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仮の婚約者 4
しおりを挟む「アリー、リリー『てへぺろ』を知っているかしら?」
エリーナがにっこり笑いながら口をひらいたの。
「聞いたことがないわ。かわいい名前だから新しいお菓子の名前かしら? リリーは知ってる?」
「ううん、私もはじめて聞いたわ。エリー、『てへぺろ』ってなにかしら?」
エリーナが刺繍を刺しながら『てへぺろ』のことを教えてくれたわ。
「うっかり失敗をしてしまったときに、てへっと笑ってぺろっと舌を出す仕草をすることを『てへぺろ』というそうよ。その仕草が殿方にはとても愛らしくみえて、好まれると聞いたわ」
てへぺろの内容に驚いて刺繍を刺していた手をぴたりと止めてしまったわ。
「ねえ、それはかわいいのかしら?」
私とリリアンは思わず顔を見合わせてしまったわ。
失敗したのにあやまらないで、てへっと笑ってぺろっと舌をだす仕草をするのは反省しているように見えないし、残念に思われないのかしらと首をかしげてしまう。
「殿方は、少しくらい隙があるくらいがかわいらしく見えて守ってあげたくなるそうよ」
私たちの不思議そうな顔を見たエリーナが言葉を続けたの。
「アリー、ガイフレート様に今までどのように褒めていただいたの?」
エリーナにじっと見つめられる。
てへぺろとなにか関係があるのかしらと思いつつもガイ様のことを思い出して、ゆるんだ口元で口をひらいた。
「一番よく言っていただくのは、『アリーシア嬢は元気だな』よね。あとは『楽しそうだな』と『ゆっくり大人になるのを待っているぞ』かしらね」
「最後の『待っている』の部分はアリーの妄想よね?」
「そ、そうね」
エリーナのうつくしい紫の瞳が私をひたと見据える。
「アリー、それは婚約者からのほめ言葉じゃないわよ! 今のアリーとガイフレート様の関係は父親と娘みたいだわ! 百歩ゆずったとしても兄と妹にしか見えないわよ。あざとかわいいを目指すくらいしなければ、ガイフレート様にかわいいと言ってもらえないわよ!」
「そ、そうね」
「ガイフレート様にかわいいと言ってもらいたいでしょう?」
こくこく首をたてにふる私を見ると、エリーナも満足気にうなずいた。
「アリー、次はあざとかわいい作戦よ――!」
エリーナが声高らかに宣言したの。
こうなったエリーナは誰にも止められないのは、幼い頃からのつきあいでわかっているリリアンも私もこくんとうなずいていた。
「アリー、まず『てへぺろ』をやってみてくれる?」
「えっ? エリーがお手本を見せてくれるんじゃないの?」
「ガイフレート様に見せるのだからアリーがやるのよ」
びしっと言いきるエリーナの目がこわいの。
でも、ガイ様にかわいいと言っていただけたらとても嬉しいだろうし、私もあざとかわいいを目指すことに決めたわ。
「――てへぺろ」
エリーナに言われたように、てへっと笑ってぺろっと舌を出したけれど、とても恥ずかしくて、あまりに恥ずかしくて両手で顔を覆ってしまう。
「エリー、アリーが美少女だったことを忘れていたわ」
「リリー、私もよ。美少女の『てへぺろ』の威力はすごいわね。なんでも許したくなったわ」
穴があったらはいりたい私は、二人がこそこそ話していたのは聞こえなかった。
顔の熱が引かないままの私にかまわず、エリーナとリリアンは顔をあざとかわいい作戦の成功を確信してうなずきあっていた。
「さあ。ここからが本番よ」
「は、はい」
あざとかわいい作戦成功のための『てへぺろ』特訓がはじまったの。
「てへぺろ」
「てへぺろっ?」
「てへぺろっ!」
二人に色々なてへぺろを要求されるまま、てへぺろをくりかえしていく。
「今度は手もつけてみるといいわ。こつんと頭をたたいてちょうだい」
どんどん熱を帯びていく二人の指導に、これは遊びではないとあらためて実感する。
「はいっ! てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ」
「よくなってきてるわ。さらに上目づかいで見つめて小首をかしげてみて」
「はいっ! てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ!」
「どんどんよくなってるわ。あとは手の角度や舌のだしかたにも気をつけて」
「はいっ! てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ!」
「すごくいいわよ。あとは恥じらいつつもはにかむように笑ったら完璧よ」
「はいっ! てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ!」
部屋には私の声だけが響いていて、しばらくすると二人は満足そうにうなずいた。
「アリー、今のは完璧なてへぺろだったわ」
「あ、ありがとうございます」
「忘れないように練習しましょうね」
「え?」
「アリー、ガイフレート様にかわいいと言われたくないの?」
そう言われたら休みたいなんて言うことはできない。
「てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ、てへぺろ――てへぺろ!」
二人のてへぺろ指導を思い出しながら、首のかしげる角度や舌のだしかた、恥じらいつつはにかむ表情、そのすべてを意識しなくても自然にできるようになったとき。
「アリー、完璧なてへぺろだわ」
「あ、ありがとうございます」
体が完璧に『てへぺろ』を覚えた達成感に包まれる。
それにしても、あざとかわいいをするのはとても大変なのねと小さくため息をこぼしていると、扉をノックする音が聞こえたの。
「リリー、入ってもいいかな」
「フェルお兄様、どうぞ」
リリアンのお兄様――フェルカイト様と何度も顔は合わせているけれど、はじめて四人でゆっくりお茶をいただくことになったの。
春摘みのダージリンティーをひと口飲み終えるとフェルカイト様が口をひらいた。
「部屋の中から呪文みたいな声が聞こえていたから気になったんだ。三人でなにをしていたの?」
フェルカイト様の言葉に、背中をひやりとしたものがつたっていく。
「リリー、僕に言えないようなことをしているの?」
「い、いえ。あの、言えないようなことはしていませんが、なんというか、その、あまり言いたくないといいますか」
「なるほど。僕に言えないことをしていると父上や母上が知ったら、三人だけのお茶会はこれから難しくなるかもね」
思わず三人で顔を見合わせたの。
三人で集まるときは侍女や執事もいないお部屋で好きなことをたくさんお話しするのが楽しみなのに。
『てへぺろ』を知られるのは恥ずかしいけれど三人のお茶会ができなくなるのは困ってしまうわ。
「実は『てへぺろ』という仕草が、殿方から見るととてもかわいいと聞きまして、練習をしておりましたの」
「それは本当?」
「は、はい! もちろん本当ですわ」
腕を組んでいたフェルカイト様はリリアンの説明をきくと、にやりと笑みを浮かべた。
「じゃあ見せてみて」
その言葉にエリーナとリリアンの視線がぱっと私にむけられる。
私は二人にむかって大きくうなずいた。
三人のお茶会のためにあざとかわいい『てへぺろ』を見せるわ――!
「てへぺろ!」
「――っ!」
完璧な『てへぺろ』ができたと思ったけれど、フェルカイト様は表情が抜けおちたように固まっている。
ああ、どうしよう。『てへぺろ』は失敗だったのかもしれないと思うと頬が熱くなっていき、完璧にできたなんて思った自分が恥ずかしくて、涙目になる顔を両手で覆ったの。
「リリー、人が恋に落ちる瞬間を見たと思うの」
「ええ、そうね。でも、フェルお兄様のこの恋はかなわないと知っているから胸が痛むわ」
恥ずかしくて顔を覆っている私は、親友がそんなことを話しているのは知らないままだったの――。
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