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本編

14.魔術

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 翌朝に目が覚めると身体のだるさも熱もすっかり下がっていた。
 アレックス様の魔術でひんやりしてもらったタオルをおでこから外して見つめる。

 幼い頃から難しい問題で知恵熱を出した時にはアレックス様にどうして? と、なんで? を教えてもらってきた。頭がすっきりすると、昨日わたしが目にしたアレックス様とアンナ様の抱擁も見間違いやなにか事情があったのかもしれない。
 いくら考えても解けない問題は、アレックス様に昨日わたしが見たことをすべて話して答えを教えてもらおうと決めた。

 お揃いの匂いのオイルを使いながら丁寧にたれ耳を梳かし、アレックス様にプレゼントしてもらったお気に入りの金色のビジューのついた黒色のりぼんを結ぶ。

「変なところないよね?」

 鏡の前でくるりとまわって確かめる。
 授業がはじまる前にアレックス様と話をしたくて早めに寮を出発する。中庭を通り抜けようとして春を感じる若い緑がのぞく木の間にあるベンチに視線が吸い寄せられた。

 ベンチにアレックス様とアンナ様が腰掛けている。
 アレックス様の大きな手とアンナ様の繊細そうな手が重なるように近づくと、なにかを唱えはじめる。

「――っ!」

 赤色に光る粉がアレックス様とアンナ様の間を煌めきながら繋いでいく。2人をしっかり結びつけた太い輝きは運命の赤い糸のようにきらきら輝いていて、中庭の大きな歓声とは反対に、わたしの世界から色が消えていった。


「…………つがい魔術」


 溢れるように口にして無意識に足をダンっと踏み鳴らす。その音にアレックス様とアンナ様が同時にこちらに視線を向けた。
 アレックス様がいつものようにふわりと笑ってベンチから立ち上がる。

「ソフィア嬢、熱はもう……」
「アレックス様なんて、きらいです!」

 アレックス様の言葉を遮って声を上げると、ひどく驚いたように二つの黒眼を見開いた。信じられないくらいたれ耳がぷるぷる震えて、じわりと視界がにじんでいく。煌めく赤色を結びつけたままのアレックス様とアンナ様の前では絶対に泣きたくなくて唇をぐっと噛んで堪える。

「ソフィー、どうしたの……?」
「やっ! 近づかないで……っ!」

 アレックス様がわたしに近づこうとすると、たれ耳がぶわりと激しく逆立ち、また足をダンっと踏み鳴らしてしまう。
 うさぎの本能の足をダンっと踏み鳴らすスタンピングは、警戒やストレスがある時に小さな子どもがする行動で大人になってするような行為ではない。大勢の人の前でスタンピングを繰り返してしまった羞恥が身体を駆けめぐり、堪えきれなくなった涙がひと筋こぼれ落ちた。わたしは、踵を返してアレックス様から逃げるように走り去る。

 この日からわたしがアレックス様に会うことはなくなった。


 ◇◇◇


 卒業まであと1週間に迫ると新作のロマンス小説が発売される。
 新作は、金色のたぬき獣人の聖女とたぬき獣人の公爵令息が真実の愛に目覚め、2人の恋を邪魔する悪役令嬢のようなきつね獣人の婚約者を卒業パーティーで婚約破棄して結ばれるという内容に途中から涙で文字が見えなくなった。

「これって浮気よね……」
「真実の愛ならきちんと婚約解消をしてから愛を育んでほしいわね……」
「うん、そうだね……」

 エミリーとクロエには、すべてを話していた。
 2人はすごく驚いてアレックス様ときちんと話し合うことを何度も勧めてくれたけど、わたしの勇気はもうこれっぽっちの欠片も残っていない。
 力なく首を横に振るわたしを抱きしめてくれるエミリーとクロエに感謝しかなかった。

 薬師科にあるフォレストカフェの大好きなキャロットハニーラペやフレッシュオレンジジュースを口にしても味がちっともしない。

「卒業パーティーまであと少しだね……」

 お父様に今回のことを包み隠さずしたためた手紙を送った。
 ティーグレ公爵家と縁を持てる機会をわたしのせいで失ってしまうことを申しわけなく思っていると、すぐにお父様から返事が届く。ソフィアはちっとも悪くない、アレックス様が悪い、卒業パーティーが終わったらすぐ戻ってきてゆっくりしなさい、という優しさに溢れる手紙にこの家に生まれてよかったと心から感謝した。

「アレックス様、アンナ様と卒業パーティーで婚約発表するって本当なのかな……?」

 心の声が言葉になってもれてしまった。
 アレックス様とアンナ様と会うことはなくても、美男美女でとってもお似合いの2人の噂は自然に聞こえてしまう。ずっと一緒にいるので、卒業パーティーで婚約を発表するのではないかとささやかれている。

 一夫一妻制のポミエス王国でアレックス様がアンナ様と結婚するためには、わたしと婚約を解消する必要があると思うとまた大きなため息をついてしまった。

「流石にロマンス小説みたいなことはしないと思うわよ……」
「ええ、流石にね――…」

 エミリーとクロエが左右に視線を揺らす。
 教室も廊下も、ポミエス学園のどこを歩いて見てもアレックス様との思い出が詰まりすぎていて、たれ耳はぷるぷる震えて涙がこぼれそうになる。コリーニョ伯爵領に戻ったらアレックス様と行ったことのない領地でゆっくりしようと考えている。

「ねえ、ソフィア、本当にアレックス様と話し合わなくていいの?」
「うん……。もうアレックス様と向き合う勇気が持てないの。心配かけてごめんね……」
「ソフィアは、アレックス様のことをもう好きじゃないの?」

 とても切実な声から、エミリーとクロエがわたしのことを本気で心配してくれているか伝わってきて、泣き出したいくらいに胸がぎゅっと締め付けられた。

「ううん、好き。今でもすごくすごく好きだよ――…」
  
 泣きそうになった私は、素直にそう答える。

「アレックス様のことを好きだからアレックス様には好きな人と幸せになってほしい……。でも、今はまだ2人を見るのがつらいーー…」

 わたしのたれ耳がぺたたんと垂れさがると沈黙が落ちた。
 しばらくしてエミリーがわたしの手を握ってほわりと笑いかける。

「ねえソフィア、あずまの国には、かわいいは正義って言葉があるのよ」
「そ、そうなんだ……?」

 エミリーの言葉の意図がわからなくて首を傾げると、同じような表情をしていたクロエもなにかに気がついたように表情をゆるませた。にっこり微笑んだクロエもわたしの手を握ってわたしをじっと見つめる。

「ソフィア、あずまの国には、美人は3日で飽きるという格言もあるわよ」

 やっぱり意味がわからなくて戸惑って2人を見つめ返した。

「ねえ、卒業パーティーでソフィアが誰よりも、いえ、アンナ様よりもずっとずっとかわいいことをアレックス先生に見せましょうよ!」
「ええっ、無理だよ! そんなこと絶対にできないよ……っ」

 たれ耳をぷるぷる震わせて首をぶんぶん横に振る。聖女のようなアンナ様を超えるなんて、ただのたれ耳うさぎのわたしには絶対無理だと思う。

「あら、大丈夫に決まってるわよ! ソフィアのたれ耳は、王宮魔術師様のお気に入りだもの」

 わたしを励まそうとするエミリーとクロエの気持ちが嬉しくて言葉がつまる。このまま卒業までの1週間をうじうじして過ごすより、ずっと素敵な提案に大きくこくんとうなずく。

「うん……っ! わたし、アレックス様に映る最後のわたしが、とびきりかわいいと思ってもらえるように頑張ってみるね!」

 たれ耳をぷるぷる震わせながら宣言してエミリーとクロエと抱きあい、わたしは卒業パーティーにとびきり気合いを入れて参加することを決めた。

「ソフィア、このオイルがお勧めなのよ」
「ソフィア、たれ耳マッサージもあるわよ」

 色々教えてくれるエミリーとクロエと一緒に卒業までの僅かな時間をすべて使って、たれ耳の耳もとから耳先までもふもふんのふわっふわに整える。
 たれ耳がつやつやきらきら、ふわふわほわほわ、ときれいになる度に気持ちも少しずつ前向きになっていく。

 卒業パーティーでアレックス様がアンナ様と婚約発表をしたときはひっそり祝福の拍手を送り、もしもロマンス小説のように婚約破棄を告げられた時は、アレックス様を好きな気持ちとしあわせを願うことを告げて立ち去ろうと心に決めた。

 こうしてあっという間にポミエス学園の卒業の日を迎えた。
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