比翼の悪魔

チャボ8

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二人の戦争・止まない雨

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彼等にはもうどうにもできない。







朝日が差し込む、希望に満ちた新しい一日の始まりだ。だがルシファーとリリスにはそんなものはない。


「もう朝か…」


「何とか…逃げ切れたけど…困ったね」
二人の顔には疲れが色濃く出ている。


彼等は昨晩マンティコアという魔族に襲われ撃退した…のは良かったのだが力を使ったせいで魔獣に気付かれてしまい一晩中進み続けていたのだった。


そして彼等の敵は魔獣だけではない、トロメア帝国の兵士にも執拗に追われている。


トロメアの執念深さははっきり言って異常だ、全く休めていない状況で戦えば生き残れるか分からなかった。


「何処かで休みたいな…」
リリスも逃げている途中に魔力の撒餌を使っていた為かいつもより疲労が酷い様子だった。


「だな…」
だが追跡を振り切り休むなど出来るのだろうか、少し考えてみても何一つアイデアが浮かばなかった。


「昨日みたいに誰も来なければ良いんだけどね」


「偶然見つけられなかっただけ…なんて無いよな」


「無いと思う…」
それだけはあり得ない、すぐさま二人は否定した。




トロメアは人数が少ないが兵士の質は高いのが大きな特徴だ。


悪魔族の力もそうだが兵士それぞれが追跡、潜入などの任務をこなせる技術は備えている。


おまけに嗅覚、聴覚、視覚を強化する力を持つ者もいる、その彼等が見つけられないとは思えなかったのだ。




「一体何を企んでいるんだ…」
少しづつ歩を進めながら必死に考え込むルシファー、だが眠気と疲労で頭が回らない。


見かねたリリスが一つの提案をした。


「・・・ルシファー、やっぱりここら辺で休もうよ」


「でもリリス、今は…」
ルシファーが難色を示した。


今は昼間、トロメアが活動し彼等を襲撃しに来てもおかしくない時間帯である。


こんな状況で足を止めるなど悪手としか思えない。


「大丈夫分かってるよ。だから少しだけ準備してからにするの」
そう言ってリリスはバッグから道具を取り出し始めた。


「それは、そういうことか。分かった、手伝うよ」
彼はそれを見て直ぐに察した。


「うん、直ぐにやっちゃおう」




二人で取り掛かればあっという間であった、簡単な罠を作成し辺りに設置したのである。


非常時の為に残しておいた手投げ弾を利用し簡単な地雷を彼等は作ったのだった。


結果的に戦う手段を一つ失ってしまったことになる上に通用するかは疑問だが無いよりはマシと彼等は判断した。


「一先ずこんな感じで」


丁度良く視認しにくい位置にトラップを設置、即席故ワイヤーで信管を抜き起動するような物しか作れなかったが多少の牽制にはなるだろうと自分達を納得させた。


「でも過信は出来ないな、見張りは欠かさないようにしないと…」


「そうだね…相手もプロだし、そればかりは仕方ないよ。それじゃあまた交代で休もう」


「ああ」



ただの休憩ですらここまで気を遣わないといけないのは正直つらい物があった、だが身を守るためには仕方ない事なのだ。


少しでも怠れば二人きりで過ごすことが出来なくなるかもしれないのだから。




それから周囲に誰も居ない事を確認し木の上に登った二人。


これで一息つけると思うと全身の力が抜けて意識が飛びそうになるが辛うじて踏みとどまった。


両方が寝てしまっては警戒が出来なくなる、疲労困憊ではかなり辛いが耐えなくてはならない。


毛布を取り出し包まる二人、肩を寄せ合った。


先ずはルシファーから目を閉じ休み始めた。







現在はお昼を過ぎている。


そして結論から言うと何も起きなかった。


「…来なかったね、いや来ないならそれで良いんだけど…」


「…何だこの落差は…」


先程までの彼等の葛藤は何だったのか、頭を抱えたくなる二人。


それに彼等の殺害にご執心だったのは何だったのか分からなくなりそうだった。


だが直ぐに頭を切り替える。


「えっと…どうせ何もないなら急ごうか」


「そう、だな」
それから軽めの食事を済ませて出立した彼等、胸にざわついたものを抱えながらも歩みを進めた。





(ウェパル、見つけたわ)


(分かった)
だがその彼等を狙う姿があった。ウェパル達は魔獣を従え襲撃の時を伺っていた。








「本当に向かってしまわれたのですね…」


シアスは独り嘯いていた。
彼は出発するウェパル達を何とか止められないかと説得を試みていたのである。


だが結果は失敗、二人は戦いに赴いてしまった。


ガープの意識も変わらず戻らない、城内の空気はおかしく皆オリュンポスとの戦争の時以上に殺気立っている、シアスの胸の中には何も出来ないという無力感と孤独感が渦巻いていた。


「お義父さん…」


彼の義理の父親はこの間アシュラに逆らい幽閉されたベルフェゴーレ、いつもしょうもない事ばかり言っているあの明るさが今はとても恋しかった。


「隊長…こんな所にいましたか」
制服を来た眼鏡の女性がシアスに声を掛けた。


「ビムさん…どうしました?」



彼女はビム、シアスの副官だ。とても真面目で頼りになる人物であり、シアスがガープの護衛に付いている間親衛隊をまとめていた才女である。



彼女は溜息を吐いた。
「どうしました?じゃないですよ。隊長という立場にある方が死んだような顔であっちへふらふらこっちへふらふら、みんな不安がっています。いい加減シャキッとしてください」


淡々と要件を伝えるビム。知らない人がこの場面を見たら説教でもされていると思われても仕方ないような言い方であった。


「そうですよね…ごめんなさい…」
彼は今にも泣き出しそうである。彼女は少し焦った。



「・・・すいません、本当に心配なんですよ…陛下の事ですか?」


「ありがとうございます、ビムさん」


少し冷たく感じる言い方は彼女の個性なのだ、シアスもそれは承知している。


それを分かっているのもあり彼女の気遣いに泣き出しそうになってしまっていた。


「それもあります…でも色々な事が一気に起きてしまって正直参っていますね…」


心情を吐露し始めるシアス。


普段は弱音を吐くなどしていない彼だったが今は別である。


誰かに話さなければ心が壊れてしまいそうであった。




話を聞くビム、表情にあまり変化はないがどことなく優しい雰囲気である。


「板挟みという訳ですか」


「はい…」

友人になったばかりのルシファーとリリスも心配だがトロメアの皆も死んで欲しくない、既に多くの仲間が犠牲になっている。


本来であれば戦わなくて良かった筈なのにどうして、と彼の心に影を落としていた。


「それで今、ウェパル様達を説得と」


「でも無理でした…」


「まあ、残念ながら当然ですね・・・」
項垂れるシアスに正論を言うビム。


事情は二人とも知っていた、その為それについては何も言わなかった。


「ところで・・・隊長は彼等、ルシファーさんとリリスさんを信じていますか?」


「はい」
彼は迷いなく言い切った。


「そうですか、私はその方達をよく存じません、ですが隊長の事は信じています。その貴方が信じている人ですからきっと良い人達なんでしょう」


「えっと…はい」
いきなり言われて困惑するシアス、ビムは小さな紙を差し出した。


「これは?」


「ラブレターです」


「…え?」
話の脈絡が無さすぎて困惑が深まるシアス。


「聞こえませんでしたか?ラブレターですよ。とても恥ずかしいのでトイレの中とか誰も居ない所で見て下さい。愛していますよ隊長」


そう言って彼女は早歩きで去って行った。


シアスは困惑しながらその姿を見送った。




それから後。


(一体どうしたんだろう…)
いきなりの告白に戸惑いつつも彼は律儀に言いつけを守りトイレの個室に座っていた。


勿論彼女から貰った紙をポケットに入れている。


彼女の事は信頼すべき副官として思っていた為にこのように言われるのはとても戸惑うシアスだった。


(先ずは友達から…かな、デートってよく分からないや…どうすれば)
返事を考えながら紙の封を開けるシアス、彼はとても真面目なのだ。


そして目を通し、言葉を失っていた。


(これって…)
彼がビムから貰った手紙、そこには恋文以上に重要な事が書かれていたのである。


それは行方不明者のリストだった、しっかりと日付まで調べてある。


こんなことが起きていたのも知らなかったが何よりその内容に言葉を失った。


(数日前から、この日付だとルシファーさんとリリスさんが来る前だ。行方が分からなくなったトロメアの人がリストにまとめてある…)


彼は目を通して考え始めた。


(でもなんでこれを?)
考え込むシアス、だが答えは直ぐに出た。


(ブエルさん…?えっ…)
ブエル、医師である。それもガープが遅効性の毒に冒されたという診断をした医師だ、シアスも世話になった経験がある。


そんな重要人物が行方不明人物のリストに入っていたのである。


おまけに居なくなった日付はルシファーとリリスが来る前だ。


シアスの背筋に寒いものが走った。


(あの時診断した人は誰?今も陛下はそんなところに?)


ブエルが行方不明、その情報一つで一気に焦りが膨らみ始めるシアス。



情報の精度は信頼している副官のものだ、疑ってはいない。


それどころか彼女の安否も心配になってきた。


こんな情報を探っていたのでは危険な目に合う可能性がある。


それに陛下は国を壊そうとする敵の手に堕ちているのでは、何とかして真犯人を見つけなくてはこの敵討ちを装った盛大な同士討ちで本当にトロメアが無くなってしまう。


彼は紙を燃やすとトイレに燃えかすを捨て独り静かに部屋に向かった。







それから暫く。


(くそっ数が多い)
ルシファー・リリスは魔獣の群れに襲撃されていた。


マンティコアが二頭、そしてどこから連れてきたのか分からない魔獣にされた哀れな人々が複数である。


おまけに魔獣使いがいる、そいつの統率のせいで彼等は苦戦を強いられていた。


顔も確認できておらず声すら聞いていないが気配からルーラーである事は確かだった。




襲撃されたのは夕方近く、その日の休む場所を探していた時だった。


急にどこかで聞いた笛の音が鳴り響いたのである。


「リリス!」
直ぐにシトリーで聞いた音と同じと察した彼等は迷わず能力を発動。


周囲の警戒を始めた。



(嘘でしょ…警戒してたはずなのに…)


(あっちが上だったという事だ、気にするな。で、敵の気配は?)


そう言った途端、光が彼等の周りで輝いた。間違いなくあの石を砕いた光、出てきたのは意思を奪われ魔獣にされた人々だった。


身構えるルシファー・リリス。数だけで20人近く、全員鎌や鍬等を得物に持っている。
(うわ…)


だがまだだった。
(ルシファー、少し離れた所にルーラーの気配。それにまだ二つ…)


ルーラーが来ている事実に驚く暇もなく、草むらから飛び出してきたのはマンティコアの魔獣が二頭現れた。


(これはまたやばいな・・・)


(気を引き締めて・・・)


それから時を置かずして再び笛の音が辺りに響き相手が襲いかかってきたのだった。





人の魔獣達が持っているのは鍬や鍬などの農具である。


農具と侮るなかれ、そんなものでまともに斬られれば痛いし刺されれば死ぬ、おまけに数の暴力で圧してくるのだ。


だが個の力は弱い、のも事実だがマンティコアという獰猛極まりない魔獣がカバーしている。



(ごちゃごちゃと…)
距離を取りながら舌打ちをするルシファー・リリス、彼等は攻めあぐねていた。


相手の方が得物が長い上に数が多い為簡単に反撃できないのだ。


下手に距離を詰めれば囲まれて背後や脇から反撃を受けかねない、この先もまともに休めるかすら怪しい現状では少しの傷ですら命取りに繋がってしまう。


それに。


(来るよ!)
合間を縫って一撃を入れてくるマンティコア達、素早い上にタイミングをずらしての攻撃は最悪極まりなかった。


鉄程度なら容易く切り裂く爪が掠めそうになる、リリスの予知が無ければとっくに殺されていたかもしれない。



(こっちがあまり休めていないのを分かっていてやっているんだろうな…悔しいがやり手だ…)


(これ…どう攻めようか…一気に行く?)


(・・・いや、堅実に行く)


(うん、分かった。この後もあるもんね…)


(だな…)
この後ルーラーと戦う事になる以上無駄な手傷は負えない、そして此方の手の内を見せる必要もない。


よって慎重に戦うのが最善策と彼等は考えた。





ルシファー・リリスは左手に魔力を溜め始めた。


笛の音が響き相手が鎌や鍬等を振りかざして襲いかかって来る。


ルシファー・リリスは深呼吸をして心を落ち着かせ、剣を構えた。



(行くぞ)


(うん)
彼等は左手から魔力弾を撃ち相手を撃ち抜き始めた。


確かに敵は多い、だが持っているのは所詮は農具だ。魔力弾は防げない。


農具ごと体を撃ち抜かれ少しづつ相手が数を減らしていく。


物理的な防御では魔力による攻撃をほぼ防げない、騎士が着るような重厚な鎧なら多少はマシになるかといった程度、生活用品に過ぎない農具では銃撃をティッシュ一枚で防ぐようなものである。


そして彼等の作戦、相手の動きが緩慢なのも相まってかシンプルに魔力弾で撃ち抜く作戦は効果覿面であった。


攻撃を躱しきれない魔獣達が次々に倒れていく。


(デカいのは?)


(まだ来てない、相当離れているよ)


(よし)
マンティコアの襲撃がまだないのをリリスが確認、ルシファーは目の前の群れに集中を続ける。


だが数匹が攻撃を掻い潜って来た、なんと倒れた同類を盾にしていたのである。


これでは撃ち漏らすのは仕方ない。


彼等は慎重に後ろへ下がり攻撃を続ける。


それでも距離を詰め襲いかかって来る相手、ルシファー・リリスは右手の剣で攻撃を打ち払いがら空きの胴体を左手の魔力弾で撃ち抜く。


敵の返り血が彼等にかかる。


相手の数が多く武器のリーチでも負けている以上まともに切り結ばない、斬るだけでなく防御に剣を使うという戦法も上手くはまった。


だが優勢にも関わらず全力で距離を取ったルシファー・リリス。
(デカいのは?)


そろそろかと思いリリスに聞くルシファー。


(流石だね、後ろから来るよ…!)
タイミングぴったり、マンティコアが彼等の背中を狙うように襲ってきた。


先ず凄まじい速さで一体が飛び掛かってきた、それを右手の剣で受け止める彼等。


(ぐっ…)
凄まじい衝撃が彼等に掛かる、相手の醜悪な顔が迫り腐臭のする息が彼等に掛かる。


何とか堪えているとその隙を逃さず笛の音が響く、もう一体が別方向から現れ火球を撃ち出そうとしていた。


片割れ諸共撃つ気だ、当たり前だが直撃すれば火傷では済まない。




一体で抑え込みもう一体の火球で抑え込んだ個体ごとダメージをという考えなのだろう。




先程の魔獣を減らしている時にワザと距離を離していたのは索敵範囲から逃がしタイミングをずらそうという意図だと彼等は予測した。


実際マンティコア達の速度は凄まじい、マンティコアという種族自体元々の脚力はかなりの物だった、だが魔獣にされたせいで体の負荷を考えない加速が可能になり通常の個体より速くなっていたのだ。


この速さなら索敵範囲から逃がして二方向から突っ込むという作戦を取るのも頷ける、ましてや目の前の群れに釘付けだったのだからいきなり猛スピードで現れて向かってくるという形になる。


普通なら対応は不可能だったかもしれない。




(無駄よ、最初から全部見えてるんだから)
だがマンティコアは索敵範囲から全く逃れられてはいなかった、別方向から来るのも見抜かれていたのだ。


不本意だがリリスには全力で周りに気を向けてもらっていた。


ルーラーにリリスの能力の上限を推測させてしまうという欠点はあるがこの際仕方ない。


(行くよ)


(ああ)




そしてリリスにはマンティコアが火球を撃ち出すつもりなのが見えていた。




しかし左手には魔力の光輪を準備していたのである。




(来た!)
二体目が撃った瞬間にリリスの合図、ルシファー・リリスは左手の光輪を全力で二体目の居る方向に投合。




放たれた光輪は相手が撃って来た火球を両断、打ち消し無力化、そのまま撃って来た本体を頭から真っ二つに切り裂き殺害。




だがまだ終わりではない、光輪を戻って来させ次の命令が下る前に目の前の一体目を切断し絶命させた。






(甘かったか…)
命令を下しながら戦況を確認しているウェパルは己の判断を悔やんだ。


理由は先程の彼等だ、まさか最初から最後まで見抜かれていたなど相手を甘く見過ぎたと言うしかない。


マンティコア達の取った距離はアイムのクイーンであるイブリスなら索敵不能な距離であった、これだけで間違いなく敵はあの二人より強いのが分かってしまう。


(これでは幾ら兵士をぶつけても屍を増やすだけだな・・・)
ウェパルは彼等の戦う姿を見て納得していた。


どこに居ても見つけ出す目、対応力、デーモンの能力から来るほぼ底なしの魔力、トロメアの兵士がどれだけ優秀でも本気でこれを倒すなら数人単位で部隊を組むのではなく数百人近い人数で編成された部隊を出さなければどうあがいても勝ち目はない。


現状の小出しにする戦い方では相手の精神を摩耗させるのが精一杯だろう。




そしてマンティコアを失った手駒達は完全に瓦解。


続々と数を減らしていた、全滅は時間の問題となっている。


(私達で勝ちましょう…もう少し堪えて、少しでも消耗してもらいましょう)
ワルがウェパルを宥める。


(そうだな・・・)
ウェパルが俯きがちに答える。


あの魔獣達を作ったのはウェパルだ、彼等が怯えた目で見ていた姿が頭から離れない。


仲間達を守るという大義名分を必死に自分に言い聞かせ何の罪もない一般人を魔獣に変えた、そのまま彼等を相手の力量を測るための当て馬にして見殺しにした。


そして無実の罪にも拘わらず協力してくれると言った者達を殺さなくてはならない、だがここでやらなくては部下達は間違いなく死ぬ。


考えれば考えるほど吐きそうなくらい胃が締め付けられる。


今までもソロモンを葬るという大義名分の為に自分を誤魔化し散々非道な事をしてきた、だがいい加減誤魔化しきれなくなってきていた。


彼等はどうにかなりそうだった。


いっそ記憶が消せたらどれだけ楽か、死んでしまえばもう苦しまなくてすむなど色々な考えが頭を過り始める。


(いや・・・ここで逃げたら本当に全て無駄になる・・・ワル、こんな私に付き合ってくれてありがとう)


(良いのよ、貴方が好きだから。それだけ)


(ありがとう)
その眼光は鋭かった。


そして手駒が全滅した。







(…)
日が落ちた森の中、屍が四散している中で佇むルシファー・リリス。


当たり前だがとても気分の良いものではない。


この人々も普通の生活をしていた筈なのだ。


マンティコアも凶暴で理解し合えない存在とは言っても生きていただけなのだ。


それが尊厳を踏みにじられ人形にされる、殺すしか出来ない事実にどうしようもない無力感を感じてしまう彼等だった。


だが感傷に浸る暇はない。


(来たよ)
リリスの警告、相手が動き出した。



剣を構えるルシファー・リリス。
(距離は?)


(えっと…ジグザグに動いて向かって来てるよ)


(ジグザグ?)
よく耳を澄ますと何かを叩くような音がしていた。


(この音は…)


次の瞬間轟音と共に大木が飛んできていた。


恐らくは蹴り飛ばされてきたのだろう、挨拶にしては過激だ。


(うわ?!)


(ルシファー!)
一瞬焦るルシファー、だが直ぐさま飛び立ち大木を難なく避けた。


土煙の中人影が見えた。


(…こいつか)


(うん、気を付けて行こう)


黒い装束に身を包んだ初老の男が降り立った、ウェパルである。


「トロメアのウェパル、そしてクイーンのワルだ。お前達を討たせてもらう」


ウェパルは静かに言い放つ、その言葉には確かな殺意が込められているのを嫌という程感じられた。









(…)


(…)
静かに睨み合う両者、世界が止まったかのような静寂に辺りが包まれる。


ルシファー・リリスは瞬き一つせず相手から視線を外さない。


どのように動いてきても良いようにあらゆる状況を想定し待ち構える。


(先ずは出方を見る、侮れる相手じゃないからな・・・)


(任せて、しっかり見ておくから)


間違いなくこのルーラーは只者ではない。


だがこちらはこの相手を倒して終わりではない、少しでも傷を減らし消耗を減らして勝たなければ先はないのだ。


そういったプレッシャーが余計にのし掛かり嫌な汗が顔を伝う。





(…)


(…!)
先に動いたのはウェパルだった。


凄まじい速さで飛び掛かり蹴りを繰り出したウェパル。


回避不可能と判断、同時に守るため腕力を強化する彼等。


腕が折れそうなくらいの重さに潰されそうになるもそれを受け止めるルシファー・リリス。


(なんて速さなの…)


(危なかった…反応が一瞬でも遅れていたら…)


相手の速さはリリスの予知を使っても反応しきれるか危うい程、彼等は戦慄した。





だが相手は待ってなどくれない、更に斬り掛かってきた。


確認できる限りウェパルの能力は魚人のものだった。


手が魚類の鰭に近い形に変異しておりそこに生えた棘を鉤爪のように使い彼等を斬り付けている。




(くそ・・・あんなの何回も受けられないぞ)
鰭棘の攻撃を避けながら、先程の蹴りから相手の脅威を判断するルシファー・リリス。


彼等が必死に距離を離そうとする、魔力弾を絡めた中距離戦闘に切り替えるつもりだった。





だが敵は踊るようなステップで軽快に近寄り攻撃を加えて来る。




それが執念深く中々距離を離せず思うように行かない、ふらっと動いたと思ったら急に距離を詰めてくるというペースの掴ませない動きだった。


思うように行かない現状に次第にルシファーの苛立ちが募っていく。


(くそっ・・・鬱陶しい)
耐えかねたルシファー・リリスが斬り掛かった、だが攻撃は掠りもしない。まるで分かっていたように躱されてしまう。


(な・・・)
驚きを隠せない、だが二度三度斬り掛かるルシファー・リリス、しかし結果は変わらない。


掠りもせず空を切る、念の為言うと決して適当に振った剣ではない、しっかりと相手の攻撃の合間を縫って正確に繰り出した一撃だ。


(ルシファー!)
リリスの警告、相手の反撃が飛んできた、強烈な蹴りである。




(くそっ…)
紙一重で防ぐ彼等、最初の程ではないが重たい一撃だ。


衝撃で剣を落としそうになるが必死に堪えた。




そしてその隙を見逃さず相手は追撃。




(こいつ…戦いにくい…)


心中で舌打ちをするルシファー、このままではジリ貧である。


また最初のような重たい蹴りが飛んできてはかなり不味い、そう何度も防げるかは分からない。


ペースを握られ反撃が出来ないまま彼等は劣勢に追い込まれていた。


それに。


(だめだ…くそっ…)
相手と得物を交えながらルシファーは焦っていた。


相手は確かに強い、今までとは桁が違う。


彼の焦りは他にもあった。


先程も述べたが敵はウェパル達だけではないのだ。


勝てたとしてもまだ敵は来る。


だがここで全力を出して燃え尽きたら、大怪我をしても後が無くなる。


その焦りと思うように戦いが運べない現状、相手の強烈な攻撃に怯んでしまった等色々な原因が重なり心が乱れきっていた。


苛立ちから反撃してしまったのもそれが原因であった。




(ルシファー、お願い落ち着いて。先ずは仕切り直そう?私達なら絶対大丈夫だから)
見かねたリリスが言う、ここまで荒れている彼を見るのは彼女も久しぶりであった。


(だけど…だけど…)
嬲り殺しなどごめんである、だが焦りで考えが纏まらない。


そんな時だった。


(・・・ルシファー。さっきも言ったでしょ?大丈夫だよ。それに知ってた?私達で超えられない壁なんて無いんだよ?)
リリスが優しく語りかける、彼の焦りの原因を見抜いたのだろう。


ユーモアを交えつつも落ち着いて今まで通りに、ということを彼女は伝えてきた。


(・・・ごめん、目が覚めた。ちょっと弱腰になりすぎてたな)


(それでこそ、その意気だよ)



彼はその言葉を受けてほんの少しだけ肩の荷が下りたように感じた、ここまで日常が激変しすぎたストレスが大きすぎて慎重になりすぎていた。


だが彼は一人ではないのだ。


美しい才媛にして最高のクイーンであるリリスが居る、そして偉大な師にして最愛の家族から教わった技がある。




どんな奸計が来ても負ける気がしなかった、未知に怯える必要などないのだ。






そしてそのままルシファーは考えた。


(作戦が一つある、それとお願いがある)


(どうしたのルシファー?)


(終わったらキスしてくれ、すごく濃いやつ)


(え?)


(すまない、必要なんだ。頼む)
ここで普通の人ならば気でも狂ったかと思われるかもしれない。


だがリリスは物心ついてからルシファーと一緒に過ごしてきた。彼が考えなしに言うはずが無いと信じていた。


(うん、良いよ。いくらでもしてあげる。だから勝っていっぱいチュウしよう)


(ああ、ありがとう!)


確かに怖い、相手も恐ろしく強い、だがここで殺されてはこの先も無いのだ。


ルシファー・リリスは静かに前を見据える。


何が来ようと二人で乗り越える、何が来ようと打ち砕く、迷いを振り切った。





それからもウェパルの猛攻は尚続いていた。


一撃一撃に確かな殺意、執念が込められているのが防いでいるルシファー・リリスには感じられる。




最初こそ気圧されていた彼等、だが今は違っている。


(先ずは少しでも目を慣らす)
その眼は相手の一挙一動に向けられていた。


瞬きも忘れるほどの集中である。


一振り、一振り、的確に攻撃を捌いて行くルシファー・リリス。


時折攻撃が掠めそうになる、蹴りにも彼等は取り乱すことなく正確に対応していく。


そして連撃の合間、ウェパルの力の込めた突きが打ち込まれる。


それを受け止めるルシファー・リリス。


串刺しにはされなかったが力の籠った一撃を受け止めてしまった為に体を抑え込まれる彼等、一時的にだが釘付けにされてしまった。


そしてウェパルはその隙を逃さず左手も全力で打ち込んできた。


彼等の狙い通りだった。




劣勢に追い込まれて気付いたことがあった、相手はもしかして自分達と同じ事が出来るのでないかと。


攻撃を完璧に見切られた事から考えに至りルシファーは幾つかの対策を考えた。


同じ事が出来る相手など初めての事だ、正直通用するかは分からない。


だがもう怖がらないと決めたのだ。



そしてそれの実証の為二人は目を慣らし対応するという作戦を取った。





それからの二人は先程の通り集中力をフルに活用、徹底的に攻撃を見切り続けた。


そのおかげで相手の攻撃に目が慣れて来ていた。




だが躱すだけでは何にもならない、




ではどうするか。




相手の全力を誘うのだ。




(ルシファー!)





全力の左ストレートが彼等を貫きに来る。




この戦いが始まってから一番勢いがある攻撃かもしれない。




恐らく万全な態勢を取って防がなければ守りを崩され串刺しにされるのは明白だ。




相手も勝負を決めに来ているのがよく分かった。







だが彼等は防がなかった。




体を下げて空振りにし、




攻撃は頭上を掠めて行く。




そして足払いを繰り出した。




相手も人間だ、力の込めた一撃を打つならば全身の力と神経を集中しなければならないのは同じはず。




それを誘い反撃を叩き込めば幾ら読んでいようと動きを抑制出来回避は出来ない、と考えての反撃である。




(これで…!)




リリスが願う、この足払いが決まれば逆転するだけの自信が彼等にはあった。




(なっ…)
だがその自信は直ぐに砕かれルシファーは絶句した、相手は足払いをジャンプして避けたのである。




(今のを…読まれた…?)
間違いなく相手が打ったのは全力の一撃だ。




殺すつもりであり勝負を終わらせる為の一撃、そこに入れた横槍は間違いなく完璧だった。




だが反応された。




何が起きたのか頭が回らなくなるルシファー・リリス、次の瞬間相手の回し蹴りが彼等を襲った。




吹き飛ばされ地面に叩き付けられる彼等、首に直撃する前に腕で防げたのはルシファーの勘のおかげだった。








痛みに呻きながらも立ち上がる彼等、首が無くなるかと錯覚する一撃に寒気がする。
(くそ、痛ぇ…)


(ルシファー、やっぱりこの人達…)


(ああ…相手も同じルーラー、おまけに俺達より長生きだろう。同じことが出来ても不思議じゃない。当たって欲しくない仮説だったんだけどな・・・)
ルシファーも同じ考えだった。


今のを反応された、つまり相手は自分達と同じ、もしくはそれに近い予知を行えると見て間違いない。


(・・・よし、まだ行けるよね?)


(ああ、当たり前だ)
予知の原理は分かっている。


クイーンが行う探知の範囲を狭める、より多くの情報を得たキングが予測するというものだ。





(案その2だな。ペースを上げる、読まれる前に叩き込む)


(よし、やろうか)
悪魔族だのルーラーだの呼ばれていようが結局は人間だ。


情報を多く得られようがそれを処理し判断するのは人間、ならばその処理能力を超えて攻撃を加えればいつかは破綻する。


(勝負だ、どっちが先に崩れるか)
相手は何やら力を溜めている様子だ。




(来るよ)


(ああ)
攻めていく、それも徹底的に、さっきまでは使い渋っていた魔力での身体強化も忘れず使用。


ルシファー・リリスは前を見据えた。


(すまないが頼むな)
ルシファーが小声で謝った。


長時間の予知はクイーンに負荷を掛けてしまう、彼としてはこの策を行いたくなかったのだ。


(心配しないで、頑張ろう)
だがリリスは一切の不安など感じさせない返事をした、ルシファーもそれを尊重、これ以上は何も言うまいと再び前を向く。




剣に力を込めて、相手が向かってくる前に今度は彼等から飛び掛かった。




飛び掛かってきた相手を見てウェパル達は己の失策を痛感した。


呼吸と魔力を整えるためにと必要なことだったとは言え足を止めてしまったのは不味かった。


(気のせいじゃない。こいつらの空気が変わった…)
ウェパル達はルシファー・リリスが一転して攻勢に出てきたのを見て驚いていた。


身体強化の魔法を使い飛び掛かり斬り付け、防がれれば手首を捻らせて別方向から斬り付ける。


先程までの消極的な戦い方とは真逆の戦法だ。




ウェパル達は勝利を確信していた。


相当消耗しきっていたのか相手の消極的な姿勢からこのまま行けば勝てると思い込んでしまっていた。


所詮は若輩、数々の修羅場を潜った自分達には及ばないと心のどこかで決めつけてしまっていたのだ。


だがそんなことはなかった、ウェパル達は迷いを振り切ったルシファー・リリスに確かな脅威を感じていた。




(これほどとは・・・あ、この二人もまさか・・・)
そしてワルはまるで別人のような攻めをして来るルシファー・リリスに気圧されていた。


(だろうな・・・これは間違いなく最悪な相手だ)
ウェパル達も気付いた、相手が自分達と同じ事が出来る事を。




この予知はキングとクイーンが完全に息を合わせないと出来ない技である、一日二日の付け焼き刃で出来る物ではなかった。


いきなり冷静に攻撃を捌き始めた所でもしかしたらと思ったが案の定であった。




ワルは必死に相手の行動を読みウェパルに伝え対処していた。


だが正面からの斬り付けを防げば相手は直ぐさま羽ばたき後ろに回り込み斬り付ける、それを防げば手首を捻り更なる別の方向から追撃、少しづつ対応が遅れはじめ彼女に焦りが募っていく。


(先程殺しきれなかった私の落ち度だな…)
攻撃を受けながら苦々しくウェパルが言った。


ウェパル達は最初の接敵で勝負を決めるつもりだった、元々このコンビは暗殺等の闇討ちを得意としている。


だが仕留めきれずペースを奪われてしまった。


(仕方ないか…)


(ごめんなさい、私がちゃんとしていれば…)


(謝るな、私達は一蓮托生だろう)
ウェパルは優しい声でワルを諭す。彼はこの状況でも冷静さを失していなかった。





(こいつ…)
斬り掛かりながらルシファーは訝しんでいた。


(どうしたの?)


(いや、こいつら全く焦っていない。有利なのはこっちなのに…)


(確かに、気味が悪いね…)
リリスも怪しむ、とてもじゃないが相手の余裕はフェイクに思えなかった。



(どうするか)
彼等は考える。


また剣が相手を掠めた。間違いなく少しづつ反応できなくなっている。


相変わらずルシファー・リリスの優位だ。


(ルシファー)


(多分同じ事考えてるよ)
ルシファーの言葉にリリスは微笑んだ。


(それなら、思い切りやっちゃお)


罠なら罠ごと叩き潰すのみ。





斬り掛かりながらルシファー・リリスが魔力を溜め始めていた。


その間も攻撃を続けるルシファー・リリス、ウェパル達も警戒し始める。


(何か来るか)


(分かっています…)


ウェパル達も攻撃を受けながら魔力を脚に溜め始める。


回避、反撃両方に対応できるようにである。


(何時だ、どのタイミングだ…)




ウェパル達は彼等から目を離さない。


(あくまでも焦らしていくか、見逃さないでくれ)
目の前で何時撃たれるか分からないにも拘わらずウェパルは相変わらず冷静だった。


(はい、任せて)
先程は焦っていたがワルも少し冷静さを取り戻していた、信頼するウェパルが冷静さを失っていないのが大きいだろう。


ワルは頭を全力で働かせ相手を注視。ルシファー・リリスはまだ魔法を撃つ気配はない。


どのように仕掛けてくるのかは分からない、だが一瞬でも動きがあれば逃すような真似は断じてしない。


(さあ来なさい…来い…)


執念深く彼女は待つ。


攻撃が体を掠めて行く、だが致命傷ではなく些細な問題だ。


集中には変わりない、血が出ようが死ななければ関係ない。



そして勝負の時は来た。


ルシファー・リリスが攻撃、防がれた瞬間に距離を離そうとした。




(ウェパル!)
チャンスだ、逃すわけがない。




脚に溜めた魔力を解放、ルシファー・リリスへ突っ込み右手の棘を全力で突き出すウェパル。




「はぁー!」




(行けー!)
咆哮の如き叫びをあげながらの一撃、スピードを乗せた空気を裂きながらの突き、まともに防ぐのは不可能だろう。




おまけに間違いなくこちらの方が速い、ルシファー・リリスが急加速でも使っていれば話は別だろうが彼等は単に距離を取っただけだった。




(私達の勝ちだ…)
次の瞬間ルシファー・リリスの心臓は貫かれており、口から血を流していた。




棘を引き抜くウェパル、力無く彼等が倒れ込む。




仇を討った、仲間も守れた、天を仰いで彼は叫びそうになった。




だが
(ウェパル…見て)




ワルの様子がおかしい、ウェパルは死体に目をやった。

















死体などどこにもなかった。

















「終わりだ」
その声にワルが反応、相手は何故か後ろに、剣を横薙ぎに繰り出している。




ルシファー・リリスの剣がウェパルの胴体に命中した。




勝負が決まった。
























事は無かった。




「なっ」
驚いたのはルシファー・リリス、剣がウェパルの胴を両断しなかったのだ。




間違いなく肉体への付与魔法ではない、あれならば副作用で自滅している。




考えられるのは一つしかない。




「驚いたよ…さっきのは幻覚か、視線を誘導してと言った所かな」
ウェパルが言う。




先程のルシファー・リリスが行ったのは催眠、魔力で幻覚を見せるというもの。




極めて強力だがタネが分かれば単純であるために一度見破った相手には通用しないという致命的欠点があった。




「ちっ…ああ、そうだよ…で、お前の変異部位は上半身全部だったって事か…」




「御名答」




返事をしながら蹴りを繰り出される、がすぐさま飛び立つルシファー・リリス。




(まずったな…そこまで考えが至らなかった…)


(仕方ないよ、切り替えていこう)


飛び立ちながらルシファーは軽く後悔していた、リリスは切り替えてと言ってくれたが出せる手札を一つ潰してしまったのだ。


相手の速さと攻撃力に気を取られてより基本的な物、相手の能力にまで分析が至らなかった。


悔やんでも悔やみきれないと言った様子のルシファー。


だが気にしていても仕方ないのも事実だった。




「私の奥の手の一つさ」
そう言ってウェパルは上半身の服を破り捨てる、魚人の鱗で覆われた皮膚があった。


これでは常に鎧を着ているようなものだ、普通の斬撃が通るはずが無い。


「そしてもう一つ」
ウェパルは腕に力を籠める、すると棘から液体が垂れてきた。


「まさかお前の能力、シレーヌか…」





「またまた御名答」
ウェパルの能力、今まで魚人という事しか分からなかったが液体を滴れ始めた事で彼等は漸く気付いた。





シレーヌは魚人の一種だ。


体を覆う鱗に激しい海流を休みなく泳ぎきる肉体、だが一番の特徴はその体に流れる猛毒の血液だ。


これは傷口に入ればあっという間に傷口を腐らせてしまう危険な代物であった。





彼等の背筋に冷たいものが走った。既に危険な敵が更に危険になったのだ。


毒液を棘から滴らせながらウェパルは構えた。ルシファー・リリスの剣を握る手に力が籠る。





地獄の第二ラウンドの始まりだ。








心臓が高鳴る、あの毒だけは当たってはいけない。


(近寄らないように戦おう、こいつら相手ではかなり辛いがあの毒液は流石に不味いぞ…)
距離を取って牽制しつつ隙を見て光輪を撃つ、とルシファーはすぐさま考え付く。


それだけ彼はこの毒液の危険性を理解していた。


リリスも肯定する、寧ろ否定する理由が無い。


だが
(賛成、ん?待って避けて!)


相手が腕を動かしたのをリリスが警告、迷わずその場から飛び退いた彼等。


何かが横切っていったのだけは何とか確認する事が出来た。


(今のは…?)


(うわ…あれ…)
彼等の背後にあった木が抉られていたのだ。おまけによく見れば何かが抉られた場所に滴っていた。


(くそ…)


(毒液を魔力で飛ばしてきたって事かな…遠距離戦闘も出来たんだね・・・どうしよう…)
おまけにかなりの速度と破壊力、脅威が増している。


相手は毒液弾を連続して撃って来た。


「こうなったら…」
このままではやられるまま、ならばせめて牽制をと思ってルシファー・リリスは魔力弾を連射した。


だが彼等の攻撃は全て相手の毒液弾が当たり霧散してしまった。


「は?」


(嘘でしょ…)
思わず声を出してしまった彼等。


こちらの攻撃は決して弱いものではない、にも拘らず消されてしまったのだ。


「リリス!」
直ぐに飛び立って回避したおかげで掠りもしなかったがこのままでは危ない、何とかしなければ確実に死が迫ってきている。


(どうしよう、また来る・・・)
またしても相手は毒液弾の連射、単純だがかなり厄介な攻めだ。


魔法を打ち消すという厄介な特性のせいで反撃を挟める隙が無い。


飛び回って避ける彼等だが今までの敵と違い相手は此方の動きを読んで来ている、それが大きな違いだった。


(くそっ危ない…)
何度か攻撃を掠めそうになり肝が潰れる、リリスの予知が無かったら数十回近く死んでいるのは間違いない。


(こうなったらあれで…)


(待て、多分駄目だ)
リリスが提案、だがルシファーが止めに入った。


あれとは魔法を切り裂く光輪だ。


相手の俊敏性もそうだがルシファーの懸念はあの毒液弾である。


(でも…)


(多分原理は俺達のあれに近い、俺達のは縦回転で切り裂いて無力化する。けど彼奴らは高速で螺旋状に動かして掻き消している。正直・・・ぶつけ合って打ち勝てるか分からない、あれはもう少しだけ温存しておこう)


リリスも言われると納得と言った様子だった、おまけに相手は殆どタイムラグ無しに撃ってきている。


このまま撃ち合いに付き合っても勝てるかどうかは微妙だった。


(他に考えが?)


(…一応一つだけ思い付いた)


(聞かせて)
必死に攻撃を避けながら作戦会議を行う彼等。


(よしそれで行こう、また賭けになっちゃうけどね)


(あそこまでやばい相手、どうせまともにやり合っても行けるか分からないんだ。なら思い切って賭けよう)


(そうだね、飛ばそう!)
彼等は攻撃を掻い潜って急加速、全力でウェパル達の前から離脱した。


「なっ・・・逃げただと…」


(絶対に逃がしません)


ウェパル達もまさかの全力の逃走に驚いた、だが直ぐ冷静さを取り戻し脚に魔力を溜め解放、彼等を追撃しにいく。









(どこに逃げるつもりだ…)


(態勢でも立て直すつもりなのでしょう、無駄な事を…)
ワルが忌々しいと言った様子で言った、彼女は直ぐにでも決着を付けたいのだ。


木と木の間を蹴って移動するウェパル達、完全に彼等の位置を捉えている為見失う心配は一切ない。


相手を見失わない為、脚に魔力を集中しているので毒液弾を使えないのは惜しい、だが相手が止まった所を叩けば良い。


そのように考えウェパル達は追跡に専念する。


(気持ちは分かる、だが今は確実に追おう)


(すいません取り乱しました、任せて)
相手に変化はない、未だに逃げている。










それから暫く、状況は停滞していた。


(まだ目立った動きはなしか…結構移動したはずだが何を企んでいるんだ…)


(大丈夫です、指の動き一つ見逃しません)


推進力である魔力が幾らあろうが制御には集中力が欠かせない、もしも制御せず使えば肉体は無惨に弾け飛ぶだろう。


そして悪魔族であろうと生き物、集中力は無尽蔵ではないのだ。


つまりルシファー・リリスが幾ら逃げようが飛び続ければ限界を迎えて地に足を付けるしかない。


それは相手も分かっている筈、だがまだ動きが無いのがウェパルは不気味に感じていた。


しかしワルの鋭さが頼もしかった。

(そうだな、何を考えているのか分からないが、我々はいくらでも待ってやる。そして最後には勝つ)


視線は鋭く前を飛ぶ彼等を捉えて離さなかった。














数分が経った、それは突然に来た。
(おかしい…)


ウェパルは更に強い違和感を感じていた、相手は相変わらず飛んでいる。


だが違和感はルシファー・リリスの事ではない。


(どうしました?)


(いや…気のせいかもしれないのだが、いやその…)


(ウェパル、話してください。どうしました?)
ワルが尚も食い下がる、ウェパルは口を開いた。


(既視感があるんだ、ずっと相手に集中していて気付かなかったのだが…)


(既視感?)


(周りの景色のだ、前も見たような気がしたというか…まさか!)











次の瞬間爆発が彼等を飲み込んだ。





体に激痛が走り何が起きたのかも分からないまま地面に叩き付けられるウェパル、直ぐにワルから警告が来た。


(ウェパル!…来ます!)
相手は反転して一気に襲いかかって来た。


黒い影がウェパルに向かって来る。


(しくじった・・・こいつらいつの間に罠を…)
考えるが答えは出ない、代わりに敵が斬り付けてきた。


(くっ…)
爆発で怪我をした中殺意の籠った一撃、受け止められたが信じられない激痛がウェパルを襲う。


「その様子だと随分効いたみたいだな」
ウェパル達の自慢の鱗は爆発で一部が剥げて大量に出血していた、接近戦は危険なはずだがルシファー・リリスは構わず襲い掛かる、彼等は相手が何をしてこようとこの勝機を逃す気は一切無かった。


「ああ、かなりな…いつ仕掛けたんだ」
得物をぶつけながらウェパルは問う。彼等はそれに答えた。


「あれは昼間仕掛けたやつだよ、休む間に襲われないようにと作ったやつさ。誰も来なかったから無駄になったがな」
一切容赦なく斬りかかりながら答えるルシファー・リリス、彼等は更に続ける。


「夜で周りの様子は見にくい、クイーンが探知できるのはあくまでも生き物のみ、そしてお前達は俺達を倒すのにご執心、なら全力で逃げて道を行ったり来たりしてやれば気付かないで誘導できるんじゃないかと考えたって訳さ」


ルシファー・リリスは更に力を込める、傷口が更に開き気が狂いそうになるほどの激痛がウェパルを襲う。


ウェパルは己の迂闊さを恥じた。既に精神も限界に近かったからかもう力を抜いて楽になってしまいたい、そんな考えも頭を過り出してきた。


だが




(ウェパル…)
ワルが呼び掛ける。


ウェパルという男もまたルシファーとリリス同様独りではなかった。


ずっと昔、死んでも消えない永遠の十字架を一緒に背負うと言ってくれたクイーン最愛の人がずっと一緒に居たのだ。


彼はそれを改めて思い出した。


(やろう)


(はい!)


「ルシファーとリリス、心から称賛する…君達は確かに強かった。だが私達はまだ負けてはいない!」

力を振り絞りながら剣を受け止め、喋り出したウェパル。


そして相手の雰囲気が変わったのをルシファー・リリスは察した。


(くそ、こいつら…)


(嘘でしょ、あの傷で…)


ウェパルの傷は深い、呼吸は荒く立っているだけで辛いのが伝わって来る。


それだけに最悪な事態になる事を直ぐに想定した。


窮鼠猫を噛む、覚悟を決めた相手は何をして来るか分からない。


(だめだ…離れるぞ!本格的にやばい…)
冷や汗が出てきた、相手は命を賭けた最後の勝負に出るつもりだ。


(あんな怪我で切札なんて…)
驚きつつもリリスに異論は無かった。


急加速で距離を取るルシファー・リリス。その判断は正しかった。


「我等縛りし鎖を砕け、この身に眠りし魔を放て、仇敵滅ぼす刃をこの手に!」
ウェパル達の声が聞こえた。


そして周囲を吹き飛ばす凄まじい衝撃と共に地面が削られていた。


切札を解放した証拠である。


一歩遅れていたら削られていたのは自分達だっただろう。


距離を取ったルシファー・リリスは相手の姿を見る。


ウェパルは鰭の棘は更に鋭くより魚人に近い姿になっていた。


姿だけではない、魔力も先程とは桁違いに増大している。


ただでさえ強力な相手が切札を使って来た、由々しき事態と言える。


(これが、ルーラーの切札…)


(使われるのは初めて見るね)


だが


(ルシファー、行こう)


(ああ、勝つぞ)
彼等は怯んでいなかった。


剣を握る手に力を込め、彼等も詠唱を始めた。


切札には切札を、こちらも全力をぶつけなくては彼等に勝ち目はない。


「我等縛りし戒め砕け、世界を統べる翼を我等に、全てを染める闇をこの手に」


衝撃波と共にどす黒い靄が漏れ出し辺りを満たし始めた。


その光景はまるでこの世の終わりを体現したような光景だった。






(おい、なんだこいつら…)


(本当に同じルーラー…なの?)
対峙していたウェパル達はこの光景に戦慄していた、明らかに相手、ルシファー・リリスが常軌を逸していたからだ。


周囲を黒い靄が覆っている、まるで心臓を掴まれているような感覚、その中で佇む相手はまるで死を体現したように思えるほどだった。


(フォルネウス達ですらこうはならないぞ…)
明らかに何かが違うと言うことが威圧感として伝わって来る。


ウェパルの冷や汗が止まらない。



黒い靄が漂う中、両者が対峙する。


だが先程と違いウェパル達の方が威圧されている。


理由はまだあった、相手の姿だ。




ルシファー・リリスの背には六枚の翼が現れている。


ルシファーの能力はデーモン、そして六枚の翼を持つのは特別強力な力を持った個体、魔王と呼ばれるような存在しかいない。




ウェパル達もその事は把握している、そして本来ならば六枚の翼を持つデーモンに対峙し時の対処法は一つ、逃げろであった。


相手の放つプレッシャーが桁違い、空気が張り詰めているのが肌で感じられている。


(やだ…怖い)


(…だがやるしかない。もう引けないんだ…)


ウェパルの言う通りもう引く選択肢は存在していなかった。


切札を使ってしまった以上ここで倒さなければ此方が殺される。


ウェパル達に残された道は勝つしかなかった。









身体のうちから高熱が吹きあがってくるような感覚、切札を解放した時のこの感覚、ルシファー・リリスにはとても久しぶりだった。


上手くできるか少し不安だったが一度発動させてしまえば何の問題もない。


彼等の眼光は心臓の弱い者なら泡を吹いてしまう程恐ろしかった。


ここで戦いを終わらせるという決意の表れである。






ルーラーにだけ許された切札、本来掛けられていた肉体の保護を三分だけ度外視し魔族の力を限界以上に引き出すというもの。


ルシファー・リリスも当然使える、だが切札というだけに反動も非常に重くおいそれと使えるものではなかった。


彼等は今のように困難に直面した時のみ使うと決めていた。


そして時間制限があるのは相手も同じ、此方の解放が終わった瞬間相手は斬りかかって来た。


ルーラーが解放した瞬間には衝撃波が発生する、そしてこの衝撃波はまともに当たれば無事で済まない。


制限時間がある中焦らずに待てるのはやはりウェパル達の判断が優れている証だろう。





放たれた弾丸の如く襲いかかって来たウェパル達、ルシファー・リリスも反撃をする。


ルシファー・リリスは左手から魔力弾を連射、だがウェパル達は避けもせず弾丸全てを切り裂き消滅させた。


(ちっ)
直ぐに冷静さを取り戻し剣を構える。


解放したルーラーはより魔族に近くなる、つまりウェパルが使っている手鰭の棘もより強固になっているのだ。


弾丸を消し去ったウェパル達が襲いかかって来る、魔力の全てを身体強化に使っているのだろう。


ウェパル達にはもう後がない、逃げずに立ち向かうしかない事から気迫も凄まじい、だが彼等も全力で迎え撃つ。





一瞬でも気を抜いたほうが負けるぶつかり合いが展開される。


ウェパル達が風より早く突きを繰り出す。


そしてそれを僅かに体を逸らし回避、斬るより叩き割ると言った方が良い勢いで迎え撃つルシファー・リリス。


相手の首目がけて切断出来なくとも全力で振り下ろし衝撃で怯ませられればという一撃。


だがウェパル達は攻撃を左肩で受け止め右手で反撃、しかしその攻撃も避けられ掠りもしない。


クイーンの予知のおかげだ。


二人のクイーンも脳が焼き切れるかと思えるレベルで集中力を発揮している。


(ちっ…)
ウェパルが舌打ちをする。


(ワル、もう一度だ)


(ええ、任せて)
ウェパル達は呼吸を整える。


ダメならもう一度、当たるまで打つ。


一見愚直、だが切札を使っていようが魔力の制御を担当するクイーンが潰れればルーラーは戦闘続行不可能になるのは変わらない。


(どの道私にはこれしか出来ない。フォルネウスや他の連中みたいに魔法の才は無い、出来るものを全力で叩き込むだけだ)




そしてもう一つ近接戦闘に戻した理由があった、ルシファーの能力はデーモン、その特徴は膨大な魔力だった。


魔力の多さは手数、そして魔法の破壊力、防御力に直結するしておりそれが切り札の力で強化されている。


早い話がこの魔力を生かした遠距離戦闘に持ち込まれれば先程と一転、ウェパル達に勝ち目は絶対無くなると言って良い。


つまり本当にウェパル達にはこれしかなかったのだ。




再び攻撃が再開された、単純だが速い。


ルシファー・リリスは予知と反射神経を使い全力で回避していく。


だが時間もあまり使いたくない。


切札の時間制限を超えれば尋常じゃない倦怠感に襲われ戦いどころではなくなるのだ。


つまり時間切れは死を意味する。


一発、二発、確実に回避する彼等。攻めなくてはならないのは確かだが焦って仕損じては終わってしまう。


相手は傷口を腐らせる猛毒を持っているのだ。


掠っただけで敗北が決まる。


そしてもう一つ、攻撃のペースが変わっていた。


先程より速くなっているのだ。


弱点が分かっているとはいえ鱗の防御力も合わさり迂闊に攻めるのはかなり危険だった、下手をすれば切り札を使ったせいで鱗すらも強固になっている可能性もある。


尚更安易に攻められなかった。


彼等は必死に隙を探した。


焦る気持ちを抑え冷静に分析していく。


シレーヌの魚鱗は横振りの斬撃に強い、防具の鎖帷子に近い性質を持っている。


だがそれ故に鱗同士の結合部分が弱点であり刺突に弱い性質も同じだった。


隙さえ見つければ確実に貫く自信が彼等にはある。


瞬き一つせず相手の一挙一動を見逃さない。


ウェパル達の攻撃が空を切る、掠りそうにはなるが当たらない。


そしてついに相手の癖が見えてきた。


相手の動きに目が慣れてきた証拠とも言える。


こうなれば此方のものだ。






相手の癖、それは力を込めた一撃を出すときに深く踏み込み左手を強く握るというもの。


(こちらを誘うためのブラフかもしれないけどな…)


(でもゆっくりする時間もないよ。危なかったら伝えるから遠慮なくやっちゃって)


リリスの言う通りだった、その為に彼女が居てくれる。


彼は思い切りやればいい。


(頼むぞ、リリス)


(任せて)


そんな時相手が予兆を見せてきた。



深く踏み込み左手を強く握り右手を突き出そうとした、全力の一撃を繰り出すつもりだ。




(ルシファー!)




(ああ、これで終わらせる)




攻撃の軌道は読めた。心臓目がけた攻撃だ。




そしてまともに受けては危険、ならばどうするか。




当たらなければ良い、相手より早く屈み叩き込むのみ。




先程も使った手だが今は切札を使っている。




魔力も潤沢、先程より予知の精度は遥かに上がっている。



漸く長いようで短かった戦いが終わる。彼等が戦い始めてからまだ日が昇ってすらいなかった。




右手での攻撃は間違いなく外した、そして左手での棘が届くより早く彼等の剣が心臓を貫く。




そして毒液弾を撃たれるのもありえない、あれは魔力で毒液を圧縮したものだ。




圧縮の工程を挟むためどう頑張ってもほんの数秒だがタイムラグが発生する、この距離では致命的な数秒だ。




考え得る全てのパターンで彼等の勝ちは揺るがない。




(勝った!)


(これで!)
勝ちを確信し心臓目掛けた突きを繰り出した彼等、だが一瞬悪寒がした。


勘違いかもしれない、しかしどうしても彼にはその悪寒をスル―する事が出来なかった。


すかさずルシファー・リリスは相手へ全力のタックルをぶちかまし距離を取る。



(ルシファー!どうして…)
リリスは信じられないといった様子だ。


無理もないだろう、だが怒ってはいない。


ルシファーは考えなしにあのような事をしないからだ。


(あいつの体には何が流れている?)
ルシファーはリリスに問う、賢い彼女は直ぐに察した。


(あ・・・確かに、危なかったかもね…)
シレーヌの毒液は血液である。


だが傷口に、厳密には粘膜等に触れなければ効果は無い。皮膚に触れるだけではただの液体なのだ。


だが今戦っているのはシレーヌでは無く悪魔族、それもルーラーだ。


人の知恵と技術を持っている。


知恵と技術があれば己の長所を伸ばそうとするのは自明の理、ならば毒液を改良し皮膚に触れただけで殺傷可能な物に変異させてても何もおかしくはない。




(でもどうしよう…それだと手が出せないよ…)
彼女の言う事は尤もだ。

まともに戦えば毒で死ぬリスク、そして時間切れの敗北と彼等には最悪な二択しかない。


だが彼は一つ思い付いていた。


(そうだな、ちょっときついが頼めるか?)











ルシファー・リリスはまたしても左手に魔力を溜め始めた。


だがウェパル達はまたしても猛スピードによる強襲を行った。


このスピードならばそう簡単に大技は撃てない、撃つ前に貫く。


かと言って中途半端な牽制など全て叩き落せる。そして


(解放状態の私達を傷つければ)


(死ぬのはあいつらよ)
ルシファー・リリスの読みは当たっていたのだ。

ウェパル達は勝利を確信していた。




最初こそ畏怖した、まるで底知れぬ深淵でも見せられたようにも思えた。




(相手は途端に退いた、恐らく最後の隠し玉を察したんでしょうね)




(対策など取らせる前に殺すのみ)
相手は化物などではない、相手は殺せる。




そう考えると最初に感じた畏怖がどこかに行ってしまった、距離を離すなど許さない、近接戦闘で此方に致命傷を与えれば返り血で殺せる、かと言って時間稼ぎは不可能。


ウェパル達の勝ちは揺るがなかった。



これで終わる、やっと解放される…と。




肉薄するウェパル達、ルシファー・リリスは動かない。




容赦なく必殺の突きを繰り出すウェパル達。




そしてウェパル達の体に激痛と灼熱に焼かれたような熱さが走った。




ルシファー・リリスは攻撃の瞬間にすれ違い胴体を斬り裂いていた。




倒れ込むウェパル達、激痛に意識が飛びそうな中、目を相手に向けるがなんと毒液を浴びた様子はなかった。




「貴様等…何をした…」
必死に起き上がろうとするウェパル達、だが体に力が入らない。




右の脇腹への一撃が心臓に達し完全に致命傷となっていた。




どす黒い血が漏れ出している。




「魔力の刃だよ、一瞬だけそれを出してあんた達の血ごと焼き払った」
ルシファー・リリスは説明しながら倒れた相手に近寄っていく。




魔力の刃、これといって特別な名前もない。掌に魔力を刃状に固定して斬りかかるものである。


切れ味は当然凄まじい、鉄板を焼き切るレーザーの如く大概の物質なら切れる。


だが恐ろしく使い勝手が悪い為に普段から使う者など居なかった。


長さも普通の剣程度しか伸ばせず長時間の展開は酷い負担となる。


その為使われる時があるなら武器を失った戦士の悪足掻き程度、はっきり言って普通の剣や槍の方が遥かに使い勝手が良い兵器としては失格、魔法としてみても魔力弾の方が良いという微妙な物だった。


だからこそ彼等はそれに賭けた。


こんな物を使うなど相手は想定しない、そして何より膨大な魔力で刃をより鋭く強力にすれば相手の血を無効化させられるのではないかと。


リリスにお願いしたのはそれであった、膨大な魔力を使い破壊力を強化、相手の血ごと焼き払える程強力にと言うもの。


そして結果は大当たり、隠し玉は潰され熟練の戦士だったからこそウェパル達は想定する事も反応する事も出来なかった。







ルシファー・リリスが左手を向け魔力を溜める。ウェパル達の傷はかなり深く助かるものではなかった。何よりもう抵抗する余力は残っていない。


「これで完全に終わりだ」


「だな…」
打つ手なし、完全に負けてもうすぐ死ぬと言うのに不思議とウェパルは悪い気がしなかった。


(風が…気持ちいいな…)


(そうね…)


「…何か言う事は?」


(言う事…か)
ウェパルは少し考え込んだ。


「一思いに…頼む」
息も絶え絶えで彼は告げた。


「分かった」



(ワル、すまない…今までありがとう)


(覚悟はしていたわ。私こそ、今日までありがとう…愛しているわ)


ウェパルは目を閉じた。やはりファリニシュではこの敵には勝てない、力及ばなかったのを申し訳ないと思いながらもこれで誰も手を汚さずにすむ事に二人は安らぎを覚えていた。



風が吹いた、爽やかな夜風、月も綺麗だった。


そしてウェパル達の命が消え去った。



















「ルシファー…」


「悪い…」
今のルシファーはリリスに肩を貸してもらっていた。顔色もとても悪い。


最悪の障害を一つ越えたというのに感傷に浸る間もなかった彼等。


解放の反動でのひどい倦怠感と吐き気、そして彼等が死んだ途端に何故か湧き出した魔獣の気配から逃げなくてはならなくなった為である。


恐らく何かしらの細工をしていたのだろう。

「大丈夫だよ、きっとすぐ見つかるからね。もう少し頑張ろう」


「ああ、頑張る…よ…」
リリスは彼を元気付けながら休むのに最適な木を探す、彼女も頭痛が酷かったが彼はそれ以上に辛そうな為リリスは非常に焦っていた。


(困ったわ…もう少し木に高さが欲しいけど…)
どの木も今一つ高さが足りなかった、登るのはあくまでも身を守る為なので妥協は出来ない。


だが贅沢を言っていられないのも事実だった。



リリスも戦う事は出来るがそれは護身程度、魔力の扱いは並ぶ者が居ないとまで両親からも評されたが肝心の魔力自体がお世辞にも多くは無い。あくまでもルシファーと一緒に戦ってこそ彼女の真価は発揮されるのだ。






(このままじゃ…)
彼女はここに来て心細くなって来た。


今戦闘になったら彼を守り切れる自信がない。


最悪な状況だ。


だがあそこで切札を使わなければ此方は死んでいたのは確実、今どうするべきか考えることすら出来なかった。


暗い獣道を進むリリス、今にも草むらから何か飛び出るのではないかと冷や汗が止まらなかった。


(怖いよ・・・)
今は空も曇っており星も見えない、心細さで涙が出そうにもなる。


だが辛そうなルシファーを少しでも休ませたい、その一心で彼女は歩みを進める。


どれだけ時間が経ったか分からない、だが漸く目当ての高さを見つけられた。


(あ、これなら…)
思わず跳ねて喜びそうになってしまうリリス、でも彼を抱えているのを思い出し思い留まった。


「ルシファー、見つけたよ!」


「本当…か?良かっ…た…」
リリスが嬉しそうにする、気を失いそうだがルシファーも微笑んだ。だが彼が今にも倒れそうなのを見て彼女は急いだ。


リリスは直ぐにロープを使って彼と自身を木の上に持ち上げた。


短時間だが身体強化を使ったので女性の細腕でも何とか上げることが出来た。





魔獣にも賊にも襲われなかった奇跡的幸運に感謝しながら一息つけた二人、夜風が体に染みた。


リリスは真っ先にルシファーを抱き締めた。彼女は生きている喜びを噛み締めている。


「生き残れたよ、私達生き残れたんだよ…」
彼女はルシファーを抱き締め背を撫で落ち着かせる。


彼は暫くすると涙を流していた。


「ああ、リリス…怖かった…でも本当に良かった…」
ルシファーは震えていた。


そして彼女の存在を確かめるかのように弱りながらも抱き締めた。


「私達は死なないよ、私達強いもん」
彼女は彼の頬に口付けをした。


彼は憔悴しきっている、こういう時は人の温もりで落ち着かせるのが一番効くのだ。


「ありがとう…」
涙声で言うルシファー、疲れ切っていて痛々しい。


リリスは彼を撫でながら優しく語り掛けた。


「ルシファー、目を瞑って」


「うん…」
少し間を置いてリリスは聞いた。


「どう?」


「さっきより落ち着いたかも…心臓の音がする」


「うん・・・生きているからね」


「そうだな…」


「あまり休めないけど少しでも休んでね」


「うん、ありがとう。リリスも…休んでくれよ?」
暫くするとルシファーの寝息が聞こえてきた。


「良かった…」
誰に聞かれる事なくリリスは安堵して嘯いた。







そして彼を強く抱きしめ涙を流していた。


彼が生きている、その事実を噛み締めるかのように。


先の戦い、リリスは本当は泣き出したくなる程怖かったのだ、だが彼を奮い立たせるために必死で我慢し虚勢を張っていた。


それが限界に来ていた。


再び彼と生きていくために、ただそれだけが彼女に一世一代の芝居を打たせたのだった。




だがやがて彼女にも睡魔がやって来た、とてもじゃないが抗える物ではない程強烈なやつである。


クイーンにも切札の反動は少なからず来ている為無理もない話である。


(・・・私も少しだけ…寝ちゃおうかな…)
どちらにしても彼は戦えない。


そして彼女一人ならば実力は高くはない。


つまり外敵に見つかった時点でほぼ詰みと言っても良い。


考え方次第では起きていようがいまいが変わらないのだ。


ルシファーもそれを分かっていたのか休んでくれと言っていたのだろう。
(おやすみなさい…愛してるよ)


彼女もお互いの無事を祈りつつ少しすると寝息をたて始めた。



星も月明りも射さない夜の森、まるでこの世が終わったかのような深淵が彼等を包む。


どうか無事で、日が昇ればまたお互いの顔が見れる事を祈って彼等は眠った。
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