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4(帰郷1)
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アンネリゼを娶って、二ヶ月と少しが経った頃。
「故郷(くに)へ帰る……?」
妻からの初めての嘆願に、ジュニアスは思わず固まってしまった。脱ぎかけの上着もそのままに、背後を振り返る。自分の胸辺りまでしか身長のないアンネリゼが、憂えた表情で佇んでいた。
夜。互いの側近も下がらせた今、ジュニアスとアンネリゼはやっとふたりきりになったところだった。
アンネリゼは迷うように躊躇いながら、か細い声を紡ぎ出す。
「はい……その、数日だけ、帰郷を許してはいただけないかと」
「……何かあったのか? いや、とりあえず座って話そう」
普段、自分が他者に恐ろしい印象を与えていることは自覚していた。だからジュニアスは、長椅子に誘導した妻に、努めて穏やかに接したつもりだった。
けれどアンネリゼは、怯えたようにジュニアスを見つめてくる。
やはり、いつもと様子が違う。
「アンネリゼ……?」
事情を話してもらわなければ対処のしようがない。先を促せば、アンネリゼはおずおずと口を開いた。
「実は……妹が身体を壊して、ここ数週間床に伏せっているそうなのです」
「妹君が?」
「はい……なので、数日で構いませんから、見舞いに行かせてはいただけないかと」
ああ、そういうことか。
アンネリゼが憂鬱そうにしている理由を理解し、ジュニアスは安堵した。
祖国といえど、后が赴くとなれば相応の国費が動くことになる。安全な行路の確保、護衛に侍女、滞在数分の荷物も詰めるとなれば大掛かりな旅路になるに違いなかった。
実妹を見舞いたい気持ちと后としての責務に挟まれ、アンネリゼは思い悩んでいたのだろう。
ジュニアスは、すぐに頷いて言った。
「もちろん構わない。リストリアからも滋養のつくものを贈ろう」
と、アンネリゼの表情が一変して和らぐ。
「ありがとうございます……! 陛下」
「同行はできないが、十分気をつけてくれ」
やっと笑顔になったアンネリゼに、ジュニアスも笑みをこぼす。
反対されるかもしれないと思われていたのは悲しいけれど、自分たちの関係上、それも仕方ないことかと嘆息した。そうして、これからだ、と自分に言い聞かせる。
(そう、これから……)
慌てる必要はない。
ジュニアスは、寝巻き姿のアンネリゼを見つめた。意識すれば、ほのかに漂っていた石鹸の香りが強くなる──湯浴みを終え、髪も解いたアンネリゼは、実年齢よりもうんと幼く見えていた。実際、五つも年下なのだけれど。
「アンネリゼ」
手を伸ばし、彼女の栗色の髪に触れる。
ジュニアスは自覚していた。冗談のひとつも言えず、愛想笑いも苦手な自分が、女性にとってどれ程つまらない存在かを。だからジュニアスは、妻となってくれた女性、しかも遠い異国から嫁いでくれたアンネリゼを、出来うる限りに大切に、丁重にもてなしてきたつもりだった。
「そろそろ休もうか」
意識して声を低くすれば、アンネリゼの全身に緊張が走る。まだ、慣れないのだろう。赤くなった耳に「寝室で待っていてくれ」と囁いて、ジュニアスは浴室に向かった。そこで衣服を脱ぎながら、溜まっている仕事を頭の中で反芻し、考える。
なんとか彼女の帰郷に同行は出来ないものだろうか──。
湯の中に身を浸しながら、ジュニアスはアンネリゼを想った。心はすでに彼女と旅をする方へと傾いていた。
「故郷(くに)へ帰る……?」
妻からの初めての嘆願に、ジュニアスは思わず固まってしまった。脱ぎかけの上着もそのままに、背後を振り返る。自分の胸辺りまでしか身長のないアンネリゼが、憂えた表情で佇んでいた。
夜。互いの側近も下がらせた今、ジュニアスとアンネリゼはやっとふたりきりになったところだった。
アンネリゼは迷うように躊躇いながら、か細い声を紡ぎ出す。
「はい……その、数日だけ、帰郷を許してはいただけないかと」
「……何かあったのか? いや、とりあえず座って話そう」
普段、自分が他者に恐ろしい印象を与えていることは自覚していた。だからジュニアスは、長椅子に誘導した妻に、努めて穏やかに接したつもりだった。
けれどアンネリゼは、怯えたようにジュニアスを見つめてくる。
やはり、いつもと様子が違う。
「アンネリゼ……?」
事情を話してもらわなければ対処のしようがない。先を促せば、アンネリゼはおずおずと口を開いた。
「実は……妹が身体を壊して、ここ数週間床に伏せっているそうなのです」
「妹君が?」
「はい……なので、数日で構いませんから、見舞いに行かせてはいただけないかと」
ああ、そういうことか。
アンネリゼが憂鬱そうにしている理由を理解し、ジュニアスは安堵した。
祖国といえど、后が赴くとなれば相応の国費が動くことになる。安全な行路の確保、護衛に侍女、滞在数分の荷物も詰めるとなれば大掛かりな旅路になるに違いなかった。
実妹を見舞いたい気持ちと后としての責務に挟まれ、アンネリゼは思い悩んでいたのだろう。
ジュニアスは、すぐに頷いて言った。
「もちろん構わない。リストリアからも滋養のつくものを贈ろう」
と、アンネリゼの表情が一変して和らぐ。
「ありがとうございます……! 陛下」
「同行はできないが、十分気をつけてくれ」
やっと笑顔になったアンネリゼに、ジュニアスも笑みをこぼす。
反対されるかもしれないと思われていたのは悲しいけれど、自分たちの関係上、それも仕方ないことかと嘆息した。そうして、これからだ、と自分に言い聞かせる。
(そう、これから……)
慌てる必要はない。
ジュニアスは、寝巻き姿のアンネリゼを見つめた。意識すれば、ほのかに漂っていた石鹸の香りが強くなる──湯浴みを終え、髪も解いたアンネリゼは、実年齢よりもうんと幼く見えていた。実際、五つも年下なのだけれど。
「アンネリゼ」
手を伸ばし、彼女の栗色の髪に触れる。
ジュニアスは自覚していた。冗談のひとつも言えず、愛想笑いも苦手な自分が、女性にとってどれ程つまらない存在かを。だからジュニアスは、妻となってくれた女性、しかも遠い異国から嫁いでくれたアンネリゼを、出来うる限りに大切に、丁重にもてなしてきたつもりだった。
「そろそろ休もうか」
意識して声を低くすれば、アンネリゼの全身に緊張が走る。まだ、慣れないのだろう。赤くなった耳に「寝室で待っていてくれ」と囁いて、ジュニアスは浴室に向かった。そこで衣服を脱ぎながら、溜まっている仕事を頭の中で反芻し、考える。
なんとか彼女の帰郷に同行は出来ないものだろうか──。
湯の中に身を浸しながら、ジュニアスはアンネリゼを想った。心はすでに彼女と旅をする方へと傾いていた。
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