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開戦
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これは抗った二人の話
「ターゲットはまだ寝ている筈だ。相当疲労しているみたいだからな。人数は此方が上だ、動かれる前に一気に襲って終わらせてしまおう」
「ああ、絶対許さない…」
時刻は深夜、ルシファーとリリスの泊まっている部屋の前に五人の男が佇んでいた。
顔つきは皆険しく殺意に満ち溢れている。間違いなく彼等の客ではない。
「様子はどうだ?」
隊長らしい男が部下に聞いた。
部下の能力はケルベロス、嗅覚に優れている魔族である。
そしてその部下も本物のケルベロスには劣るが優れた嗅覚を能力として使うことが出来た。
「動きはありませんね」
「そのまま寝ていてくれよ、永遠にな」
全員が剣を抜いた、皆いつでも能力を使える用意がある。
「よし、行くぞ…」
彼等が覚悟を決めて部屋に突入した。
「…よし、寝ているな」
ルシファーとリリスはベッドに入ったままであった。
彼等は心底安堵していた。正面からぶつかれば勝ち目はない事をよく分かっていたからである。
「いいな、確実にだ…」
彼等がベッドを取り囲む。
ルシファーとリリスは動く気配が無い。
「終わりだ…」
最後まで動かない事を祈りながら彼等が剣を振り下ろした。
「!?」
気づいた瞬間には遅かった、ベッドを取り囲んでいた彼等は魔力の衝撃波で吹き飛ばされていたのである。
「くそ…気づいていたのか…」
ルシファー・リリスを襲った一同が悔しさに顔を歪める。
「残念だったな、能力使わなくても殺気丸出しのやつは分かるよ」
背から黒い翼を生やしたルシファー・リリスが彼等を見下ろす。
振り下ろされる前に能力の発動、そして魔力を壁のように放ち彼等を吹き飛ばしたのである。
相手は立ち上がり彼等を睨み付けている。敵意剥き出しだがとりあえず言い分を聞いてみる事にした、何かの誤解ならば解かなければならない。
今は同盟関係なのだからわだかまりは無くしておきたい、と思って彼等は声を掛けた。
「で、これは何の真似だ?」
だが彼等の質問に相手は怒りを露わにした。
「何の真似だ?だとふざけるなよ、陛下を騙し討ちにした外道どもが!」
(騙し討ち?)
「おい、何の話だ。俺達はずっとここに居たぞ」
彼等の頭に疑問符が浮かんだ。当たり前だが彼等はそんな事をしてないし何よりする動機がない。
「とぼけても無駄だ、証拠なら揃っている」
相手は物怖じせず言い放った。
「大人しく投降しろ、この部屋は包囲されている。お前達に勝ち目はないぞ」
(どうしよう…なんかすごいヤバそうなんだけど…)
(一体何なのか全くわからないけど、冤罪掛けられた状態で捕まるとか処刑まっしぐらじゃないか…)
いきなりすぎる出来事に頭が痛くなりそうなルシファー・リリス、少し考え込んでから質問を投げかけてみた。
「なあ、幾つか聞かせてくれ。騙し討ちって何の事だ?ガープに何があった?」
「…毒を盛られた、医者曰く毒は遅効性、倒れたのは二時間ほど前。毒の種類から逆算して体に入れられたのは丁度お前達が陛下と話していた時間だ。まだとぼける気か?」
言葉に怒気を含ませながらも隊長らしい男が詳細に説明してくれた。
だが話を聞いて分かったのはこれが冤罪だという確信である。
溜息交じりにルシファー・リリスは説明した。
「とぼけるもなにも俺達はなにもしていない、そもそも遅効性の毒なんて持っていないしそんなものをガープの体に入れるなんて不可能だ、何より俺達には動機が無い。何故協力者のガープに危害を加えないといけない?両親を探せなくなったらここに来た意味がないのに。両親がいなくなったのかすら疑うなら明日シトリーまで来るか?」
冷静に返答した彼等に少し困った様子の隊長。
「だが…では…誰がやったというのだ?」
どうやら隊長はまだ話の通じる相手だったようである。彼等の言い分を一蹴せずに聞いてくれた。
「それを探すのはあんた達の仕事だ、でも一つ言って良いなら言わせてくれ。その医者の言う事は信じて良いのか?」
話を聞いている限り遅効性の毒だと言い出したのはその医者である。医者が嘘を言えば誰も真実は分からない。
「ブエル様を疑えだと…」
ブエルは宮廷お抱えの医者である。気さくな人柄で皆から慕われていた。当然部屋に来た彼等も例外ではない。
そんな人物が怪しいと言われて一同戸惑う様子を見せる。
その時だった。
「隊長、いつまで悠長に話しているんですか?こいつは裏切り者です、余所者の口車に乗せられて仲間を疑うんですか?」
痺れを切らした隊員の一人が割って入ってきたのである。彼は話を聞くつもりになってきた隊長に当初の強硬手段を訴えかけてきた。
「言いたいことは分かる…だが、こいつらの言う通りだったらどうする?無実の連中を疑って真犯人を取り逃しては本末転倒だぞ」
怒鳴り付けるように言う隊長。
「…こいつら…疑われているのに堂々としすぎです、怪しいです!」
別の隊員が割ってきた。これは最早言い掛かりである。
「ええい、うるさい黙っていろ。兎に角だ、一旦引き上げだ。お前達も潔白を主張するならこの部屋から出るなよ、後持ち物を徹底的に調べさせてもらう。いいな?」
「全然構わないよ、潔白が証明されるなら何でもするさ」
口調は荒いが判断は冷静だ、結構優秀な隊長なのかもしれないと彼等は聞いていて思っていた。
(良かった…)
リリスも安堵している。いきなり何が起きたか分からず仕舞いだったが一先ず荒事は避けられそうであった。
「よし、引き上げる」
「隊長!」
最初に痺れを切らした隊員がしつこく食い下がる。
「黙れ、意見は無用だ」
「ですがっ…」
尚も抗議をする隊員、だが突然その隊員が黙ってしまった。
そして糸の切れた人形が如く手がだらしなく下がった。
「…なんだ?」
(ねえ、ルシファー…なんか嫌な感じが…)
リリスが警告する、更に今まで感じた事のないような嫌な寒気を二人は感じていた。
おまけにその寒気はこの場の全員が感じていた。
だが寒気の正体に気付いたのはルシファー・リリスだけだ、他の皆は恐らく知らない者達だったのだろう。
「この感じ…まさか」
「おい、どうした?大丈夫か?」
隊長が黙った隊員を気遣って声を掛ける。しかし反応は無い。
そんな中ルシファー・リリスは彼等へ剣を向けた。
「貴様等…何の真似だ…」
隊員達が身構える。
「違う、落ち着け。そいつから離れろ、嫌な予感がする。お願いだから言う事を聞いてくれ」
ルシファー・リリスはあくまでも諭すように彼等へ語り掛けた。
彼等も一瞬躊躇った、だが二人の言葉からは敵意を感じられなかった事から直ぐに従った。
だが遅かった。
「っ…」
突然動き出した隊員の手刀が隊長の胸部を貫いていたのである、彼は声を上げる事も出来ないまま心臓を貫かれ血を噴きながら倒れ伏した。
そして悲劇は終わらない。
反応される前に残りの三人を右手の剣で斬り伏せてしまったのである。
鮮血が撒き散らされ華やかな部屋に惨劇の痕が刻み付けられる。
トロメアの戦闘は数で劣るのを補うために固まって助け合う戦い方が多かった、基本的にはそれで被害を減らすことが出来ていた為間違ってはいなかった。
ましてや今回相手になる筈だったルシファー・リリスは室内にいる、固まってカバーし合う戦い方は有効になる筈だった。
だがそれが悲劇を生んだ、仲間の手に掛けられるなど想像のしようがない。
(嘘でしょ…)
(くそ、これは…まずいな。こっち来るぞ)
一瞬の悲劇に戦慄するルシファー・リリス、鮮やかすぎる手際もそうだが仲間を惨殺した隊員から体の芯から凍るような寒気、そして本能が逃げろと叫んでおり心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
信じたくはないが結論は一つしかない。話に聞いていた特徴が全て当てはまりすぎている。
(まさか…ソロモン…)
(どうしてこんな事に…やるしかないか)
彼等も意を決して戦闘態勢に入った。
最初に動いたのは相手、瞬きした瞬間に目の前に現れておりこちらを貫きに来ていた。
(ルシファー!)
金属音が響き渡る。
相手の突きを剣で受け止め切り払うルシファー・リリス、相手も攻撃が通じないとみると直ぐに距離を取り離脱した。
彼女の警告が無ければこの一撃で勝敗が決まっていたかもしれない程の攻撃、恐怖を隠し切れない。
(くそ…なんて奴だ)
可能なら逃げ出してしまいたい、だが不思議と分かる事があった。逃げ出せば確実に殺される、それだけは何故か分かった。
そして相手、攻撃を防がれるや否や素早く飛び退いた。
すると今度はまた糸の切れた人形のように動きが止まった。
(止まった?こいつ、気味が悪すぎる…)
相手からは全く生気を感じられなかった、動きも緩急が極端でとても人間の出来る動きではない。
(今の動きもだけど本当にこの人は人間なの?さっきの速さだって体への負荷を何も考えていない…どうかしてるよ…)
(気配はどうだ?)
(分からないのよ、人間でも魔獣とも悪魔族とも違う、濁ったようなとても不快な感じがする)
クイーンの探知、それは相手の気配を色のようなもので察知するものである。
人間や動物ならば青に、悪魔族ならば黄色、魔獣なら赤といったように感知することが出来る。
だが今相対している相手、恐らくソロモンに憑りつかれたと思われる哀れな彼の気配はそのどれにも属さない、まるで腐敗した物体のような非常に不愉快な色をしていたのである。
こんな事は初めてだった。
(悪い、リリス。もう少し頑張ってくれ)
だが頑張ってとリリスに言ったもののこの得体の知れない予測不能な動きに対応しなければ彼等に勝ち目はなかった。
ルシファーは必死で思案した。
(くっそ、どうしたら…)
(来たよ!)
リリスが叫んだと同時に相手が斬りかかってきた、勿論先程のように急に動き出してである。
(こうなったら、これしかない)
相変わらず凄まじいスピードの中、横薙ぎに繰り出された斬撃を彼等は後ろに下がって回避した。
だが相手は彼等の回避行動を潰すよう、下がる動きに合わせて剣を突き出してきた。
恐らくはこちらの行動を読んだのだろうか。
しかし読んでいたのはこちらも同じだ。
相手は動きの緩急が激しい、その為こちらから仕掛けるのではなく待ち構えることにしたのだ。
つまり狙い通りだったという事である。
本当は危ない橋など渡りたくないのだがこれは仕方なかった、このまま相手のペースに付き合ったらジリ貧にしかならないのだから。
彼等目がけて剣が迫る、一瞬でも反応が遅れたら串刺しになる正確な一撃だ。
だが二人は小さく飛び回避、反撃される前に剣を思い切り踏みつけた。
(今だよ!)
得物を踏みつけられた相手は一瞬態勢が崩れていたのである、チャンスは今しかなかった。
「もらったー!」
ルシファー・リリスは勝利を確信、叫びながら相手の首を飛ばす為に剣を振るった。
「そんな…嘘だろ…」
だが事はそう上手く行かなかった、ルシファー・リリスの振るった剣は相手の首を刎ねられず食い込むだけに終わったのである。
(まさか、一瞬で皮膚の硬質化を…)
リリスが相手の行動に戦慄した。
相手のやったことは皮膚に付与魔法を掛けるという事だった。
付与魔法を使う対象は本来ならば物である。
それは副作用の耐久劣化がそれだけ深刻だからだ、肉体に使えば焼けつくような痛みに悶え苦しみ続けることになる。
耐えられるわけがない痛みである。
先程の尋常じゃない速さもだがやはり今の相手はおかしいと言える、肉体の負荷を何も考えていない行動しかしていない。
だが相手はやってきたのである、彼等を殺す為だけに。
生気は感じられないが明確な殺意だけは嫌でも感じられた。
(くそっ)
攻撃が不発になったので身を翻して距離を取るルシファー・リリス、だがやはりと言うべきか相手は反応して来た。
剣を握っていない手を向けて魔力弾を連射して来たのだ。
(リリス!)
(OK!)
ルシファー・リリスは魔力で障壁を作り相手の弾丸を全て逸らして回避、被弾はしなかったがこれで振り出しである。
(さてどうするか、全部台無しだ)
(困ったね…)
再び思案する二人、相手の攻撃を誘って反撃をする。このように動きが分からない相手には有効だったはずなのだが肉体に付与魔法は想定外過ぎた。
本来ならば激痛で自殺行為にしかならない、想定などしようがない。
(くそ…こいつには痛覚がないのか?)
魔獣ですら痛みの前には怯む、目の前の相手の異常さに本能的な恐怖を感じてしまう彼等。
(一撃で仕留めないと危険だね…)
リリスの言う通りだ。
一撃で殺害か戦闘不能にでもしなくては仕留め損ねた時に何をされるか分かったものではない。
しかしそれも容易くはない。
そしてまたしても相手は動きを止めていた、揺ら揺らと体を揺らし生気のない眼で此方を見ている。相変わらず気味が悪い。
(また止まったのね…どう攻めようか)
(…いや、やっぱりこちらから動くのは危ない。どう反撃されるかが全く予想できない)
相手が普通の人間ならば癖、息遣い、構えなどそれらを呼んで対応する事が出来るのだが相手にはそれがない。
そんな状況で相手の攻撃範囲に飛び込むのはあまりにも分が悪すぎる。
(でもどうするの?このままじゃ…)
リリスが懸念を示す、だがルシファーは必死に考えた。
こちらから仕掛けるのは一番危険である以上最後の手段にしなければならない。
だが一つ、彼は思い付いた。
方法に囚われすぎたのかもしれないと。
(…よし、もう一回だ。もう一回だけあいつの攻撃を誘う、次で確実に決める)
(分かったよ、お願いね)
(ああ任せろ)
リリスは彼の提案に何も言わなかった、彼を信じたからだ。
今までも沢山の困難に襲われ命を脅かされた、その度に彼の作戦と度胸に助けられた。
今回もきっと大丈夫、こんなよく分からない奴に負ける自分達ではないという絶対の自信がある。
両者が対峙する、相手は虚ろな眼でこちらを見るだけで一向に動こうとしない。
(ルシファー、落ち着いて行こうね)
(ああ、あいつをしっかり見ててくれよ)
(任せて)
緊張のあまり心臓が早鐘のように鳴っており最早痛い程であった。
だがルシファーは一人じゃない、心強い伴侶がいてくれる。
それだけでどんな痛みにも耐えられる。
(それじゃ、やるか)
(ええ)
今度はルシファー・リリスが仕掛ける番である。
こちらから近づくのは危険、だが待っているだけでは相手に翻弄されるだけである。
ならばこちらから動かしてペースを握ってやればいいというのが彼等の作戦であった。
「先ずは、これで…」
ルシファー・リリスは左手に魔力を集中、溜めこんだ魔力を弾丸にして連射した。
これは名前もついていないような初歩的な魔法である、用途としては牽制だが人間に当たれば拳銃程度の殺傷能力は持つ。
相手もそれを理解しているのか先程のルシファー・リリス同様左手で障壁を作り出し攻撃を逸らした。
逸れた弾丸が周囲に着弾し穴を開けていく。
このままでは勝負はつかない。
そして一瞬だがルシファー・リリスの攻撃が止んだ。
すると相手はそれを見逃さず天井近くまで高く飛び立った。
正面から行けば鬱陶しい魔法が飛んでくる、まともに当たれば肉体が損壊するのくらいは理解しているのだろう。
なので上から一気に行って一撃、落下の勢いで彼等の脳天を叩き割り勝負を決めに来たとも思える。
しかし、この瞬間彼等は勝利を確信した。
(ルシファー!)
(ああ、終わりだ)
彼等もそれを待っていたと言わんばかりに飛び立った。
相手が如何に複雑怪奇な動きをして来ようが地に足をついていない以上動きは制限される、これを彼等は待っていた。
高く飛び上がったせいで相手はもう止まれない、おまけに武器を振りかぶっており胴体がガラ空きだった。
そして胸部に飛び蹴りを叩きこんだのである。
それもただの飛び蹴りではない、魔力で脚力を強化して放った岩をも砕く強烈な一撃であった。
斬撃でなく打撃での衝撃による体内への攻撃、これならば相手も想定していない筈である。
彼等が行ったのは身体強化、これは生命力である魔力で肉体を活性化させるものである。
これも基本的な魔法の一つ、だが彼等が行ったのは通常より遥かに強力な物、あまり乱用は出来ない奥の手の一つだ。
蹴りを正面から受けた相手は家具を吹き飛ばし壁にめり込んだ。
(反応は?)
(消えた、けど本当に終わったのかな)
(さっきのが入ったから心臓か肺は潰れている、硬くなっていても体内への衝撃までは殺せないはずだ)
相手が正体不明の気配を放っていようが人の体をしている以上は内臓を潰せば生きていられない。
だが何故か全く安心が出来ない。
敵は壁にめり込み血を流しながら痙攣している、そして反応も消えている。
反応が消えているという事は死んでいるという事、生命反応がないと言う意味だ。
しかしどういうわけかそこからまた動き出すような気がしてならない。
相変わらず険しい顔で相手を睨むルシファー・リリス。
(ルシファー?)
(頭を破壊する、これで流石に死ぬだろう)
(うん…分かった)
ルシファー・リリスは先程の魔力の弾丸より強く魔力を圧縮し射出、ソロモンに憑りつかれた哀れな被害者の頭部は跡形もなく消し飛んだ。
巻き込まれたに過ぎない彼には可哀想な気もしたがこうまでしなくては安心が出来ない。
敵を排除した彼等は一旦その場に座り込んだ。
(…ガープ達が怖がるのも無理ないね、まださっきの感じが頭から離れないよ)
リリスが意気消沈した様子で言った、夢にでも出そうな恐ろしさだった。
(でも妙だな…)
(やっぱり思った?)
(そりゃな、他の連中は何で来ない?気づいてないなんてのはあり得ないだろ)
国を挙げて戦っている敵が現れたのに何一つアクションを起こさないなどおかしかった。
記憶を弄られている若者等はともかくフォルネウス達はどうしたのか、気付かないなどありえない。
(ねえ、まさか私達が倒されれば良いとでも思われていたり、なんて…)
(いくら何でもそれは…だって俺達が負けたら次襲われるのはあいつらだぞ。そこまで馬鹿な奴等じゃないだろう…って信じたい…けど…)
自信なさげなルシファー、あまりにもいきなり多くの事が起きすぎてもう何を信じたらいいのか彼は分からなくなりかけていたのである。
そして助けに来てくれなかった、と言う事実は結局友人だと思っていたのは自分達だけなのかという考えにもなってしまい尚更ルシファーの心を傷つける。
リリスも慰めようとした、だがその前に現実を伝えないといけない。
(…ごめんルシファー、一つ良い?)
(どうした?)
(気づいちゃったんだけどさ、これって明らかに私達のせいにしか見えないよね…)
辺りを見渡しリリスは伝える。
これとは、この部屋で起きた先程の惨劇である。ソロモンに憑りつかれておかしくなったとはいえ手を下したのは彼等だ。
おまけにどういうわけかガープ暗殺未遂の容疑が掛けられている。
(逃げなきゃ危ないんじゃないかな…このままじゃ私達…)
彼女の言葉に彼は反論できなかった、実際の所殺されかけたのだ。
彼等が寝ている間に大きな政変があったのは間違いない、彼等を消そうとするという事はシトリーが間に入って交渉するという話は完全に瓦解したと見るしかない。
(…くそ…ふざけやがって…)
悔しさで拳を握り締めるルシファー、軽く血が滲みかけている。
「ルシファー」
リリスが能力を解除、彼の膝の上に座り込んだ。
「リリス?!」
いきなりでテンパるルシファー、リリスは彼を抱き締めて優しく囁いた。
「力入れ過ぎ、ちょっと痛かったな」
一体化している時は痛覚も同じなのだ。
つい力んでしまいルシファーは申し訳ない気持ちで泣きそうになった。
「ごめん…」
「私も同じ気持ちだよ…でも今は耐えよう?」
「そうだな…そうだ、今は何とか逃げ出そう」
「うん、その意気だよ」
リリスは嬉しそうに微笑み彼に口付けをした。
気持ちを切り替えたルシファーは脱出の計画を立て始めていた。
幸い相手はまだアクションを起こしてこない。しかしながらいつ新手が来てもおかしくないのだ、気持ちを焦らせながらも状況を整理していく。
(さて、先ずは兵力の把握か。包囲されているってさっきの連中は言っていた。どんな感じだ?)
ルシファーに言われリリスは周囲の探知を行った。
(城壁の方に大勢、こっちを見ている。そして丁度庭かな、窓から見下ろせる所。そこにも沢山いてこの部屋を見上げているよ)
彼等の居る部屋は本城の城壁寄りに位置しており窓から美しく手入れされた庭を見下ろすことが出来た。
いざという時には城壁に居る見回りの兵士が助けに駆け付けられるように、と考えて設計されたものだ。
しかし今はそれが裏目に出ている、一斉に襲ってこないのが不気味だが。
(…ルーラーは?)
(上空に一組、後は離れているよ)
(そうか…)
ルシファーは訝しんだ。本気で殺す気なら一組と言わず他の兵士諸共全員ぶつけて磨り潰す方が圧倒的に良いはずである。
おまけにこちらは室内、機動力は削がれている。だが相手は来ない、何を考えているのか見当もつかない。
(どうする?)
(…そうだ。リリス、後は離れているって言ったよな?他のルーラーは何処にいる?)
(確認できる範囲だけど本城とは別の所みたい、そこに二組いる)
(方角はどっちの方だ?)
(城の裏手。だけどおかしいの、他に反応が無いのよ)
相手を包囲し追い立てる、そして手薄な場所をわざと作りそこに誘い込み殲滅。
昔からよくある戦法だ、今の相手の行動はこれにしか見えなかった。
(罠だよな…だけど。なあ裏手に行かないか?)
ルシファーは敵の意味不明さに頭を抱えつつもリリスに聞いた。
(待って、ルーラーと戦うの?それに二組って…)
(二組も配置するって事は大事なものがあるのかもしれないって思ってな。もしかしたらだけど、あの石があるかも)
(あ!そうか、あれで帰れば!)
リリスの声が弾んだ。あれとはここに来るのに使ったあの石だ、それを使えば戦わずともシトリーまで帰れる。
(正面から突っ切るより生存確率は高そうだろ?)
(少しだけね)
リリスが苦笑した。
(まあ冗談はさておき、あまり変わらないかもしれないが城から逃げてからの事も考えるよりは多分楽だよ)
恐らく城を出ても追撃を振り切って帰るのは至難の業だ、しかし石ならばその問題も解決できる。
(確かにね…でもルシファー)
(ああ…そうだな…)
リリスの言いたいことを察したルシファー、石を使うという事は誰かの魂を消費、完全に消し去るという事に他ならない。抵抗を覚えないわけがなかった。
(…俺は使う。生きたいからって言いたいけど)
(けど?)
少し深呼吸をしてからルシファーは言った。
(リリスが嫌だって言うなら前から行くのでも良い)
(ルシファー…)
(言い訳みたいに聞こえたらごめん、俺はリリスに笑っていて欲しいんだよ。だからなんて言うのかな…後悔する選択肢を選んで辛い顔されるのは嫌なんだ。特に今回のこれは…)
(…全く、貴方って人は。それは私もだよ、貴方には笑っていて欲しいもん)
(…)
(…)
暫くの沈黙が流れる。
(ねえ?もしも、もしもだよ?このせいで地獄に堕ちても一緒に地獄に行ってくれる?)
(ああ当たり前だ、ずっと一緒だよ)
二つ返事のルシファー。
二人はまたしても能力を解除、軽いキスをして抱き締めあった。
生き残らなければ後悔も何もない、彼等の気持ちは決まった。
辺りは静かであった。外には大勢の兵士が彼等を待ち受けているというのに不気味さすら感じられる静けさである。
そんな中足音が響き渡る。
長い廊下を駆ける彼等、やはりリリスが調べた通り兵士は誰もいなかった。
(やっぱり誰も止めに来ないんだな)
(気を付けて行こう)
(だな、今はそれしか出来ない)
訝しみながらも進む彼等、罠だろうと行くしかない。
ルーラーの反応がある方角へ着いた彼等、窓ガラスを突き破って背中の翼を羽ばたかせ外に飛び出した。
上空に滞空し辺りを見下ろすルシファー・リリス。
(あれか)
眼下には深く茂った森、そしてその中に異様な雰囲気の建物がある。
隠しきれていない、間違いなく何かある、あそこにあの石があると彼等は確信した。
(ルーラーの反応もあそこだよ)
(ああ!)
ルシファーも頷く、目的地は決まった。ならば躊躇う理由は無い。
だが事はそう上手く行かなかった。
(っ!嘘でしょ…速い、ルシファー!)
リリスが警告した次の瞬間、何かが風の如く襲いかかってきた。
素早く剣を抜き受け止めるルシファー・リリス、彼等に向けられたのはグリフォンの爪であった。
「俺はアイム、そしてクイーンのイブリスだ。貴様等にはここで死んでもらう」
ルシファー・リリスを憎らし気に睨み付けアイムは冷徹に言い放った。
「…残念だが俺達じゃない、ちゃんと調べたら分かる話だ。こんなことしている暇があったら真犯人を探したらどうだ?」
「なら大人しく捕まれ、そうすれば殺すのは勘弁してやる」
「悪いがお断りだ!」
アイム達の攻撃を打ち払いルシファー・リリスは言い放った。
両者は睨み合っている。
ルシファー・リリスもルーラーであるベリアル達と戦った事はあった、だがそれは模擬戦だ。間違っても殺し合いではなかった。
つまり初めてルーラーと殺し合うのだ。
ルシファー・リリスは剣を握る、相対するアイムは猛禽が如き眼光で彼等を睨んでいる。
ルシファーは全力で頭をフル回転、リリスはどんな状況にも対応出来るように集中している。
たしかに怖い、だが彼等とて殺されるわけにはいかない、持てる技術の全てを使って生き残る意思は変わらない。
(行くぞ)
(ええ)
アイムが猛スピードで突撃して来た。
アイムの能力はグリフォン、力を使えば腕が鷲のような翼になって飛行可能に、そして脚部がライオンの如く強靭な脚になり相手を蹴り砕いたり爪で切り裂く事が出来るようになる。
そしてグリフォンとは鷲の翼と頭部を持ちライオンの体を持つ魔族である。
本来はそこまで珍しくもない種族である。魔界全体で見てもヒエラルキーは精々中の下という程度しかない。
だがアイムは悪魔族である。知恵を持つ人間がその力を使う事によってその力はオリジナルを凌駕する事も可能なのだ。
彼等に取り付き暴風の如く飛来し攻撃を繰り出すアイム、強靭な脚から繰り出される蹴りは脅威そのものだ。
脚力もそうだが爪も人間程度ならバラバラにされてしまう切れ味はある。
(くそっ、速い)
しっかりと握りしめた剣で防ぐが一撃が重たく速い、受けるのが精一杯であった。
右脚から繰り出される蹴りに彼等は防戦一方になってしまっている。攻撃を挟む余裕がない、リリスの警告が無かったら間違いなく死んでいただろう。
「良いぞ、そのままくたばれ」
冷徹に言い放つアイム、だが彼の言う通りくたばるわけにはいかない。
(何とか反撃を…)
必死に隙を伺う彼等、その時であった。
(ルシファー!)
リリスの絶叫が響く。
(!)
相手は左脚で回し蹴りを繰り出してきたのだ。それも右脚から流れるような動作により一切の無駄がない一撃、まるで首を刈り取る死神の鎌であった。
(リリス!)
危うく掠めそうになるが急激な加速で後方に後退、攻撃範囲から離脱出来た。
判断が遅れていたら首が落ちていただろう。
正直いきなりの加速で体に激痛が走る、だがそれ以上に肝が潰れた。
しかしながら同時に攻撃範囲から外れられた。
(今度はこっちの番だ)
(うん、一気に行こう)
彼等の眼光が敵を捉える。
アイムも何かを感じ取ったようであった。
(まずい…)
(今のを躱すなんて…)
(来るぞ!)
次の瞬間、ルシファー・リリスが肉薄し斬りかかってきた。
「くっ…させるか!」
アイム達に勝るとも劣らない目にも止まらぬ速度の一撃、普通ならば反応できずに両断されてもおかしくないがそこは歴戦のキング。
直ぐさま迎撃態勢に移った。
(イブリス!)
アイムはイブリスに呼び掛ける、そして魔力を右脚に集中、迫ってくる彼等目がけて蹴りを叩き込んだ。
激しく火花を散らす両者、だが一撃をぶつけ合った後直ぐに距離を取っていた。
(まずいな…剣が)
ルシファー・リリスの手には砕かれて折れた剣、先程の蹴りで折られてしまったのである。
しかしながらアイム達は優勢だが距離を取っていた。
(想像以上に面倒な相手かもしれないな…)
先程の攻撃、あれを見せられたせいでアイム達はとても焦っていた。
危惧したのはルシファー・リリスの行った急加速である。
あれは魔力を瞬間的に開放させ爆発的な加速を得るという高等技術である。
使用する魔力も多くコントロールも難しいと連続での使用はあまり推奨されないものだった。
下手をすれば内臓を痛めてしまう危険性もある。
だが相手はそれをやってきた。自分達の想像つかない何かをしてくるかもしれないとアイムの直感が告げていたのだ。
(イブリス、作戦を変える。辺りをズタズタにしてしまうが、確実に終わらせるぞ。加減は出来ない)
(賛成ね)
彼等の方針も決まった。
暫し沈黙する両者、深く深呼吸をしてアイムが口を開いた。
「潰してやる…」
(ルシファー待って、やばい…相手が詠唱し始めてる)
(⁈)
同時に何かが来る前兆を彼等も感じ取っていた。
「風よ吹き荒べ、我が悲しみの刃となり眼前の怨敵を切り刻め」
魔力を溜めて圧縮、詠唱で心を落ち着かせイメージを固定。
一瞬の静寂が訪れる。
そして凄まじい爆音と共に放たれた、アイム達の使える最強の攻撃魔法である。
これは腕が変化した翼から高圧縮した魔力で作り出した巨大な二本の竜巻だ。
空気が渦巻いているのが肌で感じられる。それはさながらドラゴンをも殺す巨大な槍のようであった、恐らく一万の軍勢が居ても一人残らず塵芥になるだろう。
「くっそ、まじかよ!」
思わず目の前の光景に声を出してしまったルシファー・リリス、すぐさま全力で回避行動に移った。
ルーラーの強さの一つに膨大な魔力がある、簡単に言えばこれは手数の多さを意味する。
普通の悪魔族はこのような大規模な魔法を使えば直ぐに魔力を使い果たして気を失ってしまう。だがルーラーならば問題ないのだ。
そして回避に移った彼等、相手の攻撃は一直線に飛んでくる。なので横に飛び離脱しようとした。
だが直ぐに後悔する事になった。
(ちょっと、嘘でしょ…追って来てる?)
一直線に来ると思われた風の槍、横に飛んで逃げようとした彼等を追って来たのだ。
これには二人も青ざめた、相手の攻撃は貫く槍ではなく横に振る剣だったのである。
(くそ…無理だ、防ぐぞ)
回避は不可能と判断した彼等、すぐさま防御魔法のバリアを展開…までは良かったのだが問題はその後だった。
攻撃が激しすぎてその場に釘付けにされてしまったのである。
(くっそ…しくじったか…)
(これは、困ったね…)
必死に考える二人。
辛うじてバリアで防げてはいる、だがそれだけでは何の解決にもならない。
彼等とてルーラー、バリア程度で魔力が尽きることは万に一つもあり得ない、だがバリアを展開する腕が攻撃の重みで使えなくなれば彼等はバラバラになるしかないのだ。
相手の攻撃は最早暴風雨と言っても差し支えない程に激しかった。
腕がおかしくなりそうだが身体強化を使い必死に持ち応えるルシファー・リリス。
防御、強化、飛行と三つのタスクをこなしているリリスの負担も考えれば時間は全くない。
魔力の制御をしているリリスの集中力が途切れても彼等の負けである。
(落ち着け…落ち着け…今の状況を整理しよう、先ず相手の攻撃はどうなっている?)
必死に言い聞かせ周りの状況を整理し始める。
(相手の攻撃は高圧縮された竜巻を叩き付けるというもの、飛び回っての回避が困難なのは先程身に染みている。
近接戦はどうあがいても不可能だ。何よりも剣は折れている、このままでの近接戦闘は自殺行為にしかならない)
(もう少し材料が居る。よし、魔法はどうだ?)
冷静に魔法を観察し始めるルシファー・リリス、そして観察してみて分かったことがあった。
相手の竜巻はバリアに当たった後にそこが霧散していたのだ。
(やはりこいつも魔力か…だったら)
バリアは魔力同士で相殺し攻撃を弱めて防ぐという原理で身を守っている。それでも衝撃を防ぎきれていないアイムの攻撃はそれだけ苛烈という事だ。
相手の攻撃が魔力でなかったならどうなっていたか、攻撃を散らせず暴風の威力を諸に喰らってしまい更に苛烈な物になっていただろう。
(リリス、もう少し頼みたいことがある)
(思い付いたんだね?良いよ、任せて)
リリスが少し苦しそうに答えた。失敗は許されない。
(ああ、次で仕留める)
一方その頃。
(イブリス、奴等の様子は?)
(殆ど動かないままよ、完全に釘付けになっているわ)
(そうか…なら更に出力を上げてくれ、奴の腕を潰してやる)
アイムは嬉しそうに言った。彼は勝ちを確信していたのだ。
(ええ、任せて)
イブリスは言う、だがその心中は穏やかとは言えなかった。
(本当にこのまま倒せるのかしら…)
考えつつも彼女はクイーンとしての役割をこなした。
(…ルシファー、準備…出来たよ)
(よし…ありがとう、リリス。これで決めよう)
彼等の双眸が前を捉える。反撃の準備が整った。
ルシファー・リリスは両手で展開していたバリアを左手一本に変更し攻撃を防ぎリリスの準備を待った。
腕がおかしくなりそうだったが気合で抑え込み耐え抜いた。
そして今右手には魔力で作った光輪を携えていた。
それは高速で回転しまるで丸鋸のようでもあった。
これこそ彼等の秘策。
これは魔力に回転を加える事で木片を切り裂く鋸のように魔力をバラバラにし魔法を切り裂き散らしてしまうもの。
(ルシファー…お願い。絶対決めてね)
(ああ、任せろ)
短く、しかし力強くルシファーは返事、全力で右手の光輪を投合した。
(何?何かがこっちに…)
イブリスが違和感に気付いた。
何かが自分達の攻撃を破壊しながら向かって来ているのである。
魔法がズタズタに切り裂かれている、いきなりの事で彼女には見当が付かなかった。
(どうした?)
(アイム、何かがこっちに…だめ、避けて!)
イブリスが危険を察知し警告、アイムが体を逸らした。
(?!なんだこれは!)
訳の分からないままに何かが彼等を掠めた、警告が遅れていたら首が胴から落ちていただろう。
冷や汗がアイムの頬を伝った、危うく死ぬところだったという事実に彼は怯んでしまう。
(アイム!来るよ!)
(まずい、これが狙いか…)
攻撃を回避できたのは良かったがそのせいでアイム達は魔法を中断してしまっていたのである。
気付いたときにはルシファー・リリスが彼等目がけて突撃してきていた。
(終わらせよう!)
(ああ!)
攻撃が止んだのと同時に彼等は飛び立っていた。
またしても音すらも置き去りにしての加速である。
風圧から肉体を保護するための簡易なバリアを展開、折れている得物に付与魔法を使いルシファー・リリスは猛追していく。
彼等の放つ威圧感のせいか対峙するアイム達からすればその姿は首を刎ねに来る死神にしか見えなかった。
「くそ…こんな奴等に…イブリス!撃つぞ!」
必死に魔力弾を撃つアイム、しかしその照準は焦りからか彼等に掠りもしなかった。
(アイム、お願い落ち着いて…)
必死に懇願するイブリス、だがその願い空しく攻撃は掠りもしない。
アイムという男はトロメアのキングでは年少にあたる存在だ。
その実力は確かなものであるがアクシデントに弱いという精神的な弱点を抱えていた。
本来ならば部下達と共に戦いその弱点を補っていた。だが今は彼等のみ、己の意地を優先した結果である。
そして有利が崩され危うく首を刎ねられかけたせいで彼の精神状態は最悪の極みであった。
「くそっ、ここまでか…こんな所で…」
苦々しく言い放つアイム。剣が、死が迫って来る、恐怖と共に仇を取れなかった悔しさで彼の胸が苦しくなる。
(アイム!目を覚ませ!)
(?!)
普段は温厚なイブリスが声を荒げた。
アイムがその言葉に意識を覚醒させる。
彼は思い出した、自分は一人ではない、頼もしい伴侶がいるのだと。
彼は魔法を止め、蹴り砕く態勢を取った。
右脚に力を込めるアイム、脚の届く距離に入った瞬間回し蹴りで迎撃するつもりである。
そしてルシファー・リリスが距離に入った。
(今だ!)
アイムが回し蹴りを繰り出す、が攻撃は寸前で空を切る事になった。相手も攻撃を読んでいたのである。
しかしこれだけで終わるわけがない、後方に宙返りをしたルシファー・リリス目がけて魔法を撃ち込んだのである。
先程はブラフ、本命はこっちであったのだ。
だがその本命すら掠りもしなかった。
ルシファー・リリスは一瞬だけバリアを展開し攻撃を弾いた、必死の反撃はそこまで読み切られていたのである。
「…っ!」
哀れな追撃者は最早絶望に声が出ない。
(アイムー!)
イブリスの悲痛な叫びと共に再び肉薄したルシファー・リリス、逃げる間もなく彼等の拳によってアイムとイブリスの意識は途絶えた。
両手に人質を抱えゆっくりと着地していくルシファー・リリス、人質とはアイムとイブリスである。
完全に動く気配はない。
(ルシファー、大丈夫?)
リリスが心配する。
(本音を言うと倒れそうだ…体中悲鳴あげてるよ…そっちもきついだろう?)
加速にはとんでもない負荷が掛かるのである、それを仕方ないとは言え彼等は連発していたので肉体を担当している彼等はひどい筋肉痛に襲われていた。
(私も辛いけど貴方ほどじゃないわ、ちょっと頭痛いけど。何とかして休みたいね…)
リリスが言った。
魔力の制御には集中力がいる、そして先程まで彼女が行ったマルチタスクの負荷も尋常ではない。
ちょっとと言ったが凄まじい頭痛に苛まれていた。
(リリス悪い、周りの様子は?)
痩せ我慢をしているのはルシファーも御見通しではある、だが今は彼女の力に頼らなければ生き残れない。申し訳ないと思いつつも彼は頼んだ。
(えっと…ちょっと待ってね、特に動きなし。やっぱりおかしいよね…)
(だな)
ルーラーと言えばトロメアからすれば部隊を率いる将軍のようなもの、それが戦っているのに何一つ動きが無いとは違和感しかなかった。
彼等に一つの疑問が浮かび始めていた。
(どうする?)
(そうだな…いや、このまま行こう。ほんの少しだが状況も変わったしな)
少し頭を悩ませるルシファーだがやはり進むことにした。
引き返して大軍を相手にする余力が無いのもあるが今の彼等には切札になる人質がいるからである。
(これで見逃してもらいたいね…)
(流石にそこまで馬鹿じゃないと信じたいな…ルーラーはトロメアの屋台骨だ、それを捨てるほど見境なくなっていたら俺達も覚悟を決めるしかない)
(そうだね、行こう。もう一頑張りだよ)
(ああ)
彼等は人質を抱え例の建物に向かった。大丈夫、何とかなると言い聞かせ疲れた体に鞭打って彼等は歩みを進めた。
建物の前に来たルシファー・リリス、一見何ともないその入り口はまるで大きな口を開けた魔物のような不気味さを醸し出している。
(行こうか)
(ああ)
意を決して彼等は進んだ。
明かりの類が一切ない廊下を進む彼等、ガープの執務室に向かう地下道より嫌な気配が濃い。
響くのは彼等の足音のみ。何が起きても対処できるように二人とも全ての感覚を研ぎ澄ましている、最早会話を挟む余裕すらない程だ。
そんな中反応が近づいている、リリスは警告した。
(もうすぐ接触するよ)
(ああ、分かった)
薄暗い通路に待ち受けていたのは良く知る彼等であった。
「お前達か…」
そこにいたのはフォルネウス達、能力を発動し通路に佇んでいた。
「来たか」
「…」
フォルネウスが言う、モロクは黙ったままである。
「教えてくれ、何があったんだ?」
ルシファー・リリスが問う、その声音は必死だった。
(お願いだ、信じさせてくれ。お前達まで敵だと思いたくない)
そう言っているようにフォルネウス達には感じられた。
「陛下が暗殺されかけた。までは知っているな?そのせいで皆敵討ちに躍起になっている、残念だがもう約束は反故だ…」
約束の反故、つまり同盟の破棄だ。ルシファー・リリスは再び言い返す。
「戦争は…どうするんだ?あんな事これからも続けるのか?トロメアだけじゃない、シトリーだっていつかは巻き添えを喰らう。オリュンポスの人だって大勢死ぬ。お前達はそれで…」
「…それよりも、時間が無いんじゃないのか?」
フォルネウスが被せるように言った、モロクは悲痛な面持ちのままだ。
フォルネウスはあくまでも無機質に告げる。
「この先には行かせない。ここにはあの石が保管されている、通すわけにはいかない」
更に続ける。
「私達にも背負っているものがある、我が国の大勢の命を見捨てられないんだ」
フォルネウス達は動かない。
「…」
ルシファー・リリスは相手を睨み沈黙している。
「…こいつらを引き渡す、そこをどけ」
暫し悩み、この結論を出した。自分達の思い込みでない事を祈って。
フォルネウス達は臨戦態勢でありながら襲いかかっては来ていない、そして相手の発言。
時間が無いんじゃないのかと、追われているのを諭す。
さらに冷静に判断すればここに石がある事を伝えた。
命を見捨てられない、これは人質解放が最優先とも取れる。
「選択の自由があると思うなよ」
精一杯の虚勢を張り威圧的な口調でルシファー・リリスが続ける。
沈黙が流れた。
「…生きているんだよな?」
モロクが言う。
「気を失っているだけだ。骨は何本か逝っているかもしれないが」
「分かった、置いて行け。行ってしまえ…」
モロクは悲しそうに言った。
ルシファー・リリスはゆっくりと歩いて行き相手の傍に人質を置いた。
「襲わないのか?」
「言ったはずだ、命は見捨てない」
フォルネウスは彼等の顔を見ないで言い放つ。
ルシファー・リリスは何も言わなかった。
だが立ち去ろうとする途中。
「…また会えるかな」
ようやく仲良くなれたと思ってからのこんな別れ、思わずルシファー・リリスはそんな言葉が漏れてしまった。
「会いたくはない、もう二度と。さっさと行くんだ」
堪えるような言い方のフォルネウス。
「…分かった。じゃあな」
それだけ言って彼等は奥に走って行った。
「許してくれ、こうするしかなかったんだ…」
彼の呟きは空しく虚空に消えた。
その後、先へ進んでいった彼等だが階段を下りまたしても暗い通路を進んでいた。
無くした分の剣を拝借、それから異臭のする小部屋を無視していく彼等、嫌悪感が込み上げていた。
(ここってなんだろう…)
リリスが口を開いた。
(多分、実験場か何か…かな…)
鎖、血の乾いた床や壁、液に浸された臓物、そう判断出来てしまう証拠で溢れていた。
おまけに通路は真っすぐだ。
恐らく逃げ出そうとしても対応しやすいようにだろう、考えるだけで吐き気がしそうな話である。
(夢に出そう…)
(俺もだよ。ごめん、ところで反応は?)
(やっぱりないみたい、追っても無し)
(そうか、やっぱりか…)
(セキュリティーすら無いのね)
(だな…)
(ルシファー大丈夫?)
考え込んでいる様子のリリスが聞いた。
(…いや、なんか妙だなって。あいつら本当に俺達を捕まえるつもりなのか?)
(うーん、やっぱりそう思う?)
リリスも自分の考えを口にする。
(仮にそうだとして、なんでこんな事するのかってのがどうしても分からなくて…すごい気持ち悪いんだよ。どう思う?)
暫く沈黙、歩きながら考え込んでみる二人、だが何一つ理由が浮かばない。
(何がしたいんだろう…フォルネウス達も様子が変だったし)
(まさか、ガープの命を握られているとか…)
最悪の予想を口にするルシファー、だがこれなら納得も出来る。
(暗殺されかけたって言ってたからね、殺されてしまったじゃないならそれが一番あり得そう…酷いね)
(全くだ、帰ったらストラスさん達に話そう。それで…難しいだろうけど救い出せれば当初の計画通りにまだ持っていけるかもしれない)
当初の計画、戦争の早急な終結だ。
当たり前だが利己的な面もある、下手したら故郷まで危険に晒されるのだ。
だが何よりもあんな形での別れなど彼等は納得いかなかった。
(賛成、まだ諦めちゃだめだよね)
(ああ、打てる手があるなら全部打つ。父さん達に教わった事だ、今回もそれは変わらない)
彼等はこの逆境で尚も諦めていなかった、寧ろまだ足掻くつもりでいる。
だが体とは正直な物である。
恐らく今までの人生で一番体を酷使したと言っても良い事を先程行っていたのだ。
(ねえ…少しだけ休まない?今は誰も居ないし)
(いや…もう少し行く)
彼は提案を却下した、なのでリリスは彼の弱点を突いた。
(…休みたいな、頭痛いのちょっと辛くなって来たかも…)
辛そうに言うリリス、彼を休ませたいのだが断られるなら自分を使うのみである。
これなら断れないと彼女は知っていた。
(…)
戦いすぎた反動で頭が痛いのはルシファーも分かっていた、だが流石に敵地で休むなど安心しきれないという事で先程の彼は提案を却下したのだ。
(でもリリス、ここは…)
ルシファーが尚も尻込みをする、もう少し進めば帰れるのだ。おまけにここはとても心休まる場所ではない。
少しばかり想定外だった。
なのでリリスは強行手段に出た。
能力を解除したのである。
「?!おい、リリス…」
抗議の声を上げようとしたルシファーだが直ぐに静かになった。
「よしよし」
リリスはルシファーを優しく抱きしめ頭を撫でた。
彼女の柔らかい体と体温に思わず蕩けそうになってしまうルシファー、強張っていた体がほぐされる感じがした。
元々疲労困憊なのだ、抗えるわけがない。
「いっぱい頑張ったもんね、少しだけでもいいから休もうね」
優しく囁くリリス、キングもクイーンも戦う際には冷静さが重要である。
溜まっているものがあるなら可能な限りでも発散してしまうのは大事な事だ。
「…ごめん、異変感じたらすぐに起こしてくれ…」
眠気に襲われ始めながら彼は伝える。
「分かってるよ」
「お前も休めよ」
「大丈夫、休みながら周りも見るから平気だよ」
「…本当、ありがとな」
「良いんだよ」
15分程経過した。
「寝ちゃってたな、悪い」
「いいって」
リリスは微笑む。
「リリスも具合は?」
「心配しないで、休めたよ」
「約束だぞ?」
「はいはい」
「…本当だぞ?」
「分かってるよ、約束する」
リリスは微笑んだ。因みに彼女とてやせ我慢はするつもりはない。
そんな事をすれば愛する彼の死につながるからである。
(ここかな)
(だな…)
漸く行き止まりまで着いた彼等、もう少しで帰れると考えると少しは気持ちが明るくなった。
だがあの事を思い出すと彼等の表情が曇った。
(この重たい扉の奥にあの石が…)
(…もう後戻り出来ないな…)
彼等は人の命を使おうとしているのだ。表情が曇るのも仕方ない。
(…行こう)
(分かった)
今更引き返せはしない。
彼等の道は決まっている、地獄の底にでも通じているような重さの扉を開け小部屋に入って行く。
そこにはあの石が所狭しと陳列されていた、見た目は色とりどりで綺麗だった。
宝石と見間違えてもおかしくはない。
だがその材料、どれだけ多くの命が加工されたのかと考えると寒気がして来る。
彼等はその石を一つ手に取るがどことなく吐き気を催してきた。
(…すまない、もう一つ良いか?)
(どうしたの?)
(これは最重要機密だろ。扉の鍵が開いているのはどうしてなんだ?)
(…フォルネウス達が開けててくれたとか?)
リリスが精一杯答えを考えてみた。しかしルシファーは腑に落ちない様子である。
(悪い、またこんな事気にし出してしまって)
(気にしないで、貴方のそういう所には昔から助けられているし)
(リリス…)
(でも今は罠ごとこじ開けるくらいの勢いが大事だと思うよ?)
彼女の言う通りであった、どの道もう戻れない。
彼女の後押しでルシファーも完全に決心がついた。
(その通りだな。ありがとう、今度こそ行こう)
(うん。それじゃあ、使い方は行きたい所をイメージとかかな?)
(だな、そして)
ルシファー・リリスは石を地面に落として
(踏み砕く)
砕いた瞬間あの時のような光が彼等を包み込んだ。
そして次の瞬間小部屋には誰もいなくなっていた。
世界から何も無くなったかのような静寂が部屋を満たした。
結論から言えば脱出は成功した、だが…
「なんだ…これ」
「嘘…なんで…」
彼等の目の前には見慣れた故郷ではなく地獄と言ってもいい光景が広がっていた。建物は焼け熱気が辺りを満たし至る所に焼死体が転がっている。
二人は目の前の光景に愕然とするばかりだった。
「使い方を間違えたんじゃない?きっとそうだよ…だって、こんなんじゃなかったもん…何かの間違いだよ…」
リリスは何が起きたのかと分からない様子である。
ルシファーも今まで見たことないような、泣き出しそうな顔をしている。
「…」
「ルシファー!」
「切り替えろ…まだ火の勢いが強い。町を焼いたやつがまだいるかもしれない」
冷静でないのはルシファーも一緒である。
自分にも言い聞かせるように彼は言った。今にも泣きだしたいが歯を食いしばりリリスに言った。
「そうだね、ごめん。待って」
彼の言葉に僅かながらの冷静さを取り戻した彼女が辺りの気配を探りだした。
「…いた、この先だよ。ルーラーの反応が一つ」
静かに、だがしっかりと怒りを込めて彼女が言った。
「行くぞ」
「ええ」
二人は堅く手を握り力を解放した。
ルシファー・リリスは目標目がけて飛んで行った。
役所があった場所に男は佇んでいた。
ルシファー・リリスは降り立った、正直今いるここが育ったシトリーなど信じたくなかった。
役所は町の中央にあり象徴的な場所だった。
だが今、建物は焼け辺りには焼死体、何かを抱き締め庇ったかのようなまま焼けている遺体も中には見受けられる。
周囲も地獄みたいな光景が広がっている、あちこちに死体が転がっている。
そして誰が誰かなど判別不可能なレベルで焼き尽くされている。
人間の焼ける臭いで吐きそうになる、だが彼等は目の前の男を睨み付ける。
そしてこの場に佇んでいた男、顔に白粉を塗った特徴的な風貌だが更に特徴的なのは背中から炎の翼を生やしている事だろう。
「お、来たか」
降り立った彼等に男が話しかけてきた。見る者に嫌悪感を催す邪悪な笑みを浮かべている。
「お前達は誰だ?」
(まるで待っていたかのような言い方だな…)
少し引っ掛かりを覚えながらもそれを現すことなく対峙するルシファー・リリス。
「俺様はイポス、それとクイーンのグサインだ。よろしくな」
まるで友達に話すかのような気安さである、この地獄みたいな光景で全く意に介していない。
「…これはお前達がやったのか?」
「少しだけ違うな、ほんの少しだけだが。まあいいや、用はそれだけか?無いなら帰るぜ。こっちの用事は済んでるんだ」
相手は冗談のつもりか帰る素振りを見せた。ルシファー・リリスはそんな彼等に剣を向けた。確かな殺意を込めて。
「ほう、やる気かい?」
「大人しく喋るかズタズタに切り刻まれて喋るかどっちがいい?」
「おお、怖いなあ。血気盛んで若いって感じだ。でもそれはただの蛮勇だぜ?」
そう言ってイポスも剣を抜いた。獲物に舌なめずりする捕食者のようだった。
間違いなく相手は強い、憲兵隊が居たのにそれを殲滅し立っていたのだ。
だが彼等は気圧されるわけにはいかない、絶対にこいつらを逃がすわけにはいかないのだ。
(行くよ)
(ああ)
強く剣を握りしめ彼等は飛び掛かった。
命が絶やされた焼け野原の中、激しい金属のぶつかる音が響いていた。
「どうした?もっと楽しめよ!折角会えたんだからもっと楽しもうぜ!」
「…」
楽しそうに笑い剣を振るうイポス、ルシファー・リリスは冷めきった表情でそれを受け止めている。
心底愚か者だなと言わんばかりの冷めた表情である。
「それにしても傑作だったぜ、どいつもこいつも自分が死ぬ事なんてまるで分かってない顔で死んでいくんだ、お前はどんな顔で死ぬんだろうなあ?」
イポスが煽っていく。しかしルシファー・リリスの表情に変化はない。
次々繰り出される斬撃、横薙ぎの攻撃を避け斜めに繰り出される斬撃を受け止める彼等。
攻撃は激しいが一撃の重さ、鋭さはアディスで戦ったアイム達には及ばない。全て問題なく対応できてしまっている。
時折反撃を挟みながらも相手の力量の分析を済ませていた。
(どう思う?)
(さっきのルーラーの方が強かったよ、それどころかこの程度なら憲兵隊とベリアル達には絶対勝てない)
リリスの分析とルシファーは同意見だった。
(よし、少し試してみようか)
(良いよ、任せて)
「なんだよ、表情硬いぜ?もっと柔らかくいけよ?」
「…」
尚も変わらず煽ったような言葉を発するイポス。しかしルシファー・リリスの表情は変わらない。
そして口を開いた。
「…うるさいぞ、口ばかりか?どうせ自分しか弱い奴しか倒せないんだろ。強がってないでさっさと喋ったら見逃してやるぞ?」
ここでこの言葉が受け流されていれば危なかったかもしれなかった。
「あ?」
だがイポスは受け流せない性格だった。
実際このコンビは弱い者を痛めつけるのを至上の喜びとしていた。
それは自分が上じゃないといけないという歪んだ性格から来ている。
だからこそこのような煽りは我慢ならないのだ。おまけにここまで自分達の攻撃を完全に捌かれている、という焦りも混ざっている。
(このガキども…遊んでやってれば調子に乗りやがって…ぶっ殺す)
(ああ、殺っちまおう)
イポスとグサインは今の一言で完全に頭に来ていた。
先程よりもイポス達のスピードが上がった、動きの切れも良い。
やはり手を抜いていたのだ。
そして殺意を込めて彼等に斬りかかって来た。
全力の横薙ぎを繰り出す、しかし後ろに下がって躱すルシファー・リリス。
すかさずイポス達は力一杯剣を振り下ろして来た、それも彼等は受け止めた。
凄まじい金属音が響きルシファー・リリスの体に衝撃が走る。
だがイポス達はそれだけで終わらない。即座に下がり彼等目がけて突きを繰り出した。
それも急加速を使って瞬時に下がり、また急加速をして突っ込んだ。
振り下ろしの衝撃で一瞬動けなくしてから直ぐさま放たれた攻撃である、イポス達は勝利を確信していた。
この生意気な若造達の臓物を引きずり出して踏みつける瞬間に心踊っていた。
しかしそうはならなかった、ルシファー・リリスは読んでいたのだ。
彼等の心中は最早怒りを通り越していた綺麗に晴れ渡っていた。下品な煽りも気にならないくらいに。
その為か彼等の集中力はアイム達と戦った時より高まっている、この程度の小細工など効くはずもなかった。
彼等は体を逸らし回避、刃は空しく空を切った。
戦いを楽しめと言う輩は結構いる、だがルシファーとリリスはそういう輩が嫌いである。
それは昔から力のせいで襲われることが多々あり怖い思いをしてきたからだった。
そして両親、姉から教わったそんな輩への対処法がある。
突きを空振りしたイポス達、そしてルシファー・リリスの前にはがら空きの鳩尾があった。
(いっけー!ルシファー!)
彼女が声を荒げる、ルシファー・リリスは左手で鳩尾目がけて全力を叩き込んだ。
「ぐふっ…?!」
殴られたイポスが苦しそうに呻いた。
鳩尾は痛覚が過敏な箇所であり殴られれば呼吸困難になりかねない急所である。
悪魔族の体はある程度丈夫だがそれでも殴られれば痛いものは痛い、鳩尾などという弱点に意識外から叩き込まれれば尚更だ。
幸いイポス達は呼吸困難にまではならなかった、が咄嗟に身を引いて距離を取ったあたり効いていたようである。
「痛いじゃないか…ていうかよりによって腹パンかよ…」
殴られた箇所をさすりながら憎らし気に言うイポス。
すっかり笑みは消えている、余程痛かったのだろう。
「ああそうさ、お前みたいなやつには一番効くだろ」
「そうだなあ。効いたよ、ちょっとだけな。だがそれだけで」
喋り終わる前にルシファー・リリスが殺意を剥き出しに襲いかかった。
「てめえ、まだ喋ってるだろうが」
抗議の声を上げるイポス、だが彼の抗議にルシファー・リリスは全力の斬撃で返事をした。
一刻も早くこの不愉快な敵を黙らせる、兎に角それだけであった。
(こいつらだけは)
(絶対に許さない)
両手に握った剣を全力で叩きつけるルシファー・リリス、イポス達は剣で受け止めるもその顔からはすっかり笑みが消えている。
小馬鹿に出来る相手じゃないと漸く気が付いたのだろうか。
戦いのペースは彼等が握り始めていた。
「くそっ…」
イポス達が嘯き距離を取る、だがルシファー・リリスがそれより早く肉薄し力いっぱいの唐竹割を叩き込んだ。
「んなっ!?」
距離を取ろうとした瞬間に打ち込まれたので態勢を崩し墜落、剣で受け止めたので真っ二つにはならなかったが背中を地面に打ってしまった。
リリスにはある特技があった。それは索敵の範囲を狭める、フォーカスする事でより詳細に相手の情報を得ることが出来るというものである。
つまり周りでなく目の前の相手に集中する事で相手の呼吸、動く前の予備動作等を詳細に知る事が出来るのだ。
その精度は相手からすれば未来予知と言っても良い程の脅威だった。
ここに至るまでに戦ったヴィネ、ソロモンに憑りつかれた兵士、アイムとイブリスなど手練れ相手に戦う時もこの特技は重要な役割をこなした。
そして今、イポス達が飛び立つ瞬間に一撃を加えられたのもこの特技を持つリリスとそれについて行くルシファーのコンビネーションのおかげであった。
「ぐっ…ちくしょうが…」
地面に倒れ伏せるイポス、その隙を逃さずルシファー・リリスが振り下ろした剣を必死に受け止めている。
「降参するか?」
「わ…分かった、喋る。喋るから…だから…」
先程と一転、命乞いしだしたイポス。
「お前が死んだあとでっ…」
哀れ、彼はそれ以上喋れなかった。
イポスに掛けられる力が一気に増した。身体強化を発動し腕力を強化したのである。
「あっ…あああ」
最早反撃の隙も無い。イポスの腕の骨が軋み始めていた、段々と受け止めていた剣が自らの方に近づいてきている。
逃れられない死が迫っている。
(いい?)
(ああ)
更に力が増した、押し込まれたイポスの剣が食い込み始めている。剣が食い込んだ箇所から血が滲み始めていた。
イポスが必死に抵抗しようとするがルシファー・リリスは更に剣を捻じ込む。悲鳴を上げ悶え続けたイポス、やがて血を噴き出し痙攣、次第に動かなくなった。
だがこれで終わりではない。
(止めだ)
ルシファー・リリスは剣を一閃、倒れたイポスの首を刎ねその首に魔法を撃ち破壊した。
肉片と鮮血が辺りに飛び散った。
アディスでも行っていたこの行為、残酷に映るかもしれないがこれは悪魔族と戦う上で必要な行為である。
もしも相手が丈夫な魔族の力を使える場合勝ったと思っても手痛い反撃を喰らう可能性があるからだ、少なくとも首を破壊してしまえば相手は起き上がっても直ぐに此方を視認できない。
(勝ったか…)
一息つこうとしたルシファー・リリス、能力を解除しようとした。
(うん…ん?離れて!)
だがリリスが違和感に気付いて警告、すかさず飛び退いた彼等だがその頬を何かが掠めていた。
死んだはずのイポスがナイフを投げていたのだ。
「終わっていなかったか…」
忌々しく嘯くルシファー・リリス、最悪な展開だ。
飛び退いた後に再び剣を握り締める彼等、頬の血を拭い目の前の相手を見据えるが信じられない光景を目の当たりにしたのである。
ゆっくりと起き上がりながら失った頭部が再生されていたのだ。
彼等は切り落とした部位をくっつけて再生させ戦おうとする者と会ったことがある。
だが肉片にした部位が再生など彼等は見たことが無かった。
その光景に唖然とする彼等、だが直ぐに我に返り正体を突き止めた。
「燃える翼にその再生力。お前の能力はフェニックスだな」
「御明察」
生えきった首を鳴らしながらイポスが答える。
フェニックス、炎の翼を持つ美しい鳥の魔族である。
争いは好まず種族全体でどれだけの数がいるのか、どこに住んでいるのかなど殆どが謎に包まれている。
分かっているのは桁違いの再生力を持っているという事のみだ。
「しかしまあ、随分と容赦ない戦い方するんだな。腕は痛いし剣も死ぬほど痛かったぞ」
まるで生きている事を確かめるように首を鳴らす。
「さて、さっきは取り乱したが…ここからは遊びは抜きだ。本気で行かせてもらうぜ」
再び笑みを浮かべるイポス達、剣をしまって何かをし始めた。
(まずい、リリス!)
この状況で剣をしまってまでする何かなど一つしかない、すぐさま彼等は障壁を展開した。
「消し飛びなあ!」
イポスが叫んだ瞬間辺りが閃光と爆炎に飲み込まれ文字通り蒸発した。
ルシファー・リリスも判断が数秒遅れていたら塵すら残らなかっただろう。
間違いない、シトリーを焼き払ったのはこの二人だ。彼等はこの一撃で確信した。
(危なかった…)
冷や汗が頬を伝った、土煙がひどく舞い上がって何も視認できない。
だが相手はクイーンの索敵でこちらが無事な事を知っているだろう、撃つまでのタイミングも早かったことから直ぐに第二波が来るのは間違いなかった。
(ルシファー、逃げるよ)
(賛成、全速力で離脱だ)
直ぐさま判断を下す彼等。
先程の爆破魔法、何とか防ぐ事は出来たが爆発の衝撃が凄まじく腕にダメージが残ってしまっていた。
元々万全でないのも合わさって次使われたら防げないかもしれない。そんな焦りと共に彼等は全速力で加速、その場を離脱したのだった。
(ちっ逃げたか。逃げ足も大したものだな)
(何褒めているんだい、さっさと追って始末するよ)
爆破で起きた煙が立ち込める中、イポスとグサインはそんな話をしていた。
イポスは己の伴侶に問いかける。
(場所は?)
(この先さ、あの様子ならこれ以上は逃げられないだろう。随分消耗しただろうし、次で終わらせるよ)
(あいよ)
イポスとグサイン、二人して元気な獲物に出会えて嬉しいと言った表情である。
(まだ試してない魔法は沢山ある、精々逃げ回って楽しませてくれよ)
彼等はこれから待っているであろう興奮を楽しみにゆっくりと歩き出した。
命辛々ルシファー・リリスが来たのは住宅地、役所から少し離れた所にそこはあった。
歩きながら見渡す、だが小さいながら活気のあった商店も顔馴染みの人達ももういない、そこには焼死体と焼け跡しか存在していなかった。
その事実に泣き出しそうになる彼等だが今はそんな暇はないと頭を切り替える。
(すまない…少しだけ一息入れさせてくれ)
(うん、いいよ)
焼け跡に身を隠しながら少しだけ能力を解除した彼等、人と建物の焼けた臭いが肺に吸い込まれ吐きそうになる。
「…敵は?」
「ゆっくり向かって来てるよ。でも私達…勝てるかな…」
リリスが泣きそうな声で話した。ここまでの溜まっていた物が噴き出してしまったのだろう。
ルシファーは静かに彼女を抱きしめる。
「ルシファー…」
「気持ちは分かる。でも大丈夫だ」
先程してもらったかのように彼女の背を優しく撫でるルシファー、体温と呼吸を感じながら必死に考えをまとめる。
静かにルシファーは語り掛ける。
「リリス、一つだけ思いついてるんだ。あれで仕留める」
「…うん、良いよやろう」
リリスは少しだけ間を置いて返事、まだ涙目だが愛する彼が考えた作戦を信じ奮起した。
彼等は静かにその場を後にした。
意気揚々と歩くイポス達、焼死体の臭いが更に彼等の機嫌を良くする。
殺し合いをしている、その瞬間に生を実感できる。このコンビは戦場の臭いが大好きであった。
(もう少しか)
(ああ、どうやら地下室にでも潜ったみたいだ。何か武器でも隠していたのかね)
(だったらいいな、精々派手に抵抗してもらいたいぜ)
獲物を狩る狩人にでもなった気分である。
だが相手がどんな強力な武器や魔法で反撃して来ようがイポス達には不死身に近い再生力と自慢の魔法がある。
負けるなど万に一つもありえない。
どうやって嬲るか、彼等はそれしか考えてなかった。
(もうすぐだ、この先の地下に隠れているよ)
(よおし、景気よく吹っ飛ばして生き埋めにでもしてやるか)
(いいね、それで行こうか)
「それじゃ」
次の瞬間イポス達の肉体は地下から現れた黒い奔流に飲み込まれて蒸発した。
黒い奔流はルシファー・リリスの魔法、黒焔であった。
これはルシファー・リリスの使える魔法では一番威力があり尚且つ一番危険な魔法である。
何故危険なのかと言えば理由は二つ、一つは単純に威力が強すぎる事だろう。
その威力は全力なら山一つは容易に消し飛ばしてしまう馬鹿げたものだった。
どんな逆境でも覆せる魔法を、と思って考案したのは良かった。だがこればかりは考案者の彼等すら戦慄、使うのは死を覚悟した時、イポス達のような本当に危険な相手のみと決めていた。
二つ目は撃つまでに手間がかかる事、真っすぐ撃つには地に足をつけて尚且つ十秒近く動きを止めて集中しなければならなかった。
相手が達人ならばその間に鱠切りにされるのは間違いない、なので何かしら工夫をしなければ使うのは不可能に近かった。
彼等は攻撃を一瞬でも防ぐために住宅地の地下室からイポス目がけて魔法を放っていた、その為に目の前には魔法で穿たれた大穴が口を開けていた。
(…死んだのか?)
先程の復活した光景を見てしまったせいで信じられないと言った様子のルシファーである。
(反応は消えたみたい…ルシファー、少し休もう?)
リリスの索敵には引っ掛からずいつまでたっても再生する様子はなかった。脅威は去ったとみて良さそうである。
(…そうだな、流石に限界だ…)
能力を解除したルシファーとリリス、ルシファーはひどい眩暈に襲われていた。
「一気に魔力使ったもんね…どこかで休んで行こう」
魔力は生命力である。魔力を使って出た眩暈や倦怠感といった症状は体が悲鳴をあげている証拠、休めるうちに休まなければやがては命に関わる事に繋がるのだ。
シトリーに帰る前に少し休んでいたが結果的にあれは正解だったと言える。
「…別の地下室探そう、緊急用の物資はあるだろうしそこで休むのとどうするか考えよう」
リリスは頷いてルシファーに肩を貸した。
「もう一息頑張ろうね、毛布とご飯が待っているよ」
「ああ」
地下室に入った彼等。数時間が経った、久しぶりに静かな時間が彼等に訪れた。
シトリーにはそれぞれの家に地下室が必ず作られている、それはいつ戦いになっても必要な物資を蓄えて置けるようにと考案されたものであった。
そして当初の想定とはかなり変わってしまったがその蓄えのおかげでルシファーとリリスは命を繋ぐことが出来たと言える。
照らすものと言えば蝋燭の明かりしかない、だが今の彼等には希望の灯にすら見えた。
「休めた?」
「ああ、大分良くなったよ」
「良かった」
お互いの体を抱き締め合いながら話す二人、温もりが生きているという実感を与えてくれる。
束の間の事だろうが安らげる時間が得られたことに彼等は感謝していた。
「これからの事なんだけどさ」
「ああ」
「オーディンさんに助けてもらえないかな。話せば力になってくれると思うの」
オーディンはオリュンポスのトップである。
「…そうだな、あの人なら父さん達と知り合いだ。あの事もあるけど…今はそれしか手が無いだろう」
あの事、ガープから聞いた戦争の真意である。
「やっぱり黙っておいた方が良いかな?」
「余計な事を言って面倒に巻き込まれるのは困るからな…話すのはタイミングを見てだ」
オーディン本人は穏健派だが問題は周囲である。
トロメア側に与する発言などすれば摘み出される可能性もあるしガープ本人が危惧していた不老不死の話もある。
話すのは本当に然るべきタイミングだろう。
「…トロメアもどうなっちゃったんだろう」
「イポスとグサインとかいう奴等の事もだが、姉さん達も…覚悟しておいた方が良いんだろうな…」
「ルシファー…」
「…今は考えるの止めて寝よう、兎に角この状況を何とかするのを優先だ」
「そうだね…お休みルシファー」
「お休みリリス」
状況は何一つ好転せず悪化の一途を辿るが彼等には頼れる伴侶がいる。
いきなり日常を全て壊された中それだけが心の支えであった。もしも独りだったらどうなっていたか、とてもじゃないが考えたくはない。
お互いを感じながら二人は眠りに着いた。
「ターゲットはまだ寝ている筈だ。相当疲労しているみたいだからな。人数は此方が上だ、動かれる前に一気に襲って終わらせてしまおう」
「ああ、絶対許さない…」
時刻は深夜、ルシファーとリリスの泊まっている部屋の前に五人の男が佇んでいた。
顔つきは皆険しく殺意に満ち溢れている。間違いなく彼等の客ではない。
「様子はどうだ?」
隊長らしい男が部下に聞いた。
部下の能力はケルベロス、嗅覚に優れている魔族である。
そしてその部下も本物のケルベロスには劣るが優れた嗅覚を能力として使うことが出来た。
「動きはありませんね」
「そのまま寝ていてくれよ、永遠にな」
全員が剣を抜いた、皆いつでも能力を使える用意がある。
「よし、行くぞ…」
彼等が覚悟を決めて部屋に突入した。
「…よし、寝ているな」
ルシファーとリリスはベッドに入ったままであった。
彼等は心底安堵していた。正面からぶつかれば勝ち目はない事をよく分かっていたからである。
「いいな、確実にだ…」
彼等がベッドを取り囲む。
ルシファーとリリスは動く気配が無い。
「終わりだ…」
最後まで動かない事を祈りながら彼等が剣を振り下ろした。
「!?」
気づいた瞬間には遅かった、ベッドを取り囲んでいた彼等は魔力の衝撃波で吹き飛ばされていたのである。
「くそ…気づいていたのか…」
ルシファー・リリスを襲った一同が悔しさに顔を歪める。
「残念だったな、能力使わなくても殺気丸出しのやつは分かるよ」
背から黒い翼を生やしたルシファー・リリスが彼等を見下ろす。
振り下ろされる前に能力の発動、そして魔力を壁のように放ち彼等を吹き飛ばしたのである。
相手は立ち上がり彼等を睨み付けている。敵意剥き出しだがとりあえず言い分を聞いてみる事にした、何かの誤解ならば解かなければならない。
今は同盟関係なのだからわだかまりは無くしておきたい、と思って彼等は声を掛けた。
「で、これは何の真似だ?」
だが彼等の質問に相手は怒りを露わにした。
「何の真似だ?だとふざけるなよ、陛下を騙し討ちにした外道どもが!」
(騙し討ち?)
「おい、何の話だ。俺達はずっとここに居たぞ」
彼等の頭に疑問符が浮かんだ。当たり前だが彼等はそんな事をしてないし何よりする動機がない。
「とぼけても無駄だ、証拠なら揃っている」
相手は物怖じせず言い放った。
「大人しく投降しろ、この部屋は包囲されている。お前達に勝ち目はないぞ」
(どうしよう…なんかすごいヤバそうなんだけど…)
(一体何なのか全くわからないけど、冤罪掛けられた状態で捕まるとか処刑まっしぐらじゃないか…)
いきなりすぎる出来事に頭が痛くなりそうなルシファー・リリス、少し考え込んでから質問を投げかけてみた。
「なあ、幾つか聞かせてくれ。騙し討ちって何の事だ?ガープに何があった?」
「…毒を盛られた、医者曰く毒は遅効性、倒れたのは二時間ほど前。毒の種類から逆算して体に入れられたのは丁度お前達が陛下と話していた時間だ。まだとぼける気か?」
言葉に怒気を含ませながらも隊長らしい男が詳細に説明してくれた。
だが話を聞いて分かったのはこれが冤罪だという確信である。
溜息交じりにルシファー・リリスは説明した。
「とぼけるもなにも俺達はなにもしていない、そもそも遅効性の毒なんて持っていないしそんなものをガープの体に入れるなんて不可能だ、何より俺達には動機が無い。何故協力者のガープに危害を加えないといけない?両親を探せなくなったらここに来た意味がないのに。両親がいなくなったのかすら疑うなら明日シトリーまで来るか?」
冷静に返答した彼等に少し困った様子の隊長。
「だが…では…誰がやったというのだ?」
どうやら隊長はまだ話の通じる相手だったようである。彼等の言い分を一蹴せずに聞いてくれた。
「それを探すのはあんた達の仕事だ、でも一つ言って良いなら言わせてくれ。その医者の言う事は信じて良いのか?」
話を聞いている限り遅効性の毒だと言い出したのはその医者である。医者が嘘を言えば誰も真実は分からない。
「ブエル様を疑えだと…」
ブエルは宮廷お抱えの医者である。気さくな人柄で皆から慕われていた。当然部屋に来た彼等も例外ではない。
そんな人物が怪しいと言われて一同戸惑う様子を見せる。
その時だった。
「隊長、いつまで悠長に話しているんですか?こいつは裏切り者です、余所者の口車に乗せられて仲間を疑うんですか?」
痺れを切らした隊員の一人が割って入ってきたのである。彼は話を聞くつもりになってきた隊長に当初の強硬手段を訴えかけてきた。
「言いたいことは分かる…だが、こいつらの言う通りだったらどうする?無実の連中を疑って真犯人を取り逃しては本末転倒だぞ」
怒鳴り付けるように言う隊長。
「…こいつら…疑われているのに堂々としすぎです、怪しいです!」
別の隊員が割ってきた。これは最早言い掛かりである。
「ええい、うるさい黙っていろ。兎に角だ、一旦引き上げだ。お前達も潔白を主張するならこの部屋から出るなよ、後持ち物を徹底的に調べさせてもらう。いいな?」
「全然構わないよ、潔白が証明されるなら何でもするさ」
口調は荒いが判断は冷静だ、結構優秀な隊長なのかもしれないと彼等は聞いていて思っていた。
(良かった…)
リリスも安堵している。いきなり何が起きたか分からず仕舞いだったが一先ず荒事は避けられそうであった。
「よし、引き上げる」
「隊長!」
最初に痺れを切らした隊員がしつこく食い下がる。
「黙れ、意見は無用だ」
「ですがっ…」
尚も抗議をする隊員、だが突然その隊員が黙ってしまった。
そして糸の切れた人形が如く手がだらしなく下がった。
「…なんだ?」
(ねえ、ルシファー…なんか嫌な感じが…)
リリスが警告する、更に今まで感じた事のないような嫌な寒気を二人は感じていた。
おまけにその寒気はこの場の全員が感じていた。
だが寒気の正体に気付いたのはルシファー・リリスだけだ、他の皆は恐らく知らない者達だったのだろう。
「この感じ…まさか」
「おい、どうした?大丈夫か?」
隊長が黙った隊員を気遣って声を掛ける。しかし反応は無い。
そんな中ルシファー・リリスは彼等へ剣を向けた。
「貴様等…何の真似だ…」
隊員達が身構える。
「違う、落ち着け。そいつから離れろ、嫌な予感がする。お願いだから言う事を聞いてくれ」
ルシファー・リリスはあくまでも諭すように彼等へ語り掛けた。
彼等も一瞬躊躇った、だが二人の言葉からは敵意を感じられなかった事から直ぐに従った。
だが遅かった。
「っ…」
突然動き出した隊員の手刀が隊長の胸部を貫いていたのである、彼は声を上げる事も出来ないまま心臓を貫かれ血を噴きながら倒れ伏した。
そして悲劇は終わらない。
反応される前に残りの三人を右手の剣で斬り伏せてしまったのである。
鮮血が撒き散らされ華やかな部屋に惨劇の痕が刻み付けられる。
トロメアの戦闘は数で劣るのを補うために固まって助け合う戦い方が多かった、基本的にはそれで被害を減らすことが出来ていた為間違ってはいなかった。
ましてや今回相手になる筈だったルシファー・リリスは室内にいる、固まってカバーし合う戦い方は有効になる筈だった。
だがそれが悲劇を生んだ、仲間の手に掛けられるなど想像のしようがない。
(嘘でしょ…)
(くそ、これは…まずいな。こっち来るぞ)
一瞬の悲劇に戦慄するルシファー・リリス、鮮やかすぎる手際もそうだが仲間を惨殺した隊員から体の芯から凍るような寒気、そして本能が逃げろと叫んでおり心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
信じたくはないが結論は一つしかない。話に聞いていた特徴が全て当てはまりすぎている。
(まさか…ソロモン…)
(どうしてこんな事に…やるしかないか)
彼等も意を決して戦闘態勢に入った。
最初に動いたのは相手、瞬きした瞬間に目の前に現れておりこちらを貫きに来ていた。
(ルシファー!)
金属音が響き渡る。
相手の突きを剣で受け止め切り払うルシファー・リリス、相手も攻撃が通じないとみると直ぐに距離を取り離脱した。
彼女の警告が無ければこの一撃で勝敗が決まっていたかもしれない程の攻撃、恐怖を隠し切れない。
(くそ…なんて奴だ)
可能なら逃げ出してしまいたい、だが不思議と分かる事があった。逃げ出せば確実に殺される、それだけは何故か分かった。
そして相手、攻撃を防がれるや否や素早く飛び退いた。
すると今度はまた糸の切れた人形のように動きが止まった。
(止まった?こいつ、気味が悪すぎる…)
相手からは全く生気を感じられなかった、動きも緩急が極端でとても人間の出来る動きではない。
(今の動きもだけど本当にこの人は人間なの?さっきの速さだって体への負荷を何も考えていない…どうかしてるよ…)
(気配はどうだ?)
(分からないのよ、人間でも魔獣とも悪魔族とも違う、濁ったようなとても不快な感じがする)
クイーンの探知、それは相手の気配を色のようなもので察知するものである。
人間や動物ならば青に、悪魔族ならば黄色、魔獣なら赤といったように感知することが出来る。
だが今相対している相手、恐らくソロモンに憑りつかれたと思われる哀れな彼の気配はそのどれにも属さない、まるで腐敗した物体のような非常に不愉快な色をしていたのである。
こんな事は初めてだった。
(悪い、リリス。もう少し頑張ってくれ)
だが頑張ってとリリスに言ったもののこの得体の知れない予測不能な動きに対応しなければ彼等に勝ち目はなかった。
ルシファーは必死で思案した。
(くっそ、どうしたら…)
(来たよ!)
リリスが叫んだと同時に相手が斬りかかってきた、勿論先程のように急に動き出してである。
(こうなったら、これしかない)
相変わらず凄まじいスピードの中、横薙ぎに繰り出された斬撃を彼等は後ろに下がって回避した。
だが相手は彼等の回避行動を潰すよう、下がる動きに合わせて剣を突き出してきた。
恐らくはこちらの行動を読んだのだろうか。
しかし読んでいたのはこちらも同じだ。
相手は動きの緩急が激しい、その為こちらから仕掛けるのではなく待ち構えることにしたのだ。
つまり狙い通りだったという事である。
本当は危ない橋など渡りたくないのだがこれは仕方なかった、このまま相手のペースに付き合ったらジリ貧にしかならないのだから。
彼等目がけて剣が迫る、一瞬でも反応が遅れたら串刺しになる正確な一撃だ。
だが二人は小さく飛び回避、反撃される前に剣を思い切り踏みつけた。
(今だよ!)
得物を踏みつけられた相手は一瞬態勢が崩れていたのである、チャンスは今しかなかった。
「もらったー!」
ルシファー・リリスは勝利を確信、叫びながら相手の首を飛ばす為に剣を振るった。
「そんな…嘘だろ…」
だが事はそう上手く行かなかった、ルシファー・リリスの振るった剣は相手の首を刎ねられず食い込むだけに終わったのである。
(まさか、一瞬で皮膚の硬質化を…)
リリスが相手の行動に戦慄した。
相手のやったことは皮膚に付与魔法を掛けるという事だった。
付与魔法を使う対象は本来ならば物である。
それは副作用の耐久劣化がそれだけ深刻だからだ、肉体に使えば焼けつくような痛みに悶え苦しみ続けることになる。
耐えられるわけがない痛みである。
先程の尋常じゃない速さもだがやはり今の相手はおかしいと言える、肉体の負荷を何も考えていない行動しかしていない。
だが相手はやってきたのである、彼等を殺す為だけに。
生気は感じられないが明確な殺意だけは嫌でも感じられた。
(くそっ)
攻撃が不発になったので身を翻して距離を取るルシファー・リリス、だがやはりと言うべきか相手は反応して来た。
剣を握っていない手を向けて魔力弾を連射して来たのだ。
(リリス!)
(OK!)
ルシファー・リリスは魔力で障壁を作り相手の弾丸を全て逸らして回避、被弾はしなかったがこれで振り出しである。
(さてどうするか、全部台無しだ)
(困ったね…)
再び思案する二人、相手の攻撃を誘って反撃をする。このように動きが分からない相手には有効だったはずなのだが肉体に付与魔法は想定外過ぎた。
本来ならば激痛で自殺行為にしかならない、想定などしようがない。
(くそ…こいつには痛覚がないのか?)
魔獣ですら痛みの前には怯む、目の前の相手の異常さに本能的な恐怖を感じてしまう彼等。
(一撃で仕留めないと危険だね…)
リリスの言う通りだ。
一撃で殺害か戦闘不能にでもしなくては仕留め損ねた時に何をされるか分かったものではない。
しかしそれも容易くはない。
そしてまたしても相手は動きを止めていた、揺ら揺らと体を揺らし生気のない眼で此方を見ている。相変わらず気味が悪い。
(また止まったのね…どう攻めようか)
(…いや、やっぱりこちらから動くのは危ない。どう反撃されるかが全く予想できない)
相手が普通の人間ならば癖、息遣い、構えなどそれらを呼んで対応する事が出来るのだが相手にはそれがない。
そんな状況で相手の攻撃範囲に飛び込むのはあまりにも分が悪すぎる。
(でもどうするの?このままじゃ…)
リリスが懸念を示す、だがルシファーは必死に考えた。
こちらから仕掛けるのは一番危険である以上最後の手段にしなければならない。
だが一つ、彼は思い付いた。
方法に囚われすぎたのかもしれないと。
(…よし、もう一回だ。もう一回だけあいつの攻撃を誘う、次で確実に決める)
(分かったよ、お願いね)
(ああ任せろ)
リリスは彼の提案に何も言わなかった、彼を信じたからだ。
今までも沢山の困難に襲われ命を脅かされた、その度に彼の作戦と度胸に助けられた。
今回もきっと大丈夫、こんなよく分からない奴に負ける自分達ではないという絶対の自信がある。
両者が対峙する、相手は虚ろな眼でこちらを見るだけで一向に動こうとしない。
(ルシファー、落ち着いて行こうね)
(ああ、あいつをしっかり見ててくれよ)
(任せて)
緊張のあまり心臓が早鐘のように鳴っており最早痛い程であった。
だがルシファーは一人じゃない、心強い伴侶がいてくれる。
それだけでどんな痛みにも耐えられる。
(それじゃ、やるか)
(ええ)
今度はルシファー・リリスが仕掛ける番である。
こちらから近づくのは危険、だが待っているだけでは相手に翻弄されるだけである。
ならばこちらから動かしてペースを握ってやればいいというのが彼等の作戦であった。
「先ずは、これで…」
ルシファー・リリスは左手に魔力を集中、溜めこんだ魔力を弾丸にして連射した。
これは名前もついていないような初歩的な魔法である、用途としては牽制だが人間に当たれば拳銃程度の殺傷能力は持つ。
相手もそれを理解しているのか先程のルシファー・リリス同様左手で障壁を作り出し攻撃を逸らした。
逸れた弾丸が周囲に着弾し穴を開けていく。
このままでは勝負はつかない。
そして一瞬だがルシファー・リリスの攻撃が止んだ。
すると相手はそれを見逃さず天井近くまで高く飛び立った。
正面から行けば鬱陶しい魔法が飛んでくる、まともに当たれば肉体が損壊するのくらいは理解しているのだろう。
なので上から一気に行って一撃、落下の勢いで彼等の脳天を叩き割り勝負を決めに来たとも思える。
しかし、この瞬間彼等は勝利を確信した。
(ルシファー!)
(ああ、終わりだ)
彼等もそれを待っていたと言わんばかりに飛び立った。
相手が如何に複雑怪奇な動きをして来ようが地に足をついていない以上動きは制限される、これを彼等は待っていた。
高く飛び上がったせいで相手はもう止まれない、おまけに武器を振りかぶっており胴体がガラ空きだった。
そして胸部に飛び蹴りを叩きこんだのである。
それもただの飛び蹴りではない、魔力で脚力を強化して放った岩をも砕く強烈な一撃であった。
斬撃でなく打撃での衝撃による体内への攻撃、これならば相手も想定していない筈である。
彼等が行ったのは身体強化、これは生命力である魔力で肉体を活性化させるものである。
これも基本的な魔法の一つ、だが彼等が行ったのは通常より遥かに強力な物、あまり乱用は出来ない奥の手の一つだ。
蹴りを正面から受けた相手は家具を吹き飛ばし壁にめり込んだ。
(反応は?)
(消えた、けど本当に終わったのかな)
(さっきのが入ったから心臓か肺は潰れている、硬くなっていても体内への衝撃までは殺せないはずだ)
相手が正体不明の気配を放っていようが人の体をしている以上は内臓を潰せば生きていられない。
だが何故か全く安心が出来ない。
敵は壁にめり込み血を流しながら痙攣している、そして反応も消えている。
反応が消えているという事は死んでいるという事、生命反応がないと言う意味だ。
しかしどういうわけかそこからまた動き出すような気がしてならない。
相変わらず険しい顔で相手を睨むルシファー・リリス。
(ルシファー?)
(頭を破壊する、これで流石に死ぬだろう)
(うん…分かった)
ルシファー・リリスは先程の魔力の弾丸より強く魔力を圧縮し射出、ソロモンに憑りつかれた哀れな被害者の頭部は跡形もなく消し飛んだ。
巻き込まれたに過ぎない彼には可哀想な気もしたがこうまでしなくては安心が出来ない。
敵を排除した彼等は一旦その場に座り込んだ。
(…ガープ達が怖がるのも無理ないね、まださっきの感じが頭から離れないよ)
リリスが意気消沈した様子で言った、夢にでも出そうな恐ろしさだった。
(でも妙だな…)
(やっぱり思った?)
(そりゃな、他の連中は何で来ない?気づいてないなんてのはあり得ないだろ)
国を挙げて戦っている敵が現れたのに何一つアクションを起こさないなどおかしかった。
記憶を弄られている若者等はともかくフォルネウス達はどうしたのか、気付かないなどありえない。
(ねえ、まさか私達が倒されれば良いとでも思われていたり、なんて…)
(いくら何でもそれは…だって俺達が負けたら次襲われるのはあいつらだぞ。そこまで馬鹿な奴等じゃないだろう…って信じたい…けど…)
自信なさげなルシファー、あまりにもいきなり多くの事が起きすぎてもう何を信じたらいいのか彼は分からなくなりかけていたのである。
そして助けに来てくれなかった、と言う事実は結局友人だと思っていたのは自分達だけなのかという考えにもなってしまい尚更ルシファーの心を傷つける。
リリスも慰めようとした、だがその前に現実を伝えないといけない。
(…ごめんルシファー、一つ良い?)
(どうした?)
(気づいちゃったんだけどさ、これって明らかに私達のせいにしか見えないよね…)
辺りを見渡しリリスは伝える。
これとは、この部屋で起きた先程の惨劇である。ソロモンに憑りつかれておかしくなったとはいえ手を下したのは彼等だ。
おまけにどういうわけかガープ暗殺未遂の容疑が掛けられている。
(逃げなきゃ危ないんじゃないかな…このままじゃ私達…)
彼女の言葉に彼は反論できなかった、実際の所殺されかけたのだ。
彼等が寝ている間に大きな政変があったのは間違いない、彼等を消そうとするという事はシトリーが間に入って交渉するという話は完全に瓦解したと見るしかない。
(…くそ…ふざけやがって…)
悔しさで拳を握り締めるルシファー、軽く血が滲みかけている。
「ルシファー」
リリスが能力を解除、彼の膝の上に座り込んだ。
「リリス?!」
いきなりでテンパるルシファー、リリスは彼を抱き締めて優しく囁いた。
「力入れ過ぎ、ちょっと痛かったな」
一体化している時は痛覚も同じなのだ。
つい力んでしまいルシファーは申し訳ない気持ちで泣きそうになった。
「ごめん…」
「私も同じ気持ちだよ…でも今は耐えよう?」
「そうだな…そうだ、今は何とか逃げ出そう」
「うん、その意気だよ」
リリスは嬉しそうに微笑み彼に口付けをした。
気持ちを切り替えたルシファーは脱出の計画を立て始めていた。
幸い相手はまだアクションを起こしてこない。しかしながらいつ新手が来てもおかしくないのだ、気持ちを焦らせながらも状況を整理していく。
(さて、先ずは兵力の把握か。包囲されているってさっきの連中は言っていた。どんな感じだ?)
ルシファーに言われリリスは周囲の探知を行った。
(城壁の方に大勢、こっちを見ている。そして丁度庭かな、窓から見下ろせる所。そこにも沢山いてこの部屋を見上げているよ)
彼等の居る部屋は本城の城壁寄りに位置しており窓から美しく手入れされた庭を見下ろすことが出来た。
いざという時には城壁に居る見回りの兵士が助けに駆け付けられるように、と考えて設計されたものだ。
しかし今はそれが裏目に出ている、一斉に襲ってこないのが不気味だが。
(…ルーラーは?)
(上空に一組、後は離れているよ)
(そうか…)
ルシファーは訝しんだ。本気で殺す気なら一組と言わず他の兵士諸共全員ぶつけて磨り潰す方が圧倒的に良いはずである。
おまけにこちらは室内、機動力は削がれている。だが相手は来ない、何を考えているのか見当もつかない。
(どうする?)
(…そうだ。リリス、後は離れているって言ったよな?他のルーラーは何処にいる?)
(確認できる範囲だけど本城とは別の所みたい、そこに二組いる)
(方角はどっちの方だ?)
(城の裏手。だけどおかしいの、他に反応が無いのよ)
相手を包囲し追い立てる、そして手薄な場所をわざと作りそこに誘い込み殲滅。
昔からよくある戦法だ、今の相手の行動はこれにしか見えなかった。
(罠だよな…だけど。なあ裏手に行かないか?)
ルシファーは敵の意味不明さに頭を抱えつつもリリスに聞いた。
(待って、ルーラーと戦うの?それに二組って…)
(二組も配置するって事は大事なものがあるのかもしれないって思ってな。もしかしたらだけど、あの石があるかも)
(あ!そうか、あれで帰れば!)
リリスの声が弾んだ。あれとはここに来るのに使ったあの石だ、それを使えば戦わずともシトリーまで帰れる。
(正面から突っ切るより生存確率は高そうだろ?)
(少しだけね)
リリスが苦笑した。
(まあ冗談はさておき、あまり変わらないかもしれないが城から逃げてからの事も考えるよりは多分楽だよ)
恐らく城を出ても追撃を振り切って帰るのは至難の業だ、しかし石ならばその問題も解決できる。
(確かにね…でもルシファー)
(ああ…そうだな…)
リリスの言いたいことを察したルシファー、石を使うという事は誰かの魂を消費、完全に消し去るという事に他ならない。抵抗を覚えないわけがなかった。
(…俺は使う。生きたいからって言いたいけど)
(けど?)
少し深呼吸をしてからルシファーは言った。
(リリスが嫌だって言うなら前から行くのでも良い)
(ルシファー…)
(言い訳みたいに聞こえたらごめん、俺はリリスに笑っていて欲しいんだよ。だからなんて言うのかな…後悔する選択肢を選んで辛い顔されるのは嫌なんだ。特に今回のこれは…)
(…全く、貴方って人は。それは私もだよ、貴方には笑っていて欲しいもん)
(…)
(…)
暫くの沈黙が流れる。
(ねえ?もしも、もしもだよ?このせいで地獄に堕ちても一緒に地獄に行ってくれる?)
(ああ当たり前だ、ずっと一緒だよ)
二つ返事のルシファー。
二人はまたしても能力を解除、軽いキスをして抱き締めあった。
生き残らなければ後悔も何もない、彼等の気持ちは決まった。
辺りは静かであった。外には大勢の兵士が彼等を待ち受けているというのに不気味さすら感じられる静けさである。
そんな中足音が響き渡る。
長い廊下を駆ける彼等、やはりリリスが調べた通り兵士は誰もいなかった。
(やっぱり誰も止めに来ないんだな)
(気を付けて行こう)
(だな、今はそれしか出来ない)
訝しみながらも進む彼等、罠だろうと行くしかない。
ルーラーの反応がある方角へ着いた彼等、窓ガラスを突き破って背中の翼を羽ばたかせ外に飛び出した。
上空に滞空し辺りを見下ろすルシファー・リリス。
(あれか)
眼下には深く茂った森、そしてその中に異様な雰囲気の建物がある。
隠しきれていない、間違いなく何かある、あそこにあの石があると彼等は確信した。
(ルーラーの反応もあそこだよ)
(ああ!)
ルシファーも頷く、目的地は決まった。ならば躊躇う理由は無い。
だが事はそう上手く行かなかった。
(っ!嘘でしょ…速い、ルシファー!)
リリスが警告した次の瞬間、何かが風の如く襲いかかってきた。
素早く剣を抜き受け止めるルシファー・リリス、彼等に向けられたのはグリフォンの爪であった。
「俺はアイム、そしてクイーンのイブリスだ。貴様等にはここで死んでもらう」
ルシファー・リリスを憎らし気に睨み付けアイムは冷徹に言い放った。
「…残念だが俺達じゃない、ちゃんと調べたら分かる話だ。こんなことしている暇があったら真犯人を探したらどうだ?」
「なら大人しく捕まれ、そうすれば殺すのは勘弁してやる」
「悪いがお断りだ!」
アイム達の攻撃を打ち払いルシファー・リリスは言い放った。
両者は睨み合っている。
ルシファー・リリスもルーラーであるベリアル達と戦った事はあった、だがそれは模擬戦だ。間違っても殺し合いではなかった。
つまり初めてルーラーと殺し合うのだ。
ルシファー・リリスは剣を握る、相対するアイムは猛禽が如き眼光で彼等を睨んでいる。
ルシファーは全力で頭をフル回転、リリスはどんな状況にも対応出来るように集中している。
たしかに怖い、だが彼等とて殺されるわけにはいかない、持てる技術の全てを使って生き残る意思は変わらない。
(行くぞ)
(ええ)
アイムが猛スピードで突撃して来た。
アイムの能力はグリフォン、力を使えば腕が鷲のような翼になって飛行可能に、そして脚部がライオンの如く強靭な脚になり相手を蹴り砕いたり爪で切り裂く事が出来るようになる。
そしてグリフォンとは鷲の翼と頭部を持ちライオンの体を持つ魔族である。
本来はそこまで珍しくもない種族である。魔界全体で見てもヒエラルキーは精々中の下という程度しかない。
だがアイムは悪魔族である。知恵を持つ人間がその力を使う事によってその力はオリジナルを凌駕する事も可能なのだ。
彼等に取り付き暴風の如く飛来し攻撃を繰り出すアイム、強靭な脚から繰り出される蹴りは脅威そのものだ。
脚力もそうだが爪も人間程度ならバラバラにされてしまう切れ味はある。
(くそっ、速い)
しっかりと握りしめた剣で防ぐが一撃が重たく速い、受けるのが精一杯であった。
右脚から繰り出される蹴りに彼等は防戦一方になってしまっている。攻撃を挟む余裕がない、リリスの警告が無かったら間違いなく死んでいただろう。
「良いぞ、そのままくたばれ」
冷徹に言い放つアイム、だが彼の言う通りくたばるわけにはいかない。
(何とか反撃を…)
必死に隙を伺う彼等、その時であった。
(ルシファー!)
リリスの絶叫が響く。
(!)
相手は左脚で回し蹴りを繰り出してきたのだ。それも右脚から流れるような動作により一切の無駄がない一撃、まるで首を刈り取る死神の鎌であった。
(リリス!)
危うく掠めそうになるが急激な加速で後方に後退、攻撃範囲から離脱出来た。
判断が遅れていたら首が落ちていただろう。
正直いきなりの加速で体に激痛が走る、だがそれ以上に肝が潰れた。
しかしながら同時に攻撃範囲から外れられた。
(今度はこっちの番だ)
(うん、一気に行こう)
彼等の眼光が敵を捉える。
アイムも何かを感じ取ったようであった。
(まずい…)
(今のを躱すなんて…)
(来るぞ!)
次の瞬間、ルシファー・リリスが肉薄し斬りかかってきた。
「くっ…させるか!」
アイム達に勝るとも劣らない目にも止まらぬ速度の一撃、普通ならば反応できずに両断されてもおかしくないがそこは歴戦のキング。
直ぐさま迎撃態勢に移った。
(イブリス!)
アイムはイブリスに呼び掛ける、そして魔力を右脚に集中、迫ってくる彼等目がけて蹴りを叩き込んだ。
激しく火花を散らす両者、だが一撃をぶつけ合った後直ぐに距離を取っていた。
(まずいな…剣が)
ルシファー・リリスの手には砕かれて折れた剣、先程の蹴りで折られてしまったのである。
しかしながらアイム達は優勢だが距離を取っていた。
(想像以上に面倒な相手かもしれないな…)
先程の攻撃、あれを見せられたせいでアイム達はとても焦っていた。
危惧したのはルシファー・リリスの行った急加速である。
あれは魔力を瞬間的に開放させ爆発的な加速を得るという高等技術である。
使用する魔力も多くコントロールも難しいと連続での使用はあまり推奨されないものだった。
下手をすれば内臓を痛めてしまう危険性もある。
だが相手はそれをやってきた。自分達の想像つかない何かをしてくるかもしれないとアイムの直感が告げていたのだ。
(イブリス、作戦を変える。辺りをズタズタにしてしまうが、確実に終わらせるぞ。加減は出来ない)
(賛成ね)
彼等の方針も決まった。
暫し沈黙する両者、深く深呼吸をしてアイムが口を開いた。
「潰してやる…」
(ルシファー待って、やばい…相手が詠唱し始めてる)
(⁈)
同時に何かが来る前兆を彼等も感じ取っていた。
「風よ吹き荒べ、我が悲しみの刃となり眼前の怨敵を切り刻め」
魔力を溜めて圧縮、詠唱で心を落ち着かせイメージを固定。
一瞬の静寂が訪れる。
そして凄まじい爆音と共に放たれた、アイム達の使える最強の攻撃魔法である。
これは腕が変化した翼から高圧縮した魔力で作り出した巨大な二本の竜巻だ。
空気が渦巻いているのが肌で感じられる。それはさながらドラゴンをも殺す巨大な槍のようであった、恐らく一万の軍勢が居ても一人残らず塵芥になるだろう。
「くっそ、まじかよ!」
思わず目の前の光景に声を出してしまったルシファー・リリス、すぐさま全力で回避行動に移った。
ルーラーの強さの一つに膨大な魔力がある、簡単に言えばこれは手数の多さを意味する。
普通の悪魔族はこのような大規模な魔法を使えば直ぐに魔力を使い果たして気を失ってしまう。だがルーラーならば問題ないのだ。
そして回避に移った彼等、相手の攻撃は一直線に飛んでくる。なので横に飛び離脱しようとした。
だが直ぐに後悔する事になった。
(ちょっと、嘘でしょ…追って来てる?)
一直線に来ると思われた風の槍、横に飛んで逃げようとした彼等を追って来たのだ。
これには二人も青ざめた、相手の攻撃は貫く槍ではなく横に振る剣だったのである。
(くそ…無理だ、防ぐぞ)
回避は不可能と判断した彼等、すぐさま防御魔法のバリアを展開…までは良かったのだが問題はその後だった。
攻撃が激しすぎてその場に釘付けにされてしまったのである。
(くっそ…しくじったか…)
(これは、困ったね…)
必死に考える二人。
辛うじてバリアで防げてはいる、だがそれだけでは何の解決にもならない。
彼等とてルーラー、バリア程度で魔力が尽きることは万に一つもあり得ない、だがバリアを展開する腕が攻撃の重みで使えなくなれば彼等はバラバラになるしかないのだ。
相手の攻撃は最早暴風雨と言っても差し支えない程に激しかった。
腕がおかしくなりそうだが身体強化を使い必死に持ち応えるルシファー・リリス。
防御、強化、飛行と三つのタスクをこなしているリリスの負担も考えれば時間は全くない。
魔力の制御をしているリリスの集中力が途切れても彼等の負けである。
(落ち着け…落ち着け…今の状況を整理しよう、先ず相手の攻撃はどうなっている?)
必死に言い聞かせ周りの状況を整理し始める。
(相手の攻撃は高圧縮された竜巻を叩き付けるというもの、飛び回っての回避が困難なのは先程身に染みている。
近接戦はどうあがいても不可能だ。何よりも剣は折れている、このままでの近接戦闘は自殺行為にしかならない)
(もう少し材料が居る。よし、魔法はどうだ?)
冷静に魔法を観察し始めるルシファー・リリス、そして観察してみて分かったことがあった。
相手の竜巻はバリアに当たった後にそこが霧散していたのだ。
(やはりこいつも魔力か…だったら)
バリアは魔力同士で相殺し攻撃を弱めて防ぐという原理で身を守っている。それでも衝撃を防ぎきれていないアイムの攻撃はそれだけ苛烈という事だ。
相手の攻撃が魔力でなかったならどうなっていたか、攻撃を散らせず暴風の威力を諸に喰らってしまい更に苛烈な物になっていただろう。
(リリス、もう少し頼みたいことがある)
(思い付いたんだね?良いよ、任せて)
リリスが少し苦しそうに答えた。失敗は許されない。
(ああ、次で仕留める)
一方その頃。
(イブリス、奴等の様子は?)
(殆ど動かないままよ、完全に釘付けになっているわ)
(そうか…なら更に出力を上げてくれ、奴の腕を潰してやる)
アイムは嬉しそうに言った。彼は勝ちを確信していたのだ。
(ええ、任せて)
イブリスは言う、だがその心中は穏やかとは言えなかった。
(本当にこのまま倒せるのかしら…)
考えつつも彼女はクイーンとしての役割をこなした。
(…ルシファー、準備…出来たよ)
(よし…ありがとう、リリス。これで決めよう)
彼等の双眸が前を捉える。反撃の準備が整った。
ルシファー・リリスは両手で展開していたバリアを左手一本に変更し攻撃を防ぎリリスの準備を待った。
腕がおかしくなりそうだったが気合で抑え込み耐え抜いた。
そして今右手には魔力で作った光輪を携えていた。
それは高速で回転しまるで丸鋸のようでもあった。
これこそ彼等の秘策。
これは魔力に回転を加える事で木片を切り裂く鋸のように魔力をバラバラにし魔法を切り裂き散らしてしまうもの。
(ルシファー…お願い。絶対決めてね)
(ああ、任せろ)
短く、しかし力強くルシファーは返事、全力で右手の光輪を投合した。
(何?何かがこっちに…)
イブリスが違和感に気付いた。
何かが自分達の攻撃を破壊しながら向かって来ているのである。
魔法がズタズタに切り裂かれている、いきなりの事で彼女には見当が付かなかった。
(どうした?)
(アイム、何かがこっちに…だめ、避けて!)
イブリスが危険を察知し警告、アイムが体を逸らした。
(?!なんだこれは!)
訳の分からないままに何かが彼等を掠めた、警告が遅れていたら首が胴から落ちていただろう。
冷や汗がアイムの頬を伝った、危うく死ぬところだったという事実に彼は怯んでしまう。
(アイム!来るよ!)
(まずい、これが狙いか…)
攻撃を回避できたのは良かったがそのせいでアイム達は魔法を中断してしまっていたのである。
気付いたときにはルシファー・リリスが彼等目がけて突撃してきていた。
(終わらせよう!)
(ああ!)
攻撃が止んだのと同時に彼等は飛び立っていた。
またしても音すらも置き去りにしての加速である。
風圧から肉体を保護するための簡易なバリアを展開、折れている得物に付与魔法を使いルシファー・リリスは猛追していく。
彼等の放つ威圧感のせいか対峙するアイム達からすればその姿は首を刎ねに来る死神にしか見えなかった。
「くそ…こんな奴等に…イブリス!撃つぞ!」
必死に魔力弾を撃つアイム、しかしその照準は焦りからか彼等に掠りもしなかった。
(アイム、お願い落ち着いて…)
必死に懇願するイブリス、だがその願い空しく攻撃は掠りもしない。
アイムという男はトロメアのキングでは年少にあたる存在だ。
その実力は確かなものであるがアクシデントに弱いという精神的な弱点を抱えていた。
本来ならば部下達と共に戦いその弱点を補っていた。だが今は彼等のみ、己の意地を優先した結果である。
そして有利が崩され危うく首を刎ねられかけたせいで彼の精神状態は最悪の極みであった。
「くそっ、ここまでか…こんな所で…」
苦々しく言い放つアイム。剣が、死が迫って来る、恐怖と共に仇を取れなかった悔しさで彼の胸が苦しくなる。
(アイム!目を覚ませ!)
(?!)
普段は温厚なイブリスが声を荒げた。
アイムがその言葉に意識を覚醒させる。
彼は思い出した、自分は一人ではない、頼もしい伴侶がいるのだと。
彼は魔法を止め、蹴り砕く態勢を取った。
右脚に力を込めるアイム、脚の届く距離に入った瞬間回し蹴りで迎撃するつもりである。
そしてルシファー・リリスが距離に入った。
(今だ!)
アイムが回し蹴りを繰り出す、が攻撃は寸前で空を切る事になった。相手も攻撃を読んでいたのである。
しかしこれだけで終わるわけがない、後方に宙返りをしたルシファー・リリス目がけて魔法を撃ち込んだのである。
先程はブラフ、本命はこっちであったのだ。
だがその本命すら掠りもしなかった。
ルシファー・リリスは一瞬だけバリアを展開し攻撃を弾いた、必死の反撃はそこまで読み切られていたのである。
「…っ!」
哀れな追撃者は最早絶望に声が出ない。
(アイムー!)
イブリスの悲痛な叫びと共に再び肉薄したルシファー・リリス、逃げる間もなく彼等の拳によってアイムとイブリスの意識は途絶えた。
両手に人質を抱えゆっくりと着地していくルシファー・リリス、人質とはアイムとイブリスである。
完全に動く気配はない。
(ルシファー、大丈夫?)
リリスが心配する。
(本音を言うと倒れそうだ…体中悲鳴あげてるよ…そっちもきついだろう?)
加速にはとんでもない負荷が掛かるのである、それを仕方ないとは言え彼等は連発していたので肉体を担当している彼等はひどい筋肉痛に襲われていた。
(私も辛いけど貴方ほどじゃないわ、ちょっと頭痛いけど。何とかして休みたいね…)
リリスが言った。
魔力の制御には集中力がいる、そして先程まで彼女が行ったマルチタスクの負荷も尋常ではない。
ちょっとと言ったが凄まじい頭痛に苛まれていた。
(リリス悪い、周りの様子は?)
痩せ我慢をしているのはルシファーも御見通しではある、だが今は彼女の力に頼らなければ生き残れない。申し訳ないと思いつつも彼は頼んだ。
(えっと…ちょっと待ってね、特に動きなし。やっぱりおかしいよね…)
(だな)
ルーラーと言えばトロメアからすれば部隊を率いる将軍のようなもの、それが戦っているのに何一つ動きが無いとは違和感しかなかった。
彼等に一つの疑問が浮かび始めていた。
(どうする?)
(そうだな…いや、このまま行こう。ほんの少しだが状況も変わったしな)
少し頭を悩ませるルシファーだがやはり進むことにした。
引き返して大軍を相手にする余力が無いのもあるが今の彼等には切札になる人質がいるからである。
(これで見逃してもらいたいね…)
(流石にそこまで馬鹿じゃないと信じたいな…ルーラーはトロメアの屋台骨だ、それを捨てるほど見境なくなっていたら俺達も覚悟を決めるしかない)
(そうだね、行こう。もう一頑張りだよ)
(ああ)
彼等は人質を抱え例の建物に向かった。大丈夫、何とかなると言い聞かせ疲れた体に鞭打って彼等は歩みを進めた。
建物の前に来たルシファー・リリス、一見何ともないその入り口はまるで大きな口を開けた魔物のような不気味さを醸し出している。
(行こうか)
(ああ)
意を決して彼等は進んだ。
明かりの類が一切ない廊下を進む彼等、ガープの執務室に向かう地下道より嫌な気配が濃い。
響くのは彼等の足音のみ。何が起きても対処できるように二人とも全ての感覚を研ぎ澄ましている、最早会話を挟む余裕すらない程だ。
そんな中反応が近づいている、リリスは警告した。
(もうすぐ接触するよ)
(ああ、分かった)
薄暗い通路に待ち受けていたのは良く知る彼等であった。
「お前達か…」
そこにいたのはフォルネウス達、能力を発動し通路に佇んでいた。
「来たか」
「…」
フォルネウスが言う、モロクは黙ったままである。
「教えてくれ、何があったんだ?」
ルシファー・リリスが問う、その声音は必死だった。
(お願いだ、信じさせてくれ。お前達まで敵だと思いたくない)
そう言っているようにフォルネウス達には感じられた。
「陛下が暗殺されかけた。までは知っているな?そのせいで皆敵討ちに躍起になっている、残念だがもう約束は反故だ…」
約束の反故、つまり同盟の破棄だ。ルシファー・リリスは再び言い返す。
「戦争は…どうするんだ?あんな事これからも続けるのか?トロメアだけじゃない、シトリーだっていつかは巻き添えを喰らう。オリュンポスの人だって大勢死ぬ。お前達はそれで…」
「…それよりも、時間が無いんじゃないのか?」
フォルネウスが被せるように言った、モロクは悲痛な面持ちのままだ。
フォルネウスはあくまでも無機質に告げる。
「この先には行かせない。ここにはあの石が保管されている、通すわけにはいかない」
更に続ける。
「私達にも背負っているものがある、我が国の大勢の命を見捨てられないんだ」
フォルネウス達は動かない。
「…」
ルシファー・リリスは相手を睨み沈黙している。
「…こいつらを引き渡す、そこをどけ」
暫し悩み、この結論を出した。自分達の思い込みでない事を祈って。
フォルネウス達は臨戦態勢でありながら襲いかかっては来ていない、そして相手の発言。
時間が無いんじゃないのかと、追われているのを諭す。
さらに冷静に判断すればここに石がある事を伝えた。
命を見捨てられない、これは人質解放が最優先とも取れる。
「選択の自由があると思うなよ」
精一杯の虚勢を張り威圧的な口調でルシファー・リリスが続ける。
沈黙が流れた。
「…生きているんだよな?」
モロクが言う。
「気を失っているだけだ。骨は何本か逝っているかもしれないが」
「分かった、置いて行け。行ってしまえ…」
モロクは悲しそうに言った。
ルシファー・リリスはゆっくりと歩いて行き相手の傍に人質を置いた。
「襲わないのか?」
「言ったはずだ、命は見捨てない」
フォルネウスは彼等の顔を見ないで言い放つ。
ルシファー・リリスは何も言わなかった。
だが立ち去ろうとする途中。
「…また会えるかな」
ようやく仲良くなれたと思ってからのこんな別れ、思わずルシファー・リリスはそんな言葉が漏れてしまった。
「会いたくはない、もう二度と。さっさと行くんだ」
堪えるような言い方のフォルネウス。
「…分かった。じゃあな」
それだけ言って彼等は奥に走って行った。
「許してくれ、こうするしかなかったんだ…」
彼の呟きは空しく虚空に消えた。
その後、先へ進んでいった彼等だが階段を下りまたしても暗い通路を進んでいた。
無くした分の剣を拝借、それから異臭のする小部屋を無視していく彼等、嫌悪感が込み上げていた。
(ここってなんだろう…)
リリスが口を開いた。
(多分、実験場か何か…かな…)
鎖、血の乾いた床や壁、液に浸された臓物、そう判断出来てしまう証拠で溢れていた。
おまけに通路は真っすぐだ。
恐らく逃げ出そうとしても対応しやすいようにだろう、考えるだけで吐き気がしそうな話である。
(夢に出そう…)
(俺もだよ。ごめん、ところで反応は?)
(やっぱりないみたい、追っても無し)
(そうか、やっぱりか…)
(セキュリティーすら無いのね)
(だな…)
(ルシファー大丈夫?)
考え込んでいる様子のリリスが聞いた。
(…いや、なんか妙だなって。あいつら本当に俺達を捕まえるつもりなのか?)
(うーん、やっぱりそう思う?)
リリスも自分の考えを口にする。
(仮にそうだとして、なんでこんな事するのかってのがどうしても分からなくて…すごい気持ち悪いんだよ。どう思う?)
暫く沈黙、歩きながら考え込んでみる二人、だが何一つ理由が浮かばない。
(何がしたいんだろう…フォルネウス達も様子が変だったし)
(まさか、ガープの命を握られているとか…)
最悪の予想を口にするルシファー、だがこれなら納得も出来る。
(暗殺されかけたって言ってたからね、殺されてしまったじゃないならそれが一番あり得そう…酷いね)
(全くだ、帰ったらストラスさん達に話そう。それで…難しいだろうけど救い出せれば当初の計画通りにまだ持っていけるかもしれない)
当初の計画、戦争の早急な終結だ。
当たり前だが利己的な面もある、下手したら故郷まで危険に晒されるのだ。
だが何よりもあんな形での別れなど彼等は納得いかなかった。
(賛成、まだ諦めちゃだめだよね)
(ああ、打てる手があるなら全部打つ。父さん達に教わった事だ、今回もそれは変わらない)
彼等はこの逆境で尚も諦めていなかった、寧ろまだ足掻くつもりでいる。
だが体とは正直な物である。
恐らく今までの人生で一番体を酷使したと言っても良い事を先程行っていたのだ。
(ねえ…少しだけ休まない?今は誰も居ないし)
(いや…もう少し行く)
彼は提案を却下した、なのでリリスは彼の弱点を突いた。
(…休みたいな、頭痛いのちょっと辛くなって来たかも…)
辛そうに言うリリス、彼を休ませたいのだが断られるなら自分を使うのみである。
これなら断れないと彼女は知っていた。
(…)
戦いすぎた反動で頭が痛いのはルシファーも分かっていた、だが流石に敵地で休むなど安心しきれないという事で先程の彼は提案を却下したのだ。
(でもリリス、ここは…)
ルシファーが尚も尻込みをする、もう少し進めば帰れるのだ。おまけにここはとても心休まる場所ではない。
少しばかり想定外だった。
なのでリリスは強行手段に出た。
能力を解除したのである。
「?!おい、リリス…」
抗議の声を上げようとしたルシファーだが直ぐに静かになった。
「よしよし」
リリスはルシファーを優しく抱きしめ頭を撫でた。
彼女の柔らかい体と体温に思わず蕩けそうになってしまうルシファー、強張っていた体がほぐされる感じがした。
元々疲労困憊なのだ、抗えるわけがない。
「いっぱい頑張ったもんね、少しだけでもいいから休もうね」
優しく囁くリリス、キングもクイーンも戦う際には冷静さが重要である。
溜まっているものがあるなら可能な限りでも発散してしまうのは大事な事だ。
「…ごめん、異変感じたらすぐに起こしてくれ…」
眠気に襲われ始めながら彼は伝える。
「分かってるよ」
「お前も休めよ」
「大丈夫、休みながら周りも見るから平気だよ」
「…本当、ありがとな」
「良いんだよ」
15分程経過した。
「寝ちゃってたな、悪い」
「いいって」
リリスは微笑む。
「リリスも具合は?」
「心配しないで、休めたよ」
「約束だぞ?」
「はいはい」
「…本当だぞ?」
「分かってるよ、約束する」
リリスは微笑んだ。因みに彼女とてやせ我慢はするつもりはない。
そんな事をすれば愛する彼の死につながるからである。
(ここかな)
(だな…)
漸く行き止まりまで着いた彼等、もう少しで帰れると考えると少しは気持ちが明るくなった。
だがあの事を思い出すと彼等の表情が曇った。
(この重たい扉の奥にあの石が…)
(…もう後戻り出来ないな…)
彼等は人の命を使おうとしているのだ。表情が曇るのも仕方ない。
(…行こう)
(分かった)
今更引き返せはしない。
彼等の道は決まっている、地獄の底にでも通じているような重さの扉を開け小部屋に入って行く。
そこにはあの石が所狭しと陳列されていた、見た目は色とりどりで綺麗だった。
宝石と見間違えてもおかしくはない。
だがその材料、どれだけ多くの命が加工されたのかと考えると寒気がして来る。
彼等はその石を一つ手に取るがどことなく吐き気を催してきた。
(…すまない、もう一つ良いか?)
(どうしたの?)
(これは最重要機密だろ。扉の鍵が開いているのはどうしてなんだ?)
(…フォルネウス達が開けててくれたとか?)
リリスが精一杯答えを考えてみた。しかしルシファーは腑に落ちない様子である。
(悪い、またこんな事気にし出してしまって)
(気にしないで、貴方のそういう所には昔から助けられているし)
(リリス…)
(でも今は罠ごとこじ開けるくらいの勢いが大事だと思うよ?)
彼女の言う通りであった、どの道もう戻れない。
彼女の後押しでルシファーも完全に決心がついた。
(その通りだな。ありがとう、今度こそ行こう)
(うん。それじゃあ、使い方は行きたい所をイメージとかかな?)
(だな、そして)
ルシファー・リリスは石を地面に落として
(踏み砕く)
砕いた瞬間あの時のような光が彼等を包み込んだ。
そして次の瞬間小部屋には誰もいなくなっていた。
世界から何も無くなったかのような静寂が部屋を満たした。
結論から言えば脱出は成功した、だが…
「なんだ…これ」
「嘘…なんで…」
彼等の目の前には見慣れた故郷ではなく地獄と言ってもいい光景が広がっていた。建物は焼け熱気が辺りを満たし至る所に焼死体が転がっている。
二人は目の前の光景に愕然とするばかりだった。
「使い方を間違えたんじゃない?きっとそうだよ…だって、こんなんじゃなかったもん…何かの間違いだよ…」
リリスは何が起きたのかと分からない様子である。
ルシファーも今まで見たことないような、泣き出しそうな顔をしている。
「…」
「ルシファー!」
「切り替えろ…まだ火の勢いが強い。町を焼いたやつがまだいるかもしれない」
冷静でないのはルシファーも一緒である。
自分にも言い聞かせるように彼は言った。今にも泣きだしたいが歯を食いしばりリリスに言った。
「そうだね、ごめん。待って」
彼の言葉に僅かながらの冷静さを取り戻した彼女が辺りの気配を探りだした。
「…いた、この先だよ。ルーラーの反応が一つ」
静かに、だがしっかりと怒りを込めて彼女が言った。
「行くぞ」
「ええ」
二人は堅く手を握り力を解放した。
ルシファー・リリスは目標目がけて飛んで行った。
役所があった場所に男は佇んでいた。
ルシファー・リリスは降り立った、正直今いるここが育ったシトリーなど信じたくなかった。
役所は町の中央にあり象徴的な場所だった。
だが今、建物は焼け辺りには焼死体、何かを抱き締め庇ったかのようなまま焼けている遺体も中には見受けられる。
周囲も地獄みたいな光景が広がっている、あちこちに死体が転がっている。
そして誰が誰かなど判別不可能なレベルで焼き尽くされている。
人間の焼ける臭いで吐きそうになる、だが彼等は目の前の男を睨み付ける。
そしてこの場に佇んでいた男、顔に白粉を塗った特徴的な風貌だが更に特徴的なのは背中から炎の翼を生やしている事だろう。
「お、来たか」
降り立った彼等に男が話しかけてきた。見る者に嫌悪感を催す邪悪な笑みを浮かべている。
「お前達は誰だ?」
(まるで待っていたかのような言い方だな…)
少し引っ掛かりを覚えながらもそれを現すことなく対峙するルシファー・リリス。
「俺様はイポス、それとクイーンのグサインだ。よろしくな」
まるで友達に話すかのような気安さである、この地獄みたいな光景で全く意に介していない。
「…これはお前達がやったのか?」
「少しだけ違うな、ほんの少しだけだが。まあいいや、用はそれだけか?無いなら帰るぜ。こっちの用事は済んでるんだ」
相手は冗談のつもりか帰る素振りを見せた。ルシファー・リリスはそんな彼等に剣を向けた。確かな殺意を込めて。
「ほう、やる気かい?」
「大人しく喋るかズタズタに切り刻まれて喋るかどっちがいい?」
「おお、怖いなあ。血気盛んで若いって感じだ。でもそれはただの蛮勇だぜ?」
そう言ってイポスも剣を抜いた。獲物に舌なめずりする捕食者のようだった。
間違いなく相手は強い、憲兵隊が居たのにそれを殲滅し立っていたのだ。
だが彼等は気圧されるわけにはいかない、絶対にこいつらを逃がすわけにはいかないのだ。
(行くよ)
(ああ)
強く剣を握りしめ彼等は飛び掛かった。
命が絶やされた焼け野原の中、激しい金属のぶつかる音が響いていた。
「どうした?もっと楽しめよ!折角会えたんだからもっと楽しもうぜ!」
「…」
楽しそうに笑い剣を振るうイポス、ルシファー・リリスは冷めきった表情でそれを受け止めている。
心底愚か者だなと言わんばかりの冷めた表情である。
「それにしても傑作だったぜ、どいつもこいつも自分が死ぬ事なんてまるで分かってない顔で死んでいくんだ、お前はどんな顔で死ぬんだろうなあ?」
イポスが煽っていく。しかしルシファー・リリスの表情に変化はない。
次々繰り出される斬撃、横薙ぎの攻撃を避け斜めに繰り出される斬撃を受け止める彼等。
攻撃は激しいが一撃の重さ、鋭さはアディスで戦ったアイム達には及ばない。全て問題なく対応できてしまっている。
時折反撃を挟みながらも相手の力量の分析を済ませていた。
(どう思う?)
(さっきのルーラーの方が強かったよ、それどころかこの程度なら憲兵隊とベリアル達には絶対勝てない)
リリスの分析とルシファーは同意見だった。
(よし、少し試してみようか)
(良いよ、任せて)
「なんだよ、表情硬いぜ?もっと柔らかくいけよ?」
「…」
尚も変わらず煽ったような言葉を発するイポス。しかしルシファー・リリスの表情は変わらない。
そして口を開いた。
「…うるさいぞ、口ばかりか?どうせ自分しか弱い奴しか倒せないんだろ。強がってないでさっさと喋ったら見逃してやるぞ?」
ここでこの言葉が受け流されていれば危なかったかもしれなかった。
「あ?」
だがイポスは受け流せない性格だった。
実際このコンビは弱い者を痛めつけるのを至上の喜びとしていた。
それは自分が上じゃないといけないという歪んだ性格から来ている。
だからこそこのような煽りは我慢ならないのだ。おまけにここまで自分達の攻撃を完全に捌かれている、という焦りも混ざっている。
(このガキども…遊んでやってれば調子に乗りやがって…ぶっ殺す)
(ああ、殺っちまおう)
イポスとグサインは今の一言で完全に頭に来ていた。
先程よりもイポス達のスピードが上がった、動きの切れも良い。
やはり手を抜いていたのだ。
そして殺意を込めて彼等に斬りかかって来た。
全力の横薙ぎを繰り出す、しかし後ろに下がって躱すルシファー・リリス。
すかさずイポス達は力一杯剣を振り下ろして来た、それも彼等は受け止めた。
凄まじい金属音が響きルシファー・リリスの体に衝撃が走る。
だがイポス達はそれだけで終わらない。即座に下がり彼等目がけて突きを繰り出した。
それも急加速を使って瞬時に下がり、また急加速をして突っ込んだ。
振り下ろしの衝撃で一瞬動けなくしてから直ぐさま放たれた攻撃である、イポス達は勝利を確信していた。
この生意気な若造達の臓物を引きずり出して踏みつける瞬間に心踊っていた。
しかしそうはならなかった、ルシファー・リリスは読んでいたのだ。
彼等の心中は最早怒りを通り越していた綺麗に晴れ渡っていた。下品な煽りも気にならないくらいに。
その為か彼等の集中力はアイム達と戦った時より高まっている、この程度の小細工など効くはずもなかった。
彼等は体を逸らし回避、刃は空しく空を切った。
戦いを楽しめと言う輩は結構いる、だがルシファーとリリスはそういう輩が嫌いである。
それは昔から力のせいで襲われることが多々あり怖い思いをしてきたからだった。
そして両親、姉から教わったそんな輩への対処法がある。
突きを空振りしたイポス達、そしてルシファー・リリスの前にはがら空きの鳩尾があった。
(いっけー!ルシファー!)
彼女が声を荒げる、ルシファー・リリスは左手で鳩尾目がけて全力を叩き込んだ。
「ぐふっ…?!」
殴られたイポスが苦しそうに呻いた。
鳩尾は痛覚が過敏な箇所であり殴られれば呼吸困難になりかねない急所である。
悪魔族の体はある程度丈夫だがそれでも殴られれば痛いものは痛い、鳩尾などという弱点に意識外から叩き込まれれば尚更だ。
幸いイポス達は呼吸困難にまではならなかった、が咄嗟に身を引いて距離を取ったあたり効いていたようである。
「痛いじゃないか…ていうかよりによって腹パンかよ…」
殴られた箇所をさすりながら憎らし気に言うイポス。
すっかり笑みは消えている、余程痛かったのだろう。
「ああそうさ、お前みたいなやつには一番効くだろ」
「そうだなあ。効いたよ、ちょっとだけな。だがそれだけで」
喋り終わる前にルシファー・リリスが殺意を剥き出しに襲いかかった。
「てめえ、まだ喋ってるだろうが」
抗議の声を上げるイポス、だが彼の抗議にルシファー・リリスは全力の斬撃で返事をした。
一刻も早くこの不愉快な敵を黙らせる、兎に角それだけであった。
(こいつらだけは)
(絶対に許さない)
両手に握った剣を全力で叩きつけるルシファー・リリス、イポス達は剣で受け止めるもその顔からはすっかり笑みが消えている。
小馬鹿に出来る相手じゃないと漸く気が付いたのだろうか。
戦いのペースは彼等が握り始めていた。
「くそっ…」
イポス達が嘯き距離を取る、だがルシファー・リリスがそれより早く肉薄し力いっぱいの唐竹割を叩き込んだ。
「んなっ!?」
距離を取ろうとした瞬間に打ち込まれたので態勢を崩し墜落、剣で受け止めたので真っ二つにはならなかったが背中を地面に打ってしまった。
リリスにはある特技があった。それは索敵の範囲を狭める、フォーカスする事でより詳細に相手の情報を得ることが出来るというものである。
つまり周りでなく目の前の相手に集中する事で相手の呼吸、動く前の予備動作等を詳細に知る事が出来るのだ。
その精度は相手からすれば未来予知と言っても良い程の脅威だった。
ここに至るまでに戦ったヴィネ、ソロモンに憑りつかれた兵士、アイムとイブリスなど手練れ相手に戦う時もこの特技は重要な役割をこなした。
そして今、イポス達が飛び立つ瞬間に一撃を加えられたのもこの特技を持つリリスとそれについて行くルシファーのコンビネーションのおかげであった。
「ぐっ…ちくしょうが…」
地面に倒れ伏せるイポス、その隙を逃さずルシファー・リリスが振り下ろした剣を必死に受け止めている。
「降参するか?」
「わ…分かった、喋る。喋るから…だから…」
先程と一転、命乞いしだしたイポス。
「お前が死んだあとでっ…」
哀れ、彼はそれ以上喋れなかった。
イポスに掛けられる力が一気に増した。身体強化を発動し腕力を強化したのである。
「あっ…あああ」
最早反撃の隙も無い。イポスの腕の骨が軋み始めていた、段々と受け止めていた剣が自らの方に近づいてきている。
逃れられない死が迫っている。
(いい?)
(ああ)
更に力が増した、押し込まれたイポスの剣が食い込み始めている。剣が食い込んだ箇所から血が滲み始めていた。
イポスが必死に抵抗しようとするがルシファー・リリスは更に剣を捻じ込む。悲鳴を上げ悶え続けたイポス、やがて血を噴き出し痙攣、次第に動かなくなった。
だがこれで終わりではない。
(止めだ)
ルシファー・リリスは剣を一閃、倒れたイポスの首を刎ねその首に魔法を撃ち破壊した。
肉片と鮮血が辺りに飛び散った。
アディスでも行っていたこの行為、残酷に映るかもしれないがこれは悪魔族と戦う上で必要な行為である。
もしも相手が丈夫な魔族の力を使える場合勝ったと思っても手痛い反撃を喰らう可能性があるからだ、少なくとも首を破壊してしまえば相手は起き上がっても直ぐに此方を視認できない。
(勝ったか…)
一息つこうとしたルシファー・リリス、能力を解除しようとした。
(うん…ん?離れて!)
だがリリスが違和感に気付いて警告、すかさず飛び退いた彼等だがその頬を何かが掠めていた。
死んだはずのイポスがナイフを投げていたのだ。
「終わっていなかったか…」
忌々しく嘯くルシファー・リリス、最悪な展開だ。
飛び退いた後に再び剣を握り締める彼等、頬の血を拭い目の前の相手を見据えるが信じられない光景を目の当たりにしたのである。
ゆっくりと起き上がりながら失った頭部が再生されていたのだ。
彼等は切り落とした部位をくっつけて再生させ戦おうとする者と会ったことがある。
だが肉片にした部位が再生など彼等は見たことが無かった。
その光景に唖然とする彼等、だが直ぐに我に返り正体を突き止めた。
「燃える翼にその再生力。お前の能力はフェニックスだな」
「御明察」
生えきった首を鳴らしながらイポスが答える。
フェニックス、炎の翼を持つ美しい鳥の魔族である。
争いは好まず種族全体でどれだけの数がいるのか、どこに住んでいるのかなど殆どが謎に包まれている。
分かっているのは桁違いの再生力を持っているという事のみだ。
「しかしまあ、随分と容赦ない戦い方するんだな。腕は痛いし剣も死ぬほど痛かったぞ」
まるで生きている事を確かめるように首を鳴らす。
「さて、さっきは取り乱したが…ここからは遊びは抜きだ。本気で行かせてもらうぜ」
再び笑みを浮かべるイポス達、剣をしまって何かをし始めた。
(まずい、リリス!)
この状況で剣をしまってまでする何かなど一つしかない、すぐさま彼等は障壁を展開した。
「消し飛びなあ!」
イポスが叫んだ瞬間辺りが閃光と爆炎に飲み込まれ文字通り蒸発した。
ルシファー・リリスも判断が数秒遅れていたら塵すら残らなかっただろう。
間違いない、シトリーを焼き払ったのはこの二人だ。彼等はこの一撃で確信した。
(危なかった…)
冷や汗が頬を伝った、土煙がひどく舞い上がって何も視認できない。
だが相手はクイーンの索敵でこちらが無事な事を知っているだろう、撃つまでのタイミングも早かったことから直ぐに第二波が来るのは間違いなかった。
(ルシファー、逃げるよ)
(賛成、全速力で離脱だ)
直ぐさま判断を下す彼等。
先程の爆破魔法、何とか防ぐ事は出来たが爆発の衝撃が凄まじく腕にダメージが残ってしまっていた。
元々万全でないのも合わさって次使われたら防げないかもしれない。そんな焦りと共に彼等は全速力で加速、その場を離脱したのだった。
(ちっ逃げたか。逃げ足も大したものだな)
(何褒めているんだい、さっさと追って始末するよ)
爆破で起きた煙が立ち込める中、イポスとグサインはそんな話をしていた。
イポスは己の伴侶に問いかける。
(場所は?)
(この先さ、あの様子ならこれ以上は逃げられないだろう。随分消耗しただろうし、次で終わらせるよ)
(あいよ)
イポスとグサイン、二人して元気な獲物に出会えて嬉しいと言った表情である。
(まだ試してない魔法は沢山ある、精々逃げ回って楽しませてくれよ)
彼等はこれから待っているであろう興奮を楽しみにゆっくりと歩き出した。
命辛々ルシファー・リリスが来たのは住宅地、役所から少し離れた所にそこはあった。
歩きながら見渡す、だが小さいながら活気のあった商店も顔馴染みの人達ももういない、そこには焼死体と焼け跡しか存在していなかった。
その事実に泣き出しそうになる彼等だが今はそんな暇はないと頭を切り替える。
(すまない…少しだけ一息入れさせてくれ)
(うん、いいよ)
焼け跡に身を隠しながら少しだけ能力を解除した彼等、人と建物の焼けた臭いが肺に吸い込まれ吐きそうになる。
「…敵は?」
「ゆっくり向かって来てるよ。でも私達…勝てるかな…」
リリスが泣きそうな声で話した。ここまでの溜まっていた物が噴き出してしまったのだろう。
ルシファーは静かに彼女を抱きしめる。
「ルシファー…」
「気持ちは分かる。でも大丈夫だ」
先程してもらったかのように彼女の背を優しく撫でるルシファー、体温と呼吸を感じながら必死に考えをまとめる。
静かにルシファーは語り掛ける。
「リリス、一つだけ思いついてるんだ。あれで仕留める」
「…うん、良いよやろう」
リリスは少しだけ間を置いて返事、まだ涙目だが愛する彼が考えた作戦を信じ奮起した。
彼等は静かにその場を後にした。
意気揚々と歩くイポス達、焼死体の臭いが更に彼等の機嫌を良くする。
殺し合いをしている、その瞬間に生を実感できる。このコンビは戦場の臭いが大好きであった。
(もう少しか)
(ああ、どうやら地下室にでも潜ったみたいだ。何か武器でも隠していたのかね)
(だったらいいな、精々派手に抵抗してもらいたいぜ)
獲物を狩る狩人にでもなった気分である。
だが相手がどんな強力な武器や魔法で反撃して来ようがイポス達には不死身に近い再生力と自慢の魔法がある。
負けるなど万に一つもありえない。
どうやって嬲るか、彼等はそれしか考えてなかった。
(もうすぐだ、この先の地下に隠れているよ)
(よおし、景気よく吹っ飛ばして生き埋めにでもしてやるか)
(いいね、それで行こうか)
「それじゃ」
次の瞬間イポス達の肉体は地下から現れた黒い奔流に飲み込まれて蒸発した。
黒い奔流はルシファー・リリスの魔法、黒焔であった。
これはルシファー・リリスの使える魔法では一番威力があり尚且つ一番危険な魔法である。
何故危険なのかと言えば理由は二つ、一つは単純に威力が強すぎる事だろう。
その威力は全力なら山一つは容易に消し飛ばしてしまう馬鹿げたものだった。
どんな逆境でも覆せる魔法を、と思って考案したのは良かった。だがこればかりは考案者の彼等すら戦慄、使うのは死を覚悟した時、イポス達のような本当に危険な相手のみと決めていた。
二つ目は撃つまでに手間がかかる事、真っすぐ撃つには地に足をつけて尚且つ十秒近く動きを止めて集中しなければならなかった。
相手が達人ならばその間に鱠切りにされるのは間違いない、なので何かしら工夫をしなければ使うのは不可能に近かった。
彼等は攻撃を一瞬でも防ぐために住宅地の地下室からイポス目がけて魔法を放っていた、その為に目の前には魔法で穿たれた大穴が口を開けていた。
(…死んだのか?)
先程の復活した光景を見てしまったせいで信じられないと言った様子のルシファーである。
(反応は消えたみたい…ルシファー、少し休もう?)
リリスの索敵には引っ掛からずいつまでたっても再生する様子はなかった。脅威は去ったとみて良さそうである。
(…そうだな、流石に限界だ…)
能力を解除したルシファーとリリス、ルシファーはひどい眩暈に襲われていた。
「一気に魔力使ったもんね…どこかで休んで行こう」
魔力は生命力である。魔力を使って出た眩暈や倦怠感といった症状は体が悲鳴をあげている証拠、休めるうちに休まなければやがては命に関わる事に繋がるのだ。
シトリーに帰る前に少し休んでいたが結果的にあれは正解だったと言える。
「…別の地下室探そう、緊急用の物資はあるだろうしそこで休むのとどうするか考えよう」
リリスは頷いてルシファーに肩を貸した。
「もう一息頑張ろうね、毛布とご飯が待っているよ」
「ああ」
地下室に入った彼等。数時間が経った、久しぶりに静かな時間が彼等に訪れた。
シトリーにはそれぞれの家に地下室が必ず作られている、それはいつ戦いになっても必要な物資を蓄えて置けるようにと考案されたものであった。
そして当初の想定とはかなり変わってしまったがその蓄えのおかげでルシファーとリリスは命を繋ぐことが出来たと言える。
照らすものと言えば蝋燭の明かりしかない、だが今の彼等には希望の灯にすら見えた。
「休めた?」
「ああ、大分良くなったよ」
「良かった」
お互いの体を抱き締め合いながら話す二人、温もりが生きているという実感を与えてくれる。
束の間の事だろうが安らげる時間が得られたことに彼等は感謝していた。
「これからの事なんだけどさ」
「ああ」
「オーディンさんに助けてもらえないかな。話せば力になってくれると思うの」
オーディンはオリュンポスのトップである。
「…そうだな、あの人なら父さん達と知り合いだ。あの事もあるけど…今はそれしか手が無いだろう」
あの事、ガープから聞いた戦争の真意である。
「やっぱり黙っておいた方が良いかな?」
「余計な事を言って面倒に巻き込まれるのは困るからな…話すのはタイミングを見てだ」
オーディン本人は穏健派だが問題は周囲である。
トロメア側に与する発言などすれば摘み出される可能性もあるしガープ本人が危惧していた不老不死の話もある。
話すのは本当に然るべきタイミングだろう。
「…トロメアもどうなっちゃったんだろう」
「イポスとグサインとかいう奴等の事もだが、姉さん達も…覚悟しておいた方が良いんだろうな…」
「ルシファー…」
「…今は考えるの止めて寝よう、兎に角この状況を何とかするのを優先だ」
「そうだね…お休みルシファー」
「お休みリリス」
状況は何一つ好転せず悪化の一途を辿るが彼等には頼れる伴侶がいる。
いきなり日常を全て壊された中それだけが心の支えであった。もしも独りだったらどうなっていたか、とてもじゃないが考えたくはない。
お互いを感じながら二人は眠りに着いた。
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