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儀式を泳ぐ
聖女は織部色の瞬きを見つめる
しおりを挟むお姫さまの言葉に、時が止まったみたいな静寂が訪れる。この世界で音を立てているのは、私の心臓の音だけだと錯覚するくらい耳に響いているのは、いつもより早い鼓動の音だけだった。
(私、ばかみたい……)
一人で勝手にベルデさんの好きな人に会えると期待して、冷たくされて裏切られたみたいに感じるなんてだめなのに、つむった目の奥がじゅわっと熱くなって、涙がこぼれ落ちてしまいそうだと思ったとき、お姫さまの凛とした声が降ってきた。
「では、かれん様は急いでリリエと着替えてくるといい。着替えている間に、こちらで勝利酒の用意を始めておこう。かれん様とリリエの着替えが終わり次第、清めの儀式を始めよう」
「……へ?」
ふいを突かれたみたいな言葉に涙が引っ込んで、訳がわからないままお姫さまを見つめる。お姫さまは私の反応が不思議なのか首をわずかに傾けたあと、話を続ける。
「勝利酒の作り方には、三十分ほど勝利草を酒に浸すと書かれていた。かれん様が着替える間に、勝利酒を準備したほうが早く清めの儀式を始められるだろう? さあリリエと準備されよ」
「えっ、ちょっ、あれ? 私、清めの儀式に参加していいの? お姫さま、私に参加して欲しくないんじゃ——」
とっさに飛び出した言葉に、お姫さまの猫目が大きくひらかれると、一瞬、空色の瞳の奥が澄んだ。けれど、すぐに瞳は元に戻る。
「かれん様は、おかしなことを言うんだな。参加して欲しくないなら断るに決まってる。それに、かれん様が清めの儀式の参加を望んだのだろう?」
お姫さまの凛とした言葉が、ずしり、と胸に重たいはずだった。
先ほどまで俯いていて気付かなかったが、まっすぐに見つめたお姫さまの顔は、つんと澄ましているが、耳がほんのり赤く染まっていて、大きな瞳の瞳孔が動揺するように泳いでいる。
「あれ、お姫さまの耳、赤いんじゃ——」
改めて確認したいというより、ぽろりと言葉が軽く飛び出てくる。
「わたくしは赤くなどない! それより、田植えが遅くなってしまう。早くリリエと準備をされよ」
つんっと澄ました顔で横を向いたお姫さまの耳は、はっきりと赤くなっていた。横にいるリリエさんの笑うのを堪えている姿が目に入った。リリエさんと目が合うと、優しい織部色の片方の瞳をぱちりとつむり合図を送ってくれた。
「はいっ! 急いで着替えて来ますね! リリエさんお願いします」
「ええ、行きましょう。照れて冷たい態度を取ってしまうどこかの姫さまは放っていきましょうね」
リリエさんがからかうような口調で言葉を残すと、私の手を引いて外へ出て、夏障子をすっと閉めた途端。
「照れてなんかない——っ!」
というお姫さまの声が廊下に響き渡った——。
「そういえば、清めの儀式に参加するのにこの格好じゃだめなんですか?」
リリエさんに手を引かれて廊下を進みながら、気になっていることを口にする。リリエさんは一瞬考えたような顔をしたが、すぐに何かに気が付いたように、織部色の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。
「ああ、お話していませんでしたね。実は、清めの儀式を行う家には、穢れのない白をまとい入るのですが、清めの儀式が終わるとすぐに田植えを行うので先ほどの姫さまと同じ田植え用の艶やかな服を着ていただきます。姫さまに頼まれて、もう準備はできておりますよ」
えっ、と驚きで目を見開いた。
違う部屋に通され、リリエさんから目の前に艶やかな黄色の絣の着物のような衣装と紅色のたすきを差し出された。そんなふうにお姫さまが準備していてくれたなんて、夢にも思わなかった。
「これは、この村で育てた紅花の花を染料にして、黄色と紅色に染めているものです」
「すごいきれい……っ! これをお姫さまが用意してくださったんですか? あとでお礼を言いますね!」
「はい。姫さまは素直じゃないですからね。ただ——」
リリエさんは、そこで一度言葉を切ると私をじっと見つめる。
「私たちは、かれん様に姫さまを助けていただいたこと、本当に感謝しています」
真剣な眼差しに、ひとつ頷いた。それは、助かった村の人たちや、その家族にも感謝をされていたので充分なくらい伝わってきている。
「かれん様のお国は、一妻多夫なのですよね?」
「ふえっ? な、なんで?」
「いえ、そう聞いていたのですが、違うのですか?」
「えっ、うっ、ち、違わないのかな——」
なぜ突然こんな話が始まったのか分からないけれど、村の人たちに三人とのいちゃいちゃを見られても生温かい目で見られていた理由がわかり、強く否定することも出来ずに、曖昧に相槌を返した。
「姫さまが瘴気の病にかかったとわかった時、私たちは一度諦めたのです。この病いを治す勝負草も採れるような状態ではなかったし、まして彷徨いの森の勝利草なんて、夢のまた夢——幻だと。このまま、この村はなくなるんだと諦めてしまいました。だけど、ベルデは諦めずに、一人で彷徨いの森へ入った……」
リリエさんの言葉の意図がよく分からなくて黙って見つめると、織部色の瞳でまっすぐに見つめ返された。
「つまり、姫さまは、かれん様がベルデを夫にするつもりがあるかもと思っているのですよ」
「ふえっ?」
あまりに驚いて、言葉を失った。これ以上ないくらい目を見開いて、ただただ目の前にいるリリエさんを穴が開くくらいに見つめ続けると、リリエさんはくすくすと笑いだした。
「かれん様がオーリに聞いていた通りの方で、安心しました」
「ふえっ? それって、どういう——」
「さあ、あんまりのんびりしている時間はありませんよ。着替えてしまいましょう」
織部色の片目をからかうように瞬かせたリリエさんは、真面目な表情に変わると艶やかな黄色の衣装と紅色のたすきを掛けてくれた——。
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