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刺繍のハンカチ 5
しおりを挟むガイ様のことを考えてよく眠れなかった翌日は、エリーナのヴィント家でお花見会だったの。
ヴィント家のお庭にはとても立派なプラムの木があって、まだ寒くても春の訪れをつげる淡いピンクと白色のプラムの花がほころぶようすをみんなで見るのが毎年の楽しみなの。
ヴィント家へ向かう馬車に乗るとお母様が、そっと頬を撫でてくださったの。
「アリー、ここなら二人きりよ」
「お母様――」
真っ赤に充血した瞳を心配してくださるお母様に、どうして眠れなかったのかお話すると若草色のドレスに身を包んだ私をぎゅっと抱きしめてくれたの。
ヴィント家へ到着して、いつものようにリリアンとエリーナのいるの席に着いてふたりの顔を見たら涙がぽろぽろとこぼれてしまって、二人が差し出してくれたプラムの花の刺繍はんかちがぼやけてしまう。
「アリー、なにがあったの?」
「あのね、桜が咲いたらガイ様ともう会えなくなるの」
私がようやく口をひらくと二人がぎゅっと抱きしめてくれたわ。
「アリーはガイフレート様に恋しているのね」
「それが分からないの……。ガイ様のことは好きだけど、恋って、もっと燃えるような、情熱的なものなのでしょう? ガイ様のことを考えると心がぽかぽかあたたかくて、宝箱をのぞくような気持ちになるの」
リリアンとエリーナが顔を見合わせてうなずきあった。
「あのねアリー、恋にも色々あると思うの。情熱的な恋や燃えるような恋もあるけれど、一途でまわりが見えなくなる恋、ゆっくり育てるような恋、それになくなってはじめて気づく恋もあると思うの」
「ガイフレート様のお話をしているアリーはきらきらして本当にきれいよ」
リリアンとエリーナの恋にも色々あるという言葉に目を見ひらいたの。
私のガイ様へのこの想いも恋なの――?
「ねえアリー、ガイフレート様に刺繍のハンカチを贈るのはどうかしら? まだ桜が咲くまでに時間もあるから私たちも刺繍の練習を手伝うことができるわ」
「そうよアリー、泣いていても気持ちは伝わらないわ。刺繍のハンカチには『私を忘れないで』という意味もあるのよ」
二人の言葉にこのまま泣いているのはいやだと思ったの。
「ありがとう――! ガイ様に刺繍ハンカチを贈ることにするわ!」
親友二人に宣言した途端に、せっかくならガイ様によろこんでもらいたいと思ったわ。
ぽろぽろこぼれていた涙はぴたりと止まって、わくわくする気持ちがあふれてしまうの。
「ねえねえ、どんな図案がいいと思う?」
「泣いてたアリーがもう笑ってるわ!」
「とびきりの刺繍を刺しましょうね」
私にとびきりの親友が二人もいることが嬉しくて「大好きよ」とぎゅっと抱きついたわ。
ガイ様に刺繍のハンカチを贈ることを決めたけれど、お母様やマリアンヌ先生に『あなたはわたしの初恋です』を意味する白い刺繍ハンカチのことを知られるのはとても恥ずかしくて、どこで刺繍をするか悩んでしまったの。
たまたまお母様がお出かけをする日やマリアンヌ先生がいらっしゃらない日がつづいて、三人でこっそり刺繍ハンカチの練習をすることができたの。
「アリー、もっと丁寧に刺さないとだめよ」
「アリー、糸と糸の幅がちがうときれいに見えないの」
「アリー、巻いた糸がゆるまなくなるまで引くといいわ」
エリーナも厳しかったけど、リリアンがマリアンヌ先生の子供だとよくわかったわ。いつもはおっとりしているのに刺繍のことになるとぴしりと厳しかったけれど、二人からの愛情たっぷりの指導のおかげで今までより上手に刺繍することができるようになったの。
「できたわ――!」
桜のつぼみがふくらみはじめた頃、ようやく白い刺繍ハンカチが完成したの。
私がふるえる手で刺繍枠から白い刺繍ハンカチをはずすと、そっと手のひらに置いたの。
どんな図案にしようか考えて――『もりいちばんのくまさん』のくまのカイとうさぎのアリーがお友達になるところを刺繍して、そのまわりにガイ様と怪盗くまくま団で見つけたお宝のバラやお菓子、一緒に作った雪だるまや雪うさぎを小さな刺繍で刺したのよ。
「すてきにできているわ!」
「アリー、とってもがんばったわ」
「二人のおかげよ――本当にありがとう!」
横から刺繍をのぞきこむリリアンとエリーナの瞳もきらきら瞳をうるませて完成をよろこんでくれたの。
はじめてお庭の桜が咲いた日、いつものようにガイ様がいらしたけれど、いつもとちがって困ったような表情をうかべているガイ様を見て、今日がお別れなのだとすぐにわかったの――
「ガイ様、かくれんぼして遊びましょう!」
親指をぎゅっと握りしめ、涙がこぼれないようにガイ様に抱きついて、ちゃんと笑ってみえるようにはじめて笑顔をつくったの。
「アリーシア嬢は元気だな――ああ、かくれんぼをして遊ぼう」
「それならアレクお兄様が鬼になってほしいの。ガイ様、あっちにかくれましょう」
ゆっくり数字をかぞえはじめたアレクお兄様をおいて、腕をぐいぐい引っぱってガイ様とはじめて会ったお庭の木まで走ったの。
ここにかくれたいと言うとガイ様がひょいと抱きあげてくださって、葉っぱのかげでかくれんぼをすることにしたの。
「ガイ様、ここでアリーとはじめて会ったことを覚えていますか?」
「ああ、あの時はアリーシア嬢とカイがいきなり落ちてきて驚いたぞ」
ガイ様が穏やかな声で笑うと大きなあたたかな手が伸びてきて頭を撫でてくれたけれど、困った表情のガイ様と瞳があってしまった。
いつもならおだやかな声からつむがれるどんな言葉も聞きたいけれど、今日だけは、今だけは、耳をふさいでなにも聞きたくないと思うのに魔法がかかったみたいに動けないままガイ様の瞳を見つめてしまう。
いやなの――!
なにも聞きたくないの――!
だけど、ガイ様の口がゆっくり動きはじめてしまったの。
「あのな、今日でアリーシア嬢と遊ぶのは最後なんだ」
風に乗ってふわりとガイ様の甘い匂いが鼻をかすめていく。
ガイ様にもう会えない――そう思うと鼻の奥がつんと痛くて、じわりと涙があふれそうになるのを必死に我慢して、私はくまさんポシェットから刺繍ハンカチを取り出すとガイ様に差し出した。
「アリーが刺繍したものなの。ガイ様に受けとってほしいの」
「ああ、ありがとう――」
驚いた顔をしたけれど、刺繍ハンカチをそっと丁寧に受けとってくださったガイ様の優しいエメラルドグリーンの瞳を見つめるとゆっくりと見つめ返してくださったの。
「――ガイ様、好きです」
桜の花びらが風でひらひらと舞い散る中で、私はガイ様のほっぺたにはじめてのキスを贈ったの――。
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