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ソフィア

図書館司書のドッグタイム(2)

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 屋敷までの静かな帰り道。


 テリーは歩く。馬車はなぜか拾わない。隣にはソフィアが歩く。無言で歩く。ゆっくりと歩く。ソフィアはいつも通り微笑んでいる。テリーはいつも通り不愛想。

「……ごめんね。こんなことになって」
「何が?」
「あの子を見せたかったんだ」

 ちぎれんばかりに尻尾を振ってくる、あの子を。

「いつもは元気なんだけど、今日に限って運が悪かったみたい」

 あんな小さい体で、酔っ払いに絡まれてしまった。

「……あの子犬、大丈夫なの?」
「安静にしてたら大丈夫だって」
「そう」

 テリーがそっけなく返事を返し、ソフィアも黙る。

「……心配?」
「……そりゃあね」
「あんた、飼うの?」
「そうだなぁ。どうしようか?」
「……飼わないのに愛情を見せたら駄目じゃない。向こうが期待するでしょ」

 ソフィアが黙る。テリーの正論は氷のように胸に突き刺さる。

「……分かってるんだけど」

 だけど、

「同じように見えたんだ」
「同じって?」
「私と」

 夜風が吹く。二人の顔に当たる。広場のにぎやかな音がなくなってくる。

「なんだか、ずっと両親を待ってる私に見えてしまってね」

 死んだのに。
 それでも、助けに来てくれるのではないかと。
 もう会うことはないのに。
 まだ会えるような気がして。
 ありえないのに。
 また温かい両腕で抱きしめてくれる気がして。
 待ってる。

 待ってる。


 帰る場所で、待っている。



「そんな風に、勝手に見えたんだ」

 ソフィアの足が止まる。テリーも足を止め、振り向く。

「……ソフィア?」
「テリー」

 ソフィアが、美しく微笑む。

「ねえ、こっち来て」
「……なんで」
「くすす。嫌そうな顔」

 しかし、手招きをする。

「ねえ、来て」
「……何よ」

 テリーの足が動く。黙ってソフィアに近づく。ソフィアの手が動く。ゆっくり上げられ、テリーの頭に置かれる。
 テリーがきょとんとする。
 ソフィアが微笑む。
 そのまま、撫でられる。

「……何」
「無性に頭を撫でたくなったの」
「……へえ」

 冷たい目を向けられる。ソフィアは微笑み続ける。

「ねえ、ソフィア」
「うん?」
「知ってる? 人の心理として、相手にやることは自分がやってほしい行動である時があるのよ」
「へえ。そうなんだ」

 テリーの頭を撫でる。その手を掴まれる。

「……ちょっと屈みなさい」
「ん? なんで?」
「屈め」
「君が背伸びすればいい」
「届かないのよ! さっさと屈め!」
「はいはい」

 くすすと笑い、言われた通り、体を屈ませる。テリーの腕が伸びる。

(ん)

 テリーの手が、ソフィアの頭を撫でる。

(……)

 ソフィアは微笑んだまま。だがしかし、表情は固まる。テリーの手がソフィアの頭を撫でる。自分がしたように、優しく優しく撫でてくる。

「……」

 ソフィアは笑みを崩さない。
 テリーの手は撫で続ける。
 ソフィアの腕がテリーに伸びた。
 テリーを抱きしめる。

「っ」

 テリーの肩が驚いて揺れ、ソフィアを睨む。

「ちょっと」

 テリーの肩に、ソフィアが顎を乗せる。

「ちょっと!」
「ふう」

 ぎゅっと抱きしめる。

「ソフィア!」
「ほら、早く頭撫でて」
「お前! ここ! 外!」
「良かったね。人通りがなくて」

 暗くなったせいか、街灯が光るだけ。人は歩いていない。

「撫でて。テリー」
「……くそが……」

 言葉とは裏腹に、動き出した手は優しい。
 そっと動いて、
 ゆっくり動いて、
 あやすように動いて、
 なでなでと動いて、
 子供に、寂しくないよと、言葉を吐くように、
 温かい手が頭を撫でる。

「テリー、気持ちいい」
「あ、そう」
「もっと撫でて」
「はいはい」

 ぽんぽん。

「嫌だ。なでなでがいい」
「はいはい」

 なでなで。

「テリー、好き」
「あ、そう」

 なでなで。

「明日暇?」
「なんで」
「テリーの様子を見に行かないと」

 なでなで。

「あたしの様子?」
「くすす。違うよ。子犬の方」

 なでなで。

「はあ? あんた、あたしの名前で呼んでるわけ?」
「似てるんだよ。目つきの悪いところとか」
「ああん!?」

 手が止まる。

「ほら、止めない」
「てめっ、何言ってくれたか分かってんのか! あたしの目つきが悪いですって!? 見てみなさいよ! このつぶらで美しくて可愛いあたしのきらきらぴかぴかしたおめめの、どこが悪いですって!?」
「いつも自分で言ってるくせに」
「自分で自分のことを言うのはいいのよ! でもてめえに言われるのだけは許せない!!」
「何それ」

 ソフィアの手がテリーの顎をすくった。クイ、と上に持ち上げられる。テリーの目をじっと見る。ガラスのような瞳の中には、自分だけが映っている。

「ああ、本当だ。つぶらで美しくて、可愛いおめめ」

 にこりと微笑むと、テリーが黙る。頬をほんのり赤く染め、むぐ、と口を閉じる。

「ん?」

 ソフィアが首を傾げる。

「あ、そういえば、テリー」
「えっ、何?」

 声を出した途端、ソフィアの顔が前に出た。テリーの唇に、唇が重なり、ぴったりくっつき、柔らかな唇の感触を感じる。

(何!?)

 テリーの目が見開かれる。

(このやろっ!)

 肩を押す。ソフィアが抱きしめてくる。

「んっ!?」

 くっついているのに、引き寄せられる。

「……んっ……」

 ソフィアの手がテリーの顎を掴んで離さない。
 ソフィアの手がテリーの腰を掴んで離さない。

「……んっ、……んぅっ……」

 眉をひそめ、肩を押してもソフィアは動かない。唇が重なり合う。

(……息が……)

 体が震え出すと、ソフィアの口がようやく離れた。

「ぶはっ!」

 テリーが息を吐き出し、呼吸して、ソフィアを睨む。

「ソフィア!」

 またくっつく。

(むぐっ!)

 ソフィアの崩れそうな唇が、重なってくる。

「んっ……」

 離れる。

「ソフィアッ……」

 重なる。

「んんぅっ……」

(ごめんね)

 唸るテリーに、ソフィアが頭の中で謝罪する。

(止まらないんだ)

 あまりにも温かくて、
 あまりにも胸がいっぱいになって、
 あまりにも寂しさを恋で埋めてくれるから、

(ごめんね、テリー)

 もっと欲しくなって、

(許してね。テリー)

 悪いのは君だよ。

(期待させちゃいけないんだよ)

 もっと欲しくなってしまうから。

(これは、お仕置きだよ)

 期待をさせた、お仕置き。

(悪い子には罰を与えないと)

 黄金の目は光らない。

(欲しい)

 黄金の目は意味がない。

(欲しい)

 その体を強く抱きしめる。

(テリーが欲しい)




 ――そっと、瞼を上げる。

 テリーも瞼を上げる。
 お互いの目が合う。
 唇が寂しげに離れた。

「……」
「……」

 ソフィアは微笑む。頬を赤らめて、にこにこ微笑む。
 テリーは睨む。真っ赤な顔でソフィアを睨む。

「……てめえは馬鹿よ」
「くすす」
「ばか」
「くすす」
「不埒な奴」
「くすす」
「はしたない女め」
「くすす」
「外でキスするなんて、最低」
「……ふーん?」

 じゃあ、

「中ならいいの?」
「っ」

 テリーがぎょっと目を見開き、慌てて目を逸らした。

(くすす)

 ソフィアが笑う。その隙に、テリーが腕を振りほどく。

「もう帰る!!」

 林檎のように顔を真っ赤に染めて、怒鳴る。

「帰る!! あたしは帰る!!」

 どすんどすんと、足を踏みつけて前に進む。その姿に、またくすすと笑って、ソフィアが背筋を上に伸ばした。

「待って。テリー」

 足が喜んでテリーを追いかける。

「ねえ、今日泊まっていけば?」
「帰る!!」
「私の部屋で、もっといいことしよう?」
「帰る!!」
「明日、テリーの様子を見に行こうね。お昼に待ち合わせ」
「……分かった」
「ランチしよう。私の部屋で二人きりで」
「それは行かない」
「照れ屋さん」

 ソフィアの手がテリーの手を握った。

「恋しいよ。テリー」
「……ほざけ」
「好き」
「……言ってなさい」
「大好き」
「……」

 顔を俯かせたテリーの耳が赤い。それを見て、ソフィアは笑う。

(……今日はこれくらいにしてあげよう)

 手を握る。

(愛してるよ。テリー)

 言葉には出せない。だからせめて愛だけでも。この気持ちだけでも。

(伝わらないかな)

 手を握る。

(伝われ)

 大きな手は、小さな手に握り返される。

「……」

 ソフィアは黙る。微笑んで黙る。
 テリーも黙る。いつものむくれた顔で黙る。

 空には満天の輝かしい星空が広がっていた。



(*'ω'*)




 ――翌日、動物病院でソフィアは驚いた。その事実に驚いた。

「逃げ出した?」
「はい……」

 同じ年齢くらいの男性が、子犬のテリーを大切に撫で、ソフィアに説明した。

「この間、雷が鳴りましたよね」
「……ああ……」

 すごい雨だった。雷が何度も鳴って、図書館にいた子供が泣き出すくらい。

「その時に、柵から逃げたようでして、ずっと探していたんです……。親犬も両方心配していて……」

 親犬、と聞いて、ソフィアの口角が自然と緩む。

「家族、ちゃんといるんですね」
「はい。それはそれは仲良しで。兄弟もいますよ」
「そうですか」

 テリーを見る。主人に頭を撫でてもらえて、どこか落ち着き、安心しているような顔をしていた。

(……捨てられたわけじゃなかったんだ)

 驚いて、家から逃げ出しただけか。

「くすす。良かった」
「あの、お礼をさせてください!」

 男性がソフィアの手を握った。

「一目見た時から、何かがびびっときました! 良かったらこの後ワンちゃん達とのお散歩デートに!!」
「遠慮します」
「ぜひ!!」
「遠慮します」
「ぜ」
「遠慮します」
「z」
「よしよし」

 無視して、ソフィアがテリーの頭を撫でる。体は包帯だらけ。だが、落ち着いている。

「もう逃げ出しちゃ駄目だよ」
「わん!」

 ソフィアの手に気付き、きつい目つきが緩み、微笑むようにソフィアの手にすり寄ってくる。

「くすす」

 頭を優しく撫でる。

「お別れだ」
「わん!」
「元気でやるんだよ」
「わん! わん! わん!」
「この子、名前なんて言うんですか?」

 主人に訊けば、デートを断られ落ち込んでいた主人が顔を上げる。

「あ、ペリーです」
「ペリー」

(ああ、確かに似てるな)

 呼んでみる。

「テリー」
「わん!」
「ペリー」
「わん!」
「メニー」
「わん!」
「あはははは!」

 ソフィアが肩を揺らして笑い、ペリーの頭を撫でた。

「またどこかで会おう。ペリー」
「わん!」
「元気でね」

 そっと手を離す。主人がソフィアの美しさにぼうっと見惚れる。ソフィアが頭を下げ、病室から去っていった。廊下には、テリーが水を飲んで待っている。

「お待たせ」
「ん。もういいの?」
「主人が見つかったんだって」
「ふーん」

 紙コップを捨て、廊下を歩き出す。

「……見つかったのね」
「うん」
「見つからなかったらどうしてたの?」
「どうしてたかな。殿下に頭を下げて、動物も住めるような新しい部屋を用意してもらって引っ越してたかな」
「……引き取れば良かったのに」
「家族もいた」

 ちゃんと彼にはいた。

「良かったよ。捨てられてなくて」

 捨てられるのは、

「私だけで十分だ」

 ソフィアは笑う。くすすと笑う。
 その笑みをテリーは睨む。

「あんた、今のキッドの前で言ってみなさい。斬られるわよ」
「……そうだね。こんな悲観的な言葉、あの方は絶対に気にくわない」

 ソフィアが微笑みながらテリーを見下ろす。

「ねえ、テリー、この後、暇?」
「何?」
「ホテルに行こう」
「なんでお前なんかに彼氏がいたの?」
「仕方ない。デートに変更しよう」
「ねえ、やることを下げればついていくと思ってるの? 行かないわよ」
「じゃあ散歩でいいや」
「行かない。あたしは帰ってお勉強するの」
「じゃあちょっと歩こう。15分くらい」
「……それならいいわ」
「やった」

 テリーの手を握る。

「行こう」
「ちょ」

 ソフィアが歩き出す。テリーが引っ張られるようについていく。

「速い」
「くすす! 失敬」

 病院の扉が開けられる。外は、澄み渡る晴天の匂いがしていた。







(*'ω'*)




 6月26日。


 閉館された図書館にクラッカーが鳴り響く。

「ソフィアさん! お誕生日おめでとうございます!」

 一緒に働く同僚達、先輩達が拍手をする。花束や、プレゼントを渡される。ソフィアはにこりと微笑む。

「ありがとうございます」
「ソフィアさん!!」

 兵士が、警察が、司書が、男性が、跪き、手を差し出す。

「一目見た時から好きでしたーーーーー!!!!」
「付き合ってください!!!」
「恋人になってください!!!!」
「彼氏にしてください!!!」
「結婚を前提にお付き合いを!!」
「むしろ結婚してください!!!」
「貴女を幸せにします!!!」
「ごめんなさい」

 その一言。男性たちが顔を上げる。ソフィアは微笑む。

「ごめんなさい」

 全員、その場に倒れる。地面には涙の海。囲まれたソフィアは相変わらず天使のように微笑んでいる。
 メニーとリトルルビィとテリーは、そんな光景を横目にケーキを貪る。

「へリー! ほれふっほふほいひいほ!」
「リトルルビィ、食べるか喋るかどっちかにしなさい」
「ほへえはんほはへへひへ! ほいひいほ!」
「メニー、貴族令嬢として、喋る前にちゃんと味わって食べなさい」
「にゃー!」
「ドロシー、あんたは猫のくせに生意気よ」

 がつがつ食べるドロシーをテリーが見下ろしながら、優雅に紅茶を飲む。

「このチーズケーキ美味しいわね。どこの店かしら」
「キッドが手配したんだって!」
「ああ、そう」

 自分が来られない代わりに、すごくおいしいケーキを。そしてすごく素敵なプレゼントを。

(万年筆)

 ソフィアが自分の名前が掘られた筆を見て、微笑む。

(確かに素敵です。キッド殿下)

 でも、ごめんなさい。

(こっちの方が素敵)

 足がこっちの方向へ向かう。

「テリー」
「っ」

 背中から抱きしめると、驚いたテリーの体が揺れた。忌々しげに振り向かれ、ソフィアが微笑む。

「ねえ、まだ君からプレゼントを貰ってないんだけど」
「あとであげるわ。今はケーキ食べてる」
「じゃあ、これにサインして」
「……何これ?」

 差し出された書類は、婚姻届。テリーは思いきり書類を破った。

「ふんぬ!!!!!!」
「ああ、酷い。私の生まれた日なのに。こんなのあんまりだ」
「よくもそんな笑顔でいけしゃあしゃあと言えるわね。あたしまだ14歳にもなってないのよ! このロリコン! 去れ! あたしの前から去れ!」
「そうよ! ソフィア!」

 ケーキを飲み込んだリトルルビィが声を高らかに上げた。

「テリーは、私と結婚するのよ!」
「しない」
「リトルルビィ、何言ってるの?」

 微笑むソフィアが声を高らかに上げた。

「テリーは、私と結婚するんだよ!」
「しない」
「ソフィアとしないって!」
「リトルルビィともしないって」

 ばちばちと二人の間に火花が飛び散る。

(……大人げない)

 テリーがソフィアを見上げる。その視線に気づく。ソフィアが見下ろす。テリーと目が合う。にこりと微笑む。

「テリー、ケーキついてるよ」
「え、何!? どこよ!?」
「ここ」

 そう言って、テリーの綺麗な頬にキスをする。
 テリーが硬直する。
 メニーが硬直する。
 ドロシーは気にせずケーキを食べる。
 リトルルビィは火山が噴火する。

「ソフィアーーーーーーー!!!!」
「くすすすすすす!!!!」

 また取っ組み合いが始まる。
 またいつもの日常が戻ってくる。
 これがソフィアの日常だ。
 キッドがいて、メニーがいて、リトルルビィがいて、テリーがいて、今日も、明日も、図書館で働く日常が続けられる。

(それも、まあ、悪くない)

 気が向いたら、彼にも会いに行けばいい。

(私は私で、元気にやるよ)

 自分を噛もうとしているリトルルビィを押さえつけながら、ソフィアはいつものように、くすすと笑った。








 図書館司書のドッグタイム END
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