青い瞳のウミ

千曲 春生

文字の大きさ
上 下
13 / 13
番外編 天国のある場所

番外編 天国のある場所 後編

しおりを挟む
 空港からリムジンバスで街の中心地へ移動した。この近くの喫茶店で叔父さんと待ち合わせをしているらしい。路面電車
バスの中で、父はずっとなにかを考えているような、深刻な表情をしていた。
「ちょっと待ってて」
 バスを降りると、父は小走りで近くにあった土産物屋へ入っていった。
「なんだろう……」
 ほどなくして、出て来た父の手に握られていたもの。それは、ストラップだった。犬とミカンがまざったようなキャラクターのストラップだった。
「これ、持っておいてくれ」
 父は、戸惑うチサトに半ば強引に、ストラップ渡した。
「どうして……」
「もう、なにもあげられないもしれないから、誕生日も、クリスマスも、一緒にいられないかもしれないから……」
 ああ、そうか。チサトはもう、誕生日を祝ってもらえるかわからないんだ。クリスマスプレゼントを楽しみにベットに入ることもできないかもしれないのだ。
 いつ、死んでしまうかわからないから。
 父の泣きそうな顔。チサトははじめて見た。
「こんなのが、こんなのが、最後のプレゼントかもしれないなんて、ごめんな」
 チサトはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。嬉しい。とっても嬉しいよ」
 チサトの目に、涙がたまってくる。
 父の気持ちが嬉しかった。そして、確実に近づいている別れの時、その淋しさを、恐怖を強く自覚した。
「ごめん。トイレいってくる」
 チサトは近くの公衆トイレに小走りでむかう。父には、笑顔を見せていたかった。今日はずっと笑顔を見せていたかった。
 その手には、しっかりとストラップが握られていた。

 トイレで一通り泣いたあと、涙の痕を水で流した。
 ストラップをスマートフォンにつけてみる。なんだかより一層愛着がわいた。
「うん。私、大丈夫」
 元の場所に戻ってくると、そこに父の姿はなかった。
「お父さん? どこ?」
 チサトは注意を見渡した。
 行きかう人たちの中、遠くに父のような男性の背中が見えた。細い路地に入っていくところだった。
「お父さん」
 チサトはその背中を追う。
「お父さん」
 人ごみをかき分け、チサトは走る。医師からは激しい運動は控えるようにといわれている。だけど、今のチサトの頭からその言葉は消え去っていた。
「お父……さん……」
 息をきらせながら、男性に追いついた。
「へ? どうしたの?」
 その男性は、父ではなかった。後姿が似ているだけの、別人だった。
「ごめんなさい……人違いです」
 チサトがいうと、男性は歩いていった。
「戻らなきゃ」
 チサトが元来た道を惹き返そうとしたときだ。

 ニャー

 声がした。
 足下を見ると、一匹のネコがいた。頭のてっぺんから尻尾の先まで黒い猫だった。
「野良ネコさん?」
 そういってから、ネコの首に巻かれた赤い首輪が目に入った。白い布が縫い付けてあって、そこにマジックペンのようなものでこう書かれていた。

『松山市道後姫塚×番×号』

 チサトにも、それが住所だということはわかったけれど、読み方がわからないし、もちろん、この住所が指す場所も見当がつかない。
「もしかして、あなたも迷子なの?」
 チサトの言葉に返事をするように、ネコは『ニャー』とないた。
「じゃあ、一緒にいこっか」
 抱き上げると、ネコは驚くほど素直に、一切抵抗することなく腕の中に納まった。
 チサトは、元来た道を歩きはじめる。

 とりあえず、路面電車が走っている大きな道まで戻ってくることは
できた。
「うん。大丈夫。大丈夫」
 父には何度も電話をかけた。でも、応答がない。
 チサトは、ネコを抱いたまま道を歩いていく。
 また、父に会えるだろうか。
 もしも、このまま会えなかったら。
 もしも、この見知らぬ土地で一人ぼっちになってしまったら。
 不安ばかりがつもっていく。
 海辺の街で暮らしたいなんて、いうんじゃなかった。
 住み慣れた、東京に居続けたらよかった。
 お父さんと、お母さんと、いっしょに居続けたらよかった。
 そう思った次の瞬間、声が聞こえた。
「ちょっと待って!」
 チサトは、足を止めて振り返った。

 夢を見ていた。
 ここは病室で、目の前にはベット。そこに横たわるヒナミさん。
 チサトは、丸椅子に座ったまま、眠っていた。
 もう、あの日から二年がたつ。
 偶然出会った少女、高浜ヒナミさん。
 地元の人。
 気さくに話しかけてくれた人。
 二つ年上の人。
 とっても、心強かった。
 笑いかけてくれたあの笑顔で、救われた気になれた。
 ヒナミさん……。
 その少女は、チサトを庇い、車に跳ねられた。
 その光景は、今でも鮮明に浮かんでくる。
 あの交差点へは、今もいくことができずにいる。
 そしてヒナミさんは、今も眠ったままだ。
 この二年間、チサトはほとんど毎日、お見舞いにやってきている。
 ヒナミさんのお母さんは、そんなチサトを優しく迎えてくれた。非難されてもおかしくないはずなのに、そんなことは一切なかった。
 チサトは時間の許す限り、ヒナミさんに話しかけた。東京にいたときにあったこと、松山に引っ越してからの出来事……。
 しかし、何らかの反応が返ってくることは一度としてなかった。
 ヒナミさんの髪や爪は伸びる。ヒナミさんのお母さんが定期的に手入れしている。それが、唯一のヒナミさんの命の証拠だった。
 引っ越してきた海辺の街は、チサトが憧れた風景そのものだった。転校先の学校では友達もできた。先生も優しく接してくれた。

 ヒナミさんをこんな状態にして、いつ死んでも不思議でない自分が幸せを感じようとしている。

 そのことに気付いた途端、目元に涙が滲んでくる。
 命に優劣があるなら、生きるべきはチサトではなくヒナミさんだったはずだ。なのに、今、自分が生きていることを嬉しく思ってしまっている。
 引っ越してからも、自分の診察の為に通院している。
「予想よりも状態がよくなっている」
 お医者様にはそういわれた。
 どうして、生きてしまったのだろう。
 涙が、頬を伝う。
 そのとき、微かにヒナミさんのまぶたが動いた。
 見間違いかと思った。
 だけど、そうじゃなかった。
 ヒナミはゆっくり目を開いた。
 しかし、虚ろな目で天井を見つめたあと、再びまぶたは閉じていく。
「ヒナミさん! 駄目です! 寝ないで!」
 チサトは咄嗟にヒナミの両肩を掴むと、体を激しく揺らした。
「ヒナミさん、寝ちゃだめです! 起きてください!」
 再び、ヒナミさんのまぶたが開く。その目には、チサトがうつっていた。
「おきてくれたんですね。ヒナミさん」
 ゆっくりとヒナミさんの唇が動く。
「ごめんね。怪我、しなかった?」
 一瞬、なんの話かわからなかった。
 だけど、すぐに気がついた。
 二年前の交差点の続き。チサトがヒナミさんに突き飛ばされたときのことだと。
「なんで、なんで私の心配をしてくれるんですか」
 どうせ、長生きできないのに。
「だって、怪我したら嫌でしょ?」
 また、目元から涙があふれてくる。
「お医者様呼んできます」
 そういって、チサトは病室を飛び出した。

 神様。どうか、少しだけ、ヒナミさんと過ごせる時間を下さい。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

処理中です...