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番外編 I
いただきます 2
しおりを挟む青く澄み渡る空と遥かに広がる海が溶け合う奇跡のような場所にあるチャペルで、これから結婚式を挙げる。
大きな窓ガラスからオルランド領の美しい海が見える。初めてこの海にアリーを連れて来た時、ガイ様の瞳みたいな海ですね……とうっとり見惚れていた横顔に、俺は見惚れていた。
柔らかく包み込むような陽射しがチャペルに降り注ぎ、ウエディングドレスを身に纏ったアリーは瞬きをするのも忘れるくらい美しかった。
「綺麗だな」
本音が溢れるとアリーの睫毛が震え、桃色に色付く頬をふわりと綻ばせ、花が咲いたように微笑んだ。
オルランド商会で誂えた純白のウエディングドレスは、光沢のある贅沢なシルク素材を使って上半身から腰までアリーの優美な曲線に沿っており、触れたくなる透け感のある繊細なレースを施した長い裾が大きく広がっている。
アリーが持つブーケには、小さなアリーに選んだピンク色の薔薇を使っている。貴族として薔薇の花言葉を知らぬ訳がなかった。俺は小さなアリーに花言葉を告げる事はないまま、アリーの瞳の色と同じこの薔薇の花言葉のひとつ『美しい少女』を贈った。
妖精が空から落ちて来たかと思った——
それが俺がアリーと初めて出逢った時に浮かんだ感想だった。妖精の羽が背中に生えているか確認をしたくらい恐ろしく見目の整った少女だった。
絵本に出て来る『くま』そっくりだからと言い、目付きの鋭い俺を怖がる事も無く懐き甘えるアリーの存在は、腹を探り合う貴族に辟易していた俺を癒した。
俺に抱きつくように挨拶するのに頭を撫でると照れた様にはにかむ。膝の上で本を読んでと強請るのに直ぐにうとうと微睡む。得意げに怪盗や海賊になりきるのにトマトは結界があると困った顔をする。木に登るのが好きなのに降りるのが怖くて手を差し出すとほっとした顔をする。
学園を卒業するまでのつもりで、それでも大切に大事に成長を見守った。
好意を寄せられ、可愛い妹のように想っていた。
今まで初恋を意味する刺繍のハンカチは煩わしく面倒に思い、誰からも受け取った事は一度も無かった。だけどアリーに会う最後の日、アリーに差し出された刺繍ハンカチを拒否する事が出来なかった。いや違う、この子に俺が残ると思うと言いようもない温かい歓喜の気持ちが全身を駆け巡った。
刺繍ハンカチを受け取った事を見つけた我が家は、あっという間にアリーと婚約を取り付けた。
婚約者どころか浮いた噂のひとつもない俺を心配していたのは知っていたが、まさか十以上も歳の離れた子に婚約を迫る程、心配されていると思っていなかった。
貴族の政略結婚などありふれた話だ。
妹のように大切に見守って来た子なのだから問題はない筈なのに、俺は急に怖くなった。アリーが年頃になって他に好きな人が出来たら? それ以前にアリーが俺に嫌悪を向ける想像をすると驚く程、心が冷えた。
アリーの為を装い、自分が傷つかないように王立学園の卒業まで婚約白紙をする権利をアリーに渡した。
自分でも呆れるくらい臆病だと思った。アリーはそんな俺と結婚したいと言い、俺が見惚れるくらい素敵な大人の女性になるので、少しだけ待っていて下さいと言った——俺はこの子を大切にしようと誓った。
騎士団の寮に入っていた二年間は可愛らしい内容の手紙が届き、思わず頬を緩めた。
母上にどうしたら俺に好きになって貰えるか質問した話、友達と恋の駆け引きを研究した話、実践するので手紙を数日書かないで焦らす宣言する話が俺の元に届いた。二年間アリーに会う事は無かったが、ずっと近くにいる気がした。
いつの間にか、小さなアリーは大人に近づいていた。
学園の制服が届いたと俺に見せに来たアリーが紅を差していた。あっと目を奪われる程、アリーは美しく成長していた。
確かに目を合わす時にしゃがんでいたのに少し屈めば良くなっていた。抱き着かれると女性らしい柔らかさも感じるようになっていた。石鹸の匂いは甘い桃花の香りがするようになっていた。もう小さなアリーでは無くなりつつある事実に驚愕した。
それでも俺と居るアリーは、まだ幼さの残る無邪気な笑顔を見せていたから気付かない振りをしていた。
選りに選って国境付近の魔物討伐に出かける日、アリーから男物の香水の匂いがした。
頭を鈍器で殴られた様な衝撃を受けた。婚約を白紙にする権利を渡した事を激しく後悔した。愚かにも権利が履行される事はないと思い込んでいた俺自身を恨んだ。アリーの気持ちが離れないように、縋るような想いで、自分の瞳と同じネックレスを贈った。戻って来た時に、アリーに俺の気持ちをきちんと伝えようと決意した。
ボンクラ王太子を廃嫡にする算段の筈がなかなか終わらず、時間の無駄だと判断したウィンザー侯爵とアレクが魔物抑制システムの更新を始めた。
更新が上手く機能せずに地竜やワイバーンの群れが出現する非常事態になり、国王陛下がようやくボンクラ王太子の廃嫡を決断した。
魔物討伐が終わったのはアリーのデビュタントの当日だった。もう間に合わないと諦めていた俺に、ウィンザー侯爵とアレクが転移魔法陣を発動させ、アリーのデビュタントに間に合った。
久しぶりに会ったアリーは本物の妖精の様だった。真っ白なドレスを着た美しいアリーに見惚れ、俺はようやく自分の気持ちを認めた。
遅い初恋だ。
とっくにアリーが好きになっていた——
「新郎ガイフレート、あなたはここにいるアリーシアを、妻として愛する事を誓いますか?」
神父が厳かに俺に愛を誓うかと尋ねる。
美しい少女ではなく見惚れる大人の女性になったアリーに、アリーの瞳の色と同じこの薔薇のもうひとつの花言葉『愛を誓う』を俺は贈る。
「はい、誓います」
アリーの花嫁のヴェールをゆっくりめくる。格好悪いけれど僅かに手が震える。優しく肩に手を添えると愛しいアリーの瞳を見つめる。
アリーが俺を見つめる瞳と目が合うだけで、心が甘く歓喜に震える。ただただ愛おしい。
アリーの長い睫毛がゆっくり伏せられ、頬が桃色に染まった顔がほんの少し上がる……
心を込めて誓いのキスを——
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