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二章:狼は赤頭巾を被る
第16話 雪に捧げるこの想い(1)
しおりを挟む事件に巻き込まれ、クロシェ先生が生き残り、デヴィッドが亡くなった翌日、ママとアメリが帰ってきた。お土産をたくさん持ってきて。
クロシェ先生と対面し、彼女からデヴィッドが亡くなった詳細聞いて、ママがぽかんとしていた。事件に巻き込まれたと説明すると、こめかみを押さえた。
「…そうですか」
遺体は既に家族の元へ送られたらしいとクロシェ先生から説明を受けると、ママが頷いた。
「…わかりました」
「お葬式には、ぜひ、私も出席させてください」
「クロシェ、貴女は屋敷にいてちょうだい。彼の実家はとても遠いのよ。娘達を遠出させるわけにはいきません」
そう言ってママは帰ってきた日に、再び出かけてしまった。喪服を着て、馬車に乗って。
あたしは離れていく馬車を、窓から眺める。
「亡くなったのね。デヴィッド」
部屋でアメリがお土産を開けながら呟く。メニーが頷いた。
「…私も行きたかった」
「しょうがないわよ。デヴィッドの家ってすっごく田舎なんですって。ママって、そういうところに私達を連れて行くの、すごく嫌がるのよ」
貴族は常に、気品に溢れていなくてはいけません。
「行けるなら、私も行きたかったわ」
アメリがお土産の箱をメニーに渡す。
「ほら、メニー、開けてみて」
「うん」
メニーが箱を開ける。暗い顔がすこし明るくなる。
「キャンディだ」
「アバウィール限定、フルーツキャンディ」
「美味しそう!」
「うふふ。たくさん舐めてね」
アメリがあたしに振り向いた。
「ほらほら、お土産大好きテリーちゃん、こっち来なさい」
「……別に好きじゃないけど」
窓辺から腰を持ち上げて、アメリの横に移動する。三人で行儀悪く地面に座って、お土産の箱を開封していく。
(……あら。素敵なハンカチ)
「で、なんで一ヶ月もいたわけ?」
「ふふっ。聞きたい?」
「…そりゃ、一ヶ月も何してたのか、気になる」
「メニーも聞きたい?」
「うん」
アメリがあたしを見て、にやついた。
「テリー、ヤキモチ妬いちゃ駄目よ」
「ん?」
「リオン様に会ったの」
メニーがきょとんとした。あたしは目を見開いた。アメリは更ににやついた。
「あのね、アバウィールに住む伯爵が、舞踏会を開いたのよ。それに、偶然王妃様が出席されるって聞いて、レイチェルもその舞踏会に出席する感じだったから、一緒についていったわけ」
あたしは息を吐き、未開封のお土産に手を伸ばす。
「一回帰ってくれば良かったのに」
「それが出来なかったの」
アメリが未開封のお土産に手を伸ばす。
「その経緯を話す前に、ふふっ。メニー。ありがとう。あんたのアドバイスが効いたわ」
「え?」
メニーがキャンディを口に入れて、きょとんとした。あたしはメニーを見る。
「アドバイスって何?」
「…私、何か言ったっけ?」
「嫌ね。私が出かける前に、メニーが言ったでしょ。私が綺麗だから皆に嫉妬されちゃうね、って」
アメリが得意げに笑った。
「レイチェルの誕生日パーティー、大戦争だったの。テリーも分かってると思うけど、毎回の如く、去年以上、今まで以上にすごかった。みーんな喧嘩してたわ。遠回しな嫌味と皮肉の言い争い」
でも、私は嫉妬されることがわかってたから、相手にしなかった。
「そんな人達と一緒にされたくないと思って、レイチェルと他の令嬢たちが暴れまわってるのを、遠くから見てたのよ。優雅に紅茶を飲みながら」
そしたら、あら不思議。イケメンのお坊ちゃん達が、皆、私に声をかけてくる。
「なんか押しが強くて、ぎすぎすしてて、どうも話しにくいって。でも、私は優雅にゆっくり紅茶を飲んでるわけだし、良ければご一緒に、なんて誘ったら、イケメンたちがついてくるついてくる! むふふふ! いい!? 二人とも! これが私のフェロモン! 女の色気ってやつよ! あいつらが喧嘩してる間に、私は恋人候補を10人も捕まえた。むふふふふふふ! あいつら豚みたいに喧嘩してて馬鹿みたい! 私が優雅にイケメン達と話してる間に、火花ばちばちさせて、低レベルだわ。あんなのと関わってたなんて、本当、馬鹿みたい! 聖女というのは、私のことを言うのよ! ああ! 自分が怖い! イケメン達を虜にしてしまう私は、まるで悪女だわ! おっほっほっほっほっほっ!」
メニーがぱちぱち拍手をする。
あたしは呆れて目を背ける。
「で? パーティーが終わってからも、レイチェルの屋敷にいたわけ?」
「そう。ずっとね」
「あの嫌味ったらしいレイチェルに毎日会ってたわけ?」
「そうよ」
「よく平気だったわね」
「………それが、ね」
急に、アメリの声のトーンが沈んだ。
「…テリー、メニー、これは人に言っちゃ駄目よ。繊細な話だから」
あたしとメニーが瞬きをした。アメリが複雑そうに、口を開けた。
「…レイチェルの誕生日パーティー、遠目で見てて初めて気づいたんだけど、レイチェルのご両親が、途中でいなくなってたの。ママは挨拶に回ってるって言ってたけど、でも、娘の誕生日よ? パーティーが終わる時くらい、会場に戻ってくると思わない?」
いたのは最初だけ。後は全部、レイチェルの親戚のおじ様が仕切っていたの。
「…それがちょっと気になって、その人に訊いたのよ。誰にも言わないから、教えてって言って」
しつこく訊いたら、教えてくれた。
「……離婚調停の最中で、もめてるって」
あたしは黙った。
メニーも黙る。
アメリがお土産を開封した。
中から、可愛い人形の置物が出てきた。
それを地面に置いて、また、違う箱に、アメリが手を伸ばす。
「だから、別の場所に行ってたんだって。お互い、会いたくないから」
娘のレイチェルを置いて。
「……レイチェルって、嫌な奴だし、むかつくことも言うけど、でも、…それを聞いた時に、なんだか、可哀想に思えてきたのよ。同情なんだろうけど、でも、ほら、なんて言うの?」
アメリがあたしを見た。
「パパも、そうだったでしょう?」
あたしは黙る。
アメリがお土産の箱を弄る。
「テリーも、わかるでしょ? パパにもママにも、不安定な時期があると、私達、何となく察してたじゃない。なんか、喧嘩してるとか、気まずそうとか。そういう時って、何というか、すごく寂しくなるじゃない。寂しくなると、なんか不安になるじゃない。不安になったら、ストレスが溜まるじゃない? ストレスが溜まると、何かに当たりたくなるじゃない」
レイチェルは大暴れだった。嫌味を言いまくって、笑い飛ばして、皮肉な言葉を吐き並べていた。
「そう考えたら、なんて言うか、私が言うのもなんだけど、哀れに見えてきて」
黙って、レイチェルの傍に居たの。
「パパとママが離婚した時、こう言っちゃアレだけど、まだ、私にはテリーがいたじゃない。テリーには私がいた。それで、覚えてる? あの頃、よく遊んでたでしょ。なんか、よくわからないけど、変に、一緒にいたじゃない」
それで、何となく、喧嘩の雰囲気が出てきても、お互いに折れて、喧嘩をしなかった。
「今だから何となく思うんだけど、私達も、その環境に慣れようって必死だったんじゃない? パパが出て行って、帰ってこなくて、変だなって思ってる時にママから離婚したって聞いて、違和感を感じたのよ。今まで一緒に暮らしてきた人がいなくなるって、すごく変じゃない。だって、前までは一緒に生活して、笑ってたのに、急にいなくなったじゃない。パパ」
あたしは黙る。
アメリが目を伏せた。
「……なんか、その時の、私達に見えたのよ。レイチェルが」
泣き顔こそ見せないし、強気な態度で向かってくるけど、
「それが、強がってるだけな気がして」
だから、黙って、
「傍に居ようって」
レイチェルが何を言っても来ても、流して、レイチェルに嫌味を言われても、流して、黙って、ただ黙って、隣にいた。
「不思議なんだけどね、喧嘩にならなかったの。私が流したのもあるんだろうけど、なんていうか、レイチェルが、日を重ねるごとに、どんどん口数が減っていって」
レイチェルの隣には私がいた。
一緒に出掛けてみたりした。
一緒にショッピングも行ったりした。
お芝居も見に行った。
でも、変に会話を弾ませたり、そういうことはしなかった。
ただついていっただけ。
ただ傍に居ただけ。
ただ隣に居ただけ。
「別に大した会話もなかったんだけど、でも、なんか、不思議と、隣に居られたのよ」
変よね。
「でも、レイチェルも別に何も言わなかったし」
なら、いいかって思って。
「テリー、信じられる? 私、レイチェルの部屋で、一緒のベッドで寝たりもしたのよ」
なんか昔喧嘩してたこととか、話し込んじゃって、寝落ちしちゃったのよね。
「一ヶ月、その繰り返し」
テリーと電話した時、あったでしょう?
「なんか、テリーの事言うのも、気まずくて。誤魔化しちゃった」
レイチェルに変な話題を振りたくなかった。
「しばらく、落ち着くまで、ただ傍に居ようって思って、一ヶ月、帰らなかったのよ」
アメリが手を伸ばす。メニーへのお土産のキャンディを口に放り込んだ。
「で、目的の舞踏会に出席したわけ」
ここで登場。
「我が国の皆の憧れの王子様。リオン様」
テリー、もう一回言うわよ。ヤキモチ妬かないでね。
「ご挨拶させてもらったわ」
アメリの頬がほんのり赤く染まる。
「…もう、本当にかっこよかった」
熱いまなざし。ハンサムな容姿。紳士な振舞い。
「会えて光栄だったわ。本当に、それは、もう、誰よりも、輝いてた」
(…リオン様)
我が国の王子様。
(リオン様)
将来の我が国の王様。
(リオン様)
メニーの結婚相手。
(リオン様)
あたしに死刑判決を下した一人。
(リオン様…)
あたしを殺す相手。
(ついて行かなくて良かった)
心から思った。
(将来、あたしを殺す相手に会うって知ったら、あたしは屋敷に逃げたもの)
ついて行かなくて良かった。
(………………………)
リオン様、
会いたかった。
まだ、そう思う自分がいることに、嫌悪する。
(過去の話よ)
あたしは過去を手放す。
過去を忘れる。
あれは、まだ、あたしが純粋だった頃の話だ。
ただの子供の夢だ。
あたしはお土産の包みを開けた。
「……馬鹿じゃないの。別にヤキモチなんて妬かないわよ。どうでもいい」
「え?」
言うと、アメリが驚いたように、ぽかんとした目をあたしに向けた。
「どうしたの? テリー。リオン様よ?」
「………」
メニーがあたしを見て、アメリを見た。
「リオン様が、どうかしたの?」
「え、メニー知らないの? テリーって…」
「そんなことより」
あたしは言葉を遮る。
「レイチェルはどうなったの?」
「…レイチェル?」
話題がレイチェルに戻った。アメリが首を振る。
「別に、何ともならないわ。レイチェルのお父様は帰ってこないし、お母様はママと遊んでたし、私達も、そんな感じ」
「…そう」
「でも、まあ、舞踏会も終わったし、デヴィッドの事もあったし、良いタイミングで帰ってきたって感じなのかしら」
そうそう。
「これ、いる? レイチェルから貰ったんだけど、私に似合うかわからなくて」
アメリがあたし達に差し出した。あたしは目を見開く。
レイチェルの、金色のブローチ。
一度目の世界で、あたしが奪い取って、返すのを忘れたはずの、ブローチが、アメリの手の中にあった。
(このブローチは、どんな形であれ、この屋敷に来る運命なのね)
あたしはメニーの胸元を見た。
「……………メニーに似合うんじゃない?」
「あ、いいかも。メニー、ちょっとつけさせて」
アメリが頷き、メニーの胸に金色のブローチをつけた。メニーの胸元が美しいブローチで彩られる。
「うん。綺麗。お高く止まってるわね。メニー」
「私、これ貰っていいの?」
「いいのよ。そのブローチ、私の好みじゃないし」
アメリが微笑む。
「これは、メニーにあげるわ。お土産よ」
「やった」
メニーがにこりと笑った。
「ありがとう。お姉様」
「どういたしまして」
メニーが金のブローチを見下ろし、ふわふわと微笑む。それを見て、アメリも満足そうに笑った。
「で、あんた達は一ヶ月、何してたの?」
あたしがお土産を開封しながら答える。
「勉強」
メニーが金のブローチを見つめながら答える。
「宿題」
アメリの目が点になった。
「……テリーが勉強してたの?」
「アメリ、クロシェ先生を舐めない方がいいわよ」
「ふふっ。あの先生美人よね。ママの知り合いの伝手なんだって。あの若さで三人も、しかも年齢がばらばらの子供の勉強を見るなんて、大変そう」
「あの先生にはそれが出来るのよ」
彼女には武器がある。
(大量の宿題という武器が…)
「あ、そうだ。宿題と言えば、メニー、これ開けてみて」
「何? これ」
アメリに渡されたお土産をメニーが開ける。中には、文房具のセットが入っていた。
「わあ、可愛い鉛筆」
「この消しゴムも可愛いでしょ」
「これ、私の?」
「そうよ。ママが勉強するようにって、一人ずつ買ったの」
「わあ…!」
あたしも包みを開ける。あたし用の文房具セットが入っていた。
(…あ)
レターセットも入ってる。
(ママ、分かってるじゃない)
あたしのコレクションがまた増えた。
「新しい筆箱が手に入ると、なんだかやる気がわくのよね。私も勉強頑張らないと」
アメリが微笑んで筆箱を抱きしめる。
(…そう言ってられるのも今のうちよ)
あの宿題の山を目の前にしたら、アメリはどんな顔をするだろう。
「ああ、そうだ。テリー、ママが言ってたんだけど」
「ん?」
「楽器、やらないかって」
「やらない」
「即答しないの」
「勉強で精いっぱいよ。これから作法のレッスンだって始まるんでしょう? 楽器なんてやってる暇ない」
「でも、ママがやらせたいみたいよ」
「アメリはやるの?」
「考えてる」
「ちょっと様子見てからにしたら?」
「でも、特技が増えるのは良い事だわ」
「自分の身にならないと意味ないじゃない。勉強もあって、レッスンもあって、疲れるじゃない」
「うーん」
「落ち着いてから始めても遅くないでしょ」
「でも、私はもう12歳だし」
「他の趣味見つけたら?」
「メニーはどう思う?」
メニーはお土産から新しい絵本を見つけて微笑んでいた。アメリに声をかけられて、顔を上げる。
「え? 何?」
「メニーには本があるものね。テリーには植物。そうね。…ビーズでもやろうかな」
「またブレスレットでも作る?」
「そうね。メニー、一緒に作る?」
「ブレスレット作るの?」
「三人でお揃いのにしましょうよ」
「賛成!」
(反対)
大量のお土産の箱に囲まれる中、あたし達の会話は続く。
一回目とは違う。
アメリとレイチェルは、そんな関係になることはなかった。
アメリがメニーに笑顔を浮かべることなどなかった。
三人でこうやって向かい合って、お土産を開封していることなどなかった。
(これも生《せい》が移ったせいかしら)
未来がまた変わった。
(あたしはどの方向に向かっているのかしら)
箱を開ける。中には、馬の置物。
(………)
あたしは、考えることをやめた。
何を考えても、どうしても、どうやったって、食べられた命は戻らない。
デヴィッドは戻らない。
メニーが馬の置物を見た。アメリが馬の置物を見た。あたしが馬の置物を見た。
デヴィッドはもう戻らない。
「…そうだ」
アメリが言った。
「黙祷しない?」
あたしとメニーがアメリを見た。
「何もしないよりは、いいでしょ」
アメリが両手を握った。
「一分だけしましょうよ」
メニーが両手を握った。
「デヴィッドは私達をすごく可愛がってくれたわ。これくらい、してあげてもいいわよね」
アメリの言葉を聞きながら、あたしは両手を握った。
「黙祷」
アメリの言葉と共に、あたし達は瞳を閉じ、馬に向かって、デヴィッドを頭の中で思い浮かべた。
(どうか。安らかに)
一分間、部屋はとても静かになった。
祈ったところで、届くかどうかはわからないけれど、
(デヴィッド)
何もせずには、いられなかった。
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