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5度目の転生(6)
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若旦那や商人のあんちゃんたちとの会合が終わり、俺たちは侯爵家から用意された豪華絢爛な馬車で侯爵邸を訪れていた。
夕食に呼ばれたから到着してすぐに食事が始まるかといえばそうではない。
食事に限らず冠婚葬祭、舞踏会や芸術会などでも開始までの時間に客を退屈させないようにするのもホストの重要な仕事のひとつで、ここでミスをやらかすと貴族にとっては大きく評判を落とす事になってしまうのだ。
以前の人生では気苦労が多くて大変だったけど、ほぼ最高権力者だったから他人任せやちょっとしたミスは笑ってねじ伏せてた記憶しかない。
今回はこれ以上出世する気もないし一方的に呼ばれて参加する側、さらには身内だけの夕食会だから無難にこなせば気が楽だと思ったんだけど、まさか身内に敵がいるとは思いもしなかった。
「なあミルシェ、どう考えてもこれはおかしいだろ? もうすぐ侯爵さまが来るんだからさ、膝から降ろしてくれない?」
「いいえ、おかしくありませんし降ろせません」
「えぇ……。だ、だけどさ、ここは侯爵家の応接室であって我が家で寛いでるんじゃないんだよ? ほら、家宰さんやメイドさんだって居るんだからこれじゃ失礼だよ」
「心配ありません。ここに居るのは父の信頼篤い方々でしょうから、あなたの事も私の事もよく知っています。それに私たちは新婚なのですから笑って許してもらえますよ」
いやいや、何でそんなに自信満々なのかはわからないけど、愛娘のあなたは無事でも俺には怒りが向かってくるでしょ……。
ほら、こういう場面では表情や感情を読ませないのが仕事である家宰さんですら微妙に顔を顰めてたぞ……。
あ、もうお見えになっただって。
さあ、もうふざけるのは止めて手を離して……、ちょっ、ダメだって……、あぁ終わった……。
「……ずいぶんと仲のよさを見せ付けてくれるね」
申し訳ございません、侯爵さま。
お願いですから青筋立てて必死に感情を殺しながら話すの止めてもらえませんかね?
「あらまあ、うふふふ」
「まあまあまあ、羨ましいですわね」
おや?
2人の奥さまにはずいぶんと好評、と言っていいのかはわからんが、まあ俺の威厳というものは今日で地に落ちたのは確実だな。
ええ、もうどうにでもしてください。
侯爵さま、3人の女性から抵抗も出来ずに愛玩動物のように扱われている俺を、そんな哀れそうな目をしてないで助けてくださいよ……。
そうだ、ミルシェの弟が2人……、あの、メイドに食事内容の確認とか今やる事じゃないでしょ?
それぞれの母親と姉を止めてもらえませんかね?
「ごほんっ。みんな、すまんがジェフ殿と2人きりで話がしたいので隣室へ行く。さあジェフ殿、こちらへ」
俺は侯爵さまに連れられて、なんとか隣室へと逃げ出す事に成功した。
この部屋はちょっとした商談や密談に使われる部屋のようで、窓1つ無く狭くて暗かった。
うん、これはこれで圧迫感があってちょっと辛いな……。
「……あの娘はいつもあんな感じなのかね?」
イグザクトリー。
全くもってその通りで、傍若無人に振舞われております。
だがまあ父親にそんな事を言う訳にもいかないので、日本人的に無難な返事をしておこう。
「いえ、これまではあのような事はありませんでした。ただ、侯爵さまが彼女の縁談を進めているという気配を感じ取ってからは……」
「……今朝の事もそうだと?」
「恐らく、ですが」
「娘は……、異常なのだろうか?」
あぁ、かなり深刻に悩んでいるみたいだな。
まあ貴族の娘とはかけ離れたあんな姿を見せられたら、父親として思い悩んでも仕方が無いんだろうな。
心理学なんてものはこの世界にはまだ無いだろうからね。
「過去の出来事が大きく関係しているのだと思います」
「……続けたまえ」
「侯爵さまの事は誤解だと判明しましたが、親に2度も捨てられた事と育ての親や集落を襲われた事、その際に自身も襲われて身を守った事が関係していると思われます」
「……簡潔に」
「つまり親や男に対する猜疑心を抱え、奴隷に落とされ、自力で大切な物や身を守る事の重要性を経験してしまったからです。私のような年少の男を選んだのも自分の手で裏切らない自分好みの男に育てるといった感情からではないかと」
「……なるほど、それならばわかる気がする。つまり今朝の事も今のあれも私への対抗の意思表示という事か……」
「はい。自活や抵抗出来る実力も併せ持っていますので、拒絶されるならばそれでもいいと……」
「現時点では嫌われているわけではないのだな?」
「はい、もちろんです。まだ警戒はされているでしょうが」
「そうか……」
娘に悩む親、か……。
ちょっと侯爵さまに親近感を覚えてしまうな。
なんでだろうね?
俺自身バカ娘に悩んで、そのせいで寿命が縮んだような気もするからだろうか?
「ミルシェの気持ちはわかった。だがお前の事を調べさせたが不明な事だらけだ。お前は一体何者だ? どこにでもいる普通の平民の生まれなのに、全く普通とは違う。これは異常な事だ」
おっと、やはりそうなりますよね。
ここは侯爵さまに正直に打ち明けて、味方になってもらうのが得策だろう。
ただまああれだ、自分でも虚しくなるような事を言わなければいけないんだけどね……。
「私の出自はお調べになった通りですが、異常である事も事実です。これは誰にも言ってない事ですので内緒にしておいてください。私は神からこの世界を救うように頼まれ遣わされました。だから以前に経験のある事は少し練習すれば出来ましたし、文字さえ覚えれば以前と同様の知識や計算も扱えるようになっただけなのです」
「か、神の使徒だというのか!?」
「いえ、そうではなく異世界で平民だった私の知識でこの世界を救って欲しいと依頼されたのです。依頼を全う出来れば次の人生で望みを叶えてもらえる事になっているのです」
「異世界で、平民……」
「はい。死後に神と会う機会がありまして、哀れな死を迎えた私に慈悲を与える機会を頂いたのです。どうすればこの世界を救えるかは私に委ねられているそうで、私なりに考えた結果、鉱山関係の知識を使えば効率の良い開発とその対策で多くの人たちを救うという事が両立出来るのではないかと考えて行動してきた次第です」
おい神さまよ、一生懸命お役所的な言葉を並べて印象操作しておいてやったぞ。
哀れな死を迎えた私に慈悲を与える機会を頂いた?
本当に哀れんでるならその場で与えるのが慈悲だろうがっ!
それに慈悲深いなら自分か眷属を寄越して直接救済するのが当然だろうに……。
「効率の良い開発でも救う事になるのかね?」
「ええ、重労働や短命から開放する事も救済に当たると考えております」
「しかし、奴らは犯罪奴隷だぞ? まさか奴隷解放でもやるのかね?」
「やります。が、犯罪奴隷に関しては私が死ぬまでに解放されればいいと思ってます。罪に応じた年数を懲役刑として労働に従事させる、懲役労働者という名称に変えるつもりです。重犯罪者はこれまで同様一生を過ごしてもらいます」
「ふむ、開放したところで大差はなく、実質同じか……」
「生活環境や防塵装備や採掘工具などの投資は必要になりますが、それらを充実させる事で効率よく長生きさせて、経験豊かな者たちに開発させる事が可能になりますのですぐにでも投資額は回収出来るでしょう」
「……他には?」
「後日改めて説明の場を頂きたいと考えておりますが、錬金術師たちへの公的な支援、私たちが見つけた鉱山特有の植生などを考えております。ただ、先ほどの奴隷解放についてはミルシェが強く賛同してくれていますので確実に進めていきたいと思っています」
「うぅむ……、国法の変更や錬金術師の公的な支援となると王にお伺いする必要があるな……」
「それと、最後に1つ。実は剥き出しの銀鉱床を見つけました。規模や埋蔵量は不明ですが、ここで私の知識で職人や錬金術師に協力させて新たな開発方法や銀の精錬方法を試していただきたいのです」
「ほう、確かにそれならばお前の言う事が事実かどうか確かめる良い機会になるな。では調査の後、開発を進めるように手配しよう。そちらも準備を怠るなよ?」
「はっ」
◇
「義父上、こちらにおいででしたか。ずいぶん機嫌が良さそうですがどうかされましたか?」
「おおジェフ、よく来てくれた。実はな、お前のおかげで王家から姫が我が家に降嫁される事が正式に決まったぞ」
「それはおめでとうございます」
「なに、お前の見つけた大規模銀鉱床と新たな技法、鉱山発見の目安となる植物などの知識を献上出来たからだ。礼を言うのはこちらの方だ」
「礼などと……。義父上のお力添えと協力があってこそです」
「謙遜するな。王家が奴隷解放と国法の変更を認め、姫を我が家にお迎え出来るほどの功績が私だけで成せる筈がなかろう? 特にこれまでは売るか諦めるしかなかった粗銅から金銀だけを取り出す技術の提供など王が狂喜乱舞しておったぞ。他の鉱山を抱える派閥貴族どもにはトロッコを格安で与えて恩も売れて万々歳だ」
「水銀法が改良されると生産量が飛躍的に上がりますが、その分中毒被害も大規模な物になりますので適切に管理されるようお願いします」
「わかっておる。お前の知る被害がここで起これば国が崩壊しかねんからな。精錬場は王家が新設して厳重警備の上で独占、周辺地域では狩猟や漁業、農業の禁止と決まった。それに王家と共同で処理方法や無毒化も研究させておるよ。王家は新たに生み出されている金銀に夢中でこちらの言い分は丸呑みだったぞ」
俺が見つけた銀鉱床は調査の結果かなりの規模だったらしく、少なくとも100年は掘り続けられるらしいので献上された王家は大喜びだったそうだ。
新たな技法は灰吹法と南蛮絞り、まだ研究中なのは既存のアマルガム法の改良版ともいえるカホネス法と呼ばれるものだ。
最初の人生の時に鹿……銀山跡地付近に遊びに行った事があって、その時気になって調べた事が今生きたわけだ。
まあ銀山が目的で遊びに行ったわけじゃなかったので覚えていない事も多く、錬金術師たちの知識と経験、足りない部分は王さまに丸投げして今も研究してもらってる。
植物についても銀山について調べてた中に記述があったから覚えていただけなのだが、結果がよければそれでよし。
しかし教わっただけの他人の功績や知識を披露して感謝されるっていうのは顔が熱くなってなんとも言えないもどかしさやむず痒さがあるんだけど、ラノベによく見られる内政チートな主人公たちはよく耐えられるね……。
ただ、懸念が1つ出来てしまったので忘れる前に確認をしなければ。
「義父上、そうなると義父上とミルシェの関係が王家に知られるという事に……」
「うむ、お前の事もすでに伝えている」
「えっ」
「お前はこの屋敷に自由に出入り出来る数少ない人間だからな、今後は顔を合わせる事もあるのだから姫にも知らせておかねば不都合だろう? ああ、異世界の事などは当然伏せてあるからな」
いや、別に俺は顔合わせる必要は無いし、裏にある使用人通用口を使わせてもらえればじゅうぶんですよ?
「お前はそれで良くてもミルシェが私の娘だとわかっているのだから、大っぴらには出来ないが今後も最低限の家族付き合いはしてもらう」
「はぁ、しかし……」
「以前も平民だったのであろう? ならばいい機会ではないか。1度貴族というものを経験しておいても損はあるまい」
「はぁ……」
「ところでだ、もうすぐ1年だろ? そろそろ孫は出来ないのか?」
おっと、気の早いお人だ。
というか、なかなか出来ずに浮気して作っちゃった人に言われるのはちょっと複雑な気分だが、これも親心なのだろうか?
貴族生活は面倒なのでもう経験したくない、もっと言えば下級貴族はいろいろと悲惨な部分もあるので貴族としての役割が無い今の地位が一番気楽なんですけどね……。
「まだ確実ではありませんが、月のものが遅れているようですので近く正式に報告出来るかもしれませんね」
「そ、そうかっ! それは楽しみだっ! その調子でたくさん作ってくれていいからな。しかしそうなるとしばらく体を持て余してしまうな……。もう1人くらいどうだ?」
「……私には選択権はありませんので義父上からミルシェに話をして許可を貰ってください。というか、何故そんな話に?」
「……王からお前に1代限りの名誉男爵を与えてはどうかと相談されてな。それに派閥内にもミルシェの事は知らずとも急にもたらされた新技術や私との関わりを見てお前との繋がりを持ちたがっている者たちが多いのだよ。子沢山であれば養子や婚姻関係は結べるので少しは連中の不満も解消されそうなのでな」
「政略結婚というやつですね……。子沢山というのはある程度希望通りになるかもしれませんが……」
「ほう、何故だね?」
「ミルシェが、10人は産んでくれるそうなので……」
「……そ、そうか。それは……それならば私からは何も言う事は無いな、うん。むしろ頑張ってくれ、としか言ってやれん。爵位が要らないならそれでもいいが、褒美も一切受け取らないというのはダメだぞ。場合によっては叛意や簒奪を疑われかねないからな」
「では、金銭と王家や上級貴族の方々が利用される避暑地の宿泊許可というのはどうでしょうか? それであれば普通の平民には過分な恩賞ですし、私も余裕のある暮らしで家族を喜ばせる事が出来ます。ミルシェや子どもを義父上と同道させても文句は出ないでしょう?」
「それは名案だ! さっそく王に進言する事にしよう」
うん、義父上チョロすぎですよ。
親バカを通り越してバカ親になっちゃってませんかね?
まあこれで俺も収入を気にせずのんびりと家族と遊んで暮らせそうだから感謝しないとね。
~50年後~
ある日、王城の一室に年齢の様々な3人の男が気安い感じで集まっていた。
1人はこの城の主、1人は上級貴族である侯爵、最後の1人はどうみても役人、それも裕福そうではあるが平民だ。
一番年下の少年にも見える男が最初に口を開いたが、それが常なのか身分差があるにもかかわらず言葉を改める事も、対する男たちも気にする様子も無いようだ。
「ひい爺さんが今朝死んだらしい」
「昨年奥さまを亡くしたばかりだからね、あの変わり者の爺さまでもさすがに気落ちしたのかな?」
人の良さそうでさわやかなイケメン青年が疑問を口にしたが、この者こそこの国の最高権力者である。
その最高権力者である青年の素朴な疑問に少し神経質そうな中年の男が丁寧に答える。
「いえ、大伯母から解放されて毎日気楽に魚釣り狩猟をしてたからそれはないでしょう……。それに、先日うちの子達を連れて狩った獲物を持ってきてくれた時に会いましたが元気そのものでしたよ」
「一緒に出かけてた釣り仲間が、竿を垂らしたまま死んでるのを見つけたってさ。医者が言うには心臓発作じゃないかって」
「あの爺さまらしいね。遺産を巡って騒動になったりはしないね?」
「大丈夫。資産のほぼ全部、子である爺さんたちに等分に分けてたらしいし、残りのわずかな資産、と言っても小さな家だけだけど、面倒を見てもらった例の愛人名義になってる」
「その辺り、大伯父は用心深く用意周到ですな」
「自分の面倒は最後まで自分で見れたし、好きな事やりながら死ねたんだから羨ましいよ」
「そうだね、僕も父上や爺さまのように早めに引退しようかな?」
「王よ、ご冗談はお止めください……。それで大伯父の葬儀は?」
「ひい婆さんの時みたいにお偉方が集まって欲しくないってさ。こっちとしても応対するのが大変だから本人の希望通り質素なものにするつもり」
「なら王家と侯爵家で酒盛りで送り出すってのはどう? 墓場で奥さんとまた一緒になるんだからさ、2度目の結婚式だよ」
「それは妙案ですな。大伯父は顔をしかめて嫌がりそうですが大伯母は大喜びでしょう」
「ちょっと、質素にって言ってるでしょ!? ねえ、聞いてる? うちは準貴族とは言え平民だよ? ねえってば……」
夕食に呼ばれたから到着してすぐに食事が始まるかといえばそうではない。
食事に限らず冠婚葬祭、舞踏会や芸術会などでも開始までの時間に客を退屈させないようにするのもホストの重要な仕事のひとつで、ここでミスをやらかすと貴族にとっては大きく評判を落とす事になってしまうのだ。
以前の人生では気苦労が多くて大変だったけど、ほぼ最高権力者だったから他人任せやちょっとしたミスは笑ってねじ伏せてた記憶しかない。
今回はこれ以上出世する気もないし一方的に呼ばれて参加する側、さらには身内だけの夕食会だから無難にこなせば気が楽だと思ったんだけど、まさか身内に敵がいるとは思いもしなかった。
「なあミルシェ、どう考えてもこれはおかしいだろ? もうすぐ侯爵さまが来るんだからさ、膝から降ろしてくれない?」
「いいえ、おかしくありませんし降ろせません」
「えぇ……。だ、だけどさ、ここは侯爵家の応接室であって我が家で寛いでるんじゃないんだよ? ほら、家宰さんやメイドさんだって居るんだからこれじゃ失礼だよ」
「心配ありません。ここに居るのは父の信頼篤い方々でしょうから、あなたの事も私の事もよく知っています。それに私たちは新婚なのですから笑って許してもらえますよ」
いやいや、何でそんなに自信満々なのかはわからないけど、愛娘のあなたは無事でも俺には怒りが向かってくるでしょ……。
ほら、こういう場面では表情や感情を読ませないのが仕事である家宰さんですら微妙に顔を顰めてたぞ……。
あ、もうお見えになっただって。
さあ、もうふざけるのは止めて手を離して……、ちょっ、ダメだって……、あぁ終わった……。
「……ずいぶんと仲のよさを見せ付けてくれるね」
申し訳ございません、侯爵さま。
お願いですから青筋立てて必死に感情を殺しながら話すの止めてもらえませんかね?
「あらまあ、うふふふ」
「まあまあまあ、羨ましいですわね」
おや?
2人の奥さまにはずいぶんと好評、と言っていいのかはわからんが、まあ俺の威厳というものは今日で地に落ちたのは確実だな。
ええ、もうどうにでもしてください。
侯爵さま、3人の女性から抵抗も出来ずに愛玩動物のように扱われている俺を、そんな哀れそうな目をしてないで助けてくださいよ……。
そうだ、ミルシェの弟が2人……、あの、メイドに食事内容の確認とか今やる事じゃないでしょ?
それぞれの母親と姉を止めてもらえませんかね?
「ごほんっ。みんな、すまんがジェフ殿と2人きりで話がしたいので隣室へ行く。さあジェフ殿、こちらへ」
俺は侯爵さまに連れられて、なんとか隣室へと逃げ出す事に成功した。
この部屋はちょっとした商談や密談に使われる部屋のようで、窓1つ無く狭くて暗かった。
うん、これはこれで圧迫感があってちょっと辛いな……。
「……あの娘はいつもあんな感じなのかね?」
イグザクトリー。
全くもってその通りで、傍若無人に振舞われております。
だがまあ父親にそんな事を言う訳にもいかないので、日本人的に無難な返事をしておこう。
「いえ、これまではあのような事はありませんでした。ただ、侯爵さまが彼女の縁談を進めているという気配を感じ取ってからは……」
「……今朝の事もそうだと?」
「恐らく、ですが」
「娘は……、異常なのだろうか?」
あぁ、かなり深刻に悩んでいるみたいだな。
まあ貴族の娘とはかけ離れたあんな姿を見せられたら、父親として思い悩んでも仕方が無いんだろうな。
心理学なんてものはこの世界にはまだ無いだろうからね。
「過去の出来事が大きく関係しているのだと思います」
「……続けたまえ」
「侯爵さまの事は誤解だと判明しましたが、親に2度も捨てられた事と育ての親や集落を襲われた事、その際に自身も襲われて身を守った事が関係していると思われます」
「……簡潔に」
「つまり親や男に対する猜疑心を抱え、奴隷に落とされ、自力で大切な物や身を守る事の重要性を経験してしまったからです。私のような年少の男を選んだのも自分の手で裏切らない自分好みの男に育てるといった感情からではないかと」
「……なるほど、それならばわかる気がする。つまり今朝の事も今のあれも私への対抗の意思表示という事か……」
「はい。自活や抵抗出来る実力も併せ持っていますので、拒絶されるならばそれでもいいと……」
「現時点では嫌われているわけではないのだな?」
「はい、もちろんです。まだ警戒はされているでしょうが」
「そうか……」
娘に悩む親、か……。
ちょっと侯爵さまに親近感を覚えてしまうな。
なんでだろうね?
俺自身バカ娘に悩んで、そのせいで寿命が縮んだような気もするからだろうか?
「ミルシェの気持ちはわかった。だがお前の事を調べさせたが不明な事だらけだ。お前は一体何者だ? どこにでもいる普通の平民の生まれなのに、全く普通とは違う。これは異常な事だ」
おっと、やはりそうなりますよね。
ここは侯爵さまに正直に打ち明けて、味方になってもらうのが得策だろう。
ただまああれだ、自分でも虚しくなるような事を言わなければいけないんだけどね……。
「私の出自はお調べになった通りですが、異常である事も事実です。これは誰にも言ってない事ですので内緒にしておいてください。私は神からこの世界を救うように頼まれ遣わされました。だから以前に経験のある事は少し練習すれば出来ましたし、文字さえ覚えれば以前と同様の知識や計算も扱えるようになっただけなのです」
「か、神の使徒だというのか!?」
「いえ、そうではなく異世界で平民だった私の知識でこの世界を救って欲しいと依頼されたのです。依頼を全う出来れば次の人生で望みを叶えてもらえる事になっているのです」
「異世界で、平民……」
「はい。死後に神と会う機会がありまして、哀れな死を迎えた私に慈悲を与える機会を頂いたのです。どうすればこの世界を救えるかは私に委ねられているそうで、私なりに考えた結果、鉱山関係の知識を使えば効率の良い開発とその対策で多くの人たちを救うという事が両立出来るのではないかと考えて行動してきた次第です」
おい神さまよ、一生懸命お役所的な言葉を並べて印象操作しておいてやったぞ。
哀れな死を迎えた私に慈悲を与える機会を頂いた?
本当に哀れんでるならその場で与えるのが慈悲だろうがっ!
それに慈悲深いなら自分か眷属を寄越して直接救済するのが当然だろうに……。
「効率の良い開発でも救う事になるのかね?」
「ええ、重労働や短命から開放する事も救済に当たると考えております」
「しかし、奴らは犯罪奴隷だぞ? まさか奴隷解放でもやるのかね?」
「やります。が、犯罪奴隷に関しては私が死ぬまでに解放されればいいと思ってます。罪に応じた年数を懲役刑として労働に従事させる、懲役労働者という名称に変えるつもりです。重犯罪者はこれまで同様一生を過ごしてもらいます」
「ふむ、開放したところで大差はなく、実質同じか……」
「生活環境や防塵装備や採掘工具などの投資は必要になりますが、それらを充実させる事で効率よく長生きさせて、経験豊かな者たちに開発させる事が可能になりますのですぐにでも投資額は回収出来るでしょう」
「……他には?」
「後日改めて説明の場を頂きたいと考えておりますが、錬金術師たちへの公的な支援、私たちが見つけた鉱山特有の植生などを考えております。ただ、先ほどの奴隷解放についてはミルシェが強く賛同してくれていますので確実に進めていきたいと思っています」
「うぅむ……、国法の変更や錬金術師の公的な支援となると王にお伺いする必要があるな……」
「それと、最後に1つ。実は剥き出しの銀鉱床を見つけました。規模や埋蔵量は不明ですが、ここで私の知識で職人や錬金術師に協力させて新たな開発方法や銀の精錬方法を試していただきたいのです」
「ほう、確かにそれならばお前の言う事が事実かどうか確かめる良い機会になるな。では調査の後、開発を進めるように手配しよう。そちらも準備を怠るなよ?」
「はっ」
◇
「義父上、こちらにおいででしたか。ずいぶん機嫌が良さそうですがどうかされましたか?」
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「わかっておる。お前の知る被害がここで起これば国が崩壊しかねんからな。精錬場は王家が新設して厳重警備の上で独占、周辺地域では狩猟や漁業、農業の禁止と決まった。それに王家と共同で処理方法や無毒化も研究させておるよ。王家は新たに生み出されている金銀に夢中でこちらの言い分は丸呑みだったぞ」
俺が見つけた銀鉱床は調査の結果かなりの規模だったらしく、少なくとも100年は掘り続けられるらしいので献上された王家は大喜びだったそうだ。
新たな技法は灰吹法と南蛮絞り、まだ研究中なのは既存のアマルガム法の改良版ともいえるカホネス法と呼ばれるものだ。
最初の人生の時に鹿……銀山跡地付近に遊びに行った事があって、その時気になって調べた事が今生きたわけだ。
まあ銀山が目的で遊びに行ったわけじゃなかったので覚えていない事も多く、錬金術師たちの知識と経験、足りない部分は王さまに丸投げして今も研究してもらってる。
植物についても銀山について調べてた中に記述があったから覚えていただけなのだが、結果がよければそれでよし。
しかし教わっただけの他人の功績や知識を披露して感謝されるっていうのは顔が熱くなってなんとも言えないもどかしさやむず痒さがあるんだけど、ラノベによく見られる内政チートな主人公たちはよく耐えられるね……。
ただ、懸念が1つ出来てしまったので忘れる前に確認をしなければ。
「義父上、そうなると義父上とミルシェの関係が王家に知られるという事に……」
「うむ、お前の事もすでに伝えている」
「えっ」
「お前はこの屋敷に自由に出入り出来る数少ない人間だからな、今後は顔を合わせる事もあるのだから姫にも知らせておかねば不都合だろう? ああ、異世界の事などは当然伏せてあるからな」
いや、別に俺は顔合わせる必要は無いし、裏にある使用人通用口を使わせてもらえればじゅうぶんですよ?
「お前はそれで良くてもミルシェが私の娘だとわかっているのだから、大っぴらには出来ないが今後も最低限の家族付き合いはしてもらう」
「はぁ、しかし……」
「以前も平民だったのであろう? ならばいい機会ではないか。1度貴族というものを経験しておいても損はあるまい」
「はぁ……」
「ところでだ、もうすぐ1年だろ? そろそろ孫は出来ないのか?」
おっと、気の早いお人だ。
というか、なかなか出来ずに浮気して作っちゃった人に言われるのはちょっと複雑な気分だが、これも親心なのだろうか?
貴族生活は面倒なのでもう経験したくない、もっと言えば下級貴族はいろいろと悲惨な部分もあるので貴族としての役割が無い今の地位が一番気楽なんですけどね……。
「まだ確実ではありませんが、月のものが遅れているようですので近く正式に報告出来るかもしれませんね」
「そ、そうかっ! それは楽しみだっ! その調子でたくさん作ってくれていいからな。しかしそうなるとしばらく体を持て余してしまうな……。もう1人くらいどうだ?」
「……私には選択権はありませんので義父上からミルシェに話をして許可を貰ってください。というか、何故そんな話に?」
「……王からお前に1代限りの名誉男爵を与えてはどうかと相談されてな。それに派閥内にもミルシェの事は知らずとも急にもたらされた新技術や私との関わりを見てお前との繋がりを持ちたがっている者たちが多いのだよ。子沢山であれば養子や婚姻関係は結べるので少しは連中の不満も解消されそうなのでな」
「政略結婚というやつですね……。子沢山というのはある程度希望通りになるかもしれませんが……」
「ほう、何故だね?」
「ミルシェが、10人は産んでくれるそうなので……」
「……そ、そうか。それは……それならば私からは何も言う事は無いな、うん。むしろ頑張ってくれ、としか言ってやれん。爵位が要らないならそれでもいいが、褒美も一切受け取らないというのはダメだぞ。場合によっては叛意や簒奪を疑われかねないからな」
「では、金銭と王家や上級貴族の方々が利用される避暑地の宿泊許可というのはどうでしょうか? それであれば普通の平民には過分な恩賞ですし、私も余裕のある暮らしで家族を喜ばせる事が出来ます。ミルシェや子どもを義父上と同道させても文句は出ないでしょう?」
「それは名案だ! さっそく王に進言する事にしよう」
うん、義父上チョロすぎですよ。
親バカを通り越してバカ親になっちゃってませんかね?
まあこれで俺も収入を気にせずのんびりと家族と遊んで暮らせそうだから感謝しないとね。
~50年後~
ある日、王城の一室に年齢の様々な3人の男が気安い感じで集まっていた。
1人はこの城の主、1人は上級貴族である侯爵、最後の1人はどうみても役人、それも裕福そうではあるが平民だ。
一番年下の少年にも見える男が最初に口を開いたが、それが常なのか身分差があるにもかかわらず言葉を改める事も、対する男たちも気にする様子も無いようだ。
「ひい爺さんが今朝死んだらしい」
「昨年奥さまを亡くしたばかりだからね、あの変わり者の爺さまでもさすがに気落ちしたのかな?」
人の良さそうでさわやかなイケメン青年が疑問を口にしたが、この者こそこの国の最高権力者である。
その最高権力者である青年の素朴な疑問に少し神経質そうな中年の男が丁寧に答える。
「いえ、大伯母から解放されて毎日気楽に魚釣り狩猟をしてたからそれはないでしょう……。それに、先日うちの子達を連れて狩った獲物を持ってきてくれた時に会いましたが元気そのものでしたよ」
「一緒に出かけてた釣り仲間が、竿を垂らしたまま死んでるのを見つけたってさ。医者が言うには心臓発作じゃないかって」
「あの爺さまらしいね。遺産を巡って騒動になったりはしないね?」
「大丈夫。資産のほぼ全部、子である爺さんたちに等分に分けてたらしいし、残りのわずかな資産、と言っても小さな家だけだけど、面倒を見てもらった例の愛人名義になってる」
「その辺り、大伯父は用心深く用意周到ですな」
「自分の面倒は最後まで自分で見れたし、好きな事やりながら死ねたんだから羨ましいよ」
「そうだね、僕も父上や爺さまのように早めに引退しようかな?」
「王よ、ご冗談はお止めください……。それで大伯父の葬儀は?」
「ひい婆さんの時みたいにお偉方が集まって欲しくないってさ。こっちとしても応対するのが大変だから本人の希望通り質素なものにするつもり」
「なら王家と侯爵家で酒盛りで送り出すってのはどう? 墓場で奥さんとまた一緒になるんだからさ、2度目の結婚式だよ」
「それは妙案ですな。大伯父は顔をしかめて嫌がりそうですが大伯母は大喜びでしょう」
「ちょっと、質素にって言ってるでしょ!? ねえ、聞いてる? うちは準貴族とは言え平民だよ? ねえってば……」
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