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三章:雪の姫はワルツを踊る
第8話 騎士が忠告しましょう(2)
しおりを挟む抜き足差し足忍び足。そろりそろりと歩いていく。
「お姉ちゃん?」
「ぎくっ」
あたしは振り向く。ネグリジェのメニーが立っていた。
「ああ、メニー」
「コートなんか着てどうしたの?」
「……寒いから」
「……? そっか」
メニーがあたしに歩いて来る。
「ねえ、ドロシー知らない?」
「あんたの部屋は?」
「さっきまで一緒にいたんだけど、廊下に出て行ってから、戻ってこなくて」
「猫の集会にでも行ったんじゃない?」
「え、何それ。いいな。猫の集会か。私も行きたい」
「メニーが行ったら猫の集会じゃなくなるでしょ」
「それもそっか」
「そうよ」
あたしは階段を下りる。メニーが後ろからついてくる。
「お姉ちゃん」
「何?」
「私、今日一日の記憶がないの」
「あんた、ずっと手鏡持ってたって聞いてるけど」
「うん。髪結ぼうと思って」
「髪は結べた?」
「ううん。私、ずっと寝てたみたい。手鏡を持ったまま、ぼんやりしてたらしいの」
「風邪引いてるんじゃない?」
「ううん。測ってもらったけど、体温は正常。ただ、ぼうっとするだけ」
「気圧よ。気圧。低気圧でぼうっとしちゃったのよ。うんうん。そういう日もあるわ」
「……そうかな」
「メニー」
あたしは振り返る。階段にいるメニーを見上げる。
「あたし、忙しいの」
「どこかに行くの?」
「お散歩」
「私も行きたい」
「駄目」
「なんで?」
「あたし、一人で行きたいの」
あたしは歩き出す。
「じゃあね。メニー。愛してるわ。本当に風邪を引いたら大変よ。心配してお散歩にも行けなくなっちゃうから、あたしのためにも早く寝なさい。その方がいいわ」
「……うーん。……風邪なのかな……」
「おやすみ」
あたしは暗闇に向かって歩いていく。メニーが立ち止まり、あたしの背中を見届ける。
「……………」
メニーが振り向いた。
「………あ、素敵な鏡……」
(*'ω'*)
夜空が広がる。まるでオーロラが見えそうな夜空。星が広がる。月が見える。雪に沈んだニクスが指を差した。
「流れ星」
「見えた」
雪に沈んだあたしが返事を返す。
「願い事はした?」
「テリーは?」
「夜空に見惚れてて、何も考えてなかった」
「また来るかも。テリー、願い事を考えておこう」
「ニクスの願い事は?」
「そうだなあ」
ニクスが夜空を眺めながら考える。
「ずずっ」
鼻をすすった。
「いっぱいあって決められないや」
「いっぱい願えばいいわ」
「いっぱいありすぎて、お星様が破裂しちゃう」
「ニクスの願い事なんて、大きな星に比べたらちっぽけなものよ。だから沢山願っていいのよ」
「ふふっ。そうだね。それもそうだ」
ニクスが黙った。あたしも黙る。二人で雪の上に寝転がり、夜空を眺める。
「僕ね」
ニクスが願い事を言った。
「幸せになりたい」
ニクスの瞳に、きらきら光る星が映る。
「明日のご飯とか、仕事とか、そんなの心配が無い暮らしがしたい」
「好きなものを食べて、好きな服を着て、好きな人と一緒にいて、好きな事をする」
「幸せに緩く暮らしたい」
「それ以上は求めないから」
「毎日、幸福で満たされたい」
ニクスがあたしに顔を向けた。
「ねえ、テリーの願い事は?」
―――ニクス、あたしね、
あたしは、過去の会話をもう一度する。
「『ニクス、あたしね、プリンセスになるの』」
「『え? プリンセス?』」
「『正しくは、なるのよ』」
「『どういう事?』」
「『王子様と結婚するのよ。で、お姫様になるの』」
「『へえ、でも、相手の王子様は?』」
「『リオン様』」
「『リオン殿下?』」
「『あたしの運命の相手よ』」
「『まさか』」
「『そう思うでしょ』」
「『分かるの?』」
「『一目見た時に、あたし、分かっちゃったの。きっとね、多分ね、絶対ね、あたしとリオン様は、前世で結ばれていた、運命の恋人なのよ』」
「『わあ、そうだったんだ。素敵。それで、リオン様とは、知り合いなの?』」
「『何度かお会いした事あるわ。でも、向こうはあたしに気付いてない』」
「『そっか』」
「『でも、心配無いわ。あたしとリオン様は結ばれる。これは決められてる事なの。だからあたしは今のうちに、お作法のレッスンをして、素敵なダンスを踊れるようにならなくちゃ。それでもって、誰よりも綺麗なドレスを着て気に入ってもらうの。リオン様はあたしを一目見たら気付くはずだわ。運命の相手だって。それで、あたし、リオン様のお嫁さんになるの』」
「『そうなったら、テリーは本当にお姫様だ』」
「『そうよ。国のプリンセスになるのよ。リオン様と結婚して、幸せになるの』」
「『どうしよう。こうしちゃいられない。今のうちにテリーにごまをすっておかないと』」
「『そうだ。将来あたしがプリンセスになったら、ニクスをあたしの世話係にしてあげる』」
「『え? 僕がテリーのお世話をするの?』」
「『そうよ。王室で働くんだから、一生お金に困ることは無いし、毎日、あたしと一緒に遊ぶことが仕事よ』」
「『へえ! テリーと毎日遊ぶのが仕事なんて、そんないい話、他に無いや!』」
「『うふふ! そうでしょう! だから、あんたを雇ってあげるわ! そしたら、毎日遊べるもの!』」
「『ふふ! それはいいね! 賛成!』」
「『ねえ、ニクス、王室に行ったら、どんな事をして遊びたい?』」
「『そうだなあ。どうしよう。テリーは何がしたい?』」
「『かくれんぼ』」
「『楽しそう』」
「『ニクスの番』」
「『思いついたよ。僕ね、お城の壁に落書きがしたい!』」
「『いいわね! きっと世界美術館から声がかかるくらいの芸術品として残るわよ!』」
「『世界遺産になるかな?』」
「『かもね』」
「『ふふっ。楽しみだね! テリー』」
「『すごくね』」
「『プリンセスのテリーは、すごく綺麗なんだろうね。だって、今だって十分綺麗だもん』」
「『当然よ。あたしは綺麗な娘だから、リオン様に愛されて、国の皆に愛されて、幸せに暮らすのよ。ニクスも一緒にね』」
「『そっか。じゃあ、僕も綺麗な格好をしないと』」
「『大丈夫。あたしが全部用意してあげるから』」
「『ねえ、テリー。きらきらしたものって好き?』」
「『光るものは何でも好き。宝石もドレスも皆きらきらしてるでしょう? 全部あたしのものよ。あの星空だってそう。星も全部あたしのもの』」
「『ふふっ。テリーは欲張りだ』」
「『人間は皆、欲張りなの。覚えておいて』」
「『ねえ、お姫様』」
「『何? しもべ』」
「『僕ね、宝物があるんだ』」
「『宝物?』」
「『箱に入れて、大切に保管してある。盗まれないように』」
「『それは、ニクスの秘密の箱?』」
「『うん。中には宝物』」
「『何が入ってるの?』」
「『秘密』」
「『あたしに隠し事をする気? ニクスのくせに生意気よ』」
「『秘密を共有したら、君は共犯になる』」
「『ニクスは陰謀でも企ててるわけ?』」
「『そうだよ。僕は陰謀を企てている。そして、その陰謀に欠かせないのが宝箱さ。その中には、とてもきらきらしたものが眠っているんだ』」
「『まあ、素敵。どんな宝なの?』」
「『見たい?』」
「『見たい』」
「『いいよ。テリーになら見せてあげる』」
あたしに顔を向けたニクスがあたしに手を伸ばした。ニクスに顔を向けるあたしも手を伸ばす。ニクスとあたしの手が握られた。手袋越しから、ぎゅっと握り締める。
「『今度、持ってきてあげる』」
「『楽しみにしてるわ』」
「『テリーなら気に入ると思う』」
ニクスがもう一度夜空を眺めた。あたしも夜空を眺めた。
「『あれは星座かな。テリー』」
「『そうかもね』」
「『なんて星座?』」
「『星の事なんて勉強してないから、知らないわ』」
「『よし、じゃあ、名前をつけよう』」
ニクスが指を差す。
「『あれは、テリー』」
「『あたし?』」
「『そうだよ。テリーっていう星座』」
違う方向にニクスが指を差す。
「『あれはニクス』」
「『ニクス?』」
「『そうだよ。ニクスっていう星座』」
ニクスが雪の上に腕を下ろした。
「『ああ、寒い。でも暖かい』」
「『どっち?』」
「『きっと、テリーと手を繋いでるからだ。すごく暖かい』」
あたしとニクスの手は離れない。
ずっと、離れない。
「『テリー、寒いね』」
「『明日は雪が降るかも』」
「『風邪を引くかも。暖かい格好をしてね』」
「『ニクスもね』」
「『僕は大丈夫』」
冷たい風が吹く。心地良い。
「『テリー』」
「『何?』」
「『手袋、ありがとう』」
「『別にいいのよ。これくらい』」
「『とても、暖かいよ』」
「『そう』」
「『大切にするね』」
「『失くしたら、また新しいのを用意してあげる』」
ニクスが首を振った。
「『いらないよ』」
ニクスが瞼を閉じる。
「『テリーから貰ったかけがえのない手袋だもん。大切にするよ。絶対に、絶対にこれだけは、僕、失くさない。いつだって手にはめて、夏が来たって、穴が開いたって使うさ』」
「『嘘つき』」
「『ふふっ! 嘘じゃないさ。本当だよ!』」
ニクスが白い息を吐く。
「『こんな素敵プレゼント、大切にしないと、ばちが当たる』」
ニクスがまた笑う。
「『プリンセス・テリーからのプレゼントだ。これは絶対に捨てちゃ駄目なプレゼント』」
ニクスと目が合う。
「『また宝物が増えちゃった』」
「『あたし、共犯者?』」
「『うん。秘密を共有した共犯者だ』」
「『ママに怒られちゃう』」
「『じゃあ僕も怒られるよ。一緒にね』」
「『一緒にいてくれるの?』」
「『テリーさえ良ければ、ずっと一緒だよ』」
傍にいるよ。テリー。
「『テリーのためなら、いつだって、傍にいてあげる』」
きらきら星が光る。
夜空が輝く。
風が静かに吹く。
あたしとニクスの前髪が揺れる。
ふわりと前髪が浮かんだ。
きらりと星が光った。
まるで星が川みたい。
真っ暗な中に輝く星の光。
「ね、テリー」
「ん?」
「テリーは共犯者だ」
「そうね」
「今から秘密を共有する」
ニクスが起き上がった。背中には雪がついている。
「テリーも起きて」
「何よ」
「サリアさんに言われて考えた。真面目な話をしよう」
「……サリア?」
あたしは起き上がる。
「サリアに、何を言われたの?」
「ふふっ。勘違いしないで」
ニクスが首を振った。
「サリアさんとは、本当に、たわいのない話をしたんだ。テリーとの事を少し交えながら」
「……ふーん」
「夜更かししないように、一時間思いきり遊んで、二人とも家に帰ってすぐに寝なさいって」
「あたし、ちゃんと寝てるわ。何よ。それが言いたかったの? 心配無用よ。あたしはあんたよりも安らかに眠ってるわ」
「それだけじゃない」
ニクスが真面目な目であたしを見てくる。
「僕、怖かったんだ」
「え?」
「その、別にテリーを信じてないわけじゃない。そうじゃないよ」
「ニクス」
「テリーは友達。本当だよ。最高の友達だ。だからこそ、言ったら、ショックを受けて、テリーが離れる気がして…、その…」
「ニクスの話に、ショックなんて受けないわ」
あたしはニクスを見つめる。
ニクスが、何か言おうとしている。
(ニクス)
「どうしたの?」
「うっ」
ニクスが顔を引き攣らせた。
「あー、その…」
「うん」
「テリー、その…」
「ええ」
「あのね、…驚かないで聞いてほしいんだ」
あたしはこくりと頷く。ニクスがゆっくりと、深呼吸した。
「あのね」
「ええ」
「実は」
「ええ」
「僕……」
あたしはニクスを見つめる。ニクスは固唾を呑み、口を開ける。
「あの、僕、男の子………」
ニクスが何かを言い掛けた瞬間、小さく体が体が揺れた気がした。
「ん」
「っ」
ニクスがはっとして、声を止めた。あたしはきょとんと、辺りを見回すと――――ドシン、という音と共に、突然地面が大きく揺れ出した。あたしの足のバランスが崩れる。
「ひゃっ!」
「わっ!」
地面が揺れる。ニクスがはっと目を見開いた。
「テリー!」
「ニクス!」
「おいで! さあ! 大丈夫だよ!」
ニクスからあたしに近づき、雪の上に座ったまま、あたしを抱きしめた。あたしの顔をニクスが自分の胸の中に隠した。
「テリー、怖くないよ! 大丈夫!」
地面が揺れる。
横に揺れる。
縦に揺れる。
こんなに大きいのは初めてだ。
(や、やばい、まじで動けない!)
あたしはニクスにしがみついた。
「に、ニクス、み、耳鳴りが!」
「よしよし、テリー。何も怖くないよ」
「ニクス! 何も聞こえない!」
「大丈夫。ちょっと揺れてるだけ。大丈夫」
ニクスが辺りを見回した。あたしを抱きしめ、頭を撫でた。
「……………………………」
ニクスがあたしを抱きしめ、強く抱きしめ、耳鳴りの中、ニクスが上を見上げ、何か呟いた気がした。しかし、何も聞こえない。
(ニクス?)
あたしが見上げようとすると、頭を上から押さえられた。
(え?)
見ないで。
地震が収まった。
「ニクス?」
「収まったみたいだね」
あたしはニクスの背中を叩いた。ニクスがきょとんと見下ろす。あたしを強く抱きしめ、頭を押さえている自分の手に気付き、はっとした。
「うわ、ごめん! つい! 頭、痛くなかった?」
ニクスが手を離し、ようやく顔を上げた。目の前には、眉を下げたニクス。
「テリー、怪我は?」
「…………耳鳴りがして、あまりよく聞こえない」
「ああ、可哀想に…」
何かひらめいたニクスが、一言言った。
「テリーの馬鹿。おたんこなす」
「あ?」
「ふふっ。良かった。ちょっとは聞こえてるみたい」
睨んだあたしに、ニクスが胸を撫で下ろす。
「今夜はもう帰ろう。なんか…」
ニクスが首を傾げて、手袋を脱いで、冷たい手であたしの頬に触れた。
「テリー、熱でも出てる? なんか熱いよ?」
「……別に、具合悪くないけど」
「そう? 無理しないでね?」
「いいから、もう帰るわよ」
(言い掛けてたことが気になるけど、耳鳴りで聞き取りづらいし)
何より、ここは震源地だ。何があるか分からない。
「ん」
あたしは手を差し出した。ニクスがあたしの手を握り締める。
「途中まで送るよ。テリー」
ニクスがあたしを引っ張った。その勢いで、あたしは立ち上がる。ニクスと手が離れた。
「さあ、帰ろう」
「ええ」
あたしは頷いた。
「帰る」
何かが起きないうちに、解散してしまおう。
(……早くしないと、キッドが来るかも)
あたしはにこっと笑って、再現を始めた。
「『ニクス、競争よ!』」
「『あ、待ってよ。テリー!』」
あたしとニクスが駆け出した。
「『さあ! 早く来なさいよ! ニクスの腰抜け!』」
「『ふふっ! 待って! 待ってよ! テリー!』」
ニクスが笑って、あたしは内心険しい顔で、この震源地から逃げるように走っていった。
(*'ω'*)
鏡よ、鏡よ、鏡さん、
この世で一番美しいのはだれ。
鏡よ、鏡よ、鏡さん、
この世で一番美しいのは、
鏡よ、鏡よ、鏡さん、
この世で一番美しいのは、
鏡よ、鏡よ、鏡さん、
この世で一番美しいのは、プリンセス。
プリンセスの名は、
「ニクス」
声が暗闇から響く。
「ニクス」
響く。
「プリンセス」
声が響く。
「どこだい。僕のプリンセス………」
影が消えた。
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