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第一話 ヤンキー・冴島火乃華
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「おらァッ!」
咆哮。それは獣のような少女だった。
全方位を威嚇するようなツンツン髪。
小動物くらいなら目が合っただけで気絶させられそうな眼光。
細身だが筋肉が凝縮されており、体幹の安定した肉体。
鳳市立ひばり中学校三年生、冴島火乃華である。
下はスカートの下にジャージ、上は制服のシャツの上にファスナー全開のジャージを羽織るのがいつもの彼女のスタイルだ。
今日は卒業式だった。その帰り道、彼女はヤンキー集団に囲まれて多対一の大立ち回りを演じていた。相手は〈鳳連合〉のメンバー十数人。火乃華を倒すためだけに集まった、市内複数の中学校からなるならず者連合軍である。
――今、最後の一人を殴り倒したところだ。
火乃華は、みだれた前髪をかき上げた。汗と汚れに塗れ、息は少し上がってはいるが、傷は一つも負っていない。
「オメェらとも、これで最後だ。結局、一回もアタシに勝てなかったな」
最後に倒した男は、息も絶え絶えに答えた。
「お……オンナ相手に、本気出せるかよ……。オレは紳士なんだ」
「そのセリフもこれで聞き納めだな。こんだけエモノ持ってきといてよく言うぜ」
相手の半分ほどは、野球のバットや角材なんかで武装していたが、それでも素手の火乃華に敵う者はいなかった。
「火乃華……これからも負けんなよ」
「たりめェだ」
少し遠巻きに一部始終を見ていた鈴林燐は、決着を見届けてから火乃華に歩み寄った。
「オツカレさまー! 今日も圧勝だったね」
身長が低めの燐は、背の高い火乃華に近づくと見上げる形になる。汗や汚れを拭うためにタオルを差し出すと、
「おゥ、サンキュ」
と言いながら受け取って燐のショートボブヘアの頭を撫でてくれた。
燐は火乃華の同級生で、同じく卒業式帰りである。前日に果し状をもらっていたので、今日の喧嘩が発生することは分かっていた。
「ホノっちは高校でもこんなこと続けるの?」
「どうすっかな。高校生にもなってこういうケンカってのはガキっぽいからなァ」
こういうとこ、変に常識はあるのが火乃華の良いところだ。
実を言うと、今まで火乃華に喧嘩相手をけしかけていたのは燐の仕業だった。けしかけたっていうと語弊があるけど、燐は彼らから相談を受けていたのだ。つまり、冴島火乃華と付き合いたいと。
火乃華が戦い相手を求めていることを知っていた燐は、彼らに『火乃華は自分より強いヤツとしか付き合わないよ。まずはケンカで打ち負かしてからじゃないと』と伝えていたのだ。
その噂が町中のヤンキーに伝わり、始めは一人ずつかかってきていたがあれよあれよと言う間に〈鳳連合〉なんて同盟まで組まれて、鳳市全体を巻き込んだ事態にまでなってしまうとは燐も苦笑するしかなかった。まあ、功を奏したと言えるのではないだろうか。
火乃華はガラこそ悪いが、サッパリとした性格や誰とでも分け隔てなく接する態度、頼りがいのある強さなんかから、不良少年・少女たちから人気があったのだ。
「格闘技とか、部活でもやれば?」
「アタシはスポーツってガラじゃねェよ。ただ強くなりたいだけなんだ」
「じゃアレだ。裏世界の地下格闘技……ルール無用のデスマッチ!」
「このへんにあるのかそれ?」
「知んない」
とにかく、来年度から彼女にどうやってマッチングを続けていくか、それが燐にとって当面の課題だった。
************************************************
――四月。冴島火乃華と共に県立風切高校に入学し、新しい環境にも慣れてきた鈴林燐はまず校内の『強いヤツ』を探ることにした。
火乃華は『ケンカはガキっぽい』と言ってたけど、入学式の日に早速他中学出身のヤンキーに絡まれ、一発でのしちゃってからは何の事件もなく、日々をボーッと過ごしている。このままでは無気力な若者になってしまうので、なんとかしてあげたい。ちなみに、スカートの下にジャージ、上は制服のシャツの上にファスナー全開のジャージという彼女のスタイルは高校の制服においても健在だ。
一人、候補がいた。剣道部のエースだ。その人は二年生で、去年は一年生ながら全国大会の個人戦でベスト8にランクインしたという強者であり、火乃華の相手として不足はないように思えた。
問題は、どうやって勝負に持ち込むかだ。火乃華の方は、戦いの場さえ整えばやる気を出してくれるだろう。でも相手はふつうの生徒で、喧嘩なんてしようものなら部活が大変なことになってしまう。
ともあれ、どんな人なのかを確認したかったので、放課後に剣道部を見学に行くことにした。もしかしたらすごく好戦的で、ノリノリでバトってくれる可能性もあるかもしれない。
「燐ー。帰っか?」
「ホノっち! ごめん、今日あたし用事あるから、先帰って!」
「そっか、んじゃァな」
今日のところは、一人で偵察したいので火乃華には先に帰ってもらった。
剣道部が活動している武道場に着いた。場内を外から見ることができる窓周辺には意外と人が多かった。漏れ聞く会話によると、例の剣道部エースのファンである女子生徒たちのようだ。燐も端から見れば仲間だと思われているだろう。
「なーんだ、今日はいないのかー」
「帰ろっか」
彼女らがボヤいている。どうやらエースは不在のようだ。仕方ないので、休憩時間になったら主将っぽい男子生徒に話を聞いてみた。
「ああ、あいつは普段の練習は休むことが多いんだ。強いからあんまり文句は言えないけど、いけ好かないヤツだ。顔も良いからファンもいるしな……」
主将は、なんだかブツブツと文句を言っているし周りの部員もウンウンと頷いている。剣道部では嫌われているようだ。燐は、ピーンと閃いた。
「……ちょっと面白いことしてみませんか?」
翌日。朝礼前に教室で出会うと、珍しく火乃華の目が輝いていた。
「ホノっち、どしたの? なんか嬉しそうだよ」
「おゥ。昨日な、帰りにちょっと面白いヤツがいたんだ」
火乃華から聞くところによると、下校中のバスで盗撮騒ぎがあったとのこと。
バレた犯人は逆ギレして、ナイフを振り回した。バス内は大混乱だったが、竹刀袋を持ったウチの生徒がおもむろに近づき、一瞬でナイフを取り上げて制してしまったらしい。
「アタシも隙を窺ってはいたんだけど、先を越されちまった。相当デキるぜ、アイツ。名前聞いとけば良かったな」
それを聞いて、燐はほくそ笑んだ。
「それ、剣道部のエースだ。今日の放課後、剣道部に行こ。約束してるんだ。きっと退屈させないよ」
「はァ?」
放課後、武道場には剣道の防具一式を身に着けた火乃華の姿があった。
「何なんだよ、説明しろよ燐……」
「お、ちゃんと着けてきたね。ホノっちにはこれから、剣道部エースと戦ってもらいます!」
「あァ? アタシ竹刀なんか使ったことねェぞ」
「今日は変則ルールです! ホノっちは竹刀を使いません。拳が竹刀の代わりです。だから小手を打たれてもノーカウント。つまり、小手を使って相手の竹刀を受けて防いだりして良いってコト。でも握るのは反則です。それ以外の、胴も面も打たれたら一本なのは剣道と同じ。エースは、面も胴も小手も有効」
「ふゥん? つまりコブシで面か胴か小手を狙えばいいんだな。バットやパイプ相手に素手で戦ンのは慣れてる」
「でも、相手は全国区の武道家だからね、手強いかもよ~」
すると、剣道部主将がやってきた。
「おお、お前が冴島火乃華か。ひばり中学の暴れオオカミ」
「何だそりゃァ? アタシは戦意のないヤツを殴ることはねェぞ」
「咬み殺された者は数知れずとの噂だが……」
「それヒバリ違い……」
「ところで何でこんなことになってんだ? アタシは戦えるなら何でもいいけどな」
「うちのエース、実力は確かなんだが態度が良くなくてな。お前に負けたら練習に今後ちゃんと出るって約束で今日は試合をしてもらう。お前に勝ったら合同稽古や部内ランキング戦以外の練習は免除してやるって言ったら条件を呑んでくれた」
時間に少し遅れて、エースは剣道具を着けてやってきた。燐は初めて見たが、確かに面の奥にある顔は整っているように見える。それに袴姿での所作も様になっていて、実力の高さに伴う品のようなものは感じられた。主将は中央の試合場に立ち二人を呼んだ。
「早速始めるぞ。二人共位置について」
エースは火乃華の姿を見ると、呆れたように呟いた。
「こいつが冴島火乃華か。ケンカは強いらしいが、剣道三倍段という言葉を知らんのか?」
「ん? オメェ……。ま、いいか」
火乃華は何か思ったようだが、目の前の相手に集中して向かい直した。
試合場の中央で、主将が叫ぶ。
「これより特殊ルールの試合を始める! 審判は俺が務める。もちろん贔屓はしないが、不服があれば申し出ること。いいな?」
「そんな微妙な勝負になるかな。誰が見ても納得のいく勝敗をつければいいんだろう」
エースは自信ありげだ。
「両者前へ」
二人は礼をして試合場に入る。開始戦まで来るとエースが蹲踞の姿勢を取ったので、火乃華もマネをして向かい合った。
「三本勝負、一本め始め!」
エースは竹刀を中段に構え、火乃華は両手を前にファイティングポーズを取った。
竹刀を細かく動かし、足捌きで牽制するエースに対し、火乃華は微動だにせず待ち構えている。エースはやりにくそうだ。そりゃそうだ、素手を相手に戦うなんて初めてのことだろう。
――と、竹刀が風を切り、火乃華の頭頂部に真っ直ぐ振り下ろされた。
それを防ぐために右手を上げ、小手で捌こうとする火乃華。
しかし刀身は軌道を違え、腕を上げて無防備になった胴に狙いを変えさらに加速した。
「ドォォーッ!!」
気迫のこもった声と、空気を震わせる衝撃音。しかしキレイな音ではなく、くぐもったような鈍い音が響いただけだった。
火乃華の胴に当たったのは竹刀の有効な部位ではなく、鍔に近い部分。打たれる瞬間に一歩踏み込んで有効打を避けたのだ。
「今のを読んでたのか!? マジか、こいつ……!」
エースが慄き、距離を取ろうとする一瞬隙を見せた。
「おらァッ!」
火乃華は相手の顔面に拳を繰り出した。
激しい衝撃と共にエースは吹き飛ばされ、場外まで転がった。
圧倒的。ここまで一方的な試合になるとは、燐も思っていなかった。
ギャラリーは部員もエースのファンも、静まりかえった。
主将だけが、かろうじて声を絞り出した。
「い、一本……」
火乃華は開始線に戻り一礼をした後、倒れたままのエースを見て言った。
「三本勝負だっけ、どうすんだ?」
そもそも今のって、『面』なの? 『突き』なの?
エースは起き上がらないので火乃華の勝利となった。武道場内はエースを介抱する者、火乃華に近寄ってくる者、練習を再開する者に分かれた。
「アイツは昨日のヤツじゃねェぞ。昨日のヤツは女子だ」
火乃華が防具を外し始めながら、燐に向かってつぶやいた。
「え?」
燐は、最初から目をつけていた剣道部エースが男子だったので、その線はまったく頭になかった。
では、火乃華がバスで会ったという『相当デキる』という人は剣道部じゃなかったのだろうか。
「今のヤツも、まあ強かった。剣道のルールだから有効打にはならなかったけど、防具がなかったらダメージが入ってただろうしな。でも昨日のヤツは、全然違う。なんていうか、『強さ』がよく見えなかった。今のヤツが『炎』だとするなら……昨日のヤツは『水』みたいなカンジだ」
燐は、火乃華がここまで誰かのことを分析的に語るのを初めて見た。
「でも、じゃあ誰なんだろ? 竹刀持ってたんでしょ? 女子部の方に聞いてみようか?」
主将は、部員に練習を始めるよう指示して、火乃華と燐のところにやって来た。
「すごいな、ここまでとは思わなかった。本当にありがとう、助かったよ」
お礼を言われるようなことはしてないし、燐は首謀者として謝っておくことにした。
「いえいえ、こちらこそ付き合ってもらっちゃってすみません。あの、エースさん大丈夫でしょうか……?」
「まだ伸びてるが、文句も言えんくらいの敗北だ。今後は練習に来てくれるだろう」
「ちょっと様子見てみるか。おーいエースさんよー」
火乃華が近づくと、エースは朦朧と目を覚ました。
「ううー……ん? ヒッ! 鬼だァァッ!」
エースは混乱したまま、落ちていた竹刀を火乃華に投げつけたが、狙いが外れて燐に向かって飛んできた。
「わわーっ!」
「チッ!」
すんでのところで火乃華が弾き飛ばしたが、その先では女子剣道部員が練習していた。向こうを向いて素振りをしていて、こちらに気づいていない。
「やべェッ!」
その剣道部員は、振り返ることもなく素振りに使っていた竹刀を背に回し、飛んできた竹刀を受け止めながら勢いを殺し、くるりと前へ回して手に持った。
彼女がこちらに振り返ると、長いポニーテールが体とともに弧を描き、静かな物腰で歩いて竹刀を手渡してきた。
「危ないですよ」
誰もが目を奪われ動けなかった中、火乃華がそれを受け取り、
「わりィな」
と答えた。目は彼女を捉えたまま、さらに聞いた。
「アンタ名前は?」
「一年、桐崎直刃」
咆哮。それは獣のような少女だった。
全方位を威嚇するようなツンツン髪。
小動物くらいなら目が合っただけで気絶させられそうな眼光。
細身だが筋肉が凝縮されており、体幹の安定した肉体。
鳳市立ひばり中学校三年生、冴島火乃華である。
下はスカートの下にジャージ、上は制服のシャツの上にファスナー全開のジャージを羽織るのがいつもの彼女のスタイルだ。
今日は卒業式だった。その帰り道、彼女はヤンキー集団に囲まれて多対一の大立ち回りを演じていた。相手は〈鳳連合〉のメンバー十数人。火乃華を倒すためだけに集まった、市内複数の中学校からなるならず者連合軍である。
――今、最後の一人を殴り倒したところだ。
火乃華は、みだれた前髪をかき上げた。汗と汚れに塗れ、息は少し上がってはいるが、傷は一つも負っていない。
「オメェらとも、これで最後だ。結局、一回もアタシに勝てなかったな」
最後に倒した男は、息も絶え絶えに答えた。
「お……オンナ相手に、本気出せるかよ……。オレは紳士なんだ」
「そのセリフもこれで聞き納めだな。こんだけエモノ持ってきといてよく言うぜ」
相手の半分ほどは、野球のバットや角材なんかで武装していたが、それでも素手の火乃華に敵う者はいなかった。
「火乃華……これからも負けんなよ」
「たりめェだ」
少し遠巻きに一部始終を見ていた鈴林燐は、決着を見届けてから火乃華に歩み寄った。
「オツカレさまー! 今日も圧勝だったね」
身長が低めの燐は、背の高い火乃華に近づくと見上げる形になる。汗や汚れを拭うためにタオルを差し出すと、
「おゥ、サンキュ」
と言いながら受け取って燐のショートボブヘアの頭を撫でてくれた。
燐は火乃華の同級生で、同じく卒業式帰りである。前日に果し状をもらっていたので、今日の喧嘩が発生することは分かっていた。
「ホノっちは高校でもこんなこと続けるの?」
「どうすっかな。高校生にもなってこういうケンカってのはガキっぽいからなァ」
こういうとこ、変に常識はあるのが火乃華の良いところだ。
実を言うと、今まで火乃華に喧嘩相手をけしかけていたのは燐の仕業だった。けしかけたっていうと語弊があるけど、燐は彼らから相談を受けていたのだ。つまり、冴島火乃華と付き合いたいと。
火乃華が戦い相手を求めていることを知っていた燐は、彼らに『火乃華は自分より強いヤツとしか付き合わないよ。まずはケンカで打ち負かしてからじゃないと』と伝えていたのだ。
その噂が町中のヤンキーに伝わり、始めは一人ずつかかってきていたがあれよあれよと言う間に〈鳳連合〉なんて同盟まで組まれて、鳳市全体を巻き込んだ事態にまでなってしまうとは燐も苦笑するしかなかった。まあ、功を奏したと言えるのではないだろうか。
火乃華はガラこそ悪いが、サッパリとした性格や誰とでも分け隔てなく接する態度、頼りがいのある強さなんかから、不良少年・少女たちから人気があったのだ。
「格闘技とか、部活でもやれば?」
「アタシはスポーツってガラじゃねェよ。ただ強くなりたいだけなんだ」
「じゃアレだ。裏世界の地下格闘技……ルール無用のデスマッチ!」
「このへんにあるのかそれ?」
「知んない」
とにかく、来年度から彼女にどうやってマッチングを続けていくか、それが燐にとって当面の課題だった。
************************************************
――四月。冴島火乃華と共に県立風切高校に入学し、新しい環境にも慣れてきた鈴林燐はまず校内の『強いヤツ』を探ることにした。
火乃華は『ケンカはガキっぽい』と言ってたけど、入学式の日に早速他中学出身のヤンキーに絡まれ、一発でのしちゃってからは何の事件もなく、日々をボーッと過ごしている。このままでは無気力な若者になってしまうので、なんとかしてあげたい。ちなみに、スカートの下にジャージ、上は制服のシャツの上にファスナー全開のジャージという彼女のスタイルは高校の制服においても健在だ。
一人、候補がいた。剣道部のエースだ。その人は二年生で、去年は一年生ながら全国大会の個人戦でベスト8にランクインしたという強者であり、火乃華の相手として不足はないように思えた。
問題は、どうやって勝負に持ち込むかだ。火乃華の方は、戦いの場さえ整えばやる気を出してくれるだろう。でも相手はふつうの生徒で、喧嘩なんてしようものなら部活が大変なことになってしまう。
ともあれ、どんな人なのかを確認したかったので、放課後に剣道部を見学に行くことにした。もしかしたらすごく好戦的で、ノリノリでバトってくれる可能性もあるかもしれない。
「燐ー。帰っか?」
「ホノっち! ごめん、今日あたし用事あるから、先帰って!」
「そっか、んじゃァな」
今日のところは、一人で偵察したいので火乃華には先に帰ってもらった。
剣道部が活動している武道場に着いた。場内を外から見ることができる窓周辺には意外と人が多かった。漏れ聞く会話によると、例の剣道部エースのファンである女子生徒たちのようだ。燐も端から見れば仲間だと思われているだろう。
「なーんだ、今日はいないのかー」
「帰ろっか」
彼女らがボヤいている。どうやらエースは不在のようだ。仕方ないので、休憩時間になったら主将っぽい男子生徒に話を聞いてみた。
「ああ、あいつは普段の練習は休むことが多いんだ。強いからあんまり文句は言えないけど、いけ好かないヤツだ。顔も良いからファンもいるしな……」
主将は、なんだかブツブツと文句を言っているし周りの部員もウンウンと頷いている。剣道部では嫌われているようだ。燐は、ピーンと閃いた。
「……ちょっと面白いことしてみませんか?」
翌日。朝礼前に教室で出会うと、珍しく火乃華の目が輝いていた。
「ホノっち、どしたの? なんか嬉しそうだよ」
「おゥ。昨日な、帰りにちょっと面白いヤツがいたんだ」
火乃華から聞くところによると、下校中のバスで盗撮騒ぎがあったとのこと。
バレた犯人は逆ギレして、ナイフを振り回した。バス内は大混乱だったが、竹刀袋を持ったウチの生徒がおもむろに近づき、一瞬でナイフを取り上げて制してしまったらしい。
「アタシも隙を窺ってはいたんだけど、先を越されちまった。相当デキるぜ、アイツ。名前聞いとけば良かったな」
それを聞いて、燐はほくそ笑んだ。
「それ、剣道部のエースだ。今日の放課後、剣道部に行こ。約束してるんだ。きっと退屈させないよ」
「はァ?」
放課後、武道場には剣道の防具一式を身に着けた火乃華の姿があった。
「何なんだよ、説明しろよ燐……」
「お、ちゃんと着けてきたね。ホノっちにはこれから、剣道部エースと戦ってもらいます!」
「あァ? アタシ竹刀なんか使ったことねェぞ」
「今日は変則ルールです! ホノっちは竹刀を使いません。拳が竹刀の代わりです。だから小手を打たれてもノーカウント。つまり、小手を使って相手の竹刀を受けて防いだりして良いってコト。でも握るのは反則です。それ以外の、胴も面も打たれたら一本なのは剣道と同じ。エースは、面も胴も小手も有効」
「ふゥん? つまりコブシで面か胴か小手を狙えばいいんだな。バットやパイプ相手に素手で戦ンのは慣れてる」
「でも、相手は全国区の武道家だからね、手強いかもよ~」
すると、剣道部主将がやってきた。
「おお、お前が冴島火乃華か。ひばり中学の暴れオオカミ」
「何だそりゃァ? アタシは戦意のないヤツを殴ることはねェぞ」
「咬み殺された者は数知れずとの噂だが……」
「それヒバリ違い……」
「ところで何でこんなことになってんだ? アタシは戦えるなら何でもいいけどな」
「うちのエース、実力は確かなんだが態度が良くなくてな。お前に負けたら練習に今後ちゃんと出るって約束で今日は試合をしてもらう。お前に勝ったら合同稽古や部内ランキング戦以外の練習は免除してやるって言ったら条件を呑んでくれた」
時間に少し遅れて、エースは剣道具を着けてやってきた。燐は初めて見たが、確かに面の奥にある顔は整っているように見える。それに袴姿での所作も様になっていて、実力の高さに伴う品のようなものは感じられた。主将は中央の試合場に立ち二人を呼んだ。
「早速始めるぞ。二人共位置について」
エースは火乃華の姿を見ると、呆れたように呟いた。
「こいつが冴島火乃華か。ケンカは強いらしいが、剣道三倍段という言葉を知らんのか?」
「ん? オメェ……。ま、いいか」
火乃華は何か思ったようだが、目の前の相手に集中して向かい直した。
試合場の中央で、主将が叫ぶ。
「これより特殊ルールの試合を始める! 審判は俺が務める。もちろん贔屓はしないが、不服があれば申し出ること。いいな?」
「そんな微妙な勝負になるかな。誰が見ても納得のいく勝敗をつければいいんだろう」
エースは自信ありげだ。
「両者前へ」
二人は礼をして試合場に入る。開始戦まで来るとエースが蹲踞の姿勢を取ったので、火乃華もマネをして向かい合った。
「三本勝負、一本め始め!」
エースは竹刀を中段に構え、火乃華は両手を前にファイティングポーズを取った。
竹刀を細かく動かし、足捌きで牽制するエースに対し、火乃華は微動だにせず待ち構えている。エースはやりにくそうだ。そりゃそうだ、素手を相手に戦うなんて初めてのことだろう。
――と、竹刀が風を切り、火乃華の頭頂部に真っ直ぐ振り下ろされた。
それを防ぐために右手を上げ、小手で捌こうとする火乃華。
しかし刀身は軌道を違え、腕を上げて無防備になった胴に狙いを変えさらに加速した。
「ドォォーッ!!」
気迫のこもった声と、空気を震わせる衝撃音。しかしキレイな音ではなく、くぐもったような鈍い音が響いただけだった。
火乃華の胴に当たったのは竹刀の有効な部位ではなく、鍔に近い部分。打たれる瞬間に一歩踏み込んで有効打を避けたのだ。
「今のを読んでたのか!? マジか、こいつ……!」
エースが慄き、距離を取ろうとする一瞬隙を見せた。
「おらァッ!」
火乃華は相手の顔面に拳を繰り出した。
激しい衝撃と共にエースは吹き飛ばされ、場外まで転がった。
圧倒的。ここまで一方的な試合になるとは、燐も思っていなかった。
ギャラリーは部員もエースのファンも、静まりかえった。
主将だけが、かろうじて声を絞り出した。
「い、一本……」
火乃華は開始線に戻り一礼をした後、倒れたままのエースを見て言った。
「三本勝負だっけ、どうすんだ?」
そもそも今のって、『面』なの? 『突き』なの?
エースは起き上がらないので火乃華の勝利となった。武道場内はエースを介抱する者、火乃華に近寄ってくる者、練習を再開する者に分かれた。
「アイツは昨日のヤツじゃねェぞ。昨日のヤツは女子だ」
火乃華が防具を外し始めながら、燐に向かってつぶやいた。
「え?」
燐は、最初から目をつけていた剣道部エースが男子だったので、その線はまったく頭になかった。
では、火乃華がバスで会ったという『相当デキる』という人は剣道部じゃなかったのだろうか。
「今のヤツも、まあ強かった。剣道のルールだから有効打にはならなかったけど、防具がなかったらダメージが入ってただろうしな。でも昨日のヤツは、全然違う。なんていうか、『強さ』がよく見えなかった。今のヤツが『炎』だとするなら……昨日のヤツは『水』みたいなカンジだ」
燐は、火乃華がここまで誰かのことを分析的に語るのを初めて見た。
「でも、じゃあ誰なんだろ? 竹刀持ってたんでしょ? 女子部の方に聞いてみようか?」
主将は、部員に練習を始めるよう指示して、火乃華と燐のところにやって来た。
「すごいな、ここまでとは思わなかった。本当にありがとう、助かったよ」
お礼を言われるようなことはしてないし、燐は首謀者として謝っておくことにした。
「いえいえ、こちらこそ付き合ってもらっちゃってすみません。あの、エースさん大丈夫でしょうか……?」
「まだ伸びてるが、文句も言えんくらいの敗北だ。今後は練習に来てくれるだろう」
「ちょっと様子見てみるか。おーいエースさんよー」
火乃華が近づくと、エースは朦朧と目を覚ました。
「ううー……ん? ヒッ! 鬼だァァッ!」
エースは混乱したまま、落ちていた竹刀を火乃華に投げつけたが、狙いが外れて燐に向かって飛んできた。
「わわーっ!」
「チッ!」
すんでのところで火乃華が弾き飛ばしたが、その先では女子剣道部員が練習していた。向こうを向いて素振りをしていて、こちらに気づいていない。
「やべェッ!」
その剣道部員は、振り返ることもなく素振りに使っていた竹刀を背に回し、飛んできた竹刀を受け止めながら勢いを殺し、くるりと前へ回して手に持った。
彼女がこちらに振り返ると、長いポニーテールが体とともに弧を描き、静かな物腰で歩いて竹刀を手渡してきた。
「危ないですよ」
誰もが目を奪われ動けなかった中、火乃華がそれを受け取り、
「わりィな」
と答えた。目は彼女を捉えたまま、さらに聞いた。
「アンタ名前は?」
「一年、桐崎直刃」
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