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再び 2

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「くしゅっ――くしゅっ!……ぐすっ、すみません」

 日差しが差し始めた頃、不意に隣からくしゃみが聞こえた。抑えてはいたが、一人だったらもっと盛大にしていたに違いない。

「……もしかして寒かったですか? ちょっと風が吹いてるし」
「あ、違うんです」

 彼は笑って説明を始めた。

「暗い場所から明るいところに来ると、どうしてもくしゃみがでてしまうんです」
「え? それって……あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫、平気ですよ。明るい場所に出た時だけに反射ででちゃうだけですから。一回くしゃみをしてしまえば後は普通に過ごせますし。……子どもの頃からそれが当たり前だったので皆そうだと思ってたんですけどね。遺伝するらしくて、僕の家族もそうです。でも珍しいものじゃないみたいですよ」
「へえ~、何だか不思議。くしゃみをしているからって風邪とか、寒いってわけじゃないんですね。……理由は?」
「僕も風邪じゃないかって心配されたりしますね。原因はまだよく解ってないみたいで。一応、光くしゃみ反射って呼ばれてるらしいです」
「光くしゃみ反射……」

 初めて聞く現象だった。明るい場所に出る度にくしゃみをしてしまうなんて、例えばトンネルとか映画観なんかから出た時もくしゃみが我慢出来ないのだろうか。今みたいに日差しだけでもでるってことは、毎朝お約束のようにくしゃみをするってことだ。……ちょっとというか、地味に邪魔臭そうだ。

「でも便利なこともあるんですよ。普通にくしゃみがでそうな時、あともうちょっとででないなんて事あるじゃないですか。そういう時は太陽とか、室内の照明でもいいんですけど……見ればまず間違いないですから。――って、それだけなんですけど」
「ふふ、そういう使い方があるんですね。ひとつ知識が増えました」
「――ええっ、貝さんってば、やだなあ。こんな知識なんの役にも立たないのに。……なんだか、ちょっと情けない話しちゃったかな」

 彼は困ったような声を小さく漏らしながら、稀から見える左頬を軽く引っ掻くようにして手で覆い隠した。情けなさでどうやら恥ずかしくなったらしい。

「くっ――」
「――えっと、貝さん?」

 ふん、自分からぺらぺらと喋っておいて何がどう恥ずかしいんだか。

 少しからかうような返しをしてしまった稀も悪いが、悪気があったわけじゃない。あまりにも馬鹿らしくて思わず盛大に鼻で笑いそうになったのを、歯を食い縛って我慢した。一応、彼は善意で魚を捌いてくれるどころか、稀よりも早く海に来て魚を釣るところから手伝ってくれているのだ。そんな相手に馬鹿にしたような態度を見せるわけにはいかない。

 ……でも、これが本物のコイビトだったりしたなら笑いはしても、こんな馬鹿にするような気持ちは沸いてこないのだろうか。優花だったらどうするのだろう。きっと楽しく笑い合うに違いない。

「もしかして可笑しかったですか?」
「え、だって……」

 ちょっと意地の悪い笑顔をつくって、彼に向き合う。彼の顔を覆っていた手はすっかり降ろされ釣り竿の柄をぎゅっと握り締めていた。

「だって、福田さんが急に照れたりするからですよ。可笑しくなっちゃって――ふふっ、ごめんなさい……あははっ」
「――――あー、あはは、まいっちゃうな……」

 場を和ませる為に笑ってみせれば、当の本人は笑われているというのに機嫌が良さそうだった。照れ臭そうにしているくせに、稀と一緒になって嬉しいといわんばかりの顔で笑っている。

 本当に何なの、嬉しそうにする意味が分からない。――――あ、ひょっとしてこの既視感……そうか、そういうことだったのか。

 勢いはあるくせに、どこまでも曖昧な態度。気持ちの高揚を隠せていない、男にしては少し高くてちょっと上擦った声。稀は過去にも何度か同じような事があったのを思い出した。興味がないものだからいつも気付くのに時間が掛かってしまうが、この様子からするとただの親切心で声を掛けてきたわけじゃないらしい。

 なーんだ、私はただ付き合わされているのか。

 残念ながら彼の気持ちは無駄になるのだろう。いくら稀相手にボールを投げたところで、肝心の稀が捕ろうとする動きさえしないのだから。ボールが返ってこなければそのうち手持ちのボールも無くなり男は投げる事も出来なくなるだろう。
 せっかく投げたボールだ、恋愛をする気のない稀でも勿体無いと感じてしまう。ふと後ろを振り返って見たならば、ずっと拾ってももらえない打ち捨てられ汚れてしまったボールが転々と転がっていた。今拾ったって何の意味も持たないものばかりだ。それなら今度は汚れないようにしよう、無駄にならないよう飛んできたボールをキャッチしよう、そうは思わないのだから始末に負えない。

 ……優花なら投げ返すんだろうな。普通に投げるだけじゃなく、変化球やフライを使ってみたり。相手の近くまで歩み寄って直接手渡ししてみたり。

「……私は職業柄、知識は多い方が良いですから気にすることないですよ。勉強になったのは本当です。でも、そうだなあ、笑っちゃったお詫びに私からもひとつ」
「えっ、何ですか? 知りたいです」

 稀はにっこりと彼に笑い掛けると、海面に目を向けた。無言のまま持っている釣り竿を上に優しく持ち上げて、すとんと落とす。それを短い間隔で不規則に繰り返した後、今度はゆっくり一回、二回と同じ動作を繰り返す。

 稀の頭の中には生きた小さなプランクトンが一匹、光の差し込む海中を無防備に泳いでいた。

「話というと……?」
「うーん、釣りのちょっとしたコツというか楽しみというか。私はこうやって竿を不規則に動かして、魚から見た餌のプランクトンが生きているように見せ掛けているんです。今の見てましたよね」
「――はい、えっと」
「私の言ってること分かります?」

 一体何の話なのか。腑に落ちずぽかんとしている彼に補足をしてやる。

「私はいつも魚の気持ちになって釣りをするんです。魚だって、できればまずいご飯は遠慮したいじゃないですか。でも体力が無限にあるわけじゃないから、何時だって最高級のご飯に在り付けるわけじゃない。……私はその魚の心理を読んだ釣りをするんです」
「……それが、稀さんのちょっと恥ずかしい話?」

 ちょっと拍子抜けしている彼ににっこり笑い掛けて制止する。

「私が竿を振って演じているのは美味しそうな餌というより、ちょっとお馬鹿で動きが幼い、頑張らなくても気軽に食べられちゃうようなそんな油断しちゃってるプランクトンです。ほら、人間だって道端の自販機で飲み物買ったり、小腹が空いたらコンビニに立ち寄ったりするじゃないですか。そういう道の途中にある、取り合えず寄っておこうと思ってしまうような餌場を演じてるんです」
「あ、ははっ、貝さん、なんですかそれ。変わってるっていうか、そんな細かいことまで考えてたんですか?」

 言わんとしていることが何となく読めてきた彼は、意外そうな顔をして笑っている。

「まだですよ。もっと言うと、私の演じるお馬鹿なプランクトンに騙されて、つい喰い付いてしまったこれまたお馬鹿で哀れな魚を釣り上げるのが楽しくて仕方ないんです。私が今まで釣ってきた魚は全部、馬鹿な奴ばっかりだと思いますよ」
「あ、ははっ、貝さん! やめてくださいって」
「ええ? どうしてですか? 本当のことなのに。まあ、釣りが得意な福田さんに聞かせるような話でもないですね」

 稀はそう言って釣り針を回収し始める。そろそろ引き揚げる頃合だろう。

「分かりました、分かりましたよもう。……急に馬鹿なんて言うから、ちょっとびっくりしました」
「そうですか? どう見ていたのか知りませんが、誰だって馬鹿くらい言いますよ」
「……そうだ、貝さん、気になってること聞いてもいいですか?」
「はい、何ですか」
「結局のところ貝さんって、この島に何をしに来たんです?」
「――あー……」

 はあ、またその質問か。お互い歩み寄ったって何も生まれないというのに。たまたま立ち寄った自販機やコンビニのことを覚えている人なんていないだろう。

「そうですね、それはまた機会があった時にでも」
「ええ、教えてくれないんですか」
「私が何をしてたっていいじゃないですか。それじゃあ、福田さんも風邪を引いてしまわないうちに引き揚げましょう。美味しいお刺身、期待してます!」

 くしゃみをからかわれながら質問にも答えてもらえず、残念そうにする男を笑いながら片付けを手伝ってあげる。

「あ! そういえば私の勝ちですね」
「……勝ち、ですか? 何のことです?」

 またまたぽかんとする彼に教えてあげよう。

「釣りの醍醐味といったら勝負じゃないですか。私が三匹、福田さんが二匹で私の勝ちです。残念ながらフライングで釣ったマイワシはカウントしません!」

 貴方はゲームをするのに必要だっただけの存在なんだと。
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