れさせるから」
可愛い。
「沢山キスしよう」
可愛い。
「テリー、俺、本当に、好きになっちゃった」
だから、
「俺を好きになって?」
ふに、と、また唇を奪われる。
(ふひっ…!)
俯いて、わなわなと唇を震わすと、キッドが笑った。
「くくっ」
なんか、
「お前を汚した気分だ」
でも、どうしてかな。
「最高にいい気分だ」
もっと汚れて。
「俺で汚れて」
もっと汚くなって。
「俺で汚くなって」
俺が汚す。
「テリーは俺のもの」
誰にも渡さないよ。
「………あたしは、あたしのものよ……」
消え入る声で呟くと、キッドの目が見開かれた。キッドの頭から、ばきゅん!! と音が聞こえた。
(……ん?)
「…………かわっ」
んんっ!
「……駄目だ」
キッドがあたしを抱き締めたまま、顔を逸らす。
「離せない」
駄目だ。
「どうしようかな」
駄目だ。
「見惚れる…」
駄目だ。
「この俺が、ここまで翻弄されるなんて。なんて恐ろしい…」
あ、そうだ。
「テリー」
キッドが無表情になる。
「今日泊まっていきなよ。あ、大丈夫、大丈夫。何もしないから。何もしないよ。お前の体見て興奮なんて誰もしないから。自分が一番よく分かってるだろ? うん。だからさ、ベッドは俺のベッド使ってさ、ちょっと狭いけど一緒に寝ようよ。一緒に寝るだけ。一緒にご飯食べて、歯磨いて、お風呂に入って、ゆっくりしてさ、一緒に寝ようよ。あ、大丈夫、大丈夫。何もしないよ。何もしない。ちょっと、んんっ! 何もしないよ。その、ちょっとだけ、ちょっとだけ、あの……」
キッドがあたしの頭を撫でた。
「……触ってもいい?」
「帰る!」
「王子命令」
「帰るっ!」
「…………」
「……き、キッド」
背中をぽんぽんする。
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それならいいでしょう?
「いつ来るの?」
「呼ばれたら」
「じゃあ、明日」
「あんた、王子として名乗ったってことは、これから色んな仕事が回ってくるんじゃないの?」
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「……………………」
キッドが黙った。黙ったまま、あたしを、きゅっと抱き締めた。
「帰らないで…」
(ひぇっ…!?)
泣きそうなその声に驚いて、かっと目を見開いて、このままだとこの誘惑に負けてしまう気がして、慌てて、ぶぶんと首を振る。
「か、帰る」
「ここにいて…」
「帰るっ」
「ん…。…やだ…」
「帰る…!」
「駄目。テリーがいないと、俺、死んじゃう…」
「帰る!」
「………」
「か…、かえ、…帰る」
ぽんぽんと、キッドの背中を叩く。
「………帰る」
言うと、キッドがぎゅっと、抱きしめてきて、
「最後」
首下辺りに口を寄せてきて。
「これで最後」
キスをした。
――ちゅうぅ。
吸うような、変なキス。
「ぅわぁっ」
びくっと体を揺らすと、キッドがあたしの首を見て、満足そうに微笑み、またぎゅっとあたしを抱き締めた。
「……送るよ」
起き上がる。キッドがあたしから離れる。少し体が寒くなる。
「…平気」
差し出された手を掴んで、あたしも起き上がる。地面に立って、力が入らない足で、ふらふらと歩き出す。
「…ほらね、心配だから、送っていくよ」
キッドが微笑みながらあたしの顔を覗き込んでくる。今まで見たことないくらい優しい瞳で、あたしの顔を見てくる。
「…だ、大丈夫」
あんたと歩いてるの見つかったら、大問題になりそう。
「大丈夫。そのための帽子」
ふふん。
「変装なら任せてよ」
ずっとそうしてきた。
「テリー、絶対来てね?」
「……二人きりは嫌よ」
「うん。リトルルビィとメニーを連れておいで。ね。ならいい?」
「…………」
「……テリー」
じっと、また見つめられる。
「……何?」
見上げれば、キッドが顔を近づかせた。
「キスしていい?」
真顔で訊かれて、ぶぶんと首を振る。
「今日はもう駄目!!!!!」
扉に、指を差す。
「早く開けて!!」
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「…………ちぇっ」
まあ、いいや。
「『今日』は、駄目なんだもんね」
「……………」
「あーあ、残念」
すごく残念そうに眉をへこませて、キッドがポケットから鍵を取り出して、ドアノブの下にある小さな穴に鍵を入れて、ひねった。
「扉の内鍵を開けても扉が動かないように細工して作らせたんだ」
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「すごいでしょ」
「…………何に使うのよ」
「んー? なんだろうね?」
そのいやらしく笑う笑みに、ぞっと背筋が寒くなって、あたしは慌ててカチューシャを拾って頭につけ、扉を開けた。
「あらあら、どうしたの? 二人とも。そんなに顔が真っ赤になるまでゲームに奮闘してたの? 仲良しね!」
「…………」
「…………」
「もう帰るの? テリー? また来てね! 絶対来てね!!」
あたしは黙ったまま、こくりとゆっくり頷いた。
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