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仮の婚約者 5

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「君の名は?」

 あまりの恥ずかしさに顔を覆っているとフェルカイト様の声が聞こえたの。
 以前にも名乗っていますなんて言えるわけがなくて、うつむいたままで小さく首を横にふる。

「ねえ、君の名前は?」

 今度は先ほどよりもはっきりとフェルカイト様がおっしゃったの。
 視線を感じてうかがうように顔をあげると、こげ茶色の髪の下にある緑色の瞳がじっと私に向けられていて、どきっと心臓がはねた。きっとリリアンの友達としてふさわしくない相手として名前をききたいのだろう――泣いてしまいそうになるのを必死でこらえる。

「アリーシア・ウィンザーです」

 目をぱちぱちとまたたかせて、涙がこぼれないようにこたえたの。

「ウィンザー侯爵家か、悪くないな。よしっ、アリーシア、いや、アリーかな。僕のことはフェルとよんでくれたらいい」

 こほんとひとつ咳ばらいをするとフェルカイト様から愛称でよぶことをすすめられたの。
 どうしてそうなったのだろう、とおどろいて目をぱちぱちしているとリリアンがフェルカイト様の洋服の裾をひっぱるのが見えたの。

「あの、フェルお兄様」

 二人が部屋の奥で話しはじめたの。

「フェルお兄様、アリーはオルランド侯爵家のガイフレート様と婚約されております。それに先ほどの『てへぺろ』はフェルお兄様にむけてではなく、ガイフレート様にかわいいとほめてもらえるように練習していたものです――もしもフェルお兄様がアリーのことをす……」
「リリリリー、なっ、なっなにを言おうとしているんだ? ま、まさか僕が『てへぺろ』を見ただけで一目惚れして好きになるわけないだろう! あまりにかわいらしくて守ってやりたくなったわけないだろう?! 見た目が妖精なのに小悪魔みたいなしぐさが奇跡の両立しているなんて、僕はちっとも思ってないからなっ!」

 急に部屋の奥がさわがしくなっておどろいてしまい、エリーナと目を合わせたの。

「リリー、大丈夫かしら?」
「リリーは平気だと思うわ。フェルカイト様のほうがずっと心配よ」

 エリーナが小さくためいきをついた。そのせつない表情にもしかしてと胸がときめいていく。エリーナと部屋の奥をいそがしく視線を泳がせている間に。

「フェルお兄様、もしかして泣いて――」
「な、な、泣いているわけないだろう。目にゴミが入っただけだ! うたがうような目で見るんじゃないっ!」

 奥のやりとりは聞こえなかったけれど、お話がおわって二人が戻っていらしたのだけど、フェルカイト様がとてもやつれたような疲れたように見えたの。どうしたのかしら?

「アリー、今日は帰りましょう」
「そうね」

 エリーナにそう言われて、お疲れのフェルカイト様に休んでもらったほうがいいと気づいたわ。
 先に立ち上がったエリーナのハンカチが、ひらりとフェルカイト様の前に落ちたの。

「君の名は?」
「え?」

 エリーナの刺繍したうつくしいハンカチを穴があくほど見つめたあとにフェルカイト様がひと言つぶやいたの。

「ねえ、君の名は?」

 こげ茶色の髪の下にある情熱的な緑色の瞳がエリーナをうっとり見つめているの。

「エリーナ・ヴィントですわ」
「ああ。由緒あるヴィント伯爵家か、悪くないな。よしっ、エリーナ、いや、エリーだね。僕のことはフェルとよんでくれたらいい」

 フェルカイト様は「ああ、そうだ」と小さくため息をつくと、エリーナの元へ近づいた。

「大切なことを確認していなかった。エリーは婚約者や好きな人はいるのかい?」
「い、いいえ」
「エリー、君が僕の運命の人だ!」

 フェルカイト様がとても満ち足りたようすで、うれしそうに笑ったの。

「リリー、人が恋に落ちる瞬間を見たと思うの」
「ええ、そうね……」

 二人の運命の恋のはじまりに私の胸もどきどきと高鳴っていったの。

「フェルカイト様の気持ちは信じられません」
「エリー、フェルとよんでくれたらいいのに。このようにうつくしい刺繍を刺すことができるエリーの心は誰よりもうつくしく気高い。代々王宮魔道士として仕えているヘイゼル家には、エリーのような刺繍美人がふさわしいと思う。もちろん心も美しいが――その海のような聡明な碧色の瞳、太陽に愛されたとしか思えないうつくしい金髪もすてきだっ! エリーは、どうして僕の気持ちを信じられないの?」

 フェルカイト様がエリーナの顔をのぞきこみながら、吐息まじりに言葉をつづける。

「ご自分の胸に手を当てて聞いてくださいませ」
「僕の胸に手を当てると、エリーへの熱い思いで鼓動がとてもはやいよっ! どうすれば信じてもらえるだろうか?」

 悩ましそうに眉をよせたフェルカイト様と、はじめての恋に気持ちが追いついていないリリアンにはらはらしながら見つめたの。

「それでしたら、アリーの恋を手伝っていただけますか?」
「ああ。もちろん」
「私が王立エトワル学園をはいってフェルカイト様が――」
「フェル、だよ」

 愛おしいようすでエリーナの手を取ると上目づかいで見つめるフェルカイト様にエリーナの頬がうっすら桃色に染まって行くの。エリーナがとてもかわいいわ。

「もしもフェル様が卒業するまでに他の女性に心を奪われなければ信じてさしあげます」
「僕の心はいつとエリーとともにいるよ」

 フェルカイト様が満足そうにほほえむとエリーナの手の甲にやさしく口づけを落としたのだけど、私には刺激が強すぎてどきどきしてしまったの。
 胸に手をあてて親友の兄と親友が運命の恋に落ちていくのを見つめていると、フェルカイト様がこちらをふりむいたの。

「エリーへの愛を証明するために、アリーシアの恋を手伝おう!」

 よくわからないけれど、フェルカイト様は男性視点でガイ様との恋を応援してくれることになったの――。
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