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二章:狼は赤頭巾を被る

第15話 お腹のすいた狼さん(2)

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 すっ。










 息を吸った。


 動きが止まった。


 道の外れた深い森。
 木と草しかない、猛獣が静かに暮らしているんじゃないかと思う、おだやかな森。
 曇が日差しを塞いで、暗くなった闇の森。

 あたしはぷらーん、とぶら下がる。

「………………」

 あたしは振り向かない。痛いくらいの視線の方向を絶対に見ない。そこには、あたしをさらった本人がいる。殺人鬼がいる。吸血鬼がいる。視線がいたたたた。

(…あたしがさらわれた)

 メニーじゃなくて、

(あたしがさらわれた)

 死が移った。

(あたしにやってきた)

 すっ。
 落ち着くために、息を吸う。
 はっ。
 落ち着くために、息を吐く。

(落ち着くのよ。テリー)

 あたしは言い聞かせる。

(あたしは大人よ。こういう時こそ、落ち着いて、冷静に行動するのよ)

 体が、がた、と震えだす。

(そうよ。吸血鬼なんて怖くないわ)

 体が、がたがた、と震えだす。

(さて、どうやって助かろうかしら)

 体が、がたがたがた、と震えだす。

(助けてくれる人はいない)

 体が、がたがたがたがた、と震えだす。

(あたしが自力で逃げ出すのよ)

 体が、がたがたがたがたがた、と震えだす。

(そうだわ。良い事思いついた)

 山に遭難したら人はどうする?
 海に遭難したら人はどうする?
 災害にあったら人はどうする?
 簡単だ。

 大声で、助けを求めるのだ。

 あたしの体が、恐怖で、がたがたがたがたがたがたがたがたがたがた、と震えた。

「誰かあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 あたしは叫ぶ。

「助けてええええええええええええええええええええ!!!!!」

 あたしは精一杯叫ぶ。

「たああああああああああすうううううううううううけえええええええええええええてえええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」
「きゃははははは!!」

 ケタケタと、吸血鬼が笑い出す。

「誰も来ないよ。すっごく奥に逃げたんだもん」
「ひっ! や、やめて! あ、あたしを食べても、美味しくないわよ! あたし、今、生理中で、下から血がどばどば出てるの!  他の人と比べて血の量も足りないの! つまり、あたしはご飯にもならないの! プティング程度の可愛い存在なの!」
「それは飲んでみないとわからないよ」

 でもね、分かるんだ。

「お姉ちゃんの血は、きっと、すごく甘いよ」

 美味しそうな匂いがしてるんだもん。

「うふふ。こんな匂い、初めて。もっと嗅がせて?」
「…………」

 あたしは、言葉を聞いて、声を聞いて、眉をひそめた。

(……女の子の声……?)

 あたしの目玉が動く。上を見上げる。
 長い髪の毛が揺れる。二つに結ばれた髪の毛がふわふわと揺れる。
 赤いスカートがなびく。どろだらけのシャツがなびく。

 赤い瞳の、小さな少女が、火傷の痕も無く、可憐に微笑んでいた。

(…………)

 あたしは瞬きを繰り返す。少女がにこにこと笑う。あたしは再び眉をひそめる。

「…どこかで見た顔ね」
「うふふ! 当ててみて。どこでしょう?」
「……………」

 赤い瞳に見覚えがある。
 どこかで見たわ。
 赤い瞳があたしを見ていた。
 赤い瞳があたしに微笑んでいた。

 紹介所で。


「……………」

 あたしはゆっくりと、口を開ける。

「宝石の名前だったわ」

 赤い宝石だった。

「小さいから、リトルって呼ばれてるって言ってた」

 ああ、そうだ。確か、

「リトル、ルビィ」
「せいかーい!」

 リトルルビィがにぱっと笑う。口の中から牙が見えた。顔に火傷はないが、片方の腕が火傷になっていた。皮膚がありえないほどどろどろに溶けている。湯気も立っている。リトルルビィが顔をしかめた。

「ああ、痛い、痛い」

 リトルルビィが腕を口元に押し付けた。

「あの人、聖水なんてかけてきて、意地悪。嫌い」

 リトルルビィが火傷で溶けた腕を舐めた。唾液が腕につく。すると、火傷をしていた皮膚が再生された。みるみる皮膚の形が戻っていく。腕が元に戻る。傷が完全に治った。

 あたしは目を見開く。
 リトルルビィはにんまりと笑う。

「すごいでしょう」

 リトルルビィが誇らしげに笑った。

「私の魔法だよ」
「…魔法?」
「そうだよ。私、魔法が使えるの」

 リトルルビィがあたしを地面に置いた。手を握られる。リトルルビィがあたしの正面に座って、にこにこ笑う。

「お姉ちゃんにも、魔法使ってあげる!」
「っ!?」

 リトルルビィがあたしの足を掴んだ。

(ひっ!)

 子供とは思えない力で、掴まれる。

「あっ! いや! やめて! 食べないで!」

 慌てて腕で顔を隠すと、リトルルビィの顔が、あたしの膝に近づいた。

(あ、そこ)

 さっき、転んだところ。

(た、食べられちゃう…! この小娘! ぺろって! あたしを食べる気なんだわ!!)

 やめてーーーーーー!!!

(だ、誰か! 誰か助けて!!)

「ひ、ひぃ! 嫌!」

 抵抗しようと足に力を入れるが、全く動かない。リトルルビィが、それ以上の怪力で、あたしの足を押さえつける。

「大丈夫よ。お姉ちゃん、痛くないから」

 リトルルビィの唇があたしの膝にくっついた。

(ひっ!)

 リトルルビィの口の中から、舌が出てきた。

(…………っ!)

 ぺろりと、あたしの膝の、傷を舐める。

「ぁっ…」

 あたしは後ずさる。だが、リトルルビィに押さえられた足は、全く動かない。リトルルビィがあたしの傷口を舐める。

「あっ…」

 体がぶるぶる震える。リトルルビィの舌が動く。

「あ、いやっ!」

 ビクッ、と肩を揺らすと、リトルルビィの舌が離れた。

「はい。おしまい」

 あたしはぶるぶると震え続ける。静かになった空気を感じる。薄く目を開けて、ちらっと膝を見た。

「…………………」

 傷は、どこにもなかった。

 リトルルビィがにこにこ微笑みながら、人差し指を、唇にくっつけた。

「私の唾には、魔法がかけられてるの。この唾がついたら、傷は全部治っちゃうの」

 傷口がね、塞がれちゃうの。皮膚と皮膚が再生しあって、くっついて、あっという間に怪我が治っちゃうの。

「だから、血を飲んでも、その傷さえ塞いじゃえば、誰も私がやったって、気付かないんだよ」

 その日の気分によって飲みたい量も違うから。

「全部が全部、殺してるわけじゃないんだよ」

 リトルルビィが不気味に微笑む。

「ああ、綺麗な目」

 リトルルビィがあたしに被さる。

「お姉ちゃんの目、とっても綺麗」

 リトルルビィがあたしに近づく。あたしは後ずさる。

「欲しいなぁ。その目」
「っ」

 リトルルビィがあたしの胸を押した。あたしの体が積もる雪の地面に押し倒される。上からリトルルビィが乗っかり、上から、あたしの目を覗き込んできた。

「ねえ、お姉ちゃん、名前教えて。教えてくれるって言ったでしょう?」

 リトルルビィがあたしのコートのボタンを外し、首元に頭を沈めた。あたしの体が自然と強張る。

(ひっ)

 リトルルビィがあたしの首の匂いを嗅ぎ始める。

「ここから、いい匂いがする…」
「っ」

 あたしは身を縮こませる。リトルルビィが鼻をあたしの首に押し付けた。あたしの体がピクリと跳ねる。リトルルビィの口角が上がった。

「ふふ。いい匂いがする」

 あまぁい、匂い。

「お姉ちゃんは、どんな味?」
「え?」

 リトルルビィの舌が、あたしの首筋を舐めた。

「ひぎゃっ!?」
「ああ、甘い…」

 リトルルビィがうっとりして呟いた。

「もっと、もっと味わわせて…」
「あ、や、やだ…!」
「砂糖みたい」

 甘い。甘い。甘い。
 私、甘いの、だぁいすき。

 ぺろりと舐める。
 ぺろぺろと舐める。
 ぺちゃぺちゃ舐める。
 あたしの肌が、吸血鬼に舐められる。

「あっ、や、やめ、やだ、…っ…!」
「あまぁい」

 リトルルビィがふわふわとにやける。

「お姉ちゃん、すっごく甘い」

 もっと。

「お姉ちゃん、もっと」

 お姉ちゃんの、赤。

「もっと、赤、欲しい」

 お姉ちゃんの赤が欲しい。

「赤、赤が、お姉ちゃんの、赤」

 手を掴まれて、押さえつけられ、上から密着され、ひたすら匂いを嗅がれる。

 まるで獣のように。
 まるで動物のように。
 まるで人ではないように。

(逃げ出さないと、どうにかして逃げ出さないと…!)

 あたしは辺りを見回す。人の気配はない。

(あぁあ、どうしよう、くそ、こうなったら…)

「あらぁ! 髪の毛さらさら!」

 あたしは笑顔で叫ぶ。すると、リトルルビィがきょとんとして、あたしを見下ろした。

「すっごい! 髪の毛! さらさらね!」
「…ん、そうなの?」
「わあー! 素敵素敵ー! 触ってみてもいーい?」
「…別にいいけど…」

 リトルルビィの手の力が緩む。あたしの両手が自由になった。

(話題をそらすのよ。何でもいいわ。何でもいいからとにかく話題を逸らすのよ。あたしならやれるわ! その隙に逃げ出すのよ! あたし、ふぁいと!)

 両手でわしゃわしゃとごわついた髪の毛の頭を撫でると、リトルルビィがにやけた。

「うふふふ! くすぐったい!」

 リトルルビィが笑い出す。あたしはさらに頭を撫でる。

「よしよしよしよし!」
「うふふ! ふふふ!」
「よしよしよしよし!」
「きゃははは! うふふふふ!」

 リトルルビィが笑う。犬であれば、尻尾を振っているように、楽しそうに、ケタケタ笑い続ける。

(よし! このまま機嫌を取り続けよう!)
(その間に、早く助けに来なさい!キッド!!)

「よしよしよしよし!」
「うふふふ! くすくす! ふふふふふ!!」

 あたしは上半身を起こし、リトルルビィの頭をさらに撫で回す。リトルルビィはあたしの腰に抱き着いて、離れない。

「よしよしよしよし!」
「えへへ…、なんか、ふわふわする」

 リトルルビィがあたしにぴったりくっついた。

「もっとして?」
「よしよしよしよし!」
「もっと、もっとしてほしいの」
「よしよしよしよし!」
「うふふふ! ふふふふ!」

 わしゃわしゃわしゃわしゃ!

「お姉ちゃん、優しいのね」

 リトルルビィが呟いた。

「こんな汚い髪に触ってくれたの、お兄ちゃんしかいなかったのに」

 あたしの手が止まった。リトルルビィを見下ろす。

「……お兄ちゃん?」
「うん」
「いるの?」
「いないよ」
「え?」
「もういないよ」

 リトルルビィが赤い目をあたしに向ける。

「だから、お腹すいたの」

 リトルルビィが、またゆっくりと起き上がる。

「私、お腹が空いてしょうがないの」

 ずっとずっと空いてるの。

「お兄ちゃんがいる時は、幸せだった」
「魔法使いさんが言ったのよ」
「これで幸せになれるって」
「赤を求めれば幸せになれる」
「赤を信じれば幸せになれる」
「赤は私達にとっての幸せ、幸福」
「私、とっても幸せだったのに」
「だからもっと赤を求めた」
「そしたらこうなった」
「これが究極の幸せだというの?」
「私は今幸せなの?」
「ふふふ」
「だとしたら幸せって何だろう?」
「ふふ。ふふふ。ふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「幸せ」
「お姉ちゃんがいるから幸せ」
「お姉ちゃん」
「ねえ」
「ふふ」
「名前教えて」
「名前なんていうの?」
「ふふ」
「名前」
「教えて」

 リトルルビィがあたしを抱きしめる。

「お腹すいた」

 リトルルビィがスカートのポケットから何かを取り出した。手を開ける。飴玉が転がっていた。

「あむ」

 口の中に入れて、舐める。

「ころころころころ」

 あたしを抱きしめて、放さない。

「この飴はね、魔法の飴なの」

 リトルルビィがあたしの耳元で囁く。

「幸せになるための力をくれるの」

 小さなルビィは飴を舐める。

「私は力を手に入れた」

 お兄ちゃんは力を手に入れた。

「私は赤を求めた」

 お兄ちゃんは赤を求めた。

「私が飲ませた」

 お兄ちゃんが私の赤を飲んでた。

「そうしたら、全部が幸せになった」

 私は平気だった。

「お兄ちゃんさえいてくれたら何でも良かった」

 お兄ちゃんはお金を持ってきた。ご飯を持ってきた。お菓子を持ってきた。お昼に出歩くことは出来なくなったけど、それでも良かった。

「お兄ちゃんさえいてくれたら」

 でもね、お兄ちゃんが嘆くの。

「もう嫌だって言うの」

 お兄ちゃんは幸せじゃなさそうだった。

「どうしたらいいのか考えたの」
「そしたら魔法使いさんが現れたの」
「飴を私にくれたの」

 これでお兄ちゃんが救える。

「私は飴を舐めたよ」
「体が痛くなったけど」
「体が熱くなったけど」
「でも、それを乗り越えれば楽になった」
「体が軽くなった」
「そしてとてもお腹が空いたの」
「赤を飲んだ」
「血を飲んだ」
「赤を求めた」
「お兄ちゃんが動けなくなった」
「私がお兄ちゃんを助ける番」

 お兄ちゃん、もう大丈夫。ほら、私の血を飲んで。

「お兄ちゃんは私の血を飲んだよ」




 お兄ちゃんは死にました。




「どうして?」

 リトルルビィの髪の毛が風で揺れた。

「どうして私の血を飲んだら、お兄ちゃんはいなくなったの?」

 吸血鬼が吸血鬼の血を飲んだ。

「なんで動かなくなったの?」

 毒が毒を飲んだ。

「あ、でも」

 とても気持ちよさそうに眠っていったの。

「それから、起きることがなかった」

 何度呼んでも、何度起こしても、

「お兄ちゃんは、もう二度と、起きないの」

 リトルルビィがあたしをきつく抱きしめる。マントも羽織ってない体。死体のように冷たい体。でも寒がってる気配はない。まるで狼のように、雪の中でも平気だとでも言うように、リトルルビィは平然と、あたしを抱きしめるまま。

「お姉ちゃん」

 あたしのパパは、もう戻ってこない。
 リトルルビィの兄は、もう戻ってこない。

「あったかい」

 リトルルビィは残された。たった一人で残された。

「…あったかい」

 あたしは残された。でも周りには家族がいる。

「もっと撫でて」

 ママとアメリアヌが死んで、あたしは一人、牢屋に残された。でも鼠達が傍に居てくれた。

「撫でて」

 リトルルビィは求める。愛を求める。ぬくもりを求める。孤独な少女は温かい赤を求める。求めてすがる。
 あたしのような罪人でも、人間であれば、愛を求める。

「撫でて」

 リトルルビィが微笑む。

「お姉ちゃんの手、あったかいから」

 罪人の手を求める。

「私、お姉ちゃんになでなでされるの、好きみたい」

 罪人のぬくもりを求める。

「もっと撫でて」

 罪人の愛を求める。

「撫でて」

 リトルルビィが、罪人を抱きしめた。

「お願い、お姉ちゃん。頭、撫でて」

 何も知らずに抱きしめる。
 無垢な少女が抱きしめる。
 何も知らない少女が抱きしめる。
 求めて求めて、愛を探して、
 罪にまみれたあたしを抱きしめる。

「お姉ちゃん」

 リトルルビィの牙が近づく。

「お姉ちゃん」

 あたしは動けない。

「お姉ちゃん」

 リトルルビィの吐息が、肌に当たった。

「お腹、空いた」

 リトルルビィの歯が、あたしの皮膚についた。


 ――――直後、リトルルビィが振り向き、立ち上がった。


「っ」

 速やかにあたしを両腕で抱える。

「ぎゃっ!?」

 移動する。水が飛んでくる。

(あっ)

「ご無事ですか! テリー様!」

 見下ろすと、キッドの関係者であろう大人達が、リトルルビィに向かって水鉄砲を向けていた。

「このっ!」

 大人達が水鉄砲を乱射させる。しかし、全てが見えているようにリトルルビィが軽々と避ける。あたしを抱えたまま、絶対にあたしを放さず、高くジャンプし、木の枝に着地した。

(へ!?)

 リトルルビィがジャンプする。木から木へと移動する。

(ぎゃああああああああ!!)

 目を瞑る。身を縮こませる。リトルルビィはあたしを抱えて移動する。ぴょんぴょん飛んでいく。人間から逃げていく。しかし水は飛んでくる。大人達は追いかけてくる。

「しつこいなあ…」

 リトルルビィが唸るように呟く。

「痛い目に合わせようか?」

 リトルルビィの赤い瞳が光る。あたしを抱えて地面に下りる。下りた途端に、あたしを地面に放り投げた。

(ひっ!)

 リトルルビィが水鉄砲を構えた三人の大人達の背に移動する。
 三人が気付く。振り返る。リトルルビィが腕を振った。大人達から血が噴き出した。腕の皮膚が切れていた。

「ぎゃ!」
「ぐ!」
「うっ!!」

 三人が怯む。リトルルビィがにっこりと微笑みながらあたしに振り返る。

「お姉ちゃん、ちょっと待っててね」

 一瞬、リトルルビィが消えた。同時に、周りから大人の悲鳴が聞こえた。

 きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
 うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 痛みを堪えたもの、唸り声、怯んだ声、周りから、木の中から、聞こえてくる。

(ひ…!)

 思わず耳を塞ぐ。

(ひ、悲鳴、悲鳴が聞こえる…!)

 あたしは体を丸くさせて、体を震わせる。

(怖い…!)

 悲鳴が聞こえる。

(あの子供がやっているの…!?)

 吸血鬼の少女が、笑顔で皮膚を切り、血を取り出す。

「キッド!」

 あたしは大声を上げる。

「こ、ここよ!」

 あたしは大声を上げる。

「早く来なさい!!」
「駄目よ」

 後ろから手が伸びた。口を押さえられる。あたしの目が見開かれた。

「声出さないで」

 赤い瞳があたしを見る。にこにこにこやかに。

「一緒にいよう」

 返り血まみれのリトルルビィがあたしの顔を覗き込む。

「お姉ちゃん、私と一緒に居よう」
「一緒にいて」
「私の頭」
「なでて?」
「そしたら」

 いいよ。お姉ちゃんなら、

「絶対に殺さないでいてあげる」
「お姉ちゃん!」

 リトルルビィの赤い瞳が動く。あたしの目が動く。草の中から、メニーが走り出てきた。

「っ」

 積もった雪の中に押さえられたあたしを見て、メニーが固まる。足を止める。目を見開く。

「…………」

 息を呑んで、ゆっくりと吸って、吐き出して、青い瞳が、赤い瞳を見つめる。

「女の子…?」

 メニーが動揺している。あたしを押さえつけるリトルルビィを見て、眉をひそめた。

「吸血鬼は…?」
「そんなに見たい?」

 リトルルビィが微笑み、あたしに顔を埋めた。

「いいよ。よく見てて」

 低い声で呟いたと思えば、あたしの首の皮膚に歯が当たった。

(あ)

 がぶっ。

「っ」

 あたしの息が止まる。メニーが息を止めた。リトルルビィに首を噛まれた。あたしの首から、血が溢れる。

(あ)

 ちゅ。

(ああ)

 じゅる。

(あああ)

 じゅるるるる。

(ああああああ)

 じゅるるるるるるる。

(ああああああああああああああああああ)

 じゅるるるるるるるるるるるるるるるる。

 あたしの体が震えだす。声が出ない。ぶるぶると震えだす。リトルルビィの喉の音が聞こえる。
 飲んでる。
 飲んでいる。
 あたしの血を、水のように飲んでいる。

「やめて!」

 メニーが雪玉を固めた。

「お姉ちゃんから離れて!」

 メニーが雪玉を投げた。リトルルビィがあたしの背中からいなくなる。唾液を残し、傷口は一瞬で塞がれる。あたしは慌てて顔を上げる。

「メニー!」
「っ」

 リトルルビィがメニーのすぐ目の前に立っていた。

「邪魔しないで」

 リトルルビィが腕を上げた。

「えい」

 振った。メニーが横に吹っ飛ばされる。

「ひゃっ!」

 メニーの背中が木にぶつかる。メニーが雪の地面にたたき落とされた。あたしは逃げようと身をよじらせる。

「っ…! っ…!」
「逃げちゃ駄目」

 瞬きすると、リトルルビィの足が見えた。あたしの目の前に、メニーが落とされる。

「ぁっ」

 メニーが唸る。瞼を上げて、眉をへこませて、あたしを見る。

「お、ねえちゃ…」
「この子、お姉ちゃんの妹?」

 メニーがうつ伏せにされる。その上に、リトルルビィが乗っかった。リトルルビィがメニーに問いかける。

「ねえ、どうしてここがわかったの?」
「………」
「ねえ、どうして?」

 リトルルビィがメニーに鋭い爪を見せた。メニーが一瞬たじろぎ、しかし、凛とした目で、リトルルビィに振り向く。

「…わかったんじゃない。無我夢中で走ってきたの」
「どうして?」
「お姉ちゃんが貴女にさらわれたから」

 リトルルビィがの目が冷たくメニーを見る。
 メニーがあたしを見た。

「お姉ちゃん、あの人がお姉ちゃんを探してる。私、止められたの。必ず見つけるから馬車で待っててって、言われたんだけど、どうしても出来なかった」

 あたしの手の上に、メニーが手を重ねた。

「もう大丈夫。一人じゃないよ」

 メニーがあたしに微笑んだ。

「私達は、二人で一つのトラブルバスターズだもん」

 メニーがあたしの手をしっかりと握った。

「もう怖くないよ」

 メニーが笑った。

「私が傍に居るよ。テリーお姉ちゃん」

 あたしは眉をひそめた。
 メニーを見つめる。
 メニーがあたしを見つめる。
 手が握られる。
 あたしは握り返さない。
 それでも手は握られる。
 メニーが微笑む。
 あたしは笑わない。
 メニーは笑う。
 あたしの手を握って、ひたすら、笑う。

「お姉ちゃん」
「黙れ」

 リトルルビィがメニーの手首を掴んだ。

「黙れ」

 ぐっと掴んだ。メニーの手が強張った。

「黙れ!」

 リトルルビィが怒鳴った。メニーの手を掴んだ。メニーが唸った。

「うっ!」

 手がぶるぶる震えだす。あたしは慌てて体を起こす。

「やめっ!」

 リトルルビィがあたしを睨んだ途端、ドッ、と重力が重くなった。

「っ」
「あっ」

 メニーが重力に押される。あたしもどうしてか、雪に押しつぶされる。リトルルビィがメニーを睨んだ。

「離れろ」

 リトルルビィがメニーに唸った。

「お姉ちゃんから離れろ」
「…やだ」
「離れろ」
「やだ」
「離れろ!」
「やだ…」
「離れろ!!」
「…っ」

 メニーが震える手であたしの手を握る。それが許せないリトルルビィは、さらにメニーの手首を握る。メニーが痛みで顔を歪める。

「……ぐ……」
「痛いでしょう? 痛いならこの手を離して。離したら私も離れてあげる」
「やだ…」
「骨を折ろうか? 私、折れるんだよ」
「…やだ…」
「手を離して」
「………」
「私の邪魔をしないで」
「……………」
「ああ、そう」

 リトルルビィがメニーに体をかがませた。

「お前から殺してやる」

 リトルルビィの牙が見えた瞬間、今まで動かなかったあたしの体が簡単に起き上がった。手が動き、腕が動き、あたしがリトルルビィを思い切り突き飛ばした。

「っ」

 リトルルビィがころんと雪の中に転がる。今度はあたしの手がメニーを引っ張り、メニーがあたしの胸に倒れる。

「わっ」

 あたしは立ち上がる。メニーを引っ張り上げる。

「お、おね…」

 あたしの足が動く。メニーが引っ張られる。

「あ、痛い…」

 メニーが転んだ。あたしは引っ張る。

「おねえちゃ」
「逃げるわよ」
「でも」
「早く!」
「駄目」

 メニーの手首が掴まれた。

「駄目よ」

 反対方向にメニーが引っ張られる。あたしとメニーの手が離れる。メニーが消えた、と思ったら少し遠くに移動したリトルルビィと、座らされるメニーが現れる。メニーの肩を掴み、リトルルビィがメニーの首に歯を当て、あたしを見た。

「この子、助けたい?」

 あたしは固まる。メニーが固まる。リトルルビィがにこりと笑った。

「お姉ちゃんがここに残ってくれるなら、今回だけ、助けてあげるよ」

 リトルルビィが笑う。

「私、お姉ちゃんのこと気に入っちゃった。ずっと頭撫でてほしいの」

 リトルルビィが、爪をメニーの皮膚に当てた。

「傍に居てくれるなら、この子、助けてあげる。何もしない」

 でも、

「お姉ちゃんはこれから、私と一緒にいて」

 それだけでいい。

「傍にいてくれるだけでいい」

 それだけでいい。

「傍に居て」

 リトルルビィの赤い瞳は、純粋そのもの。

「助けたいなら」

 鋭い歯を見せる。メニーが首を振る。

「お姉ちゃん、私なら大丈夫だよ」
「早く」

 リトルルビィがメニーの首に息をかける。

「早くして」

 歯をメニーの首に充てた。

「早く、答えて」




 あたしは雪の上に座った。




「分かった」

 大人しく、座る。

「いいわ。傍に居る」

 メニーが目を見開く。

「解放してあげて」

 リトルルビィが固まった。

「メニー、逃げなさい」

 あたしは大人しくする。

「あたしは残る」
「駄目」

 メニーがリトルルビィから簡単に離れる。あたしに駆け寄った。メニーも座る。

「駄目、そんなの駄目」
「いいから」
「私も残る!」
「逃げなさい」
「私もいる!」
「逃げなさい!」

 メニーがぎょっと肩を揺らした。あたしはメニーを睨みつける。

「早く行って」
「でも」
「早く!」
「や、やだ」
「早くしなさい!」
「やだ!」
「メニー!」
「やだ!!」

 メニーが潤んだ瞳を浮かばせて、あたしに抱き着いた。

「私も残る!!」

 メニーの体が震える。あたしはただ抱きしめられる。リトルルビィは体を震わせるメニーを、ただただ、見下ろしていた。

「………………」

 リトルルビィが息を吸った。

「お兄ちゃんもそうだった」

 リトルルビィがあたし達を眺める。

「何かあったら、先に私に逃げろって言ってた」

 背中をとんと叩かれて、私は逃げた。

「走ったら、お兄ちゃんは必ず追いかけてきてくれた」

 赤い目を光らせて、私の後を追ってきた。そして言ってきた。もう大丈夫って。怖いものは無くなったって。

「…………」

 リトルルビィが振り向く。彼女の兄は、もう追ってこない。

「……誰も相手にしなかったくせに」

 子供だから仕事をくれなかった。

「貧しい生活にいても、見向きもしなかったくせに」

 吸血鬼になった途端、恐怖の目が向けられた。

「血を飲んで人を殺して」
「物を盗んでお金に換えた」
「お兄ちゃんはだんだん生活に慣れてきてた」
「私は幸せだった」
「お兄ちゃんがだんだん弱っていった」
「でも、お兄ちゃんがいたから」
「まだ、お兄ちゃんがいたから」
「細くなっても」
「小さくなっても」
「お兄ちゃんがいたから」

 メニーとあたしを、リトルルビィが見つめた。

「いいな」

 リトルルビィが涙を流した。

「いいな」

 リトルルビィの赤い瞳から、赤い涙が流れた。

「いいな」

 リトルルビィの鼻の穴から、赤が流れた。

「いいな」

 リトルルビィの耳から、赤が流れた。

「イイナ」

 リトルルビィの爪から、赤が流れた。

「イイナ」

 リトルルビィの毛穴から、赤が流れた。

「イィナ」

 リトルルビィの皮膚がうごめいた。

「イ■イ_ナ」

 リトルルビィの腕が、びきびきと音を立てた。

「縺?>縺ェ」

 リトルルビィの体が震えだした。

「ィ???■縺<|な」

 リトルルビィの腕から、肉の塊が噴き出た。血が飛び散る。

「あっ」

 リトルルビィの肌の再生が回転する。

「やっ」

 肉が現れる。

「はっ」

 体が痙攣する。

「あっ」

 肉が現れる。

「んんんんんんんんんん」

 リトルルビィの体にどんどん毛が生えてきた。

「遘√?蟷ク縺帙?ゅ□縺」縺ヲ襍、縺後≠繧九°繧」

 リトルルビィの全身が茶色の毛で包まれる。

「縺雁?縺。繧?s縺斐a繧薙↑縺輔>」

 リトルルビィの血管が浮かび上がる。

「お?ぃ???■??ゃ,:p-螟ァ螂ス縺」

 リトルルビィの体が大きくなる。
 リトルルビィの体が毛だらけになる。
 リトルルビィの体が獣になる。
 リトルルビィの牙が鋭くとがっていく。
 リトルルビィの爪が鋭くとがっていく。
 リトルルビィの目が赤く光る。





「オ腹、空イチャッタ」





 皮膚と皮膚が重なり合い、腕に腕が生えて、耳がぴこぴこ動いて、しっぽがふわふわ動いて、赤い目をぎょろぎょろ動かす、

 歪な獣が、立っていた。



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