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第一章
バイバイ、お母さん。ハロー、ハンデ。(3)
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始業チャイムと同時に、担任の安西先生が教室に入ってくる。
「おーい、みんな、席に着けー」
太く男らしい声の印象のまんま、安西先生は男くさい。しわくちゃのワイシャツに緩んだネクタイ、その上にえんじ色の上下ジャージという無骨な格好でまったく女子受けしない。でも男子にはすごく好かれていて、休み時間のたびに先生をサッカーやドッジボールに誘う生徒でクラスはあふれている。
「根本! おいそこ男子! 吉田おまえも早く席に着け! 今日のHRは、ペア交流の一年生の子どもたちに対してどう接したらいいか、自分たちなりにまとめてもらうぞー。まだちょっと時間早いけどな、国語の小テストと一緒にやってもらうから、答案用紙の裏に書きなさい。課題は今から黒板に書くからよく見るように。回答の量は自由。なにか質問は? よーしそれじゃ、日直、これ配ってくれー」
安西先生は手早く説明を済ませると、答案用紙の束を日直に渡し、黒板にHRの課題を書いていった。
《六年生としての心構え》
① 年下の子とどのように接したらよいと思いますか
② 年下の子が一緒にいるときにケガをしたらどうしますか
③ 三年生は一年生に対してどのように接するべきと思いますか
先生が黒板に白い文字を書いていくうちに、日直が前から順に用紙を配っていく。
「この三つを自分なりに考えて書きなさい。ペア交流をしてるのは、普段接点のない他学年の子と仲良くするためだけじゃないからな。小さい子の面倒を見ることも大事な勉強だ! あと、③はおまえたち六年生の場合じゃないぞー、三年生と一年生の場合で頼むな。――よおし、全員、行きわたったか? それじゃ始め!」
先生の合図でクラス中がシーンとなった。
静まる教室の中を、無機質な鉛筆の音だけが響く。あたしはようやくほっと一息ついて答案用紙に向かった。机の上で白い紙を見つめていると気持ちが落ち着いてくる。こうやって鉛筆を走らせている間は吃音のことを忘れていられるからだ。
斜め前の席で、友子が袖口のリボンをまたいじっている。落ち着かない子だ。
静かな教室のが好きだなんて変なのかな? でも普通に授業を受けるより、こうしてテストを受ける方がやっぱり楽だ。とくに国語は教科書を音読することが多いし、はっきりいって向いてない。
安西先生は吃音のことをよくわかっている。だから音読では絶対にあたしを指名しない。それはきっと先生なりの思いやりなんだろうけど、正直いって迷惑な話だ。それは、先生があたしに対して「特別に」注意を払ってるってことだから。
「今日は何日だー? あーじゃあ8番」などと適当に誰かを指名する。まっすぐ当てたり、斜めに当てたり、カレンダーを見てその日付の生徒を当てたりする。でもその「適当」に、あたしが入ることは絶対にない。
一度こんなことがあった。今でも忘れない六月十一日のこと。
「6足すじゅうい――」先生はそこまでいうと、明らかに「まずい」って顔をした。クラスメイトの何人が気づいたかわからないけど、17番は椎名茜――あたしだ。
「6の次は12なー、その次は18!」とすぐにいい直して先生がごまかした。すごくイヤな気持ちになったのを覚えてる。
もちろん指されて、みんなの前で言葉が出なかったり、吃ってしまえば格好の餌食だ。でもずっと指名されなければされないで、完全に浮いた存在になってしまう。
――無視っていうか、不在感。暗黙の了解。
「国語では、安西先生は、茜ちゃんを当てない」
つまりどっちに転んでも逃げ場なんてないってこと。
あたしはこのクラスのお荷物だし、先生にとって腫れものなんだ。
♮
「残り十分なー。裏やってないやつちゃんとやれよー」
先生がストップウォッチをセットし直す音が響く。昨日勉強した甲斐があって、テストは自分で見直してもまずまずの出来だった。隣の吉田大和が、チラチラとこちらを見てくる。あたしは答案用紙を裏向けると、六年生の心構えを書いていった。
大和は三年生から同じクラスだ。区役所の生活相談課に勤めるお父さんの担当の家庭の子でもある。母子家庭で、好実ちゃんという五歳の妹がいる。
『茜、吉田くんって知ってるだろう。お父さん、今度吉田くんのお母さんの担当になったんだ。お父さんがいないから、茜もやさしくしてあげるんだよ』
大和のお母さんが生活相談課にやって来たのは五年ほど前だったらしい。記憶が間違ってなければ、丁度あたしや大和が小学二年生になった春頃だ。たぶん妹の好実ちゃんが生まれた頃だから、出産して退院したあと、大和のお母さんがなにかしら不安を抱えて区役所を訪ねたんだろう。
そんなわけで担当になったお父さんは、日曜日に一緒にヤマタケへ買い物に行くと、必ず大和のお母さんがいるレジに並んで少しばかり世間話をする。
大和のお母さんはこちらに気づくと、ほっとしたような顔をして、少しだけまわりや他のお客さんを気にしながらも、うれしそうに話し出す。本当は勤務中だから立ち話はだめなはずだけど、お父さんが役所の職員だってこともあって、容認されているみたいだった。
もちろんあたしは黙って聞いているだけ。それでもこのふたりはいつもチラチラとこちらに視線を向ける。お父さんが大和の話をよくするみたいに、大和の家でもあたしの話が出るんだろう。そんな縁もあって、大和は気さくに話しかけてくる。
でも正直いって迷惑な話だ。いくら片親どうしだからって、勝手に仲間だなんて思ってほしくない。それに、浮いた者どうし仲良くしていると思われるのはしゃくにさわる。
「おーし、終わり。全員筆記具を置いてー。これから答え合わせをしてしまうからな。隣の席のやつと答案用紙を交換してくれー。裏に書いてもらった課題は、夏休みに予定しているペア交流のファシリテーションでも発表してもらおうと思ってるからな。先生も読むの楽しみにしてるぞ」
友子が振り返り、苦い顔で笑うのにあたしも応える。先生はそのまま小テストの答え合わせをして、国語の授業を終わらせると教室を出ていった。
「おーい、みんな、席に着けー」
太く男らしい声の印象のまんま、安西先生は男くさい。しわくちゃのワイシャツに緩んだネクタイ、その上にえんじ色の上下ジャージという無骨な格好でまったく女子受けしない。でも男子にはすごく好かれていて、休み時間のたびに先生をサッカーやドッジボールに誘う生徒でクラスはあふれている。
「根本! おいそこ男子! 吉田おまえも早く席に着け! 今日のHRは、ペア交流の一年生の子どもたちに対してどう接したらいいか、自分たちなりにまとめてもらうぞー。まだちょっと時間早いけどな、国語の小テストと一緒にやってもらうから、答案用紙の裏に書きなさい。課題は今から黒板に書くからよく見るように。回答の量は自由。なにか質問は? よーしそれじゃ、日直、これ配ってくれー」
安西先生は手早く説明を済ませると、答案用紙の束を日直に渡し、黒板にHRの課題を書いていった。
《六年生としての心構え》
① 年下の子とどのように接したらよいと思いますか
② 年下の子が一緒にいるときにケガをしたらどうしますか
③ 三年生は一年生に対してどのように接するべきと思いますか
先生が黒板に白い文字を書いていくうちに、日直が前から順に用紙を配っていく。
「この三つを自分なりに考えて書きなさい。ペア交流をしてるのは、普段接点のない他学年の子と仲良くするためだけじゃないからな。小さい子の面倒を見ることも大事な勉強だ! あと、③はおまえたち六年生の場合じゃないぞー、三年生と一年生の場合で頼むな。――よおし、全員、行きわたったか? それじゃ始め!」
先生の合図でクラス中がシーンとなった。
静まる教室の中を、無機質な鉛筆の音だけが響く。あたしはようやくほっと一息ついて答案用紙に向かった。机の上で白い紙を見つめていると気持ちが落ち着いてくる。こうやって鉛筆を走らせている間は吃音のことを忘れていられるからだ。
斜め前の席で、友子が袖口のリボンをまたいじっている。落ち着かない子だ。
静かな教室のが好きだなんて変なのかな? でも普通に授業を受けるより、こうしてテストを受ける方がやっぱり楽だ。とくに国語は教科書を音読することが多いし、はっきりいって向いてない。
安西先生は吃音のことをよくわかっている。だから音読では絶対にあたしを指名しない。それはきっと先生なりの思いやりなんだろうけど、正直いって迷惑な話だ。それは、先生があたしに対して「特別に」注意を払ってるってことだから。
「今日は何日だー? あーじゃあ8番」などと適当に誰かを指名する。まっすぐ当てたり、斜めに当てたり、カレンダーを見てその日付の生徒を当てたりする。でもその「適当」に、あたしが入ることは絶対にない。
一度こんなことがあった。今でも忘れない六月十一日のこと。
「6足すじゅうい――」先生はそこまでいうと、明らかに「まずい」って顔をした。クラスメイトの何人が気づいたかわからないけど、17番は椎名茜――あたしだ。
「6の次は12なー、その次は18!」とすぐにいい直して先生がごまかした。すごくイヤな気持ちになったのを覚えてる。
もちろん指されて、みんなの前で言葉が出なかったり、吃ってしまえば格好の餌食だ。でもずっと指名されなければされないで、完全に浮いた存在になってしまう。
――無視っていうか、不在感。暗黙の了解。
「国語では、安西先生は、茜ちゃんを当てない」
つまりどっちに転んでも逃げ場なんてないってこと。
あたしはこのクラスのお荷物だし、先生にとって腫れものなんだ。
♮
「残り十分なー。裏やってないやつちゃんとやれよー」
先生がストップウォッチをセットし直す音が響く。昨日勉強した甲斐があって、テストは自分で見直してもまずまずの出来だった。隣の吉田大和が、チラチラとこちらを見てくる。あたしは答案用紙を裏向けると、六年生の心構えを書いていった。
大和は三年生から同じクラスだ。区役所の生活相談課に勤めるお父さんの担当の家庭の子でもある。母子家庭で、好実ちゃんという五歳の妹がいる。
『茜、吉田くんって知ってるだろう。お父さん、今度吉田くんのお母さんの担当になったんだ。お父さんがいないから、茜もやさしくしてあげるんだよ』
大和のお母さんが生活相談課にやって来たのは五年ほど前だったらしい。記憶が間違ってなければ、丁度あたしや大和が小学二年生になった春頃だ。たぶん妹の好実ちゃんが生まれた頃だから、出産して退院したあと、大和のお母さんがなにかしら不安を抱えて区役所を訪ねたんだろう。
そんなわけで担当になったお父さんは、日曜日に一緒にヤマタケへ買い物に行くと、必ず大和のお母さんがいるレジに並んで少しばかり世間話をする。
大和のお母さんはこちらに気づくと、ほっとしたような顔をして、少しだけまわりや他のお客さんを気にしながらも、うれしそうに話し出す。本当は勤務中だから立ち話はだめなはずだけど、お父さんが役所の職員だってこともあって、容認されているみたいだった。
もちろんあたしは黙って聞いているだけ。それでもこのふたりはいつもチラチラとこちらに視線を向ける。お父さんが大和の話をよくするみたいに、大和の家でもあたしの話が出るんだろう。そんな縁もあって、大和は気さくに話しかけてくる。
でも正直いって迷惑な話だ。いくら片親どうしだからって、勝手に仲間だなんて思ってほしくない。それに、浮いた者どうし仲良くしていると思われるのはしゃくにさわる。
「おーし、終わり。全員筆記具を置いてー。これから答え合わせをしてしまうからな。隣の席のやつと答案用紙を交換してくれー。裏に書いてもらった課題は、夏休みに予定しているペア交流のファシリテーションでも発表してもらおうと思ってるからな。先生も読むの楽しみにしてるぞ」
友子が振り返り、苦い顔で笑うのにあたしも応える。先生はそのまま小テストの答え合わせをして、国語の授業を終わらせると教室を出ていった。
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