上 下
48 / 60
番外編 I

いただきます 2

しおりを挟む


 青く澄み渡る空と遥かに広がる海が溶け合う奇跡のような場所にあるチャペルで、これから結婚式を挙げる。
 大きな窓ガラスからオルランド領の美しい海が見える。初めてこの海にアリーを連れて来た時、ガイ様の瞳みたいな海ですね……とうっとり見惚れていた横顔に、俺は見惚れていた。

 柔らかく包み込むような陽射しがチャペルに降り注ぎ、ウエディングドレスを身に纏ったアリーは瞬きをするのも忘れるくらい美しかった。

「綺麗だな」

 本音が溢れるとアリーの睫毛が震え、桃色に色付く頬をふわりと綻ばせ、花が咲いたように微笑んだ。

 オルランド商会で誂えた純白のウエディングドレスは、光沢のある贅沢なシルク素材を使って上半身から腰までアリーの優美な曲線に沿っており、触れたくなる透け感のある繊細なレースを施した長い裾が大きく広がっている。
 アリーが持つブーケには、小さなアリーに選んだピンク色の薔薇を使っている。貴族として薔薇の花言葉を知らぬ訳がなかった。俺は小さなアリーに花言葉を告げる事はないまま、アリーの瞳の色と同じこの薔薇の花言葉のひとつ『美しい少女』を贈った。

 妖精が空から落ちて来たかと思った——

 それが俺がアリーと初めて出逢った時に浮かんだ感想だった。妖精の羽が背中に生えているか確認をしたくらい恐ろしく見目の整った少女だった。
 
 絵本に出て来る『くま』そっくりだからと言い、目付きの鋭い俺を怖がる事も無く懐き甘えるアリーの存在は、腹を探り合う貴族に辟易していた俺を癒した。
 俺に抱きつくように挨拶するのに頭を撫でると照れた様にはにかむ。膝の上で本を読んでと強請るのに直ぐにうとうと微睡む。得意げに怪盗や海賊になりきるのにトマトは結界があると困った顔をする。木に登るのが好きなのに降りるのが怖くて手を差し出すとほっとした顔をする。
 学園を卒業するまでのつもりで、それでも大切に大事に成長を見守った。


 好意を寄せられ、可愛い妹のように想っていた。
 今まで初恋を意味する刺繍のハンカチは煩わしく面倒に思い、誰からも受け取った事は一度も無かった。だけどアリーに会う最後の日、アリーに差し出された刺繍ハンカチを拒否する事が出来なかった。いや違う、この子に俺が残ると思うと言いようもない温かい歓喜の気持ちが全身を駆け巡った。

 刺繍ハンカチを受け取った事を見つけた我が家オルランド侯爵家は、あっという間にアリーと婚約を取り付けた。
 婚約者どころか浮いた噂のひとつもない俺を心配していたのは知っていたが、まさか十以上も歳の離れた子に婚約を迫る程、心配されていると思っていなかった。

 貴族の政略結婚などありふれた話だ。
 妹のように大切に見守って来た子なのだから問題はない筈なのに、俺は急に怖くなった。アリーが年頃になって他に好きな人が出来たら? それ以前にアリーが俺に嫌悪を向ける想像をすると驚く程、心が冷えた。
 アリーの為を装い、自分が傷つかないように王立学園の卒業まで婚約白紙をする権利をアリーに渡した。
 自分でも呆れるくらい臆病だと思った。アリーはそんな俺と結婚したいと言い、俺が見惚れるくらい素敵な大人の女性になるので、少しだけ待っていて下さいと言った——俺はこの子を大切にしようと誓った。


 騎士団の寮に入っていた二年間は可愛らしい内容の手紙が届き、思わず頬を緩めた。
 母上にどうしたら俺に好きになって貰えるか質問した話、友達と恋の駆け引きを研究した話、実践するので手紙を数日書かないで焦らす宣言する話が俺の元に届いた。二年間アリーに会う事は無かったが、ずっと近くにいる気がした。


 いつの間にか、小さなアリーは大人に近づいていた。
 学園の制服が届いたと俺に見せに来たアリーが紅を差していた。あっと目を奪われる程、アリーは美しく成長していた。
 確かに目を合わす時にしゃがんでいたのに少し屈めば良くなっていた。抱き着かれると女性らしい柔らかさも感じるようになっていた。石鹸の匂いは甘い桃花の香りがするようになっていた。もう小さなアリーでは無くなりつつある事実に驚愕した。
 それでも俺と居るアリーは、まだ幼さの残る無邪気な笑顔を見せていたから気付かない振りをしていた。


 選りに選って国境付近の魔物討伐に出かける日、アリーから男物の香水の匂いがした。
 頭を鈍器で殴られた様な衝撃を受けた。婚約を白紙にする権利を渡した事を激しく後悔した。愚かにも権利が履行される事はないと思い込んでいた俺自身を恨んだ。アリーの気持ちが離れないように、縋るような想いで、自分の瞳と同じネックレスを贈った。戻って来た時に、アリーに俺の気持ちをきちんと伝えようと決意した。

 ボンクラ王太子を廃嫡にする算段の筈がなかなか終わらず、時間の無駄だと判断したウィンザー侯爵とアレクが魔物抑制システム聖女の祈りの更新を始めた。
 更新が上手く機能せずに地竜アースドラゴンやワイバーンの群れが出現する非常事態になり、国王陛下がようやくボンクラ王太子の廃嫡を決断した。
 魔物討伐が終わったのはアリーのデビュタントの当日だった。もう間に合わないと諦めていた俺に、ウィンザー侯爵とアレクが転移魔法陣を発動させ、アリーのデビュタントに間に合った。


 久しぶりに会ったアリーは本物の妖精の様だった。真っ白なドレスを着た美しいアリーに見惚れ、俺はようやく自分の気持ちを認めた。
 遅い初恋だ。

 とっくにアリーが好きになっていた——



「新郎ガイフレート、あなたはここにいるアリーシアを、妻として愛する事を誓いますか?」

 神父が厳かに俺に愛を誓うかと尋ねる。
 美しい少女ではなく見惚れる大人の女性になったアリーに、アリーの瞳の色と同じこの薔薇のもうひとつの花言葉『愛を誓う』を俺は贈る。

「はい、誓います」

 アリーの花嫁のヴェールをゆっくりめくる。格好悪いけれど僅かに手が震える。優しく肩に手を添えると愛しいアリーの瞳を見つめる。
 アリーが俺を見つめる瞳と目が合うだけで、心が甘く歓喜に震える。ただただ愛おしい。

 アリーの長い睫毛がゆっくり伏せられ、頬が桃色に染まった顔がほんの少し上がる……



 心を込めて誓いのキスを——
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える

たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。 そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!

婚約破棄された私は、年上のイケメンに溺愛されて幸せに暮らしています。

ほったげな
恋愛
友人に婚約者を奪われた私。その後、イケメンで、年上の侯爵令息に出会った。そして、彼に溺愛され求婚されて…。

「白い結婚最高!」と喜んでいたのに、花の香りを纏った美形旦那様がなぜか私を溺愛してくる【完結】

清澄 セイ
恋愛
フィリア・マグシフォンは子爵令嬢らしからぬのんびりやの自由人。自然の中でぐうたらすることと、美味しいものを食べることが大好きな恋を知らないお子様。 そんな彼女も18歳となり、強烈な母親に婚約相手を選べと毎日のようにせっつかれるが、選び方など分からない。 「どちらにしようかな、天の神様の言う通り。はい、決めた!」 こんな具合に決めた相手が、なんと偶然にもフィリアより先に結婚の申し込みをしてきたのだ。相手は王都から遠く離れた場所に膨大な領地を有する辺境伯の一人息子で、顔を合わせる前からフィリアに「これは白い結婚だ」と失礼な手紙を送りつけてくる癖者。 けれど、彼女にとってはこの上ない条件の相手だった。 「白い結婚?王都から離れた田舎?全部全部、最高だわ!」 夫となるオズベルトにはある秘密があり、それゆえ女性不信で態度も酷い。しかも彼は「結婚相手はサイコロで適当に決めただけ」と、面と向かってフィリアに言い放つが。 「まぁ、偶然!私も、そんな感じで選びました!」 彼女には、まったく通用しなかった。 「なぁ、フィリア。僕は君をもっと知りたいと……」 「好きなお肉の種類ですか?やっぱり牛でしょうか!」 「い、いや。そうではなく……」 呆気なくフィリアに初恋(?)をしてしまった拗らせ男は、鈍感な妻に不器用ながらも愛を伝えるが、彼女はそんなことは夢にも思わず。 ──旦那様が真実の愛を見つけたらさくっと離婚すればいい。それまでは田舎ライフをエンジョイするのよ! と、呑気に蟻の巣をつついて暮らしているのだった。 ※他サイトにも掲載中。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

あなたに忘れられない人がいても――公爵家のご令息と契約結婚する運びとなりました!――

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※1/1アメリアとシャーロックの長女ルイーズの恋物語「【R18】犬猿の仲の幼馴染は嘘の婚約者」が完結しましたので、ルイーズ誕生のエピソードを追加しています。 ※R18版はムーンライトノベルス様にございます。本作品は、同名作品からR18箇所をR15表現に抑え、加筆修正したものになります。R15に※、ムーンライト様にはR18後日談2話あり。  元は令嬢だったが、現在はお針子として働くアメリア。彼女はある日突然、公爵家の三男シャーロックに求婚される。ナイトの称号を持つ元軍人の彼は、社交界で浮名を流す有名な人物だ。  破産寸前だった父は、彼の申し出を二つ返事で受け入れてしまい、アメリアはシャーロックと婚約することに。  だが、シャーロック本人からは、愛があって求婚したわけではないと言われてしまう。とは言え、なんだかんだで優しくて溺愛してくる彼に、だんだんと心惹かれていくアメリア。  初夜以外では手をつけられずに悩んでいたある時、自分とよく似た女性マーガレットとシャーロックが仲睦まじく映る写真を見つけてしまい――? 「私は彼女の代わりなの――? それとも――」  昔失くした恋人を忘れられない青年と、元気と健康が取り柄の元令嬢が、契約結婚を通して愛を育んでいく物語。 ※全13話(1話を2〜4分割して投稿)

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
 リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。  お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。  少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。  22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

処理中です...