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10.刺繍

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 ドラゴン討伐の日程が二週間後に決まり、ジェラール様は出立の準備が忙しくなった。僕はハーブガーデンのお手入れを終えるとスケッチブックを持って刺繍の図案を書き起こす。

「うん、やっぱりハーブガーデンの刺繍にしよう」

 ドラゴンは強くて恐ろしい生き物。いくらジェラール様が強いといっても不死身ではない。討伐依頼が来ていたとはいえ、僕のわがままを聞いてもらうのだ。僕の刺繍に祝福の力が宿るなら心を込めて刺繍したものをせめて贈りたい。ハーブガーデンの刺繍にするのは、ここに戻ってきてほしいから――。

  
 椅子に腰掛け、スケッチブックにハーブガーデンを描いていく。夢中で描いていたらスケッチブックに影が落ちる。

「エリオットは、絵も上手いんだな」
「っ、……!」

 耳たぶに唇が触れそうな距離で囁かれて、心臓が大きく跳ねた。後ろから抱きしめるような体勢は、背中にジェラール様の体温が広がって僕の心拍が早鐘を打ちはじめる。

 
 
「えっと、これは刺繍の図案なんですけど、……刺繍のハンカチ、贈ってもいいですか……?」
「……っ」

 ジェラール様の息を呑んだ空気の揺れが僕の耳に届く。僅かに訪れた沈黙。男の僕が刺繍のハンカチを贈ることを否定された過去が頭をよぎり、慌てて言葉を重ねる。

「あ、あの、僕の刺繍には祝福の加護があると聞いたので……ハーブガーデンじゃなくても、イニシャルや家紋とかもっとシンプルなものがよければ……でも、なにか刺繍させてほしいです……」



「…………」



 流れる沈黙に心臓がキュッと縮む。目をぎゅっとつむってジェラール様から断られる衝撃に備える。アンナにもスティーブにも言われたことなのに、ジェラール様に言われたらと思うだけで心臓が痛くて辛い。

 
「蝶を飛ばせるか?」
「……え」
「エリオットの瞳と同じピンク色の蝶がいいんだが、難しいか?」
「え、あっ、いえ……蝶の刺繍はできますけど、えっと、そうじゃなくて、僕が刺繍してもいいんですか?」
「当たり前だろう。婚約者が俺のために刺繍をしてくれるのが嬉しい――祝福はあってもなくてもどちらでも構わないくらいだが」

 甘く鼓膜を揺らすジェラール様の柔らかな声に僕の鼓動は高鳴っていく。ばくばくうるさい心臓を両手で押さえてジェラール様に振り向く。

「楽しみにしている」
「はい……っ! 最高傑作にしますから期待しててください!」
「間に合うように頼む、婚約者殿」

 くつくつ笑うジェラール様に大きく頷けば、頭をぽんぽんと優しく撫でられる。大きな手のひらに撫でられる感覚に胸がドキドキと高鳴っていく。見合う瞳はとろりと甘い。ああ、僕はこの人のことを好きなんだ――ストンと腑に落ちた。甘やかな視線で焦がれる頬が痛くて視線を落とす。ジェラール様のローブの端をキュッと摘む。伝えたい。
 

「あの、僕、ジェラール様のことが、す」
「エリオット」
 
 ジェラール様のスラリと長い指が僕の唇に当てられる。

「まだ言ってはいけないよ」
「…………?」

 目をぱちぱちと瞬かせる僕にジェラール様は艶やかに笑う。どんな時でもジェラール様は見惚れるくらいに格好よくて体温が更に上がってしまう。

「今、その言葉を聞いてしまったらエリオットの望む魔術を完成させてあげれない。知らなかったんだが、どうやら俺は独占欲が強いみたいでね――二人きりでいたいと思ってしまうだろう?」
「っ」
「今回のドラゴン討伐で逆鱗を採取してくる。ドラゴンは、自身の逆鱗を愛する者にのみ触れさせるんだ。逆鱗に触れられることで自らを晒し、愛と繋がりを持つ永遠の絆を紡ぐつがい契約をする」

 今度は目をこれでもかと大きく見開いてしまった。まさか、本当にできるのだろうか?!

「番は性別を超える。だから番契約を結べばいいと気づいてからはあっという間だった。エリオットの望むだけ子を育てよう」
「ほ、本当に……っ?」
「ああ。だから、その言葉は俺が討伐から戻ってきたら言ってくれるか?」

 こくこくと縦に首を動かせば、ジェラール様がフッと笑みを見せる。



「いい子にはご褒美をあげないとな」 


 ジェラール様の顔がゆっくり近づいて唇に着地した。甘い熱に驚いて肩が揺れたのは一瞬、甘い唇は何度も離れては触れ合うのを繰り返す。頭の芯が痺れたみたいに浮かされる。甘い熱と触れ合いに心がとろりと溶けて、気づけばジェラール様のローブに縋り付いていた。

 

 それから討伐に出立するまでの二週間、刺繍をひたすら刺す。もちろん助手の仕事であるハーブガーデンのお手入れは欠かさないけど、掃除は兄上が魔術であっという間に終わらせてくれている。
 最初のひと針の傾きで仕上がりに差が出る刺繍は、ひと針ひと針心を込める。僕の持てる技術を全部使い、細部までこだわり葉脈や花芯を意識した。ハンカチに広がる図案が彩りよく刺し埋まっていくのが嬉しくてたまらない。


「で、できた……っ」

 最後の刺繍を刺して、糸始末を終わらせた。嬉しすぎて刺繍ハンカチを広げて頭上に掲げれば、降り注ぐ陽光を受けてキラキラ輝いていた――。
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