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一話
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「こ、困ってたって。悪いのはこの女で」
「ええ。見てましたよ、お連れの方が」
言って男性が、細身の客に目線を流す。
「狐のお嬢さんの腕をいきなり掴んだから、お嬢さんが驚いて、ビールをこぼしちゃったんですよね――大丈夫だった?」
「は、はい」
いきなり顔を向けられ、凜は全身を硬直させた。
ふわりとした柔らかな笑顔。
そんな彼の喪服のように黒いスーツの胸元には小さな銀色のバッヂが輝いてた。見覚えのありすぎる、五芒星を歪ませたような細やかなデザイン。……間違いない――治安保全管理局の職員だ。
確信して、凛は新たな冷や汗をかいた。よりによって、管理局のヒトにこんなトラブルを見られてしまうなんて。
しかし、そんな凛の心配をよそに、管理局職員男性は凛を咎めることはなく、タンクトップの男に向き直った。
「とりあえず」と喚く男の手を掴む。
「上層区までご同行願えますか。恐喝案件として処理しますので」
「なっ俺はなにも」
「そちらの方も、お願いしますね――日織」
暁月は男を拘束したまま、首を入り口へと向けた。凛もつられるように見やれば、職員と同じ、黒いスーツに銀バッヂを光らせた若い男性が、小難しそうな顔で駆けてきた。茶色の癖毛が印象的だった。
「暁月先輩! こんなことしてる場合じゃ」
「だからって見過ごせないだろ」
「でも……っ」
「!! いてえ! いてえよ!」
職員──暁月が力を込めたらしい。彼に手を掴まれていたタンクトップの男が、突然情けない悲鳴をあげた。隙をついて逃げ出そうとしていたようだった。
「くそ、なんなんだよあんた達! 管理局の人間だろ、なんで妖怪の肩なんかもつんだよ!」
日織が細身の男を捕らえる合間、暁月は、胸の内ポケットから取り出した携帯を片手で操作しだした。長い親指が、軽快に画面をタップする。
「──お兄さんはなにか勘違いをされているようですが、俺たちの立場は中立ですよ。どっちの味方でもない」
言いながら、携帯を耳に当てる。通話相手も同じ管理局職員のようだった。
「暁月です────いえ、別件です。小料理店で暴れていた男性を二名確保しました。至急応援願います。はい、宵月駅の高架下です」
暁月は用件を言い終えると、終話ボタンを押して携帯を胸の内ポケットへしまった。そうして、喚く男たちを後からきた職員らに引き渡すと、呆然とする凛と、厨房から出てきていた高谷に向き直った。
「大丈夫でした? 店員さん腕掴まれてたみたいだけど、怪我は」
「だ、大丈夫です、平気です」
腕をあげてみせた凛に、無事を確認した暁月は「良かった」と相合を崩した。
「助けに入るのが遅くなってごめんね。俺は今期からこの地区を受け持つことになった治安保全管理局の暁月です。よろしく」
「……は、はい」
「今後腕に痛みが出るようなことがあれば電話をください」
名刺を渡され、顔写真入りのIDカードまで見せてもらい、凛と高谷は揃って頷いた。
正直、戸惑っていた。管理局の職員からこんなに丁寧な対応をされたことが初めてだったからだ。
話を聞くに、宵月町の担当になったという暁月は、町の見廻り中だったそうで、ちょうど見つけた「善」で昼食をとろうとしていたそうだった。そこで男たちに絡まれている凛に遭遇し、助けに入ってくれた、ということらしい。
「すみません、ご休憩中に。お手間をおかけしました」
慌てて頭を下げる凛に、暁月は「いえいえ」と笑顔を返してくれた。
「仕事ですから」
あっさりと言った暁月の携帯が震えた。すみません、と断って早口に電話に出る。
彼らの業務は、捕まえて終わり、ではないらしい。その日は食事をすることもなく、暁月と日織は「報告書が」とか「本命が」とか何事か言い合いながら、急ぎ足で宵月町をあとにした。
「変わった奴だったな」
「……うん」
嵐のように去っていった暁月たちに、凛も高谷もなんとも言い表しようのない違和感を覚え、顔を見合わせた。
『――どっちの味方でもない』
あんなことを言う職員がいるだなんて。
普通の管理局職員は、どんな事情があれ、こうしたトラブルが起きた場合あやかし側にもペナルティを与えるのが普通だった。
それには様々な理由がある。
ひとつは過去の圧倒的ケースにおいて、あやかし側が加害者だったためでもあるし、ひとつはあやかしとヒトでは、【個で戦った場合】どうしてもあやかし側に分があるためでもあった。
あやかしは強い。喧嘩などしたこともないが、凜だってきっと本気で抵抗すれば、さっきの男たちを返り討ちにするぐらいは出来たのだろう。しかも店には、鬼の高谷もいたのだ。高谷がその気を出せば、あんな酔っ払いをどうにかするくらい、雑作もないことのはずだった。
けれどそれは――それだけはしてはいけないことだった。
なぜならば千年も前に、あやかしとヒトは共生の道を選んでいる。凄惨な過去を繰り返さないために、先人たちが交わした大切な約束だ。多少の問題はあっても、あやかしもヒトも、平和のための決め事は守らねばならないのだった。
だから凛たちあやかしは、管理局職員の『人間贔屓』も(多少腹は立つけれど)受け入れていた。
生活を守るための法だからと。
だけど、あの職員は違っていた。
規律通りの【中立】を貫き、凛をヒトから助けてくれた。
(暁月さんか)
本当に、変わった人だった。
庇ってくれただけでなく、怪我の心配までしてくれて……。
ふと。助けてもらった時に香った、彼のお線香のような落ち着く匂いを思い出して、凛はほうっと彼の去った屋外を見やった。風がさわさわと鳴いていた。
宵月町の担当になったと言っていたし、また会う機会もあるかもしれない。その時は改めてお礼を伝えよう。
思いながら散らかった店の片付けをし、凛はその日を平穏無事に終えたのだった。
「ええ。見てましたよ、お連れの方が」
言って男性が、細身の客に目線を流す。
「狐のお嬢さんの腕をいきなり掴んだから、お嬢さんが驚いて、ビールをこぼしちゃったんですよね――大丈夫だった?」
「は、はい」
いきなり顔を向けられ、凜は全身を硬直させた。
ふわりとした柔らかな笑顔。
そんな彼の喪服のように黒いスーツの胸元には小さな銀色のバッヂが輝いてた。見覚えのありすぎる、五芒星を歪ませたような細やかなデザイン。……間違いない――治安保全管理局の職員だ。
確信して、凛は新たな冷や汗をかいた。よりによって、管理局のヒトにこんなトラブルを見られてしまうなんて。
しかし、そんな凛の心配をよそに、管理局職員男性は凛を咎めることはなく、タンクトップの男に向き直った。
「とりあえず」と喚く男の手を掴む。
「上層区までご同行願えますか。恐喝案件として処理しますので」
「なっ俺はなにも」
「そちらの方も、お願いしますね――日織」
暁月は男を拘束したまま、首を入り口へと向けた。凛もつられるように見やれば、職員と同じ、黒いスーツに銀バッヂを光らせた若い男性が、小難しそうな顔で駆けてきた。茶色の癖毛が印象的だった。
「暁月先輩! こんなことしてる場合じゃ」
「だからって見過ごせないだろ」
「でも……っ」
「!! いてえ! いてえよ!」
職員──暁月が力を込めたらしい。彼に手を掴まれていたタンクトップの男が、突然情けない悲鳴をあげた。隙をついて逃げ出そうとしていたようだった。
「くそ、なんなんだよあんた達! 管理局の人間だろ、なんで妖怪の肩なんかもつんだよ!」
日織が細身の男を捕らえる合間、暁月は、胸の内ポケットから取り出した携帯を片手で操作しだした。長い親指が、軽快に画面をタップする。
「──お兄さんはなにか勘違いをされているようですが、俺たちの立場は中立ですよ。どっちの味方でもない」
言いながら、携帯を耳に当てる。通話相手も同じ管理局職員のようだった。
「暁月です────いえ、別件です。小料理店で暴れていた男性を二名確保しました。至急応援願います。はい、宵月駅の高架下です」
暁月は用件を言い終えると、終話ボタンを押して携帯を胸の内ポケットへしまった。そうして、喚く男たちを後からきた職員らに引き渡すと、呆然とする凛と、厨房から出てきていた高谷に向き直った。
「大丈夫でした? 店員さん腕掴まれてたみたいだけど、怪我は」
「だ、大丈夫です、平気です」
腕をあげてみせた凛に、無事を確認した暁月は「良かった」と相合を崩した。
「助けに入るのが遅くなってごめんね。俺は今期からこの地区を受け持つことになった治安保全管理局の暁月です。よろしく」
「……は、はい」
「今後腕に痛みが出るようなことがあれば電話をください」
名刺を渡され、顔写真入りのIDカードまで見せてもらい、凛と高谷は揃って頷いた。
正直、戸惑っていた。管理局の職員からこんなに丁寧な対応をされたことが初めてだったからだ。
話を聞くに、宵月町の担当になったという暁月は、町の見廻り中だったそうで、ちょうど見つけた「善」で昼食をとろうとしていたそうだった。そこで男たちに絡まれている凛に遭遇し、助けに入ってくれた、ということらしい。
「すみません、ご休憩中に。お手間をおかけしました」
慌てて頭を下げる凛に、暁月は「いえいえ」と笑顔を返してくれた。
「仕事ですから」
あっさりと言った暁月の携帯が震えた。すみません、と断って早口に電話に出る。
彼らの業務は、捕まえて終わり、ではないらしい。その日は食事をすることもなく、暁月と日織は「報告書が」とか「本命が」とか何事か言い合いながら、急ぎ足で宵月町をあとにした。
「変わった奴だったな」
「……うん」
嵐のように去っていった暁月たちに、凛も高谷もなんとも言い表しようのない違和感を覚え、顔を見合わせた。
『――どっちの味方でもない』
あんなことを言う職員がいるだなんて。
普通の管理局職員は、どんな事情があれ、こうしたトラブルが起きた場合あやかし側にもペナルティを与えるのが普通だった。
それには様々な理由がある。
ひとつは過去の圧倒的ケースにおいて、あやかし側が加害者だったためでもあるし、ひとつはあやかしとヒトでは、【個で戦った場合】どうしてもあやかし側に分があるためでもあった。
あやかしは強い。喧嘩などしたこともないが、凜だってきっと本気で抵抗すれば、さっきの男たちを返り討ちにするぐらいは出来たのだろう。しかも店には、鬼の高谷もいたのだ。高谷がその気を出せば、あんな酔っ払いをどうにかするくらい、雑作もないことのはずだった。
けれどそれは――それだけはしてはいけないことだった。
なぜならば千年も前に、あやかしとヒトは共生の道を選んでいる。凄惨な過去を繰り返さないために、先人たちが交わした大切な約束だ。多少の問題はあっても、あやかしもヒトも、平和のための決め事は守らねばならないのだった。
だから凛たちあやかしは、管理局職員の『人間贔屓』も(多少腹は立つけれど)受け入れていた。
生活を守るための法だからと。
だけど、あの職員は違っていた。
規律通りの【中立】を貫き、凛をヒトから助けてくれた。
(暁月さんか)
本当に、変わった人だった。
庇ってくれただけでなく、怪我の心配までしてくれて……。
ふと。助けてもらった時に香った、彼のお線香のような落ち着く匂いを思い出して、凛はほうっと彼の去った屋外を見やった。風がさわさわと鳴いていた。
宵月町の担当になったと言っていたし、また会う機会もあるかもしれない。その時は改めてお礼を伝えよう。
思いながら散らかった店の片付けをし、凛はその日を平穏無事に終えたのだった。
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